あらためて「障害」について
朝日新聞に、「生きていくあなたへ」という震災被害者の方々へのメッセージ欄があります。
(生きていくあなたへ)小さないいこと、見つけて 乙武洋匡さん(朝日新聞 2011年4月30日)
昨年まで小学校の先生をしていたせいか、小中学生のみんながとても気になっています。みんなのところに比べれば東京の揺れは大きくなかったけど、僕には本当に恐ろしかった。普段は手足がなくてもいろいろな方法を使ってみんなと同じような生活をしていますが、大津波から電動車いすで逃げ切れるだろうか。停電で充電できなければどこにも行けない。改めて厳しい現実を突きつけられた気がして、落ち込みました。でも無事だったのだから何か役に立ちたいと思い直しました。
・・・
ご存知のように、乙武さんは手足の欠損がある身体障害者です。
「普段」「平時」の「バリアの低い」時には、「いろいろな方法でみんなと同じような生活を」することができます。その乙武さんにして、揺れが「恐ろしかった」。それは平時ではないからです。普通じゃなくなってしまうかもしれないからです。電気がなければ車いすも動かない。体育館のような広い空間では、トイレに行くことだって多分大変なことになる。
「現実」が平時でなくなったら自分はどうなるのか、そこに乙武さんは直面してしまった。
「またぎこすべきバリアが高く」そびえてしまったらどうなるのだろう?なんとかなるさぁ、とは言えないのが身体障害者なんです。
バリア=障害にさえぎられている人が「障害者」だと私は言ってきました。
バリアが低いとか無いとかならば、ごく普通に生活し仕事をすることのできる人は多いのです。
バリアを作ってしまっているのは誰ですか?バリアを低くすることができるのは誰ですか?
バリアを持っているのは「そっち」でしょ。そっちこそ「バリア人=障害者」なんじゃないですか?などという過激なことを言い続けてきました。
さて、私も、実は乙武さんと同じ立場にあります。左脚一本の歩行機能損傷ですけどね。
家の中では補装具なしでも行動できます。左ひざの上を左手で押さえて体を支えて歩くんですね。でも、この補装具なしの状態では家の外へは一歩も出られないというのが現実です。
その私が、避難所に入ったらどうなるか。
寝たきり状態の病人・高齢者グループに入ることになります。
補装具なしでの移動は、20mくらいが限度でしょう。以前は25mプールの脇を移動したことがありますが、今はかなりきついものなぁ。
となると、食事の提供があっても受取にも行けない、トイレにも行けない、ということなんですよ。ただじっとしているしかできません。
若い頃、旅行すると当時は部屋にトイレがなくって、共同トイレだったりすることも多かったんですね。そうすると夜中にトイレへ行くのは、当時の体力のあるときでもかなりつらかった。部屋では出入り口の脇に寝ましたね。でないと部屋の中の移動もできない。
今、年とって体力もなくなった。
温泉行ったって大浴場なんて入れません、歩けないもの。部屋のバスにはいるだけです。
そんな私が、避難所の体育館でトイレに立つなんてできるわけがない。
災害時には「バリアが高い」。
差別とかそういうんじゃなくって、現実そのものが「急峻」になってしまう。とてもじゃないがそのバリアを越えて行動なんてできはしない。
地震や津波、台風など、避難しなくちゃいけない事態になったら、それが恐らく私の人生の「終点」なんだよな。と思い定めている私です。
災害による死者数のうちの「1」になるつもりで生きております。
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