ツバメ
★朝日新聞の天声人語にこんな話がありました。
[天声人語]案山子も泣く原発禍(2011/9/26)
難読言葉の一つで就職試験にもよく出る「案山子」を「あなご」と迷答した大学生がいたそうだ。正しくは「かかし」。秋の田の守り神である。その立ち姿を眺めながら、首都圏近くで借りている棚田の稲を刈った。
遠く近くに案山子の見える風景は、田舎育ちの郷愁を誘う。直立あり、やや斜めの御仁あり。「へのへのもへ」の顔つきも懐かしい。〈某(それがし)は案山子にて候雀(すずめ)どの〉。漱石の句など思い出し、とぼけた味わいに頬がゆるむ。
稲は黄金に色づいて、ざくざく鎌を動かせばバッタが逃げていく。いつもの年と変わらない。だが、この秋はやはり「放射能」の一語が頭をかすめていく。東日本の稲作農家の気のもみようは、いかばかりかと思う。
これまで検査を終えた9割以上で放射性物質は検出されず、数値が出ても国の基準値以下だと報じられていた。ところが先日、福島県の1カ所で収穫前の予備検査の基準値を超えた。にわかに緊張が走り、風評の被害を農家は案じる。
今年は原発禍で作付けの出来なかった田も多い。ある農家は飛来したツバメのために水だけ張ったそうだ。「田んぼに泥がなきゃ、巣を作んの難しいんでねえか」と。「田に水入れっと、いろんな生き物が来た。生態系だな」。優しさゆえに切なさが募る。
山田の案山子に戻れば、そのルーツらしきは「古事記」にも登場するそうだ。「足は行かねど、天の下の事を知れる神」だという。太古のまなざしで、人智(じんち)の招いた禍(わざわい)を何と見ていることだろうか。
「あなご」はないよな。私は「案山子=かかし」を名乗っておりますので、気になる。高校生の頃から「案山子」なんて名乗ってたけどなぁ。コラ大学生、ベンキョウしろ。
★ツバメのために田に水を張ったというのは、2011年7月6日の夕刊の記事です。
コメ作り、今年はできないけど ツバメのために水を張ろう:南相馬、巣作り見守る
東京電力福島第一原発の事故で今年の米作りを全域で断念した福島県南相馬市に、田んぼに水を張った農家がいる。毎年訪れるツバメの巣作りのためだ。
軒下に巣が七つ。ツバメが勢いよく飛んできては巣に潜ってゆく。第一原発から北北西に28キロ。風越さん(63)宅だ。「縁起のいい鳥」としてツバメを代々、大事に見守ってきた。
4月中旬、いつものようにツバメが姿を見せた。「田んぼに泥がなきゃ、巣を作んの難しいんでねえか」。妻(61)と話した。
ツバメは軒下と水田を往復し、泥を重ねて巣を作るという。米作りはあきらめていたが、家の周りの130アールの田に水を張った。するとツバメは古い巣の修復を始め、2週間ほどで完成。ヒナたちがエサをねだる愛らしい姿も見せた。
「水田」は今、辺りではここだけ。カエルの鳴き声が聞こえ、カモの群れも泳ぐ。清孝さんは言う。「この異常な状況ん中で、ツバメたちはよぐ来てくれっちゃ。田に水入れっと、いろんな生き物が来た。生態系だな。改めて気づかされた」
この記事が出たときに、私共夫婦は、そうだよなぁ、「縁起のいい鳥」っていったんだよなぁ、と年代的に共通の子ども時代を思い出しました。そして、風越さんがツバメたちのために払った労力の大きさにも感動しました。130アールというと13000平米です。ざっと115m四方の田んぼに水を張ってあげたんですよ。自分の儲けにはならない行為です。
広い心、優しい心ってこういうものなんだ。労をいとわず水を張って、ツバメの子育てを見守り、ツバメを支える生態系を守ってあげる。自分自身が生態系の一員なのだということを、ごちゃごちゃ言わなくても、「体得」していらっしゃいます。
うれしかったなぁ。
★で、私は、ツバメの巣と泥の話はまた別の方で読んで、驚いたのでした。
藤本和典さんの「教えて! 身近な生きもの」
東京で絶滅しそうなツバメ [2011/04/22]
最近、みなさんの家の近くでツバメを見ましたか?
実は都心でツバメの姿が消えつつあるのをご存知でしょうか?
東京の新宿、渋谷などでは「感察」されなくなっています。昔は街路樹のシダレヤナギをかすめながら飛ぶのを普通に見られたのですが、今ではなかなか出あえません。たまに見られるツバメは、半地下の駐車場の奥に巣を作ったり、アーケードのある商店の奥の軒下に巣を作ったりしています。
数が少なくなった理由の一つは、最近増えたカラスがひなを捕らえることですが、もう一つの理由の方が大きいようです。
少し前にある小学校の先生から、玄関の入り口に作られたツバメの巣を落とす子どもがいると聞きました。でも実際は先生の勘違いです。
ツバメの巣は土とわらくずです。都会でツバメが実際に拾える巣材用の土は、街路樹の脇の花壇の土や粘着質のないさらさらな土です。だから、ヒナがある程度大きくなると、そのヒナの重さに耐え切れず巣が落ちてしまうのです。
日本の昔ながらの家屋の土壁は、まさにツバメの巣と同じ作り方です。切りわらと粘土質の土を混ぜて作られていますが、昔の人はツバメが巣を作っているのを見てまねたのでしょうか。
ツバメはひなに与えるえさの虫を、意外に都心でも見つけています。巣立ちのころのヒナは大食漢です。6月ごろから、親鳥はひなが巣立つと、緑地帯や公園の中の虫がいる池の近くに連れて行くことが多くなります。そのため都内でツバメが繁殖している場所は、環境のよい井の頭公園(武蔵野市)や明治神宮(渋谷区)、石神井公園(練馬区)などの近くに限られてきます。えさと良い土、それに飛びながら水を飲み、水浴びできる広い水面のある場所が、子育て中のツバメにとっては住みよいのです。
あなたの近所でも、ツバメがいるのを確認できるといいですね。
大田区南部のこのあたりでも、昔はもっとツバメがいたのですが、最近は減りました。
そうなのか「粘土」がないんだ。これは初めて知りました。
ここだと、多摩川の河原の方へ行くと少しは土があるのですが、都会には土がないものなぁ。
私はうかつにも、土と植物繊維の必要性について無知でしたが、共に生活する南相馬の風越さんは、ちゃんと生活の中で知っていたのですね。
生きた知識とはこういうものです。私のは頭でっかちの知識。
自然の中で自然を相手に生きるということは、すごいことなのですね。
★天声人語の最後。
山田の案山子に戻れば、そのルーツらしきは「古事記」にも登場するそうだ。「足は行かねど、天の下の事を知れる神」だという。太古のまなざしで、人智(じんち)の招いた禍(わざわい)を何と見ていることだろうか。
古事記に直接登場するのは「久延毘古(くえびこ)」です。
「いはゆる久延毘古は、今には山田の曾富騰(そほど)というものなり。この神は、足は行かねども、天の下のことことごとに知れる神なり」
とありまして、「山田の曾富騰(そほど)」というのが「山田のかかし」です。
でまぁ、歩くことを苦手にする、右足一本で歩く「私」は、自分をかかしになぞらえて来たというわけです。
「崩彦」とも書きます。彦は男性のことですから、「くずれたおとこ」ですね。ひょっとして、身体障害者のある種の神格化かもしれません。異形のものは異能を持つ、という感覚が古代人にはあったともきいております。
なおさら、ポリオ後遺症の私にふさわしいのでは、と思って名乗っております。
★崩彦曰く「やれることと、やっていいことはちがうんだよ」
ヒトは自分に知力があると思いこんでいるのではないでしょうか。
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