答えが出てしまった「今日」
自由の森学園という私立学校の広告です(9/20 朝日新聞)
学ぶということ。
それは、答えが出てしまった「今日」から
未知なる「明日」をつくり出すこと。
そのために、みんなで知恵を出し合い
考え合う力をつけること。
この広告なのですが、どうにもストレートにはしっくりこない。言いたいことは分かりますけれどね。
でもね、本当に「今日」って「答えが出てしまった」のですか?
そうは思えないなぁ。
真夜中の11時ころに、「今日の答えは出てしまった」というのなら仕方ないけど、そんな話ではないでしょ。
「今日」という日がどんな日だったのか、それが分かるのはずっと先のことなんじゃないのかなぁ。
それが分かるためには、毎日の「今日」をきちんと真っ向から積み重ねていくしかないのではないかなぁ。今日をきちんと積み重ねないで、充実した明日なんて生み出せないでしょ。未知の未来を生きていく力をつけるには今日からでしょ。
よく、自分が本当の自分を出せたらこんなもんじゃない、というような錯覚に陥ります。
違うんだなぁ。本当の自分というのは、今ここにいる、この自分でしかない、のですけれど。
自分を変えたければ、今ここにいるこの自分を変えることからしか出発はできない。
大事なのは「今」「ここ」です。
それがきちんと受け止められれば、「あす」を作り出す力がつきます。
よい表現はないかなぁ。
学ぶということ
それは未知なる「明日」をつくり出していくために
みんなで知恵を出し合い
考え合う力をつけていくこと
「今日」という日を全力で生きること。
練れていません。
でも、上掲の広告にはどうしても違和感が残ります。
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