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2011年2月 8日 (火)

肩にとまらせ

2011.2.7付 朝日歌壇より
わが孫を肩にとまらせゲルマンの婿は天守閣を仰ぎてゐたり:(長野県)沓掛喜久男
 馬場あき子評:ゲルマンの婿に松本城を見せたのか。わが孫を肩車しているという人情も面白い。

「わが孫」ではあるのだけれど、娘が国際結婚をして、最初から国際人として成長を始めた「わが孫」に、何か不思議な感じとでもいうのでしょうか、感慨を覚えていらっしゃる、と思います。
で、選者は「肩車」といっていますが、日本人がやる首にまたがらせる肩車ではないのではないかな。歌にあるそのままに、片方の肩に子を乗せているのでしょう。肩幅が広い、だから「肩にとまらせ」なんでしょう。さすがに大男だなぁ、という感慨もある。そして、城という日本の情緒と溶け合っている。
はあぁ~、という息が聞こえてきそうです。

昨年の9月12日付の朝日歌壇にこんな歌がありました。
鹿肉をドイツの婿が切り分けしゾーリンゲンのナイフの切れ味:(長野県)沓掛喜久男
 高野公彦 評:婿殿が持参したドイツ製ナイフの見事な切れ味に感嘆。

これを私はこのブログで取り上げました。
http://yamada-kuebiko.cocolog-nifty.com/blog/2010/09/post-76de.html
そして、こう書きました。

ナイフ「さばき」も重要なのではないかなぁ。
現在の日本人はナイフで肉をさばく技は持っていないでしょ。
ドイツ人の婿のみごとな手さばき。
彼我の食文化の違いを改めて認識し、そのようなナイフさばきの出来る夫を得た娘の目の確かさを褒めているのではないかなぁ、と思うのです。

またその後こんな記事も書いています。
http://yamada-kuebiko.cocolog-nifty.com/blog/2010/10/post-76de.html
「鹿肉」という題です。

「お婿さんが「主人」をきちんとやったんですね。ゾーリンゲンのナイフで鹿肉を切り分け、みんなにサーヴしたんでしょう。」

こんなところも是非合わせて読んでみて下さい。
味わいが増すと思います。

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