鏡の話:10の3
★ナメクジが文学でどう扱われているか。
「ナメクジの言い分」足立則夫 著 の85ページにその章があります。
古いところからあげてみよう。清少納言の『枕草子』。「いみじうきたなきもの なめくぢ」。1000年ほど前でも、不潔な気持ち悪い生き物として見られていたのであろう。それを汚いものの代表として取り上げたのでは、何の意外性も、面白味もないではないか、というのが率直な感想だ。
江戸時代の前期。芭蕉の弟子の中で十哲にあげられた内藤丈草(1662~1704)は、武士から出家したときの心境を、『丈草発句集』(蝶夢編)の冒頭の漢詩でこう表現している。多年負屋一蝸牛(長年カタツムリのように殻を背負ってきた)
化做蛞蝓得自由(ナメクジになり自由を得た)
火宅最惶涎沫尽(現世では生命の源である粘液のようなものが尽きるのを恐れていた)
追尋法雨入林丘(今は仏の恵みを求め山にこもっている)貧乏な武士の家に生まれた丈草にとって宮仕えは実に苦しいものだったようだ。禅僧になって自由になった心境を、カタツムリの殻を捨てたナメクジにたとえている。ナメクジの本質をうまくとらえた形容ではないか。
・・・
いや、なんとも。私もナメクジは得意ではないけれど、ナットクするなぁ。
嬉しくなりました。
ナメクジは自由だ!!
なるほどね。
実際のところ、私の身辺ではカタツムリはほとんど全く見かけなくなったのに対して、ナメクジはいっぱい栄えています。殻がない分だけ、自由にどこにでも潜り込んで、生きる範囲を広くできたことの結果なのでしょうか。生物学的にはどう説明されるのか、その辺も知りたいところですね。
★今回、これを読んで、ちょっと内藤丈草について検索していたら、疑問点にぶつかりました。
http://reservata.s123.coreserver.jp/poem-masaoka/dassai-2.htm
↑ここの中ほど近くに内藤丈草の項があります。
内藤丈草(ないとうじょうそう)(1662-1704)
僧丈草は犬山の士なり。継母に仕へて孝心深し。家を異母弟に讓らんとて、わざと右の指に疵をつけ、刀の柄握り難き由を言ひたて、家を遁れ出でて、道の傍に髪押し斬り、それより禅門に入る。その時の詩あり。多年負屋一蝸牛、
化做蛞蝓得自由。
火宅最惶涎沫尽、
偶尋法雨入林丘。多年屋を負う一蝸牛(いちかぎゅう)[かたつむり]、
化して蛞蝓(かつゆ)[なめくじ]、自由を得る。
火宅(かたく)[火災の家は、煩悩の燃えるさま。すなわち現世]最も惶(おそ)る、涎沫(ぜんまつ)[痰(たん)と唾(つば)のこと、ここでは蝸牛や蛞蝓の表面のヌルヌルのたとえ]の尽きんことを、
たまたま法雨(ほうう)を尋ねて林丘(りんきゅう)に入る。
「追尋法雨入林丘」が「偶尋法雨入林丘」になっていました。
どちらが正しいのか、私には分かりませんが、私の極私的な感覚としては「偶」「たまたま」のほうがすっきりする感じなのですけれど。
自分で文献を漁る気にはなれませんので、どちらでも。
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