彩り豊かな食事
★2012年3月27日の朝日新聞の記事です。
縄文草創期、ネギ食べていた 「炉穴」周辺から根元発見 宮崎・王子山遺跡
縄文人の食事は、現代人の想像以上に彩り豊かだったかもしれない。宮崎県都城市教委は26日、同市山之口町花木(やまのくちちょうはなのき)の王子山(おうじやま)遺跡から、約1万3千年前(縄文時代草創期)のネギの根元の部分(鱗茎〈りんけい〉)が見つかった、と発表した。また、同時期の土器にツルマメの跡とみられるくぼみ(圧痕〈あっこん〉)も見つかった。同教委によると、いずれもこれまでに確認された食用植物としては国内最古級で、「当時、南九州でいろいろな植物を積極的に調理して食べていたことを裏付ける」と説明している。
(後略)
★よく見かけるんですけどね
「縄文人の食事は、現代人の想像以上に彩り豊かだったかもしれない」
こういう発想。
現代の私たちこそ最高である。最高においしいものを食べ、最高に豊かな生活をしている。昔の食事は粗末で不味かった、生活は貧困だった、と思ってしまう。
これ、間違いです。
縄文時代の人間と現代の人間と、何が違いますか?
タイムマシンで縄文人を現代に連れてきても、そう長くはない時間で適応できると思いますよ。
人間としての能力にそう差があるはずはないでしょ。
男女は惹き合い、子はかわいくっていとおしい。
おいしいものを食べたい。
何が違いますか。
農耕はしていなかったかもしれません。でも、どの植物がおいしいかは熟知していたでしょうし、おいしい植物を採集してきて植えておくことは当然していたでしょう。
狩猟でテリトリーを季節ごとに移動していても、この季節にはここでうまいものが食える、って十分知っていてまたそのように予定してある種の栽培をしていたでしょう。
自分を含めての「人間というもの」、そこへの信頼を欠いているんですよね。
現代こそ最高だ、という考え方は。
生活者としての人間がそうそう変わるわけはない。
美味しいものを食べて、十分に豊かな生活をしていたはずですよ。
平均寿命なんかを比べたらそりゃ今の方が長い。
でも長く生きれば幸せか?なんて、実はどうでもいいことなんですよね。
歴史というものを、現代から昔へ向かって「測深線」を垂らすように測ろうとしてはいけません。
その時代時代を生きた人間を主体に考えるべきなんです。
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