もうすぐ夏至ですね(6月21日です)
{注:タイトルはキャンディーズの「春一番」風にどうぞ。}
★「二至」「二分」=夏至・冬至、春分・秋分
に関しては、「暦の上では」という定型的な枕詞のようなものはあまりつきませんね。
日の長さ、という形で理解されていて、そのこと自体には特に問題を感じていないのでしょう。
でも、夏至といっても暑くなるのはこれから、とか、「冬至冬中冬始め」とかもいいますし、「暦の上」のことと実際の季節は違うんだよな、という感覚はあるようです。
ところが「四立(しりゅう)」=立夏・立秋・立冬・立春 となると、これはもう常に「暦の上では」という言葉を冠して語られますね。
5月初めの立夏では。
暦の上では「夏」だが、実際の夏はずっと先じゃないか。生活の実感と合っていない。生活感覚と合わないということは「古い(非合理的な)暦」だからだろう、合理的な新しい暦ではないのだろう。ま、1カ月遅れくらいで考えればいい。
こんな風に考えてませんか?
違うんだなぁ。
便宜上、天球上に太陽の通り道=黄道を考えます。天球の中心に地球を置いて。
もちろん、地球が太陽の周りを回っているので、そっちで考えても全く同じなんですけど、ま、便宜的にね。
そうすると、地球の自転軸が約23.43度傾いているという事実は、天球上の黄道面が天の赤道面に対して約23.4度傾くという形になります。
さて、天の赤道と黄道が交差する「点」、これが春分点であり秋分点です。
春分点を通過する日が春分の日です。
ここを起点にして、90度ずつ分割すると、春分・夏至・秋分・冬至となります。
夏至では太陽高度が一番高くなります。冬至では一番低くなります。
さらに、45度の分割をくわえると、春分の次に立夏、夏至の次に立秋、秋分の次に立冬、冬至の次に立春となるわけですね。
★「二至」「二分」「四立」というのは太陽の位置を示すものなのです。
月による太陰暦は、季節からずれていきますから、季節を生み出す原動力である太陽の位置を使って季節のずれを解消する、これが「二至」「二分」「四立」なんです。ですから太陽暦そのものなんですよ。
これを更に角度を3分の1にすると、15度ずつですね、そうすると「二十四節気」になります。
これも太陽の位置を示しているのですが、名前がね、季節感を入れてしまった。そうなると困ります。季節というものは土地土地によって異なるものですし、毎年四季は巡りますが、全く同じようには巡らない。で、ずれを感じてしまう。で「古い」ということにされてしまいます。
さらに3分の1に細分して「七十二候」になると、もう5度きざみですからね、はっきりいって、季節と一致はしません。
太陽暦の6月6日~10日に「七十二候」のひとつ「螳螂生ず」というのがありますが、その頃にカマキリが孵化するといわれてもねぇ、大体はいいとして、常にじゃないんだから。
はっきり言ってどうでもよくなってしまいますね。古い暦は仕方ない、とね。
5月の中旬に新聞の本の広告で
「日本の七十二候を楽しむ-旧暦のある暮らし-」
という本の広告がありましたが。
恥ずかしいですね。「七十二候」は旧暦じゃないんですよ、太陽暦なんです。
「七十二候」を更に5分の1に刻むと、「360(日)」になりますねぇ。
ほら、ふつうの太陽暦のカレンダーになった。
毎日、「今日は何の日」って名前をつければいいんですよ。毎日が節気=360節気にしましょうか。
太陽の位置を1度刻みで認識するのはいくらなんでも、ですが、でも、こういうことになるんですね。
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