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2011.5.2
線路の柵の内側。
色とりどりでしょ。
シランのつぼみ。
ムラサキカタバミの赤い花。カタバミの黄色い花。
いわゆる雑草ですから華々しくはないけれど、咲き競ってますね。
写真は撮りにくい位置なんですが、手を伸ばして撮影。
カメラ背面の液晶モニターによるライブ・ビュー撮影ではありません。
カメラボディのファインダーを遠くから覗いて、フォーカシングポイントをムラサキカタバミに当ててのオートフォーカス撮影です。このほうがピンポイントで狙いやすい。
背景に開きかけのカタバミの花がぼやけて写ってなかなかよい雰囲気になりました。
5.6
ほぼ同じアングルですね。シランが咲きました。
庭のシランの種を誰かがここへまいたのだと思います。
誰だろう?夫婦二人して「知らん」と、老人ギャクを言いあっております。
2011.5.2
撮影時はナミテントウだろうと思っていました。で、あまり追求せずに、こんな甘い写真で行き違ったのでした。
パソコン画面で眺めていて、どうもへんだなぁ、という感じがして調べてみました。
最初はヒメアカホシテントウだろうという見当をつけました。索引ノートにはその経過が残っています。さらに、いろいろ眺めていたら、どうもテントウノミハムシではないか、と思えてきました。
http://aoki2.si.gunma-u.ac.jp/youtyuu/HTMLs/tentounomihamusi.html
ここに写真とともに
成虫はテントウムシに非常に良く似ている。特にヒメアカホシテントウとは色,大きさ,点紋数がほぼ同じ。相違点は,本種の赤点紋は大きく周囲がぼやけており,触角が非常に長いこと。
こうありました。触角が非常に長いかどうかは判断できませんが、サイトの写真と似ています。
で、ここでの一応の結論は「テントウナミハムシ」としておきます。
幼虫はモクセイ科の木の葉の葉肉の中に潜り込んでしまうのだそうです。
葉肉の中に潜り込むのはハムグリガだけじゃないんですね。
2011.4.30
庭の小さな池。小さな穴を掘って防水シートを敷いて水を貯めただけなのですが、これがすごく複雑な生態系になっています。
基本はヤゴを飼いたかった。トンボに産卵に来てほしかった。これが動機。
来ます、必ず来ます。で、エサが要りますが、ミジンコなどはまあほっといても「湧く」(非科学的だなぁ。自然発生説か)。大きくなったヤゴのエサに、とメダカを飼う。メダカの産卵のためにと藻を生やす。
その辺までは私たちの「人為」。
あとはもう、野となれ山となれ、池になりました。
ヒキガエルも産卵するし、トンボはアキアカネ、シオカラ、オオシオカラ、イトトンボ系も。
で、増えすぎた藻を間引こうとすると、写真のようにヤゴがくっついてくるし、メダカの卵がくっついてくるし、大変なんですよ。うっかり捨てられないんですねぇ。
写真のヤゴは去年いたモノサシトンボの幼虫ではないでしょうか。
確定できませんが。
均翅亜目といっておけば大丈夫。
水中の写真は難しい。こういう姿のヤゴはイトトンボやモノサシトンボのヤゴだ、と認識して下さい。
朝日新聞の「しつもん!ドラえもん」から。
[しつもん!ドラえもん]476 どくしゃ編(5/16)
「真っ赤なうそ」というよね。どうして青や白じゃなくて「赤」なのかな。
[こたえ]「明らかな」という意味があるから
赤は「明るい」と同じ仲間のことばで、そこから物事がはっきりしている意味も生まれた。「黒」は「暗い」ともとは同じだよ。
あか【赤】(一説に、「くろ(暗)」の対で、原義は明の意という。)[広辞苑第五版]
あお【青】(一説に、古代日本語では、固有の色名としては、アカ・クロ・シロ・アオがあるのみで、それは明・暗・顕・漠を原義とするという。本来は灰色がかった白色をいうらしい) [広辞苑第五版]
なるほどねぇ。
●「あからさま」という言葉もありますね。
デジタル大辞泉の解説
あから‐さま
[形動][文][ナリ]
1 包み隠さず、明らかなさま。また、露骨なさま。「―に非難する」「―な敵意を示す」
2 物事が急に起こるさま。にわかなさま。
3 一時的なさま。ほんのちょっと。
4 (「あからさまにも」の形で、あとに打消しの語を伴って)かりそめにも。まったく。
出典:小学館
我が家では、冬場、電気こたつや灯油温風ヒーターをつかいます。
外出時、たとえどのようなことがあっても、猫が火事を出したりしてはいけないので、必ず電気コードを抜きます。
この時に、わたしは、いつもこう言います。
「あからさまに抜く」
妻は最初、何それ?といぶかしんでおりました。
「あからさま」というのは「あきらかなさま」だよ。
コンセントのそばにプラグがあったりすると、外出中に思い出したときなんかに、あれ?抜いたっけ?と不安に駆られるだろ。
コードはからんでいない。プラグはコンセントから一目見て遠く離れていることが分かる。
これが「あからさま」に抜くということさ。そうすれば、外出中も、視覚的な記憶で、うん、ちゃんとしてきた、というのが思い出せるだろ。
ついでに、「指差称呼」も励行しています。
コンセント、ヨシ。サッシのカギ、ヨシ。ガス栓、ヨシ。玄関ドアロック、ヨシ・・・。
指差喚呼・指差呼称・指差唱呼 いろんな呼び方がありますね。わたしはどうも「ゆびさししょうこ」が好きで。
1:目で見て
2:腕を伸ばし指でさして
3:口を開き声に出して「○○○、ヨシ!」
4:耳で自分の声を聞く
これをやっておくと、外出中の不安がかなり解消されます。それでも時々不安になりますけど。
最近は妻も「あからさまに抜く」という言葉になじんでくれて、笑いながらつきあってくれます。
●話が飛びますが、化学屋にはちょっと独特の言い回しがありまして。
「水素気流下、還元的な『雰囲気』で反応を行う・・・」
昔、理科の先生方の研修会で、こんな話をしていたら、物理の方の先生から「ずいぶん『文学的な』表現を使いますね。雰囲気ですか」と言われてしまった。
どうやらこれは「化学業界用語」のようです。 atmosphere なんですけどね。
その反応が行われる「環境」のような意味です。
reducing atmosphere と英語では言います。
他に酸化的雰囲気、水素雰囲気、窒素雰囲気、など、いろいろ使います。
そこを「取り囲む気体」なんですね。
●でまた、吹っ飛んで、パソコンの日本語入力で「ふいんき」と入力して変換してみていただけませんか?私のOffice IME 2007では変換できませんが、どうやら「雰囲気」と変換してくれるのがあるらしいんですよ。
若い人で、「ふんいき」といわず「ふいんき」と言っている方もいるというようなお話です。
http://nhg.pro.tok2.com/reserch-2/reserch1-99.htm
こんなサイトでもご覧ください。
2011.4.30
ブログがなかなか進まなくって、一月遅れ。
コマツナを食べた後、根を植えておいたら成長して花が咲いたのはちょっと前に書きました。
案の定、そこへモンシロチョウが産卵しました。
孵化した幼虫。2mmちょいですか。いっぱいいます。
この写真よく見てください。コマツナの葉に厚みがある、ということが実感されます。
あまりにも小さな幼虫ですから、コマツナの葉を「掘る」んですね。
穴を掘っている。で、向こう側までいったけど穴をあけるには至らなかった、というのも見えます。薄い膜が残っていたり。
一生懸命食べたんですね、自分の体より大きな穴を掘ってます。
ね、穴掘ってあるでしょ。で、いっぱい食べたのでウンチ!
かわいいや。
アゲハの幼虫なんかを飼っていますと(現在実際飼育中ですが)、あまり「葉の厚み」というのは気にしたことがなかった。若齢幼虫には柔らかい葉をあげよう、終齢幼虫は硬い葉でもバリバリ音を立てて食べる、そういうのはあるけど。
葉を厚さ方向に「掘る」というのは初めて気づいたことでした。
2011.4.30
線路の柵の内側。
今年初めてシランが進出していきました。
庭には以前からあって、毎年花を咲かせてくれています。
夫婦二人とも、シランを線路際へ連れていった覚えはない。
どうやって移動して行ったのかなぁ。
5.1
これは庭のシラン。
ウィキペディアでシランを検索したら
種子が飛散して栽培逸出することもある・・・
・・・
ラン科植物の種子は一般的に特別な条件が無いと発芽しないものが多いが、本種の種子はラン科としては異例に発芽しやすく、普通に鉢に播くだけで苗を得られる場合がある。
・・・
そうなんだ。種子を誰かが連れてった可能性が大ですね。我々ヒトか、鳥か・・・。
5.3
線路内のシラン。
花にはアブラムシがいますね、背景にナナホシテントウの幼虫が写っています。
幼虫の方にピントを合わせると
花を一緒に入れるのは無理でしたが、つぼみと一緒に写せました。
テントウムシは当たり年。この時期、どこを見てもテントウがいました。
関東甲信・東海地方が梅雨入り 平年より12日早く
(朝日新聞 2011年5月27日)
気象庁は27日、関東甲信と東海地方が梅雨入りしたとみられると発表した。いずれも平年より12日、昨年より17日早いという。関東甲信は統計を取り始めた1951年以降で2番目の早さ。東海は3位タイの早さ。
2011.5.27
ねぇねぇ、聞いた?梅雨入りしたんですって。
そうかぁ、じゃぁ、ナメクジさんにも知らせて来なくっちゃ。
なんか御用ですか?ダンゴムシさん。
いや、今年はずいぶん早く、今日、梅雨入りしたそうですよ。知ってました?
そうなんだ、道理でなんだか、のびのびした気分なんだ。
知らせてくれてありがとう。
オカダンゴムシとチャコウラナメクジです。
白山神社にて。
この時期、どんより曇って時々雨がぱらつくような日、白山神社の石垣の上でほぼ必ずと言ってよいほど、ダンゴムシやナメクジの「集会」が催されます。
多分いるぞ、と思って行ってみたら、案の定、いました。
ナメクジは敬して遠ざく。なのです、わたしは。
体内に貝殻の名残があるのが見えますね。
カタツムリは愛されて、ナメクジは嫌われる。顔とか見ればおんなじなのにねぇ。
ごめんね。
2011.4.29
ぶれた写真ですみません。
私は遊歩道に上がると厄介なので自動車道をモンパルで。妻は遊歩道を歩きます。
突然、アゲハが舞い寄ってきて、妻の周りを飛ぶ。
行ったり来たり、まるで衝突するかのように妻の服にとまったり。
脇からカメラで追うのですが、こんな程度にしか撮れませんでした。
チョウに好かれております。
時間がちょっと飛んで、帰ってからなのですが、私もアゲハの舞いに出会いました。
イチョウの新緑の下。
大型のチョウが体にぶつかるほどに舞ってくる、というのはなかなかにすごい気分がするものです。
わぁ、なんだなんだ、わぁわぁ、どうしよう・・・
チョウの気持ちは分かりませんが、嬉しくって仕方ありません。
そういう夫婦です。
2011.4.29
所期の目的地、せせらぎ公園からの帰り道。
行きと同じ六郷用水跡の散策路を帰ります。
帰りはのんびり、道草食いながら。
水路の向こうに大きな松が枝を広げていました。
松の花ですか?いっぱい。
さすが我が家の鉢の松とは風格が違うなぁ。
大分戻ってきて東光院のあたり。
いつも見るハナミズキ。
せせらぎ公園のハナミズキよりは背が低い。横に張っています。
向こうに見える屋根は東光院。
ハナミズキを目の前でじっくり眺められるようになったのはこの木のお陰。
毎年楽しみにして見に来ます。
空を押し上げて
手を伸ばす君 五月のこと♪
ハナミズキの花って、完全に開いてしまう前に、「まる」を描くでしょ。
まるで人が両手を頭の上で「まる」をつくっているみたいに。
その花の姿と、歌の出だしの部分とが重なるようになってしまった。
君と好きな人が百年つづきますように♪
つい口ずさんでしまいます、この一青窈さんの歌、好きだなぁ。
2011.4.29
ヒイラギナンテンですね、これ、たしか。
ヒイラギは鬼を払うとか、ナンテンは難転に通じるとかで、ヒイラギナンテンを門の脇に植えますね。
我が家の門の脇にも実は植木屋さんが植えていったのですが、いつの間にか消えちゃった。
害虫だろうが雑草だろうが、出入り自由の我が家に嫌気がさしましたかね、ヒイラギナンテンさん。
久しぶりに見ました。
シバザクラですか。
違ったかな。
いっぱい咲いていました。「じゅうたん」というほどではないですけれど。
これは見事。ハナミズキ。
こんなにいっぱい花がつくものなのですか。
すごいなぁ。
逆光気味ですのでうまく写るかどうか心配しましたが結構いい具合。
せせらぎ公園のお散歩はここまで。
高いところへは上がれませんが、まあぶらぶらするにはいいところ。
これから虫さんがどうなるか、あまり期待はしていませんが、普通の整備されすぎた公園よりはましになるでしょうか。チャンスがあったらまた来ます。
平らな道を左へぶらぶら。
ドッグランになっている広場もありました。
道のわきにこんな木が。
不思議な花だ、なんだろう?
コマユミというのだそうです。
ネームプレートがあるとありがたい。
http://shinrin.cool.ne.jp/sub169.html
ニシシギ科ニシシギ属
集散花序を出し、淡緑色の花が数個つく。
果実は朔果、秋に橙赤色に熟す。
あんまりよくわからない。
http://www.geocities.jp/greensv88/jumoku-zz-komayumi.htm
花は両性花で、5~6月に、葉腋から集散花序を出し、6~7mの淡緑色の花を数個つける。花弁、雄しべともに4個。萼は4裂する。
理解したとはいえないんですが、黄色いのはオシベの葯でしょう。中心にメシベがあると思います。花弁と萼はよくわかりません。
もし忘れずにいたら秋に来てみたいものです。赤い実がなるそうですから。
田園調布せせらぎ公園という公園があります。
大田区のホームページから引用しますと。
平成13年11月に公園予定地として取得した多摩川園ラケットクラブ跡地の一部を、平成14年8月から一般開放しています。
平成15年度から5か年で都市計画公園として区が整備していきます。平成14年12月から一般公募の区民参加による「活用計画検討会」を開催し、平成16年3月には跡地活用計画への提案がまとまりました。
平成16年7月には公募により公園名称を「田園調布せせらぎ公園」とすることに決定しました。
平成20年4月からは、正式に公園としてオープンしました。
多摩川園ラケットクラブのその前は、多摩川園遊園地でした。
幼い頃、久が原の大地の縁のところで間借りしていた頃、多摩川園遊園地へ菊人形を見に連れていってもらったような、ぼんやりした記憶がありますが定かではありません。
そこが「せせらぎ公園」という名になっているということは聞き知っていましたので、行ってみたいね、と話しておりましたが、季節もよし、モンパルで出発。
2011.4.29
我が家からは、六郷用水跡の散歩道を行って、東急多摩川線の多摩川駅へ向かいます。
行きはとにかく先ず目的地に到達しようと、途中の道草は食わないつもりでしたが、あれぇ、これなぁに?
ツツジらしいですね。
花びらが細い!
新しい品種なのでしょうか。初めて見ました。
「花弁の細いツツジ」で検索したら、楽天市場で売ってますね。
モチツツジ“花車”
花びらが細い花
だそうです。
知らなかったぁ。
2011.4.28
エニシダの花ですが、私の左手の指が一緒に写っています。
どうも、この花を見ると口を開けさせたくなってしまう。
昆虫が乗って入り込もうとすると、竜骨弁が開いてオシベが飛び出してきて、昆虫を叩くようにして花粉まぶしにしてしまうんですね。
この動作を手でやってみると、本当にパシッとオシベで叩かれるんですよ。
それが面白くって。
更に、花粉まみれになった昆虫は蜜が欲しいのですが、実はこのエニシダの花、蜜のガイドはしているのに、蜜は出していないそうです。
ちぇ~!損したぁ。と虫さんがぼやきそうですね。
この間の事情は私の以前の記事にあります↓
http://yamada-kuebiko.cocolog-nifty.com/blog/2008/05/post_b976.html
5.6
コバチの仲間じゃないかと思うんですが種はよく分かりません。
ここは、エニシダの花のすぐ下なんですね。
ハチの体についているのは黄色い花粉。
どうみてもこれはエニシダの花粉でしょう。
で、ハチは一生懸命体を掃除している。後脚で腹をこすって花粉を落としたり
ずりすり腹を葉にすりつけたり。
きっと気分が悪いんですね。
ミツバチみたいに花粉も集めるタイプではないのでしょう。
せっかく蜜があると思ったのに、オシベで殴られて花粉まみれにされて、で、蜜がなかった。
きっと不機嫌なんですよ。むっとしている。
心は見えないけれど、動作は見える。
この動作を人間に対比すると、「ちっ、なんてこったい、気分わりぃ」ですね。
ハチにも心はあるんだと思います。動作は見えるから。
2011.4.27
ハルジオンですよね。いつも分からなくなって調べなければならない。
つぼみが下を向いているからハルジオンだろうという見当です。
オニタビラコと入れ替わって咲き誇ることになります。
蕾の時は色が濃くって、咲くと薄いピンクになりますね。
はる‐じおん【春紫菀】
キク科の越年草。北アメリカ原産の帰化植物で、都会地周辺の雑草。5月頃開花し、花は淡紅色。ヒメジョオンに似るが、頭花は大形で、つぼみのときに下を向く。春女苑。[広辞苑第五版]
ひめ‐じょおん【姫女菀】
(俗にヒメジオンとも) キク科の越年草。北アメリカ原産の帰化植物。雑草として普通で、ときに大群落を作る。高さ約1メートル。初夏から秋にかけ白色の頭花を開く。若芽は食用。近似の帰化植物に葉が細長いヤナギバヒメジョオンがある。<季語:夏>[広辞苑第五版]
2011.4.25
自宅のベランダには、根から成長して花を咲かせてモンシロチョウを育ててくれたコマツナがあります。コマツナの花とはこういうものか、と教えてくれました。
でもって、ご近所に黄色い花。
(私)あれ、ナノハナだよなぁ。
(妻)いやぁ、コマツナかもしれないわよ。
で、そのお家の方が出ていらしたときに、伺いに行きました。
答えは「コマツナ」。
そうなんだ、やっぱりこれはコマツナなんだ。
この季節に黄色い花を見かけたら、ナノハナと思いこまないで、ちゃんと観察して下さい。
コマツナかもしれませんよぉ~。
コマツナの向こうに菊が咲いている。まさk、とは思いつつ、あれキクだよな。
妻笑って曰く「シュンギクなんですって!」
シュンギクのつぼみ。
菊だよなぁ。
昔、食用菊の花を食べましたっけね。
花をむしるのが子の私の仕事だった。
(食用菊も枝豆も茎ごと買ってきて、むしって調理しましたっけね。)
シュンギクは子にとっては「大人の味」だったなぁ。
いや、シュンギクを育てて花を咲かせていらっしゃる。すごいなぁ。
さすがぁ。先達はいるものだ。
2011.4.24
ボウガシの新芽につかまっていました。
大ざっぱな話、スズメガの仲間だ、というのは一目で分かる。
ホウジャクというのだろうな、というのも経験上分かる。
そこまで。
http://www.jpmoth.org/Sphingidae/Macroglossinae/Macroglossum_saga.html
ここにクロホウジャクのきれいな写真があります。
多分これでしょう。
【幼虫食餌植物】 ユズリハ科:ユズリハ
とあるんですが、ユズリハはないなぁ。近くにあるのだろうか?
それとも、クロホウジャクではないのだろうか。
全く自信がありません。
飛ぶと黄色い色が見えるらしいのですが、私の目の前では飛んでくれませんでした。
2011.4.23
大田区のとある公共施設。雨の日。
車いすマークの駐車スペースはこの1カ所だけ。
しかも三角コーンにバーがかけ渡してある。
これってどういうことですか?
車いす使用者は運転しない、とでもいうんでしょうかね。
健常者が運転してきて、車いすを下ろし、障害者はそれに乗って待っていると、健常者がバーを外してよけ、車を入れて降りてきて、車いすを解除して施設に入る。
こういうことしか考えてないんでしょうかね。
車いす使用者で自分で運転するという方はいっぱいいらっしゃるんですよ。
雨の日、後部座席に積んだ車いすをいったんおろして乗ってから、バーを外しに行き、車に戻って車いすを積んで駐車し、また車いすを下ろして乗ると。
なんてことをさせるんですか!?
出る時はまた自分でバーをかけていくんですか?
(こうしておかないと、自転車がかってに駐輪してしまうという事情もあるのでしょうけど。それはそれで、とんでもなく考えものですよね。自転車を使う人たちの想像力不足も一因なんだろうな。)
実は、期日前投票に行った時のことなんです。
公共の施設へ期日前投票に行って、これじゃあ情けない。
選管の方にやんわりと文句を言って、地下駐車場を開けてもらいました。
配慮が足りないんだよなぁ。
想像力不足。
私は車で行って、「歩行困難者」という大層な「標章」を掲示して投票に行きましたけどね。
以前は、投票所の中学校の前がある程度道幅のある道路で、そこに車を止めて体育館で投票したのです。広いからせかされる感じもなくてゆっくりしたペースで投票ができた。車を止めてもそう、申し訳ない気分も味あわずに済んだ。
ところが、何年か前から、狭い一方通行路に面した小学校に投票所が変わった。車を止めるのは非常につらい。遠くに駐車して、とぼとぼ歩いていかなければならない。狭いガードレールの内側で追い越されたすれ違ったり、ステッキを使用して歩行速度の非常に遅い私には緊張の連続なんですね。しかも、投票所が教室なので狭い。どうにもあおられる感じで落ち着かない。
で、最近は期日前投票に行くことにしたんです。
地下駐車場があって、混雑しないし、ゆっくりと投票ができますのでね。
なんだかねぇ、以前より「バリア」が高くなったような気がします。
で、おまけに、冒頭の写真。
あきれてしまいました。
なさけないや。
2011.4.22
ボケの花。
我が家のボケはあまりいっぱいは咲いてくれませんで、わずかの花を楽しむだけなんですが。
4.26
立派な姿に咲いてくれました。
うむ、なかなか良い咲き方になって来たと思っておりましたら
4.30
赤くなっちゃった。
花弁がピンクになっただけではなく、オシベの花糸も赤くなってしまいました。
こういうのって、あり、なんですか?
と書いて、アップロード前に一応検索して調べておこうと思ったら
☆ 色変化品種(日光によって色が変わる品種で、花びらの先だけが紅色に変わる品種や長期によって変化するため最初咲いた花は赤くなっていますが、今開いた花は白の花であたかも、赤とピンクと白の花が咲いているように咲き分けます。)代表品種、大晃錦、七変化、酔顔、越の残照、越の夕映、など
こういう品種があるんですって。
知らなかったなぁ。具体的な品種名は分かりません。でも、そういう品種なんでしょうね、きっと。やっぱり調べてみるものだなぁ。
2011.5.22
日曜の朝、のんびり起きて雨戸をあけて。
顔を出していた妻が、ちょっと手を伸ばしてナツミカンの小枝を取ってきました。
なんだい? アゲハの幼虫。
まだコンタクト入れてないんだろ? 見えるのよ。
葉の食痕と黒っぽい色のパターン認識で「見えて」しまうんですね。
「虫目」で見てるんだ。すごい人だ。
いかにもアゲハの幼虫ですね。
早速、口細のガラス瓶に水を入れて枝を立て、口の付近はティッシュで塞ぎます。
水への落下防止策です。以前、瓶の口のところをフリーにして置いて、幼虫が歩きまわっているうちに水に落下して死なせてしまった苦い経験があるので、落下防止策は必ず取ります。
ふと見ると、今までなかったものがコロン。
ウンチかな。
小さな幼虫は小さなウンチ。
大きな幼虫は大きなウンチ。
まったく、立派なウンチは元気な印。うれしいですね。
この写真のタイプの若齢幼虫が脱皮して緑色になり、脱皮した皮を食べちゃう、という写真が下のブログで見られます。どうぞご覧ください。
http://nonkinigohan.blog76.fc2.com/blog-entry-279.html
素敵です。
2011.5.22
キンカンの木に、おそらくアゲハだろうという卵がありました。
最近、卵の状態で家へ持ち込んだものの孵化率が低いような気がして、孵化したら寄生される前にとりこんで飼育しよう、と待っておりました。
孵化しましたよっ!
卵から出てきたところですね。9:06。
体はまだクリーム色。頭だけ薄い茶色。
9:14
向きを変え、今まで自分が入っていた卵の殻を食べ始めました。
「おかあさんが持たせてくれたお弁当」
でもないでしょうが、最初の食べ物は卵の殻なんですね。
どういう仕組みなんだろう?
幼虫の食欲を刺激する匂い分子でも出ているんでしょうか。
食欲ではないかもしれない。口を開いて噛みつくという動作を誘発するフェロモンのようなものかも知れないですね。
これを食べなさい。これに噛みつきなさい。というように、行動を誘発されているのではないかな。幼虫の側がこれはおいしいものだ、と知っていることはないでしょう。
9:23
殻の中に頭を突っ込んでますね。やっぱり、とにかくおいしいんですよ、これ。
9:34
半分以上食べちゃった。体の色が少しずつ濃くなっている感じです。
10:26
食べ終えて、2cmほど移動して葉の上へ。
体の色も変わりました。
頭をきゅっと下へ曲げ、そこに3対の脚を引き寄せています。
4対の腹脚と一番後ろの1対の尾脚まで識別できます。
一人前なんだもんね!
これから飼育の季節が始まりましたね。
うれしいですね。夫婦二人して若干「ハイ」になってます。
モンシロチョウがほぼ旅立ち、今度はアゲハ。
いい季節だなぁ。
お誕生日おめでとう!
お気づきと思いますが、アクセスカウンターを表示しました。カレンダーの下。
30万が近づいてきましたので表示してみました。
6月でしょうかね、超えるのは。
毎日ありがとうございます。楽しみにしております。
[しつもん!ドラえもん]474 りょうり編(5/14)
ミルクはいろいろな食品の原料になる。ヨーグルトもそのひとつだけど、なぜ酸っぱいの?
[こたえ]発酵しているから
ミルクに乳酸菌や酵母を加えて時間をおくことで、成分が変化して固まるんだ。乳のもっとも古い加工法といわれ、世界のあちこちで食べられてきたよ。
かかしじいさん曰く。
「ヨーグルトが酸っぱいのは腐っておるからじゃよ」
菌が活動して、食べられなくなったら「腐った。腐敗した」といいますが、食べられるなら「発酵した」なんですよね。
納豆なんか、昔はアンモニア臭かったよな、あれは大豆が腐ったものですね。
「益虫・害虫」のように、人間側の勝手な都合で、食えれば「発酵」、食えなければ「腐敗」と呼ぶだけです。
ところで実際に食品が腐って酸っぱくなった、という経験をなさったことはありますか?
一口含んで、う、酸味がついた、こりゃだめだ、と吐き捨てて廃棄したというような経験ですが。最近は賞味期限とかに過剰に頼っているからそんな経験ないかもなぁ。
私共夫婦はそういう経験はたくさんしております。ですから、ギリギリのところでのサバイバル能力は結構高いのではないだろうか、などと笑っておりますが。
味覚のうち、「酸味」というのは、ひょっとして食べる物が腐ってないかどうかを知るための感覚だったかもしれません。現在は酸味は重要な味覚ですが、それは文化のせいでしょう。
人間以外の動物は酸味のあるものは食べないでしょう、これは危険だと。
赤ちゃんも初めは酸味は嫌い、成長してからの大人の味ですよね、酸味は。
苦味は恐らく植物の有毒なアルカロイドを検出して避けるための味覚。
塩味は生存に重要なナトリウムの味。
甘みはエネルギー源の味。
こんな話も、生物や化学の授業でよくやりましたっけ。
母親が赤ちゃんだった時の写真、という大竹さんのエッセーへから、私の中に引き起こされた記憶のかけらをご紹介します。日経サイエンスの記事なんです。ウェブ上に公開されている要約ですから、そのまま引用します。
http://www.nikkei-science.com/topics/bn0602_2.html#02
日経サイエンス 2006年2月号
胎児の細胞が母親の脳へ
損傷修復に一役買っている可能性がある
細胞移植による治療に発展するかも
母親はわが子のことで頭がいっぱいだが,その脳のなかには文字通り,わが子が存在するようだ。母マウスの脳を調べたところ,胎児の細胞が入り込み,神経系の細胞に育っているとみられることがわかった。この現象はシンガポール国立大学のドー(Gavin S. Dawe)とシンガポール総合病院のシャオ(Zhi-Cheng Xiao)らが,脳卒中やアルツハイマー病などの治療法を探る研究のなかで発見した。
胎児の細胞は母親の血液中に入り込むことがある。この事実は以前から知られており,人間では出産後27年以上も母親の体内に残る場合がある。胎児細胞は幹細胞のようにさまざまな種類の細胞に変化でき,傷ついた臓器の修復を助けているとも考えられる。傷ついた部分に集中
ドーらが全身に緑色蛍光タンパク質ができるよう遺伝子操作したオスのマウスを通常のメスと交配させたところ,母親の脳のなかに,緑色蛍光を示す胎児の細胞が発見された。「いくつかの脳領域では,脳細胞1,000個あたりの胎児由来の細胞が1個,ときには10個に達した例もある」とシャオはいう。
これらの胎児細胞は,ニューロンやアストロサイト(ニューロンに栄養を供給する細胞),オリゴデンドロサイト(ニューロンの電気信号が漏れないように守っている細胞),マクロファージ(細菌や傷ついた細胞を食べる細胞)に似た細胞に変化した。さらに,マウスの脳を化学薬品で傷つけたところ,損傷部位には他に比べて約6倍の数の胎児細胞が集まった。脳がSOS信号として放出した分子に反応して集まったと考えられる。
脳と血液系は「血液脳関門」という障壁で隔てられているが,胎児細胞がどうやってこれを通り抜けるのかは不明だ。脳の毛細血管壁の細胞は密に詰まっており,たいていの化合物はこの壁を通り抜けられない。胎児細胞が血管壁をすり抜けられるのは,細胞表面についているタンパク質や糖などの生体分子が血液脳関門と相互作用するからではないかとドーらは考えている。血液脳関門そのものは妊娠中のメスもその他のマウスも大きな違いはないので,胎児細胞はオスや妊娠していないメスの脳にも入り込めるはずだという。
これはマウスでの話ですが、同じ哺乳類ですからね、ヒトでもそんなに大きな差異はないのではないでしょうか。
免疫なんかはどうなっているのか。「母親と子」という関係は、なんだか、とてつもないものですね。
さらに
http://www.nikkei-science.com/page/magazine/0805/200805_068.html
日経サイエンス 2008年5月号
マイクロキメリズム あなたの身体に潜む“他者”の細胞
J. L. ネルソン(フレッド・ハッチンソンがん研究センター)
妊娠中に胎盤を通して,母親と胎児の間で互いに細胞が行き来する──これだけだったら,さほど驚くにはあたらない。胎盤を通じてさまざまな物質が行き来していることは周知の事実だ。だが,このときに行き来した細胞が,その後もずっと定着しているとなると話は別だ。実の母子といえども免疫系から見れば“他者”。母親や我が子からの細胞は本人の免疫系によってすぐに排除されてしまうはずだ。
ところが,実際には成人した男性から母親の細胞が見つかったり,出産後,数十年たった女性から息子の細胞が見つかったりしている。母親由来の細胞が本人の細胞とともに心臓の一部となっていた例もある。
こうした他者の細胞は,本人の健康にとって良い面もあれば悪い面もあるようだ。いわゆる自己免疫疾患とされてきた疾患のなかには,体内に潜む他者の細胞が本人の免疫系を刺激して生じてしまうものがあるらしい。母親由来の免疫細胞が胎児の身体に入って,胎児に深刻なダメージを与えてしまうこともある。
だが,悪いことだけでもない。ダメージを受けた臓器や組織を修復するために母親由来の細胞が集まってきている例もある。
他者の細胞が体内に潜んでいる現象を「マイクロキメリズム」と呼んでいる。なぜ,本人の免疫系によって排除されないのか? 自己免疫疾患の一因となっているのならば,それまで共存できていたのに,なぜ突然,和平が破綻したのか? 本人の細胞よりも明らかに高齢化しているはずの母親由来の細胞は発がんリスクが高いのか? マイクロキメリズムは発見されたばかりなのでまだ謎だらけだが,さまざまな医学分野に影響を与えそうだ。著者 J. Lee Nelson
フレッドハッチンソンがん研究センターのメンバーでワシントン大学医学部教授(どちらもシアトルにある)。1986年にハッチンソンセンターに入った時から自己免疫疾患の発症と回復におけるマイクロキメリズムの役割を研究している。臓器移植,がん,生殖とマイクロキメリズムの関係も調べている。スタンフォード大学で学士号を,カリフォルニア大学デービス校で医学の学位を取得しワシントン大学でリウマチ学を学んだ。
原題名
Your cells Are My Cells(SCIENTIFIC AMERICAN February 2008)
わぁ、びっくりした!というのがこの記事を詠んだ時の実感。
母親ってすごいものなんだ。
人間の「個体性」って何だ?
個体性の境目って、何だ?
私自身、何にも分かっていません。こんな話がありましたよ、ということだけ、お伝えします。
前の記事で大竹さんの文章を引用しました。一部を再掲しますと
母方の親戚一党が客間に勢ぞろいし、記念撮影した写真が残っている。大 正末期に祖父の家で撮られたもので、写真屋さんがきたらしく、みんなしゃちこばって前を向いている。
私より少し年下くらいの大竹さんの、そのお母さんが赤ん坊だった頃の写真ですから、正直言って「かなり古い」。
そういう時代に、「写真を撮る」というのはかなり特別なことだったはずなんです。
親戚一党が揃うチャンスがあったので、盛装してみんなで集合して、しゃっちょこばった緊張した顔つきで撮影されたはずなんですね。
その時代、室内での集合写真というとおそらく、マグネシウムの粉末を燃焼させる「フラッシュ」を使ったと思うのです。
私自身は、幼い頃に叔母の結婚披露の宴で、座敷で親族の集合写真を撮った時のことを覚えています。
写真屋さんが、蛇腹式のカメラに顔を突っ込んで、片手にフラッシュを持ち、もう一方の手でシャッターを開いてから、フラッシュを発光させて、シャッターを閉じる、というような撮影だったと思います。
撮影終了直後、広い部屋なんですが真っ白な煙が充満し、大人たちがさあ窓を開けろと走り回っていましたっけ。
すごいんですよ、酸化マグネシウムの微粉末が充満して、息も苦しい、向こうが霞んで見えにくい、そんなふうになりましたっけ。
女性の化粧用具で蝶番で蓋が開く四角い箱みたいなのがありますでしょ、あれを少し大きくして取っ手をつけたようなものなんです。取っ手の付け根にマグネシウム粉末を盛り、ライターの発火石のようなもので火をつけるんですね。
↓個人のホームページですが古い写真用具がのっていて、マグネシウム・フラッシュの実物写真もあります。
http://homepage1.nifty.com/nekocame/camera/sonota.htm
古い映像を見たり、話に聞いてはいたが、実物を手にしたのは初めてである。
蓋を開いてマグネシウムの粉末を適量セットし、裏についているネジを巻いてシャッターと同時にノブを引き下げると、ジッポーの数倍の火花がマグネシウムに引火、閃光を発する。
ボン!という音とともに被写体を照らすフラッシュ。強引な方法であり、手間も大変ではあるが、かつては当たり前だったのだ。写真1枚1枚の価値が違った遠い昔のロマンティシズムを感じる。
さて、そうやって写真を撮ると、閃光に目をつぶってしまう人ととか出ますが、撮り直しなんてできませんからね、裏技があるんです。
古い時代の写真を見ると、妙に目がパッチリくっきりしていることがあるのです。
これは、写真屋さんが手描きで写真乾板(フィルムじゃなく、ガラス板に写真乳剤を塗ったもの)に修正を施しているからなんですね。
想像するに、大竹さんがご覧になった古い集合写真の裏にはそんな出来事もあったのではないでしょうか。
化学教師としては、マグネシウムの明るい燃焼を生徒に見せて(直視するなよ、紫外線が多いからな、目の端っこで見るんだぞと注意しながらね)、このフラッシュの話をしたものです。
マグネシウム・フラッシュの後には、アルミニウムの細線と酸素を封入した電球型のフラッシュを使いましたね。透明なビニールで被覆してあって、使用後は熱で電球のガラスがバリバリ粉々に割れるんですが、被覆で飛散を防止する。使用後の電球を取り外すのがとんでもなく熱くってね、たまらなかった。フラッシュの光を前方へ反射させるために、折り畳み式の反射板もあったな。扇子が360度に開くようなやつです。
写真の好きな叔母がいまして、その人の影響で、蛇腹式の小西六のカメラとか、二眼レフとか、子どもの頃からいろいろ使ってきたという経歴があるんですね、私。で、叔母の撮影助手みたいなこともして、フラッシュ電球の交換などもしました。やけどしたって自分のせいですから、ちゃんと工夫してましたよ。
その後、キセノンランプになったわけですが、いまだに「フラッシュを焚く」という表現が残っているのはこういう歴史的な経緯があるからなのです。
朝日新聞の夕刊に、[彩・美・風]というエッセーがあります。その5月11日の分に大竹昭子さんが次のような文章を書いておられました。
過去へ連れゆく写真の力
母方の親戚一党が客間に勢ぞろいし、記念撮影した写真が残っている。大正末期に祖父の家で撮られたもので、写真屋さんがきたらしく、みんなしゃちこばって前を向いている。いちばん端で白い産着に包まれ若い男性の腕に抱かれているのは、赤ん坊のときの母である。
この写真を最初に見たのはいつだっただろう。まだ小学生のころではないか。「これだれ?」と尋ねて、「お母さんよ」と母が答えたとき、とても困惑したのを覚えている。
だれの場合でも、ふにゃふにゃだったころの写真を見せられれば驚く。だがその写真に感じた違和感は、それよりももっと奥深い、自分の実存が危うくなるような感覚だった。お母さんが赤ん坊だったら、私はどうなるの? という理屈にならない問いが湧いてきたのだった。
この赤ん坊が大きくなって、結婚し、私を生んで育てたということは、頭でわかっていた。でもそんな説明では、そのときの理不尽さは消えなかった。
子供にとって、母親は生まれたときから母親である。いま自分がここにいるという根拠は、母が母であるという事実によって保証されている。
その母が生まれたばかりの赤ちゃんで写っているのが、なんとも居心地が悪い。どこかの見知らぬ赤ん坊のようだ。本当にこの子が大きくなって私を生んだのだろうか。そう思うと、ひとつ歯車がちがえば、自分がこの世に存在しなかったような不安が頭をもたげてきた。それは母が「私が赤ちゃんだったころにね」と口で言ったときとはちがう、実に奇妙な感覚だった。
写真は過去のある一点に見る者を連れて行く。そのとき私は、自分が生まれるという筋書きが、まだどこにも書かれていなかった時点に、引き込まれたのだろう。写真がはらんでいる時間の恐ろしさにうろたえたのだ。
◆自分の母親が赤ん坊だったという写真に困惑し、「自分の実存が危うくなるような感覚」を覚えていらっしゃいます。
「ひとつ歯車がちがえば、自分がこの世に存在しなかったような不安」と言っておられますが、私のようなタイプの人間には、当たり前のことのように思えます。私が今ここに存在しているということは、全く単なる偶然に過ぎないと思っています。たまたま、こうして生まれてきましたが、別に私が生まれなければならない必然性などどこにもないと思われます。
「ひとつ歯車がちがえば、自分がこの世に存在しなかった」というのはごくごく当たり前なんですけどね。
どうも、私にはそういうタイプの感性がない。
もう少し別のところに大いなる驚きを覚えるたちです。
◆生物は子孫を残さなければならない。
話を動物に限っておきましょう。話が拡大しすぎないように。
動物の成体が現実体として今ここにあるとします。
この動物が子孫を残すためには可能体としての生殖細胞を持っていなければなりません。
動物は現実体として生きながら可能体としての生殖細胞を保有して、「2世代」が重なり合って同時に生きています。
さて、ヒトは哺乳類です。ですから、子を子宮の中で育てます。
想像してみてください。
お腹の大きな妊娠中の女性。その女性の子宮の中には「子」が成長中です。その「子」はすでに現実体ですね。出生前ですが個体性は当然持っています。そしてその「子」の体内にはその「子」にとっての可能体である生殖細胞があるのです。
どうでしょう、3世代が重なって同時に生きているのですよ。
こういう事実こそ私にとってくらくらするほどの驚きをもたらします。
女性は妊娠中に、自分の孫までを重ねて、3世代の同時存在として生きているのです。
男性にはそういうことはありません。あくまで2世代の重なりしかありません。
すごくありません?想像したことありました?3世代が重なっているなんて。
もし、自分のおなかの大きな祖母が母を妊娠中だったという写真があったらすごいですね。
祖母がいて、その体内に母がいて、その胎児である母の中に将来自分になるべき卵細胞がある。
女性って、やっぱり男性をはるかに超える存在ですね。
◆ちょっと発生学の本を開いてみましょう。
「発生学アトラス」Ulrich Drews 著、塩田浩平 訳、文光堂、1999年
原始生殖細胞(始原生殖細胞)の遊走
第4週に、原始生殖細胞が、卵黄囊から背側腸間膜を通って未分化な性腺原基へ移動する。これらの細胞は、遊走しながら有糸分裂によって増殖する。胚子期の生殖細胞
卵祖細胞の数は、胎生5カ月に最大(700万)に達する。この時期まで増殖した後、卵祖細胞が第1減数分裂をはじめる。卵細胞の周囲に卵胞細胞ができて原始卵胞が形成された後、第1分裂が停止する。原始卵胞にならなかった卵祖細胞は、死滅する。精巣の原基では、原始生殖細胞が精祖細胞として精巣索の中へ取り込まれ休止期に入る。出生時の生殖細胞
卵巣では、卵細胞が原始卵胞の中にあって、第1減数分裂の前期(網糸期)で停止している。精巣では、精祖細胞が、緻密な精巣索の中で、減数分裂をはじめる前の状態で停止している。思春期における分化
卵巣には、なお4万個の卵細胞がある。各月経周期ごとに、数個の卵細胞が分化をはじめる。対合していた染色体が伸びる(ランプブラシ染色体)。胚が発生をはじめるのに必要なmRNAが転写され、卵細胞の細胞質に蓄えられる(母体因子)。第1減数分裂が排卵直前に完了し、第1極体が放出される。すぐに第2減数分裂がはじまるが、それも分裂中期で停止する。この段階で排卵が起こる。精巣では、思春期になってから、精祖細胞が再び増殖をはじめる。一定回数の有糸分裂を経た後に減数分裂と精子への分化がはじまる。
{ブログ著者註:精祖細胞は6回の有糸分裂を行ってから減数分裂をします。4回目の有糸分裂をした精祖細胞の一部は、精子発生過程から外れて、再び休止期の精祖細胞に戻ります。これによって、精子発生の幹細胞がなくならずに一定数が保たれるのです。}受精
卵細胞に精子が接すると、第2減数分裂中期のブロックが解除される。その結果、引き続き第2分裂が進行し、第2極体が放出される。接合子
男性前核と女性前核ができた後、それらが互いに融合して新しい接合子ができ、ここに胚の発生がはじまる。
いかがでしょう?
生殖細胞というものは生物にとって、とてつもなく大事なものです。発生中の激しい増殖や分化の嵐から生殖細胞を隔離して「なににもならない」という形で生殖能力を確保します。
現在の生殖医療と称するヒトの行為に大きな疑念を持ちます。やれることと、やっていいことはちがうだろ、といいたい。38億年もの「継続」を果たしてきた生物の生殖に、思い上がってうっかり手を出すと、生物としての大きな打撃・しっぺ返しをくらうことになるのではないかと危惧します。
女性の場合、胎児でいるうちに減数分裂を途中まで進めてから停止させ出生を迎えます。まだ減数分裂の後半が残っているとはいえ、その卵細胞が授精すれば次世代になり得るという意味で、ある種の個体性がすでに卵細胞にはあります。
男性の精祖細胞は、分裂して増えてから更に減数分裂して個々の精子になりますので、精祖細胞の時点ではまだ個体性はないと言っていいだろうと考えます。
ですから、「妊娠中の母親の体内の胎児が既に持つ可能体としての次世代」といっても、その胎児が女児か男児かで、3世代目の個体性のあり方には大きな違いがありますね。
女児を妊娠した時に3世代のオーバーラップが際立つわけです。
つくづく女性ってすごい存在です。男にはどうしようもない。絶対に太刀打ちできない現実です。
◆こういうことに、私はくらくらし、めまいのような感動を覚え、もしほんの一端でもその感動を生徒に伝えることができれば、と生物の授業をしていたのです。
◆派生的に書きたいことがまだいくつかありますが、長くなりました。ここでいったん切ります。
2011.4.20
こちらはアブラムシを食べている幼虫。大食漢です。
ここには蛹。
普通、頭を下にして蛹になります。
幼虫時代の外皮は腹端部の付け根のところにたまっています。
腹端部を固定してから、脱皮するのですから、脱いだ殻はたまる、当たり前のようですが・・・。
チョウの蛹を思い浮かべてください。
垂直面に体を固定するタイプの蛹も、ぶら下がり型の蛹も、最後の脱皮の殻は下へ落ちてますよね。どうやって脱ぐのだろう?というのはかなり大問題。
垂直な面に体を固定するタイプは、胸の周りに回した糸で体重を支えておいて、一瞬、自分の脱皮殻をまたぐのかなと思います。
ぶら下がり型の蛹はどうしているんだろう?一瞬でもまたげないような気がする。殻を割ることができて、それで殻が落下するのでしょうか?
ソックスを脱ぐことを考えてください。爪先を床につけたまま脱ぐことができますか?
一瞬爪先を浮かすか、ソックスを切り開くか。
どちらかしかないはずですよね。
うむ、悩ましい。
2011.4.19
このヒメナガカメムシのいる場所は分かりますよね。
タンポポの果実が乗っている部分です。
どういうわけか、果実はある程度残っていますが、その果実に綿毛がない。
強風の吹き荒れた後でしたので、そのせいでしょうか。果実はまだ成熟しきっていなくて固着しているのに、綿毛が風に吹かれたので、綿毛だけ飛んでいってしまったとか。
なんだか妙な気分でしょ。この写真。
足元に落ちていたのは一応果実と綿毛のセットになったものでした。
濡れてしまって遠くへは飛ばないまま落ちたのでしょう。
ここにもヒメナガカメムシが写っています。(左上)
もう一回、ダメ押し。
綿毛のついた果実もある、綿毛を失った果実もある。
そしてヒメナガカメムシも手前に見えている。
こういう状況でした。
カメムシにとって、やはり果実が熟する場所は「おいしい」食卓なんでしょうね。
2011.4.18
ムラサキツユクサの花はそれなりに知られていると思いますが、つぼみのときの姿って意識して観察したことありますか?
こんな恰好をしています。
4.19
翌日には咲きました。
さっそくハエが乗ってます。
体に白い粉がついていますね。
この花かどうかは分かりませんが、花に潜り込んで花粉がついたのではないでしょうか。
で、手足を擦って、払い落しているのでしょう。
これが「ムラサキツユクサのオシベの毛」というやつです。
細胞が並んで毛を構成しているのがカメラでもとらえられます。
原形質流動の観察の教材として、あまりにも有名です。
毛の先端部の細胞は丸っこく、根元近くの細胞は長くなっていて、その根元近くの大きな細胞で原形質流動が活発です。
福島第一原発事故で「炉心溶融(メルトダウン)」のことが報道されました。
この時、また「技術用語」が飛び交って、まずいな普通の人の言語感覚とはズレてるな、誤解が深まるばかりなのではないかな、と思いました。
別に原発関係者を擁護する気は全くないのです。「言葉」による相互の理解が成立しなかったら、そもそも話にならない、という危惧です。
「評価」という言葉なんです。
ひょう‐か【評価】ヒヤウ
①品物の価格を定めること。また評定した価格。「―額」
②善悪・美醜・優劣などの価値を判じ定めること。特に、高く価値を定めること。「―が低い」「努力を―する」
[広辞苑第五版]
日常感覚では②の「高く価値を定める」という意味が強いですよね。
ところが、関係者の発言は
東京電力は15日、福島第1原発1号機でメルトダウン(全炉心溶融)が起きたのは、地震発生から16時間後の3月12日午前6時50分ごろだったとの暫定評価を明らかにした。
こうなんで、事態の中味を「査定した」とか、こういう状態だと「判断する」というような感じで使っています。
この「意味のギャップ」に気づかずに発表を聞いていると、なんだか「よいことがおこった」という感じで聞いてしまうかもしれません。
技術畑の人にとっては当たり前の用語でも、そのままの意味でどこにでも通用するかどうかは分からない。そういう想像力をもって、中味がきちんと伝わる言葉を選ぶべきでしたね。
英語だと
evaluate
{動詞}(他動詞)評価する,鑑定する.
evaluation
{名詞}評価,査定;(医学での)診断.
evaluation committee 評価委員会.
evaluation criterion[standard] 評価基準.
evaluation data[record] 評価データ[記録].
[学研パーソナル英和辞典]
valueを「測る」みたいな感じの語です。
私は40年近く個人的にコンピューターのプログラミングを趣味にしていて、いろんな言語に接してきました。プログラミングの世界ではまた「評価」という言葉を独特な意味で使っています。
「式」という概念があって、何らかの演算を行う命令が「式」です。
その命令を実行すると「値」が返ってきます。
式を実行して値を得ることを、「式の評価」というんですね。
演算子はどういう順番で「評価」されるか、とか
条件判断の際、左から評価し、値が定まった時点で以降の評価は行われない、とか
そんな使い方もします。
「業界用語」は業界内部では、意味が限定されていて、間違いなく伝わるのですが、日常語とのズレを常にきちんと意識していないと、何にも伝わらなくなってしまいます。
東電や原子力関係者の言葉遣いにその「不注意」「無配慮」がよく見受けられるのは残念なことです。「原子力村」といわれても反論はできませんね。
5月16日の新聞に事故の話が載っていました。
東工大の実験室で爆発 大学院生3人けが 横浜(朝日新聞 2011年5月16日)
16日午後4時45分ごろ、横浜市緑区長津田町の東京工業大学すずかけ台キャンパスの警備員から「キャンパス内で爆発があり、3人がけがをした」と119番通報があった。神奈川県警によると、20代の男子大学院生3人が顔にやけどを負った
県警緑署によると、爆発があったのは同キャンパスG1棟6階の実験室で、負傷した3人を含む6人の大学院生がいた。同大によると、実験後に器具に付いた金属ナトリウムをメタノールで安定化させていたところ、爆発したという。
どういう実験だったか詳細は分かりませんが、「金属ナトリウムをメタノールで安定化」というのは妙な表現です。
私は大学では有機化学を専攻しましたから、ナトリウムとは日常的に接していました。
ヘキサンやベンゼンといった有機溶媒は、水と混じりませんから、通常の感覚では「湿っている」わけはないですよね。
ところが、きちんとした実験をするには、このような溶媒の中にほんのわずか分散している水分子が反応の邪魔をすることがあるのです。そういうときに使うのが「ナトリウム・コイル」。
金属ナトリウムを細い針金状に絞りだしてベンゼンなどに入れます。すると、水分子は金属ナトリウムと反応しますので、極微量の水も取り除けるのですね。
で、そういうものすごい「乾燥剤」として金属ナトリウムを使うのですが、未反応の金属ナトリウムが必ず残る。
で、乱暴なやり方としては、広いグラウンドにそういう未反応の金属ナトリウムを出して、遠くからホースで水をかけてしまう。たまに火を噴きますが、オープン・エアでならそう危険はない。しかし、これは環境汚染になりますから今はできませんね。
となると、アルコールに入れて穏やかに反応させて処分するのがいい。
私の頃だと、エタノールでよく金属ナトリウムの処分をしましたが、プロパノールの方が反応は穏やかでしょう。
そういう、金属ナトリウムをメタノールで処分していての事故が冒頭に引いた事故なのだと思います。
金属ナトリウムとアルコールの反応は水素が発生し発熱しますから、火気厳禁ですし、高温にならないような配慮が必要ですが、きっとそのあたりになにか足りないところがあったのだと思います。日常的なルーチンワークだったのではないかな。で、つい、「慣れて」しまって注意がおろそかになったのかも。
もちろん、生成したナトリウム・メトキシドも強いアルカリ性物質ですので、これの廃棄にも十分な注意が必要です。そのまんまなんか捨てられません。
昔取った杵柄で、想像してみました。
前の記事で、「原子炉の炉心のメルトダウン」の発表の時の「評価」という言葉について書きましたが、今朝の天声人語にも少し引っかかりました。
[天声人語]嗚呼メルトダウン(2011/5/18)
辞書によれば、〈溶ける〉とは固形物が液状になることだ。類語の〈とろける〉には、心のしまりがなくなる/うっとりする、の意味が加わる。「ろ」が入るだけで随分まろやかだが、間違って「炉」を添えると、〈溶ける〉が牙をむく。
「メルトダウン」は軽々しく使える言葉ではなかった。なにしろ、原子炉の燃料棒が自らの熱で溶け落ちる悪夢である。燃料の損傷という軽い響きも、炉心溶融と正直に書けば、ただならぬ気配に腰が浮く。
・・・
業界用語と言えばそうなのかもしれませんが、元化学教師としては「溶解」と「融解」は違う出来事なので、区別して使いたいな、と思っています。
異なる出来事を同じ用語で表現すると、意味のすれ違いが起きやすく、混乱や誤解や事故の元になります。
と・ける【溶ける・融ける・熔ける・鎔ける】
自下一 と・く(下二)
①融解する。固体・固形物が液状になる。源氏物語末摘花「朝日さす軒の垂氷は―・けながら」。「雪が―・ける」
②液体に他の物質がまざって均一な液体になる。「澱粉は水に―・ける」
◇「解ける」とも書く。「熔」「鎔」は、金属の場合に使う。[広辞苑第五版]とろ・ける【蕩ける・盪ける】
自下一 とろ・く(下二)
①金属など固体がとけて液体となる。とけて形がくずれる。今昔物語集11「肉シシ解け骨―・けて、堪へ難き事限りなし」。「バターが―・ける」「舌が―・けそうだ」
②怒りなどがとけ心がやわらぐ。源平盛衰記11「入道殿の日頃の御憤り事の外に―・けて」
③心のしまりがなくなる。うっとりする。日葡辞書「ココロトロクル」。「―・けるような甘い言葉」[広辞苑第五版]
「とける」の①は融解ですね。熱によって個体が液体に状態変化することです。
②は溶解のことを言っています。溶媒に他の物質「溶質」が「とけて」、「溶液」になることです。
広辞苑はちょっと間違ってしまっていまして、「デンプンは水にとけ」ません。
温度を上げると、デンプンの「コロイド溶液」にはなりますけどね。
溶液の解説にデンプンやせっけんを使ってはいけません。入門では「塩」や「砂糖」をつかうべきなんです。溶けて「透明」になってくれないと困るんです。
原子炉の「炉心溶融」はあくまで、溶融(熔融)なのでして、溶解ではありません。
溶融するには融点を超えることが必要。ですから1000℃を超える高温になったのです。
燃料棒が冷却水に「溶解」したのではないのですから、「溶ける」という字を使うことが本当はマズイ。「融ける」と書かなくてはいけない。あるいは「熔ける」ですね。偏が「火」でしょ、熱で「とける」意味です。
水に「溶ける」のは「さんずい」。
常用漢字がどうなっていたか、よく分かりませんが、意味を表すのが漢字なんですから、ちゃんと使いたいなぁ。
そんなことを思いながら新聞を読みました。
4月28日に「浮力」という題で、津波の際に、建物が浮力を受けて浮き上がり、被害が大きくなったのではないか、というようなことを書きました。
http://yamada-kuebiko.cocolog-nifty.com/blog/2011/04/post-d5a2.html
昨日の朝、NHKの朝のニュースをかけたまま、部屋を出入りしながら朝の日常を過ごしておりましたら、建築関係の専門家が津波の際にコンクリートの建造物にも浮力が働いて浮き上がり、さらに津波で押し流された、というような話をしていました。全部は聞けなかったので不正確かもしれません。NHKのサイトでニュースを確認しようとしたのですが、うまく出てきませんでしたのでニュースの確認はできませんでした。
でもまぁ、概要として、深さ10mというような水深にさらされた建物には浮力が働くだろう、という理科屋の直感は正しかったということが判明し、納得しました。
津波防災を考える時は、建物への「アンカー」、つまり浮きそうになっても、地面につなぎ止めておく方法、というようなこともやはり考えるべきなのでしょうね。
2011.4.18
朝刊を取りに行った妻が、見慣れないガがいる、といいます。
見に行くと、一見して、シャクガだろう、とまでは見当がつきました。
右の翅の先端は郵便受けの蓋の下に入り込んでいますが、折れたりはしていません。
調べてみると
チョウ目>シャクガ科>エダシャク亜科>ツマジロエダシャク
のようです。
こんな顔してました。
http://www.jpmoth.org/Geometridae/Ennominae/Krananda_latimarginaria.html
このサイトによりますと
【幼虫食餌植物】 クスノキ科:クスノキ、モクレン科:オガタマ
とありました。クスノキなら納得。家にあります。
「ツマジロ」は「妻白」ではなく、もちろん「褄白」です。
前翅の先端部が白っぽいことを言っているのだと思います。
かなり長いことこの場所にいましたが、昼過ぎにはいなくなっていました。
2011.4.16
去年もご紹介しました。
東光院の紅白椿。
トランスポゾンという「動く遺伝子」というやつが、花びらの色々な場所で活動している。
赤い色素を作る酵素の遺伝子にトランスポゾンが割り込むと、酵素ができなくなっておそらく白い部分になるのでしょう。
落ちた花びらですが、こんなふうにいろいろ色分けが生じているんですね。
ひょっとすると、紅白に咲くということは毎年同じでも、色分けの分布は毎年違うんだろうな。
去年はたまたまこのツバキの実が落ちているのを見つけたので、1こ拾ってきました。で、鉢の土に埋めておいたら、発芽しました。よい偶然にであいましたことよ。
まだ30cmもない幼木ですので、花はまだ先。
遺伝子の交配があるので、どういう個体になったのか、全く分かりません。
枯らさないように育ててみます。
2011.4.16
柵の左側に遊歩道と一方通行の車道があります。右が水路。
ところで、この遊歩道、狭いのですね。しかも、車道との間に段差がある(それは当然ですが)。
遊歩道に電動車いすで入ると、自転車とのすれ違いに恐怖を感じる。もし車いすで散歩している方と出会ったらすれ違いは無理。
そういう時は動きやすい方が遊歩道を降りればいいようなものなのですが、斜めに切った場所がないんですよこの遊歩道には。いったんはいったら端までいくしかない!そんなむちゃな!
で、私はこの遊歩道には絶対モンパルでは入らないのです。車道を走行して、何か面白そうなものがあると、降りて見に行く。
なんだかなぁ。ちょっと(かなり)哀しい遊歩道。
幅広く、どこからでも上り下りできるようになっていれば、安心して誰でも入れるのに。
こういう配慮のない歩道って多いんですよ。だから、うっかり歩道を走っていればいいとはいえないのです。
多摩川の堤防沿いの歩道。丸子橋近く。
幅は結構あるんですがね。車道との間が柵で仕切ってある。うむ、安全かな。
と思って進んでいくと、橋のたもと。柵を互い違いにして、バイクなんかが入り込めないようにしてあって。人はすき間から出入り。知らずに自転車で走って来た人は、かなり苦労しないと出られない。当然、車いすは完璧に出入り不可能。結局100mも戻らなきゃならないんですよ。そんなの、ありですか?
話がちょっとそれたな。
これ、水路です。すごいでしょ。
桜の花びらが散って水面を覆い尽くしているのです。
なんだかここを歩けそうな気がしてきますね。
2011.4.16
花は下を向いているので、手でつまんで横を向いてもらいました。
オシベがメシベを包んでいるのかな?
少し幅広の白い花弁風のものと、細いひょろひょろっとしたものがありますが。これなんだ?
花弁とオシベ、なのか、萼と花弁なのか。
花弁とオシベだとすると、中心部の構造はどうなっているのかな。
ね、なんだかよくわかりません。
思いっきり真ん中だけ。
これメシベ?
結局分かりませんでした。
さて、現場では名前もわからなかったムベ。家で調べて、ほぉ~。
むべ【郁子・野木瓜】
アケビ科の常緑蔓性低木。暖地に自生。5~7枚の厚い小葉から成る掌状複葉。5月頃、白色で淡紅紫色を帯びる花を開き、佳香がある。暗紫色のアケビに似た果実を結ぶが開裂しない。甘く食用。茎・根などは利尿剤。トキワアケビ。うべ。<季語:秋> 。「郁子の花」は<季語:春>[広辞苑第五版]
あらら、郁子さんなんだ。ふ~ん。どうしてだろう?
「季節の花300」というサイトから
・木通(あけび)科。
・学名 Stauntonia hexaphylla
Stauntonia : ムベ属
hexaphylla : 六葉の
Stauntonia(ストーントニア)は、18世紀の、中国大使になったイギリス人「Staunton さん」の名前にちなむ。
・むべの実は、昔は「苞苴(おおむべ:朝廷に献上するもの)」とされており、それが変化して「むべ」の呼び名になったとされる。
ウィキペディアから
日本の本州関東以西、台湾、中国に生える。柄のある3~7枚の小葉からなる掌状複葉。小葉の葉身は厚い革質で、深緑で艶があり、裏側はやや色が薄い。裏面には、特徴的な網状の葉脈を見ることが出来る。
花期は5月。花には雌雄があり、芳香を発し、花冠は薄い黄色で細長く、剥いたバナナの皮のようでアケビの花とは趣が異なる。10月に5~7cmの果実が赤紫に熟す。この果実は同じ科のアケビに似ているが、果皮はアケビに比べると薄く柔らかく、心皮の縫合線に沿って裂けることはない。果皮の内側には、乳白色の非常に固い層がある。その内側に、胎座に由来する半透明の果肉をまとった小さな黒い種子が多数あり、その間には甘い果汁が満たされている。果肉も甘いが種にしっかり着いており、種子をより分けて食べるのは難しい。自然状態ではニホンザルが好んで食べ、種子散布に寄与しているようである。
へぇ、鳥の種蒔きは日常ですが、サルも種蒔きするんですねぇ。
今回写真を撮ったあたり、忘れないように見てなきゃいけませんね。実がなるかなぁ。
いままでは気づいていませんでしたが。とにかくさいきん忘れっぽい。
がんばろっと。
むべ【宜】副
「うべ」に同じ。古今和歌集雑「とどめあへず―も年とはいはれけり」[広辞苑第五版]
おじいさんギャグ
これがムベであるか。=これぞむべなるかな。
5月13日からまた「おおたかどや山」からの標準電波が出ています。
例によって、この電波しか受けられない電波時計の「電波が聞こえたよ」サインで知りました。
NICTを検索したら
独立行政法人 情報通信研究機構(NICT)
日本標準時グループ
おおたかどや山標準電波送信所(40kHz)は暫定的に送信を再開
本日、5月13日17時32分から暫定的に送信を再開しました。
なお、雷の発生等天候の状況により送信を一時停止することがあります。
あらかじめご了承下さい。
標準電波をご利用の皆様にはご迷惑をおかけしますが、ご理解をお願い申し上げ ます。
はがね山標準電波送信所(60kHz)は通常どおりの運用を行っています。
いったん再開したのに、落雷を受けて停止してしまったんでしたね。
機器を修理交換したうえで、遠隔操作で、アンテナと機器を切り離すことが出来るようにしたのではないかな。と想像します。
一般人にとっては、週に1,2日電波を出してくれれば十分ですけどね、時々時刻合わせが出来ればいい。気象庁なんかは常に正しい時刻が必要なのでしょうと思いますが。
◆左端に電波受信しましたマークが出ています。
この時計ね、私にとっては思い入れのある時計でして。
この時計を買ったのは「20世紀」末でした。
そしてこの時計「2000年問題」をクリアできなかったのでした。
覚えたいらっしゃいますか?2000年問題。
(2000年は20世紀最後の年です。念の為。21世紀は2001年からです。)
閏年ルールは
西暦年が4で割り切れる年は閏年
ただし、西暦年が100で割り切れる年は平年
ただし、西暦年が400で割り切れる年は閏年
こうですよね。ですから、西暦2000年は閏年だったんですね。ところが、プログラムの中には100年ルールまでしか組み込んでいないものがあったのですね。
この時計もそうだったのです。
電池入れ替えでリセットすると、今年は何年かという問い合わせが表示されます。それに答えると、プログラムで閏年判定をするようになっていました。
で、この時計、2000年は平年だと思ってしまったのです。
電波情報には、今日は通年で何日目か、という情報が乗っていますので、3月から日付が狂ってしまった。
で、この時計に、「今年は1996年だよ」というようにウソを知らせてやらないと、正しい表示ができなくなったんです。
現在の電波情報より情報が少なかったような記憶があります。
曜日の情報も確か送られてこなかった。だから、この時計、2000年以来、曜日がずれてしまった。モードを切り替えて、曜日は表示しないようにして使っています。
この写真で、5月16日を表示していますが、今が何年だと思っているか、2011年だとは思っていないんですね。
なんだか、いとおしいやっちゃ。ね。
◆ところで、読者に質問!
閏年の話はポピュラーですが。
曜日(月、火、水・・・)というやつは、いつから連続してるんですか?
日本にこの曜日が入って来たのはいつなんだろう?
毎年1月1日は日曜日、というような決め方では不都合でしょうか?
平年だと、12月31日が日曜になり、連続して日曜になりますが年末年始だからいいのじゃないか?
などと夢想する私ですが。
この方式だと、カレンダーは2種類でいい。平年用と閏年用。
現在の方式だと、1月1日の曜日によって7種類、さらにそれに閏年の場合を入れて、14種類のカレンダーが存在するわけですけれど。
シンプルでよくない?
2011.4.13
妙に気になる葉です。
鉢植えにしてあるから、妻が植えたのでしょう。
聞いてみると、フサスグリよ、と。
はぁ、いろいろ楽しむ人だなぁ。
よく見ると、花が咲いている。
見慣れない花です。
こういう花でした。
つらつらと眺むるに。
この花、花弁がないんじゃないかなぁ。
緑色のは萼ではないですか。
メシベとオシベは確かにあります。
一房しか花がない。
もし実がなっても、食べるというほどにはならないでしょうねぇ。
母の実家の伯母が昔、山からスグリをいっぱい採ってきて、焼酎に漬け込んで「スグリ酒」を作ってましたっけ。甘酸っぱい酒でした。
スグリのジャム、というのもありましたね。
なんにしても、一粒口にすることが出来たら幸いですが、どうなることやら。
言葉が練れていません。誤解を招きそうな気もしますが、思うところを書いてみます。
◆ダウン症児が連ドラ出演 脚本家「ありのままの姿を」
こういうタイトルの記事が今日(2011年5月12日)の朝日新聞にありました。
知的障害のある子どもたちを芸能界に送り出そうと、タレント事務所が3年前に設けた障害児専門クラスから今春、初の連続ドラマ出演者が決まった。障害者が演じるのが当たり前になることを目指した試みの、大きな一歩になる。
・・・
ドキュメンタリーにダウン症の子どもが出ることはあるが、役者として出演する例はまれ。
母(親)は「歌ったり踊ったりするのが大好きな子。元気で、楽しいところをみてほしい」と話す。
・・・
「やっとここまできた」。2008年5月にSPクラスを立ち上げた国枝秀美社長は喜ぶ。「障がいへの理解が進まないのはメディアへの露出が少ないためでは」と考え、欧米のように障害者がテレビや映画に出るのが当たり前の社会を目指した。
現在、幼児から30代までの約80人が、歌や演技などのレッスンに励んでいる。「子どもたちは注目されればされるほど実力を発揮する。今回の出演を弾みにしたい」
「障害者は何にもできない」なんて思わないでくださいね。
歩くことに不自由さがあるけど、泳いだり、教壇に立ったりできる私。でも芸術的センスはほぼ皆無な私。
算数だ理科だ、なんて無理だけど、ものすごく深い情緒活動のできる人。
能力の幅にはものすごく幅があるんですよ。
健常者といったって、何でもできる人なんかいないでしょ。いろいろ得意・不得意があってあたりまえ。
ひとはそれぞれ自分にできることをすればいい。
私が教師という職業を選択した理由の一つ。私という「障害のある先生」を見て育った人は、きっと二度目に障害者に出会ったときに全く障害者を知らない人とは違った対応が出来るはずだ。何十年か教師をやって、千という単位の生徒にこの障害のある体を教壇に立ってみてもらう、それはきっと無駄じゃあないだろう。そんなつもりがあったんですよ。
たくさんの人に見てもらう、自分の障害者としての姿を見てもらう、というのが私の選択した生き方だったんですね。
テレビや映画に障害者が出ることが当たり前になったらいいですね。
アメリカの「鬼警部アイアンサイド」はすごかったですね。
車いすの刑事部長・アイアンサイドが、黒人の助手や婦人警官と一緒に犯罪捜査に当たるんでしたよね。
障害者、黒人、女性。アメリカとはいえ、やはり差別が皆無ではない。それを正面に出すんだものなぁ。
ある回で、アイアンサイドが犯人に車いすごと湖に突き落とされてしまうシーンがありました。泳いで岸に帰って来たアイアンサイドの台詞
「障害者はみんな泳げるということを、犯人は知らなかったのだろうな」
負けた、というか、参った、と思いましたよ。
リハビリにおいて全員が水泳を習得している、ということを告げられたのですからね。
日本は、全然、まだまだなんだ、とショックを受けましたっけ。
◆凄腕つとめにん:大阪府男女共同参画推進財団 統括ディレクター 仁科あゆ美さん
悩める男女へ、易しく面白く
という記事が5月9日に載っていました。
・・・
さらにこんな提案をした。彼らは段ボールを使った野外活動を企画していた。当初はお父さんが工作、お母さんが昼ご飯担当になっていた。「工作が得意なお母さんもいる。どの仕事をするか選べるようにしたら」。すると、納得してもらえた。
女や男という性別に縛られずに生きられるのが「男女共同参画」の社会だ。「企画の立て方を通して、価値観を問い直してほしい。難しいことだからこそ、易しく深く、できれば面白く伝えたい」
・・・
健常者や障害者という枠に縛られずに生きられるのがユニバーサルな社会だ、といいかえてみましょうか。
枠にとらわれていては、窮屈でしょうが。
みんながのびやかに生きられるのが一番いいでしょ。
この記事の中に写真がありましてね。キャプションは
車いすで学校の写真係として活躍する女性の人形。同僚が米国で買い、センター内に飾られている。「様々な人が生きやすい社会にとの思いが込められた人形です」
日本はまだまだだよなぁ、と痛感しました。
リカちゃんというか、バービーちゃんというか、そういうかっこいい女の子が車いすに乗っているんです。それが全然わざとらしくもなく普通なんです。そういう人形、今、日本にあります?
◆こんな投書もありました。
[声]駅の節電は弱者に配慮して(5/4)
生協役員 (山形県米沢市 64)
上京して驚きました。JRの駅でいつも使っていたエスカレーターが節電を理由に止まっていました。私は左足に軽いまひがあるので、手すりにつかまりながら、階段をやっとのことで上り下りしました。
東京の駅の階段の多さにはいつも閉口します。エスカレーターが止められているなかで、駅を利用している高齢者や妊婦さん、そして障害のある方々は階段をどのようにして上り下りしているのでしょうか。
関係者はエレベーターがあるとおっしゃるかもしれませんが、そういった弱者にとって、数少ないエレベーターを探して長いホームを移動するのがどれだけ大変か、おわかりになっているのでしょうか。
もちろん、東京電力の現状を考えれば、節電は必要でしょう。ただ、駅は不特定多数の人が利用する公共施設です。その公共施設で弱者を犠牲にした節電でいいのでしょうか。関係者の再考を望みます。
障害者という「特別」な人にはちゃんと「特別」なルートを確保してあります。どうぞそちらをお使いください。ということですか。
「特別」なルートを確保してあるということは障害者に対する「特別」な配慮なんでしょうね、きっと。
で、いいことをしたというつもり。
それって、自分を高みに置いて、障害者に「施し」をしてるんですよね。
同情というのも高みから見おろす行為なんですよね。
同情って差別の別の側面なんですよね。
障害者も高齢者も妊婦も、社会の普通の構成員ですよね。だから、普通の人が普通のルートで行動できるようにするのが当たり前というものでしょう。
バリア=障害を作っているのはどちらですか?
バリアを低く下げられるのはどちらですか?
バリア=障害を作り構えている人のことを障害者というのではありませんか?
2011.4.12
すでにこの水槽で飼育していたオタマジャクシは全部旅立ちましたので、過ぎたエピソードを一つ。
マクロレンズでどこまで卵の中が写せるか、とトライしていました。
卵の透明な殻の中に稚貝がいることがわかります。鮮明な姿までは見えませんでした。
どれどれ私も見てみげよう。
一緒に観察してくれたカエルちゃんです。
体の模様はヒキガエルそのもの。でも、まだ消え切っていない尻尾があって、このかわいさ、たまりませんね。
飼育って、場所や食べ物を用意してあげることが出来るだけなんですよ。
育ててやっている、というわけじゃないんですね。
食べ、育っていくのは相手。自力で生きているんです。どんない小さくっても。
その成長の過程に立ち会うことの幸せをおすそ分けしてもらうのが、飼育なんですね。
私、昆虫でも標本を作るとか、コレクションするという気は全くないんです。
彼らが成長し、生きる姿に立ち会いたいだけなんです。
「飼育屋」なんだよなぁ、考えてみると子どもの頃から。
今は夫婦二人で、楽しませてもらっています。
2011.4.11
初め、あいまいな記憶で、ツメクサかなと思っていたのですが、葉が違いました。ツメクサの葉は細いですね。
これは少し丸みがある。
で、ノミノツヅリかな、ということにして記事を書き始めたのですが・・・
http://had0.big.ous.ac.jp/plantsdic/angiospermae/dicotyledoneae/choripetalae/caryophyllaceae/nominotsuduri/nominotsuduri.htm
このサイトによりますと
ノミノツヅリは全世界に分布する越年性の一年草。か弱い姿ではありながら、乾燥する道端や荒れ地に生育する。秋に芽生え、春には広がって株を作る。茎は、最初は横に這うが花が咲く頃には立ち上がり、節ごとに枝を分けて上部は広がる。茎には全面に短い下向きの毛があるが、肉眼ではほとんど見えない。花は3月から6月まで咲き続けるが、節ごとに2つの枝に分かれるので、次第に大きな株になって咲くようになる。葉は長さ3~7mmで小さく、両面無毛。花は直径7mmほどで小さく、鋭く尖った顎よりもわずかに花弁が短い。
ノミノツヅリは「蚤の綴り」とのこと、蚤の粗末な着物といった意味らしい。同じ科でよく似た名前のノミノフスマは湿った水田に生育するので生育地は全く異なるが、小さくて白い花を咲かせることでは共通点がある。このような小さな植物は、最小の資源で子孫を残すことが可能であり、ノミのように小さいからこそ生きていける戦略を採っている。植物の戦略も多様である。
葉は「両面無毛」とありますねぇ。
細かい毛が生えているように見えるんだけどなぁ。
花の拡大。
わからなくなりました。
教えてください。
2011.4.11
これは四季成りイチゴではなくて、季節もののイチゴです。
食い意地が張ってるでしょ。ナツミカン、キンカン、サクランボなど・・・。
楽しいだけで、家計の助けなんかにはまるっきりならないんですけどね。
楽しければいいさぁ。
こうやって、育てていれば、東京でのイチゴは5月くらいが食べごろになりますね。
クリスマスにイチゴとか、冬のトマトとか、もうやめませんか?
お日さまの恵みで、自然においしくなる時期においしいものを食べませんか?
苗を寒冷地に運んで寒さを経験させたり、冷蔵庫に入れて寒さを経験させたりして結実の時期をずらす。ここですでにエネルギーをかけている。さて、結実となれば当然暖房費が必要。
エコじゃないですよね。
授粉には輸入のミツバチ使ったりというのもあるか。昆虫はただの道具にすぎないのでしょうか?そういうひずみが、まわりまわって、ミツバチの消滅につがってるんじゃないのかなぁ。だって、不自然だもの。
本来の「旬」があって、そこからずれた出荷に付加価値があったのでしょうけれど。
いまじゃ、イチゴは冬の果物みたいになっている。
やっぱり異様なことだと思うんですけれど。
私、冬はトマトもイチゴも食べません。
小さな一歩を意地でやってます。
みなさんもよかったら、ご自分の一歩、を踏み出してみませんか。
2011.4.11
コマツナはアブラナ科ですからして
花が終わるとこうなりますね。
そろそろ花のピークは過ぎようとしています。
で、多分コマツナの花の写真としては最後かな、というのをお目にかけます。鑑賞して下さい。
あわ~い雰囲気で撮ってみました。
まだメシベが伸びてきていない。
メシベも伸びてきました。
◆ところで、この花の咲いている鉢とは別の鉢なんですが、同じくコマツナが植えてあって。
そこに、「アオムシ」を発見してしまいました。
この記事を書いている今日現在16,7匹が終齢幼虫になっています。
うっかり、ガーゼなどで封をしないまま普通の飼育ケースに入れたら、大脱走事件が起こって、ケースの周囲1mくらいに散らばってたり、すごいのは、2mくらい遠くで発見されたり。夫婦二人で大騒ぎなんです。
長くチョウの飼育をやっていますと、幼虫の脱走も何度か経験しています。どこか安全な場所で蛹になってくれているのなら室内だろうと何だろうと全然構わないのですが・・・。
稀に、事故があって、幼虫を踏んじゃった、という経験もあります。あれ、悲しいんですよ、とんでもなく自責の念にさいなまれる、あれだけはいやです。でも、ありうるんだよなぁ。
このところ、もう脱走者はいないだろうな、と目つきが鋭くなってますね、二人とも。
多分、モンシロチョウだと思います。
そのうち、経緯を写真付きでご紹介するつもりです。
2011.4.17
やっぱり日陰はいやだぁ、っとオンコの木の中から顔を出しましたよ、このオニタビラコ。
顔を出すためにはやたらと長く伸びる必要があった。
1mの竹ものさしを立ててみました。
90cmはあります。
がんばったねぇ、すごいじゃん。
このあと1m超えまで行きましたよ。
下の葉の部分にもものさしを置いてみました。
写りきりませんでしたが、直径50~60cmに広がっていますね。
座布団ですね、これでは。(ホトケノザブトンorカカシノザブトンという名はどうかな)
ここまでデカイのは初めてだ。
まあ図鑑では30~90cmとありますから、規格外ではないのでしょうけれど、私にとっては初めて。なんだか、爽快にデカクなったオニタビラコなのでした。
見るとなんだか、ニコニコしてしまう。
2011.4.11
カエデの葉の上を歩くルリマルノミハムシ。
幼虫は何を食べているのか知りませんが、成虫は花に潜り込んで花粉を食べるようです。
ということは、カエデの花の授粉をしているのかな。結構いろんな虫が花に潜り込むものです。
こちらはちょっと迷惑ですが、ツマグロオオヨコバイ。
色の取り合わせがきれいです。
若葉がぐんぐん光合成をしている最中でしょうから、きっと樹液はおいしいのでしょう。
木の方の勢いがある時期だから、まあ、見ないふりしておきます。
小さな木にいっぱいたかっていたりすると、こら、だめ、とかいって弾き飛ばしたりすることもありますけどね。我ながら迫力ないんだよなぁ、虫さんに説教する時って。
2011.4.11
ホオズキカメムシを見つけました。
4月の初めですから、まだ活動度が低い。
よたよた、という感じで歩いています。
ひょっとして本人(虫)もじれったいんですかね、翅を開いて少し飛んで、また歩いたりして進んでいきます。
その翅を開いた時なんですが、すごいことを発見してしまった。
背中が赤いんですね。
地味な模様のカメムシとしか認識していなかったのに、なんだか不思議と明るく赤い。
何とかシャッターを切り続け下のような写真をものしました。
うわぁ、っという気分ですね。
翅の下に隠されていた腹部背面は赤いんだ!ホウズキ色と言ってもいいのかな。
知らなかったなぁ。
ホウズキカメムシというのは、ホオズキなどのナス科の植物に来るという命名でしょうけれど、この背中の赤さには感激しました。
すごいものを見せてくれてありがとう!
2011.4.11
ランタナの葉がやっと出てきました。心配していたんです。
どうも、去年の夏のあの酷暑は植物にかなりのダメージを与えたのではないでしょうか。
いったんあの暑さで枯れかかって、なんとか再出発したものだから、そのごの花期が冬の方へずれ込んだような気がします。
そして、今年の発芽のタイミングが狂った、そんな気がするんですが、園芸好きの方、いかがですか?そんな気しません?
ランタナが冬中花を咲かせてしまったのです。
そして「棒」になっちゃった。
おれると芳香がするんですよ、ランタナの茎って。
もうダメなのかなぁ、と思っていたら、小さな葉を出し始めてくれました。ウレシイ。
もう一株の方も、これよりもっと遅れて葉を出し始めました。よかったよかった。
4.11
センリョウの赤い新芽も顔を出しました。
ササグモがよくこのくぼみの中でエサを待ちかまえていますね。
小昆虫が誘われるような香りでもあるのかな。
ポピーのつぼみ。
ちょっと増え過ぎの感があって、「大」歓迎まではしていませんが、一生懸命なんだから仕方ない。
このあと、す~っと茎が伸びて立ち上がってきますよね。
あのスピード、測ったことはないけれどかなりのものでしょう。
あれっ、もう?という感じ。
季節が進んでいきます。
2011.4.11
カエデの葉の間にアシナガバチ発見。
このハチの右の翅が2枚重なっているようにも見えますね。これでいいのかな、2対ある証拠になるのでしょうか。
多少私は慣れてますので、このアングルでフタモンアシナガバチだろうという見当はつきました。
ナント、カエデの花の中に顔を突っ込んでいる。
蜜があるのかな。
こういう花の中に顔を突っ込んでいるシーンというのは結構よくあるんですよ。
花粉媒介者としてはまるっきり「無名」の存在ですが、多少は授粉に貢献しているのでしょう。
糖液を吸って活動エネルギーにするのでしょうね。
ね、かなり夢中になって花を探るのです。
イモムシなんかを襲って肉団子にして幼虫に与える話は有名ですが、蜜を吸うアシナガバチもかわいいでしょ。
2011.4.11
アシナガバチを見たら、背中と腹の上面の模様に気をつけてください。写真が撮れるなら背面からの写真を撮ってください。
そうすると、昆虫図鑑サイトでの判別が楽になります。
これはコアシナガバチでしょう。
確かにすこし小さめで、力感というのでしょうか、そういうのはあまりありません。
見ている分には攻撃なんかされませんので、あわてずじっくり眺めてください。
ハチは単眼が写りやすいタイプの顔です。
最初の写真ではぼやけていますが、2枚目では3つの単眼がくっきり見えています。
ところで、ハチの翅は2対4枚ということになっているのですが、ちゃんと4枚くっきり識別できるという写真を撮ったことがないのです、実は、わたくし。
そのうちそういう写真が取れたら、4枚あったぞぉっと叫びます。
まだそこまで至らぬ私でした。
★Words & Music by Malvina Reynolds.(1963年発表)
邦題 「雨をよごしたのは誰?」 (ジョーン・バエズ)
What Have They Done To The Rain?
から、一部引用
Just a little boy standing in the rain
The gentle rain that falls for years
And the grass is gone, the boy disappears
And rain keeps falling like helpless tears
And what have they done to the rain?
15歳でしたか。私だって多感な年頃というものはあったな。
ジョーン・バエズさんの澄んだ高い声の記憶がよみがえります。
記憶ってどのように脳の中にあるんでしょうね。
メロディーの記憶、声の記憶、詩の記憶、いっぺんに蘇ってきますね。
記憶の不思議。
★「花はどこへ行った」より一部引用
Where have all the soldiers gone?
Long time passing.
Where have all the soldiers gone?
Long time ago.
Where have all the soldiers gone?
Gone to graveyards, every one.
when will they ever learn?
Oh, when will they ever learn?
人は、いつになったらわかるのでしょう?
★Blowin' In The Wind : Bob Dylan より一部引用
How many times must a man look up
Before he can see the sky?
Yes, 'n' how many ears must one man have
Before he can hear people cry?
Yes, 'n' how many deaths will it take till he knows
That too many people have died?
The answer, my friend, is blowin' in the wind,
The answer is blowin' in the wind.
あまりにも多くの人が死にました。人間の歴史に殺し合いが絶えたことはありません。
そして今もなお殺し合い、憎み合い、報復の繰り返しが終息しません。
そして、なんかの拍子に、敵だった「人間」と一緒に生活してみると、だれしもが「同じ人間だった」という。
気づけないんでしょうか。
想像力はないのでしょうか。
★Fragile / Sting より
If blood will flow when fresh and steel are one
Drying in the colour of the evening sun
Tomorrow's rain will wash the stains away
But something in our minds will always stayPerhaps this final act was meant
To clinch a lifetime's argument
That nothing comes from violence and nothing ever could
For all those born beneath an angry star
Lest we forget how fragile we areOn and on the rain will fall
Like tears from a star like tears from a star
On and on the rain will say
How fragile we are how fragile we are
暴力からは何も生まれない。
9・11の直後(時差とか分かりませんが当日といってもいいのかな)のライブで、Stingはこの歌を歌い、感情が激して涙ぐんで歌が不安定になりました。Stingほどの人が、と、たまらない気分でした。
この曲のエンディング、ギターのハーモニックス奏法による、はかない倍音が入りますね。
初めてあれを聴いた時は、背骨をしびれというか震えというかが走ったのを記憶します。
たった一つの音が、全てを語り得ることがあるのだ。と。
2011.4.8
桜坂上の交差点。
桜橋の上にも人がいっぱい。
4.10
日曜日。スーパーへの買い物途中。
うっかりいつものように桜坂を上がってしまいました。
最盛期、桜坂は大混雑なんです。
以前は駐車する車が多かったけれど最近は減りました。それでも、やっぱり人通り、車通りが多いこと。
渋滞にはまって動けなくなってしまった。
ベルトにつけたコンパクトデジカメを取り出して、フロントウインドウからパチリ。
桜は美しいのですが、難を言えば、人工物の多さ、ですね。
トランスと電線が見えてますね。
どうしても電線は入ってしまうのです。
何にもないといいのですけどね。
今年の桜坂のにぎわいは、この日がピークでした。
買い物帰りは混雑を避けてう回ルートを通って帰宅。
地元民としては要注意の時期なのでした。
この記事を書いている今、おおたかどや山標準電波送信所からの標準電波が出ていると思います。
http://jjy.nict.go.jp/
によりますと
おおたかどや山標準電波送信所(40kHz)は暫定的に送信を再開しました。
本日、5月9日におおたかどや山標準電波送信所からの送信再開に向けて現地に一時立ち入りを行い復旧作業をしました。5月9日13時08分から暫定的に送信を再開しています。しかし継続的な送信ができないため、明朝、送信を停止する予定です。ご了承下さい。
標準電波をご利用の皆様にはご迷惑をおかけしますが、ご理解をお願い申し上げます。
なお、はがね山標準電波送信所(60kHz)は通常どおりの運用を行っています。
標準電波の送信状況はWebでご確認をお願いいたします。ご不明な点はこちらまでお問い合わせ下さい。40kHz標準電波
5月9日13:08暫定送信を再開しました
5月10日午前中で停波します
更新: 2011/05/09 13:12:12 JST
ということです。
電波時計をお持ちで、はがね山の電波は受信できないという方は、今、強制受信をかけてください。うまくすれば時刻をリセットできます。
実は、我が家の古い電波時計の一つが、受信できた、というんです。さっき見たら。
で、調べたらこうなっていました。
早く、安定した送信ができるようになるといいですね。
●電波時計でいったいどういう情報を送っているんだ?ということが気になるようでしたらこちらのサイトを覗いてください。
http://jjy.nict.go.jp/jjy/trans/index.html
一部コピーしますと
(1)タイムコード情報
時、分、通算日、年(西暦下2桁)、曜日、うるう秒情報、時と分に対応するパリティ、予備ビット、停波予告情報。
時、分、通算日、年(西暦下2桁)、曜日に関しては2進数(BCD(Binary Coded Decimal Notation:2進化10進法)正論理)で表します。(2)秒信号
秒はパルス信号の立ち上がりとし、パルスの立ち上がりの55%値(10%値と100%値の中央)が標準時の1秒信号に同期します。
電波はそう強くないので、時計は、何分間かにわたって情報を積算し、ランダムなノイズを平滑化して情報を取り出していると思います。
40kHzの電波ですと波長は7500mという長いものになります。
{80MHzのFMなら3.75mですから、ものすごく長いでしょ}
波というものは、波長程度以下の大きさのものは越えていきますから、普通の山は越えられるということなのです。
で、日本に2カ所で運用しているわけですが、もう一カ所くらい「冗長性」があった方がいいような気もしますね。
2011.4.7
ご近所のお家の植え込み。
私にとっては見慣れぬきれいな花が咲き始めました。
真っ白の八重咲きの花。蕾の開きかけがまた可愛いのですが。
4.11
おちょぼ口を、ぽっとすぼめて開いたような。
4.11
いい雰囲気の花です。
調べてみたらシジミバナでした。
広辞苑では
しじみ‐ばな【蜆花】
バラ科の落葉低木。中国原産。高さ1~2メートル。葉は小さく卵形。4月ごろ新葉とともに、白色重弁で小球状の花を節々につける。観賞用に栽培。コゴメバナ。漢名、笑靨花。[広辞苑第五版]
なんで「シジミ」なのか・・・
http://www.hana300.com/sijimi.html
季節の花300というサイトでは
・つぶつぶの花が枝いっぱいにつく。しじみの中身(内臓)に見立てたらしい。八重咲き。
・中国では「笑靨(しょうよう)」と呼ぶ。”えくぼ”のこと。花の中央のくぼみをえくぼに見立てた。
この白い花が「しじみの中身(内臓)」に見えるのかなぁ、納得しにくい説ですが・・・
http://aoki2.si.gunma-u.ac.jp/BotanicalGarden/HTMLs/sijimibana.html
ここでは
「八重のユキヤナギ(雪柳)かな~」と思っていましたが別種でした。雄しべや雌しべは退化してしまっています。名前の由来は,蜆(しじみ)に似ているからということです。この意味がちょっと分かりにくかったですが,花の様子が蜆汁などのとき,開いた貝の中にある身の様子に似ているということだと思います。
蜆汁ねぇ、そんなものなのかなぁ。
完全になっとくとはいきませんが、まぁ、仕方ない、覚えます。
「えくぼのはな」の方がいいなぁ。
気づいてみると、結構普及していました。
環八を車で走ると、植え込みにこの白い花がいっぱい、あちこちで見かけます。
以前からこんなにあったんだったっけ?
東京では4月の上旬頃の見ごろでしょうか。
ぜひこの花を鑑賞して、「しじみ汁」をイメージしてみてください。
2011.5.8
初夏の便りをもうひとつ。
庭の池のオタマジャクシたち。
これは、何年か前に「理科おじさんの部屋」でU君と飼育したカエルが、成長して、家の周囲のどこかで生活していて、今冬産卵に来て産んでいった卵からのオタマジャクシです。
水温が低くて発生がなかなか進まず、また未授精卵もあったのでどうなることかと心配していましたが、とうとうここまできました。
みんな後ろ脚が出て、もうすぐ上陸だぁ、おぉ~、とひしめいています。
「うじゃうじゃ」います。
この中から生き残っていけるのがどのくらいか、分かりませんが、何匹かはまた大人になって顔を見せてくれるのではないかと今から楽しみにしています。
ヤゴもこの池にはいて、羽化の季節も近づいています。
小さなたまり水なんですが、おもしろい生態系が成立しているんですよ。
2011.5.8
熟してきました。食べごろのものも。
100粒以上あります。
もう充分に食べられますね。
表面に映っているのは「空」なんです。
凸面ですから広い範囲が写り込んでいるんですね。
撮影者にとっては、周囲の木の影が見えています。
なんといっても、完全無農薬ですからね。洗う必要もないくらい。
採ってきて、さっと水をかけて埃だけ落として、パクっ。
なんだか、すっごくしあわせな気分。
あまいですよ~。
市販品に比べれば小粒ですが、気にしない。
夫婦で30粒ほど楽しんだところです。
花の時、アブたちがせっせと授粉してくれましたっけ。
「アブ印さくらんぼ」とでもしましょうか。
「アゲハ印なつみかん」の方は、もうそろそろ食べ終わります。
なんといいますか、お日さまの恵みを植物たちが「味」にかえてくれて、しあわせをくれる。
いいものですよ~。
アブやハチやみんなで手伝ってくれるし。
「生態系的(エコロジカル)な味わい」です。
2011.4.7
こちらは妻が京都から連れて来たカエデ。
南禅寺のそばっていったかな、実生のカエデが群生していたので2,3本抜いてティッシュに包んで連れて来た。で、ハチに植えて成長を眺めています。来た時は10cmもない、小さな苗だったんですが、30cm
位になってきました。
こちらは、池上の本門寺の植木市で買って来た最初から1mを超すくらいのカエデの木。
少しずつ成長しています。
花が咲く年もあれば咲かない年もあります。
今年はいっぱい咲く年になりました。
これは雄花ですね。
小さな赤い果実でもなっているみたいですね、まだ開花前です。
葉も赤と緑、つぼみも真っ赤。
実に鮮やかな彩りで、美しい光景が展開しています。
わぁ。という気分ですよ。
2011.4.6
カラスノエンドウが咲き始めました。
アブラムシもいっぱい。
花びらに影が映っています。アリでしょうか。クモとかテントウムシではないですね。
この後、線路際から庭から、カラスノエンドウが乱れ咲きました。
4.30
ふと気づくと、豆が実っています。
「カラスノ エンドウ豆」ですね。
下の実にはやはりアブラムシがいっぱい。
でも、よく見るとこんなことも。
上の黒っぽいのはぼやけていますがテントウムシの幼虫じゃないかなぁ。
下の黒っぽいのは食べられたアブラムシの残骸ですね。
カラスノエンドウだけを守りたければ殺虫剤でもまいてアブラムシを殺すしかないでしょうが、自然のバランスの中で植物・動物の生きる姿を見るのなら、こうやって何もせずに見続けるのがいい。
決して「一方的」なことは起こらない。
今年は例年になくテントウムシが大量に発生しています。
エサになるアブラムシも豊富なんでしょう。
植物も多少は痛めつけられるけど、ダメになってしまうということはない。
みんなそれぞれ、生きています。
すごいですね。
以前にも平年気温の変化をグラフ化したものをお目にかけたことがあります。
今回は、エクセルのセルの色で変化のようすを見てみました。
毎日0.1℃変化するのが通常なので、ある日の平年値から前の日の平年値を引いて、差が±0.1℃のときはセルに着色しませんでした。
(年間のピークと谷底のではその前後で0.1℃の意味が変わってしまいますが、ちょっと緩やかに考えてください)。
0.2℃上昇の時はピンク、0.3℃上昇の時は赤で塗りました。
0.2℃下降の時は薄いブルー、0.3℃下降の時は濃いブルーで塗りました。
前日と変化がない場合は、薄いグレーにしてあります。
{VBAでマクロプログラムを書いて、さっと走らせただけです。}
1,2月は変化のない日も多かった。
2月の下旬から3月中旬は毎日0.1℃の上昇が多くなります。
そして春分を過ぎた頃から4月の終わりまで、ほぼ毎日のように0.2℃上昇しました。「ぐんぐん」暖かくなる。
途中に0.3℃の上昇という日も、何回かありました。
これを表題で「春のばくはつ」と表現しました。
5月に入って、一段落です。最低気温は0.2℃の上昇も多いのですが、最高気温の方は0.1℃上昇が多いですね。
6月は東京では梅雨のせいでしょうか、気温上昇は鈍くなります。
7月、また0.2℃の上昇が増え、8月のピークに至ります。
8月はセルの色が変化なしのグレーか、0.1℃の無色ですね。
9月以降についてはご自分で「鑑賞」してください。
言い忘れましたが、このデータはもちろん私が住んでいる東京でのものです。
他の地域については、気象庁のサイトから平年気温のデータをとって、自分で処理をして下さい。
今日5月6日は「立夏」です。
テレビで朝から「暦の上では今日から夏」というような言葉が聞かれました。
「暦の上では」という言い方は、「暦」を旧暦のようにとらえているのではないでしょうか。
あるいは、「実感とは違うが」というニュアンスを持たせている。
でもね、私はよく言うことですが、太陽暦なんですよ24節気は。
これをご覧ください。
「神の目」で太陽系を地球の北極が向いている方向から見おろしたと思って下さい。
1年間で1周しますね。360度回る。
それを45度ずつに区切ってみました。
太陽を中心として反時計回りに地球は回ります。
春分の位置を角度0にとります。
そうすると、春分の反対側は秋分。
どちらも「昼と夜の長さが同じ日」と単純化しておきます。
90度の位置には夏至と冬至。昼が一番長い日と短い日。
この命名には全く異論なしですよね。
今日は、夏至の手前の45度という位置まで来ました。
名前を何としましょうか?夏至の手前の45度。それなら夏の入り口=立夏、でいいですよね。
同様にして、秋分の手前45度なら立秋。冬至の手前45度なら立冬。春分の手前45度なら立春。
ね、一年間で一周するうちのどこまで進んできたかを45度ずつに切って名前をつけるとすれば、まことに適切な命名ですね。
太陽暦そのものなんですね。これ。
ただ、45度区切りは少々粗い。
さらにその45度を3等分して15度ずつに切ったのが二十四節季。
そうなると、名前がね、足りませんね。
で、その切り方を考案した地域の気候に沿った名前をつけることになったわけです。
そうなると、地球と太陽の位置関係、という天文学的な話から、地球上のある地域の気候というローカルなものになって来たわけですね、命名が。
その結果、気候の異なる地域でも同じ命名を使うことになり、季節感とのずれが生じるようになってきて、「暦の上では」という枕詞がつくようになってしまった。
ということですので、地球が太陽の周りを公転している、その位置を知る言葉として利用すればよいのです。
おっ、今日は立夏だ、春分からもう8分の1周したんだなぁ
ってね。
この絵を見て、ああ、あれね、と分かった人は化学に詳しいかたですね。
大抵の人はなにこれ、と思われたと思います。
サルが6匹、どういう意味?
えぇ、私は一応化学系ですからして、化学の最新情報には接していたいと、「化学」「現代化学」という化学系の雑誌を2誌、定期購読しております。
「化学」の方の定期購読者サービスで、出版案内が同封されてきました。その表紙。
化学でサル6匹。
これケクレがベンゼン環の構造を思いついた時のイメージとされる絵なんですよ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%B3%E3%82%BC%E3%83%B3
ウィキペディアから
この構造は、ケクレが夢の中でヒントを得たとされている。猿が手を繋いでいたとか、蛇が自分の尻尾を噛んでぐるぐる回っていたなどといわれているが、その真偽については疑問が持たれている
本当かどうかは別にしてこれは有名な逸話なんですね。
http://isomers.ismr.us/isomers2008/merk710photo.htm
信用できるサイトですから安心して見に行ってください。
メルク社という大きな医薬品企業の見学に行ったときの写真というのが掲載されていて、サルとヘビの図版も見られます。
今日は5月5日でしたね。
1カ月ほど前にこの猫ちゃんを出してきた時に撮っておいた写真です。
かまぼこ板に鯉の絵でも半田ゴテで描こうかなと思いつつ、忘れてしまった。
昨日モンパルで一回りした時の写真を添えます。
花菖蒲でしょうか?
よく分からない。
でもまあ、いいタイミングとはいえますね。
「六日の菖蒲十日の菊」にならずに済みました。
おまけ:連休に入ってすぐ、草餅(ヨモギ餅)をつくりました。
家の裏に自生するヨモギを茹でてすりつぶして団子にこね混ぜて。
香り高い、野性味あふれる団子でした。
八十八夜の話題を忘れましたね。
5月2日だったのですが。
夜目遠目笠の内(+マスク)
なんて書くと、女性の読者に怒られるな。ごめんなさい。
登山家の田部井淳子さんのお話。
(生きていくあなたへ)こんな時こそ深呼吸 田部井淳子さん(朝日新聞 2011年4月27日)
福島県三春町の出身です。「がんばってね」とは言えません。まるで対岸の火事のように聞こえるから。「同じ気持ちでいるよ」。そう伝えたい。
山のテントにこもったまま何日も思うようにいかなかった時、「明日も太陽は昇る。心が参ると体も参る」と考えて健康維持に努めました。両手をこすって温め、ほおを包んでみてください。唾液(だえき)で口が潤い、ほっとします。靴下を脱いで2人で向かい合い、足の指や土踏まずをもみほぐすと緊張がほぐれます。両手で耳を軽く外に引っ張り、耳たぶをマッサージしても体が温まります。親指と人さし指の間のツボ「合谷(ごうこく)」をぐっと押すと、肩まで刺激が来ます。
もう一つ大事なのは深呼吸です。こういう時こそ、うつむかずにグッと胸を張り、息を吸い込みましょう。冷静になり、考えもうまく回るはずです。
千年に一度の災害を生き延びたのです。被災地を「新興」させてください。できるだけ多くの人にカンパを呼びかけます。
登山という「非常」をたくさん生き抜いて来られた田部井さんです。とても心に沁みます。
呼吸が浅くなっていませんか。思いつめていませんか。深呼吸をどうぞ。
ところで、田部井さんは敢えて「新興」と、わざわざ括弧で包んでお書きになった。強い意味を込めているぞ、ということでしょう。
復旧でも復興でもなく新興。
思い出のアルバムや品物を探す姿が報道されます。確かに、大事なものだとは思います。でも、忘れてほしくないのは「思い出は自分の心の中にあるものだ」ということです。その自分の心の中の思い出を引き出す「糸口」にはなるでしょう。アルバムなどの物品は。
でも、形あるものは必ず潰えるもの。最も頑丈なのは形のない心なんですよ。
形あるものにすがりつき、執着すると、それは必ず新たな苦悩を生み出します。
心の中に思い出はしまっておきましょう。
形あるものにこだわって「旧に復しよう」とすれば、悲しみや苦悩が覆いかぶさってきます。
「ふたたび盛んになる」というのはやはり過去にこだわることですね。
それぞれが持っている今後の人生の長さは違うんですけれど、その長さの中で、何を創造できるか、どれだけ新しく作り上げていくことができるか、そのトライアルが「新興」なのではないでしょうか。
過去を引きずらない生き方。今それが大事なんだと思うんですよ。
被災者の方々について言っているのではないのですよ。誤解なきよう。
すべての人の生き方について、なんです。
社会人として勤務していた時代、年長の方々の中に、2種類あることを見ました。
「変化」に耐えられなくって、過去に自分の「栄光」があると思っておられ、それを語り、それをそのまま引きずっていこうとする方々。
「変化」に際して、身軽に過去を脱ぎ捨て、常に新しいことへとチャレンジし変身して行く方々。しなやかでしぶといい生き方。素敵でした。
変化に耐えられなくなったら、自分の人生はもうおしまいだな、と思ったものです。
さて、今、自分はどうなのか。
あんまり偉そうなことの言える状況じゃあないな。人生列車の終点が近いことを感じますね。
何かを「新興」できるかなぁ。
朝日新聞に、「生きていくあなたへ」という震災被害者の方々へのメッセージ欄があります。
(生きていくあなたへ)小さないいこと、見つけて 乙武洋匡さん(朝日新聞 2011年4月30日)
昨年まで小学校の先生をしていたせいか、小中学生のみんながとても気になっています。みんなのところに比べれば東京の揺れは大きくなかったけど、僕には本当に恐ろしかった。普段は手足がなくてもいろいろな方法を使ってみんなと同じような生活をしていますが、大津波から電動車いすで逃げ切れるだろうか。停電で充電できなければどこにも行けない。改めて厳しい現実を突きつけられた気がして、落ち込みました。でも無事だったのだから何か役に立ちたいと思い直しました。
・・・
ご存知のように、乙武さんは手足の欠損がある身体障害者です。
「普段」「平時」の「バリアの低い」時には、「いろいろな方法でみんなと同じような生活を」することができます。その乙武さんにして、揺れが「恐ろしかった」。それは平時ではないからです。普通じゃなくなってしまうかもしれないからです。電気がなければ車いすも動かない。体育館のような広い空間では、トイレに行くことだって多分大変なことになる。
「現実」が平時でなくなったら自分はどうなるのか、そこに乙武さんは直面してしまった。
「またぎこすべきバリアが高く」そびえてしまったらどうなるのだろう?なんとかなるさぁ、とは言えないのが身体障害者なんです。
バリア=障害にさえぎられている人が「障害者」だと私は言ってきました。
バリアが低いとか無いとかならば、ごく普通に生活し仕事をすることのできる人は多いのです。
バリアを作ってしまっているのは誰ですか?バリアを低くすることができるのは誰ですか?
バリアを持っているのは「そっち」でしょ。そっちこそ「バリア人=障害者」なんじゃないですか?などという過激なことを言い続けてきました。
さて、私も、実は乙武さんと同じ立場にあります。左脚一本の歩行機能損傷ですけどね。
家の中では補装具なしでも行動できます。左ひざの上を左手で押さえて体を支えて歩くんですね。でも、この補装具なしの状態では家の外へは一歩も出られないというのが現実です。
その私が、避難所に入ったらどうなるか。
寝たきり状態の病人・高齢者グループに入ることになります。
補装具なしでの移動は、20mくらいが限度でしょう。以前は25mプールの脇を移動したことがありますが、今はかなりきついものなぁ。
となると、食事の提供があっても受取にも行けない、トイレにも行けない、ということなんですよ。ただじっとしているしかできません。
若い頃、旅行すると当時は部屋にトイレがなくって、共同トイレだったりすることも多かったんですね。そうすると夜中にトイレへ行くのは、当時の体力のあるときでもかなりつらかった。部屋では出入り口の脇に寝ましたね。でないと部屋の中の移動もできない。
今、年とって体力もなくなった。
温泉行ったって大浴場なんて入れません、歩けないもの。部屋のバスにはいるだけです。
そんな私が、避難所の体育館でトイレに立つなんてできるわけがない。
災害時には「バリアが高い」。
差別とかそういうんじゃなくって、現実そのものが「急峻」になってしまう。とてもじゃないがそのバリアを越えて行動なんてできはしない。
地震や津波、台風など、避難しなくちゃいけない事態になったら、それが恐らく私の人生の「終点」なんだよな。と思い定めている私です。
災害による死者数のうちの「1」になるつもりで生きております。
朝日新聞の「ニッポンみんなで」という、今回の大震災に関する著名な方々からのメッセージ連載がありました。4月24日の記事は小沢昭一さん。
(ニッポンみんなで)シブトク立ち直って 小沢昭一さんエール(朝日新聞 2011年4月24日)
まず、今回の東日本大震災で被災なさった皆様に心からお見舞いを申し上げます。私は女房の親族に福島県出身が多く、彼女は戦時中、疎開で会津や浜通りを転々としましたから、ニュースで聞く土地の名前はなじみ深いものばかりのようです。
・・・
私のような大年寄りには、今回の被災地の光景はどうしても広島の焦土や戦後の焼け跡の風景とダブりますが、あの悲惨な状況から立ち上がって復興を遂げた日本なんですから、今回も必ず立ち直れると信じます。
ただ、ちょっと違うところもあります。
敗戦後は日本中が「茫然自失(ぼうぜんじしつ)」の状態でした。昨日までの価値観が根底からひっくり返って、ただ「茫然」とするだけじゃなく、自分の存在の根拠さえ失った「自失」だったわけです。昨日まで「鬼畜米英」なんて言っていたのが、ガラリと変わってアメリカ礼賛の「民主主義」「自由」なんです。世の中、信じられなくなっちゃった。
当時は「みんなで頑張ろう」なんてかけ声もなかった。みんな焼け跡で、今日を生きることで精いっぱい。てんでんバラバラに頑張るしかなかった。
それまでの「一億一心」から、正反対の「てんでんバラバラ」。この「てんでん」というのは、個人一人ひとりの「自立」なんです。そのてんでんを深めよう、バラバラを深めようと、急に切り替わった。でも、バラバラの価値観をどう深めていくか。それは大変でも、そのために戦争という大きな犠牲を払ったわけですからね。
戦後はみんなが何もかも失って貧しかった。でもその代わり「自由」なるものを味わって、これにすがりつこうと思い、みんなが希望を持った。
「今日一日の食うものもない貧乏暮らしだけれど、今度こそ貧乏をバネに俺の好きな生き方をしよう」「大変だろうけど、やってみようじゃないか」と、一人ひとりが独立心を持った。後に私の唱えた「貧主主義」が芽生えるのです。だから今回、「一致協力」とか「絆」なんてことが強調されるのが実はちょっと心配なんであります。いつかまた、あの忌まわしい「一億一心」への逆戻りの道になりゃしないかと、そんな気がするんですね。だから私たちの世代には「絆」ってのはちょっと怖い言葉なんです。耳にタコで、こりごりしてる。でも若い人たちには初めての新鮮な言葉なんでしょう。いつの間にか意味がすり替わらないように、気をつけなくちゃいけませんよ。
東北の皆さんはみんな我慢強く、ねばり強い。それだけじゃなくて、実は底抜けに明るいユーモアの心もお持ちなんです。大変でしょうが、持ち前のたくましさでシブトク立ち直っていただきたいと祈っております。
「貧主主義」というのはいいですね。上昇志向にせっつかれて、欲望を肥大化させられて、欲望の暴走こそが「発展」だなんて吹きこまれて。ここまで走ってきて気づいてみれば、地球の危機になっていた。
人間の欲望には果てがないらしい。他のいきものにはない、愚、ですね。それをもって人間の英知のように思ってきましたね、私たち。
みんなが一斉にアッチを見る時は、敢えてソッチの方を向いてみましょうよ。
アッチ、コッチ、ソッチ、ドッチ・・・てんでんばらばらな方が健全ですよね。
危ないじゃないですか「みんなが一斉に」なんて。
みんな一斉に「がんばれ日本」「がんばれ東北」なんて。気が重い。
それって同情じゃないんですか。自分は離れた位置にいる、と思うから「がんばれ」なんて言っていられるんですよね。
同情は差別と表裏一体のものなんです。自分の立っている位置は離れているという安心感が「同情」を可能にするんです。安心して同情しているところへ、同情の対象が入り込んでくると、不安が生じる、そして「差別」を生む。
もう、そういう差別も実際に生じているじゃありませんか。
障害者差別やなんかもみんな同じ構造があるんですよ。
離れた岸から「同情」するけど、一緒になるのは嫌だ、で、来るなと「差別」する。
私自身は中学生の頃かなぁ、同情よりは敵対を!って言い始めたっけなぁ。同情は上から目線で相手を自分とは異なるもの低いものとして見ている。敵対は同じ地平に立って相手を認めるからこそ敵対になる。そんなこと言いましたっけね。
見方をあえてひっくり返してみませんか?
私たちはみなさんが生活を取り戻せるように、がんばります、絶対あきらめません。だから被災した皆さんはゆっくりじっくり着実に歩んでください、あせることはない、私たちは皆さんを支えるために必死でがんばります。
って。がんばらなきゃならないのは、どっちですか?
みんなが心を一つにしようって、美しい話のように思っていたら、いつの間にか権力によってすり替えられて妙な方向へ一斉に走り出した、なんてことのないように。
敢えて、逆らって、へそ曲げましょうよ。
言いたいし言わなければならないことではあるけれど、今の空気の中で言いにくいことを、敢えて言って下さった、小沢昭一さんに感謝します。
そして、なんにせよ、シブトク生きていきたいと、改めて思う次第です。
●今回の大震災で、義捐金をおくられた方も多いと思います。そして、そのお気持ちを忖度するに、被災して「今」困難に直面していらっしゃる方々に、「今の」当座の用に役立てていただきたい、というお気持ちも強かったのではないでしょうか。ところが、実際のところ、現場にはそのお金はなかなか届いていない。届けようとすると、被害の大きさとか、公平性はどうの、とかいろいろやはりごちゃごちゃしたようです。
私は、スーパーやコンビニなどでの義捐金ボックスに少し釣銭を入れたことはありますが、一般的な「義捐金」はおくっていません。買い物で東北のものが出ていればなるべくそっちを買うみたいな行動も取ってはいます。
●陸前高田市の市長さんは東京の町田育ちなのだそうです。で、町田市で、同窓生などが集まって「町田鶴の羽の会」という支援の会を立ち上げたのだそうです。市長さんの中学校時代の担任の先生も参加しているという記事がありました。その先生とは、私も同僚として一緒に6年間ほど仕事をしたことがあります。そうか、それなら、ということで夫婦でわずかですが義捐金をおくりました。顔の見える団体の使い道の見えるお金に参加したかったからです。
●アサヒ・コムのアスパラクラブというサイトに、高成田享(たかなりた とおる)さんという方がブログを書いておられます。5月2日付でこんな記事を書いておられました。
全文は会員でなくても下のURLから読めます。
https://aspara.asahi.com/blog/newsdrag/entry/SCDAhYgVC6
部分引用します。
【東日本大震災】 こども未来基金を立ち上げました [11/05/02]
震災で親を失った子どもたちを支援しようと「東日本大震災こども未来基金」を立ち上げました。宮城県女川町の中学校の先生と話をしているうちに、親をなくした子どもたちがたくさんいるという話を聞いて、それなら基金を創ろうと思い立ったわけです。
お金を集めて、子どもたちに配るなんて、本当に大それたことだと思いました。しかし、自分にできそうなことは少し無理してでもやろうという思いが勝りました。何百年に1度という震災からわずかの差で逃れたという「強運」は、おまえが63年間の人生で築いたものをすべて使って震災の復興や支援に働けという「使命」のように思えてきたのです。
基金もそのひとつなのですが、動き始める動機になったのが、この欄も含め、震災以来いただいた多くの人たちからいただいた言葉です。みなさんが異口同音に語ったのは、被災者へのお見舞いの気持ちと、「自分のできることは何でもやる」ということでした。
・・・
基金の基本原則は、個人からいただいたお金は全額を子どもたちに渡す、ということです。組織が大きくなったところでは、専従職員が必要になっているうえに、事務経費もかかりますから、仕方がないと思うのですが、間接経費の比率はお金を出すほうとしては気になります。そこで、事務作業はできるだけ無料でお願いして、それでもかかる間接経費は企業から少しでもいただこう、それが無理ならあとは自前と考えました。
・・・
いろいろな団体や企業が震災で親をなくした子どもを支援するという同じ趣旨で動き出しました。ほかにもあるようだが、一本化してはどうかという話もいただきました。大きな組織にまとめるのもいいと思うのですが、そうなると間接経費がふくらむのをどうするかという話が出てきます。それ以上に、私が思うのは、あいつがやるのなら私も協力しようか、あの人も協力しているのなら、私も手助けしようか、という連帯の輪は、たくさんあったほうが、結果的に子どもたちに行き渡るお金は大きくなるのではないか、ということです。たぶん自分自身がかかわらなかったら、支援活動の統合一本化など、私なら真っ先に言い出しそうなことだったのですが、実際に動いてみると、統合一本化が必ずしも善ではないと思うようになりました。
・・・
また、こども未来基金のホームページからも引用します。
全文はこちらから
http://www.mirai-kikin.com/
・・・
仕組み:
基金内に支援するこどもを選ぶ選定委員会を設け、親をなくしたり、親が重度の障害を負ったりした小学生から高校生までの児童・生徒に資金援助をします。3か月に1回ずつ(振り込み手数料を節約するため)、平成28年7月までの約5年間、一定額をこどもの保護者の口座に振り込みます。ただし、高校を卒業・退学したり、就職したりした場合は、支給を打ち切らせていただきます。また、個人からの寄付については、その全額をこどもたちに支給します。そのために、法人や団体からの寄付金の一部は、ご了解をいただいたうえ事務経費に充当することがあります。
・・・
支援期間:
募金及び支援期間を平成28年7月までとし、その時点で基金を解散するか継続するか改めて決めます。支給額は近日中に決めます。
・・・
高成田さんという方を知っているわけではありません。同い年だなぁ、すごい人だなぁ、というくらいです。ただ、その趣旨に賛同しました。私も元教師ですから、子たちの成長に何かの形でお手伝いができるなら幸せなことだ、と思います。
その使い道がはっきりしている。これはよいことだと思います。間接経費にもきちんと言及しておられます。
大きな組織だとまた、配分がどうのこうのとかなるかもしれませんが、最初から旗印が鮮明なのが好もしいと思いました。
一本化を避けたのもよいと思います。
「組織」というものには必ず自己保存性が生じます。当初の目的が消滅しても組織だけ残ってしまうということはよくあることで、私の非組織的な生き方はそれを嫌っているともいえます。小さな組織でもそうなんです。一本化して大きな組織になったら(私に言わせれば)やがて悲惨なことになる。自己保存性というものは実に強力なものなので。
ホームページにあるように、さしあたって約5年間と活動期間を切って宣言したということもとても良いことと思えます。組織は作るより壊す方が難しい。
立ち上げの最初から、組織の終わりに言及するというのは珍しいのではないでしょうか。
こんな具合で、夫婦二人で賛同しましたので、連休明けにもわずかな額ではありますが送金しようと決めました。
皆さんは、皆さんでご自分の判断で行動してください。
日 | 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 |
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1 | ||||||
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