私がこの日について何かを書くことができるのか、いろいろ考えました。まだ考え途中です。
★3/11、テレビは一日中震災関連をやっていたようでしたが、基本的に何も見ませんでした。
夜のNHKのニュース、7時~8時を見ました。
それだけ。
★儀式は嫌いだ。というのがあります。
儀式って「気持ちいい」ですよね。
「粛然」とか「整然」とか。
それが嫌なんです。
心を揺さぶられそうな時は、そっぽを向くことにしているんです。
学校というところも儀式の多いところで、なるべく遠ざかっていました。
不謹慎かもしれませんが、私は儀式が嫌いです。
★みんなが同じ方向を向くときには、そっぽを向いてしまおう、というのが私の意志です。
何度かそういうことを経験してきました。
いや、障害者という存在自体が健常者主体の社会においてそっぽを向いている、ということでもあります。
それでいい。
みんなが同じ方向を向くのは「危険」です。
雑多に、それぞれ勝手に、いろんな方向を向いているのが「健全」です。
★朝日新聞の記事から
映画「311」の森達也監督の言葉。2012年3月11日10時32分
後ろめたい、でも逃げずに言う
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「我々はなぜ被災地に行くのか。そこに被害があるからです」と森監督。「人の不幸を撮ろうとしているんです。何て卑しい仕事なんだ、と」
福島県で放射線量の数値が上がるたびに、4人がはしゃぐ場面も映し出される。
「怖くて仕方ないからハイになっていたんです。当然不謹慎だと言われるだろうが、カットしなかった。鉢呂経産相の辞任や東海テレビの誤テロップ騒動など、被害者への配慮との理屈で自由にモノが言えなくなっている。そんな風潮にあらがいたかった」
多数の死者が出た宮城県石巻市では、遺体を撮影した安岡監督が遺族の男性から角材を投げつけられる。
森監督は言う。「怒るのは当たり前。まず『ごめんなさい』と謝ります。『でも、撮ります』と。その矛盾を引き受ける必要がある。後ろめたいですよ。でもそこを紛らわせば、頑張ろう日本とか、そっちに行っちゃう。否定はしないが、一色になりすぎる」
・・・
こういう方がいるということは、社会の健全性の証になります。
これが全く許されない社会になったら怖いと思います。
「みんなちがって みんないい」のです。
(金子みすゞさんでしたよね、確か。)
★早乙女勝元さんは、朝日の「声」にこういう投稿をなさって、ほぼ同じことを、当日お話しになったようです。
[声]10、11日 命の重み考えよう(3/9)
作家 早乙女勝元(79)
「戦争・空襲の実態を風化させることなく次世代に伝えていこう」と、民間募金で作られた東京大空襲・戦災資料センター(東京都江東区)が今日9日、開館10年を迎える。
来館者はすでに10万人を超えた。1945年3月10日の東京大空襲の戦災死者とほぼ同数の人に、大空襲惨禍を継承してきたことになる。
しかし、昨年3月11日の東日本大震災による影響なのか、修学旅行生らを中心に昨年の来館者半減という非常事態である。徐々に回復しているが、ピンチをどう乗り切って新たな展開につなぐかで、館長役の私は身の細る思いである。
次世代への平和の種まき事業を減速させるわけにはいかない。東北の春はまだまだ遠く、大空襲後の惨状と重なる。
3月10、11日は命の重さを考え、心に刻む日とすべきではないか。若い世代はもちろん、総理や都知事の来館も期待したい。
79歳 火の海の記憶:東京大空襲67年 集会・法要(朝日新聞 3/11)
1945年3月、一夜で約10万人の命が失われたとされる東京大空襲から、10日で67年を迎えた。江東区のカメリアホールでは「東京大空襲を語り継ぐつどい」が開かれ、稲葉さんが体験と思いを語りかけた。
・・・
今回は、東京大空襲・戦災資料センター(江東区)の開館10周年記念も兼ねて企画された。
民間の募金で開館した同センターの来館者は、この日で10万4997人に。館長を務める作家の早乙女勝元さん(79)は「東京大空襲の死者に匹敵する人数に継承することができた」と話した。「3・11の収束はいつになるか分からず、後始末がついていないが、3・10も同じ。この両日は命の重みを考え、心に刻む日にしたらどうか。総理や都知事の来館を期待したい」
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空襲という人間のなしたこと、それによって10万人もの戦災死者が出ました。
東日本大震災という大きなる地球の活動によって、2012年3月10日時点で、1万9009人の死者・行方不明者が出ています。
数の大小を言っているのではありません。
★人間って何なんだ?と問いたいのです。
(私に答えはありません。でも、考えてしまいます。)
参考までに原爆の被災者数はというと
即死者数
広島:約7,0000人
長崎:約3,5000人
死者数(1945年12月末)
広島:約14,0000人
長崎:約 7,4000人
人間のしでかすことって、際限ないですね。
単なる偶然や事故じゃないんです。
意図をもって、これだけの死者を作り出し得る「人間」って、何なのでしょう?
今現在も、地球上には戦争があって、人が死に続けています。
人間の歴史って、戦争の歴史なんですよね。悲しいけれど。
★地震・津波の被害は我ら生命の母体であり土台である地球の活動です。
多くの悲しみを生みましたが、また、裸一貫で地球に挑んでいくことも出来ましょう。
でも、ここに原子力発電所の事故が重なりました。
これが今回の災害をどれほど複雑にしたか。困難なものにしたか。
やはり、人間業が絡む時、事態は混迷するのです。
「人間業」とは「人間のしたこと、しでかしたこと、やっちまったこと、人間の行為」でもあり、「人間の業(ごう)」であるとも考えてください。
★出来ることとやっていいことは違うのに、「原子の火」を手に入れたと思い上がった果てがこれです。
こういう事態に、私は責任がないなどと言いはしません。
この時代をこの社会を生きてきたのですから。
原子炉を運転するという技術そのものは、改良されれば、より完全なものに近づく可能性はあります。
でも、いかんせん、核燃料を含めた、放射性物質の「捨て場」の問題は、世界中どの国も解決できていません。
結局、地球に埋めることしかない。
そして、人類という生物種の寿命を超えるかもしれない「時間」にゆだねるしかない。
情けないですよね。
やめましょうよ。
原子力はヒト程度の知性の生物には扱いかねます。
身の程にあった、生き方をしたい、と思うものです。
★色々なことが頭をよぎっていまして、完結しません。
少しずつ、書き足していくことにします。