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2012年3月

2012年3月30日 (金)

枝垂桜

0330_1sidare1 2012.3.30
昼の散歩。
枝垂桜はどのくらい咲いたかな、と見に行ったら。
工事は予備日でお休み。
道のこちらから見ても木全体がピンクに輝き始めていました。
これは近づけるぞ、と渡って行って
0330_1sidare2
近づきました。
花びらがソメイヨシノより細いですね。
きれいだなぁ。
0330_1sidare3
今日はズームのきく、中級機もベルトポーチに入れていきましたから、存分に近づけます。
0330_1sidare4
いいですねえ。
0330_1sidare5
六郷用水跡の散策路に枝垂れかかっています。
今日はあまり人も多くなかったですが、(明日は雨とか)、明後日日曜あたりはどっと人が増えるのではないでしょうか。
枝垂桜がいっぱいに楽しめるという意味では、桜坂より気持ちいいですよ。
名所。
一人でのんびり花見を楽しんでしまいました。

風が強くて枝が揺れ、なかなかイメージ通りの写真にならなくて、ここだけでカメラ2台合わせて100枚を超える写真を撮ってしまいました。
どれを使おうかな、と考えているうちに、こんな時間。
今日のうちにご報告と、とりあえずアプロードします。
お楽しみください。

ホトケノザ

0319_15hotokenoza 2012.3.19
ホトケノザ自体は以前から家の周辺にもあるのです。
ところが、どういうわけか、家の周辺では花が咲かない。葉まで。
今年、珍しく、目の前の線路際で咲きそう。
ホトケノザが赤くなってるわよ、と妻に教わってさっそく撮影に。

0320_10hotokenoza 3.20
翌日、春分の日、咲きましたねぇ。
自宅前で咲いてくれたのが嬉しくってたまりません。
ついにホトケノザが私に近づいて来たなぁ。ウム。
つぼみは花になった時の色が濃縮されてるんですね。
この濃い赤がすごい。

今年の春は嬉しい春です。

向こう側

0319_14mukougawa 2012.3.19
多摩川の土手、東京側から川崎側の眺望。
こっちの岸=此岸(しがん)から、あっちの岸=彼岸(ひがん)を眺めております。
「彼岸の中日」の前の日にふさわしいなぁ。(どこが)

マンション群がどんどん成長していきます。
すごいですよ。
この写真、途中でちょっとつないであります。
パノラマ写真というほどのものでもないですけど。

旅行マニアだった高校生ころ。35mmフィルムのべた焼きで「360度パノラマ」なんて作ったりもしましたっけね。手札とか名刺に焼いちゃうとつなぎ目が目立ちましてね。
観光船や汽車から、カメラの方向を固定して遠景を撮影し、「視差」をつくって、リアス海岸の立体視写真とか、富士山の立体視写真とかも作りましたよ。

大昔から、こういうことってやっていたのです。若い人には意外かもしれないけど。

飛行機の窓から、雲の立体視写真が撮れます。
飛行機に乗るチャンスがあったらトライしてみてください。
雲に対しては「視差」が生じますから立体視できるのですが、飛行機の影を取り巻く「ブロッケン現象」や「虹」は観測者に属する現象なので、視差が生じません。ですから、こういう光学現象は立体視できないんですね。やってみると納得します。

新幹線

0319_13sinkansen 2012.3.19
多摩川の土手に行った時の写真。
ここでのんびりしていると、どうしても新幹線や横須賀線、貨物線などの列車の写真を撮りたくなります。
よく見えるし、視界を横切って行くので、結構長いシャッターチャンスがあるし。
撮り鉄でなくてもレンズを向けたくなります。
私はもう20年以上旅行というものをしたことがないので、この新幹線も乗ったことはありません。0系にはおおいに乗った、という古代人になりました。

昔はねぇ、奥羽線の普通列車に乗って24時間近くもかけて秋田の方へ行ったり、寝台急行「津軽1号、2号」なども多用しましたっけね。
東海道線の普通列車というので大阪まで行ったこともありますよ。
結構今で言う「乗り鉄」でしたし、駅弁をやたらと食う「食べ鉄」でしたし、入場券マニアだったり。いや、なつかしい。
昔ばなししかできない爺さんになりましたことよ、

ボンベが空っぽ

★死者の出た事故はあまり扱いたくはないのですが、ちょっと気になることがありまして。

NHKニュース(3月18日4時1分)

潜水士3人死亡 ボンベの状態確認へ
 ・・・
作業は水深57メートルの海中で行われ、潜り始めておよそ20分後を最後に、連絡が途絶えたということです。
大分海上保安部によりますと、3人が背負っていたボンベの容量は、1人が12リットル、あとの2人が14リットルで、いずれも空気は残っていなかったということです。

朝日新聞(2012年3月17日20時11分)

ブイ撤去作業中、潜水士3人死亡 ボンベ残量ゼロ 大分
 17日午前9時50分ごろ、大分県津久見市の保戸島(ほとじま)沖で海に潜ってブイ撤去工事の作業をしていた潜水士3人が意識不明になり、その後、全員の死亡が確認された。3人の空気ボンベの残量はいずれもゼロで、大分海上保安部が原因を調べている。
 ・・・

★「空気は残っていなかった」「空気ボンベの残量はいずれもゼロ」
では、「ボンベの中が空っぽだ」という状況はどういう状況なのでしょう。

「ジュースのペットボトルが空っぽ」なら、液体のジュースがなくなっていて、ボトルの内部空間には「空気がある」のですよね。
では「空気ボンベが空っぽ」だと?
真空ですか?
まさかねぇ。

実は、ボンベ内部には空気はあるのです。でも外部に呼吸用として空気を取り出せない、空気の圧力が足りない、ということなのです。

★地上でこのボンベのバルブを開けて中身を放出させたとしましょう。
外部は1気圧の空気の世界。
ということは、ボンベ内の空気の圧力が1気圧になった時、空気の噴出はとまります。
ということで、ボンベの圧力計は内部が1気圧の時「0(ゼロ)」を指すように作ってあるのです。
こういう形で測られたボンベの内圧を「ゲージ圧」といいます。

★水中に潜ると、水面に加わる1気圧に加えて、水圧がかかります。
10m潜ると1気圧増えて、1+1=2気圧の圧力をダイバーは受けます。
このとき、ボンベの内圧が2気圧以上でないとボンベからダイバーの肺へ空気が流れ出てきません。
60m潜ると1+6=7気圧の圧力をダイバーは受けます。
肺は風船のようなものですから、肺の内部も7気圧ないとつぶれてしまいます。
その水深で呼吸するためには、ボンベ内に7気圧以上の圧力の空気がなければなりません。
ゲージ圧でいうと、6気圧以上ですね。
水面気圧に加算される水圧の分が圧力計に表示されることになります。

ボンベのゲージ圧が6気圧では、肺に空気は流入してこないのです。
空気はあるのに流入してきません。

ボンベから呼吸用として利用できる空気は水深によって変化するのですね。
水面でなら十分に空気を吸える圧力なのに、深いところでは利用できない、という事態が起こり得るのです。
「ボンベが空っぽ」ということの意味は、呼吸に利用できる圧力がなくなった
ということなのです。
潜水士の方々はベテランですからこんなことは百も承知のはずですが、何らかの事情で浮上してこられなかったのでしょう。
御冥福を祈ります。

水に潜るということは、とても危険なことなのです。

★参考-------------------------------------
GLOBE(09/11/23)
篠塚龍三:一息で潜る 水深100メートルの世界。太陽が消えた海に身をまかせる
 ・・・
深い海では、吸い込んだ空気に含まれる窒素が、酒に酔うような麻酔作用 を起こす。80mなら地上の9倍の水圧で肺はこぶし大につぶれ、窒素の濃度も9倍になる。
「80mを過ぎると、ほろ酔いから泥酔状態になる。頭の中がぐるぐると回り、 耳鳴りがしたり、幻覚を見たりする」
 ・・・
-------------------------------------------
どこまで潜れる? 科学の常識覆すフリーダイビング選手(朝日新聞 2010年7月4日)
 日本で初めて開かれている第7回フリーダイビング世界選手権の競技が沖縄県で3日、始まった。人はどこまで深く潜れるのか。
 ・・・
 現在、CWTの男子世界記録は124メートル。水深120メートルでは地上の13倍の水圧がかかり、肺の容積は13分の1になる。かつては水圧で肺がつぶれると考えられ、人間が潜れるのは40~50メートルまでとされていた。潜水生理学を研究する日本女子大助教の藤本浩一さんによると、水中では血液が集まって肺を守ることが分かってきたという。藤本さんはCWTで115メートルの記録を持つ篠宮龍三さん(33)を被験者にして実験。脳にも血液が集まることを突き止めた。
 「重要な臓器に血液が集まる現象はイルカやクジラと同じ。海を起源に進化した人間に眠る能力が、トレーニングで引き出される可能性がある。科学の常識を人間の能力が覆してきたところにこの競技のおもしろさがある」と藤本さんは話す。
 吸い込んだ空気に含まれる窒素は圧縮されると麻酔作用を起こし、幻覚や幻聴が起きることがある。浮上する際は、肺の中の酸素を使い果たすうえ、水圧の急激な変化で酸素濃度も激減。最後の水面まで20メートルほどのところで酸欠で意識を失う選手もいる。
 ・・・
-------------------------------------------
私のHPから
http://homepage3.nifty.com/kuebiko/science/freestdy/WCsub/wtrPrss.htm
http://homepage3.nifty.com/kuebiko/science/freestdy/WtrClmn.htm
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彩り豊かな食事

★2012年3月27日の朝日新聞の記事です。

縄文草創期、ネギ食べていた 「炉穴」周辺から根元発見 宮崎・王子山遺跡

 

縄文人の食事は、現代人の想像以上に彩り豊かだったかもしれない。宮崎県都城市教委は26日、同市山之口町花木(やまのくちちょうはなのき)の王子山(おうじやま)遺跡から、約1万3千年前(縄文時代草創期)のネギの根元の部分(鱗茎〈りんけい〉)が見つかった、と発表した。また、同時期の土器にツルマメの跡とみられるくぼみ(圧痕〈あっこん〉)も見つかった。同教委によると、いずれもこれまでに確認された食用植物としては国内最古級で、「当時、南九州でいろいろな植物を積極的に調理して食べていたことを裏付ける」と説明している。
 (後略)

★よく見かけるんですけどね
「縄文人の食事は、現代人の想像以上に彩り豊かだったかもしれない」
こういう発想。

現代の私たちこそ最高である。最高においしいものを食べ、最高に豊かな生活をしている。昔の食事は粗末で不味かった、生活は貧困だった、と思ってしまう。

これ、間違いです。

縄文時代の人間と現代の人間と、何が違いますか?
タイムマシンで縄文人を現代に連れてきても、そう長くはない時間で適応できると思いますよ。
人間としての能力にそう差があるはずはないでしょ。

男女は惹き合い、子はかわいくっていとおしい。
おいしいものを食べたい。

何が違いますか。

農耕はしていなかったかもしれません。でも、どの植物がおいしいかは熟知していたでしょうし、おいしい植物を採集してきて植えておくことは当然していたでしょう。
狩猟でテリトリーを季節ごとに移動していても、この季節にはここでうまいものが食える、って十分知っていてまたそのように予定してある種の栽培をしていたでしょう。

自分を含めての「人間というもの」、そこへの信頼を欠いているんですよね。
現代こそ最高だ、という考え方は。
生活者としての人間がそうそう変わるわけはない。
美味しいものを食べて、十分に豊かな生活をしていたはずですよ。

平均寿命なんかを比べたらそりゃ今の方が長い。
でも長く生きれば幸せか?なんて、実はどうでもいいことなんですよね。

歴史というものを、現代から昔へ向かって「測深線」を垂らすように測ろうとしてはいけません。
その時代時代を生きた人間を主体に考えるべきなんです。

拒絶

★また、悲しい拒絶に出会ってしまった。
朝日新聞の2012年3月28日の記事です。

(石巻日記)命の記憶、受け止めたい 東日本大震災
 手を合わせる。一年の間に、このことをどれだけ続けただろうか。
 被災地の人々の自宅や仮設住宅にうかがい、遺影の笑顔に対面し、心の中で言葉にならない問いかけを繰り返す。
 震災後にこの地に着任したので、生前のその人を知ることはない。何度も手を合わせるうち、時に、言葉にならない何かを感じ取り、心が晴れるような気持ちになることに気付く。いつしか、祈ることは「対話」なのでは、と思うようになった。
 ・・・
 大川小で子どもを亡くした遺族から、メディアを批判する言葉を聞いたことがある。「遺族はどんなにつらい思いをしているか。その遺族に取材して、あなた方は生活しているのでしょう」。返す言葉が見つからなかった。
 ・・・

あえて言いましょう。おっしゃる通りなのです。
遺族に取材してそれを記事にして、この災害のもたらしたものを社会に広く共有してほしい、それが新聞記者というものの「仕事であり生活です」と。
人の不幸を「食い物」にしているわけではありません。
純粋な偶然のもたらす不幸をみんなで分担しましょうよ、といっているのです。
それは拒否すべきことではありません。

下の記事で、「想像力」という話を私は書きました。
http://yamada-kuebiko.cocolog-nifty.com/blog/2012/02/post-c113.html
2012年2月24日 (金)「想像力」

2012.2.20 朝日歌壇
あなたには子がいないからわからぬと痛いところを突かれてしまう:(さいたま市)五十部 麻

それをいっちゃあ、おしまいよ。ですね。
その論理を突きつめると、「あなたは私ではないから、私の事なんかわかるはずがない」というところまで行ってしまいます。
そして逆向きに「私はあなたではないから、あなたのことなんかわからないわ」ですよね。
一切のコミュニケーション・共感の絶対的な拒否になってしまいます。

同じなんです。
コミュニケーションの絶対的な拒絶、否定をしてしまったら、一切が閉じてしまうのです。
それをやってはいけない。
つらいけれど何が起こったかを伝える、つらいからこそ敢えて出来事の全体を伝える。
その先に、やっと、そのつらさを託すことのできる希望の明かりが見えてくるんです。

遺族のいうことは正義だ、というわけではない。
大きな辛さのために、つい、そのような言葉を発してしまったのでしょうけれど、どのような時であれ、私はそのような言葉を容認することは出来ないのです。

人は人とつながってこそ人であり得るのですから。

2012年3月29日 (木)

ソメイヨシノの方は

0327_15sakura 2012.3.27
つぼみがいっぱい膨らんで来ているのがわかります。
これが27日ですから、咲き始めは月末か4月の初めでしょうね。

咲いちゃいました:枝垂桜3

0329_10sidarezakura1 2012.3.29
まだかいな、と昼の散歩でまた密蔵院へ。
一輪咲いているようですね。
これは境内の少し高い位置からのショット。
0329_10sidarezakura2
これは同じ花を、六郷用水の水路沿いから低いアングルで。

実は今、この花の真下で工事をしているんです。
六郷用水の水路の要所要所に桝があって、それの取り換え工事かなんかなんですね。
無粋だよなぁ。ちょうど今、このチャンスに接近できないんです。
工期は一応30日までと表示されていますが、31日は雨の予報。
一番クリティカルな瞬間をさえぎられています。
あぁあ、しょうもないなぁ。
時期を考えて工事を発注してほしいですね。いや、時期を考えたのか、年度内に済ませて予算を使い切る気だな。

文句たらたらですが、花は美しい。
枝垂桜が揺らめく姿はすごいですよ。

もうすぐ咲きます:枝垂桜2

0327_18sidarezakura1 2012.3.27
前の記事とは別の木です。
木全体が赤みを帯びてますね。
0327_18sidarezakura2
強い日差しに輝いています。
0327_18sidarezakura3
わぁ。
ですね。
もうすぐですね。

もうすぐ咲きます:枝垂桜1

0327_14sidarezakura1 2012.3.27
見てください。枝垂桜。
0327_14sidarezakura2
もう咲きます!

ツバキ:2

0319_10tubaki4 2012.3.19
真横ショット。
深い杯、ふう。
0319_10tubaki5
純白のツバキもあったのですが、下を向いていて撮りづらい。
妻に花を支えてもらっての撮影。
白は美しいのですが、ちょっとでも傷みが始まると、目立っちゃうからなぁ。かわいそうに。

0319_11sazanka
これはサザンカですね。
我が家ではもう終わってしまいましたが、ここではまだ少し咲き続けています。

この後、桜の季節になると、ここ密蔵院は枝垂桜が美しい。
また続報を出していきます。

ツバキ:1

0319_10tubaki1 2012.3.19
密蔵院は家のすぐそば。
つくし採り散歩の終わり近く。
精進ピザの看板脇を抜けて境内へ。
このツバキですよね。
すごい。
この写真だと、オシベの位置が少しわかります。
紅白の花弁のようなもののあちこちに顔を出していますでしょ。
筒状に並んだオシベではない。
ということで、この花弁のようなもの、はオシベ由来だったり、萼由来だったりなのかな?と考えるわけです。

0319_10tubaki2
私は不注意でしたが、妻曰く、花弁が面白い!
言われて、見れば、小さな切れ込みのようなものがあるんですね。
鱗というか、瓦というか、重なり具合が美しいなぁ、とそればかり見てきたのですが。
一枚一枚の「花弁」に細工があるんだ。
凝ってるなぁ。

0319_10tubaki3
シンプルなツバキ。
典型的なオシベの「筒」。
一重咲きでも、ツバキって豪華な雰囲気がありますよね。
花がコロンと落ちるのを嫌う人がいますけど、落ちるのはオシベと花弁。
命をつなぐメシベとその根元の子房は大切に萼にくるまれて残ります。
縁起がどうのというのはおかしな話。
命をつないでいく営みの表れとして「落花」があるのです。

精進ピザ

0319_9syoujin1 2012.3.19
春分の日・彼岸の中日の前日でした。
今までこういう催しがここで行われたことはなかったと思うんですけど。
ピザ屋さんが、お寺さんと交渉して、開催するのかな?

「精進」ピザ!です。

二人して笑いながら、近づいてみると
0319_9syoujin2
チーズは使っているけれど、それ以外は植物系なんですね。

当日、20日は車でこの前を通りました。
大きなホームセンターに探し物に。

賑やかそうでしたが、まぁ、私の趣味でもないし。
いろんな企画があるんだなぁ、で済ませました。

ボケ

0319_8boke1 2012.3.19
妻と二人で散歩に。
六郷用水跡の散策路の植え込みで、ボケがいっぱい咲いていました。
唇に紅を点したようなつぼみ。
いいですねぇ、かわいい。
0319_8boke2
開いたらこんなような花になるのかな。

0319_8boke3
花そのものが紅のよう。
0319_8boke4
こちらは純白。
輝いてしまって、写真は撮りにくい。
露出補正すべきだったのですが、素人の悲しさ、忘れてました。
0319_8boke5
これは強烈でしょ。
情熱の花、というべきか。
しとやかな美、ではなく、圧倒する美、ですね。

なかなかこの場を離れられませんでした。

レンギョウ

0317_16rengyou 2012.3.17
六郷用水の水路の向こうでして、近づけません。
レンギョウが咲き始めていました。
まだ、ちらほら、で、黄色い滝のような姿はまだ先のようです。

なんだかなぁ

「お東紛争」真宗大谷派が敗訴 土地売却訴訟、京都地裁(朝日新聞、2012年3月28日0時20分)
 真宗大谷派(本山・東本願寺、京都市下京区)が、宗派を離脱した大谷暢順氏が理事長を務める財団法人「本願寺維持財団」(現・本願寺文化興隆財団、同市山科区)を相手取り、財団がJR京都駅前の土地を売却して得た200億円の返還などを求めた訴訟で、京都地裁(杉江佳治裁判長)は27日、返還請求を退ける判決を言い渡した。
 一方、判決は、原告が求めた財団の財産管理を制限する内規の変更が無効であることを確認する請求については、無効と認めた。
 訴訟は、宗祖・親鸞の血を引く大谷家と、宗派の内閣にあたる内局が宗派の財産や権力をめぐって40年以上対立した「お東紛争」から始まった。

財産や権力に「執着」してしがみついて、世襲して。
どこが「仏教」なんですか?
お釈迦様は、あらゆる執着を捨てよ、と教えて下さったのではありませんでしたか?
財産を持っている、権力を有している、というのは、間違った「見方」であり、「妄想」ではないですか?
その間違いを明らかに認識して、執着を捨て去るところから、苦悩からの脱却が可能となるのではなかったですか?
執着にまみれて、苦悩に身を焦がしている方々が「僧侶」とはね。
あきれてものもいえない。

仏教徒を名乗るとは、おこがましい。

{追記:恥ずかしいことに、双方とも「執着」から脱却はできず、双方とも上告したようですよ。どこが仏教じゃ!!}

そうなんだ!

朝日川柳 西木空人選(3/28)
「安全」としか言わぬから安全委:藤沢市 朝広三猫子

完全に納得しました。

2012年3月28日 (水)

スミレ

0319_2sumire1 2012.3.19
近所へ買い物に行った妻が、帰ってきて、スミレが2種類咲いている、というので見に行きました。
ブロック塀の下、道路とのすき間に根を張っているようです。
単に「スミレ」といっていいんですよね、コレ。この葉の姿から。
0319_2sumire2
低いんです。
どうやっても上からのアングルにしかならない。
道路に寝転べば正面ショットも不可能じゃないけど。

春だなぁ。

0319_4ezosumire1
これ、エゾスミレと覚えてるんですが。
白い花が可憐。
葉が特徴的です。
0319_4ezosumire2
これは草丈は低いんですが、プランターに植わっているので、こういう風に撮ることができました。

以前、これと同じスミレが我が家にもあったのですが、いつの間にか消えちゃったな。

最初のスミレとも違う、葉の丸っこいスミレが庭にはあります。
で、花も咲くし、ツマグロヒョウモンも来る。
森進一さんに「花と蝶」という歌がありますが、私共としては、「葉と蝶」という側面が大事。
チョウの幼虫の食草は大事に、たくさん育てなくっちゃね。

桜桃

0318_1outou1 2012.3.18
お、咲き始めたぞ!
これが朝8時ころ。
{後ろは、玄関から居間が見えないように立てた目隠しです。}
0318_1outou2
10時少し前。
こんな短時間の間にも、咲き進んでしまうんですね。
パワー「炸裂」です。

0319_1outou1 3.19
あとはもう、勢いにまかせて。
行くぞ~。
0319_1outou2
かっわいい。
こころ、ほくほく。

ここから、しばらく、玄関を出る度に、桜桃の花見ができる日々が続きます。

桜ですよね?

0316_11tyugaku5 2012.3.16
前の記事の真っ白なスイセンが咲いているすぐそば。
ごつごつと節くれだった姿の木。
背は低いです。
梅の樹形とも違いますよね。
0316_11tyugaku6
樹皮を見れば、桜ですよね。
どうしちゃったんだろ。かなり詰められて高く伸びることを制限された木のようです。
0316_11tyugaku7
でも、めげてません、つぼみを準備してます。
その時その時の外的な制限の中でちゃんと生きています。
しぶといなぁ。
しぶといのって、好きだなぁ。

花たち

0316_11tyugaku1 2012.3.16
大田区内の中学校の門前。
菜の花満開。
0316_11tyugaku2
黄水仙の黄色は濃いですね。
色名ってよく知らないのですが、カナリア・イエローでしょうか。
{化学屋的にはカドミウム・イエローという気もしますが。}
{カナリアって、羽のはえかわりの時に、ニンジン食べさせると、すっごく色が濃くなりますよ。ホント。}

あれ?
0316_11tyugaku3
スイセンではあるのですが、普通のスイセンと、これ、違うよなぁ。
副花冠まで白いぞ。
0316_11tyugaku4
初めて見ました。真っ白なスイセン。
ペーパー・ホワイトという品種のようです。

この場所は、中学校の土地ですが、植栽を管理しているのは近隣の花好きの方らしいです。
いろいろ凝ったものを植えておられます。
あまりに手入れしすぎないのがいい。
その時々に、芽を出し花を咲かせ枯れていく、そういう姿が見られます。
季節の花の鉢植えやプランターを、花の時だけ並べておくと言うのは私の好みではないのですが、ここは、そういう意味で、よい場所です。

ナガコガネグモ

0316_9nagakogane1 2012.3.16
去年、ダイナミックな狩りを見せてくれたナガコガネグモ。
最終的に、卵のうを3つ残してくれたようなんです。
最初に気づいたのが低い位置のツツジの枝の間。
次に高い位置のキョウチクトウの枝の間。
キョウチクトウの葉が茂っている間は分からなかったのですが、葉がまばらになったら、そこには2つ卵のうがありました。

そして、この日、見上げたら、卵のうに穴が空いています。
お!出のうしたのか!

卵のうの中で卵は比較的早い時期に孵化するらしいのです。
小さな幼虫で越冬して、春に卵のうから出てくる。
それで、孵化とはいわず、出のうと言った方がより正確らしい。

そうかぁ、もう出ていっちゃったのかぁ、と近づいてみました。
0316_9nagakogane2
あれ、残ってるのがいる!
0316_9nagakogane3
よく見ると、何匹か居残っていました。
小さいですねぇ。
一体、何匹くらいが出ていったのでしょう。
この子たちが庭で網を張ってあの「雄姿」(いやメスの方が立派だから「雌姿」のほうが適切か)を見せてくれるのが楽しみです。

0316_9nagakogane4
母親が作った、頑丈な保護糸、暖かい卵のう、そこに残った子どもたちの旅立ちの跡。
命がつながっていくって、うれしいですね、いいですね。

心が暖かくなります。
元気で大きくなってね。

にぎやかになってきました

0316_7snowdrop 2012.3.16
平年気温を下回る日々は続きますが、やはり季節は3月中旬。
生きものの活動をひしひしと感じるようになってきました。
スノードロップが一輪咲いた。
お隣のお家のです。
我が家のそばのは「準備中」。

0316_8yukiyanagi
ユキヤナギ。
弾けそうなつぼみ、というのが好きですね、わたし。
花を鑑賞する、のもいいのですけれど、花を咲かせるという植物の活動を見ていたい。
生きものとしての植物の、その生き方に寄り添いたいというのかな。

同じ「いきもの」仲間なんですもの。

2012年3月27日 (火)

ホトトギス

0316_3hototogisu 2012.3.16
ホトトギスの芽です。
去年は変だったんですよ。
花が終わってから、冬に入っても枯れなくってね。
やっと全部枯れ切って、片付けたら、間もなく、こうやって芽が出てきました。
くるくる巻いた葉がなかなか楽しいでしょ。
日当たりはあまりよくないのですが、頑張ってくれます。
ルリタテハの食草ですので、私たちにとっては、その点でも大事な植物です。

密蔵院のツバキ

0314_8tubaki1 2012.3.14
密蔵院のツバキ。
きれいですね。
この写真でははっきりわかりませんが、オシベがまとまっていなくて、花弁のようにみえるものの間に散在します。
おそらく、本来の花弁のほかに、外側では萼が内側ではオシベが「花弁」のようになったのではないでしょうか。確証はありません、想像です。
0314_8tubaki2
これは別の木の八重のツバキ。

勢いよく咲く、という感じではなかったですが、次々と咲いている様子でした。

我が家のツバキ

0314_6tubaki1 2012.3.14
我が家のツバキの花の咲き方に「勢い」が出てきました。
ぐんぐん咲きます。そして、ツバキ特有のコロンとした落花。
こうなってくると、独特の豪華さが出てきます。
0314_6tubaki2
開きかけのつぼみのままで花弁が傷んでしまうという、ちょっと花としてはかわいそうな姿が減りました。

0316_4tubaki 3.16
ツバキの花は広がりますが、この花はカップ状に深さがある。
面白いなとスナップしました。

我が家でこういう風にツバキの咲き方に勢いが出てきたのだから、密蔵院あたりではどうだろう、と行ってみました。

オオイヌノフグリ

0314_4ooinunohuguri1 2012.3.14
多摩川の土手にはオオイヌノフグリがいっぱい咲いていましたが、我が家はまだだなぁ、と思っておりましたら。
咲きました。
線路の柵の内側なのでこれ以上のアングルがなかったのですが。
パソコン上で眺めてみれば、ふだん見るオオイヌノフグリの姿とは一味違った写真になったかな、とニコニコ。
手前の花弁の輪郭がくっきりしていて、佳い姿だと、喜んでおります。

大脱走

★[私のグッとムービー]というコラムで、篠原千絵さんが「大脱走」について書いておられました。(3/23)

 単純明快、これぞ娯楽作
 ・・・
 第2次世界大戦中のドイツの捕虜収容所で、連合軍の軍人たちが脱走を計画する。戦時中という背景はあるけれども、話しは脱走のみに絞られています。
 ・・・
 彼はバイクで国境の鉄条網を飛び越えようとしますが、ぎりぎりのところで捕まってしまう。でも割とひょうひょうと収容所に戻ってきて、しょうがないなって感じでまた独房に入っていくところで終わります。
 あまり悩まず、きっとまた次の脱走のことを考えていそうな彼のたくましさは、映画が作られた時代のアメリカのパワーそのものなのかもしれません。

私も「大脱走」は見ました。
私は全然違うところで、非常なショックを受けたのでした。
日本の軍人は「戦陣訓」というのですか「生きて虜囚の辱を受けず」とか教えられていたのですよね。いじいじと生きのびるな、潔く死ね、と。
私はもちろん戦後生まれですが、そういう話は聞きかじっております。

ところが「大脱走」では、捕虜になった以上「脱走は兵士の義務だ」といってました。脱走を企て実行する、それによって収容所に手間や資源を余分にかけさせる、それが後方支援になる、というのです。
なんという「しぶとさ」。
「タフ」という言葉の意味を知りましたっけ。
そのタフさの象徴としてスティーブ・マックイーンのキャラクターは最高でしたね。

そういう側面を、篠原さんは見落とされたようです。

★役者はもちろん違いますが
「ナバロンの要塞」の最後の台詞はこうだったと思うんですよ。
I’m not so easy to die.
そう簡単にくたばりはしないさ。

って。
どうも日本人って純情で、やわで、しぶとさに欠けるよな。
それが「かっこいい」と思っているんでしょうけれど、いやだな。
かっこわるく、しぶとく、生きましょうよ。

見物客

★くだらない話ですみません。

NHKのニュースで「博物館でぼや 700人が避難」というのを聞いたのです。3月25日の夜7時のニュースでした。

25日昼すぎ、京都市の中心部にある博物館で、ぼやがあり、建物にいた見物客などおよそ700人が避難しました。
 ・・・

ニュースを見ていて、そりゃないだろ、と思わず呟いてしまった。
「見物客」はないでしょう。
企画展「北斎展」が開催されていたんです。
見学者とか、入場者とか、来場者とかじゃないですか?
火事が起きたのでそれを「見物」していたというなら見物客でしょうが、北斎展を見物に行きますか?言語感覚を疑いますよね。
少なくとも私の言語感覚では「ざらつき」を覚えました。

★3月26日の読売新聞では「来場者ら約700人が館外に避難」となっていました。

これが正常な言語感覚だろうな、と思います。
NHKのニュースくらいしかTVで見るものはないんですが、時々ニュース原稿を書いている人のセンスや知識や・・・を疑うことはあります。きっと恥ずかしい思いを後からなさっているんでしょうね。

自らをして毒虫とせよ

★3月11日に下のような記事があったのですね。

東日本大震災、きょう1年・・・(2012/3/11)
 ・・・
 ◆忘れないために 東北復興取材センター長・青木康晋
 「私たちのことを忘れないでくださいね」。東日本大震災の被災地で何度も聞いた言葉だ。それがいまの被災者の思いなのだと思う。
 あの日から1年になるが、何がどう変わったのか。仙台市内で巨大地震を経験し、震災と復興の取材にかかわってきた私の目には、ほとんど何も変わっていないように見える。それがなんとももどかしい。
 ・・・
 お互いに支え合えるような国の仕組みをつくり、安心して暮らせるまちにすることが、今回の震災と原発事故を「忘れない」ということだと思う。
 ・・・

★私のようなへそ曲がりは、同情やら慈善やら絆やら、「忘れないで」いられるなんて鬱陶しいことだなぁ、さっさと忘れてほしいよ、じゃないのと思ってしまうわけです。
もちろん、忘却の彼方へおしやられてよいというわけではありません。

一段上から同情され、慈善の施しを受け、自己満足的な絆に酔って「忘れないよ」などといわれるのは嫌なんです。
以前から時々つぶやいてましたが、それって差別の構造そのものでしょ。
いやなんだよなぁ。

★昔々の大昔、1970年。
私が朝日ジャーナルに書いた文章の一部をお目にかけます。
22歳、若くって気負いばっかりで、生硬な文章で、こっぱずかしいったらありゃしない。
でもまぁ、私が書いたということは確かですから、責任は取ります。
ではどうぞ。

<以下、引用文>------------------------------
「自らをして毒虫とせよ」 自主講座  朝日ジャーナル 1970.9.27
                    報告者 和 崩彦(なぎ くえびこ)

五体満足の普通人にとって身障者の存在はどんな意味を持つのか。また身障者が人間らしく生きるというのはどういうことか。普通人が真に人間らしく生きるためには、この課題を解明しなければならない。
 ・・・
 さて、「足もとからの反乱」とは何か。およそ人間関係の存在するところには、必ずといってよいほど抑圧差別の構造が存在する。簡単に言えば「踏みつぶす」ということだ。人間はまったく無意識に花を踏み、アリを踏みつぶす。無意識のうちに、人は他人にとりかえしのつかない傷をつけてしまう。これに対し、これまでは踏みつぶしてしまう側の一部がそれを意識化し、差別撤廃運動を始めることがよくあった。しかし、これはいつも優越者意識・同情・慈善へと堕落してゆく危険をはらんでいる。真にこの踏みつぶしの構造を破壊し去るには、この構造の中で抑圧を受ける者の側からそれをあからさまにあばき出し、突きつけ、破壊してゆかなければならない。それは、人間を作り変えてゆくということで、果たして人間が変わりうるものであるかどうか分からないが、私は信じる。きっといつか、人間は<良い>ものになれると。
 ・・・
 次に、「正常」なものが「異常」なものと出会った時、どのような反応を示すか考えてみたい。本野享一氏が「変身」にふれて述べている。(角川文庫版『審判』カフカの解説参照)
 ・・・
 グレゴールの変身に対する家族の反応は五段階に変化する。驚愕、憐憫、不安、嫌悪、無関心。作品に即して注を付ければ、①おどろき=事件の発生そのものへの驚き。結果としてこれから起るべき変化は意識にのぼらない。②あわれみ=グレゴールの人間としての存在が意識されている。毒虫という嫌悪は主位にならない。③不安=愛着と嫌悪は共存し生活にまつわる不安が発生する。④嫌悪=毒虫という認識が主位に立ち、生活の不安は実体化する。⑤無関心=生活のみが意識を占領する。
 これは、あくまで一つのパターンで、いくらでもバリエーションが考えられる。日本人と仏教、あるいはキリスト教との出会い、明治の西欧文明との出会い・・・・・・。「変身」の場合、他者の変身が己の生にかかわってくる時、人はまず生を確保する方へと志向し、生そのものが保証されている場合は自らの変身の可能性を現示するものを嫌悪、いずれにしても毒虫を自分の思考から追い出さずにはいられない。
 ・・・
 身障者の場合はどうだろうか。この場合、時間的にあるとき突然出現するものではないので、子供が成長してゆく過程で身障者に出会うという形の反応になる。そこにも、同じようにおどろき-あわれみ-不安-嫌悪-無関心という過程を見出すであろう。

 非人間に近い身障者の存在はあなた方にとって何なのか。事故による障害が20%もあることからもわかるように、われわれはまさにあなたがたが身障者になるかもしれないその可能性を現示するもので、たとえ、無関心の暴力によってわれわれを世界から抹殺し得たとしても、われわれの毒虫性を、あなたがたの心の中の不安を消し去ることは決してできないはずだ。水俣病の患者の方々は、普通人に公害・企業病を現示して迫っており、彼らを葬り去ることは決してできない。われわれ身障者は、この毒虫性をあからさまにし、人々に消え去ることのない不安と嫌悪を喚起し、そのことによって人間としての身障者を生かしてゆかねばならない。これこそが、身障者における足もとからの主体的な反乱である。
 ここまで身障者を毒虫として語ってきたが、果たしてあなたがたは毒虫ではないのか。自分は人間だといえるのか。われわれ毒虫によっておびやかされて不安にさらされているあわれな仔羊でしかないのか。自らの中に毒虫性はないのか。自らを毒虫となし、その毒虫性の徹底的な追及の中から、人間を求め、人間へ回帰してゆくことこそが、自らの生と切り結んだ永続的闘争だろう。

 最後につけ加えておけば、わたし自身が毒虫性を獲得したのは、身障者という例外性と、身障者としては頑健な身体を持ち、普通人の中で普通に成長してきたという二重の例外性によってなので、わたしのことばの特殊性と普遍性を十分に考慮していただきたい。また、わたしはわたしなりに、この22年間の生活と先取りした将来の生活との重みをもってことばを語ったつもりであり、できる限りことばの遊びを避け、体験に裏付けられたことばと概念を使ったつもりだ。こんどは、あなたがたの責任において語られることば、生の重みを背負ったことばを聞かせてほしい。

  みにくいものは
  てぢかにみえる
  うつくしいものは
  はるかにみえる

  うつくしいものはかすかだ
  うつくしい野のすえも
  うつくしいかんがえのすえも
  すべてはふっときえてゆく

  いつになったら
  すこしも人をにくめなくなるかしら
  わたしとひとびととのあいだが
  うつくしくなりきるかしら
           八木重吉
<引用文終わり>------------------------------

★すごいっしょ。笑えますでしょ。
いやぁ、恥ずかしい。

★「およそ人間関係の存在するところには、必ずといってよいほど抑圧差別の構造が存在する」という認識をこの時に持ってたんですね。
で、20年以上もの後、「すべての人間関係から、差別・抑圧・権力というような関係が消えてなくなることが私の夢だ」と娘に話したら、「父さん、そりゃ無理だ」「なんで」「だって私らサルだもん」「そうなんだよなぁ、ナットク」という会話もあったなぁ。

★無意識に踏みつぶされてたまるか、どうせ踏みつぶされるんなら意識的に踏みつぶしてくれよな、と思うわけですね、好戦的なかかしは。

★この時に水俣病に触れてますね。それが40年以上も経った今もって解決されていないというのは、一体どういうことなんでしょう?水俣病の患者さんが受けた「差別」を思い起こして下さい。「けがれたもの」として扱われたんですよ。今だってそれは残っている。

そして今、放射性物質を「けがれ」として受け止めている方々がたくさんいらっしゃる。
けがれたものは近くに来ないでくれ、といってますものね。

状況は変わってませんねぇ。

★「おどろき-あわれみ-不安-嫌悪-無関心という過程」のなかで忘却の彼方へ流し去られてしまってはたまらない。被災者の方々を差別の彼方に忘れ去ってはいけない。
災害によって生じた痛みを想像力によって共有しなければなりません。
そして、地球の活動としての災害が来ることは避けられないことですので、その際にどのように生きていくかをきちんと考え実践していく。それが「忘れない」ということの本質ではないでしょうか。

★ぬくぬくと湿っぽい「絆」は嫌いなんです。
バリバリに乾燥した「生きる努力」をそれぞれがその場所で積み重ねていくことが大事だと思っています。
自分の足元をちゃんと掘り崩しましょう。

★昔、大学闘争というやつに関わった私は、実は、今もそれを継続しているつもり、なのですね。私としては。
しつこいでしょ。
そうそう簡単にやめたりはしません。

2012年3月26日 (月)

ボケ

0314_3boke 2012.3.14
我が家のボケも例年になくつぼみが多い。
まだ、準備中。
準備は着々と進んでいて、つぼみがどんどん膨らんでくるのですが、いつ弾けるのか、いまのところ分かりません。

桜桃

桜桃が季節を駆け抜けていきます。
0314_2outou 2012.3.14
「πの日」{話には無関係}
こんな状態だったのが

0316_1outou1 3.16
咲き始めました。
0316_1outou2
花芽が口を開いて、中からつぼみがぐんと伸び出してきて、と進んでいく様子が見えますね。
0316_1outou3
日を浴びて輝いています。
まるで自ら発光しているような輝きで、周囲を照らします。
0316_1outou4
さぁ行くぞ、とみんな力をみなぎらせています。
力感があふれる、という感じですね。
陽射しの力を受けとめています。
{私も。あったかい}

アカトンボの卵、孵化

0314_1yago1 2012.3.14
昨年の秋にアカトンボをつかまえて、腹端部を水に接触させて産卵してもらった、あの卵が孵りました。

★下のリンクはその時の記事へのリンクです。
http://yamada-kuebiko.cocolog-nifty.com/blog/2011/10/post-441c.html
2011年10月12日 (水)「アカトンボ:2」

http://yamada-kuebiko.cocolog-nifty.com/blog/2011/10/post-481a.html
2011年10月14日 (金)「アカトンボの卵」

さて、暖まりすぎないように屋外に置いておいたコーヒーの空き瓶に産み付けられた卵。
2匹くらい孵っていました。
ピペットでそっと吸い上げてスライドグラスに載せて撮影したのが冒頭の写真。
クリアな画像は無理でした。
0314_1yago2
いろいろ頑張ったんですが、鮮明じゃないですね。
赤い眼がかわいい。

0314_1yago3
デジタル顕微鏡を引っ張り出してきたのですが、今度は最低倍率でもはみ出す。
難しいですね。
0314_1yago4
ガラス細工のような体ですので、お腹の中が透けて見える。
2本走る線は神経でしょうか。
0314_1yago5
頭部ですが思ったような画像は撮れませんでした。
0314_1yago6
腹端部ですが、眺めているとおもしろい。
腸を膨らませたり細くしたりして、腹端部から水を吸いこんで呼吸する様子が見えるんですね。
大きくなったヤゴでは、吸い込んだ水を噴出させて、ジェットのような推進力にします。
今回観察したヤゴでは、まだそういう推進力に使うのは見えませんでした。
ただ呼吸が見えたので嬉しくなりました。

このままでは餌になる微小な動物が不足しますから、池の水をいれてしばらく観察し、そのうち池に放してやることにします。

去年、私の「秘技トンボつまみ」にかかって、産卵してくれたお母さんトンボに感謝。
子どもが孵りましたよ~、と伝えたい。
ありがとう。

ハボタン

0313_11habotan 2012.3.13
ハボタンが長けてきて、頂上に花芽が現れてきたように思うのですが。
ぜひ、放置してほしい。
ハボタンの花を見たいものだと期待しております。

ジンチョウゲ満開

0320_4jintyouge1 2012.3.20
前の記事から一週間後。
佳い香りがたちこめます。
思わず息を深く吸ってしまう。
花の内側は白いので、遠くから見ると白っぽく輝いていました。
0320_4jintyouge2
キンモクセイほどの強い香りではなく、やわらかくてよい香りですね。

気温は相変わらず平年よりも低めに推移していますが、春は確実に来ています。
肩に力を入れなくてもいい日が早く来ますように。

ジンチョウゲ

0313_10jintyouge1 2012.3.13
いつも見に行く、マンションの下。
ちらほら咲き始めました。
0313_10jintyouge2
まだ強く香るほどではなかったです。
0313_10jintyouge3
ジンチョウゲって ジンチョウゲ科>ジンチョウゲ属>ジンチョウゲ なんですねぇ。

http://had0.big.ous.ac.jp/plantsdic/angiospermae/dicotyledoneae/choripetalae/thymelaeaceae/jincyouge/jincyouge.htm

 ジンチョウゲは中国原産の常緑低木であり、日本には室町時代に渡来したという。暖地の庭園木としてよく植栽されており、春によい香りのある花を開く。春の到来を告げる香りの1つである。この香りを「沈丁」にたとえ、沈丁花と名付けられた。
 樹形は良く枝分かれして勝手にほぼ球形になる。剪定の必要性は低いが、強く剪定すると樹勢が衰えやすく、大きくなるとかえってやりにくい。雌雄異株であり、ほとんどが雄株であるので、挿し木によって繁殖させることが多い。移植にやや弱いので、移植するよりも挿し木で新たに繁殖させて動かす方が良いとの話もある。

http://www.geocities.jp/greensv88/jumoku-zz-jinchouge.htm

花の香りをジンコウ(沈香)とチョウジ(丁子)に例えたための名。
雌雄異株。
花は3~4月、枝先に頭状に10~20個集まって咲き、強い香りがある。写真で、花弁のように見えるのは萼片で、先が4裂して広がる。外側は紅紫色、内側は白色。
日本には雄株が多く、通常果実はできない。まれに雌株があり、1cmほどの赤い楕円形の実が熟す。

キンモクセイも日本では雄株だけで実がなりませんが、ジンチョウゲもほとんどが雄株だそうです。上の3枚目の写真、花の中央に黄色いものが見えます。オシベですね。
そうなんだ、知らなかった。
私はジンチョウゲの実を見たことはありません。ご覧になったこと、ありますか?

http://www.hana300.com/jincyo.html

学名  Daphne odora
          Daphne : ジンチョウゲ属
          odora  : 芳香のある、香りのいい
  Daphne(ダフネ)は、ギリシャ神話の女神の名で、「月桂樹(げっけいじゅ)」のギリシャ名でもある。葉の形が似ていることから、ジンチョウゲ属の属名にも使われるようになった。

なるほど。女神様なんだ。そういわれると納得してしまうなぁ。

★英語で「におい、芳香」のことを odor とか odour といいますね。
英語には根っこのところでラテン語を語源にしているものも多いので、ちょっと言語的想像力を働かせると、おもしろいことがいろいろあります。

「odorant」は芳香物質ですが、それに除去とか否定の意味の「de」をつけて「deodorant」にすると「臭気止め」とか「防臭剤」の意味になりますね。

偶然とは何か

★手元に一冊の新書があります。
「偶然とは何か――その積極的意味」竹内啓、岩波新書1269、2010年9月17日 発行
奥付の書き込みでは「2010.10.11」に購入して読みました。
東日本大震災の5カ月前ですか。
著者は数理統計学の研究者ですので、この本でも、確率のしっかりした話もあるのですが、それ以上に、「偶然」というものの意味についての深い論考がなされています。
名著です。
この本からの引用を連ねます。引用をしめすインデントはしません。スペースがもったいないから。下線はブログ筆者によるもので、本には下線・傍線はありません。
私自身の感想、コメントなどは未成熟でほとんど書けません。どうしても書きたい時は{ }でくるんで書き込んでおきますので、区別してください。

★p.9
「すべての現象には必ず何らかの理由がある」というのが充足理由律と呼ばれるものである。人はどんなことでも、まったく理由なく起こったと考え難いから、どんなことにもその起こった理由を考える。

★p.10
しかし、充足理由律のない世界は人間にとって耐えがたいものであるから、この世にまったく理由のない事象、すなわち純粋の偶然というもの、いいかえれば「神」や「運命」のかかわらない「奇跡」というものの存在を容認することは困難であろう。そこで人々は科学的説明がつけられない事象について、別の理由づけを考え出したり、あるいはそれを信じたりする傾向がある。オカルトや疑似科学は底から生まれる。

{犯罪・事件・自殺などに執拗に「動機」「背景」を追求したがるのは、純粋な偶然というものには日常性の破綻の裂け目を感じてしまうからでしょうね。自己救済なんですよ、原因探しというものは。}

★p.22
 古代の人々は、宇宙に秩序が存在することを発見し、したがって必然性がものごとを支配することを認めたが、同時に人間が理解できないことも起こることは認めざるをえなかった。しかしそれを些細な乱れとして無視してしまうことができない場合は、それを何か不可解な「必然性」の表れとして、「神意」「因縁」「運命」などと解釈したのであった。
 それはある意味では別種の「必然」と見なすものであり、「偶然」の存在を否定するものであった。純粋の「偶然」、つまり何ら理由なくして発生したり起こったりする もの や こと の存在を受け入れることは、人間にとって難しいことなのである。

{「純粋な偶然は受け入れがたい」というのはこの書の通底音です。
神は耐えられる者にしか困難を与えない、という言い方はよくありますね。励ましのつもりなのでしょうけれど。ふだん神を信じているわけでもないのに。唐突に。笑ってしまう。不謹慎かな。
それは正直なところ「逃げ」ですよ。偶然を困難を正面から受け止めていないですね。
私は自分が1歳直前でポリオに罹患したことを完全な偶然として受け入れます。}

★p.164
 人は生きていく中で、多くの偶然に影響されないわけにはいかない。
 ・・・
 「運」や「不運」は避けられないとしても、「幸運」からできるだけ多くの喜びを見いだし、「不運」のもたらす「惨めさ」や「悲しみ」をなるべく少なくすること、あるいは場合によっては「禍いを転じて福となす」ようにすることは、それぞれの人の努力によるところである。
 ・・・
 もう一つ重要なことは「運」や「不運」は他人と分かち合うことができるということである。人は知人が「不運」にあったことを聞けば「慰め」の言葉をかけ、また「お見舞い」を送ったり手助けを申し出たりするであろう。また大きな災害が起こったときなどには、被害を受けた人に関係ない人々からも多くの寄付が寄せられることが少なくない。これには人々が他人の「不運」を悲しむべきこととして受け止め、その被害者にもたらす負担を分かち合うことによって、その人の「不幸」を少しでも軽くしようと望むからである。
 ・・・
 つまり「不運」を分け合うことによって、人々は「不運」をもたらす偶然は防ぐことができないとしても、そこから生じる「不幸」を小さくすることができるのである。

{菅さんが首相になった時に言った「最小不幸社会」は不評でしたね。

「最小不幸社会の実現」です。失業、病気、貧困、災害、犯罪。「平成の開国」に挑むためにも、こうした不幸の原因を、できる限り小さくしなければなりませ ん。一人ひとりの不幸を放置したままで、日本全体が自信を持って前進することはできないのです。我々の内閣で、「最小不幸社会の実現」を確実に進めます。

政治が関与していいのは、不幸を分担し減らそうよ、という部分でしょ。「偶然」によって生じる「不幸」をみんなで分け持つことのどこがわるいのか、私は菅さんが、「いいこといってら」と思いましたけどね。
夢を持って努力したら「成功者」になって「幸福」になれるなどという幻想の方がはるかに実害の大きな考えだと思っています。その裏返しは、自己責任。敗者になるにはその原因がある、そいつの責任なんだからケアする必要はない、なんてことになる。偶然を分かち合おうよという姿勢はそこからは生まれませんね。}

★p.166
 人間はその出発点においても人生の途中においても、またその結末についても、大きく「偶然」によって規定されているのであり、それは人生というものの根源的な「不条理」というべきものである。それはどうしようもないものであり、人はそれを自分のものとして引き受けて、最大限努力するより以外の生き方はない。
 しかし、考え方を変えれば、、人間がそれぞれ異なった遺伝子をもち、異なった環境に生まれ、異なった偶然に出会うということが、一人一人の人生を独自のものとするのであり、それぞれに価値あるものとするのである。そうして、そのことはまた自分とは異なる他の人々の人生を、それぞれに尊重すべきものとしているのである。
 ・・・
 幸い人間は、個人の感覚的欲望の世界にだけ閉じこめられているわけではない。人間は想像力や感受性をもち、現在の感覚の世界を超えて、外の世界を想像したり、あるいは他の人の心に共感したりすることができる。それは現実の世界における「偶然の専制」から逃れる方法である。人間にとって個人的欲望の満足だけがすべてであるというのは、極端に貧しい人間観であると言わざるを得ない。

{私が今のこの遺伝子構成を持つ、ということ自体、完全な偶然なんですよね。母がつくる何百もの卵子、父が作る何億もの精子、その組み合わせは完璧な偶然。減数分裂の際にも、組み換えがおきますが、それもそのときたまたま、という偶然。いろいろ遺伝的な病気を抱えて誕生する赤ちゃんも多いのですが、私たち人類のもつ「遺伝子プール」の中から、純粋に偶然にその組み合わせを持って誕生するのですから、私たち人類全員でその偶然を分かち合うのは当然ではないでしょうか。
私という人格を構成するのは、遺伝子の偶然に始まり、生きてくる中で出会ったすべての偶然の集積、すべての偶然にどう対処してきたかの集積なのです。同じ人間は一人としていません。それは偶然のおかげです。偶然があるからこそ、私という人間の唯一性があるのです。偶然のおかげなんですね。}

★p.177
 確率論の成立によって偶然というものを合理的な思考の枠内に閉じこめることに成功したように思われたが、ここで注意すべきことは、偶然を考えることは、人間の想像力に依存しているということである。
 偶然を考えるということは、まだ起こっていないことについて、いろいろな可能性を想定して比較するか、あるいはすでに起こってしまったことについて、現実には起こらなかったが起こる可能性があったことを現実と対置して想定することを意味し、それは結局現実にない現象について想像をめぐらすことを意味するからである。したがってもし人間が想像力をもたなければ、偶然という概念を理解することはできないであろう。想像力をもたない(と思われる)動物にとっては、現実の認識はあっても、そこには現実に起こっていることの流れがあるだけで、その中に偶然というものが入ることはないであろう。

★p.186
 想像力はまた人が個人の経験の限界を超えて、他人の経験を理解することを可能にする。そこから他人に対する共感も生まれる。他人の「幸運」を喜び「不運」に同情する気持ちも生まれる。ときには他人の「幸運」に対する妬みも起こるかもしれない。また、ともに大きな災害、すなわち共通の「不運」にあった人々は、苦難を切り抜けるために協力し合う中から強い連帯感をもつようになるかもしれない。人々は想像力によって「運」や「不運」を分かち合い、またそこから生まれる喜びを強め、不幸を軽減することができる。
 偶然によって生じる運、不運は、それがまさに偶然であることから、本来不条理なものである。またそれは避けられないものでもある。しかし人間は想像力によって、そこから生じる幸福をより大きくし、不幸を軽くすることができる。もちろん他人の幸運を妬み、自分の不幸を悔やんでまかりいれば、逆に幸福を減らし、不幸を拡大することになる。
 個人的にもまた社会的にも、偶然に対して主体的に対処することによって、その生み出す幸福を大きくし、不幸を軽くしなければならない。それがいわば偶然の専制に対抗する道である。

{いかがでしたでしょうか。関心がおありでしたらまだ刊行から新しい本ですから入手できます。是非お読みください。おそらく、新しい発見に満ちた読書になることでしょう。}

2012年3月23日 (金)

カルガモ

0313_9karugamo1 2012.3.13
さぁ帰ろう、と六郷用水の方へ。
おや、カルガモがいました。
餌が豊富だという環境ではないと思います。
きれいすぎるんですよね。水草や昆虫、魚などの「系」になっていない。
手入れのし過ぎ。

0313_9karugamo2
カモの前方の波を見てほしいのです。
力強く前進しているので、前方に波が「詰まって」います。
これ「ドップラー効果」ですね。
カモの前方では波が詰まり、後方では波が間のびしてしまう。
教材になるなぁ、などと「教師眼」がまた出てきてしまう。

0313_9karugamo3
鳥ってどうしてこんな風に、輪郭がくっきりしているんだろう。
輪郭のぼやけた「かかし」としては、実に羨ましい。
0313_9karugamo4
いい顔してますね。

この場所は六郷用水跡の水路としては少し広い水面なのですが、子育ての出来る環境ではない。
人との距離が保てません。
カラスは来づらいかもしれませんが、人間がうるさすぎます。
カルガモのヒナはかわいいんですけどね。
静かで安全で子育てしやすい環境があるといいのですけどねぇ。

六郷用水跡の水路は「ビオトープ」を構成していないんですよね。
もったいないことです。
基本的に「水が流れている」だけなんです。

0313_8ume1 2012.3.13
ターザン公園にも3色の梅が咲きます。
まず白。

0313_8ume2
ピンク。

0313_8ume3
赤。
0313_8ume5

梅の木の下でしばらく日向ぼっこしていると、気分もほっこりしてきます。
今日はいい日だ、という気分にひたれますね。
{公園で日向ぼっこするおじいさん、になってきたゾ}

ハナカイドウ

0313_7hanakaidou1 2012.3.13
多摩川の土手は風が吹きっさらしで寒い。
早々に退散してターザン公園へ梅見に。
ハナカイドウのつぼみがありました。
0313_7hanakaidou2
葉芽も出てきています。
無知なかかしがハナカイドウなんて知っているわけがない。
シュウカイドウ(秋海棠)は知っていますが、あれは秋の花ですよね。

0313_7hanakaidou3
書いてあったのです。
花期は4月らしい。
バラ科ですね。
なるべく頻繁に来てみることにしましょう。
花を見たい。

★調べてみたら
ハナカイドウは

バラ目(Rosales)>バラ科(Rosaceae)>ナシ亜科(Maloideae)>リンゴ属(Malus)>ハナカイドウ(M.halliana)

「木」ですね。

で、シュウカイドウはというと

スミレ目(Violales)>シュウカイドウ科(Begoniaceae)>シュウカイドウ属(Begonia)>シュウカイドウ(B. grandis)

「草」ですね。
ベゴニアなんですね。
そうだ、妻はよくシュウカイドウのことを「中国ベゴニア」といってましたっけね。

じゃ、ベゴニアって、何なんだ?

スミレ目(Violales)>シュウカイドウ科(Begoniaceae)>シュウカイドウ属(Begonia)
属のレベルでの「総称」なんですね。種名じゃなかったんだ。

いやぁ、混乱してしまった。
紛らわしいなぁ。

オオイヌノフグリ

0313_6ooinunohuguri1 2012.3.13
土手への坂から土手の上にかけて、オオイヌノフグリがいっぱい咲いていました。
予想していなかったので、これは嬉しかった。
もう咲いたのか。
我が家の前にもこの花はあるはずなのですが、この時点では家ではまだでした。

0313_6ooinunohuguri2
きれいでしょ。
妙な名前をもらいましたよね。

オオイヌノフグリは「ゴマノハグサ科」。
トキワハゼというのも知ってますがこれも「ゴマノハグサ科」。
ところが、肝心のゴマノハグサという植物を知らない。

科の名前には、もう少しポピュラーな植物をあててほしいなぁ、と無知なかかしは考えます。
虫の方はなじみやすいのになぁ。
ハエ目、チョウ目とかねぇ。以前は双翅目とか鱗翅目とかいっていたのを、分かりやすくしましたよね。
植物の方も、もう少し素人に分かりやすい分類にしてほしいなぁ。

アブラナ科

0313_5nanohana 2012.3.13
ミモザ(フサアカシア)のあるお宅は多摩川に近いのです。
で、寒いけど、しばらくぶりに土手に上がってみようか、と行ってみました。
土手へ上がる坂の途中。
アブラナ科の草。
アブラナかな?ムラサキハナナかな?なにかな?
去年、土手にムラサキハナナがたくさん咲いていましたので、多分あれだろうとは思いつつ、この状態では菜の花と識別できない私です。

0319_5murasakihanana 3.19
今日の最初の記事で書いたように、3月19日、妻とツクシ採りに土手へ行きました。
13日には確定できなかった、アブラナ科の草が咲いていました。
やっぱりね。ムラサキハナナでしたね。あまり濃い紫ではないですが、ムラサキハナナです。
これから、たくさん咲きますよ。

ミモザ(フサアカシア)

0313_4mimoza1 2012.3.13
多摩堤通り沿いにあった木は伐られてしまったので、今の時点で近所で見られるのはここだけ。
{沼部駅の駅舎の外側に一本ありますが、全く接近できない位置ですので鑑賞はできません。}
そろそろ花の時期だったっけ、と見に行きました。
お、黄色いぞ。
0313_4mimoza2
つぼみですね。
0313_4mimoza3
こういうつぼみでした。
花が咲くのも間近でしょう。
しばらくしたらまた見に来ます。

★ところで
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%A2%E3%82%B6
ウィキペディアの「ミモザ」の項目から引用

 葉に刺激を与えると古代ギリシアの身振り劇ミモス"mimos"(マイム、パントマイムの前身)のように動くことからこの名がついた。ラテン語本来の発音はミモサ、英語発音はマモゥサあるいはマイモゥサとなり、日本語のミモザはフランス語発音に由来する。ここから以下のような転用により語義が広がっている。
●マメ科オジギソウ属の植物の総称(オジギソウ属のラテン語名およびそれに由来する学名がMimosa)。(原義)
●フサアカシア、ギンヨウアカシアなどのマメ科アカシア属花卉の俗称。イギリスで、南フランスから輸入されるフサアカシアの切花を"mimosa"と呼んだ事から。アカシア属の葉は、オジギソウ属の葉によく似るが、触れても動かない。しかし花はオジギソウ属の花と類似したポンポン状の形態であることから誤用された。今日の日本ではこの用例がむしろ主流である。鮮やかな黄色で、ふわふわしたこれらのアカシアの花のイメージから、ミモザサラダや後述のカクテルの名がつけられている。

どうも紛らわしくていけませんね。
日本で普通に「ミモザ」といったら「フサアカシア」のこと、でいいんですよね。

オジギソウも好きなんですが。
保育園児のお散歩用に植えたいと思っても、あのトゲは痛いしなぁ。
あの花、大好きだし、葉が閉じるのは面白いんだけどなぁ。

ツクシ

0319_6tukusi1 2012.3.19
よく見ないと、何が写っているのか分かりにくいでしょ。
真ん中にツクシが立っています。
0319_6tukusi2
ほら。

多摩川の堤防の日のあたる斜面。
そろそろツクシが顔を出しているのではないか、と妻と二人でお散歩に。
ツクシが採れた場合に入れてくるポリ袋もちゃんと用意して。
土手に上がってしばらく歩いても見えない。
まだ早かったかなぁ、と、それでも「下を向ぅいて、歩こぉおう♪」と行きましたら、生えてましたね。
0319_6tukusi3
結構長けたのもあります。早すぎということではなさそう。
私はしゃがんだり、斜面に踏み入るのは無理ですから、ツクシを摘むのはもっぱら妻。
たくさん採れました。
風は冷たかったけれど、陽射しは暖かい。
60代夫婦ですから、当然、ツクシを食べる気なんです。
この日の夕飯のおかずには「土筆の卵とじ」の一品が加わったのは言うまでもないこと。
苦味がほとんどなくて、おいしかったですよ。

春の味を心ゆくまで味わい楽しんだ二人でした。

{もう一回くらいツクシ採りに行ってもいいな。おいしかったもんな。}

2012年3月22日 (木)

クリスマスローズ(の仲間)

0313_3christmasrose 2012.3.13
クリスマスローズ属というのでしょうか、品種名はよくわかりません。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%98%E3%83%AC%E3%83%9C%E3%83%AB%E3%82%B9
ウィキペディアによりますと

ヘレボルス
ヘレボルス(Helleborus)はキンポウゲ科のクリスマスローズ属に分類される植物の総称。ヘレボラスともいう。
「クリスマスローズ」という呼称はクリスマスのころに開花する「ヘレボルス・ニゲル」だけを指した呼称であるが、日本の園芸市場では「レンテン・ローズ」と呼ばれる「ヘレボルス・オリエンタリス」なども「クリスマス・ローズ」の名前で出回る。多くの品種は、クリスマスのころではなく春に開花する。

今頃、あ、あれだ、あの下向きの花、と認識しますね。
去年は頑張って花の中を覗かせてもらったけれど、今年は姿だけにします。
プランターに植えて、高いところに置いたら花の中まで鑑賞してあげられるかもしれませんね。

ホトケノザ

0313_2hotokenoza1 2012.3.13
線路沿いにちょっと行って、踏切の手前。
ホトケノザがいっぱい咲き始めました。
0313_2hotokenoza2
シソ科の花ですねぇ。
口を開いたような形。
0313_2hotokenoza3
つぼみの濃い赤がまたいいんだよなぁ。
独特の赤紫ですよね。

夫婦で仏の座に座って日向ぼっこしたいねぇ、と話しております。
「めおとホトケ ノ ひなたぼっこ ザいす(座椅子)」
ね、いいでしょ。あこがれてしまいますね。

紫のクロッカス

0313_1crocus 2012.3.13
あったはずなのに、ここ何年か顔を見せてくれなかった紫のクロッカス。
球根を太らせるのに時間がかかったのかな。
黄色のクロッカスは毎年咲いてくれるんですけどね。
うれしいですね。
やっぱり、紫っていいですね。

0314_5crocus1 3.14 朝
ほら、素敵な姿だ。佳人というべきでしょうか。

0314_5crocus2
こちらは昼の散歩時。
3+3の花弁と萼ですか、美しい配置です。
0314_5crocus3
思いっきり近づいてみました。
丸い粒々の花粉。
初めて見ました。
被写界深度が浅くって、幻想的になった、と自分では思っているのですが。
大したことはないか。

トキワマンサク

0312_15tokiwamansaku 2012.3.12
赤いリボンのような花を咲かせるトキワマンサク。
つぼみをつけていました。
まだまだ硬くって、花までには時間がかかりそうですが、でも、もう開花への道を歩み始めてしまった。
そうなると、とめられません。
着々と進み続けます。

あの花、不思議というか、面白いというか、好きだなぁ。

土佐のミツバツツジ:2

0319_12mitubatutuji1 2012.3.19
咲きました。
メシベが赤くて柱頭が紅。
いかにもツツジの姿ですね。
0319_12mitubatutuji2
準備完了、というつぼみたちがいっぱい。
0319_12mitubatutuji3
正面から。
上の花弁が開き切っていないのかな。
面白い姿です。

ツツジの季節が始まりました。

土佐のミツバツツジ:1

0312_15mitubatutuji 2012.3.12
もう弾けそうなんですけどね。
茶色の帽子が脱げそうだ。
0312_15mitubatutuji2
みんなこの状態。

0314_7mitubatutuji1 3.14
わ、もう開くか。

0316_5mitubatutuji 3.16
わぁ、つぼみ一つ花一つ、と思っていたら、実は花3つが一つにまとまっていたんですね。
なるほどぉ。

タネツケバナ

0312_14tanetukebana1 2012.3.12
チロリアンランプのプランターに小さな白い花がいっぱい。
あれ?とみれば、タネツケバナ。
使った土の影響ですかね、隣りのプランターには生えてないのに、ここにはいっぱい。
まわりに棒のようなものが立っているのがこの花の標準的な姿です。
0312_14tanetukebana2
ここでちょっと拡大してみましょう。

0312_14tanetukebana3
「1」と示したのは花のメシベの花柱。
「2」は花が終わって閉じて、子房が伸び始めて花柱が外に出ている姿。
「3」の棒状のものは、じつは「実(み)」なんですね。
熟すと、種が入っているでこぼこが見えるようになります。
こんな姿でこの花を見分けてください。

2012年3月21日 (水)

春一番は吹きませんでしたが

★朝日新聞デジタルの記事です。(2012年3月20日23時58分)

春一番、関東で12年ぶり吹かず 近畿や東海でもなし
 春分の日の20日は、平年より気温が低い地域が多かった。関東地方では、立春から春分までの間に、気象庁が設けた条件を満たす南風が記録されなかったため、2000年以来、12年ぶりに春一番は吹かずじまいとなった。東海、近畿地方でも、今年は春一番がなかった。
 気象庁によると、関東地方の春一番は、立春から春分までの期間に(1)日本海に低気圧があり(2)そこに向けて、強い南風(目安は風速8.0メートル以上)が吹き(3)前日より気温が上がるという条件を満たす必要がある。
 2月1日には、東京で南南西の風、風速9.2メートルを記録したが、今年は立春が2月4日で、それより前だったため「春一番」としては認められなかった。3月上旬には気温が上がったが、風が強まらなかった。
 日本付近で偏西風が南寄りを流れている影響で、北からの寒気の影響を受けやすい状況が今後もしばらく続く見込みだという。
     ◇
 近畿地方では立春から春分までの間に気象庁が設けた条件を満たす南風が記録されず、春一番が吹かずじまいだった。
     ◇
 東海地方では3年連続で春一番は吹かずじまいとなった。

人間が決めた「約束事」ですので、ま、気にすることもなし。
でもねぇ、春はもう身の回りを「浸し」始めていますよ。

★今年の1,2月の気温の状況をお目にかけましょう。
Kion2012_1 これが今年・2012年のグラフ。
平年気温の線を超える回数が少ない。

Kion2012_2
前後7日間をくわえて均してみると上のグラフの黒い線になります。
日最高気温が平年を超えませんね。
日最低気温もほとんど平年より下で推移しています。

Kion2012_3
均したものと平年値の差だけをグラフ化すると上のようになります。

同じ順で、2011年のグラフを並べますので、比較してみてください。

Kion2011_1

Kion2011_2

Kion2011_3
去年は1月が寒くて、2月が暖かくて、3月がまた寒い、という傾向ですが、今年は全面的に寒いですね。
これが、植物や動物の活動に大きく影響しているようです。

★さて、今日3月21日、昼の散歩に出たら、虫たちがわっと顔を見せてくれました。
桜桃の花にはアブが3種類。
ササグモの幼体もみかけました。
なんだか、ガの幼虫らしいのも発見です。
あちこちにごく小さなクモが張った網がありました。
写真はまだパソコンにも取り込んでいませんので、いずれお目にかけますが、速報です。

わ~ぁぃ、虫さんたちが顔を出す季節になったぞ~。
と大喜びのかかしです。
今日が、この大田区の南では、実質的な意味で、虫たちが顔を出す「啓蟄」になったという実感です。毎日カメラぶら下げて定点観測をしているかかしの眼にはそう見えます。

ぼたもち

★スーパーの広告(3/17)を読んでいた妻が「おはぎ」の安売りをみて、これは違うのよ、と呟きます。

なんだ?と聞けば、春のお彼岸には「ぼたもち」、秋のお彼岸には「おはぎ」なのよ、とのご託宣。
餡が粒餡とかこし餡とかいう違いもあるらしいけど、基本的には春は牡丹、秋は萩なのよ。と。
はぁ、知らなかったぞ。

 おはぎ(つぶあん・こしあん・ごま・きなこ・ずんだ)(各1コ)各120円
 鏡草庵 おはぎ(こしあん・粒あん、各4個入り)各258円

どっちにしても餡の菓子はまるっきり受け付けられないかかしですが。
子どもの時からそうなんですよね、甘いのは好きではあるんです、でもおいしいといって餡の入った菓子を食べると、確実に胃が酸っぱくなって夕飯が食べられなくなるんですね。
以前は洋菓子はまぁ大丈夫、和菓子はだめだ、だったのですが、今は和洋を問わず甘いのはダメになりました。さびしい。

この日、3月17日の別刷りの特集に、こんな記事もありました。

手間かけて心こめて:ぼたもち:精進料理研究家 高梨尚之さん(3/17)

 この菓子が春に「ぼたもち」と呼ばれるのは、咲き誇る花の王の名にちなむ「牡丹餅」だから。「おはぎ」は萩の花になぞらえた秋の呼び名だ。
 収穫半年で硬くなった皮を取り除いた、こしあんを使う。「手間がかかる分、彼岸のお供えにふさわしい」と精進料理研究家の高梨尚之さん。
 ・・・

やっぱりそうなんだぁ。
う~むぅ。
妻は奈良の人ですから、やっぱりがさつな「あづまおとこ」とは違うんだなぁ、などと見直したりして。間もなく結婚40年を迎える夫婦の「あま~い」お話しでした。

★ぼたもちとおはぎに関するいろいろな話題がウィキペディアにのってました。どうぞ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%BC%E3%81%9F%E3%82%82%E3%81%A1

★広辞苑第五版から

ぼた‐もち【牡丹餅】
 (赤小豆餡をまぶしたところが牡丹の花に似るからいう) 「はぎのもち」に同じ。

はぎ‐の‐もち【萩の餅】
糯米(モチゴメ)や粳米(ウルチマイ)などを炊き、軽くついて小さく丸め、餡(アン)・黄粉(キナコ)・胡麻などをつけた餅。煮た小豆を粒のまま散らしかけたのが、萩の花の咲きみだれるさまに似るのでいう。また牡丹に似るから牡丹餅(ボタモチ)ともいう。おはぎ。はぎのはな。きたまど。隣知らず。萩の強飯(コワイイ)。

★広告の引用に「ずんだ」というのがありますが、「ずんだ」というのが、ある種「大豆の餡」だということを知ったのは、比較的最近だなぁ。
餅につけて「ずんだもち」として知ったのでしたっけ。東北の方のものらしいですが、私の父母の食生活にはなかったな。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%9A%E3%82%93%E3%81%A0
ウィキペディアの「ずんだ」の解説です。

ユキヤナギ

0312_12yukiyanagi1 2012.3.12
寒い時に時季外れに咲いてしまったユキヤナギをお目にかけましたが、今回は、同じ株の花ですが、時宜を得た姿です。
0312_12yukiyanagi2
弾けそうなつぼみは花と一緒によく見かけますが、まだ硬いつぼみが多くありました。
0312_12yukiyanagi3
中で花弁や子房が成長してきて、つぼみが丸くなって、白い中身が口から見えてくると、開花、ですね。
成長中というのが好きだなぁ。

黄水仙

0312_11kisuisen 2012.3.12
河津桜への集中を解いて、ふと辺りを見渡したら、足元に黄水仙。
背は低いですが、がっしりした感じ。
我が家のスイセンはひょろっと伸びて折れやすいので、特にそう感じました。

「黄水仙」の読みですが、「キズイセン」と連濁するんでしょうね。
でも、なんだか、「スイセン」に濁点がつくのが、個人的にはいい感じがしなくって。
「キスイセン」と読んであげたい気もします。

河津桜:2

0314_9kawadu1 2012.3.14
やっぱりぐんぐん開きます。
0314_9kawadu2
駅前だとあまり空が開けていないのですが、ここは線路際。
こういうアングルが楽しめる。
電車の架線が消せなかったのは残念だけど、そう邪魔になるほどでもなし。
0314_9kawadu3
薄い花弁が透けて。
「妙(たえ)なるかな」

河津桜:1

0312_10kawadu1 2012.3.12
駅前の河津桜をよくご紹介しますが、これはご近所。
資源ごみの回収の日に、新聞紙を出そうと、ころころ車に積んで引っ張って歩いていたら、線路際に鉢植えで置いてありました。

以前だと、何という桜か分からなかったでしょうが、駅前の河津桜で姿を学んだので、多分大丈夫。
もう間もなく咲くところですね。
0312_10kawadu2
この桜では、こういう風に、つぼみと一緒に葉も伸びてきます。

0313_12kawadu_eki1 3.13
やはり咲きましたねぇ。
0313_12kawadu_eki2

本家の静岡県の河津桜はもう満開とか。
我が家の近くでも楽しめるようになりました。
うれしいな。

{ちなみに。「満開」というのはすべてのつぼみが開花したという状態ではなく、8割方開花して、散り始めもあるし、これから咲くのもある、というような状態のことだと理解しています。}

ミミナグサの仲間

0312_9miminagusa 2012.3.12
これ、ミミナグサの仲間ですよね。
線路わきですからある意味では「荒れ地」。
ということは昔からのミミナグサではなくて、オランダミミナグサなのかな。
花が咲くとおそらく花弁の形などで、どっちか分かると思うのですが。

0312_9humei
雑草がわんさか伸びてきていますが、ふと目を惹いたのがこれ。
なんだか、かわいい。
私って、こういう「おちょぼ口を開いた」ようなのに惹かれますね。
なんだかよく分かりませんが、可愛かったので一枚ぱちり。

白いジンチョウゲ

0312_7jintyouge 2012.3.12
この時点で、すいぶん膨らんで伸びてきていました。
まだかな、まだかな、と思っていたら。

0318_2jintyouge 3.18
とうとう一つ咲きました。
前日の17日は大雨。
用事があって第三京浜を走ったのですが、視界不良で緊張しました。軽自動車では車体をたたく雨の音が大きくってラジオも聞えませんでした。
そんな雨の名残が、花に残っています。
雨がまだつぼみを包んでいるような状態で、エイヤッとひとつ咲いちゃいました。
もう、待ちきれないぞ、とパワーさく裂ですね。
この後はどんどん開くでしょう。

キンモクセイ

0312_6kinmokusei 2012.3.12
おや、キンモクセイにも新芽。
去年、ヒメグモが卵のうを守って、子育てをしていたあたりです。
キンモクセイも好きですが、ヒメグモもいいなぁ。
ヒメグモやササグモの子育てをまた見守りたいなぁ。と思っています。
クモって卵を背負っていたり、守っていたり、いろいろすごいですよね。
故なく嫌われてるよなぁ。かわいそうに。

2012年3月19日 (月)

ヒキガエルの卵

0312_5hikigaeru 2012.3.12
3月10日から11日にかけての夜中に産卵したのだろう、という記事を書きました。
今回の写真は12日。

内部ではもう発生が進んでいるはずですが、こうやって池を覗きこんで観察する分には変化はほとんど見られません。
今年は家の中での観察はしないで、このまま見ていこうと思っています。
そのうち変化が見えたらまたその時にご報告します。

コデマリ

0312_3kodemari 2012.3.12
コデマリの新芽がたくさん立ち上がってきました。
きれいな緑です。
よかった、よかった。
枯れちゃったかと思った。

ツバキ

0312_2tubaki1 2012.3.12
ツバキの花に勢いが出てきました。
0312_2tubaki2
花弁が傷んでいません。
豪華な雰囲気が出てきましたね。

0312_2tubaki3
ちょっと妙なものを見てしまった。
普通、花弁とオシベが一緒になってころんと落ちるはずですよね。
で、後には萼と子房・メシベが残る。
上の写真、オシベがごそっとなくなっています。
どうしたんだ?
昆虫にはこういうことはできない。昆虫もまだ少ないし。
鳥ですかねぇ。
腹減って、花粉でも食べたんでしょうか。
わかりません。

じいさん と ばあさん

0309_1gino_e_bano 2012.3.9
{宣伝する気は毛頭ありません、まず冒頭にお断りしておきます。}

多摩堤通りで信号停止中。
左からワゴン車が左折してきました。
視界には「Gino e Bano」
「e」だからな、イタリア語かな、ファッションブランドかな、と第一印象。

でも、信号が青になってその車の後ろを走り始めたら、
あらまぁ、「デイサービス」ですってぇ。
思わず噴き出してしまいました。

Gino = じいさん
e=and
Bano= ばあさん

ということのようですね。
なんという「絶妙」の命名。
ユーモアのセンスがあふれてるなぁ(当然、皮肉)。

しっかしまぁ、こういうファッションブランド風なネーミングをするというのは、多分、私を含む「団塊世代の老人」を狙ってるんだろうなぁ。
団塊世代はなったって、ファッショナブルだもんなぁ(爺が自賛)。

この話を妻にしたら、うけましたねぇ。
さっそく、一緒に年齢を重ねている猫に「あなたはバーニャよ」などとやってましたよ。
二人の内輪でおおうけです。

別件:「and」
e   イタリア語、ポルトガル語
y   スペイン語
et   フランス語
und ドイツ語

このくらいは知ってます。

また別件:デイケアセンターかなんかで「すずなり」という名前のがあるんですね。時々送迎の車を見かけるのですが、「すずなり」といわれるとやっぱり「団塊の高齢者が『すずなり』になっている」という感じですよね。

数が多いものなぁ、私ら。
小学校の時、1クラス50~60人で10クラス以上あったもんなぁ。
私、小学校1年の時は普通教室が足りなくって、教室が理科室でしたもんね。

老人が「すずなり」になっている「図」って、なんだかなぁ。
{ほほえましい}

緑の壁面

0308_z2kabe 2012.3.8
前に、この建物の建築中に、壁面を緑にするようだ、という写真を載せたことがあります。
その緑がずいぶんしっかりしました。
今年はきっと茂るでしょうね。
どんな風になるか、また見に来ようと思います。

レッドロビン

0308_2redrobin 2012.3.8
レッドロビンの新芽です。

坂を下った六郷用水跡には大田区の表示で「ベニカナメモチ」が植えられていまして。
どうちがうのか、混乱していましたが、解説を見つけました。
http://had0.big.ous.ac.jp/plantsdic/angiospermae/dicotyledoneae/choripetalae/rosaceae/kanamemochi/redrobin.htm

レッドロビン Photinia ×fraseri (バラ科 カナメモチ属)
 40年ほど前であろうか、カナメモチの新芽があざやかなベニカナメモチの植栽が生け垣として流行したことがある。しかし、発根性があまり良くないので移植後の活着率が低く、病気が広がったこともあって、次第にすたれていった。近年、新芽が野生のものよりも鮮紅色であり、発根性の良い品種「レッドロビン」が開発され、再び生け垣や路側帯などに植栽される例が多くなった。レッドロビンはカナメモチとオオカナメモチの交配によって育成された品種である。したがってベニカナメモチよりも葉が大きく、枝打ちが荒い傾向があるが、このレッドロビンも乾燥に強く、長期の干ばつにおいてもほとんど枯れることがない。水やりなどの管理が困難な場所における緑化には適していよう。
 レッドロビンの花は見かけるものの、果実が生った状態をみたことがない。交雑により作出された品種なので、不稔なのであろう。花の拡大をみると、葯が白いので花粉が成熟していないようである。このような稔性のない園芸品種は周囲の森林に逃げ出すことがないので、植栽樹種として好ましい基本要件を備えている。

最近よく見かけるのは基本的にはレッドロビンなんですね。
するってぇと、六郷用水のもレッドロビンなんじゃないか?
わかりません。

モクレン&ハクモクレン

0308_1mokuren1 2012.3.8
桜坂の途中。
これが多分モクレン。
0308_3mokuren2
こっちがハクモクレン。
記憶が間違っていなければ、なのですが・・・。
違うかもしれない。
ま、そのうちいずれ分かります。
ずいぶん膨らんできましたよ。

2012年3月16日 (金)

桜桃

0312_4outou 2012.3.12
もうすぐだよ、と言ってます。

0315_2outou 2012.3.15
時至れり。咲き始めました。

去年より約1カ月遅れでしょうか。
一つ咲けばあとはぐんぐん開くでしょう。
つぼみはいっぱいあります。
自宅で桜桃の花を楽しめるというのはなんとも楽しいことです。
品種名は「暖地」。やがておいしいサクランボも食べさせてくれます。
ありがとう。

高砂公園の梅

0315_1ume12 2012.3.15
桜坂から一方通行へ入って、ちょこちょこ、っと走ると高砂公園、通称「どんぐり山」。
梅がいっぱいですが、梅の里ほどのボリューム感はない。
枝垂れ梅がきれいに撮れましたのでお目にかけます。
高いところに生えた梅の木で、それを下からあおるように撮れました。
見事なものです。
0315_1ume13
さて、そろそろ帰ろうか、という時に妻が、あれ?この梅、変だ、と見に行きました。
なにさ。一本の木に紅白の花が咲いてるわ。
ナルホド。紅白の花がいっぺんに写るように、アングル狙い。
いかがでしょう。
源平咲き、というのですか。こういうの。
ピンクの花がもう少し色濃いと対照がくっきりするのですが、でも、面白いですね。
枝ごとに遺伝子構成が変わってもいいんだ。植物という生き方の面白さですね。

いやぁ、いい日でした。
たっぷり梅を楽しんでしまいました。

桜坂

0315_1ume11 2012.3.15
梅の里を後にして、桜坂上。
心なしかうっすらピンクっぽくなってきたかなぁ。

「有名な」桜坂の桜をご覧になりたければ、それでいいのですが、新しい世代への交代を準備していないのがさびしい。桜の本数もそれほど多くはない。

もし、多摩川線沿線で桜でも見ようかという方には、多摩川台公園(多摩川)とか、ガス橋土手(下丸子)がお勧めですね。
ガス橋土手の桜の解説を見つけたのですが、それによりますと

サンフランシスコ講和条約締結を記念して植えられたソメイヨシノ「講和桜」と、新たに植えられた「二十一世紀桜」が土手を彩る。遊歩道の隣りにはサイクリングロードも。

桜の世代交代も準備しているのかな。
土手の上の面にサイクリングロードがありまして、土手の中ほどの高さのところの遊歩道を歩くとまるで花のトンネルの中を生きような気分になれます。
桜の本数も多いし、お勧めです。
その季節にはどうぞ。

梅の里:5

0315_1ume9 2012.3.15
枝垂れ梅もありました。
枝が立つのが普通の梅の姿ですが、これは枝垂れている。
どうがんばっても、全体像を写せない位置だったので、これ一枚にとどめます。
0315_1ume10
一瞬メジロかと思いましたが、違いました。色も大きさも。
後ろ姿しか見られなかったのですが、ヒヨドリかなぁ、と思います。

いやぁ、気持ちよかった。
狭い範囲をふらりふらりとしていただけですが、それでも小一時間過ごしましたかね。
同じように梅見に来ておられた方と、御挨拶をしたり短い会話を楽しんだり。
赤ちゃんを抱いたおじいちゃんとおばあちゃんと赤ちゃんのお母さんが、花を背景に写真を撮っておられたので、「梅の花みたいな赤ちゃんですね」などと声をかけたり。
私たち夫婦は社会的な役割として「おじいちゃん・おばあちゃん」を果たすことに抵抗感なし。
にこにこ老夫婦と思っていただければ最高ですね。

梅の里:4

0315_1ume8 2012.3.15
アップロードできるファイルサイズの制限がありますので、これ一枚。
ぜひ、かならず、拡大して下さい。
ゼッタイ、わぁお、と呟くことになります。

どうぞ。

梅の里:3

0315_1ume5 2012.3.15
足元を見ると、わずかに花びらが落ちていました。
少し散り始めているけれど、つぼみもまだまだいっぱい。
この日あたりが、最盛期、と言えると思います。
土曜に雨が降ると、少し散るでしょう。
0315_1ume6
淡い色が何とも言えません。
0315_1ume7
すごいでしょ。
最近、以前使っていたディマージュZ3を復活させました。
解像力では一眼レフに劣りますが、ズーム性能が高いし、コンパクトデジカメに比べると描写力も十分。使わない手はないですよね。
広角が必要な時にすごく便利。
上の紅の梅。広角での撮影です。

梅の里:2

0315_1ume3 2012.3.15
紅白を重ねて撮影。
0315_1ume4
もう一色ありましたね。青空。
いい天気でした。
気分は最高。

梅の里:1

0315_1ume1 2012.3.15
梅の里へ行ってきました。
週末は天気が悪くなりそうですし、この日はちょうど妻の仕事に空きができたので、二人で行ってみました。
ご覧のように、視界いっぱい
昔はこの辺り一帯梅の里だったのでしょう。
今は個人宅に囲い込まれていますが、それでも、生け垣ですし、車のほとんど走らない平日の昼は散策に最適。
ウメの甘い香りがあたりにただよっていて、空気がすがすがしい。
いい気分ですよぉ。
0315_1ume2
三色ですね、白、ピンク、紅。
呆然とする美しさ。

2012年3月15日 (木)

タンクローリー

0307_4tank 2012.3.7
前をタンクローリーが走っていまして、かなり長く一緒。
何度も、信号停止で、タンクローリーの後ろに止まりました。
停止中に、ひょいとカメラを出して、一枚だけ撮影。

空で走っていますね。この状態は。
容量を全部足すと「26kL = 26000L」
最大積載量が「20800kg」

20800kg/26000L = 0.8 kg/L
1kg=1000gで、1L=1000cm^3 ですから、kg/L=g/cm^3 なのです。
ですから、密度は0.8g/cm^3 ですね。比重は0.8でいい。

普通のガソリンの比重は0.75程度。
軽油は0.85程度。
灯油は0.8程度。

タンクの中がいくつかの部屋に仕切られているわけですが、ガソリンと軽油を積んで、全体として比重0.8くらいになるように、作ってあるのでしょう。
あってますね。

タンクローリーの後ろの、表示って結構面白いですよ。
体積と重量が書かれていますので、メモしておくのも楽しい。
いろんなものを運んでいます。小麦粉、砂糖、液体酸素、灰(フライアッシュ)・・・
それぞれ、比重など計算してみると、なるほどなぁ、となります。

桜桃

0307_1outou 2012.3.7
我が家の桜桃のつぼみは日々膨らんできています。
去年はもう咲いていた筈。
今年は寒かったですからね。

低温に一定期間さらされることがまず第一。
その後、「積算温度」が、ある値に達すると開花が始まる。
ソメイヨシノの場合ですが、桜桃でも似たようなものでしょう。

日々「あたたかさ」を積み立てているんですね、きっと。
そろそろいくかぁ、と呟いてますよ、ゼッタイ。

ハエ

0306_15hae 2012.3.6
ハエがなんだか夢中になって葉を舐めています。
よく見ると、アブラムシもいる。
アリは、アブラムシの出す糖分のある排泄物をなめるのですが、ハエは直接にはアブラムシとは接触していません。
0306_15hae2
アブラムシの活動とは関係なく、この葉の表面がおいしいのか。
それとも、アブラムシが葉に微細な傷をつけたためにおいしい液体がにじんでいるのか。
そのあたりはよく分かりません。
それにしてもまぁ、本当に夢中です。
カメラが近づいても無視。
貴重な栄養源にありつけたのでしょう。
よかったね。

カエデ

0306_14kaede1 2012.3.6
枝の先端の芽に意識がいっていましたが。
気づいてみると、あらら。
太い枝というか細い幹というか、から、小枝が出てきました。(ぴょ、という感じでしょうか。)
なんというかわいらしさ、一人前だなぁ。
0306_14kaede2
ほら。伸びてきたゾ。
0306_14kaede3
いっぱいあるんだぁ。
もう動きだしていたんだね。

うれしくなりますね。
もうすぐ芽が開き始めますね。
待ち遠しい。

ツバキ

0306_13tubaki 2012.3.6
きれいな八重のツバキ。
密蔵院です。
ここへきて、ツバキの花の咲き方に少しずつ「勢い」がつき始めましたね。
つぼみが膨らんで咲いては落ちる、というペースが上がって来た。
つぼみの開きかけのままで長く時間がかかって、咲く前に傷んでしまうという出来事が減ってきました。
0307_3tubaki 3.7
これは我が家のツバキ。
花弁の縁に傷みがないですね。
花粉を落としたのは誰だ?鳥かな?
そして足元に、ツバキ特有のコロンとした落花を見るようになってきました。
もう少しすると多分、わぁっと迫ってくるようになります。
楽しみです。

フチベニベンケイ

0306_12hutibenibenkei 2012.3.6
前に一つだけ咲いたところをお目にかけました。
満開になりました。
好きな花ですが、我が家では毎年は咲いてくれない。むずかしいや。

ところで、フチベニベンケイはベンケイソウ科 = Crassulaceae

Crassulacean Acid Metabolism = ベンケイソウ型有機酸合成
頭文字をとると
CAM

高校時代に生物が好きだった方は記憶があるのではないでしょうか。
「CAM型光合成」という話。

ここでは詳しい話はしません、ウィキペディアなどお読みください。
http://ja.wikipedia.org/wiki/CAM%E5%9E%8B%E5%85%89%E5%90%88%E6%88%90

教科書に載っている特別な植物の話で、身近な話ではない、と思っていませんか?
ベンケイソウ科の植物を見たら、思い出して下さい。

小さな梅の木

0306_11ume 2012.3.6
駅から多摩堤通りへ出てきたところにある、小さな梅の木です。
やっと花が開き始めました。
六郷用水のところの梅の木に比べて、小さいし、つぼみの数も少ない。
妻とは「この木なりの満開」になってきたよ、という表現で通用します。
その他にも、あそこの木の左の枝ぶりが絶妙、とかいう表現もあったりして。
あちこちの花情報を二人でやり取りしています。

2012年3月14日 (水)

タネツケバナ

0306_5tanetukebana 2012.3.6
花はよく見ますが、つぼみ状態を意識することは少ない。
向こう側に見える棒のようなものが実でしょう。
つぼみ、花、実と揃ったところが撮れました。
本格的にあちこちで咲き始めています。

コケ

0306_4koke1 2012.3.6
雨上がりはコケも水を吸ってふっくら、緑色。
0306_4koke2
しぶといですよね。
乾燥して固まっていたのが、水を吸うときれいな緑色に膨らみます。

水を吸って膨らんだコケのひと塊りを顕微鏡で見るとクマムシがいることがある、と聞いていますが、まだやったことがありません。
いかがですか。

アジサイ

0306_3ajisai1 2012.3.6
ぽつんぽつんだったアジサイの芽も、いっぱい、になってきました。
かぶりものを脱ごうとしています。
0306_3ajisai2
雨に濡れたアジサイの葉。
梅雨の季節にはない、緑の輝き。
春の湿っぽさを感じさせます。

きれいな「がれき」

★NHKのニュースなんですが。

埼玉県 岩手県のがれきを調査(3月12日 22時3分)
 東日本大震災で発生したがれきの受け入れを検討している埼玉県の担当者が、12日、岩手県野田村を訪れ、がれき周辺の放射線量の調査を行いました。
 埼玉県は、久慈市などのがれきを受け入れ、県内3か所でセメントの原料などにすることを検討しています。
 12日は、埼玉県や、受け入れるセメント工場のある市や町の担当者など合わせて8人が、野田村のがれきの仮置き場を訪れました。
 まず、県の担当者ががれきの周辺の放射線量を測ったところ、1時間当たり0.04マイクロシーベルトと、国の基準の0.23マイクロシーベルトを大きく下回っていました。
 埼玉県によりますと、この値は埼玉県内の放射線量の平均値に比べ半分以下だということで、測定が終わったおよそ4トンのがれきはトラックの荷台に積み込まれました。
このがれきは、13日以降、山田町で細かく砕いたうえで、さらに詳しく測定することになっています。
 埼玉県は、測定結果をホームページに公開したり、説明会を開いたりして住民の理解を得たうえで、ことし5月ごろからがれきの受け入れを始め、来年度と再来年度の2年間で、合わせて5万トンのがれきを受け入れることを検討しています。
 埼玉県産業廃棄物指導課の半田順春課長は「安全だということを実感していただくことで、住民の理解を得たい」と話していました。

不謹慎にも、私は笑ってしまった。
がれきの方が県内の平均値よりきれいなんだもんなぁ。

行政は必ず何か隠している、安全だと言う人は信じられない、危険だと言う人の話は信じられる。

と、聞く耳持たずに、最初から情緒的に拒否している人を説得するのは難しいことですね。

原発事故による放射性物質で汚染されたがれきを引き受けろなんて言ってないはずですよね。

津波で発生したがれきを処理したいのですよね。

冷静に。落ち着いて。
一緒に生きるために。

お水取り

★普段のくだけたかかしに戻りまして。
「東大寺のお水取り」がありましたね。12日の夜。

 奈良・東大寺二月堂の修二会(しゅにえ=お水取り)で12日夜、本行中に毎夜ともされる松明(たいまつ)の中で最も大きな籠(かご)松明が登場した。それぞれ長さ約8メートル、重さ約70キロある11本が次々にお堂の舞台から火の粉を散らすたび、約2万5千人の参拝者からどよめきが起きた。
 未明まで続く法要のため堂内に向かう練行衆(れんぎょうしゅう=こもりの僧)を、付き人の童子(どうじ)が先導する「道明かり」。別名の元となった「お水取り」の作法が13日未明に控えるこの日は、通常の松明(長さ6~7メートル、重さ約40キロ)より大きなものを用いる。修二会の法要は14日まで。東日本大震災の犠牲者を悼む祈りが毎夜捧げられ、11日には被災地復興を祈る諷誦文(ふじゅもん=祈願文)が読まれた。

本質的じゃない所にひっかかってしまって。
あんな大きな松明に火をつけて木造建築の中を走り回って、よく火事にならないものだ、と。
歴史的には1回火事になったことはあるらしいですが、でも、よく大丈夫なものですね。

同じことですが、護摩壇というのも、不思議で。
木造建築のお堂の中で、大きく立ち上がる炎、なんで火事にならないんだ?

囲炉裏の火とは違いますからね。
炎が大きく立ち上がります。

ナゾだ。

不条理を乗り越えていく力

★2012年3月11日の朝日新聞の記事からの引用です。

(生きる 東日本大震災1年:8)
巣立つ、約束の場所から 響いた20人の卒業の歌
 そこは約束の場所だった。思い出したくはないけれど、決して避けては通れない場所。
 宮城県南三陸町の戸倉中学は10日、津波で壊滅した旧校舎で卒業式を開いた。電気も水道も止まっている。学校側は反対したが、生徒たちは譲らなかった。毎年、この場所から先輩たちは巣立つ。それが伝統なら、僕たちも。
 あの日と同じように雪が降っている。卒業生20人は、浸水を免れた校舎の2階でアンジェラ・アキさんの「手紙」を歌った。この場所でこの歌を。それが15歳たち20人の約束だった。
 〈今 負けそうで 泣きそうで 消えてしまいそうな僕は〉

 あの日、校舎はマラカスのように揺さぶられた。校庭に避難していると、大声が聞こえた。
 「津波だ。山へ登れ」
 一斉に裏山へと駆けだした瞬間、校庭が黒い水に覆われた。教師3人が波間に消え、5、6人の生徒も流されていく。養護教諭は1人でも助けようと濁流の中を胸まで進んだ。でも、手が届かない。「誰かーっ」
 裏山には、男性教員が2人しかいなかった。当時2年生の小野寺さんと佐藤さんは「俺たちがやるしかない」と決意した。着ていた運動着をつなぎあわせてロープにし、流されていく生徒を引きずりあげる。
 山の中腹には男性が数人、心肺停止で横たわっていた。三浦さんは勇気を振り絞った。口移しに息を吹き込み、手のひらで胸を押す。10分経っても鼓動が戻らない。教師に「もうダメだ」と制された。
 いやだ。目の前で人が死ぬ。手の中で命が消える。「悔しいとか悲しいとか、そういうのを感じないほど心がなんかぼろぼろで」
 夜、避難場所に低体温症の男性が運び込まれると、須藤さんと佐藤さんは服を脱いで半袖短パンになり、抱きついた。人間カイロだ。やってやる。
 数時間後、男性の意識が徐々に戻り始めたとき、須藤さんは誰かに感謝したくなった。「ありがとうございます。生きていてくれて、本当にありがとう」
 翌日、学校に戻ると、十数人の遺体が横たわっていた。住民たちに加え、教師と1年生の男子生徒の2人が犠牲となった。

 

生きよう。教師たちは、生徒にそう言い聞かせて、がれきの山を越えて内陸の宮城県登米市に向かった
 ・・・
 「自分の力で考えるんだ」。教務主任は何度も言った。「お前たちは三陸の海の子なんだ」
 避難所で中学生はいやでも、大人としての役割を割り振られる。教師たちは信じた。勉強の時間は削られる。でも人として成長するチャンスでもあるのだと。
 卒業式の直前、教頭は生徒の作文を読んで驚いた。「津波が起きて『良かった』と思えるようになりたい」とある女子生徒は書いていた。大切な人や家も失い、悲しくて、苦しくて、今はどうにもならないけれど、それをいつか「良かった」と思えるぐらい、自分は大きくなりたい。
 教頭は、「大丈夫だ」と自分に言い聞かせた。この不条理を乗り越えていく力を、たぶんもう、この子たちは持っている。
 卒業式の答辞で、代表の小野寺さんは言った。「今日という日は、もっと生きたかった人の今日でもある。亡くなった先生や後輩の分まで僕らは生きたい」
 午後2時46分過ぎで止まった壁時計の下で20人は胸を張った。そして泣いた。

★引用文中「津波が起きて『良かった』と思えるようになりたい」この言葉の意味がストレートに理解できたでしょうか。
善悪のことではありません。
人がたくさん死んだ、目の前で死んだ、なのになぜ「良かった」なのか、と戸惑いませんか?

★災害に遭う、大事故に遭う、大病をして命の限界を見てしまう、我が子が障害者になる・・・そういう非日常の出来ごとに遭遇した時に、人が示す反応は五段階の変化をする、といいます。

①ショックを受け混乱する。
 何が起こったのだろう。目の前にあるのは何だ?

②事実を否認し、受け入れようとしない。
 なぜ自分だけが。ウソだろ。

③悲しみや怒りや不安にとらわれる。
 怒りは初め他者へ向き:~~のせいだ。~~でなかったら。・・・
 次いで自己へ向かい直す:私のせいだ。私があの時~~だったら。あの人ではなく何故私が生き残ったのか。・・・

④事実を受け入れ始めて。

⑤再建・再起へと向かう。
 大いなる受容に達する。

★私が「大いなる受容」と書いたのは、自己肯定に達するという意味です。
大惨事があった、悲しい、そんなことなかった方がよかったに決まっている。
でも、私はそれを受け入れ、それを含めて私の人生だと言ってしまおう
という決意、意志の発動、に至ることです。

★障害者自身の精神的な成長、障害者の親となった人の成長も、ある意味こういう過程を経ます。
それは私自身にも経験のあるところ。
高校時代に、宗教や哲学をいろいろ経回り(へめぐり)ましたっけ。
原始仏教とニーチェに衝撃を受けました。
人生に対して「ヤア」をいってしまおう。
これが人生だったのか、ならばもう一度。

ポリオに罹患して障害者になったこと、それを含めて私の人生なのです。
もし、ポリオにかからなかったら、などという if を拒否します
障害者になった「のに」、障害を「乗り越えて」ではなく
障害者「だからこそ」、障害なあるから「こそ」、障害と「伴に」なのです。
障害者になったお陰でいろいろ人間の心のひだひだが深く分かるようになりました。
障害のおかげです。

障害者になって「良かった」
今の私は障害に感謝している。

ほらね、「良かった」にたどりついたでしょ。

★引用した記事の下の部分

 卒業式の直前、教頭は生徒の作文を読んで驚いた。「津波が起きて『良かった』と思えるようになりたい」とある女子生徒は書いていた。大切な人や家も失い、悲しくて、苦しくて、今はどうにもならないけれど、それをいつか「良かった」と思えるぐらい、自分は大きくなりたい。
 教頭は、「大丈夫だ」と自分に言い聞かせた。この不条理を乗り越えていく力を、たぶんもう、この子たちは持っている。

その「ある女子生徒」には、おそらく「大いなる受容の地平」が見えている、あるいは予感されている。

地震・津波という大変な災害に遭ってしまったけれど、それも含めて「これが私の人生」といえるようになりたい。なろう

と言っているのだと思うのです。

「大丈夫だ」。この不条理を乗り越えていく力を、たぶんもう、この子たちは持っている。

その通りです。私もそう思います。

2012年3月13日 (火)

カワラバト

0303_11hato1 2012.3.3
カワラバトでいいんですよね、両方とも。
0303_11hato2
餌が少ないのでしょう、石の間や枯れ草の間など、丹念に突っついています。
0303_11hato3
たまに人慣れしたのがいて、何かもらえるかと近づいてくるのもいます。
この写真の2羽は、私を避けていました。
自力で生活しているようです。

ハエ目

0303_10haemoku 2012.3.3
なんということでしょう。ハエ目としか言えないなんて、情けなっ。
これなんだ?なのです。
この脚の長さはガガンボみたいですけど。
頭がなんだかなぁ。納得いかない。
ケバエの仲間はまた違うしなぁ。

これなんですか?

ゼニアオイ

0303_8zeniaoi1 2012.3.3
ゼニアオイにつぼみがついたようです。
0303_8zeniaoi2
わずかに開いたおちょぼ口。
中の花弁がほんの少し見えます。
0303_8zeniaoi3
草丈はまだ低いのです。
30cmあるかなしか。

2年くらい生きて、花を咲かせて枯れるのでしょう。
今年は種から始めて、成長中。
この個体がこれから2年位を楽しませてくれるのではないでしょうか。
ゼニアオイの花にはハチやアブもいっぱい訪れます。
今から楽しみにしています。

ヒキガエル産卵

0311kaeru1 2012.3.11
3月11日(日)です。
池を見たら卵がありました。
10日から11日にかけての夜中に産卵したのでしょう。
いっぱいあります。
去年は2月27日に産卵したようですので、2週間近く遅いようです。寒かったのでしょうね。

0311kaeru2
ほら、こんなにいっぱいの卵、一匹の雌が産んだのでしょうか?
メスも複数来ていたのでしょうか。
0311kaeru3
すごいですね。
今まさにここで、生命の発生過程が開始し進行しています。
受精卵が卵割から始めて個体へと。
私は受精の時点から、その個体が始まったと考えます。ヒトをも含めて。


 またやって来たからといって
 春を恨んだりはしない
 例年のように自分の義務を
 果たしているからといって
 春を責めたりはしない

春が来るという季節の変化自体は、地球の自転軸の傾きと、地球の公転が生み出す、むき出しの自然の現象です。空気の非常に希薄な火星にだって、同じように季節はあるのです。今の時点で生命がいるかどうかは分かりませんが、それとはかかわりなく、火星でも季節は巡っている。いわんや地球に於いておや。

しかし、それを自分たちの繁殖に利用するのは生物的自然です。

人間的には震災の傷の癒えないまま迎える春ですが
地球はここに春をもたらし
カエルは春を受けて生殖をおこなう

人間も、春を受け入れましょう。
少しずつでいいです。心を立て直していきましょう。

★傷を負った心の立て直しについてはまた、書きたいことがあります。
なかなか書き切れません。

ヒキガエル

0308_5hiki 2012.3.8
3月8日の写真ですが、この何日か前から、夜になるとカエルの声がするようになりました。
そっと覗くと姿が見えるのですが、なかなか写真は撮れませんでした。
昼間、池を覗くと、水面が揺れたり、泡がプクプクでたりして、隠れたなということが分かります。
なんとかシャッターチャンスを狙っていましたが、この日、やっと撮影出来ました。
0308_z1hiki1
我が家で卵からオタマジャクシ、小さなカエルへと成長していったのが、大人になって「ふるさと」へ産卵にやって来たのですね。この小さな池に帰って来た。
うれしいなぁ。
多分オスが先にやってきて、鳴き交わしながらメスの来るのを待っているのだと思います。
0308_z1hiki2
これが雌雄かどうかはわかりません。
かなりいい加減な連中ですので、オスがオスに飛びついてしまうこともあるようですし。
5匹くらいが集まっているようです。

春を恨んだりはしない

★池澤夏樹さんの著書「春を恨んだりはしない 震災をめぐって考えたこと」中央公論社、2011.9.11刊

この本は、非常に多くの示唆を含んだ「名著」です。
私は小説を読まない人ですので、池澤さんの他の著作は読んだことがありません。
朝日新聞のコラムを読んで、あ、この人の言葉は信頼できる、と感じて、以来気にするようになった人です。上記の本の出版を知ってすぐに購入して読みました。

引用します。

 ぼくは自然というものについて長らく考えてきて、自然は人間に対して無関心だ、ということが自然論のセントラル・ドグマだと思うようになった。
 自然にはいかなる意思もない。自然が今日は雪を降らそうかと思うから雪になるわけではない。大気に関わるいくつもの条件が重なった時に、雲の中で雪が生まれて地表に達する。それを人間は降る雪として受け取り、勝手に喜んだり嘆いたりする。その感情に自然は一切関与しない。無関心は冷酷よりもっと冷たい。感情の絶対零度。
 ・・・
 津波があと一メートル下で止まってくれていたら、あと二十秒遅かったら、と願った人が東北には何万人もいる。何万人もの思いは自然に対しては何の効果も影響力もなく、津波は来た。それが自然の無関心というものだ。
 ・・・
 震災以来ずっと頭の中で響いている詩がある。ヴィスワヴァ・シンボルスカの「眺めとの別れ」。
 その最初のところはこんな風だ――

 またやって来たからといって
 春を恨んだりはしない
 例年のように自分の義務を
 果たしているからといって
 春を責めたりはしない

 わかっている わたしがいくら悲しくても
 そのせいで緑の萌えるのが止まったりはしないと
 ………………
              (沼野充義訳『終わりとはじまり』)

 これは彼女が夫を亡くした後で書かれた作品だという。
 この春、日本ではみんながいくら悲しんでも緑は萌え桜は咲いた。我々は春を恨みはしなかったけれども、何か大事なものの欠けた空疎な春だった。桜を見る視線がどこかうつろだった。
 ・・・
 結局のところ、我々は自然の無関心という科学的真実に耐えられないのだ。そのままではあまりに硬くて痛いから間に少しでも柔らかいものを介在させようとする。自然に意思を措定する。
 ・・・
 山浦さんの、なんで俺がこんな目にと愚痴を言わない気仙人はあっぱれである、という証言の背後にあるのは、すっくと立って生きる自立した精神である。配布されたものを受け取る強靭な心である。
 ・・・

 自然には現在しかない。事象は今という瞬間にしか属さない。だから結果に対して無関心なのだ。人間はすべての過去を言葉の形で心の内に持ったまま生きる。記憶を保ってゆくのも想像力の働きではないか。過去の自分との会話ではないか。

自然は人間に対して無関心だ」という事実を受け入れてほしいのです。
私は以前から「自然はやさしい」というような言葉には強く反発していて、「自然」にはいくつかのレベルがあるのだ、と考え、書いてきました。

●むき出しの無機的・無生物的自然。
これは、地球とか太陽とか、生命とは無関係な自然のことです。
地球誕生から46億年。最初ドロドロの液体だった地球は、誕生以来冷却過程にあります。
真空の宇宙の中ですから、なかなか冷めません。
地球中心部には放射性物質があってそれが発熱しています。その熱が中心部から表面へ流れます。
熱の流れは熱伝導だけではなく、マントル対流という物質の流れによっても運ばれています。
マントル対流はプレート運動を引き起こし、地震を起こします。
1000年に1回の大地震は人間的スケールでは「歴史」的なものでしょうが、46億年という長さの中で1000年に1回地震を起こしたら、「絶え間なくぷるぷる震えている」というべきでしょう。

その中で、生命は生まれ進化してきました。
地球にとって生命が誕生したかどうかは一切関係がないのです。
でも、生命というものはエネルギーを取り込んで捨てるという流れを自らの内に持つことによってしか存在を続けられません。エネルギーの流れが止まる時が死ぬ時です。
地球・太陽などがエネルギーの流れを作っている「時間」にしか、生命は存在し得ません。
太陽が衰え、地球が冷え切る時、生命は存在不能になります。

 このむき出しの自然は生命に優しいなどということは一切ないのです。
 このレベルの「自然」が池澤さんのいう自然です。

●生物的自然。
進化の過程で、単細胞の生物から、植物、動物と多種多様な生物が進化してきました。
それらの全体的な「系=システム」が生態系です。
これを、生物的自然、と呼びましょう。
では生物的自然は人間に優しいか?
全然。
毒もあり、危険もあり、やさしくなんて全然ありません。

●牧場的自然
人間はやがて、牧畜や農耕を知り、自分にとって必要かつ安全な者だけを囲い込みました。
それが牧場的自然です。
そこには人間が存在を許したものしかいません。
ですから、人間に優しいのですね。
このレベルの自然を、むき出しの自然と錯覚したら、死にます。
ほぼむき出し状態の自然に向かう冒険家がいらっしゃいますが、かならず、安全で生命維持ができる小さな環境を作って、それを持って冒険に行くのですね。
むき出しの自然に対決できるほど人間は強くはない。

★私たちは、震災で、むき出しの自然に向かい合ってしまった。
地球にとっては絶え間なくふるえているうちの一回に過ぎませんが、人間にとっては歴史的な災害でした。
私たちは人間です。むき出しの自然と対面することは耐えがたいことです。

でも、人間だから。
人間だから、想像力がある。
「人間はすべての過去を言葉の形で心の内に持ったまま生きる。記憶を保ってゆくのも想像力の働きではないか。過去の自分との会話ではないか。」

写真が見つかった、位牌が見つかった、と「もの」に頼りすぎないほうがいい。
ものは必ず潰え去るものです。
生きている限り潰えないのは自分の記憶であり、想像力です。
全ての思い出は私の中にある。
そして、他者とのつながりは想像力によって生み出される。

精神は体の外には出られませんが、想像力は人をつなぎます。
「私はあなたではないのだからあなたのことは分からない」と言ってはいけないし、「あなたは私ではないのだから私のことは分からない」と拒絶してもいけない。

想像力が人間をつなぎます。

人間関係を平らにします。
戦争をなくし得るとしたら、やはり想像力によるしかないでしょう。
差を言い立てるのではなく、人間としての同質性に想像力を及ぼすしかないでしょう。

★そんなことを思うんですよ。
 まだ、考え続けています。

2012年3月12日 (月)

ハエ2種

0303_5hae1 2012.3.3
陽射しがあると虫が(ハエが)姿を見せます。
0303_5hae2
こちらはヒメフンバエかな、とも思いますが、あまり種の同定は追求しません。
姿を見せてくれるだけで嬉しい。

もう一息頑張ると、春になるよ。
繁殖の時期も遠くはない。

ジンチョウゲ

0303_4jintyouge 2012.3.3
なかなか進みませんねぇ。
もうちょっとなんですが。
日当たりも良くって、いい場所なんだけどなぁ。

カメ

0303_3hakubai4 2012.3.3
白梅とともに水車を一緒に写そうとしたものです。
あんまりうまい具合には写っていませんので、最初は使う気はなかったのですが。

水車の左の辺りを見てくださいな。
切り出すと
0303_3hakubai5
なにやってんでしょうねぇ。
腹でのっかって、後ろ脚を伸ばしています。
どうやってこういう状態になったのでしょう?
カメにとってこの状態は意図的なのでしょうか?
それとも、なんだか分からないけどこうなっちゃって、宙ぶらりんでいるのでしょうか?
焦ってるかなぁ。
甲羅干しに出てきて、こうなりました。

カメはミシシッピアカミミガメだと思います。

白梅

0303_3hakubai1 2012.3.3
六郷用水。
水車の上。
ほぼ満開です。
0303_3hakubai2
水路の上に枝が垂れかかった姿が佳いですね。
0303_3hakubai3
お楽しみください。


ハボタン

0303_2habotan1 2012.3.3
わっ、ハボタンが長けてきている。
0303_2habotan2
パンジーなども一緒に。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%9C%E3%82%BF%E3%83%B3
ウィキペディアによりますと

多年草として育てれば樹木のような枝を出し、それぞれの枝の先端にハボタンがついた姿(踊りハボタン)となる。
・・・
春に開花した株を花茎と共に数枚の葉を付けて切り取ることで踊りハボタンとして育てることが出来る。花茎を切り取った後一回り大きな鉢に植え替えて育てると、樹木のように枝が伸びて秋には踊りハボタンとなる。

だそうですが。
ここのハボタンは、これからどういう風に育てていくのか、楽しみですね。
枝を出した姿、というのも見てみたいものですね。

河津桜

★3月9日の朝日新聞の記事です。

河津桜がようやく満開 例年より3週間遅く 静岡
 寒さのせいで開花が遅れていた静岡県河津町の河津桜が満開を迎え、河津川沿いが濃いピンク色に染まった。例年より3週間遅い。9日はあいにくの雨で、午前10時で気温9度と肌寒かったが、観光客は「春の訪れ」を楽しんでいた。
 河津桜は早咲きで知られ、10日までの予定だった桜まつりを18日まで延長。観光客は昨年まで13年連続で100万人を超えているが、今年は8日現在、昨年の約6割となる約63万人。町観光協会の島崎博子事務局長は「これほど遅れたのは初めて。少しでも長く咲き続けて欲しい」と話している。

本家、静岡県河津町の河津桜が満開だそうで。よかった、よかった。

★東京大田区の南端ではどんな具合か。
0303_1kawadu1 2012.3.3
つぼみはまだ硬い。

0308_4kawadu1 3.8
わぁ。ですねえ。色づいてきて、もう開きそう。
0308_4kawadu2
つぼみがいっぱい。
0308_4kawadu3
よく見たら、2輪ほど咲いていました。
手前のと向こうにぼやけた形で写し込んだのと。
開き切っていないですけれど。

気温の低い日はこれからもありますが、お日さまのパワーが違ってきた。
空気が違う。
春が進み始めました。

3月11日

私がこの日について何かを書くことができるのか、いろいろ考えました。まだ考え途中です。

★3/11、テレビは一日中震災関連をやっていたようでしたが、基本的に何も見ませんでした。
夜のNHKのニュース、7時~8時を見ました。
それだけ。

★儀式は嫌いだ。というのがあります。
儀式って「気持ちいい」ですよね。
「粛然」とか「整然」とか。
それが嫌なんです。
心を揺さぶられそうな時は、そっぽを向くことにしているんです。
学校というところも儀式の多いところで、なるべく遠ざかっていました。
不謹慎かもしれませんが、私は儀式が嫌いです。

★みんなが同じ方向を向くときには、そっぽを向いてしまおう、というのが私の意志です。
何度かそういうことを経験してきました。
いや、障害者という存在自体が健常者主体の社会においてそっぽを向いている、ということでもあります。
それでいい。
みんなが同じ方向を向くのは「危険」です。
雑多に、それぞれ勝手に、いろんな方向を向いているのが「健全」です。

★朝日新聞の記事から
映画「311」の森達也監督の言葉。2012年3月11日10時32分

後ろめたい、でも逃げずに言う
 ・・・
 「我々はなぜ被災地に行くのか。そこに被害があるからです」と森監督。「人の不幸を撮ろうとしているんです。何て卑しい仕事なんだ、と
 福島県で放射線量の数値が上がるたびに、4人がはしゃぐ場面も映し出される。
 「怖くて仕方ないからハイになっていたんです。当然不謹慎だと言われるだろうが、カットしなかった。鉢呂経産相の辞任や東海テレビの誤テロップ騒動など、被害者への配慮との理屈で自由にモノが言えなくなっている。そんな風潮にあらがいたかった
 多数の死者が出た宮城県石巻市では、遺体を撮影した安岡監督が遺族の男性から角材を投げつけられる。
 森監督は言う。「怒るのは当たり前。まず『ごめんなさい』と謝ります。『でも、撮ります』と。その矛盾を引き受ける必要がある。後ろめたいですよ。でもそこを紛らわせば、頑張ろう日本とか、そっちに行っちゃう。否定はしないが、一色になりすぎる
 ・・・

こういう方がいるということは、社会の健全性の証になります。
これが全く許されない社会になったら怖いと思います。

みんなちがって みんないい」のです。
(金子みすゞさんでしたよね、確か。)

★早乙女勝元さんは、朝日の「声」にこういう投稿をなさって、ほぼ同じことを、当日お話しになったようです。

[声]10、11日 命の重み考えよう(3/9)
 作家 早乙女勝元(79)
 「戦争・空襲の実態を風化させることなく次世代に伝えていこう」と、民間募金で作られた東京大空襲・戦災資料センター(東京都江東区)が今日9日、開館10年を迎える。
 来館者はすでに10万人を超えた。1945年3月10日の東京大空襲の戦災死者とほぼ同数の人に、大空襲惨禍を継承してきたことになる。
 しかし、昨年3月11日の東日本大震災による影響なのか、修学旅行生らを中心に昨年の来館者半減という非常事態である。徐々に回復しているが、ピンチをどう乗り切って新たな展開につなぐかで、館長役の私は身の細る思いである。
 次世代への平和の種まき事業を減速させるわけにはいかない。東北の春はまだまだ遠く、大空襲後の惨状と重なる。
 3月10、11日は命の重さを考え、心に刻む日とすべきではないか。若い世代はもちろん、総理や都知事の来館も期待したい。

79歳 火の海の記憶:東京大空襲67年 集会・法要(朝日新聞 3/11)
 1945年3月、一夜で約10万人の命が失われたとされる東京大空襲から、10日で67年を迎えた。江東区のカメリアホールでは「東京大空襲を語り継ぐつどい」が開かれ、稲葉さんが体験と思いを語りかけた。
 ・・・
 今回は、東京大空襲・戦災資料センター(江東区)の開館10周年記念も兼ねて企画された。
 民間の募金で開館した同センターの来館者は、この日で10万4997人に。館長を務める作家の早乙女勝元さん(79)は「東京大空襲の死者に匹敵する人数に継承することができた」と話した。「3・11の収束はいつになるか分からず、後始末がついていないが、3・10も同じ。この両日は命の重みを考え、心に刻む日にしたらどうか。総理や都知事の来館を期待したい」
 ・・・

空襲という人間のなしたこと、それによって10万人もの戦災死者が出ました。
東日本大震災という大きなる地球の活動によって、2012年3月10日時点で、1万9009人の死者・行方不明者が出ています。

数の大小を言っているのではありません。

人間って何なんだ?と問いたいのです。
(私に答えはありません。でも、考えてしまいます。)

参考までに原爆の被災者数はというと
即死者数
  広島:約7,0000人
  長崎:約3,5000人
死者数(1945年12月末)
  広島:約14,0000人
  長崎:約 7,4000人

人間のしでかすことって、際限ないですね。
単なる偶然や事故じゃないんです。
意図をもって、これだけの死者を作り出し得る「人間」って、何なのでしょう?
今現在も、地球上には戦争があって、人が死に続けています。
人間の歴史って、戦争の歴史なんですよね。悲しいけれど。

★地震・津波の被害は我ら生命の母体であり土台である地球の活動です。
多くの悲しみを生みましたが、また、裸一貫で地球に挑んでいくことも出来ましょう。

でも、ここに原子力発電所の事故が重なりました。
これが今回の災害をどれほど複雑にしたか。困難なものにしたか。
やはり、人間業が絡む時、事態は混迷するのです。
「人間業」とは「人間のしたこと、しでかしたこと、やっちまったこと、人間の行為」でもあり、「人間の業(ごう)」であるとも考えてください。

★出来ることとやっていいことは違うのに、「原子の火」を手に入れたと思い上がった果てがこれです。
こういう事態に、私は責任がないなどと言いはしません。
この時代をこの社会を生きてきたのですから。

原子炉を運転するという技術そのものは、改良されれば、より完全なものに近づく可能性はあります。
でも、いかんせん、核燃料を含めた、放射性物質の「捨て場」の問題は、世界中どの国も解決できていません。
結局、地球に埋めることしかない。
そして、人類という生物種の寿命を超えるかもしれない「時間」にゆだねるしかない。

情けないですよね。

やめましょうよ。
原子力はヒト程度の知性の生物には扱いかねます。
身の程にあった、生き方をしたい、と思うものです。

★色々なことが頭をよぎっていまして、完結しません。
少しずつ、書き足していくことにします。

2012年3月 9日 (金)

結び目

0302_2musubime 2012.3.2
ガレージと道路の段差をつなぐブロックのところに、ふと気づくと、草の葉の結び目が落ちていました。
多分、保育園のお散歩隊が帰った後に残ったものだと思います。
園児が結んだのではないでしょう。
となると、保育士さんが、園児のお相手をしながら結んで、何か遊んであげたのかな。
葉は、多分ヒガンバナ。

どんな遊びや会話がこの結び目の向こうにあったのか、なんとなく、気になってしまう結び目でした。

ノルマルパラフィン

★2012.2.27の朝日新聞の記事です。

固まる温度、自在 蓄熱材を開発 JX日鉱日石
 好みの温度で固まり、物を冷やしたり、暖めたりできる蓄熱材「エコジュール」を石油元売り大手のJX日鉱日石エネルギーが開発した。冷暖房から衣料品までいろんな用途で売り出す。国内石油市場が縮小するなか、化学品に活路を見いだす取り組みの一つだ。
 原料のノルマルパラフィンという物質は、分子中の炭素原子の数によって固体になる温度が変わる。その性質を使い、用途に応じて固まる温度を変えて売る。
 特に力を入れるのが、ビルや住宅の冷暖房用。ビルの空調用には6度で固まるように設定。冷房に使う冷水をためる水槽に入れて温度を低く保ち、冷凍機の運転を節約する。30~40度の温度で固まる仕様にすると、住宅の壁に塗り込んで直射日光の熱を保温できる。
 保冷材としては、血液や生鮮食料品などの定温輸送、停電時のスーパーの冷蔵ケースの冷温維持に使える。繊維に練り込んで防寒用の衣服にも利用できる。

★「ノルマルパラフィン」なんて名前でビックリしないでください。
炭素が鎖状につながった分子のことです。

炭素が1個ならメタン(都市ガスの主成分です)
炭素が2個ならエタン
炭素が3個ならプロパン(家庭用の燃料ガス)
炭素が4個ならブタン(ガスライターの中でちゃぷちゃぷしている液体の主成分)
 ・・・
ということなんです。
で、鎖に枝分かれないことを「ノーマル(ノルマル)(n-)」と呼んでいるのです。
ですから、n-ブタンは炭素4個が枝分かれなしでつながっている分子。
iso-ブタン(イソブタン)は「イソ」というのは「同じ」という意味ですので、炭素数は同じなのだけれど枝分かれがある、という分子です。

詳しくは私のHPで↓
http://homepage3.nifty.com/kuebiko/biology/chptr_1/1-1-3/orgChem1.htm

★さて、枝分かれがあると話がやたらと面倒になるので、枝別れのない鎖状の分子について話をします。単結合で炭素原子が全部つながっているグループを化学用語ではアルカンというのですが、別に「パラフィン系炭化水素」というのです。
パラフィンと言えばもともとは「蝋」ですね。

炭素数が少ないと、常温で気体ですが、炭素数が増えて分子の鎖が長くなると常温で固体になります。
Mpbp
横軸が炭素数。縦軸が温度です。
常温を25℃くらいとして、炭素数が1~4だと気体、5~16位だと液体、それ以上では固体、ということが分かります。

Mpbp2
同じグラフですが、炭素数を少なくして、温度目盛りが10℃ごとになっています。

★さて、
「ビルや住宅の冷暖房用。ビルの空調用には6度で固まるように設定。冷房に使う冷水をためる水槽に入れて温度を低く保ち、冷凍機の運転を節約する。30~40度の温度で固まる仕様にすると、住宅の壁に塗り込んで直射日光の熱を保温できる。」
これはなんなのか。

水に氷を浮かべて、風を送れば、氷がある限り「0℃の風」がわたってきますよね。
固体が融けて液体になるときは熱を吸収し、逆に液体が固体になるときは熱を放出する。こういう状態変化の時に出入りする熱を利用して、冷暖房の効率を高め、省エネにしようという話なんですね。

氷ではその温度が0℃。ですから、冬の雪を保存しておいて夏場の「冷」源にしようという話は以前からありました。
今回の話は、パラフィンを使って、色々な融点で状態変化するように設定して、熱源・冷源として利用しようということなのです。

詳しいところは別にして、原理が分かって話の筋道がみえてくれば、よくわかります。理科的な話、恐るるに足らず。

★余談
ところで、グラフをお目にかけましたが、あのグラフを見て、素直に納得しましたか?
それとも、何だか変なんじゃない?と思いましたか?
実は、変だなぁ、と思った方(かた)は鋭い。

てんぷらを揚げることを考えます。
油を加熱する。
300℃にも上がってしまうと、なんだか煙のようなものが立ち昇ってきますよね。
下手すると、火を引き込んで火事になりそう。

そうなんです。炭素・水素でできた物質が300℃にもなると、熱分解を始めるんですね。
炭素数が17くらいになると、沸点が300℃を超えます。
まずいじゃないですか。
どうして、炭素数25を超えて、沸点が400℃を超えるなんてデータが取れるのでしょう?
熱分解しちゃうんじゃないでしょうか。
そうなんですね。そう考える方が正しいのです。

実は、減圧下での測定なんです。減圧すると沸点が下がりますので、熱分解させずに沸騰させることができます。で、その時の圧力と沸点を測定します。
そののち「圧力が1気圧だったら」という換算が可能なんですね。
化学実験をやっていますと、この減圧蒸留の沸点換算図表というのは必携なのです。
これで、1気圧に換算した沸点を使って、グラフを作成しているのです。

そういう仕組みが隠れていたのでした。

教訓:日常情生活の感性を大事にしましょう。

ハエ。もう一匹

0301_11hae 2012.3.1
この日は、もう一匹ハエに出会いました。
枯れかかったカタバミの葉の上です。
細かい黒いのはアブラムシでしょうか。
ハエも口を伸ばして、一生懸命に葉を舐めていました。
葉からしみだしてくる液があるのでしょう。
あるいはアブラムシが液を吸ったおこぼれのようなものがあるのかな。

時々しか訪れない栄養摂取のチャンスに夢中。
私が接写しても意に介さず、舐めていました。
邪魔しないからゆっくりどうぞ、と声をかけてこの場を離れました。
散歩中に遠くからのぞいていたら、20分くらいここにいたようでした。

ハエ

0301_9hae1 2012.3.1
たまに咲くサザンカの花。
お、ハエだ!オシベの束の中に頭を突っ込んでいます。
必死になって蜜を舐めているのでしょう。オシベを頭で押してかき分けています。
0301_9hae2
よく見ると、翅がぼろぼろなんです。
でも、脚を踏ん張って、がんばります。
0301_9hae3
真剣さが伝わってきますね。
とにかく蜜を舐めるんだ、生きるんだ、といってます。

しばらく眺めていたら、移動しようとしてはばたいたのですが、思う方向には飛べなかったらしく、葉にぶつかって落ちてしまった。
そうして、下の葉につかまって、また歩き始めました。
あの超絶的な飛行名人のハエが、翅がボロボロになっても飛ぼうとし、飛べなければ歩いて行く。
なんだかねぇ、わたし、ジーンとしてしまって。
生きるって、そういうことなんだ。
人間なんて浅はかなもんだよなぁ。
生きる意味がどうのこうのとか、うるさいことだ。
自分たちこそ最高の生き物だと思いあがったり。

「生きるということが、人間にとって崇高なものなら、糞をころがすことも、屁(へ)をひることも、虫にとっては崇高な生き方なのだ」
なんて、バカなことを言ってはいけないですよ。

ハエを見て、励まされる私って、へんでしょうかね。
ハエの生きる姿の崇高さにうたれました。

ひたむきにいきる。とはこういうことです。

アジサイ・ジンチョウゲ

0301_6ajisai 2012.3.1
雪で湿って元気が出たアジサイの幼い葉。
こういう緑は最高にきれいですね。
茶色の棒のようになっていたアジサイも、随分、緑の葉をたくさん吹いています。
いい眺めだなぁ。

0301_7jintyouge
雪解け水に濡れるジンチョウゲのつぼみ。
去年に比べて開花が遅れていますが、もうすぐでしょう。
最初の一輪が咲けば、あとは一気に開いてくるはずです。

チャコちゃん

0301_5chako1 2012.3.1
雪の積もった日の昼。チャコちゃん用の「住宅」の屋上。
ダンボールを断熱材にして熱がこもるようにしたり、工夫してます。
チャコちゃん曰く 「寒くて体を縮めていたら、肩がこったわよ」
頭が重くなって垂れてますね。(謙虚な猫だ)

0301_5chako2
植物とは全然違う生き方。
哺乳類仲間ですねぇ。
常に体温を保っている。
いつでも同じペースで活動ができる。
ある意味でアイドリングストップの利かない生き方ですね。
人間も猫も。

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なんとなく、そこから、ほんわかとした暖かさが漂ってくるような。
哺乳類同士だなぁ。

幼い人が動物に触れるイベントなどがあります。
動物の側のストレスにならないよう、十分な配慮が必要ですが、そういうイベントは大きな意味があります。
第1に、相手に「体温」がある、ということを知ること。
おもちゃじゃないんですね。自分や親や友達などと同じように、温かい。
これを知ることは大事なことです。
第2に、相手には「意志」がある、ということを知ること。
好き勝手にいじり回せるおもちゃではないんですね。
自分の意志で行動する。
遊びたければ、相手の意志を尊重しなければならない。

犬や、猫、ウサギ、ヤギ・・・
触ってみることは大事なことです。
本当は、生きてるってことは「におうんだ」ということも知らせられるといいんだけどなぁ。

虫の場合、感じ取れるほどの体温はないですけど、やっぱり寒さは苦手、体が暖かくないと動けません。
そして、まるっきりこちらの思い通りにはならない、というのが大事。
つまめばひたすら逃げようともがきます。
それを指先に感じ、痛みを感じ、なおかつ、虫の行動の仕方を知ることで虫の動きをコントロールできる場合もあるということを知る。

虫とつき合うのも、子どもにとって大事だと思うんですよ。

(雪割り草みたいな)クロッカス

0301_1crocus1 2012.3.1
雪は苦手。朝、なんとか撮った写真。
玄関から2mあるかないかの場所なのですが、滑ってしまって、近づきがたい。

0301_1crocus2
昼になったら、雪が融け始めていて、こうなりました。
雪を背景に、つぼみが開こうとしています。
植物はしぶとい。動物のような「体温」という概念はほとんど通用しません。
代謝活動をしているのですから、発熱はするでしょうけれど、こんな細くて小さな葉や花は外気温とほとんど同じ温度のはずですが。
強いですね。

0301_2tourou
家を建てたときに、植木屋さんが持ってきて置いていってしまった「灯籠」。
別に私の趣味というわけではないのですが、ずっとここに鎮座ましましてます。
雪をかぶって、蛇の目模様みたいになりました。
上の写真のクロッカスはこの灯籠のすぐ下にあります。

2012年3月 8日 (木)

ツバキ

0228_6tybaki 2012.2.28
密蔵院のツバキ。
こういう姿を撮影するのは花に申し訳ないかな、と思いつつ、一枚。
ここまで開いたのですが、その先に進めずにいるようです。

0228_7tubaki
別の木ですが、ポツンとひとつだけ、きれいな花が咲いていました。
何本もツバキの木はあるのですが、何となく、咲きそびれているようすです。

ヒイラギナンテン

0228_5hiiraginanten1 2012.2.28
先日「ホソバヒイラギナンテン」の花と実をお目にかけましたが、こちらはヒイラギナンテンです。
葉がヒイラギみたいですよね。
0228_5hiiraginanten2
こういうプレートがあるので、自信たっぷりなんですね。

学名が写っていますが
Mahonia japonica
です。
こう書かれると日本の固有種みたいですけど、江戸時代初期に中国から渡来したものだそうです。

我が家の門柱の内側に、植木屋さんが植えていってくれたのですが、日陰で枯れてしまった。
「邪気」も自由に通れる門になりました、と無邪気なかかしさんは笑ってます。

(フクリン)アセビ

0228_4hukurinasebi1 2012.2.28
以前、この辺で見かけたネームプレートには確かフクリンアセビと書いてあったはず。
で、そう覚えたのですが、ホントかな。よくわかりません。
0228_4hukurinasebi2
アセビでいいんじゃないかな。白い花のアセビ。

あせび【馬酔木】
ツツジ科の常緑低木。山地に自生、また庭木として栽培。高さ約3メートルに達する。春、壺形の小白花を総状に下垂。全株が有毒、牛馬が食うと麻痺するというので「馬酔木」と書く。葉の煎汁は殺虫剤・皮膚病薬。材は堅く、薪炭材・細工物とする。あしみ。あしび。あせぼ。あせみ。毒柴。 ヒササキ。
[広辞苑第五版]

広辞苑CD-ROMの写真を見ると、白い花です。

0306_10hukurinasebi1 2012.3.6
こんなのも見つけてしまった。
赤い花の(多分)アセビ。
0306_10hukurinasebi2
小さな花ですが、雰囲気は豪華です。

赤い花も白い花も、どちらも可憐ですね。

ドウダンツツジ

0228_3doudantutuji1 2012.2.28
六郷用水跡の散歩道の植え込み。
ドウダンツツジですね。
まったく見事に四角く刈り込んであります。棒みたい。
そのまっ平らに刈り込んだ表面が新芽の赤っぽい色がついています。
0228_3doudantutuji2
この写真は、刈り込まれた「棒状」の植え込みの断面になります。
右下側が「棒」の内部で、枝ばかりなので灰色。
上と左が表面になりますので、新芽の色、です。

まぁ、みごとなもんだ、と感心しました。
我が家の「野放図」な木たちとは全然違うなぁ。

ボケ・コイ

0228_1boke1 2012.2.28
散歩を少し長めにとりまして。
これはご近所のボケ。
いっぱいつぼみがついています。
さすが手入れがいい。
0228_1boke2
もうすぐですね。

0228_2koi
目指したのはここ。
六郷用水跡の水路が、ここでは幅広く浅く造ってあります。
例年、この場所でヒキガエルが産卵します。
浅いので、子どもが手を伸ばしてオタマジャクシに触ってみたりも出来る場所です。
去年は2月の末には卵がいっぱいありましたので、今年はどうなんだろう?と行ってみたわけです。
全然、何にもありませんでした。
コイが悠然と泳いでいるだけ。
やっぱり今年は寒いんですね。

我が家の池にもカエルの声がするのですが、産卵はまだです。

こうやって、いろいろな春の出来事が遅れている分、暖かくなった時には出来事が爆発的になるんじゃないかと思うのですが・・・どうなるかなぁ。

ヤエムグラ

0227_10yaemugura 2012.2.27
今年はヤエムグラがずいぶんあちこちに顔を出しています。

広辞苑第五版から

やえ‐むぐら【八重葎】ヤヘ
①繁茂しているむぐら。雑多に生えている蔓草。万葉集11「―おほへる庭に珠敷かましを」
②アカネ科の蔓性越年草で雑草。茎は四角く、逆向きの小さいとげがあり、細長い葉を8個輪生。夏、黄緑色の小花を開く。漢名、拉々藤。枕草子66「草は…さしも草。―」

むぐら【葎】
八重葎(ヤエムグラ)など、荒れ地や野原に繁る雑草の総称。うぐら。もぐら。  夏 。万葉集19「―はふ賤しき宿も」

○葎の門カド
葎が這いまつわった門。荒れた家や貧しい家のさま。後拾遺和歌集春「―もさされざりけり」
○葎の宿
「葎の門」に同じ。

八重葎 しげれる宿の さびしきに
     人こそ見えね 秋は来にけり
                 恵慶法師

百人一首では哀感のある、秋の歌ですけど。

今ヤエムグラが茂ろうとする我が家です。
人こそ見えね春は来にけり
ですねぇ。うれしいな。


レシピ

★3月1日の読者投稿欄「声」です

[声]肉はぴったりの重さで売って(3/1)
 肉類を精肉店ではなくスーパーで買うのが普通になって久しい。だが、パッキングされた肉を買う際にいつも素朴な疑問を感じる。特にひき肉の場合に強く感じるが「なぜ、ほとんどが中途半端な重さなのか」というものだ。
 私は料理本やレシピを見て料理をすることが多い。使う肉は200gとか250gなどと端数はないのが普通だ。ところが肉売り場では、ひき肉や細切れ肉が186gだの285gだのと中途半端な量で売られている場合が多いのだ。調味料の加減は肉の量に従っているわけだから、レシピ通りの味を出すには、肉の量も指定通りにしたいところだ。と言って、調理時に自分で肉の量を調整すると、余った分の利用に困ることになる。
 肉の量り売りが少なくなった昨今、スーパーは中途半端な量でパッキング販売するのをやめてもらえたらうれしい。無論多少の端数は仕方ないが、そんなことを求めてしまう私は珍しいのだろうか。

不謹慎かな、笑ってしまった。
商品に半端なしにするというのは店側では大変な手間になります。また店の側では半端が残るんですよね。それを販売するとまた非難されるから、半端の分は、食べられるのに処分せざるを得なくなりますよ。それでいいんですか?
精肉店などでは、半端分を、店主の親父が「おくさん今日はサービスだ」とかいろいろ口上を言って、買ってもらったんですよ、実際は。

200gのレシピに186gじゃいけませんか?
味覚がそんなに鋭くていらっしゃいますか?
人間の味覚なんて、適当でいいじゃないですか。

そもそも、初めての料理をレシピ通りに作ってうまくいく、ということはまずありえませんね。
いろいろ試行錯誤をして、納得のいく味を作るのでしょ。いわゆる「コツ」というやつです。
気になるなら、電卓置いて、レシピと実際に今ある量の比を取って、他のものもそのスケールで変更してください。
レシピ通りにはいかないのが面白いんです。

★私は化学屋ですが、研究にせよ高校での実験にせよ、レシピ通りにやって一発でうまくいくなんてことは「ほぼ」絶対にないですね。

論文通りにやってもダメ。なにか、コツが隠れている。
それがまた面白く楽しいのですがね、実験好き人間というのはそういうものです。

自分が新規に開発した実験を、他の人に伝えたくて、丹念にもれなく記述したつもり。でも、やってみた人から、ここはどうなってんの?と聞かれますよ。

手を動かして、ものをつくるということはそういうことです。
半端もうまく吸収できるようになってください。
それがエコというものでもあります。個人でも社会的にも(スーパーでも)残り物を出さないというのがいいのです。

「ま、こんなもんかな」精神でいきましょう。

★昔、危険のある実験をデモンストレーション実験でやりながら、「オレの実験って、いっつもこうだよな、いいかげん、こんなもんかな、って」などと言っていたら、「それって、先生の経験量、力量というやつの現れでしょ」などと合いの手を入れてくれる生徒がいて、「お、いいこといってくれるね、今日はサービスだ、普段やんない実験を、もいっちょやってみせよう」なんて乗ったりしてね。

てきとうに、よいかげんに、いきましょう。

2012年3月 7日 (水)

ハエ

0227_9hae 2012.2.27
突き当りのビヨウヤナギの葉の上での日向ぼっこ。
後で妻に「丸々太っておいしそうなハエがいた」といったら、笑ってました。
カマキリの餌として殺気立ちながら探していたような大型のハエです。
今は向こうも運動性が低いし、こっちも全然殺気を発していませんから、静かに被写体になってくれます。

つぼみ

昨日の記事で、急に暖かくなっていろいろなつぼみが弾けそうになって来た、と書きました。
順序が前後しますが
0227_4outou 2012.2.27
これが2月27日の桜桃のつぼみ。
膨らんで来て、緩み始めてはいるのですが。

0227_5boke
こちらはボケ。
昨日の記事のものと差は小さいですね。

今日(7日)は気温は高めですが、陽射しがありません。
先ほど庭を見てきましたけれど、状況の変化はほとんどありませんでした。

オニタビラコ

0227_3onitabirako 2012.2.27
オニタビラコの花がきれいに開いているのはあまり認識していないのですが、実がついています。
花がしぼんだ姿しか見てなくって。
本来の季節のものより、花も実も小さいですね。
それでも、鉢植えの木の脇ですこしずつ咲いています。

へそ曲がりの「詞集」:6

朝日新聞の特集記事です。

(思潮 あれから1年)大事な人といる幸せ 古市憲寿さんとショッピングモールへ
2012年3月5日
(本文 略)
 ●古市さん(の取材後記)「非日常と日常の境界線」
 「マスコミはすぐストーリーを作りたがるからね」。朝市で買い物をしていた人が笑いながら言っていた言葉が印象的だった。「3・11」や「被災地」をめぐる物語は、あまりにも語りやすい。インタビューをどう切り取るかによって「かわいそうな被災者」でも「復興に励む力強さ」でも、どんな「3・11語り」だってできてしまう。
 今回、「ささやかな幸せ」を語る多くの若者に出会った。モールを行き交う彼らに話を聞いていると、すっかり「日常」は戻ってきたのかと思ってしまう。だけど、「日常」の少し外側には、「非日常」が続いている。最後に訪れた多賀城市のイオンのすぐ側には、がれきの山とひとけの消えた住宅地が広がっていた。「幸せな若者」という単純な物語に回収できない、「日常」と「非日常」の境界線を考えさせられる取材だった。(寄稿)


物語が好きなんですよね。そして自分もその物語に参加しているんだという、(自己)満足感が心地よい。陶酔できますからね。

スポーツなども「物語化」するのにもってこい。サッカー、マラソン、駅伝・・・中継を聞いていると「物語」だらけで鬱陶しくて仕方ない。
中身よりも、その外側に構築された物語を楽しんでいるように思えます。

震災に関しても、大事なのは物語じゃなくて、実質のところで「人が生きている」ということなんです。
物語を排除して、実質のところで考え、行動しましょうよ。

保線

0227_2hosen
この間、検測車のラストラン、という話を書きましたが、保線用の車両は他にもあるのです。
東急のパンフレットから。
いずれも、終電以降に走るので、見たことはないのです。
沿線住民として、見たことはないけれど、「激しく」経験しているのが「マルタイ」ですね。
マルチプルタイタンパの略でマルタイ。
これがやってくると凄いです。
家が震度2か3くらいに揺れます。
レールを持ち上げて、砂利・礫を突き固めているのではないでしょうか。

引っ越してきた当時は人力でやっていました。
スコップにロープを結んで、スコップを持つ人、ロープを引いて持ち上げる人と分担しながら、砂利を固めていましたっけ。
それを自動的にやれるわけです。
地震の揺れの体験車というのがありますね。
あんな感じです。
ズシャ~ン、ズシャ~ンと音と振動をまき散らしながら、深夜にゆっくり走って行きます。
電車が安全に走るための大事な仕事なので、文句はありませんが、あぁ、またマルタイの季節か、と身をもって知ることになります。

クロッカス

0227_1crocus1 2012.2.27
全体としてぼやかしてあります(これは意図的)。
つぼみのやわらかさを感じてください。
朝9時20分頃の撮影

0227_1crocus2
そのつぼみが、昼12時40分頃にはこうなっていました。
ゆっくりなようでいて、確実に動いています。
動物にはまねのできないタイプの動きですね。
筋肉を使うのではなく、細胞の大きさを変えるとか、部分的な細胞分裂による成長とか、で動きを作っているのです。

0227_1crocus_senro
線路際でも、負けじと頑張っていますよ。
ことしはクロッカスの当たり年になっています。スイセンも、です。

寒い時にこそ花に励まされます。

一輪の花が咲いた。そのひとつことによって、今日一日を生きる価値がある。

なんて、粋がってみましたが。文章が先行して、意味が自分ではっきりしない。
ごめんなさい。

★2012年3月 5日 (月)の「クロッカス」の記事にコメントを頂いて

美樹克彦さんの「花はおそかった」に「かおるちゃん遅くなってごめんね。君の好きだったクロッカスの花を僕はさがしていたんだよ」とクロッカスが登場していたと教えて頂きました。

この歌の頃、私は19歳くらいだったと思います。ラジオで聞いたという記憶は薄いのです。
当時、商店街などを歩いていると、スピーカーから歌が流れてきました。そういう音楽として聞いたような記憶なのです。
ですから、出だしの「かおるちゃん遅くなってごめんね」というフレーズや、「花は花は花はおそかった」という終わりの方とか、「バカヤロー」とかね。そういうところが耳に残っていて、クロッカスだったということを知らずにいたのでした。妙な記憶ですね。
妻に話したら、そうだったわね、と歌を口ずさんで、ちゃんと「クロッカスの花」がでてきました。ふ~ん、そうなんだぁ。
妻と私は同い年、世代経験が同じですから、いろいろ共通な話題が多いのです。

似たような記憶が「およげ!たいやきくん」にもありましてね。
あの時は、もう教職についていましたね。で、異動の関係で紹介された学校の校長に面会に出かけた時に、駅かどこかで、大きな音であのメロディーが流れていましたっけ。

今みたいに、ヘッドフォンで個人個人が勝手に聞いているという状況ではなかったですね。
ある意味で暴力的に、がんがんと、ヒット曲を街頭で聞かされたものです。

へそ曲がりの「詞集」:5

★「震災のがれき」の話

[声]がれきの受け入れ切実に望む(2/26)
 東日本大震災で生じたがれきの受け入れ姿勢を示している静岡県島田市が、受け入れを前に行った試験償却で、放射性物質の線量が基準値を下回ったことを20日、確認した。放射性物質を不安視する住民の声などをおもんぱかり現在、がれきを受け入れているのは、青森、山形、東京、静岡の4都県にすぎない。
 確かに健康面、安全面での不安から避けられてしまうのは仕方ないかもしれない。しかし、先日、仙台市内の震災ごみ焼却施設で働く友人からメールが来て「震災からもうすぐ1年になるというのに、施設はどこもパンク寸前だ。毎日何百台ものトラックが来ているが、あと2年で片づけるのは無理」とあった。
 このままでは前に進めない。どうか島田市のように、安全性を確認したらどんどん受け入れてもらいたい、せっかく復興庁が発足したのだから、うけいれをたくさん働きかけてほしい。野田佳彦首相も、現地に足を運び、その目で確かめて、がれきの受け入れを促進してほしい。

< 
情緒的な「絆」はもう結構です。
歩み出す力を、実質的に支えてほしいと思うのです。。
援助によって立ち上がらせてあげるのではないですよね。
被災者は自力で立ち上がるのです。
ただ、足元が悪い。だから足元を良くするくらい手伝ってほしい。
そうすれば自分たちは自分たちの力で立ち上がって行くよ。

{「心のケア」というのも、いつもそう思うんですが、かなり胡散臭い。人の心がケアできる、と本気で思っているんですか?私はいやですね。心の中に踏み込んできたり、かき回したり。うっとうしい。長い年月をかけて、人は自分の心を自分で癒していきます。外から「癒し」が与えられるなどと考えるのは、ものすごく傲慢なことだ、と考える私です。私は自分に対する癒しなど拒否します。}

[声]がれきの他県への拡散に不満(2/27)
 震災がれきの受け入れを被災県以外の自治体に細野豪志環境相が強く要請したと報じられた。しかし安易な要請は納得できない。政府は、自治体に要請する前に自らどれだけの努力をしたのか。
 要請の前にまず、がれきを被災現場で最大限処理できるよう、放射性物質や有害化学物質を除去できるフィルターを備えた最新の処理施設を現地に新設する努力をするべきだ。
 被災者1人当たり4.5トンのがれきを各地で分担すれば33kgになるなどといった意味のない計算をしてもらっては困る。放射性物質管理の原則は「濃縮して保管」のはずである。
 ブルーシートで覆えば、さしあたって空間線量は低くなるであろうが、私たちが心配しているのはそんなことではない。何年、何十年の間に放射能が地下水を汚染したり大気中に飛散したりしないかということだ。
 政府は、これらの不安に対してこそ、説得力ある対応をとるべきだ。
 自らの無為無策を棚に上げての協力要請は腹立たしい。


「放射性物質管理の原則は『濃縮して保管』のはずである」これは間違っていないと考えます。問題は

「震災がれき」はすべて「放射性物質に汚染されている」のか?

ということです。そんなことはないですね。

原発周辺のがれきを受け入れろ、とは言っていないと思うんですが、違いますか?
津波による被災がれきを早く片付けたいのではないですか?
そうしなければ、津波被災地の復興が始まらない。
津波被災地の復興を側面援助するのに、がれきを引き受けるのはいけませんか?
測定して放射線が限度以下なら受け入れるべきでしょ。
それをこそ「絆」というのではないかなぁ。
被災者との「絆」といいつつ、震災がれきという言葉で全部いっしょくたにして「いやだ」というのはおかしな話だと思っています。
下手すると、「絆」が復興の妨げになったりしかねない状況に見えてきます。

私はむしろ「除染」といって、水で洗い流すことの危険性を気にしてますけどね。
それこそ「濃縮して保管」に反します。
薄めて広めて流し去る。
放射能汚染を「水に流そう」としてはいけないんじゃないかなぁ。

それぞれの地域で「濃縮して保管」した放射性物質汚染物を、いずれはきちんと集めて、万という単位の年月に耐える保管をしなければなりません。でも、そもそもの元凶である「核燃料」の最終処分が決まらないまま、ここまで走って来たんですよ。捨て場がない。貯めておくしかない。そしてこの震災です。
お先真っ暗としか言いようがありません。

[声]がれきを全国で分担しよう(3/5)
 宮城県石巻市など被災地のがれき処理が進まない被災地の人々はどんな思いで毎日見ているのだろうか。推計で系千万トンを超す宮城・岩手はがれきの受け入れ先探しに苦労している。がれきが片付かないと復興できないのに情けない。
 がれきの放射能汚染に皆、疑心暗鬼なのだろう。焼却灰に含まれる放射性物質が国の基準値以下なら一般ごみと同様に埋め立て処理ができるはずだ。私は札幌市に働きかけているが、進展は見られない。
 がれきの安全を確認した後に全国の自治体に分担してもらう、これがいま政府が最優先で取り組むべき仕事だと思う。
 取るべき道を決めて政府も国民も厳然と立ち向かい、東北の人々に今こそ手を差し伸べ、心を一つにする時だと思う。


「絆」に酔ってはいけません。
素面で、論理的にいきましょうよ。

へそ曲がりの「詞集」:4

★「青森の雪」の話の続き。

[声]雪は汚染されていないのに(3/4)
 「『青森の雪、被曝不安』体験中止」(2月22日朝刊)を読み、本当に驚いた。そして腹が立った。雪を知らない沖縄の子どもたちに雪を体験させようという那覇市のイベントは、今年で18回目になるはずだった。子どもたちはどんなにか楽しみにしていたことだろう。それなのに、東日本大震災で被災して避難している人たちが危険性を訴えたという。
 福島第一原発と青森市は300km以上離れている。自衛隊が放射線量を測ったが、検出されなかった。過剰反応ではなかったか。那覇市に代わって、沖縄県石垣市が雪の一部を受け入れたそうだ。
 不当な風評被害の拡大が案じられてならなかったが、少し心が明るくなった。

3月2日付の天声人語です。

放射能への感受性
 ・・・
 青森の雪を自衛隊が沖縄に運び、子どもに楽しんでもらう恒例行事が中止された。原発事故を逃れ、本土から越してきた住民の抗議ゆえだ。南の果てまで行かせた不安感はいかほどかと思うが、放射線は検出されなかった
 案の定、がれきの処理も進まない。一般ごみにして19年分があふれた宮城県で、片付いたのは5%。山と積まれた「街の亡きがら」を見ながらでは、復興の意気は上がるまい。処理能力は限られ、県外でも、住民を説得する自信のない首長らは及び腰だ。
 いち早く受け入れを表明した静岡県島田市は、岩手県から運んだがれきを試験焼却した。放射線レベルに変化はなかったが、それでも反対の声は収まらない。市長は粘り強く説得するしかない。
 ・・・

< つらいはなしなんですけどね。差別に陥らないよう。
私は差別なんかしていない、と言う人ほど、無自覚に差別してしまうのだ、というのも悲しい現実なのです。 >

へそ曲がりの「詞集」:3

★朝日新聞 2012年2月29日付朝刊の「オピニオン」の面です。
下線を引いたのは私です。ですから、この記事を選んだということと、下線を引いたということが、私の自己表現になっています。そのようにご理解ください。
ですから、コメントはあまりつけません。つける場合は、私のコメントは<>にくくって書くことにします。
大阪大学教授・菊池誠さんのお話を、部分的にご紹介します。

(耕論)科学者の責任

●「危険」説明し極論広げるな
 ・・・
 困ったことに、科学者の中にも科学から逸脱した極論を唱える人がいる。科学者は、あまりに極端な論に対してはおかしいと言うべきです。ただ、それで説得できるとはかぎらない。「そんな説を支持する専門家は他にいない」と言っても、「他の人は全部御用学者。○○さんだけが真実を語っている」と言われてしまう。
 ・・・

< 御用学者と呼ぶべき人は実際にいます。ただそれはきちんとその人の行動を記録し分析して評価すべきものであって、ラベルとして貼りつけて、ラベルによって攻撃すべきものではありません。自分の側に予めフィルターを用意しておいて、それを通ってくる自分にとって心地よい言葉だけを受け入れるのでは、議論というものが一切成り立ちません。議論を拒否したら、何も新しい発展は起こらなくなります。 >

◆ゼロリスク無理
 安全・安心を求めるあまり、リスクはすべて排除しろという「ゼロリスク信仰」も問題です。
 ・・・
 リスクというのは「危険度」。「あるか、ないか」じゃなくて、程度の問題なんです。「これ以下は平常時の値です」「これ以上は避難してください」というのはあるけれど、年間1~20ミリシーベルトのグレーゾーンでは、個人個人でリスクを判断して、避難するのか、とどまるのかを決めるしかない。
 ・・・
 危険なものを安全と言うより、安全なものを危険と言うほうがいいというのは予防原則として間違いではない。でも限度というものがある。がれきの受け入れで、福島第一近くの高濃度のものはともかく、宮城や岩手のがれきも一切だめというのは異常です。危険を強調する人たちは「被災地のものは何も入れるな」「被曝で奇形児が生まれる」と平気で言う放射能の警告なら差別的なことを言ってもいいという風潮が一部の市民団体やジャーナリスト、科学者の間にさえあるのが非常に嫌です。
 ネットの影響も大きかったと思います。ネットでは、個々人が見ているものが違う。危険情報を集めたい人はいくらでも集められるし、安全情報も同じです。自分の信念を強化してくれる情報にしか接しないから、端的に言えば社会が分断されてしまう。
 1年たったので、東京なんかで放射能を極度に心配する人は減っていると思うんです。ただ、極端な考えから抜けられず、社会から孤立してしまう人たちがどうしても残る。そういう人をいかに減らすか。一番犠牲になるのは子どもたちです。外で遊ぶことも、普通に売っているものを食べることもできず、「放射能に効く」と称する変なものを飲まされたりする。
 ・・・

< 「放射能の警告なら差別的なことを言ってもいいという風潮」はこわいですね。青森の雪を那覇市への避難者が拒否した、という出来事もこのタイプですね。
ある種の「正義」をはらんでいることが危険なのだと思います。
「正義」というやつをかざされると、議論が停止する。
「正義」が出てきたら眉に唾つけて、疑って見ることが大事です。 >

2012年3月 6日 (火)

もう咲くよ

昨日は一日中雨に降りこめられました。
今朝もまだかなり降っていたのですが、昼には上がりましたので、待ち望んだ昼の散歩。
0306_1outou 2012.3.6
桜桃のつぼみが、もう咲きたいよ、と言っております。
おちょぼ口が開きかけている。

0306_2boke
ボケも色づいて、力がみなぎっています。
もう咲くぞ。

0306_8mitubatutuji
土佐のミツバツツジは、セーターを脱ごうとしてますね。

0306_9jintyouge
もう咲きかかったような、まだのような。
微妙なところです。

というわけで、今日の姿をとりあえずお目にかけることにしました。
なんだか、うずうずしてしまいますね、こういう姿を見ると。
わぁ~い、春だぁ。

ハナアブ

0224_80hanaabu 2012.2.24
普通のハナアブか、シマハナアブかよくわかりません。
近くにサザンカなど咲いているので、そこに潜り込んで出てきて、体の掃除をしているところのようです。散歩中のすれ違いです。

ハエ目=ハエ・アブ・カ などの連中のしぶとさはすごいですね。
去年から今年のごく初めにかけて、ハラビロカマキリを飼育していましたが、その時のエサは大型のハエを一日二匹くらい捕まえて与えていたのでした。12月の末まで。
一時、ハエも姿を見なくなったな、と思っていましたが、時々、こうやってハエやアブが姿を見せます。ユスリカが羽化することもあるようです。

嫌われものですが、タフな連中です。

★3月5日の朝日新聞・天声人語

虫偏のにぎわう春
 俳人の高浜虚子と加藤楸邨にどこか通じ合う一句がある。まず虚子。〈蜘蛛(くも)に生れ網をかけねばならぬかな〉。そして楸邨は〈糞ころがしと生れ糞押すほかはなし〉。ふと哀感を催すのは、二つの虫の姿に、人と生まれたわが身の影がさすからか。

 楸邨には小動物を詠んだ作が多い。虫をめぐっての一文で言う。「生きるということが、人間にとって崇高なものなら、糞をころがすことも、屁をひることも、虫にとっては崇高な生き方なのだ」と。ともあれ多彩な虫たちが冬から覚める、きょうは二十四節気の啓蟄(けいちつ)である。
・・・(後略)

楸邨に噛みつくのは恐れ多いけれど、下線部には正直なところムッとしました。
これは人間の思い上がりでしょう。傲慢というか、謙虚さを欠くというか。
人間をてっぺんに据えて見下ろす視点ですね。

人間が偉くてムシケラは下劣なもの、というラベルでしかものを見ることのできない貧弱な想像力だ、と言ってしまうことにします。敢えて。攻撃的に。

逆でしょう。

糞をころがし屁をひって生きる。純粋に生きることに徹したその姿の崇高さがわかるようになった時、初めて、人間にとっての「生きる」ということの崇高さがわかるようになるのだ。
人間には余計な夾雑物が多すぎる。夾雑物に紛れて、夾雑物を実相のように勘違いする輩も多い。すべてを削ぎ落として、生きることの本質が知りたいならば、虫を見るがよい。

これ、かかしの小文。

フチベニベンケイ

0224_50hutibenibenkei 2012.2.24
六郷用水の水車のある方へ散歩に行く途中のお家。
一輪だけ花が咲きました。

我が家にもフチベニベンケイはあるのですが、毎年咲くわけではなくって。
たまに咲いてくれます。

http://homepage3.nifty.com/kuebiko/science/frends/frnds_37.htm
理科おじさんの部屋です。
観察記録があります。2007年の記録です。
どうぞ。

枝垂桜(開花前の姿)

0224_40sidarezakura 2012.2.24
先日、この枝垂桜の枝の中から外を写した写真をお目にかけました。
でも、その時は、現況の全体を撮ってくるのを忘れました。
この写真が現在の姿の全体です。
ここに花が咲くと、花の滝のようになるのです。
で、その花の滝の中に踏み込んで外を見ると絶景なんですね。
その時はこのページを参照して変化を見て頂くことにしましょう。

コデマリ

0224_30kodemari 2012.2.24
コデマリに緑の葉芽が見え始めました。
例年と違う様子に、完全に枯れてしまったか、と心配していましたが、何とかなりそうです。
ぜひ復活してほしい。あの可愛い花、大好きなんですよね。

土佐のミツバツツジ

0224_14mitubatutuji 2012.3.24
ご近所のミツバツツジ。
随分膨らんできましたねぇ。うれしい予感。
ここでは、ミツバツツジと清澄ツツジというのが並んでいますが、清澄ツツジの方にはまだ動きがありません。
昼の散歩で必ず見に行くポイントになりました。

水滴

0223_5suiteki 2012.2.23
ボウガシの葉に垂れさがった水滴。
不思議なレンズ効果です。
緑のトンネルから向こうを覗いているみたい。
凸面・凹面両方がある複雑な曲面の水滴のレンズ効果は私にはうまく説明できません。
全体としては焦点距離の短い凸レンズとして働いているようですけれど。

アジサイ

0223_2ajisai1 2012.2.23
アジサイも少しずつ緑をまとい始めてはいます。
0223_2ajisai2
雨上がりの数少ない被写体。
だんだん写真が少なくなってきたぞ。
やばいなぁ。

ジンチョウゲ

0223_1jintyouge 2012.2.23
雨の後。
以前、といっても昔だなぁ。雪降る中で白いジンチョウゲが花を咲かせていたという記憶があります。あれは何月だったのだろう?

開花は今頃の季節なんですけどね。
今年は遅れています。
去年の今頃は天気さえ良ければ毎日、花の脇に座りこんで日向ぼっこをしていましたっけ。

タチアオイ

0222_3tatiaoi1 2012.2.22
冬中、枯れもせずにきました。少しずつ成長しています。
葉の表面がちりちりしてるのがタチアオイ、ゼニアオイはテカテカしています。
0222_3tatiaoi2
小さな葉芽を抱えていますね。
幼いものはみんなかわいい。

今年はどんどん成長して、花をつけるようになってくれると嬉しいのですが。

ヤツデ

0222_2yatude1 2012.2.22
我が家のヤツデはなぜか熟しません。
以前は黒く熟したような気がするのですが・・・
最近はだめですね。
0222_2yatude2
ここまで来て、みんな落ちる。
鳥が食べるにしてももっと熟してからではなかったか。
あんまり早く食べられてしまうと種を蒔いてもらうメリットが生じないしなぁ。
よくわからないのです。

2012年3月 5日 (月)

クロッカス

0222_1crocus1 2012.2.22
こちらは標準的な姿。

0222_1crocus2
こちらは題して「黄の舞い」でしょうか。
回転をイメージさせる開きかけの姿です。

ブログの役者が限られてきましたね。
そのうち、爆発的に被写体が増えると思うのですが、まだまだだなぁ。
は~るよ来い、は~やく来い。

0221_9cat 2012.2.21
散歩道を猫が歩いてきました。
そのまま来てくれればいいのに、私に気づいて、柵の向こうへ出て歩いてきます。
なんだか真剣な顔つきですね。
カメラ構えた不審なじいさんに狙われている、という緊張感でしょうか。
そのまま行っちゃいました。

動物たち、イヌやネコやカラスなどなどは、ヒトという動物の雌雄を見分けています。
メスには心を許し、オスには警戒します。
オスは凶暴なやつがやっぱり多いんだよな。
メスは受容性が高いんだよな。
やっぱ、じいさんはオスなんだよな、と思うのでした。

ヒヨドリ

0221_8hiyodori 2012.2.21
六郷用水跡の散歩道は、実はとても狭くて、モンパルで走る気にはなりません。
人とならすれ違えるけれど、自転車でも来たらすれ違いは困難だ、という部分が多いのです。
ステッキついて歩いていても、すれ違いの時はちょっと脇へ寄って待つ、という感じになります。
しかも、途中で自動車道へ降りるのは段差のため困難、という部分が大部分。
自転車だったら自転車から降りて、自転車を下ろしてまた進む、ということができるでしょうが、電動車いすには無理なんです。段差に直角に向かえるのなら、なんとか降りられるかもしれません、でも、斜めにそんなことしたら転倒して大けがすることになります。
ですから、せっかくの散歩道ですが、散歩道へは上がらずに、自動車用の道を走ります。
何か面白い被写体でもありそうな時はいちいち降りて見に行かねばなりません。
少々不満が残りますね。
もう少し、ゆとりをもった散歩道にしてほしいですね。
そんなことがあるかもしれないと、予め十分注意しながら走らないと悲惨な目に遭います。
障害者には「バリア・フル」な道が多いのです。

さて、そうやって走っていたら、離れたところにヒヨドリがいました。
下りて近づく暇はない、と撮影しましたので、さすがにぼんやり。
マクロレンズ一本ですのでこういう撮影はきついですね。
望遠ズームに交換する暇もナシ。

ミツバチ

0221_7hati1 2012.2.21
撮影時、肉眼では識別できていませんでしたが、パソコン画面上で見ると、ミツバチもいました。
触角がハチです。それと後脚に花粉団子を作っている。
アブは花粉団子作りません。
0221_7hati2
ニホンミツバチなのかなぁ。黒っぽい気がします。
0221_7hati3
花を移ろうと飛び立った瞬間です。
花粉団子を持っていますね。
0221_7hati4
こちらは、この後、左の花へ突っ込んでいったハチです。

いやぁ、1本の梅の木で、3倍楽しめました。

「虻蜂取らず」どころか「虻蜂撮り」ができました。

「二兎を追う者は一兎をも得ず」でもなくて
「一兎」を追ったつもりだったのが「二兎」を得てしまいました。

いい日でした。

ハナアブ

0221_7abu1 2012.2.21
紅梅にうっとりとしていましたら、虫が飛ぶ。
ちょっと遠いのですが、頑張ってみました。
これはアブですね。
ヒラタアブよりはコロンとした感じでした。
0221_7abu2
花の中に顔を突っ込んでます。
こんな豪華に咲き誇った梅の蜜です、さぞかし美味しいでしょう。
夢中ですね。

紅梅

0221_7koubai1 2012.2.21
ターザン公園からの帰り道。
六郷用水跡の散歩道へまわりました。
目の前に、見事な花が!
これ梅だよなぁ、と我が目を疑ってしまいました。
通りかかった犬の散歩中の方に、これ梅ですよねぇ、と思わず確かめてしまいました。
日当たりのせいか、この梅は早く咲く、と教えて頂きました。
八重の紅梅。
0221_7koubai2
凄いでしょ。ピークにさしかかったという感じ。
0221_7koubai3
豪華ですね。八重ということもあるし。
0221_7koubai4
青空を背景に決めてみました。
やったね、というショットです。
時間の流れも写し込めたかな。

他の場所では白梅が先に咲いて、紅梅はまだ、という状態ですが。
ここは、紅梅が一人で咲き誇っています。
よいかおり。

ターザン公園

0221_6tarzan1 2012.2.21
前回、梅は咲いたか、とモンパルで見に行った、通称「ターザン公園」。
なんで、「ターザン公園」なのか、というのをご紹介するのを忘れていましたので写真を撮ってきました。
上の写真の遊具のせいなんです。
手前の木枠と向こうの木枠の間にロープが張ってあって、ぶらさがって遊べるんですね。
0221_6tarzan2
外れないようになった車がありますので、勢いつけて滑らせて遊べるんです。
「ターザンみたい」でしょ。
でもなぁ、今の子がターザンを知っているとも思えないが。
高いところから滑ってくる時に、「あああ~」と叫ぶかなぁ。
なにそれ?と不審顔されるのが落ちじゃないか。とも思うんですけどね。

0221_4hakubai1
白梅はたくさん咲いていました
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紅梅はもう少し先のようです。
0221_5koubai

うれしいひなまつり

★朝日新聞に、土曜日の「be」という別刷りがあります。扱っている内容で「be」と「be」と2種類あります。{私共は夫婦間のみでの「符牒」として「赤兵衛)(あかべぇ)」「青兵衛(あおべぇ)」と呼んでおりますが・・・}
で、3月3日の赤兵衛の「うたの旅人」という毎週の特集は今回、「うれしいひなまつり」でした。タイトルに「捨てたいのに広まった」とありまして、お、なんだ?どういう話かな?と読んでみました。
抜粋します。

be on Saturday  2012年3月3日
[うたの旅人]
捨てたいのに広まった
サトウハチロー作詞 「うれしいひなまつり」
 東京都台東区の浅草橋一帯には、ひな人形の店が並ぶ。その一つ「吉徳」は、江戸時代中期の1711(正徳元)年から300年以上も続く老舗だ。
 同社の資料室長で日本人形玩具学会の代表委員である小林さんを訪ねると開口一番、「この歌は困るんです。みなさん、歌の通りだと思い込まれていて」と苦笑された。
 歌詞では「お内裏さまとおひなさま」とあるが、あり得ない呼び名だ。正しくは男雛と女雛で、男女の人形一対を指して内裏雛と言う。また、赤い顔は右大臣でなく左大臣の方なのだ。
 実は、こうした歌詞の間違いを最も気にしていたのが、作詞した当のサトウハチロー(1903~73)だった。
 岩手県北上市にあるサトウハチロー記念館の館長、佐藤四郎さんはハチローの次男だ。「父が自分の作品の中で一番嫌ったのが、この歌。我が家ではこの歌の話はタブーでした」と話す。
 四郎さんが大学生のころ、テレビからこの歌が流れるたびにハチローが「おい、四郎、スイッチ切れよ」と言った。自分の作品なのになぜこんなに不機嫌になるのか、と不思議だった。ある日、ハチローはぽつんと言った。「できることなら歌に関する権利を全て買い取って、、この歌を捨ててしまいたい」
 ・・・(後略)

ということでした。
そうだったんだ、ご自分でもミスに気づいていたんだなぁ、と了解しました。

★実は、去年、私はブログでこんなことを書いたのです。
http://yamada-kuebiko.cocolog-nifty.com/blog/2011/03/post-e96f.html
2011年3月 1日 (火)「内裏雛」

・・・
内裏雛というのは男雛・女雛の一対のことですよね。
「おだいりさまと、おひなさま」というのは、作詞家の誤りだと思います。ねぇ、サトウハチローさん。
左右はよく分かりません。現代的なのは向かって左が男雛で右が女雛かな。(関東的?)
古典的には(京都的には)逆かな。
「あづまおとこ」にはよく分かりません。
・・・

やっぱりなぁ。ご自分でも気づいたのだけれど、取り返しがつかなかったのですね。
もう、しょうがないんでしょうね。一応、古来からの伝統ではコレコレと親は知っておくべきでしょう、としか言えないですね。

★私のブログ中で、男雛・女雛の左右の事を書きましたが、吉徳の資料室長さんによると

 ・・・
 以前は向かって右が男雛だったが、昭和天皇の即位式にならって左が男雛になった、とはいえ、京都では昔のままだ。東西の違いは他にもあり、三人官女の中央の官女は関東では三方を、関西では島台を捧げる。関東では能楽の五人囃子が多いが関西は雅楽の楽人も飾る。衛士は関東では行列だが、関西は庭掃除姿だ。
 ・・・

そうなんだ。江戸と京の違いではなくて、東京と京都の違いなのですね。
男雛が左になったのは昭和からなんだ。ですから「江戸」ではなく「東京」と書きました。
結構新しいことなんだ、と知りました。伝統行事といっても、新しいものも紛れ込んでいるんですね。

もう一つ。
「島台」ってなんだ?
分かりませんでした。
広辞苑第五版によりますと

しま‐だい【島台】
①洲浜(スハマ)台の上に、松・竹・梅に尉(ジヨウ)・姥(ウバ)や鶴・亀などの形を配したもの。蓬莱山を模したものという。婚礼・饗応などに飾り物として用いる。古くは島形シマガタといい、肴などの食物を盛った。しま。好色一代男8「―、金の大土器、祝言の如く」
②「島台」を題名とする地唄・長唄・うた沢など。

すはま‐だい【洲浜台】
 洲浜②に同じ。

す‐はま【洲浜】
①洲が大きくなり、海岸線に曲線的な出入りのある浜辺。
②洲浜の形にかたどった台。これに岩木・花鳥・瑞祥のものなど、種々の景物を設けたもの。もと、饗宴の飾り物としたが、のち正月の蓬莱・婚姻儀式の島台として肴を盛るのに用いた。洲浜台。落窪物語「島に木共多く植ゑて、―いとをかし」

はあ。そういわれても、まだわからない。
具体的な形がイメージできない。
広辞苑の図を引用します。
Suhamadai
なるほどねぇ。
こういうものでしたか。

いろいろ、分からないことばかり多くて、恥多き人生ですなぁ{と年寄っぽく}。
まったくだ。

★別件:「いわせてもらお」という面白話コーナーが青兵衛にあります。
3日の記事のひとつ。

勤め先の老人ホームにひな人形が飾られた。ひな壇に名前の分からない人形があったので、「これ何ですか?」と入所者の女性に訪ねると、「下っ端」との答え。「?」。後で調べたら「右大臣、左大臣」だった。

ナルホド。私共「しもじも」の者からみれば、いろいろ偉さに差があるようですが、内裏雛から見れば、みんな下っ端なんだなぁ。恐るべき真実を教える正しい答えですね。ナットク。

2012年3月 2日 (金)

雛祭り

★明日は雛祭りですね。
去年はかまぼこ板にハンダごてで絵を描いて遊んだりしました↓
http://yamada-kuebiko.cocolog-nifty.com/blog/2011/03/post-e96f.html
2011年3月 1日 (火)「内裏雛」

今年は失念しておりました。
妻が面白いもの見つけたといって入手してきたのをお目にかけます。
0302_hina1
一見、どうということもないのですが。
これをいったん閉じてから。
今、折り目に成っている部分を開く、という操作ができるんですね。
そうするとこうなります↓
0302_hina2
端午の節句用になりました。

ご存知の方もいらっしゃると思います。
言葉では説明しにくいので、いずれ、手づくり法でも書きましょうか。
私は小学生のころに、この作り方を知って、「秘密のノート」とかいって作って遊んだものです。

とまぁ、今年はこのくらいしか手持ちがありません。
0302_hina3
雛祭りを楽しくお過ごしください。

アジサイ

0221_2ajisai 2012.2.21
あぁ、窮屈だ。一枚上着を脱ぐかな。
とアジサイの葉芽。

肩凝りましたか?
思いっきり伸びをして下さい。

桜桃

0221_1outou 2012.2.21
ほら、動いた。

「ああ 気持ちが動いている たた今 恋をしそう」
というのは尾崎亜美さんの歌でしたね「マイ・ピュア・レディ」でしたっけ。

サクランボさんは、春に心動いています。
もうすぐだよ。

去年のメモでは、桜桃が開花したのは3月14日でした。
多分その頃には、今年も開花できるかな。

白のジンチョウゲが一つ咲いた、というのが去年は2月28日だったのですが、こちらはまだまだ先になりそうです。

クロゴキブリの幼虫

0220_4gokiburi 2012.2.20
部屋の雨戸を閉めようとしたら、いました。
ガラス戸は表面を凸凹にしたガラスなので、幼虫の背景がなんだか波打つ水面みたいになっています。
ピントが甘くていい写真は撮れませんでした。
外で生きててもいいよ、と出してやったのですが、まだまだ寒くって。
生き延びられたかどうか。
多分ダメだろうな。
ごめん。

台所で時々ゴキブリの成虫を見かけて、このごろはさっと素手でつかんで、勝手口の外へ放り出してやるのですが。
寒いけど、外でなら自力で生きていっていいよ、と。
でもなぁ、行き倒れになったゴキブリもちょいちょいみかける。
やっぱり寒いんだよなぁ。

2月29日の大雪の日。
玄関から出てテラスの端っこから全く脚を下ろせないのもなんだかな、明日のためにも脚くらい下ろせるようにしておこうか、と竹ぼうきで1m四方くらいを掃いていたら。
真っ白な雪の上に、ゴキブリが一匹。
どこにいたのでしょう。竹ぼうきの中にいたのか。
あまりにもかわいそうで、土の上に移してやりました。
生き延びられないだろうなぁ。

ホタルブクロ

0220_3hotarubukuro 2012.2.20
ホタルブクロの葉が伸び始めています。
独特な雰囲気なので、いったん覚えれば忘れません。
どういう風に表現したらいいのかよく分からないのですが
一週間後の姿を見てください

0227_15hotarubukuro 2.27
ね。スペードのマークのようでもあって、葉柄が扁平な感じで、真ん中色がついている。
去年は、これなんだ?と思っていたら、やがてホタルブクロと判明しまして。
今年は最初からわかるというわけです。

ユスリカ

0220_1yusurika 2012.2.20
このところ、時々ユスリカの仲間を見かけます。
この時は、比較的狭い範囲で3匹くらい出会いました。
前回と同じく、これもオスのようです。
繁殖が始まったのでしょうか。
それとも、タイミングを間違えて羽化してしまった、あぶれオスでしょうか。

スイセン

0219_2suisen 2012.2.19
スイセンの花に後ろから日が当たっていました。
白い衣を輝かせて舞っているようです。

スイセン属の学名は「Narcissus」。
ナルシシズムの語源ですね。
これなら確かに、自己陶酔してもおかしくないかもしれません。
君は美しい。

希望の象徴だ、という話もありますね。
3・11からもうすぐ1年。
スイセンの花を供に引き連れて、春の女神は歩みます。さぁ、行こう、と。
春は必ず来ます。

クロッカス

0218_6croccus 2012.2.18
右のつぼみ、よく見るとすごいですね。
葉も一緒に出てきたんですが、まだ伸びきっていなくって、ぐにゃぐにゃ。
なんだかパワフルです。
一挙に力を解放したという感じです。
0219_1crocus1
素直に花一輪。
0219_1crocus2
やっぱりすごいです。
花を咲かせながら地面から出てくるんじゃないか、という雰囲気。
0219_1crocus3
葉が後光のようだ、と撮ってみました。
明かりがともったようです。

0220_2crocus 2.20
花がいっぱいに開いて、花の構造がきれいに現れました。
萼、花弁、メシベ、オシベ。
心にしみる黄色です。


歌女

毎日新聞 2012年2月8日の「余録」です。

▲さて、「歌女(かじょ)」と呼ばれるのはどんな生き物だろうか。ウグイスやスズムシなどを思い浮かべる方も多いだろうが、これ実はミミズのことという。俳句の秋の季語に「蚯蚓(みみず)鳴く」が残るように、昔はミミズが「ジー」と鳴くと思われていたのだ
▲「里の子や蚯蚓の唄に笛を吹く」は一茶、「手洗へば蚯蚓鳴きやむ手水鉢(ちょうずばち)」は子規。物理学者の寺田寅彦にも「蓙(ござ)ひえて蚯蚓鳴き出す別(わかれ)かな」があるが、もちろん実際にミミズが鳴くと思っていたのではない。江戸時代から本当はケラの鳴き声だと説かれていた
▲だが今やミミズにも「鳴く」より「泣く」をあてた方がいいのかもしれない。東京電力福島第1原発から約20キロの地点に生息するミミズから1キロあたり2万ベクレルの放射性セシウムが検出されたと先日報じられたからだ。森林総合研究所の研究員による調査の結果である
▲この調査では原発から約60キロ地点のミミズでは同1000ベクレル、約150キロ地点では同290ベクレルという値だった。ミミズはイノシシや鳥などの野生動物の餌になっている。このため放射性物質が食物連鎖により他の生物の体内に次々と蓄積されるのを懸念する声がある
▲アリストテレスはミミズを「大地のはらわた」と呼んだ。その呼び名通りミミズが落ち葉などの分解した有機物を取り込み、栄養豊かな土を作るのを解明したのはダーウィンだった。今、汚染された落ち葉を通し大地のはらわたにまで入り込んだ放射性物質である
▲ミミズのとりもつ生命のサイクルを危険な異物で汚した人間だ。ここは継続的調査を通し、物言わぬ古い友の「声」に耳を澄まさなければならない。

Ch.ダーウィン「ミミズと土」は、平凡社ライブラリー 56 として出版されています。
私は1994年に初版を買って読みました。面白かったですよ~。

私、ミミズのファンです。
ミミズ関連書籍を何冊か読んでますが、「歌女」は知りませんでした。
広辞苑でも出てないですね。
   か‐じょ【歌女】歌をうたう女。うたいめ。[広辞苑第五版]

デジタル大辞泉に
   「2 ミミズの異称」
というのがありました。

★で、ミミズにちなみまして、面白い「讃」をご紹介します。

復刻「みみず」 著者:畑井新喜司 発行日:1997年6月15日 初版第4刷

この本は「昭和六年」発行なんですが、日本のミミズの基本知識はすべて書かれているといってもいいような本です。
本の冒頭、下のような「讃」があるんですね。これがまた素晴らしい。

   

蚯蚓礼讃
自ら進んで釣魚の餌たるを辞せざるも 虚名を干支に列ぬるの累を避く
「鈍くしておかしげなる」との世評に甘んじ
悠悠自適 泥土を食ひ黄泉を飲み 敢えて利欲を地表に求めず
汲汲相励みて荒野を拓き 矻矻相勉めて沃土を作る
其体は蓋し研学の材たるべく
其屍は猶ほ霊薬の素たるべし
然れば蔡邕の知遇を得て勧学の篇に入り
透谷の詩眼に映じて跟影を紙帛に止む
祖先世に現はれて既に幾億歳
巨象の蹄を逃れ氷河の流れを避く
時に地殻の激震に厄せられ 血縁離散の悲しみに遇ふも
慈雨の降下に恵まれて繁栄の喜びを受く
年を送り歳を迎へて眷属益々蕃く
争はず犯さず 倶に天分を楽しみ共に苦楽を味ふ
是れ蚯蚓の偉とする所なり
世の懶婪憤怒の人 亦以て鑑とするに足らん乎
   昭和六年一月五日       畑 井 新 喜 司 

{「矻矻」は「こつこつ」と読んでください。}

ひらがなで書き下ろしてみましょうか。かえって読みにくいかもしれませんけど。

   みみずらいさん
 みずからすすんでちょうぎょのえさたるをじせざるも きょめいをかんしにつらぬるのるいをさく
 「のろくしておかしげなる」とのせひょうにあまんじ
 ゆうゆうじてき でいどをくひこうせんをのみ あえてりよくをちひょうにもとめず
 きゅうきゅうあいはげみてこうやをひらき こつこつあいつとめてよくどをつくる
 そのからだはけだしけんがくのざいたるべく
 そのしかばねはなほれいやくのもとたるべし
 しかればさいようのちぐうをえてかんがくのへんにいり
 とうこくのしがんにえいじてこんえいをしはくにとどむ
 そせんよにあらはれてすでにいくおくさい
 きょぞうのひづめをのがれひょうがのながれをさく
 ときにちかくのげきしんにやくせられ けつえんりさんのかなしみにあふも
 じうのこうかにめぐまれてはんえいのよろこびをうく
 としをおくりとしをむかへてけんぞくますますしげく
 あらそはずおかさず ともにてんぶんをたのしみともにくらくをあじわふ
 これみみずのいとするところなり
 よのらんらんふんぬのひと またもってかがみとするにたらんか

最後の三行

「争はず犯さず 倶に天分を楽しみ共に苦楽を味ふ
是れ蚯蚓の偉とする所なり
世の懶婪憤怒の人 亦以て鑑とするに足らん乎」

これなんかもう、最高でしょ。
私も、斯く生きたい。

この「蚯蚓礼讃」は実は私の教師生活最後の「通信」に載せて、最後の生徒にも贈ったものなんです。よかったら読んでみてください。下に、そのプリントの再現を載せてあります。
http://homepage3.nifty.com/kuebiko/essay/lst_msg3.htm
鵜の眼 No.35(‘05.2.16(水))

★別件
 ミミズが鳴く、というのはケラだということは知られていることだと思いますが、ところで実際「ケラ」という昆虫を見たことありますか?
   バッタ目 > ケラ科 > ケラ
の昆虫なんですよ。バッタの仲間。
私は子どもの頃何度も捕まえましたけど。
写真は虫ナビなど見てください。
http://mushinavi.com/navi_batta.htm
↑このページの一番下にいます。

★また別件
 子どものころ、ミミズに小便をひっかけるとチンチンが腫れると脅されたものです。
今の子はそういう脅しなんかかけたら「心の傷」だ「トラウマ」だ、おかげでミミズを見ることができなくなった、とか親から抗議されそうですねぇ。

おそるおそる、しょんべん引っかけてみたりしたものですが。昔のワルガキは。

2012年3月 1日 (木)

虫たち

0218_4kurohirataabu 2012.2.18
久しぶりに見るクロヒラタアブ。
日向ぼっこしていました。
0218_5yusurika
ビヨウヤナギの葉の上でユスリカの仲間を見かけました。
触角の具合からすると、オスですかね。
寿命の長いものじゃないから、羽化してしまったのはいいけど、交尾まで至れたかどうか。

虫を見かけると無性にうれしくなる私です。

桜桃

0218_2outou 2012.2.18
桜桃の芽は確実に進んでいます。
膨らんで、中が見え始めました。
八重桜の方はまだです。
今年は寒かったので、いろいろ植物関係の出来ごとの進行も遅れているようです。

四半世紀ぶり、長引く寒さ 梅の開花、各地で遅れ(朝日新聞 2012年2月28日)
 この冬は寒気の緩みが弱く、昨年12月から今月までの3カ月にわたって、北日本、東日本、西日本の3地域とも、月平均気温が平年よりも低い状況が続いたことが、気象庁のまとめで分かった。
 1985~86年のシーズン以来の長期間にわたる低温傾向となった。
 豪雪地帯とされる各地で、今月19日までの降雪量を累積した値の平均は、過去5年の平均値362センチを25%上回る451センチだった。寒気の緩みが弱いため雪が溶けにくく、積もりやすい状態が続いたため、積雪の深さは、311の観測地点のうち67地点で、平年の2倍以上となった。
 こうして長く続いた低温傾向の影響で、梅などの開花も遅れている
 気象庁によると、24日までに梅が開花した19地点のうち、17地点で平年よりも遅い開花を記録した。長崎県や宮崎県、高知県では観測史上最も遅い開花となり、いずれも平年より3週間以上遅れた。まだ開花していない残りの観測地点の中でも、半分以上がすでに平年の開花時期を過ぎている。
 気象庁の異常気象分析検討会は27日、この寒さの原因についての複数の見解をまとめた。ペルー沖から中部太平洋にかけて赤道付近で海面水温が低くなる「ラニーニャ現象」が起きた影響で、日本付近で偏西風が蛇行。北からの寒気が流れ込みやすくなったという。
 大西洋側でも海面水温の上昇で偏西風の蛇行が起き、ロシア北西部の海氷が減ったことも影響し、シベリア高気圧が勢力を強めた。日本ではその結果、西高東低の冬型の気圧配置が強まった。世界的には中央アジアからヨーロッパも顕著な寒波に見舞われたという。

この冬は寒いけど、過去30年で4番目(2012年2月28日09時22分  読売新聞)
 気象庁の異常気象分析検討会(会長=木本昌秀・東大教授)は27日記者会見し、この冬の寒さについて、「過去30年の中で4番目の寒さだった」との分析結果を発表した。
 発表によると、昨年12月から今月26日までの全国17地点の平均気温はマイナス0・87度。同庁では「過去30年で最も寒かった1983~84年のマイナス2・07度に比べると、異常気象とまでは言えない」としている。降雪量も2005~06年より少ない地点が多いという。
 平年より寒さが厳しかった原因として、〈1〉ラニーニャ現象のほか、大西洋熱帯域で発生した積乱雲が、偏西風を蛇行させた〈2〉ロシア北西海上の海氷が少なく、海上からの水蒸気がシベリア高気圧の勢力を強めた――ことなどを挙げた。

異常気象ではないとのことです。
久々に寒い冬だった、ということですね。
確かに。寒かった。実感です。
3月にもう一回くらい降雪があるでしょうか。
ハレーすい星が来て、もう観測できなくなるぞ、という春の春分の日。
家族で伊豆半島の東側の海岸近くの民宿にとまったのですが。
とんでもない大雪で、ハレーすい星どころか、帰宅までにとんでもない渋滞に巻き込まれたことが「家族の記憶」となっています。
そういうこともあったなぁ。
あれは1986年だったかな。

2月29日の雪:余話2

0229_yuki3 2012.2.29
向こうを走って行くのは通称「みどり電車」。
多摩川線内に5編成走る車両のうち、通常は2編成、たまに3編成走っていることもあるようです。
新型として導入されてから何年か経ちますが、子どもたちにはやはり人気の車両。
沿線住民としては発進時の音が静かになった、という感じですね。
ただ、旧型だと、雨や雪が降り始めると車輪がスリップして、そのためアンチ・スキッドが作動して、独特の唸り音を発するので、おや、雨が降って来たのか、と窓を開けなくても分かったのですが、この新型車両は唸り音があまり出ません。
で、外の雪や雨の状況が分かりにくいともいえます。
沿線住民独特の感覚ですね。

0229_yuki5
玄関に、膝サポーターが置いてありましたので、試してみようという気になりました。
膝がきしむ時に使うサポータですが、これは黒いので、雪を受けたらきっと際立つだろうという魂胆。
だめですね。
全然、雪の結晶なんか見えませんでした。
比較的気温が高いんです、降雪とはいっても。
で、空気中を落下してくる間に溶けてしまうようです。
何回も試してみましたが、六角形の結晶は皆無でした。

http://homepage3.nifty.com/kuebiko/science/35th/Spring!.htm
↑2006年1月21日に雪が降ったのですが、その時に、毛糸の靴下に雪を受けて撮影した写真を載せてあります。この時は六角形の結晶がいっぱい撮影できたのですけどね。

今回はダメでした。ザンネン。

2月29日の雪:余話1

★昨日の内にあらかた「実況中継」してしまいましたので、少し残った話を。
0229_yuki1 2012.2.29
玄関を出て、テラスから全くの一歩も足を踏み出せない私。
庇の下からの撮影。
これ、池です。
手前を新池、向こうを古池と称しております。
2月24日ごろから、夕方から夜中にかけて、ヒキガエルの鳴き声がします。
去年も全く同じころにヒキガエルがやってきて、産卵しました。
今年はどうなるんでしょう?
去年に比べると寒い1,2月。
冬眠を中断して産卵に出てきたのはいいけれど、池が雪に埋もれてしまった。
多分、この雪の下のどこかにカエルたちもいるのだと思います。
凍りさえしなければ大丈夫なんでしょうね、きっと。
雪の下は0℃以下にはならないし、地熱があるから大丈夫、と言っていると思うのですが。
元気でいるかい。
ぜひ、産卵してほしい。
そうして春まで、また眠ってしまっていいよ。

0229_yuki2
アジサイの枝に雪。
新芽が開きかかっているところです。
植物も、凍りさえしなければ大丈夫。
0229_yuki4
ヤツデの花が終わり、結実はしたけれど熟しきれないままに大部分が落ちてしまった部分です。
今年の仕事は終わってしまいました。
また来年な。

2月18日の雪

0218_1yuki1 2012.2.18
朝起きたら薄っすらと白くなっていました。
地面、路面は濡れているだけです。
地熱から切り離された葉っぱの上などで、溶けずに残ったようです。
0218_1yuki2
チューリップの芽生えの鉢にも。
0218_1yuki3
ヤツデの葉にも。
0218_1yuki4
ベランダの手すりの上にも。

どこも、やはり、地熱が伝わってこない場所なんですね。
0218_3tulip
チューリップの鉢は昼にはこうなっていました。
他も昼にはほとんど溶けてしまっていました。

雪は夜中に降ったのですが、午前3時過ぎでしたか、眠りが浅くなっていた私の耳に、電車の音が聞こえました。
(他の路線については全く知りませんが)東急多摩川線は、雪が積もりそうな状況になると、終電以降も、線路や架線の凍結防止や点検のためでしょう、電車を走らせます。
ものすごく降っていると「終夜運転」という感じになりますが、今回は、一往復くらいだったのではないかな。私がまた深く眠ってしまって聞き逃したかもしれませんが。
電車の運行を維持するということは、こんなに大変なことなのか、というのはここに引っ越してきて初めて知ったことでした。

シラン

0217_7siran 2012.2.17
今年の私は以前の私より少しだけもの知りになりました。
以前だったら、コレなんだ?と書くところですが。
今は、躊躇なく「おぉ、シランの実が弾けたんだね」と言えるようになったのです。
http://yamada-kuebiko.cocolog-nifty.com/blog/2012/02/post-cbf0.html
ここをお読みください。経緯がわかります。

糸くずのような種をいっぱい撒き散らして、仕事を終えた実の「殻」です。

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