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2012年3月26日 (月)

偶然とは何か

★手元に一冊の新書があります。
「偶然とは何か――その積極的意味」竹内啓、岩波新書1269、2010年9月17日 発行
奥付の書き込みでは「2010.10.11」に購入して読みました。
東日本大震災の5カ月前ですか。
著者は数理統計学の研究者ですので、この本でも、確率のしっかりした話もあるのですが、それ以上に、「偶然」というものの意味についての深い論考がなされています。
名著です。
この本からの引用を連ねます。引用をしめすインデントはしません。スペースがもったいないから。下線はブログ筆者によるもので、本には下線・傍線はありません。
私自身の感想、コメントなどは未成熟でほとんど書けません。どうしても書きたい時は{ }でくるんで書き込んでおきますので、区別してください。

★p.9
「すべての現象には必ず何らかの理由がある」というのが充足理由律と呼ばれるものである。人はどんなことでも、まったく理由なく起こったと考え難いから、どんなことにもその起こった理由を考える。

★p.10
しかし、充足理由律のない世界は人間にとって耐えがたいものであるから、この世にまったく理由のない事象、すなわち純粋の偶然というもの、いいかえれば「神」や「運命」のかかわらない「奇跡」というものの存在を容認することは困難であろう。そこで人々は科学的説明がつけられない事象について、別の理由づけを考え出したり、あるいはそれを信じたりする傾向がある。オカルトや疑似科学は底から生まれる。

{犯罪・事件・自殺などに執拗に「動機」「背景」を追求したがるのは、純粋な偶然というものには日常性の破綻の裂け目を感じてしまうからでしょうね。自己救済なんですよ、原因探しというものは。}

★p.22
 古代の人々は、宇宙に秩序が存在することを発見し、したがって必然性がものごとを支配することを認めたが、同時に人間が理解できないことも起こることは認めざるをえなかった。しかしそれを些細な乱れとして無視してしまうことができない場合は、それを何か不可解な「必然性」の表れとして、「神意」「因縁」「運命」などと解釈したのであった。
 それはある意味では別種の「必然」と見なすものであり、「偶然」の存在を否定するものであった。純粋の「偶然」、つまり何ら理由なくして発生したり起こったりする もの や こと の存在を受け入れることは、人間にとって難しいことなのである。

{「純粋な偶然は受け入れがたい」というのはこの書の通底音です。
神は耐えられる者にしか困難を与えない、という言い方はよくありますね。励ましのつもりなのでしょうけれど。ふだん神を信じているわけでもないのに。唐突に。笑ってしまう。不謹慎かな。
それは正直なところ「逃げ」ですよ。偶然を困難を正面から受け止めていないですね。
私は自分が1歳直前でポリオに罹患したことを完全な偶然として受け入れます。}

★p.164
 人は生きていく中で、多くの偶然に影響されないわけにはいかない。
 ・・・
 「運」や「不運」は避けられないとしても、「幸運」からできるだけ多くの喜びを見いだし、「不運」のもたらす「惨めさ」や「悲しみ」をなるべく少なくすること、あるいは場合によっては「禍いを転じて福となす」ようにすることは、それぞれの人の努力によるところである。
 ・・・
 もう一つ重要なことは「運」や「不運」は他人と分かち合うことができるということである。人は知人が「不運」にあったことを聞けば「慰め」の言葉をかけ、また「お見舞い」を送ったり手助けを申し出たりするであろう。また大きな災害が起こったときなどには、被害を受けた人に関係ない人々からも多くの寄付が寄せられることが少なくない。これには人々が他人の「不運」を悲しむべきこととして受け止め、その被害者にもたらす負担を分かち合うことによって、その人の「不幸」を少しでも軽くしようと望むからである。
 ・・・
 つまり「不運」を分け合うことによって、人々は「不運」をもたらす偶然は防ぐことができないとしても、そこから生じる「不幸」を小さくすることができるのである。

{菅さんが首相になった時に言った「最小不幸社会」は不評でしたね。

「最小不幸社会の実現」です。失業、病気、貧困、災害、犯罪。「平成の開国」に挑むためにも、こうした不幸の原因を、できる限り小さくしなければなりませ ん。一人ひとりの不幸を放置したままで、日本全体が自信を持って前進することはできないのです。我々の内閣で、「最小不幸社会の実現」を確実に進めます。

政治が関与していいのは、不幸を分担し減らそうよ、という部分でしょ。「偶然」によって生じる「不幸」をみんなで分け持つことのどこがわるいのか、私は菅さんが、「いいこといってら」と思いましたけどね。
夢を持って努力したら「成功者」になって「幸福」になれるなどという幻想の方がはるかに実害の大きな考えだと思っています。その裏返しは、自己責任。敗者になるにはその原因がある、そいつの責任なんだからケアする必要はない、なんてことになる。偶然を分かち合おうよという姿勢はそこからは生まれませんね。}

★p.166
 人間はその出発点においても人生の途中においても、またその結末についても、大きく「偶然」によって規定されているのであり、それは人生というものの根源的な「不条理」というべきものである。それはどうしようもないものであり、人はそれを自分のものとして引き受けて、最大限努力するより以外の生き方はない。
 しかし、考え方を変えれば、、人間がそれぞれ異なった遺伝子をもち、異なった環境に生まれ、異なった偶然に出会うということが、一人一人の人生を独自のものとするのであり、それぞれに価値あるものとするのである。そうして、そのことはまた自分とは異なる他の人々の人生を、それぞれに尊重すべきものとしているのである。
 ・・・
 幸い人間は、個人の感覚的欲望の世界にだけ閉じこめられているわけではない。人間は想像力や感受性をもち、現在の感覚の世界を超えて、外の世界を想像したり、あるいは他の人の心に共感したりすることができる。それは現実の世界における「偶然の専制」から逃れる方法である。人間にとって個人的欲望の満足だけがすべてであるというのは、極端に貧しい人間観であると言わざるを得ない。

{私が今のこの遺伝子構成を持つ、ということ自体、完全な偶然なんですよね。母がつくる何百もの卵子、父が作る何億もの精子、その組み合わせは完璧な偶然。減数分裂の際にも、組み換えがおきますが、それもそのときたまたま、という偶然。いろいろ遺伝的な病気を抱えて誕生する赤ちゃんも多いのですが、私たち人類のもつ「遺伝子プール」の中から、純粋に偶然にその組み合わせを持って誕生するのですから、私たち人類全員でその偶然を分かち合うのは当然ではないでしょうか。
私という人格を構成するのは、遺伝子の偶然に始まり、生きてくる中で出会ったすべての偶然の集積、すべての偶然にどう対処してきたかの集積なのです。同じ人間は一人としていません。それは偶然のおかげです。偶然があるからこそ、私という人間の唯一性があるのです。偶然のおかげなんですね。}

★p.177
 確率論の成立によって偶然というものを合理的な思考の枠内に閉じこめることに成功したように思われたが、ここで注意すべきことは、偶然を考えることは、人間の想像力に依存しているということである。
 偶然を考えるということは、まだ起こっていないことについて、いろいろな可能性を想定して比較するか、あるいはすでに起こってしまったことについて、現実には起こらなかったが起こる可能性があったことを現実と対置して想定することを意味し、それは結局現実にない現象について想像をめぐらすことを意味するからである。したがってもし人間が想像力をもたなければ、偶然という概念を理解することはできないであろう。想像力をもたない(と思われる)動物にとっては、現実の認識はあっても、そこには現実に起こっていることの流れがあるだけで、その中に偶然というものが入ることはないであろう。

★p.186
 想像力はまた人が個人の経験の限界を超えて、他人の経験を理解することを可能にする。そこから他人に対する共感も生まれる。他人の「幸運」を喜び「不運」に同情する気持ちも生まれる。ときには他人の「幸運」に対する妬みも起こるかもしれない。また、ともに大きな災害、すなわち共通の「不運」にあった人々は、苦難を切り抜けるために協力し合う中から強い連帯感をもつようになるかもしれない。人々は想像力によって「運」や「不運」を分かち合い、またそこから生まれる喜びを強め、不幸を軽減することができる。
 偶然によって生じる運、不運は、それがまさに偶然であることから、本来不条理なものである。またそれは避けられないものでもある。しかし人間は想像力によって、そこから生じる幸福をより大きくし、不幸を軽くすることができる。もちろん他人の幸運を妬み、自分の不幸を悔やんでまかりいれば、逆に幸福を減らし、不幸を拡大することになる。
 個人的にもまた社会的にも、偶然に対して主体的に対処することによって、その生み出す幸福を大きくし、不幸を軽くしなければならない。それがいわば偶然の専制に対抗する道である。

{いかがでしたでしょうか。関心がおありでしたらまだ刊行から新しい本ですから入手できます。是非お読みください。おそらく、新しい発見に満ちた読書になることでしょう。}

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