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2012年11月19日 (月)

鏡の話:7

カイラルな触媒

★「鏡の話:1」で
2001年のノーベル化学賞受賞者、野依良治さんの研究は「キラル触媒による不斉反応の研究」というものだったと、ちらっとお話ししました↓
http://yamada-kuebiko.cocolog-nifty.com/blog/2012/11/post-a420.html

★この話をもう少しだけ噛み砕いてみましょう。

触媒という言葉は高校で化学を学んだ方は耳にしたことがあると思います。

触媒[catalyst]:化学反応を起こす物質系に微量添加すると、その反応速度を増大させるが、反応の原系と生成系を示す全反応式中には姿を現さず、反応の平衡状態にも影響を及ぼさない物質。比較的少量で特定の反応に選択的に作用することが多い。[東京化学同人「エッセンシャル 化学辞典」より]

反応中はどうしたって反応に関わっているのですが、反応の始めと終わりで「収支決算」をしてみると、そこには出てこないのですね、触媒は。それでいて、反応の速さを大幅に変えてくれるのです。

生物が使う「触媒」は「酵素」といいますね。これは生物を学んだ方は知っている。

★生物の体を構成する主要物質は「たんぱく質」ですが、たんぱく質はアミノ酸という分子をたくさん長くつなげたものです、
このアミノ酸は、炭素原子に、-NHと-COOHがついていることを共通に、残り2つにいろいろなものがくっついてできています。そうすると、1つの炭素原子に4つの異なるものがつくことになり、光学異性体ができることになります。
光学異性体というのは、分子の形などは直接見ることはできませんが、物質を溶かした溶液を光が通過してくるときに透過光に差が出るという性質です。
で、互いに相手の鏡像であるような分子では、右旋性と左旋性という性質で識別できます。
不思議なことに、生物はアミノ酸の片方のタイプしか使っていません。生命の起源と何か関係があるのでしょうが、はっきりしたことは分かっていません。とにかく、生物は鏡像関係にあるアミノ酸の片方のグループしか使っていないというのが「事実」です。

わたしのHPで少し扱っていますので、ご覧ください↓
http://homepage3.nifty.com/kuebiko/biology/chptr_1/1-1-4/protein.htm

★アミノ酸のほかにも、いろいろな物質で、鏡像関係がある時に、生物は片方しか使わないということがしばしばあります。
メントールというスキッとした香りで、涼感を与える物質にも、鏡像関係の2つの分子が存在し得るのですが、私たちヒトはその一方を芳香物質と感じ、他方を不快臭物質と感じるようです。
で、食品や化粧品やばど、いろいろなところで香料・清涼剤としてメントールが使われていますが、必要なのはその光学異性体の片方なのですね。

ところが、普通に化学反応を行ってメントールを作ると、両方が半々にできてしまって、そこから必要な方だけを取り出すのがかなり厄介です。
必要な片方だけを合成する方法があると、すごくいいわけですね。

★例え話
http://yamada-kuebiko.cocolog-nifty.com/blog/2012/11/post-8862.html
2012年11月14日 (水) 「鏡の話:4」
↑ここで、急須を鏡に映してみました。
普通に売られている急須は、ことの是非は別として、右利き用が圧倒的ですね。
もし、右利きの職人さんが手作りで、自分の手にあった急須を作ったら、やっぱり右利き用の急須の方が作りやすいでしょう。
製造時の「右手という場」の性質、この場合は右手性、が製品にも反映されて「右利き用」の急須ができます。

では、化学反応。
右手系の「反応の場」を用意して、そこで反応を行わせたら、右手系の化合物ができるのではないか。原料分子を右手系の反応の場に取り込んでは右手系の化合物にして放出する。
これを繰り返すことができるなら、その右手系の反応の場は「右手系の触媒」ということになります。
「カイラルな触媒」を作って、カイラルな物質を合成する。

野依さんがやったことはまさしくこれなのです。


その触媒は「BINAP」という名前です。
Binap
詳しいことは省略しますが、六角形が二つくっついた「板状」の部分が、二枚くっついています。
それだけなら、くっついている結合のところで回転できるのですが、さらに「-PPh2」と書いた部分がありますね。これはリンの原子に、ベンゼンの六角形の板状の輪が二つ付いていることを示しています。これはこれでずいぶんかさばりますので、ぶつかりあって回転が妨げられてしまいます。
その結果、このBINAPという分子にはカイラリティが生じてしまい、右手性の分子と左手性の分子が存在し得ることになります。このBINAPはメントール合成の触媒になりますので、片方の形の触媒を使えば、片方の形のメントールしかできないことになるのです。

もう少し詳しいことをお知りになりたかったら、ウィキペディアなどご覧ください↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/BINAP
上のウィキペディアから引用。

最も重要でよく知られている野依らの研究はRh-BINAPを用いた (−)-メントールの不斉合成である。(−)-メントールは広く使われている香料・医薬品であるが、その立体選択的な化学合成が高砂香料工業により工業化された。

「 (−) 」の ( ) の中は半角の「-」=マイナス記号です。
ここでは、分子のカイラリティから生じる、光に対する「旋光性」という性質を、「+」「-」で識別する方法で記述されています。

カイラルな触媒を使って、カイラルな物質を合成する、というお話でした。

★別件
野依さんの業績は、化学・医薬工業に大きな貢献をしました。
それはそれでよいことなのですが、他方で、化学(科学)の研究は「必ず役に立たなければならない」というような風潮を非常に強く推進してしまいました。役に立たない研究に金を出すなどもってのほかだ、というような。
でもねぇ、結果として役にたつかどうか、研究中には分からないことの方が多いのですよ。
そういう基礎の積み重ねから、役立つものも生まれてくる。基礎研究がやせ細ったら、役立つ研究も出ては来なくなるのです。
ちょっとね、野依さんの、ご発言など、私としては、受け入れがたい面もありまして、個人的には野依さんを高く評価していません。

白川さんの導電性ポリマーの研究などは、基礎研究のある意味で失敗から誕生してきた成果でしたね。
失敗を大きな成果にし、結果として「役立って」います。

マスコミの報道で、何か科学的な発見の報道の際、かならず報道文の終わりに「この研究は○○に役立つという」という一文がつくようになりました。
役に立たないものには価値がないのでしょうか?
「役に立つ」かどうかばかりを気にするということは貧しい発想だと私は思っています。

先日、「ヒッグス粒子発見か」というニュースが報じられた時、アナウンサーが「それはどのように役立つのですか」と専門家に質問していまして、私は思わず吹き出してしまった。
宇宙の存在そのものの謎に迫る、というような研究が社会や生活の「役に立つ」かなぁ。

ニュートリノが「光速を超えた」という、結果的には間違いだった発表がなされた時も、すぐ「タイムマシンができる」などと大騒ぎしていましたね。ニュートリノでタイムマシンは作れません。

発想が貧弱だよなぁ。
哀しい。

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