密蔵院にて
2012.1.2
初詣、というのはしません。
以前は浅間神社に行ったものですが、もう、正面の石段の参道は無理だし、女坂というのでしょうか、坂でまわって登る道もありますが、登りはきついし、まして、苦手な下りは完璧にアウト。絶壁下りのようなものです。
で、まぁ、若干思想的にも神社さん好みではないという下地もあって、初詣には行かなくなりました。
子らが幼い頃は、初詣という風習を知っておくのもいいかな、と頑張ったんですけどね。
夫婦二人になりましたから、もういいや、やぁめたぁ、です。
さて、密蔵院は目の前だし、落差は大きくないし、最近石段に手すりをつけたし、本堂の前にも階段のわきに車いす用スロープも作ったし、アクセスはよくなりました。
本堂の前です、この写真。
でも、お参りはしません。
日本の仏教を、基本的に仏教として認める気がないものですから、手を合わせる気にはなりません。
このお寺は、密教の真言宗ですが、密教というものはお釈迦様の教えそのものからは、ずいぶん離れていると感じています。
ツバキ科の花がいっぱいあります。
手入れは大変でしょうね。
虫は全然いません(夏場も)。
クスノキがあるので、アオスジアゲハの卵や幼虫がいることはありますけど。
「スッタニパータ」という原始仏典に有名な言葉があります。
「犀の角のようにただ独り歩め」
仲間を求めず、ただ独りだけで修行をしなさい、ということでしょう。
それが孤立だとは思っていません。
そのように生きることが実は人間としての基本的な「連帯」であり、「絆」を結ぶこと、なんだと思います。
べたべたくっつくことが絆じゃない。手をつなぐことが連帯じゃない。
乾燥した生き方が好きだなぁ。
土屋文明の
少数にて常に少数にてありしかばひとつ心を保ち来にけり
これ、私の座右銘です。
「犀の角」のごとく。「ひとつ心」を保ちながら。老いの道を歩んでいこうと思います。
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