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2012年7月 9日 (月)

一緒の日々をありがとう

朝日新聞に「いま子どもたちは」という長期連載がありまして、今回のシリーズは自閉症の女の子の話でした。同学年の子どもたちが織りなすすばらしい環境の中で成長してきました。中学校を卒業することになりました。

★お母さんの言葉

 娘は、今でもパニックを起こすことがある。外出先で床に仰向けになって手足をバタバタさせる。必死に抱きかかえる(おかあさん)は、周りから白い目で見られる。
 でも、手を差し伸べてほしいとは願わない。「理解して、見守ってほしいんです」。同級生たちとの10年余の月日は「本当に恵まれていた」と感じる。

★おじいさんの言葉

 祖父(76)は、「同級生の子たちは卒業後、どこかで障害のある人に出会っても自然に助けてくれるはず」と話す。

★この言葉、実は私自身の言葉でもあったので、心に染みました。
私のホームページ「案山子庵雑記」に、自己紹介を載せてあります。
教師としてのすべての年度当初の授業で、必ず1時間、障害者である自分を紹介し、考えてもらう時間を取りました。
途中から、プリントに内容をまとめ、配布し、ピックアップしながら話をするようになりました。このプリントの冒頭部分をご紹介します。
http://homepage3.nifty.com/kuebiko/essay/profile.htm

「障害があるのに」ではなく「障害があるからこそ」の生き方をすることに意志決定したのでした。教職ならば、生徒たちに障害者としての肉体をさらし、障害者としての生き方をさらして、私と接した生徒は、次に別の障害者と出会う時には、それなりに障害者差別から解放された接し方ができるようになるのではないか、そんな気がしたのです。

[自己紹介 2004年度版]
        およそ深い泉の体験は、徐々に成熟する。
        何がおのれの深い底に落ちてきたかがわかるまでには、
        深い泉は長いあいだ待たねばならぬ。
        (泉に)石を投げ込むことはやさしい。
        しかし石が底まで沈んだとき、だれがそれを取り出すことができようか。
                             ニーチェ「ツァラトゥストラ」(手塚富雄訳、中公文庫)

☆1 こんにちは
 君達の心の泉に石を投げ込みたいと思います。10年後の君達の心に何が残り、何が生まれているでしょうか。10年後に「効き目」のでてくるような石を放り込みたいと思います。今日私と出会い、1年間つき合ってくれたら、今度別の障害者に出会うときには、君達は何も知らない人とは確実に違ってしまっている。私はそれをもくろんでいます。私は君達を巻き込みたいと思います、「障害者と共に生きるという豊かな生き方」にね。そして、これからの1年間を始めるにあたって一度じっくり考えてみませんか?というのが今日です。

  ●ついに疑うこと自体を疑うに至るまで疑いつづけること―――それが事物を見るための火打ち石である。進歩とは、疑問符のつみかさねである。
  ●簡単に咲く花は、簡単に散る。
  ●きみとぼくとは、いま、ここに、たしかに存在しているか?―――生きるとは、しょせん答えていくことである。創造とは、主体そのものである。内部からの問いかけをだきかかえていないものは、そこによこたわっているにすぎない。

★ね。

今度別の障害者に出会うときには、君達は何も知らない人とは確実に違ってしまっている。私はそれをもくろんでいます。私は君達を巻き込みたいと思います、「障害者と共に生きるという豊かな生き方」にね。

これが、私の教師としての基盤なんです。これを私の生き方にしたのでした。
巻き込まれたあと、どうなっていったのかは知る必要はない。それぞれの人がそれぞれの生き方をしてくれればいい。

もう一つ。
「10年後に「効き目」のでてくる」ような教育をしたかった。
教育という営みは、すぐ「結果が出る」「成果が出る」ものではありません。
人の成長の支えなんですから。
学級通信で
「もしよかったら、10年間、この通信を保存してくれないか。10年後に読み返して、私の言ったことがもう古臭くてどうにもならないものなのか、10年後にも生きている言葉なのか、吟味してくれたら嬉しい」
こんなこともずいぶん言いましたっけ。

成果が出ない学校は切り捨てる、という傾向も生まれていますね。
教育の主人公は「生徒」なんですよ。
生徒が人間として成長していく、それを一体「なにによって『測る』」気なんでしょうね。
神にでもなったつもりですか?

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コメント

10年後を目指す、というのは素晴らしいですね。人間てつい目先のことに囚われてしまいますもの。自閉症の子供のお母さんの言葉も感動しました。私の次男は小学校6年のときてんかんを発症しました。あれから20年以上たち、先日の検査で良い結果が出て来年もう一度検査をして異常が無かったら病院へ行かなくてもよいことになりました。本当にたくさんの方に助けて頂いてここまで来たと感謝ばかりです。一番辛かったのは自分自身がこの状況を受け入れることが出来なかったことです。長い時間が必要でした。自閉症もてんかんも見た目では病気と分からないので発作が起きると周りの方がビックリされますよね。次男もそれで随分友達を無くしました。皆が人を思いやる差別の無い世界であってほしいです。

「同情ではなく理解を」ということが大切ですね。同情の視線は痛いように突き刺さります、人をせかします。理解の視線は、ゆっくりゆっくり、焦ることはない、と圧力なくそばにいてくれる。暖かい。
「親切が人をせかせる」ということも心に留めておきたいことです。ゆっくり、ゆっくり、急ぐほどのことは人生にそうありはしないのだから。

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