子どもはなおもひとつの喜び
3月15日付の朝日新聞「天声人語」の終わりの部分を引用します。
・・・
紙の墓碑を思わせる東京の紙面にきのう、被災地で生まれた赤ちゃんの記事があった。
〈子どもはなおもひとつの喜び/あらゆる恐怖のただなかにさえ〉
谷川俊太郎さんの詩の一節を思い浮かべた。命の微笑を、力に変えたい。
私自身は、あの赤ちゃん誕生の記事を読んだ時に、栗原貞子さんの「生ましめんかな」が脳裏をよぎったのでした。
http://yamada-kuebiko.cocolog-nifty.com/blog/2011/03/post-f358.html
この記事の最後で私はこう書きました。
被災地でで赤ちゃん誕生、のニュースを読み聞き、涙が出ました。
あかちゃん、おかあさん、元気で!生きてください、大きくなって下さい。
谷川俊太郎さんのこの詩が気になって、調べてみました。
詩集「地球へのピクニック」(銀の鈴社)にあるようです。「子どもは……」という題の詩です。
子どもは……
子どもはなおもひとつの希望
このような屈託の時代にあっても子どもはなおもひとつの喜び
あらゆる恐怖のただなかにさえ子どもはなおもひとりの天使
いかなる神をも信ぜぬままに子どもはなおも私たちの理由
生きる理由死を賭す理由子どもはなおもひとりの子ども
石の腕の中ですら
天声人語子はよい詩を教えてくれました。
よい言葉は力を持つものです。
再度。
あかちゃん、おかあさん、元気でね!
私や天声人語が扱った記事を引用して終わりにします。
●余震続く中、産声 宮古(2011年3月14日)
岩手県宮古市で12日、被害を切り抜けた女性が女の子を出産した。東京都杉並区から宮古市の実家に里帰りしていたKさん(28)。震災で犠牲になった人たちのことを思うと胸が詰まるが、授かった命を愛し、育んでいこうと心に決めた。
地震が起きた11日、Kさんは1人で市中心部のカラオケ店にいた。それまでは毎日、午後は海を見ながら岸壁を散歩するのを日課にしていたが、16日の出産予定日を前にふと「好きな歌を思いっきり歌っておきたい」と思い立った。その日に限って海に近づかなかったのは、今から思えば、何かが守ってくれていたからか。
1曲目を歌おうとしたとき、突然大きな揺れに襲われた。「このままだと下敷きになる」。夢中で外に飛び出し、母と祖母が暮らす高台の実家に駆け出した。とりあえず難は逃れたが、夜になっても余震は続き、一家で近くの中学校へ。「子どもがいない」「知り合いを見失った」。避難者たちの話を聞いて、初めて津波の被害の大きさを知った。岸壁の散歩コースはもちろん、さっきまでいたカラオケ店も大波にのみ込まれていた。
さらに高台を目指し、県立宮古病院の駐車場にたどり着いた。湯たんぽで寒さをしのいでいると、夜中になって激しい陣痛に見舞われた。「こんな時に……」「被害者がどんどん運び込まれているのに、病院に迷惑はかけられない」。そんな思いでこらえたが、どうにもならなくなり、午前3時ごろになって駆け込んだ。
余震が断続的に続くなか、12日午前6時57分に出産。2544グラムの元気な女の子だった。「上手なお産でしたよ」。看護師が優しくほめてくれた。
うれしい。でも、犠牲になった人たちのことがずっと頭を離れない。「生まれる子供がいるのに、流されたり亡くなったりする人たちがいる……」
その日の夜、夫(42)に電話がつながり、無事と娘の誕生を伝えた。「あなたにそっくり」。夫は声を詰まらせながら「頑張ったね」「これからも気を付けて」と繰り返した。
娘には「幸愛(ゆきあ)」と名付けるつもりだ。幸せで愛される子に――。ずっと前からふたりで考えていた名前。「この町のみんなは、これから力を合わせて生きていく。私も頑張って、この子を守り、育てていきたい」
Kさんは何度も繰り返した。「伝えたいことは、まだまだたくさんある。どうか記者さん、この町の惨状を広く伝えて下さい」
●こういう記事もありました。
東日本大震災:地震翌朝、新しい命 懐中電灯の下で出産:毎日新聞 2011年3月14日
青森県八戸市河原木の主婦、Kさん(32)は12日早朝、停電に見舞われた市内の病院で男児を出産した。
暖房の切れた院内は冷え込み、余震が続く環境の中での新しい命の誕生だった。陣痛が始まったのは12日未明。すぐに夫(35)の運転する車で暗闇の道を病院へと向かった。小雪が舞う中、午前4時過ぎに病院に到着したが、発電機がないため院内は真っ暗。電動式の分娩(ぶんべん)台も動かないため、背中部分に枕を置いて角度を作り、看護師が手にした懐中電灯を使っての出産が始まった。
途中、隣の部屋から大きな音が鳴り、白煙が漂った。病院と取引のある男性が用意した小さな発電機を起動させた。赤ちゃんの様子を見るためのライトに明かりがともった。
午前5時38分、3310グラムの元気な男の子を出産。Kさんは「余震で分娩台が何度も揺れる中での出産でしたが、ひとりぼっちじゃないから大丈夫だろうと思った。元気でたくましい子に育ってほしい」と笑みを浮かべた。
八戸市では津波被害を受け、1人が犠牲となっている。
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