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2011年2月 1日 (火)

挨拶の前に

2011.1.31付 朝日歌壇より
挨拶の前にかならず息を吸うそのとき僕は「先生」になる:(河内長野市)小坂泰介

今はあまり昔のように、起立、礼、とかやらないのかもしれませんね。
なんだか軍隊的で、強制的で不快だ、とかいわれたのですね。
でも、なにか挨拶の言葉は授業の始めと終わりにやっているようです。
休み時間と授業時間をきちんと心理的に分けて、集中力を授業に向かせる、という心の作業は必要なんですよ。
そして、先生の側も、決して生徒に君臨するとかいうのではなく、気を引き締めて、生徒の顔を眺め渡して心理状態を把握し、さあ、授業だ、という心の準備態勢を整える必要はあるのです。
それは、若くても年齢を重ねても同じ。
挨拶の瞬間から、授業が「生き」始めるのです。
授業は生きもの、殺さないでおくれ、というのが私の言い続けたことでした。
生きものは二度と同じ繰り返しにはならない。一生教師を続けたって、同じ授業なんてできはしない。

さあ、今、ライブが始まる。
それが挨拶なんです。

そういうことって、小さいことのようでいて、大事なこと。
大切にしたいですね。

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