鏡の話:10の12
★ゾウリムシのトリコシストを思い出してしまいました。
結論を先に表明しておくと
「ゾウリムシは運動量を放出して跳びすさる」
のではないか。
です。
★刺胞の発射についてお話をしました↓
http://yamada-kuebiko.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/post-44e7.html
「鏡の話:10の7」
--------------------
剣状棘の最終速度は、18.5~37.1m/s(時速66.6~134km)にもなるそうです。
また剣状棘の打撃の圧力は、7GPaにもなるのだそうです。
1気圧が約0.1MPaですから、7万気圧相当ですね。とんでもないことです。
本では「体重50kgの女性1400人分の重さをもつハイヒールの踵(接地面積1平方cm)で踏まれる圧力に匹敵する」と解説しています。
「超高速ハイヒール・タップダンサー」という表現を使っておられます。
で
なお、このハイヒール・タップダンスの衝撃は、相手ばかりでなく、自分にもはねかえることになる。刺胞発射という劇的な現象の陰に隠れて見過ごされがちだが、実は、この衝撃を柔らかく吸収してしまう柔軟な体のつくりもまた、ヒドラ類を含めた刺胞動物のみがもち、他のあらゆる生物にはまねのできないものであるといえるだろう。
そうですね。相手を撃てば、自分にも衝撃が跳ね返る。
生物だけを見ているとつい、作用反作用という物理の基本を忘れる。
生物だって物理法則を免れることはできません。
ヒドラ(やクラゲやイソギンチャク)の単純そうな体が持つ恐るべき構造なのですね。
--------------------
「生物だけを見ているとつい、作用反作用という物理の基本を忘れる」と書きながら、私の記憶が強く刺激されたのです。
生物だって物理法則から逃れられないのですが、生物のもつ凄い能力を見ていると、つい、物理法則を超越してしまいそうな気がしてしまうのも事実ですね。
★実はゾウリムシという単細胞の生物は、トリコシストという、糸というか針というか、を発射するのです。発射には反作用があるはずですよね。長年それが気になっていたのです。
高校までの生物では、ゾウリムシについて「繊毛、細胞口、細胞肛門、収縮胞」などは必ず紹介されていますが、トリコシスト(毛胞体ということもあります)はほとんど出てこないでしょう。
トリコシスト(Trichocyst):ゾウリムシなど 梁口綱(Nassophorea)の繊毛虫にみられる突出体(放出体;extrusome)
★今回、非常に面白い論文を見つけました。
http://protozoology.jp/journal/jjp35/14-Harumoto.pdf
「ゾウリムシのトリコシストの防御機能 」春本 晃江 奈良女子大学理学部生物科学科
この論文から引用しながら話をします。
原生動物の多くの種はエクストルソーム(放出体,extrusomes)と呼ばれる細胞小器官をもっている(Grell, 1973; Hausmann, 1978)。エクストルソームは細胞膜直下に存在し,機械的,化学的,電気的刺激により細胞外へ放出されるという特徴をもつ。トリコシストは繊毛虫や鞭毛虫のいくつかの種に見られるエクストルソームである。
ゾウリムシのトリコシストは長さ3ー4ミクロンで,ニンジンの先に矢尻をつけたような形をしており,チップとボディ(マトリックス)とそれらを包むトリコシスト膜から成る。
細胞膜の下にありますので、光学顕微鏡による通常の検鏡では見えないのです。
引用論文にとてもよい図がありますので、ぜひご覧ください。
私はゾウリムシにトリコシストというものがあることは知っていましたが、機能については知らなかったので、自分の生物の授業で話すこともないけれど知っておいた方がいいかなと、同僚の生物の先生に質問したところ、明らかになっていない、ということでした。
その後、ゾウリムシに関するモノグラフの書籍を見つけて読んだのですが、攻撃を受けた時に放出される、ということで、その機構や意味は明らかではないということでした。
ただその時、本を読んでいて強く感じたのは、ひょっとしてそれは、
「運動量の放出による『反跳』で『跳び退いている』のではないか」
ということでした。
トリコシストだって、微小ですが質量を持つ。それを大量に一斉に敵に向けて放てば、かなりの運動量の放出になるのではないか。ゾウリムシ本体はその逆向きの運動量を獲得して、わずかであっても敵から離れる方向に跳び退くことができるのではないか。そうすれば生存の率が上がるのではないか。
これが私の推論。で、モノグラフの著者に手紙でも出して質問してみようかな、と思ったのですが、専門家でもない一介の理科教師の思いつきでは迷惑だろうな、とやめたのでした。
以来、この件は私の中でサスペンデッド、になったままでいたのです。
★生物が「何かを放出する」となれば、敵を刺して攻撃する、毒を放出あるいは注入する、敵の餌になるものを出して敵が食べている間に逃れる、というように考えるのが普通ですよね。
でも、物理的な考察まで含めると、「運動量の保存」というのもあり得るのではないでしょうか。
★物理で運動量の授業をする時によく使うのが、トロッコの話。
線路上にトロッコがある。線路とトロッコの間に摩擦はない。このトロッコに乗った人が、このトロッコをどちらかの方向に動かしていくことはできるか?
トロッコの上を歩くと、トロッコは歩く方向とは反対方向に動くでしょう、歩いている間。脚でトロッコの床を後ろに押しますからね。
でも、端っこに来て止まると、止まるために力をくわえますので、トロッコも止まってしまいます。
最初の位置に人が戻ると、同じことが起こって、結局、トロッコは移動しなかったことになります。
もし、このトロッコに、石が積んであったら。その石をトロッコの外へ投げ出せば、トロッコは反対方向に動き出し、摩擦がないのですから、その速度で動き続けます。
石に与えた運動量をmvとすれば、トロッコはその運動量と大きさが同じで反対向きの運動量を獲得します。トロッコ+人の質量をMとすれば、
mv=MV ←これが運動量の保存
で、V=(mv)/Mという速度で動くことになるのですね。
宇宙服を着て船外活動をしていて、命綱が切れたら。とにかく何でもいいから、戻りたい方向とは逆の方向へ何かを投げること。ですね。
そもそも、ロケットが宇宙空間を飛ぶことができるのは、燃料を燃やして後方へ噴出させることが、運動量の放出であって、それによって反対向きの推力を得ているのですね。
「はやぶさ」で有名になった「イオンエンジン」というのもイオンの放出で運動量を放出し、本体は逆向きの運動量を得るのです。
http://spaceinfo.jaxa.jp/hayabusa/about/principle2.html
JAXAのサイトです。イオンエンジンについて簡単な解説があります。運動量保存についても触れています。
★さて、「ゾウリムシのトリコシストの防御機能 」からの引用。
トリコシストを多くもつ細胞はよりディレプタスから逃げられることを示している。ディレプタスに攻撃されるとゾウリムシがトリコシストを放出して逃げるという観察結果と合わせると,トリコシストの放出はゾウリムシがディレプタスから逃げることに寄与しており,トリコシストはディレプタスに対する防御手段となっていることを強く示唆している。
「トリコシストの放出はゾウリムシがディレプタスから逃げることに寄与」していることは先ず、事実。
トリコシストはどのようにしてゾウリムシを捕食者から防御するのか。トリコシストに毒性物質が含まれているという報告はない。ディレプタスは放出されたトリコシストを捕食することすらある。
Plattnerらのグループは興味深い報告をしている(Knoll, et al., 1991)。トリコシストの放出の際に,ゾウリムシはトリコシストの放出方向とは逆の方向にわずかに跳び退くという。この側方向への動きがディレプタスとゾウリムシの間に空隙を作り,それがトキシシストによる攻撃を無にしてしまうのではないかと考えられる。
「トリコシストの放出の際に,ゾウリムシはトリコシストの放出方向とは逆の方向にわずかに跳び退くという。」
このセンテンスを読んで、嬉しくなりましたねぇ。やったあ。
トリコシストを放出しておいて、それとは別に、「トリコシストの放出方向とは逆の方向にわずかに跳び退く」のではないはずです。
「トリコシストの放出によって」運動量を放出し、ゾウリムシ本体は逆向きの運動量を得て「トリコシストの放出方向とは逆の方向にわずかに跳び退く」のだと思います。
ロケットやイオンエンジンと同じなんですよ。
移動距離は短いのでしょう。水というものはゾウリムシサイズの世界では非常に粘っこいものですから。でも、敵に襲われた瞬間、わずかでも跳び下がることができたら、生存確率は絶対高くなりますよね。敵から瞬間的に少しでもいいから離れて、そこから繊毛による運動で逃げればいい。
おそらく、私の推測は間違っていないと思います。
物理・化学・生物と分野をまたいで理科の全体像を眺めてきた元教師の考察です。
きっとね。合ってると思うな。
ちゃんと、放出されたトリコシストの質量を見積もり、射出速度を測定し、そこから放出された運動量を見積もって、ゾウリムシの質量と勘案して、どの程度の初速度を獲得できるか計算してくれたらいいなぁ。そういう実験をしてほしいなぁ、と思うのでした。
★参考
http://mikamilab.miyakyo-u.ac.jp/Microbio-World/kouzo/zouri.htm
標準的な「ゾウリムシの構造」の写真があります。
光学顕微鏡写真ですので「トリコシスト(毛胞)」と指し示されていますが判然とはしません。
http://ja.edu-wiki.org/protein-spotlight/issue003
「ゾウリムシの「モリ」のはなし」というページです。
ここには「毛胞がいっせいに速射されることによって、ゾウリムシが危険から逃げる推進力も得ています」という記述もありますが、その原理は説明されていません。
http://senmou.nisikyu-u.ac.jp/tdb/outline.jsp
ゾウリムシの繊毛の走査型電子顕微鏡(SEM)写真があります。
繊毛はゾウリムシの体に「らせん状に」生えているのです。ゾウリムシのSEM写真を初めて見た時は驚きましたね。平面的な図や、光学顕微鏡での観察しか知らなかったので、表面の立体的な構造を見て、びっくりしましたっけ。
http://homepage3.nifty.com/kuebiko/science/18th/sci_18.htm
「ゾウリムシ SEM」で検索したら、自分のHP「理科おじさんの部屋」がトップでヒットしてしまいました。お読みください。
https://sites.google.com/site/hightschoolbiology/home/sheng-wu-ji-chu
ここから「ゾウリムシの観察(原生動物の観察)」の動画を見て下さい。
« キバナコスモス | トップページ | ジャノメエリカ »
「理科おじさん」カテゴリの記事
- 化学の日(2022.10.26)
- 秒速→時速(2022.09.01)
- 風速75メートル(2022.08.31)
- 「ウクライナで生まれた科学者たち」(2022.05.31)
- 反射光(2022.05.09)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント