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2011年2月

2011年2月28日 (月)

蛙の卵:我が家・2

0227niwahiki3 2011.2.27
長い長いゼリー状の紐。端っこがなかなかみつかりません。
何してるの?
って、そりゃ、また何個かを家の中で観察しようという夫婦の魂胆。おかしな夫婦ですねぇ。
0227niwahiki4
50個余りをケースに入れて、撮影。
0227niwahiki5
意外と完全な真ん丸ではなくて、おむすび形だったりするんですね。
これはおそらく、26日の夜に産んだ卵でしょう。

これからどう変化して行くか、知ってるんですけど(生物教師でもありましたからね)、実際に目の前で発生が進んでいくというのは、何度見ても楽しいものなんですよ。心が躍ります。(飼育屋の楽しみって、生きてる実感、なのかもしれないな。)
ものすごい速さなんですよ。しかも、ちょっと待ってというわけにはいかない。ぐんぐん、ぐんぐん進んでいく。生きるということのすごさを体感できます。

●ところで、この池での産卵、2回目ということになりましょうか。
前回は2009年の2月22日かな、卵を発見したのでした。

この池にやってくるヒキガエルはこの池生まれのヒキガエルだと思います。
4年くらい前かなぁ、当時小学生のU君と「理科おじさんの部屋」というのを毎週やっていて、この季節に、六郷用水跡の水路でヒキガエルの卵塊を採集したのです。
私はどうもバランスの悪い人ですから、妻が一緒に行って卵を採集してきました。(アメリカザリガニの釣りというのも経験させたあげたっけな。)
で、飼育して、オタマジャクシ、小さなカエルから成長したカエルへと、経験させてあげたのでした。

そのカエル、適当に庭へ放したのですが、そばの空き地などへも行ったのでしょう。
たま~ぁに、姿を見せることもありました。猫もいるし、アオダイショウも見かけるし、よく生き延びてますよね。
成熟してこの2,3年、自分の生まれ育った池へ帰って来て産卵してくれるわけです。
よく覚えているものですよね。猫くらいなら相当広い範囲を自由に行き来して行動圏内の詳細な地図が脳内にあるのでしょうが、ヒキガエルの「脳内地図」ってどんなものなのでしょうね?
「水のにおい」のようなもので方向を探してくるのかなぁ。
感激するとともに、不思議さはかえって増します。
ヒキガエルは、孵化・成長期と産卵期しか水は必要ない。多少湿ってさえいれば水面はなくてもいい。それが産卵期には水のたまった水面のあるところへちゃんとやってくる。
不思議だなぁ。

しっかし、庭の池でこれ、孵化すると、また大騒ぎだなぁ。

春の訪れ

です。

凄いことになってきた。経過は随時ご報告します。

蛙の卵:我が家・1

0225_niwahiki 2011.2.25
2月24日の夕方、暗くなってから、用事で玄関先まで出た妻が、池にカエルがいるようよ、と気づきました。3匹いるようだ、とのこと。部屋の中にいても、カエルの鳴き声が聞こえてきます。この日は暗かったし、撮影は試みませんでした。

で、翌日25日。4時過ぎに外出から帰ってきたら、また池でカエルが騒いでいる。
カメラを構えて池へ近づくと潜ってしまって見えなくなる。
で、2階へ上がって、ベランダから望遠ズームレンズにして撮影を試みました。
その結果が上の写真です。
「二階から目薬」ではないですが、2階からの撮影はきつかった。何枚も撮って、やっとこれが最高の写り具合でした。

翌日、26日はカエルの声は聞えませんでした。
そして27日、日曜朝。妻の、卵産んであるわ、との声。
0227niwahiki1
周りが白い中、窓が開いたような、ちょっと幻想的な構図になりましたが、何のことはない、水面の反射を避けるために乗り出した私の頭の影の中に水中が見えているのです。
ありますねぇ。ヒキガエルの卵塊。
0227niwahiki2
拡大。
白っぽい部分が植物極でしたね。
受精卵だと思うのですが、確定はできません。

さて、この続きは次の記事で。

蛙の卵:六郷用水跡

0225_hikitamago 2011.2.25
話は前後して飛び回ります。
上の写真何だかお分かりですか?
ヒキガエルの卵塊です。
25日はやたらと暖かい日でした。東京では最高気温が20.8℃になった日です。
啓蟄じゃないですが、暖かくなると、「かかし」がもぞもぞ動きだします。
久しぶりにモンパルを出して、ご近所を一周。(その全体はまた後で。)

六郷用水跡の水路の浅瀬にヒキガエルの卵塊を見つけました。
大きな鯉もいるので食べられてしまわないか心配ですが、例年この場所はうじゃうじゃとオタマジャクシを見る場所。今年もそういうシーズンになったなぁ、と
帰宅後、妻にヒキガエルの卵塊見たぞ、と話をしたら、ぜひまた手元で孵化・成長をみたいわ、ということで出かけていって50個くらいでしょうか、卵を採ってきました。
0225_hikitamago2
これがそう。
ゼリー状の物質に包まれています。
0225_hikitamago3
とはいうものの、中まで詰まったゼリー状の棒のようなものの中に卵があるというのではなく、ゼリーの管の中に入っています。

これが2月25日のこと。
ここから、毎日「激変」が起こって、夫婦で大騒ぎしているのですが、それはまた、おいおい詳しくお話しします。
今日のところは、出発点のところだけ。

いやはや、生き物好きの似た者夫婦の大騒ぎ。どうなるのかなぁ。
現在進行形で、先は見えません。

寒い雨

0228ame 2011.2.28
前の記事でも書きましたが、今日は寒い雨。
朝より午後の方が気温は下がっているのではないでしょうか。
たまにこういうことがあります。
朝のうちにその日の最高気温が出てしまって、あとは気温は下がる一方というような日がね。
ところが、テレビの「気象情報」では、それでも「今日の最高気温は・・・」といって朝方の気温を言っていたりする。私たちが知りたいのは「気象統計情報」ではないのであって、「生活に必要な天気予報」ですよね。今日の最高気温は朝のうちに出ました、午後3時ころには~~℃くらい、夕方の帰宅時間には~~℃くらい、寒くなります、ご注意ください、という情報がほしい。
そういうこと、わからないのかなぁ。杓子定規では生活情報にならないのに。気象予報士という資格があるのですから、そのくらいの自由度が合ったっていいじゃないですかね。
と思う、かかしです。

上の写真「寒い雨」の写真です。
ジンチョウゲの写真を撮るべく、低い椅子に座ってかがみこんで撮影して。
ふと顔を上げると、目の前をかなりざあざあ降っている。
マニュアルフォーカスで2mのところにピントを合わせてフラッシュを光らせてみました。
前も後ろもボケて、目の前2mのところを落ちていく雨粒が線になって写っています。

夕方には雪交じりになるかもしれないとのこと。
気温の変化が激しいようで、体調を崩されませんよう、ご注意ください。

ジンチョウゲ

0219_5jintyouge 2011.2.19
ジンチョウゲのつぼみが少しずつ膨らんで来ています。

0223_1jintyouge 2.23
微妙ですね。

0227jintyouge 2.27
もう咲くかな。
この日はとても暖かい日。

0228jintyouge 2.28
そして今日。
今日は寒い雨の日。
朝見たら、一つだけ開いていました。
一輪、と言っていいのかなぁ。よくわかりません。
雨が少しかかる場所。濡れています。

花は内部の充実によって咲く。
外が寒かろうが雨だろうが、お構いなし。
充実しきって、私は咲く、という時になったら、断固、きちんと咲く。

人もかくありたいものです。

イノコヅチ

0219_4inokoduti 2011.2.19
枯れたイノコヅチを一枚。
ブロック塀の塀際です。
最終的にはこの辺りに落ちてまた、この辺りで茂るのでしょう。
せっかくの「ひっつきむし」ですが、その性能を発揮できませんでした。

ところで、「イノコヅチ」って変ですか?
なんだか私の語感では「イノコズチ」の方が違和感があって。

いのこずち【牛膝】イノコヅチ
ヒユ科の多年草。各地で普通の雑草。茎は四角で、節が太い。高さ約80センチメートル。夏秋の候、緑色五弁花の花穂をつける。果実は苞(ホウ)にとげがあり、衣服などに付着する。近縁種ヒナタイノコズチの根を乾燥したものを牛膝(ゴシツ)といい、漢方で利尿・強精・通精・通経薬とし、俗間では堕胎薬にした。フシダカ。コマノヒザ。<季語:秋>[広辞苑第五版]

旧仮名の方を使わせてもらいました。
田中修 著「雑草のはなし」中公新書1890から引用します。

 名前は「茎の節の部分が膨らんでいる」ことに由来する。この膨らみを、「イノシシの大きな膝頭」と「物を打ちたたく道具である槌」にたとえられて、「猪子槌」である。中国では、イノシシではなくウシの膝頭に見立てられて、「牛膝(ごしつ)」といわれた。

とかかれています。「槌(つち)」が濁ったのですから、「づち」ですよね。
というのが私の語感のもとになっています。

クロッカス

0219_3croccus 2011.2.19
クロッカスのつぼみ。
外側に黒い線が入っていて、おしゃれ。
今年はクロッカスの当たり年のようで、庭と線路際でいっぱい咲いています。
0221_6croccus 2.21
おちょぼ口、という感じですね。
わ~いわ~ぃ、とにぎやかな雰囲気。
0222_6croccus 2.22
充分に成熟した姿。
他の色のものも植えたはずなんだけどな、と妻は言いますが、今のところこの濃い黄色の花が次々と咲いています。

2月22日って、「ニャンニャンニャン」で「猫の日」だと思っていましたら
「ショートケーキの日」というのもあるんですってね。
カレンダーを見て下さい。22日の真上は必ず15日です。当たり前ですけど。
ですから、15=イチゴが上に乗っている、ということで、毎月22日はショートケーキの日らしいですよ。
{私はダメだ、胃が酸っぱくなる。チーズケーキくらいが限界だな}

桜桃

0219_2outou 2011.2.19
桜桃の芽です。この日はまだあまり緑は目だっていない。

0222_1outou1 2011.2.22
わっ、もうすぐだ。
と思ったら、すでにアブラムシさんが来てましたよ。
さすがですねぇ。
桜桃の営み、アブラムシの営み、共に感動的ですね。

0222_1outou2
これは別の芽。
薄緑の透けた葉が見えますね。
なかなか遠いもうすぐ、です。

0219_1kakato 2011.2.19
駅のホームに 踵が 落ちていた :崩彦

{シュールな現代詩、みたいな気がしません?}

2011年2月25日 (金)

白梅

0218h_ume1 2011.2.18
白山神社にて。
ここの梅はそろそろ終わりを迎えています。
ずいぶん早く咲き始めましたものね。
0218h_ume2
花弁が落ちた姿。
この神社ではあまり実をみのらせてはくれませんが、でも、梅としてはこれからが成熟の時間。実を熟させて発芽させて、氏子さんに実生の梅を頒布する、なんてのはダメですかねぇ。
出来あいの梅の鉢を買ってきて花をみるより楽しいと思うけどな。

サルスベリ

0218h_sarusuberi 2011.2.18
白山神社にて。
ふと目の前のサルスベリの木の幹にレンズを向けてみました。
いかにもこれはサルスベリ、という写真になりました。
この木、堅いんですよ。下手にノコギリで切ろうとすると、ノコギリがだめになります。
経験があるんです。苦闘した揚げ句にノコギリ一丁ダメにしたことがあるんです。
若い頃、まだ腕力に自信がある頃でしたが。

コブシ

0218h_kobusi1 2011.2.18
白山神社にて。
逆光に輝く芽。これもいい感じですが
0218h_kobusi2
フラッシュを光らせてこういう風に撮るのもいいでしょ。
毛のふさふさ感がすごい。
0218h_kobusi3
このレンズの描写力は非常に高い。楽しいです。

アヤメ科の・・・

0218h_iris 2011.2.18
白山神社にて。
アヤメ科のいかにもアヤメっぽい花が咲きますが。
いつも名前はよく分からないでいる。
もう花の準備ですね。
板みたいな状態です。
咲いたら今度こそ名前を確定させたいものですが・・・。
自信ない。

アジサイ

0218h_ajisai 2011.2.18
白山神社にて。
墨を含ませた筆みたいですね。
これが割れると中から緑色の葉が出てきます。
まるっきり棒のようになった茎しかないのに、この季節になると芽が出てくる。
そのための養分はどこにあるんでしょう。
あまりアジサイを掘り上げたことはないのですが、根が太いですか?
そこに栄養を貯蔵しておけるくらいの根なのでしょうか。
不思議だ。

クロスジホソサジヨコバイ

0218_4kurosujihososajiyokobai1 2011.2.18
日溜まりのビヨウヤナギの葉の上。
気温が上がると出てきます。こんな日は出てこないかな、と思いながら行くと案の定いる、嬉しい奴です。
上の写真は多分オス。
下の写真は多分メス。
0218_4kurosujihososajiyokobai2
名前の由来の「クロスジ」の両脇が赤いのがメスだと思います。
成虫で越冬中の雌雄ともに現れてくれて、うきうきしてしまいますね。
ヒトの視覚では、丸い黒点が2つあると目に見えてしまいますが、他の動物でもそういう風に認識するんでしょうかねぇ。よく分からない。前後反転の擬態の有効性が完全には納得しきれていない私ですが、少なくとも無効ではない、のでしょうね。

キジバト

0218_3kijibato1 2011.2.18
ハトだというのは遠目にも分かるんですが、逆光でシルエットが見えるだけ。
カメラを向けても逃げるわけでもないので、とりあえず一枚。
野生でもハトってヒトに対する警戒心が薄いですね。
一枚おさめれば、あとは可能性を追求するだけ。
そっと下へ進みます。
0218_3kijibato2
こんなアングルでウンチされたくないなぁ、などと思いながら、これが最接近。
肉眼では相変わらずシルエットのみですが、写真では目までちゃんと写っていました。
35mmフィルムカメラ換算100mmの望遠という有難さです。
0218_3kijibato3
反対側に回っても逃げなかったので、なんとか横顔も撮れました。
鳥の名前にはまるっきり弱い。カラス、ハト、スズメというくらいしか分からないという情けなさ。
少しは勉強しなくちゃな。

クロヒラタアブ

0218_2kurohirataabu1 2011.2.18
暖かい日。久しぶりにクロヒラタアブ。しかも活動的でして、目の前を行ったり来たり、ホバリングしたり。
50mmマクロでこういう活発な動きに接するのは初めて。
どのように写るのか、露出はプログラムに任せて。
何とか動きをフォローしようとするのですが、なかなか難しかった。
被写体はボケているんですが、翅の動きが写りました。
0218_2kurohirataabu2
こちらは、ホバリングしているところへレンズを向けてシャッターを切ったんですが、つい、つい、と移動するので、真ん中にはとらえきれませんでした。
かろうじて端っこの方にボケた状態で写ったというところ。
暖かくなってきて活動的な昆虫が増えた時、どこまでフォローできるか、課題が残りますね。
0218_2kurohirataabu3
静止してくれると、このくらいに写せます。
シロザの枯れた茎にとまったところです。
毛のふわふわ感が少し足りないかなぁ。
でもまぁ、いい雰囲気でしょ。

ヒラタアブ達は、結構協力的ないい被写体になってくれます。
彼らの協力を得て練習しなくっちゃ。

カランコエ

0217_10kalanchoe1 2011.2.17
カランコエのつぼみにはまだ目立った動きがない。
ところが、あれ?赤いぞ。
新芽が実にきれいな赤なんですね。
互い違いに包むように伸びてきた。
かわいいですよ~。てのひらに赤ちゃんを包んで守る、といった風情。
0217_10kalanchoe2
伸びてくるとこうなってくるんですね。
茎が伸び、葉と葉の間隔が広がります。

花は。ま~だだかい?

ハハコグサ

0217_9hahakogusa 2011.2.17
これハハコグサだと思うのですが、間違ってませんよね。
ここはユキノシタなどがある地面。ほかにも鉢植えの土の表面など3カ所くらいで見つけました。
今生えてきたのではなく、冬越しの姿、ですね。
春の七草の「御形」というのがこれでしょ。
3月には咲くかな?もうちょっと先かな。
地味で、もっこりした感じの花ですが、キク科。近寄ってよく見るとなかなか風情のある花で、好きです。


2011年2月24日 (木)

ハエ

0217_8hae0 2011.2.17
前の記事で、上を向いて空とツバキがうまくおさまるようなアングルを探していました。
ツバキの撮影を終えてふと足元を見たら、ツバキの花が一個、コロンと伏せた形で落ちていました。
でも、なんだかヘン。
よく見ると大きなハエが一匹、花が落ちたその穴を覗きこんでいるのですね。
0217_8hae1
きっとここから蜜の匂い、あるいは蜜の発酵した匂いが立ちのぼってきているのでしょう。
一生懸命なんですね。
0217_8hae2
頭を突っ込んだりもしています。
中へ入って行くのかな、と思って見ているんですが、ここからはどうも入りにくいらしい。
しばらくして、花びらを下へ降りました。
すると、地面と花びらの間にすき間があったのですね。
それを見つけて、そそくさと花びらの下から中へもぐりこんで行きました。
きっと中で発酵しかかったような蜜を舐めているのだと思います。
中の様子も気にはなりましたけど、せっかくのご馳走にありついたのを邪魔してはいけないのでそっと立ち去りました。

ツバキ

0217_7tubaki 2011.2.17
高い所のツバキの花を空と一緒に写してみました。
青空が少し白っぽいのが気になりますが、色の対比がいいでしょ。

去年このツバキの木にアオダイショウがいたわけなんですが、今はどうしているなぁ。
どこで冬眠してるでしょうね。
ふと思い出してしまいました。

ハゼノキ

0217_6hazenoki 2011.2.17
以前にもご紹介したハゼノキの芽ですが。
ぎゅっと締まっていたのが、少し緩んできたような気がします。
もう少しで、葉の形が見えてくるのではないかな。
楽しみにしています。かわいいでしょ。

クロッカス

0217_5croccus 2011.2.17
今年はクロッカスが元気です。
線路際は日当たりは良いので先に花が咲き始めましたが、庭のクロッカスも一斉に姿を現わしました。
以前は2色あったのですが、さしあたっては濃い黄色のものが残っているようです。
スイセン、クロッカスと順に咲いて、楽しくなってきましたよ。

水面

0217_4minamo1 2011.2.17
前の記事のツツジは、池のそば。
気づくと池の水面に空が写っていました。
距離を無限大にして、水面にうつった雲を撮影。
0217_4minamo2
続いて、今度は水面に映った木の葉にピントを合わせてみました。

もう少し「アート」なものが写っているといいのですが、我が家の庭ではこの程度。
ピントの合わせ方で、水の中の藻を見ることもできますが、今回はやっていません。

水の中はまだ活発になってきません。

ツツジ

0217_3tutuji 2011.2.17
日当たりの悪い場所のツツジ。
かわいそうなんですけれど、仕方ない。
午前中の日差しが全然はいらない立地なので。
でも頑張って芽を膨らませています。

ノゲシ

0217_2nogesi 2011.2.17
ノゲシは元気。
何ノゲシなのかな。敢えて言えば「フユノ」ノゲシだよなぁ。
そういう種は聞いたことないけど。
どんどん花を咲かせ、白いふわふわの毛の玉を作っては飛ばしています。
庭に出る度に、今日はいくつ咲いてるかな、と楽しみにしています。

ハエ

0217_1hae 2011.2.17
種は同定しません。大型のハエです。
で、この背景はナンダ?とお思いでしょう。
水遣り用のジョウロです。
熱伝導率が小さいですからね、背中から日を浴びてとても暖かいのだと思います。
2月も半ばにさしかかって、日差しがある時は虫さんを期待できます。
まだまだハエ目くらいしかいませんけれど。それでもいてくれればうれしい。

2011年2月23日 (水)

ナメクジ

0216_3asiato 2011.2.16
ちょっと変わった被写体。
ナメクジさん。でもこれ一枚で、本体は出てきませんから苦手な方もご安心を。
サムネイルをクリックして拡大すると、ナメクジの「足跡」が写っているんですね。
光り輝く足跡です。
お、ナメクジだ。と撮ったわけです。
そう古いものじゃないでしょう。雪も降ったし雨も降ったし、つい最近歩いて行った跡だと思います。
こんな時期でも歩くことがあるんだな、と、苦手な相手ですが、見直しました。

1966年でしたか、ザ・ピーナッツとダーク・ダックスが歌った「銀色の道」。
好きだったな。フォークギターかかえて、コードをジャンと弾くだけの伴奏で、下手な歌、歌ったっけなぁ。
「銀いろのはるかな道♪」
って、なんでナメクジの足跡から連想が飛ぶのか。我ながら笑える。

クロヒラタアブ

0216_2kurohirataabu 2011.2.16
高い位置にとまったクロヒラタアブ。
フォーサーズ規格の50mmレンズですので、昔の35mmフィルムカメラに換算すると100mmの望遠になります。
風景とか人物とか建物とかを撮るにはちょっと長い焦点かもしれませんが、少し離れた花や虫など撮るにはいいのではないか、と経験を重ねているところです。
暖かくなってきたら、モンパルに乗って近所を回って、使い勝手を確かめてみたいと思います。

名残雪

0216_1yuki 2011.2.16
2.15の雪の名残です。
ポストの下、リュウノヒゲの上です。
ここは日当たりの悪い場所でして、こうやって残るわけですね。
夏場は涼しいらしく、チャコちゃんがリュウノヒゲの間に潜り込んで昼寝していたりします。
草の葉に乗って、空気で断熱されての名残の雪でした。

イルカさんの「なごり雪」は名曲でしたね。と思いつつ、頭の中に蘇ってきたのは「雨の物語」だったりして、ずさんな頭になりました。みんな「REMIX」になってしまったりして。
思い出すたびいつも新鮮、でいいなぁ。

ユスリカ

0214yusurika 2011.2.14
またユスリカ登場。
小さな昆虫なんですが冬の間も切れ目なく姿を見せます。
体が芯から冷えてしまいそうな大きさですが、頑張りますね。
前脚を高く掲げた姿勢でじっとしていました。
触角がふさふさですからオスでしょう。
我が家の小さな池あたりで羽化してくるのかなぁ。
立った位置で見る池は今のところ非常に静かです。
メダカ、ヤゴ、モノアラガイなど。ひっそり隠れているのですが。
ユスリカは活動しているのでしょうか。

センダングサ

0214sendangusa 2011.2.14
写真ネタが少ないのが頭痛のタネ。
重複します。この際何回も。
上は、センダングサの実がかなりとれてしまった、後の姿。
(「後の朝」だと艶っぽいけれどなぁ)
完全に熟し切った実。
大部分は何かにくっつくということもなく、この辺りに落ちたと思います。
タンポポのソケットはもっときれいに丸いですが、これは少しごつごつした感じですね。

生命線

2011.2.21付 朝日俳壇より
生命線つたひこぼるる春の雪:(東京都)西出真一郎
 大串章評:てのひらの上を雪片が流れる。「生命線」と「春の雪」の取り合わせが明るさを感じさせる。

てのひらに受けた雪が崩れとけて、生命線にそって流れた、くすぐったいような感触。そこに冬の雪とは違う「春」を感じられたのでしょう。

それでいいのですが。
あえてとんでもない読みをしてみたくなった。
「生命線」を「ライフライン」と読んだらどうなりますか?
電気・水道・ガスなど、よく災害時に「ライフラインの復旧」ていうでしょ。
ですから、もし生命線が「ライフライン」だったらどういうイメージになるのだろうか、と。
いえ、誤読です。笑って見過ごして下さい。

寒紅

2011.2.21付 朝日俳壇より
寒紅をさし百人の敵に会ふ:(泉大津市)多田羅初美

多田羅さんにはこうい句もありました。
2009/06/14
白地着て女の意地を通しけり
香水をふつて心を鎧ひけり

 大串章 評:<香水の香ぞ鉄壁をなせりけり 草田男>には男の怯みが見え、上掲「心を鎧ひけり」には女性の気概が見える。

寒紅も「鎧」なのでしょうね。
毅然として背筋の通った姿。「凛」という言葉で表現すべきでしょうか。
「女性」というものを描いて余りがありませんね。

こんな句も
2009/2/2
寒紅を差して一人を生きぬかん:(高松市)真鍋孝子

やはり、男とは違うんだよなぁ。紅、香水。女性にとってのそういうものの意味は男には遂に分からないものかもしれませんね。

・百人かぁ。すごい。
私、一日ほとんど一人にしか会いません。妻だけ。
外出することもあるけれど、通りがかりの人しかないから、やはり、「かかし 人と会う」ということはほとんどなくなったなぁ。
静かな老いの日々です。(虫さんに遊んでもらうのが楽しみ。)

・「さす」「差す」は「点す」の方がよくないですか。
「紅を点す」というほうが、口紅を塗っている女性の決意みたいなものが強く感じられる気がして。
口に紅を「さす」という時は、「点す」か「注す」がいいような気がする私です。

風花

2011.2.21付 朝日俳壇より
日光の空より来たる風花か:(栃木市)飯塚哲夫
 長谷川櫂評:東照宮のある日光。作者は栃木の人だから、そうだろう。地名の日光だが、日の光があふれている。

風花の光となりて空に満つ:(長岡市)長谷川回夫

風花や妻とはぐるる交差点:(東京都)大久保白村

風花や禿に念あり無我童子:(高岡市)野尻徹治
 金子兜太評:内容自在、叙法個性的。とくに中七。

「狐の嫁入り」というのも不思議な感覚に襲われるものですが、「風花」はもっと幻想的ですね。
東京で風花に遭遇したことはほとんどありません。
2月の神戸だったかなぁ、仕事を終えた帰り、駅のホームで、一陣の風花に包まれたことがあります。頬に当たる雪、明るい空、景色が白くかすんで、でも、それも一瞬、去っていってしまった。

初めの二句は「明るさ」にポイント。

三句目は心を奪われて見上げたほんの短かい時間に妻とテンポがずれてしまったという、風花の幻想性。

さて、四句めはどう読めばいいのか。
私に引きつけて言わせていただければ、わたくし、雪はまだ頭の地肌に直接は当たりません。雨は髪をかいくぐって頭の地肌に直達するようになりました。ハイ。

三千万円

2011.2.21付 朝日歌壇より
マグロ一本三千万円のニュース聞き時給八百円のバイトを思う:(入間市)角貝久雄

不快なニュースでしたね。マグロという命あるものに対して失礼でしょう。
生命に対する冒涜だと思うんですよ。
ヒトの欲しかない。
高級料理屋だか寿司屋だかで、高価なマグロを食べる自分は、金があるんだ、力があるんだって、下劣な顔して、鈍感な舌で実際の味も分からず、自己満足に浸るんですかね。

食通でも何でもありはしない。敢えて言えば「欲通」とでもいう人物たちに食われるマグロの不幸。申し訳ないことです。
こういうのをまた、ニュースにして騒ぐマスコミもまた愚劣というべきだと思っていますがね。

コードの束

2011.2.21付 朝日歌壇より
若大工道具箱には鉋なく電動工具とコードの束と:(佐賀市)高橋正

コードの束をよく見て下さい。伸ばしてあったコードをどのように束ねたか。
巻いて束ねてあるなら、よじれを解消しながら巻いてあるか。
折り畳むように束ねてあるなら、強い曲げをコードに与えていないか。
ぐちゃぐちゃに突っ込んでるなんてのは論外。
そういうところに、「自分の道具を大事にする人」というのが表れるのです。
昔ながらの大工道具ではなく、電動工具になっても、やはり、道具の扱いというところに職人さんの人柄、腕前、誠実さというものは表れてしまうのです。

あ、このお客さん、そんなところを見てたのか、とこちらが特に何も言わなくても、その大工さんが気づくようなら、それは立派な棟梁になります。

百歳も疲れますよ

2011.2.21付 朝日歌壇より
「百歳も疲れますよ」といふ母に介護士笑みて頷いてをり:(糸島市)大江俊彦
 馬場あき子選:「百歳」の言もすごい。受け止める介護士の笑みもいい。

いやもう、60を過ぎまして、自分の人生のエンディングを考えなければならない時にさしかかりました。まったく、ピンピンコロリがいいですね。
癌でも発症して、1回くらい手術して家族や近しい人を納得させたうえで、1~2カ月の入院でコロンと逝くというのを理想としておりますが。健康診断なんて受けません、手遅れにならなくっちゃいけませんからね。しっかし、思うように事態は進まない。
六十過ぎも疲れてますよ、「まだだめですかぁ、もういでしょ」という気分は常に私の背景にあります。この問題はややこしい。
はっきり言いますが、生きていることそれ自体で素晴らしい、なんてのは完璧な大ウソですからね。生きていることそのこと自体には何の意味もない、という無意味さに耐えるのが人生ですよ。誠実に無意味に耐えてください。それを以って、よき生き方というのでしょう。

別件:「いふ」「をり」という仮名遣いをなさるのなら、「頷きて」のほうが落ち着きがよいような気もいたしますが、いかがでしょうか。

2011年2月22日 (火)

蒲の穂

2011.2.21付 朝日歌壇より
ペン立ての蒲の穂不意に絮(わた)となる因幡の兎くるみし絮よ:(八千代市)岩本紀子

えぇ、私はあまり蒲の穂には詳しくないのですが、ソーセージみたいに固まっているものがほどけますと、とんでもないことになります。うっかりと「ペン立て」に立てておいて穂が崩れ始めたら大変なことになりますので、ご注意ください。喉や肺に悪いです。

http://yamada-kuebiko.cocolog-nifty.com/blog/2007/09/post_5dd6.html
ここに、2007年9月24日 (月)付で「蒲(ガマ)の穂」という記事を書きました。
この記事と連動して、理科おじさんの部屋でも蒲の穂のことを書きました。

http://homepage3.nifty.com/kuebiko/science/103rd/sci_103.htm
理科おじさんの部屋:第103回 「ガマの穂」 です。
自分の書いたことを引用します。

コンパクトにまとまった「穂」なのですが、ほぐすと「爆発的」に膨らむのです。細かい綿毛が舞い散るし、すごいです。
 予めこのことが分かりましたので、鼻や口・肺に吸い込まないように、マスクを準備しておくことができました。うっかり肺に吸い込んだらかなり危険といえそうです。
 もし、同じようにガマの穂を分解してみようという方がいらっしゃったら、その点、ご注意ください。もちろん、室内でやるべきではありません。屋外でどうぞ。

また、因幡の白兎のことも気になって調べて書いてあります。
「新訂 古事記 付 現代語訳」武田祐吉 訳注、中村啓信補訂・解説、角川日本古典文庫、昭和52年初版発行から

ここに大穴牟遅(おおなむち)の神、その兎に教へてのりたまはく、「今、急(と)くこの水門(みなと)に往きて、水もちて汝が身を洗ひて、すなはちその水門の蒲(かま)の黄(はな)を取りて、敷き散して、その上に輾(こ)い転(まろ)びなば、汝が身本の膚(はだ)のごと、かならず差(い)えなむ」とのりたまひき。かれ教のごとせしかば、その身本の如くになりき。こは稲羽(いなば)の素兎(しろうさぎ)といふものなり。

そこで大国主の命、その兎にお教え遊ばされるには、「いそいであの河口にいって、水で身体を洗ってその河口の蒲の花粉を取って、敷き散らしてその上にころがり廻ったなら、お前の身はもとの膚のようにきっと治るだろう」とお教えになりました。よって教えたとおりにしましたから、その身はもとのとおりになりました。これが因幡の白兎というものです。

蒲の穂ではなく、蒲の花の花粉で治療しなさい、とおっしゃったのですね。なるほどです。
理科おじさんの部屋でも引用していますが、下のサイトにその話が載っています、ご覧ください。
http://www.proto-ex.com/gentaiken/sizentie65gama.html
「稲葉の素(しろ)兎と蒲の黄(はな)」

家の中にも道

2011.2.21付 朝日歌壇より
家の中にも道あり妻の車椅子通る箇所何も置いてはならぬ:(大月市)和田國基

そう、車いすが通るためには、堅い物体が置いてあってはいけませんね。
普通の人の歩行は、小さなステップで障害物を避けられますから気にもしないでしょうが、車いすは回転半径が大きいし、一度物体を噛んでしまうと、乗っている人にはそれを取り除きにくい。

ところで、車いすだと、小さな段差(1cm)とか、コードとか、床の敷物の皺などはおそらくそう気にはならない。車輪で乗り越えられるでしょう。

ところが私の左脚は「棒」。すると「またぐ」という動作ができない。たとえ1cmでもつっかかる。昔は右脚でおっとっとと跳ねてカバーできたけれど、右ひざを痛めて以来、右脚で跳ぶことは全くできなくなった。木が倒れるごとくに倒れるしかなくなりました。せめて、手に持っていたものがぶちまけられないようにとか、頭を打たないようにとか、気をつけながら倒れるだけです。
ということで、私にとっても「家の中に道」があるのです。皺とか段差とか、座布団とか、コードとか、またがねばならないものを排除した「道」を作らねばなりません。

でもね、健常な方でも、年を取ると同じようになってくるんですよ。
ですから、若いうちから、そういうことに敏感になって足元を整えておくようにするというのは大事なことだと思います。

トローチの穴

2011.2.21付 朝日歌壇より
トローチの穴舌先になぞりつつ行けば午後の陽薄く差す街:(水戸市)檜山佳与子

すっごくよく分かります。舌の先っちょでトローチの穴をなぞってる、なるほど。
舌先って敏感だからなぁ。味覚だけじゃないですものね、触角も大事。

先日、お喋りしながら食事をしていて、舌先を噛んでしまって、痛いのなんの。
で、その後3、4日、舌先の触角がなくなってしまって、変な感じで、食べ物の食感がおかしくなってしまいました。情けなかったぁ。

頬の内側を噛んでしまうことも増えて、これ年齢のせいですかね。
喋らず食べる。舌をかまないように。
一口を小さくする。よく唾液が出るように。
すすりこまない。むせかえらないように。誤嚥性の肺炎とか、窒息とかが分かるようになってきた。喉での肺と胃への仕分けが若い頃より下手になった、我が身体。
ぼろぼろになったなぁ。

トローチの穴って、間違って吸い込んでも窒息しないようにという工夫ですよね。
舌先でなぞっているうちはいいですが、うっかり吸い込まないようにご注意なさいませ。
飲みこんでも大丈夫ですが、吸い込まないように。
子どもはかえって、あの穴から息を出し入れして笛みたいにして遊ぶこともありますからご注意を。

夫の亡きこと

2011.2.21付 朝日歌壇より
友からのファックス届く寒の夜に夫の亡きこと何と知らすか:(富士見市)内田幸子

その時に、取り乱したままに、知らせてしまえれば、相手もかえっていたわってくれながら、お悔やみの内に了解してもらえたのでしょうが。
今、改めて知らせるとなると、言葉の選び方が難しい。相手が戸惑い、知らなかったこととはいえ、と慌てさせるのもつらいし。私は今はもう平気よ、と虚勢を張っているかのように振る舞うのも逆に辛いし。

ものごとには「時」というものがあるのですね。

覚えのない打身

2011.2.21付 朝日歌壇より
覚えのない打身のようにういてくる思い出といふも時に残酷:(瀬戸内市)児山たつ子
 永田和宏評:上句の比喩が卓抜。確かに痣となってじんわり浮いてくる苦しく悲しい思い出もあろう。

ありますねぇ、ふと気づくと青く内出血している。えっ?いつどこで打ったっけ?あれぇ、思い出せない。こんなに青黒くなっているんだから、打ったその時は痛かったんじゃないのかなぁ。でも思い出せない。

そういう意味で、「じんわり」思い出が浮いてくるのだとは私は受け取りませんでした。
なんでもない時に、ふっと、思いがけなくも、昔のワンシーンが浮かび上がってしまった。
えっ、そんなぁ、そういえば、そんなこともあったんだなぁ。と不意を衝かれてしまった。その唐突さを「残酷」と感じました。私の感想です。

2011.2.21付 朝日歌壇より
独り食む食事は餌と言いあいてシングル三人(みたり)鍋囲みおり:(秩父市)畠山時子
仕事がない物が売れない医者足りないされども光あふれきて春:(秩父市)畠山時子
 馬場あき子評:不足ずくめの人の世に来る春光の感覚がやさしい。

そりゃ、独りの食事は味気ないでしょうけれど、女性三人で鍋をつついたら、なんだか男としては想像するだけで、弾き出されますね。最近の言葉では「ガールズ・トーク」っていうんですか?あの女性たちの会話。
男にはまねできません。
爺さんが三人で鍋つついてもなぁ、様になんねぇなぁ。
女性のパワーに男は到底かないません。

弓手のその先

2011.2.21付 朝日歌壇より
鍛錬を積み来し射手の静脈が浮き出る弓手のその先の的:(横浜市)松村千津子

静脈が浮き出るということは、おそらく射手は男性ですね。
力強く引絞る弓。矢を放つまでの緊張感を捉えたワンショットの言葉。
視覚的な絵になっています。

私はどちらかというと、少女の射る弓が好き。
的をきりっと見据える、あのひたむきな視線が大好き。
その瞬間世界には視線しかない、というような張り詰めた眼差しが好き。

私自身は和弓は引いたことがない。
洋弓を少しやった程度。腕力だけはあったものですから。
右手の指先が弦を放す、あの矢離れの瞬間がよかったな。
左ひじが少し逆反りになってしまうのが、弓向きではありませんでした。

産みたての卵

2011.2.21付 朝日歌壇より
産みたての卵を運ぶ足取りで祖母の手を引く信号の少年:(東京都)飯坂友紀子

大事なおばあちゃんなのですね。
産みたての卵を運ぶ、という表現がみごとです。
そっと、やさしく、力を入れ過ぎないように、落さないように、ものすごく大事な物を手に持つ感覚。
それがおばあちゃんの手であるとは。
やさしい子だ。すばらしい子に育ちました。
おばあちゃん、ご安心くださいませ。
立派な大人になりますよ。

開口部

2011.2.21付 朝日歌壇より
老体の開口部みなゆるみきてあふれでるものみないとほしき:(川崎市)仁科光雄
 高野公彦評:露骨な表現を避けているが老いがまざまざと体の各部に現れる悲哀を詠む。

なんだかね、金子兜太氏が歌壇に乗りこんで来そうな感じがしますね。きっとお喜びになる。

口に始まり知りに終わる消化管ね、これ開口部。
さて、肺は体の表面が内側にくぼんだもの。鼻や口は開口部。
腎臓から膀胱、尿道ね、これも体表面が内側にくぼみこんだもの。開口部。

「悲哀」といえばそうかもしれないけれど、滑稽感、とほほ感を強く感じますね。
我が身のことながら、思うにまかせなくなって、情けないやら可笑しいやら。

私のような自分自身を観察して楽しむ人間には、老いもまた観察対象。若い頃には想像しなかったことが、そして年長者を見てはなんでああなるのかと思っていたことが、今、自分に起こってきていますよ。おもしろいことです。

●おまけ
トイレ論争というのがありましてね。男性も座って用を足せ、でないと便器が汚れて仕方ない、というのです。
老いてきた男の立場を手短にご説明しましょう。
男性は必ず前立腺が肥大します。病気でなくても肥大します。これは確実なこと、避けられないこと。
すると、排尿時間が長くなるのはもちろんなのですが、排尿感が薄れてしまうのですね。尿が今出ているのか終わったのか、感じとりにくくなるのです。また、尿を切る動作をすると、その後再度排尿を続けることができなくなる。残尿感になる。
で、座位で排尿すると、自分の排尿感覚がないのでうまく終われなくなってくるんです。
立位で排尿して、視認する、音で確認したくなるわけですね。
若い時より立位での排尿の必要性は高まるんです。
昔のような、男性用小便器があった時代は、男は幸せだった。
洋式便器の普及は、老いた男性には不幸なことです。
いいじゃあないですか、少しくらい汚れたって。
すっきり排尿させてあげましょうよ。
女性は漏れに悩み、男性は出なくなって悩み。
まぁ、お互い様。年とったんだもの。

子と離れ

2011.2.21付 朝日歌壇より
子と離れ自分のペースで歩くとき私自身の存在に気づく:(横須賀市)堅山真梨
 高野公彦評:子育て中の母親の歌か。自分が自分に帰る貴重なひととき。

「自分が自分に帰る貴重なひととき」ということは確かにそうなんですが。
そして、そういう時間が時々は必要だということも確かなことなんですが。

後になってみると、無我夢中になって自分自身を忘れて、子と一体化していた時間というものの貴重さ、濃密な至福感、そういうものもあるんですよ。

子と一体化していられる時間なんて、人生の長さからいったらほんのわずかな時間なんです。
ぜひ、堪能なさいますように。
自分の存在をどうしようか、なんてのは、後からいくらでも考えることができる。

一体化をお楽しみくださいませ。

新燃岳

2011.2.21付 朝日歌壇より
あかつきに冬鵙(ふゆもず)鳴きて安堵する新燃岳の火山灰(よな)掃く日々に:(都城市)津田トモ子
 高野公彦評:夜明け方ふと耳にしたモズの声に心が安らぐ。決して油断できない日々の連続なのだが。

ここには2種類の「自然」が詠み込まれています。

火山が噴火する。火山の営みの中で、今、何カ月か噴火したところで、そんなものは単なるほんの一瞬。
これは「自然」の営みです。
この自然は生命などとは全く無関係に活動しています。この自然が活動する時、生き物たちは無力です。決して「自然は優しい」などという代物ではない。圧倒的な、生命とは無縁の、むき出しの自然です。

それに対して、モズは動物。生命的な自然の構成員。
生命的な自然だって、ヒトという動物に対して好意的だったり優しかったりするわけではありません。危険は一杯。
でも、無機的な火山という自然に比べれば、生命ある仲間としての近しさは確かにある。
危険な生き物もいますが、モズはもう少しヒトの立場に近い。

火山という自然の活動の中で、モズという生命的自然の声を聞くことは、有難いことであり、心温まることなのだと思います。
共にこの困難のなかを生きている、という励ましを受けるのでしょう。

実は、ここには明白な形では詠みこまれていませんが、自然にはもう一つのタイプがあります。
人が存在を許して囲い込んだ自然です。牧場的自然とでもいいましょうか。
これは、人が存在を許したものしかいませんから、「優しい」自然なんです。
通常、自然は優しい、などという言葉は、人が存在を許した生きものたちのつくる、この自然なんですね。そうであるからして、成り立ちからして、危険がない、あるいは少ないのです。

このあたり、いつも意識しておく必要があります。
むき出しの無機的な自然は生命に対して敵対的ですらあるのですから。
生命的自然は、生きてはいますが、危険に満ち、毒物も大量にあるという、決して安全な自然ではありません。
ヒトが許容した「牧場的自然」を、上の二つの自然と混同すると、非常に危険であるということを認識して下さい。
{植物は優しい、などというのも、まるっきりの嘘っ八ですから警戒して下さいね。}

地球というむき出しの無機的な自然の圧倒的な力に対抗しながら、生命たちは自分達の生存できる範囲を広げてきた。これが38億年にも及ぶ、生命の進化の歴史の姿なのです。自然に対抗して生きる、これが生命のあり方でもあるのです。
自然は恐ろしい。でも生きる。のです。

結婚相手

2011.2.21付 朝日歌壇より
春の日に結婚相手と決めたのは生きる力のなさそうな男(ひと):(盛岡市)白浜綾子

ごちそうさま。
ちぇ、そんなこと考えてたのかよ、と御主人は苦笑いしているに違いない。
あるいは、昔からそういうことは御夫婦間でばれていて、にやっとしておられるのかな。

プロポーズかぁ。
私の場合約40年も前だよなぁ。
なんて言ったかって?
それはもう。
言いません。ご想像に任せます。

夫婦というものは、味わい深いものなのです。

鯉こく

2011.2.21付 朝日歌壇より
伝へきて寒には鯉こく焚くならひ総領なれば頭(かしら)盛られし:(長野県)沓掛喜久男

本当の味を知らないのですが、おいしいのと、頭を盛られて軽く「めげている」のと、両方なのでしょうね。

私は母親が海辺の育ちのせいでしょうか。海の魚には私は強い。骨から頭からしゃぶりつくす。
鯛でも鮭でも鯵でも鰯でも秋刀魚でもなんでもござれなんですが。
淡水魚は比較的得意じゃない。鮎食べて、おいしいという感動はあんまりない。鯉も苦手かなぁ。鯉の頭に食いついた経験はないし、あまり食指は動かないなぁ。ごめんなさい。
初めての鯉こくが、脂ぎとぎとだったのが「トラウマ」になってしまったのかもしれません。
「鯉こく」って言葉、「こく」って何だろう?と引いてみました。

こい‐こく【鯉濃】(鯉の濃漿(コクシヨウ)の意) 鯉を筒切りにして煮込んだ赤味噌汁。[広辞苑第五版]

そうだったのか。辞書は引いてみるものですねぇ。

●俳壇の方で
2011.2.21付 朝日俳壇より
母以外海鼠の好きな家族かな:(玉野市)加門美昭
 金子兜太評:日常風の物言いが明るさを呼ぶ。

こういう句がありました。評の意味はあんまりよく分かっていないのですけれど。
母親が海鼠を苦手で、子が海鼠を食える、というのは結構珍しいんじゃないですか?
子の好き嫌いってやっぱり母親の影響を大きく食らうからなぁ。
母は自分の苦手なものをあまり出さないでしょう。
成人した子がどこかよそで海鼠の味を覚えてきて、母は、わたしはあんまり好きじゃない、とかぼやいていらっしゃるのかなぁ。
興味深く、奥行き深い句でした。

●ところで、海鼠って苦手な人はまるっきり受け付けない、というタイプの食品ですね。
大学時代、僻地の学校に、化学実験隊を組んで行ったのですが。北海道の昔のニシン漁港の。
活動の合間に、海へ潜って遊んでいて、海鼠を取ってきて、手で引き裂いて海水で洗って生のまんま塩味にして食べていたら、仲間の一人が青ざめて、何でそんなものが食えるんだ、と震えていましたっけ。

海底からウニ拾ってきて食べてたら、漁師さんが、おお、お前ら生でくえるんか、と喜んでくれて、ザルに山盛りのウニくれましたっけ。タダではかえって気にするといかん、10円で売るよ、とね。山のような生ウニ食べたっけ。貝殻に生ウニ盛り上げて、焚火で表面を軽く焼いて食べたっけなぁ、あんな旨いもの無かったなぁ。絶品でしたね。懐かしい思い出がずるずる頭から流れ出してきます。

わっさわっさと

2011.2.21付 朝日歌壇より
児を抱えヴァイオリン背にわが娘わっさわっさと改札通る:(石巻市)須藤徹郎
 佐佐木幸綱評:勢いのいい若い母親をユーモラスに描出。下句、うまい。

若さというものは「あふれでる」ものですね。
勢い、張り。
若い人はすごいや。
口先で子育てせず、パワーで子育てして下さい。
失敗にめげない、元気な子になります。

全然違う話なんですけどね。
泳いでいるでしょ。ターンの時など、自分の皮膚が水の抵抗で波打ってるんですよね。あれはわびしい。
小学生なんかがものすごい勢いで追い抜いていく。肌は張り詰めていて、波なんか打ちませんね。
若さとは、内側から溢れ出てきて、肉体的に皮膚を「張る」ものなんだ、って切実に思いますよ。

2011年2月21日 (月)

助けられ上手

2月17日の朝日新聞夕刊、「窓」というコラムにこんな話がありました。

[窓]助けられ上手
 高齢・単身・認知症といった「要援護世帯」の増加や「孤独死」への対応……。心が重くなる取材が多い。
 最近、少し気分が明るくなったのは、天神様で有名な下町、東京都江東区の「亀戸1丁目町会」を訪ね、「支え合いマップ」づくりを見学したからだ。
 「まず、世話焼きさんがいる家を教えてください」。マップの考案者である「住民流福祉総合研究所」の木原所長(70)が、集まった町内会役員や婦人部員ら十数人をうながした。
 住宅地図で、面倒見のいい人の家に印をつけ、その人と近所づきあいのありそうな家との間を選で結んでいく。
 福祉医療の専門誌などを経て独立した木原さんは、16年以上、全国でマップづくりを指導。軽妙な口調で話を引き出す技術は、芸の域に達している。
 途中、木原さんがひざを打った。一人暮らしのおばあちゃんが「外で水まきをする姿を見なくなったら、何かあったと思って訪ねてきてね」と、世話焼きさんに頼んだ。そんな話を聞いたときだ、
 貴重な「助けられ上手」の発見だ。
 頼まれなくても行動する世話焼きさんは少ないが、「頼まれれば、他人を助けたい」と考える人は多い。その力を引き出すには「困った、助けて」と上手に頼めることこそ必要なのだ。
 自助とは、助けてくれる人を見つけること。「わたし認知症よ」と明るく言える人こそ表彰したいと木原さん。自助努力の方向が見えてきた。

ここでは「高齢・単身・認知症」というようなことで書かれていますが、障害者も含めてもいいですね。

 

「助けられ上手」というのはいい言葉だ。
 障害者を見かけたときに、何かできることはないかな、とは思いつつ、どうしていいかわからない、でしゃばり過ぎは嫌だ、助けたつもりが邪魔だったりしたら申し訳ない、と「踏み切る」ことができずにいらっしゃる方は多いと思うのです。

 「『「困った、助けて』と上手に頼めることこそ必要なのだ。」
確かにね。

 視覚障害の方を時々見かけますが、すごい勢いで歩きますね。私には追いつけないくらい。なんであんなにタッタカタッタカあるくんだろう。もっとゆったり歩いてもいいのでは?などと思うのですが、人の流れの邪魔をしたくない、というような思いがきっとあるんですよね。後ろから突き当られて文句を言われることもあるのでしょう。

 あるいは、健康だった方が事故とかで障害者になられた時、いったん、自分は何もできなくなったと落ち込んで、そこから脱出してきたときに逆に、障害者だって何だってできるんだ、と気張りすぎることもよくあること。私にもそういう思いはかつてありましたっけ。

 でも現実に、出来ることと出来ないこと、というものはあるのです。その境目を見極めていくことは大事です。それはさぼっちゃいけない。
 でも、出来ないことに無理やり挑むことはないのだし、出来ることを甘えてやらないのもいけない。
自分が出来ないことについて、互いに気まずさなしで、互いに相手に心理的な負担をかけずに、さらりと、出来ることをしていただく。それができたら、うれしいな。

   うまく周囲の人の力を引き出す。

難しそうだけれど、重要な概念だと思います。

 私も年とった障害者になってきました。災害弱者でもあるし。
 ご迷惑をおかけしたくないという気持ちは強いですが、うまくご迷惑をおかけしよう、という気もしています。
 その節はよろしくお助け下さい。ご迷惑でしょうが。

四季成りイチゴ

0210itigo 2011.2.10
四季成りイチゴですが。
食べられるのは時々つまんで食べました。
これ、残ってた枯れた実。
なんだかすごいことになってしまった。
花托の部分がしぼんで体積がほとんどなくなったのでしょうね。
ちょっと、さすがに、食べられないな。

ナンテン

0209nanten 2011.2.9
最後まで残った赤い実。
一枚撮って、後で部屋で見たら手前にピントが合っていた。
ちゃんと実の方にピントが合った写真撮らなくっちゃ、明日でいいか。
と、翌日。もうこの赤い実はありませんでした。
全部鳥さんが食べて、どこかへ種まきしたようです。

ヒメフンバエ

0208_1himehunbae 2011.2.8
ヒメフンバエだと思うのですが。
腹部がころんとした感じですね。
今の時期でも繁殖の可能性ありなのかな。
翅をちょっと持ち上げているので平均棍が見えました。

ほんと、ハエ・アブ・カといったハエ目の連中がしぶとく姿を見せてくれています。

被写界深度

被写界深度

●新しいマクロレンズにかえて、この「被写界深度」という言葉をよく使っています。
前から当然意識しながら撮影をしていたのですが、レンズが変わったことで強く意識しています。
ウィキペディアからの引用です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A2%AB%E5%86%99%E7%95%8C%E6%B7%B1%E5%BA%A6

被写界深度(Depth of Field )とは、写真のピントが合っているように見える被写体側の距離の範囲のこと。写真用レンズにおいては、ある一つの設定で厳密な意味でピントが合っている場所は、一つの平面上にしかないが、一定の許容量を認めることでその前後にも十分にはっきりと像を結んでいるといえる範囲がある。その範囲のことを被写界深度と呼んでいる
・・・
一般的にはピントが合っていてもいなくても点光源からの光が結像面上で結ぶ像は円形となり、この円のことを錯乱円と呼ぶ。
・・・
錯乱円の大きさが、フィルムに塗布された乳剤中の感光性物質の粒子の大きさや、撮像素子の画素ピッチよりも小さかったならば、ピントが厳密に合っているのかどうかを撮影された画像から区別することは不可能である。また、撮影された画像を鑑賞する際に、錯乱円の大きさが人間の目で見て点と区別がつかないほどに小さければ、その位置でもピントが合っているとみなしてかまわない。そのような最大の大きさを持つ錯乱円のことを特に許容錯乱円と呼び、フィルムや撮像素子のサイズなどによって異なってくる。

こういうわけですが、すごい言葉を使いますねぇ、「錯乱円」ですって。

さく‐らん【錯乱】(思考・感情などが)入りまじって混乱すること。「―状態」[広辞苑第五版]

普通こういう意味ですよね。

英語版のウィキペディアで元の言葉を調べたら

Circle of confusion
In optics, a circle of confusion is an optical spot caused by a cone of light rays from a lens not coming to a perfect focus when imaging a point source. It is also known as disk of confusion, circle of indistinctness, blur circle, or blur spot.
・・・

とありました。

indistnct:{形容詞}はっきりしない.
indistinctness {名詞}.

「ぼやけ円」とでも言ったほうが日本語的にはよくないか?なら、blur circle でしょうか。何となく俗語っぽいのかな。

●さて実際に被写界深度ってどのくらいのものなかを具体的に。
私の使っている一眼レフはオリンパス。で、オリンパスのサイトにある交換レンズのカタログデータから被写界深度の表をコピーしました。
Depthtable
いったんエクセルにコピーして整形したものです。
上の表が今度使い始めた50mm F2.0 Macro というレンズ(この後50mmレンズと呼びます)の被写界深度。
下の表はこれまで使ってきた35mm F3.5 Macro というレンズ(この後35mmレンズと呼びます)の被写界深度です。
どちらも「許容錯乱円の直径 1/60mm」です。
被写体上の「1点」が「1/60mm」に広がるくらいは「ピント合ってるよ」とするわけですね。

さて、オリンパスのサイトに説明があって{○数字は私が書きこんだものです}

被写界深度とは:ある距離の被写体にピントを合わせた時、その被写体の前後にもボケが認められず、ピントが合っていると認められる範囲があります。この被写体の前後の、実用的にピントが合っている範囲を被写界深度と言います。
被写界深度は前後同じではなく、①ピントを合わせた被写体の手前側は浅く、後方は深くなります。また、②レンズの焦点距離が短い(広角レンズ)ほど、③撮影距離が長いほど、またレンズを④絞り込むほど深くなります。

表を丹念に見ていただけば、必要なことは全部入っているんですが、分かりやすくするために2つのグラフを作ってみました。
Depth1
このグラフは50mmレンズにおいて、絞りを開放の2.0にした時と、22まで絞り込んだ時の被写界深度を比較するグラフです。

横軸は被写体までの撮影距離。縦軸は被写界深度を示すための距離軸。
黒い線がジャストピントの線。
赤い線は絞り2の場合です。
青い線は絞り22の場合です。

・赤い線も青い線も黒い線をはさんでいます。つまり、前後に幅があるという意味です。
で、一見して、青い線が赤い線を挟んでいますから、④がわかります。
また、右へ行くほど幅広になりますので③もわかります。
赤い線では分かりにくいですが、青い線では明らかに黒い線の下より上の方が幅広ですから①もわかります。
撮影距離が5mのところでみると、
絞り2の場合:約60cmが被写界深度の幅
絞り22の場合:約14mが被写界深度の幅
ということになります。ずいぶん違うでしょ。5m先の人物を撮った場合、絞り2では人の体の前後幅くらいしかはっきり写らなくって、人物の前も後ろもぼやけます。

・さて、次は②を確かめたいので
Depth2
このグラフでは50mmレンズと35mmレンズについて、同じ絞り値8の場合で比較してあります。
赤い線が50mmレンズの場合、青い線が35mmレンズの場合です。
明らかなように、青い線のほうが幅広で、②のことが示されています。(広角なレンズほど被写界深度が深い)。{35mmの方が50mmより広角です。念の為}

●というわけで、一眼レフの口径の大きなレンズで撮影する場合、この被写界深度のことを念頭に入れておくと何かと便利ですし、作画しやすいのです。もちろん数値なんか忘れてますが、どのくらいの深さの範囲が写っているかは意識しておくといいですね。
私のカメラボディでは、「プレビュー」というボタンがあって、これを押すと、撮影時の絞り込み状態を予め見ることができます。ゆとりのある撮影の時はこれを使ってボケ具合など見ておくといいですね。
他の機種のカメラに同じ機能がついているのかどうかは知りません。{小学生の時にオリンパスの顕微鏡を使い始めて以来、ずっとオリンパスファンで、オリンパスのカメラしか使ったことがないものですから。}

●参考になるかどうかは分かりません。知ってる人には余計なお世話の話でした。

●おまけ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9C%E3%82%B1_%28%E5%86%99%E7%9C%9F%29
ボケと文化
古くより、写真において、ボケによる表現をもっとも好むのは日本人であり、他の民族はそのようなテクニックをほとんど用いないといわれてきた。
英語で"Bokeh"という単語が用いられるようになったのは「遅くとも2000年から」と英語版(en:Bokeh)にあるので、きわめて新しい表現手法として受け止められていると考えられる。

英語版のウィキペディアにも解説がありました。
写真に詳しい人なら英語でも「Bokeh」で通じるようですよ。

●モノサシを斜めに写してみました。
0221f20_2
絞り2です。前後2mmくらいしかくっきり写らないようですね。
これだと、昆虫の体全部をクリアに写すのは難しい。

0221f80
絞り8です。1cmくらいの幅がありますかね。昆虫サイズかな。

0221f22
絞り22です。5,6cm位の幅があるでしょうか。
奥行きは深いんですが暗くなります。フラッシュを使うとか、ISO感度を上げるとかしないと苦しくなりますね。

ホソヒラタアブ

0207_7hosohirataabu 2011.2.7
どういう状況なのか、よくわからないのですが。
クモの網がくちゃくちゃになったのか。
それとも、最初からこういうタイプの粘着性のものが作られていたのか。
くっついているのは明らかにホソヒラタアブ、翅も写っています。
普段あまり歩かない側へ回っていってみたら発見しました。

生きる闘いの名残を見ました。

ツバキ

0207_6tubaki1 2011.2.7
ツバキの花が咲き進んできました。
花弁とオシベがごっそり落ちた後の状態。
意外とこの姿に気づいていない方も多くないですか?
花柱が萼の間から出ています。
0207_6tubaki2
奥の方には子房のふくらみ。
種を育てる暖かい空間ですね。

クロヒラタアブ

0207_5kurohirataabu1 2011.2.7
晴れて天気の良い日には時々ヒラタアブが姿を見せてくれます。
カメラの露出プログラムに任せての撮影です。絞りは5ですね。
腹部はくっきり、頭の方は out of focus ですね。
0207_5kurohirataabu2
脚をすってました。
摩擦熱で脚を暖めてるってわけではないでしょう。
滑り具合が気になるのかな。
ここでの絞りは4.5

0207_5kurohirataabu3
絞り優先で11まで絞り込みました。
このくらいに写ってくれれば文句なしですね。
やはり、一枚で姿全体を収めるには11位まで絞らなければなりませんね。
それでも、何だか画像がソフトな感じになるようです。こういうのが、レンズの描写特性というのでしょう。
当面は露出プログラム任せで行こうと思っています。

へその緒

2011.2.20付の朝日新聞の投稿欄「ひととき」に「へその緒で 母と再会」という投稿が載っていました。76歳の主婦の方の投稿です。

 ・・・開けてみると、姉弟3人の臍帯がひっそりと入っていました。
 私のを取り出し、中を見ると、すっかり乾き切ったするめの足のようなへその緒。10カ月の間、母の胎内で母と私をしっかりとつなぎ、この世に無事に送り出してくれたものでした。
 ・・・

多分、「へその緒」というものは、自分に属するものであって、母が胎児のために作ったものではない、ということはご存知だろうと推察します。「母と再会」という言葉から、母の体の一部というように理解していられるのかな、と思って読んでみたら、多分そうではない、と判断しました。

で、もちろん、自分が母の胎内にあった時の「命綱」ですから、感慨深いものではあるのですが。

発生の過程を学ぶと、また別の感慨が湧きます。
受精した日を「第1日」とすると、細胞分裂をして、3日目には「桑実胚」になり、4日目から5日目には「胞胚」という時期になります。この時、内部に落ち込んだ細胞集団は「内部細胞塊」といってやがて胎児へと成長して行きます。他方、外側を包む膜状の細胞の一部からやがて胎盤が形成されていきます。
こんな早い時期に、将来、誕生し、100年にも及ぶかという人生を送ることになる細胞群と、胎児を維持し育て、出産とともに死んでゆく細胞群が分かれているのですね。
どういうきっかけで、その運命が分岐するのかは知りませんが、どちらも「自分」ではあるわけですね。遺伝的には全く同じものです。双子のようなものですね。

出生して今生きている自分、自分を支えて出産と共に去った双子の自分。

ですから、へその緒を見たら、人生を共にすることのなかった「自分」自身を思って下さい。
実に感慨深いものがあると思います。

アクネの星

「アクネの星」初防衛戦(2/13)

こういう見出しをみると、「~~王子」風に「ニキビ王子」とかいうような、ニキビ面の選手を思い浮かべてしまったのですが・・・。

阿久根出身 日本ミドル級チャンプ・渕上選手
 ・・・ボクシングで活躍が認められて「アクネ大使」を任命された地元の期待の星は「阿久根の応援があったからチャンピオンになれた。必ず防衛して地元を元気にしたい」と意気込む。
 ・・・

ということで、「阿久根市」出身なんですって。
どうも、誤解してしまって、ゴメンなさい。

ところで、学研パーソナル和英辞典というのを引いたら

acne {名詞}にきび(=pimple).
pimple {名詞} (医) にきび,吹き出物.

とありまして、pimpleのほうが医学用語なんでしょうかね。

さらに、ふと、「ニキビ」って日本語か?と思ってしまった。

にきび【面皰】「痤瘡(ザソウ)」参照。
ざ‐そう【痤瘡】サウ:〔医〕毛孔部の炎症による丘疹・膿疱。青少年の顔・胸・背に見られるものを尋常性痤瘡、そのうち顔面に発生するものを面皰(ニキビ)という。[広辞苑第五版]

日本語ではあるのですね。どういう語源なのだろう?
「語源由来辞典」というのがあります
http://gogen-allguide.com/ni/nikibi.html
コピーが禁止されているようなので、ご自分で見に行って下さい。
「にきみ」が転じて「にきび」になったようですが、「にきみ」自体に諸説があるようです。

どうも、変な記事を書いてごめんなさい。

2011年2月18日 (金)

クロッカス

0207_4croccus2011.2.7
この間、クロッカスが咲きましたよ~とご報告しました。
あのクロッカスが芽生えてきて、あ、もうすぐだ、と思ったのがこの日でした。
この時はまだ花芽はないようですね。
芽生えそのものが皮を脱いでいる最中、というのもいます。
背丈はこの後ほとんど変わりませんでしたが、その間、花を育てたのですね。

タネツケバナ

0207_2tanetukebana 2011.2.7
これタネツケバナじゃないでしょうか。
イチョウの鉢植えの土に発見。
その後、これに続く花は咲いてくれません。
もう少ししたら、後続部隊が追いついてくるでしょう。

先行する者は孤独だ。

なんて、かっこいいセリフをつけておきましょう。

ネコハグモ

0207_1nekohagumo1 2011.2.7
玄関脇に置いておいた携帯用のミニ折り畳み腰掛けを、使おうかな、と開いたら
ネコハグモがお籠り中でした。
0207_1nekohagumo2
わりぃ、ゴメン、さよなら。
と、すぐに元通りに。
越冬の邪魔してしまった。心が痛む。
ゆっくりどうぞ。もう開いたりしないから。

何見つけたの?

0206yunomi1
よっこらせ、っと。

0206yunomi2
足、踏み外すなよ。

0206yunomi3
何見つけたのさ、嬉しそうな顔して。

0206yunomi4
なんだ、ナンダ?なんなのさ。

0206yunomi5
そうかぁ、魚がいたのか。
なるほどね。

ヒメナガカメムシ

0205_3himenagakamemusi 2011.2.5
セイタカアワダチソウにヒメナガカメムシの成虫。
その後は見かけません。どこかにまた隠れたのだと思います。
ヒメナガカメムシは成虫や幼虫で越冬できるようですね。確証はないのですが。
秋の終わり、ぎりぎりまで幼虫を見かけましたから、あのまま越冬にはいったものもいると思うんですよね。
無事でね。
暖かくなったらまた姿を見せてね。

ジャノメエリカ

0205_2janomeerika1 2011.2.5
近所のマンションの植え込み。
毎年写真をお目にかけていると思います。
ジャノメエリカ。今年もその季節になりました。
真ん中に伸びた「傘の柄」のようなのがメシベですが、その下の方で、メシベを包むようにしているのがオシベの葯です。
これをして「蛇の目傘」を想像した命名者のセンスに感服します。
0205_2janomeerika2
横顔。

0205_2janomeerika3
後ろ姿。

どの角度から見てもいいですね。
0205_2janomeerika4
はい、つぼみ。
萼の色が変わるんですね、開花すると。

毎年ここにはこの花、という「定位置」というのもいいですよね。
どんどん植えかえて、いろんな花を次々に咲かせるのも、もちろんきれいですけれど。
この時期はあそこに散歩に行くとあの花があるはず、という場所があることも、とても楽しいものです。

2011年2月17日 (木)

オニヤブソテツ

0204h_3oniyabusotetu1 2011.2.4
白山神社にて。
日が傾いてきていて、低い位置の葉に向こう側から日が当たっています。
お、胞子嚢の影絵だね。と一枚。
葉はかなり分厚い気がしますが、こうやって見ると、よく光が透けています。
0204h_3oniyabusotetu2
こっちが胞子嚢のついている側。
太陽の位置関係でたまたま生じるアングルですので、出会えると嬉しい。
いいもの見ちゃった、という気分になりました。

チャコちゃん

0204_12chako 2011.2.4
2階のベランダからの撮影です。
絞りは2.2、シャッター速度は1/160秒です。
とってもやわらかい感じに写りますね。
ボンネットの下はエンジン。
余熱の楽しみです。
前のマーチよりボンネットが丸くって滑りやすいようですが、慣れてきたようです。

ユスリカ

0204_9yusurika 2011.2.4
小さなユスリカの仲間です。
このくらいに写ってくれれば、前に使っていたマクロレンズに引けはとりませんね。
20cmちょいの距離が最接近で、被写界深度が浅いので、たくさん撮らないと望んだ映像が得られないかもしれないな、とは思っています。
昆虫が増えてきたら、いろいろ試行錯誤してみます。

ツバキ

0204_8tubaki 2011.2.4
ツバキがだんだんツバキらしくなってきましたね。
こってりした「量感」と「質感」。
これはツバキ独特のものでしょう。

今朝の毎日オンラインにこんなコラムがありました。

余録:ツバキの「霊力」
 「化け椿(つばき)」という言い伝えが各地に残っている。古いツバキの木が美女に化けたり、へらへらと笑い声を出したり、その下に妖怪の一反木綿が出没したりするという。またツバキの根が光を放って、飛んだというわけの分からない話もある
▲狐狸(こり)ならぬ木が化けるというのは、ツバキによほど強い霊力があると思われたのだろう。それと共に八百比丘尼(びくに)がツバキを広めたという伝説が各地にある。・・・
▲こちらも暖地に自生するツバキが、雪の多い東北地方の海岸にも分布していることと不思議につじつまがあっている。確かに南から来た人がもたらしたようで、これらの地方ではツバキが植わる椿山は神聖視されたという
▲こんな話を思い出したのも、東京に積雪のあった先日、雪の中で真っ赤な花をつけたツバキを見て、何かこの世ならぬものを見たようにハッとしたからだ。昔の北国の人も、きっと雪の中に濃緑の葉を保って春の再来を約束するこの木に聖なるものを感じたのだろう
▲人の発想は似たもので、欧州で東洋原産のツバキが人気となったのも冬に緑を保ち花を咲かせるところに心引かれたからという。・・・
▲ツバキの霊威が信じられた昔は、この木から魔よけのつえや槌(つち)が作られたという。なるほど一輪咲くごとに、日脚を伸ばし、寒風をやわらげ、他の木の芽もふくらませるその偉大な霊力である。
毎日新聞 2011年2月17日 0時16分

どうも、こういう話には疎くって。霊力があるのですか~。知らなかった。
花がコロンと落ちるのが忌み嫌われた、というような話は知っていましたが。
家の角にあるツバキですので、きっと何か御利益(ごりやく)を賜っているんだろうなぁ。

井戸端会議

0204_7hun 2011.2.4
この電柱の上に街路灯があって、その横への張り出しのあたりに鳥さんたちがよく集まって、井戸端会議なんです。お喋り声が聞こえますよ。
で、鳥さんたちがある程度の時間そこにいるということになると、用も足していくわけですね。
白いのは尿酸か何かの乾燥したもの。なるほどたくさん集まっているんだな、と分かりますでしょ。
0205_4hun
ブロック塀の塀際。ここは植栽の切れ目がありまして、とまりやすいんですね。
街の中でも、足元になにかこういう白いものを見たら、鳥が来てるんだなぁ、と思って辺りを見直してみて下さい。きっとバードウォッチングができますよ。

●ところで、井戸端会議、なんてきっと死語なんでしょうね。
私が幼い頃、まだ水道がなくって、間借りしている家の庭の井戸が水源でした。
私たちも、顔を洗う、歯を磨くというと、井戸端で、片手で手押しポンプの柄を押してもう一方の手で顔を洗ったり、コップに水を受けて口をゆすいだり。
母親は、食事を作るのも、食器洗いも、洗濯も、井戸でしていました。タライに洗濯板で洗濯するなんて今の人は知らないんだろうなぁ。(風呂は銭湯でした。)
公共の井戸では、女性たちが洗濯物抱えて集まって、洗濯しながらお喋りしたわけですよ。
そこから「井戸端会議」なんですね。
生活情報の飛び交う場でもあったようですよ。

スイセン

0204_6suisen 2011.2.4
この季節、数少ない花。線路の柵の下で咲き続けています。
真上からのショットです。
左下のコンクリートは線路の柵。右上のコンクリートは線路側溝のふた、です。
狭い地面に展開する生態系。これが私のフィールドなんですよ。
歩きまわるのは苦手ですから、こんな狭いフィールドで定時・定点観測をしているわけです。
何か工夫をして、ローアングルの撮影もしたいのですが・・・。
しゃがんだり、膝をついたりということはできるのですが、立ち上がれないんですよね~。
カメラを道路に置いて、両手を使って腰に負担のこないようにそっと立ち上がるしかない。
カメラを地べたに置くのはあんまり気持ちよくないしなぁ。
立ち上がるための補助的な何かがあるといいんですが。いい工夫はないかなぁ。
考えています。

2011年2月16日 (水)

クロッカス

0216_5croccus1 2011.2.16
線路の柵の下。
クロッカスがほとんど茎も伸ばさないまま、花を咲かせました。
0216_5croccus2
開き始めのほう。
0216_5croccus3
存分に開いた方。
濃い黄色がなんともいい。

花びらが放物面状に並んでいますから、きっとメシベ・オシベのあたりは思った以上に暖かいのではないかな。太陽光が集まる焦点付近にあるように思います。
フクジュソウの花の花びらも放物面状に並んで暖かい花になっていると聞いたことがあります。

お日さまを包んで溜めた花なんですね。

ユキノシタ

0216_6yukinosita 2011.2.16
先ほどのワンポイント・ジョークに登場しました。
雪の下から姿を現したユキノシタです。

芽動く

0216_8outou1 2011.2.16
先ほどまだ芽に動きがない、と書きましたが、あたたかい今日のこと。
桜桃の冬芽の先端が弾けかかっています。
上にはまだ硬い鱗芽。
下の鱗芽は先端に緑を点(さ)しています。

0216_8outou2
こちらでも。
0216_8outou3
ほら、ここでも。
とうとう冬芽が緩んで、口先に緑を点しはじめました。
いっせいに。

桜桃の 春が来るよ~っと 口尖らせ

ゲッケイジュ

0204_4gekkeiju 2011.2.4
ゲッケイジュの腋芽ですが、まだ動き出す気配なし。

啓蟄:虫が動き出す、というのがあるので
「芽動く」というような季節感はないのかなぁ。
いよいよ植物たちが動き始めたぞ、という感覚。
いつご報告できるかな。

雪 その後:5

0215_6itii1 2011.2.15
イチイの木に溶け残った雪の固まり。

0215_6itii2
アップにすると、氷の粒からくる光がキラキラ。
0215_6itii3
反射光や屈折光。
屈折による分光か、干渉か。
0215_6itii4
光の粒のなかに虹が見えるものもあります。
ちょっと鮮明でないのが残念ですが。
この感じは干渉だと思うのですが、仕組みまではうまく説明できません。

雪 その後:4

0215_5ike1 2011.2.15
池の水面です。
雪が水面に溶け残っているのですね。
上の方は丸くぷちぷちしてますが、下の方は、これどういう状態なのかな。
反射光なのでしょうか?
ちょっと不思議な模様ですね。
0215_5ike2
なかなかに、面白い模様が描かれているのでした。

雪 その後:3

0215_4yukinosita 2011.2.15
前回雪が積もった時もやらかしたジョークを。

この雪の下にはユキノシタが生えています。

{ホント}

雪 その後:2

0215_1house 2011.2.15
今回の積雪による「農業被害」。
妻のビニールハウスが雪の重みで倒壊しました。

0215_1huti
こんなシーンも。
こういうの雪庇っていわないよなぁ。直立ですものね。
倒れかかっていますね。

雪 その後:1

0215_1asiato1 2011.2.15
誰でしょうねぇ、この足跡は。
鳥ですからね、どこから始まって、どこで終わっていても、推理小説のトリックみたいなことはないのですが・・・。
チャコちゃんのごはんを狙ってカラスがよく忍び込む辺りなので、おそらくカラスでしょうね。
私には足跡で鳥の種類を特定することはできませんが。
0215_1asiato2
たまたま、木漏れ日が足跡の一つを照らしていました。
こういうの「脚光を浴びる」っていうのかなぁ。
foot light か spotlight か。英語はよくわからないけど。
a footprint in the light でしょうかね。

2011年2月15日 (火)

0203_5me 2011.2.3
何の芽か分からないのですが、鉢に生えてきた何かの芽。
すっごく初々しい感じに撮れました。
春を待っています。

ジンチョウゲ

0203_4jintyouge 2011.2.3
ジンチョウゲのつぼみ。白。
今のところ順調だと思います。
ただ、生き残った木がまだ小さいからなぁ。
花を咲かせることが負担になりはしないか、うまく咲かせられるか、少し心配しています。

現役の頃の

2011.2.13付 朝日俳壇より
現役の頃の外套今も着る:(京都市)北浜義規
 稲畑汀子評:退職後も現役の頃の外套を着る作者の郷愁が想像される。

私はどうも、郷愁という感覚に疎いたちで。
もちろん思い出はいっぱいありますけどね。
オーバーを出してきて、現役の頃に着たやつだなぁ、と郷愁を抱くというのは、あまりわたし的には想像できないですね。
むしろ時間経過を読みとりたいのですが。
退職後、初の冬。
去年まではこのオーバーを着て通勤していたのか。もう一年になるのか。

あるいは、10年前でもいいですけれど。
特におしゃれする必要も感じないし、あの頃のオーバーにお世話になるなぁ。
時間はこうして経っていくのだなぁ。
と感慨深い。で、いかがですか。

牛若丸

2011.2.13付 朝日俳壇より
ラグビーや牛若丸もその中に:(下野市)久保田清

巨漢ぞろいのフィフティーンの中で、小柄で敏捷な選手がいたのかな。スクラムハーフなどは小柄な人も多いけど。
そのひらりひらりの動きを牛若丸と表現したのでしょう。

前やうしろや右ひだり
ここと思えばまたあちら
燕のような早業に
鬼の弁慶あやまった

ただ、ひらりひらりというと、私はラグビーよりアメリカンフットボールのほうを思い浮かべます。パスも多いし、クォーターバックの動きはまさに牛若丸。
ラグビーのトライは、ゴールラインを越えてボールをグラウンディングしなければ成立しないのですが、アメフトの場合はボールがゴールラインを越えればいいのです。ですから、ゴールライン直前では、ボールを抱えたままジャンプして集団の上を文字通りに飛んで行くという攻撃もある。まさに、ひらりと牛若丸。
とまあ、そんな感想が私のなかを通りすぎました。

マスコット

2011.2.13付 朝日俳壇より
受験生旅行鞄にマスコット:(広島市)水田満里
 大串章評:大学受験であろうか。故郷を発つ旅行鞄にマスコットが下がっている。まだ子供心が抜けないのだ。

確かにおそらく大学受験でしょう。
ということは、高校生。
「子供心が抜けない」というよりは、いろいろな可愛いグッズをいっぱいつけるのは高校生くらいが頂点でしょう。女子中高生がおそらくいちばんいろんなものをつけますね。

ですから、いかにも高校生らしいことだ、頑張ってこいよ、ですよね。

湖底

2011.2.13付 朝日俳壇より
一月の湖底に今も故郷かな:(城陽市)山仲勉
 大串章評:ダム湖の底に沈んでしまった故郷。正月が来ると家族そろって初日を拝んだ往時を思い出す。

そこまで読み込みますか?読み込み過ぎじゃないかなぁ。
家族そろって初日を拝んだかどうかは、わからないですよ。
みんなで正月を迎えた。正月の家族団欒があった。集落の正月行事もあった。
とは思いますけれど。

ひょっとして湖面に薄い氷が張っているかもしれない。その湖底には、昔の思い出が沈んでいある。昔の正月が底に沈んでいる。
それだけでいいのじゃないかなぁ。

寒夜の句

2011.2.13付 朝日俳壇より
枕辺のメモにのたうつ寒夜の句:(京都府京丹波町)伊藤壽子

床に入って、うつらうつら、そうだ、と想を得て、忘れないように枕元のメモに書くんですけれど・・・。
その時はちゃんと書いたつもりなんですけれど・・・。
朝見ると、みみずが遊んでいるだけだったりね。
肝心の「想」も思い出せないし。
あ~ぁ。なのでしょう。
名句だったはずなんだけどなぁ。入選間違いなしの。
{逃がした魚は大きい。のですよね}

私は句作はしないから、そういう経験はないのですけれど、昔、高校生の頃。
授業中に眠くなって、たまらなくなって、授業のノートをなんとか取るんですね、その時はちゃんと黒板写して、ポイントを書きこんだつもりなんだけれど。
あとで見ると、みみずがのたうっているだけなんだよなぁ。という経験はあります。

今は、枕元にポスト・イット・ノートが置いてあって、ブログのネタを思い出すと、単語一つくらいで表現しておくのですが、何思ってこの語を書いたんだ?ということは日常的にあります。

寒い夜は布団から顔出すだけで寒いもんなぁ。手なんか出したくないや。

悴む手

2011.2.13付 朝日俳壇より
わが身より外したくなる悴む手:(川越市)大野宥之介
 長谷川櫂評:ちょっと怖い句だが、実感あり。すでに外れてしまっているような感じもする。

痛いんです、っ、冷たくって悴んでしまった手は。
どうしようもなく、染み込むように痛いんです。
切り傷なんかとは違う痛さなんです。
そこを読まなくっちゃ。
手が荒れることは分かっているけれど、お湯に手を突っ込みたいんです。
解放されたいのです。このじんじんする痛さから。それが「身より外す」なのです。
選者はあんまり冬の洗い物とかしたことがないんでしょ。やってみなさいって。痛いから。

遊ぼう

2011.2.13付 朝日俳壇より
楪や遊ぼうと来しとなりの子:(志木市)坂本登
 長谷川櫂評:「アソボー」という少年の声がなつかしい。今も残っているか。楪(ゆずりは)は正月の鏡餅にそえる木の葉。

隣の子が遊びに来てくれた、ということで単純に嬉しいな、ととらえたいですね。
作者の年齢、家族構成により句の意は変わります。
同年代の子のいる親なら、うちの子のところに、「●●ちゃん、あそびましょ~」と来たことよ、だろうし。このごろは、あまり聞かないですよね。「あそびましょ~」は。
もし、祖父的な年齢なら、おじいちゃん、この間のかるた取り面白かったからまた遊んで、なのかもしれないし。

わかりません。

2011.2.13付 朝日歌壇より
また君に秒針つきの時計貸すセンター試験監督の朝:(横浜市)玄田睦美

いや。
作者と「君」の関係がよくわからないままです。
試験監督をするのは「君」ですよね。
ということは、試験会場の関係者なんだ、「君」は。
時間の管理を正確にしなければならないので、作者の秒針つきの時計を「君」に貸すのですね。

やっぱり、「君」とはどういう人なのか。見えないままです。
恋人。友人。同僚。姉弟。・・・

静電気

2011.2.13付 朝日歌壇より
パチパチと静電気とぶ指先に触れてやさしい庭の槇の木:(大阪市)澤田桂子

え~、また理に落ちます。
高校の物理で静電気の授業。
ヴァン・デ・グラーフ起電器というものがありまして。
調子のよい時は20万ボルトもの静電気が起きます。
電流としては小さいのですが、それでも、下手な放電をやると、とんでもないショックを受けます。
絶縁台に乗って、右手に木製の1m物差しを持ち、左手で起電器に触れ、ヴァン・デ・グラーフを起動します。すると、私の体が帯電して、髪の毛が立ちます。
生徒、喜びます。
ある時、尻のあたりがチリチリ、ピリピリ痛い。
振り返ってみると、生徒が私のズボンの尻のところに指を近づけて放電して遊んでました。
火花が飛んで面白い、だって。こっちは痛いのに。
体が帯電している時にうっかり物に触ると放電のショックを受けます。また、何もせずに絶縁台から下りると、床との間で放電してショックを受けます。

そこで、木製の物差し登場。
木製の物差しを、机や床に近づけると、じじじじじ~っと音を立てて、緩やかな放電ができるのですね。この後下りたり操作したりすれば大丈夫。

槇の木ではないのですが、木を通しての放電は穏やかなものになります。

歌の意味は、別に、木への放電ではなく、室内では指先から放電して痛いけれど、庭の槇の木に同じ指で触れても木は優しいわね。ということでしょう。
何となく、昔の授業を思い出してしまったものですから、脱線しました。

●脱線ついでに。
ヴァン・デ・グラーフを起動しておいて、どういう原理で球に電気がたまるのか、なんて説明していたら、まず放電するわけがないと思っていた距離で、30cm以上離れてたと思いますが、起電器からの直撃の放電を受けてしまったことがあります。
いてぇ~~、と叫びつつ、授業続行。
「どうだ、これがプロ根性というものだ」などと生徒に粋がって見せましたがね。生徒は笑ってました。やせ我慢って言うんじゃないの、ってね。

もいっちょ、蛍光灯の管を通して水道に放電すると光っておもしろいよ、という同僚の話をきいて、やったら、ものすごいショックでした。その同僚は放電ショックに強いたちだったんだよなぁ。

静電気をライデン瓶にためて、いろいろ実験し、もう静電気は残ってない状態にしたつもりで・・・
昔、フランスの軍隊で、全員に手をつながせ、端の一人が瓶の外側に触れ、反対の端のひとりがこの瓶の真ん中の棒に触れたら、全員が一斉に感電して「どんな号令よりもそろって」全員が飛び上がったという話だ、といいながら、自分の右手と左手でさわったら、感電しました。両手が肘まで痺れました。瓶は落しませんでした。これがプロ根性、と、その時もつぶやいたなぁ。

色々な逸話の多い実験でした。まだあるけどやめた。

子を送る

2011.2.13付 朝日歌壇より
子を送る親の背丸く並び居て一月三日地方都市の駅:(福山市)三保礼子

初めの一読では、「子」がつかみきれませんで、何回か読んで、納得しました。
親元を離れて生活する「子」、一家を構えて親子連れで帰省した「子」なんですね。
正月三が日も終わって、それぞれ自分の生活に戻って行く。

またおいで
また来るからね
おばあちゃん、またね~
かあさん、風邪引くなよ

親の背は丸い。
子の胸は張っている。
孫の背丈は次には猛烈に伸びる。

年を取ると、こっちはいつもおんなじなのに。
あっちはどんどん成長していくのねぇ。

土曜の至福

2011.2.13付 朝日歌壇より
二度寝して朝シャン遅めブランチすゴミ出しのない土曜の至福:(尼崎市)南はるか

二度寝っていいですよね、しあわあせです。
時間に縛られずに自分のことができる。髪をさっぱりさせて、ゆっくり食事をして。
いい日だな。

私の居住地区では、毎月1、3土曜が不燃ごみの回収日で、あんまりのんびりしてはいられない。やっぱり、日曜ですね、時間の制約がないのは。

話を聞くよ

2011.2.13付 朝日歌壇より
鬱鬱と枯葉の始末する我に話を聞くよと寄り来る鶲(ひたき):(佐伯市)西名靖子

こういうファンタジーって好きだな。
どうしたの?お話ししてね。って。

そういう瞬間ってありますね。
私の場合は相手が虫だけど。

枯葉がね、いっぱいでね、腰も痛いし、なかなか終わらないのよ。
ふ~ん、でも枯葉って、いいにおい。
そうだわね、虫が隠れていたら食べてもいいわよ。
ありがとう!さがしてみよっと。

蕗の薹

2011.2.13付 朝日歌壇より
まず母が絵を描いてから貰い受け蕗味噌にする蕗の薹ひとつ:(松坂市)こやまはつみ

なるほど。お母様は絵手紙をお描きになるのですね。
絵心のある方が羨ましい。

まったくもって、絵はだめ。スケッチならまだしも、色をつけたらもうダメ。
昔高校生の頃、美術の先生が私の水彩画を「ほめて」曰く。「君の絵は素朴であたたかい」。う~む、凄いほめ方をされた、と自分のことなのに感心して笑ってしまった。まるで小学生の絵だな、ということなんですけどね。
一緒に生活する猫の顔なんか描いてあげられたらいいのにね。

殺処分

2011.2.13付 朝日歌壇より
ガス室の吸入ボタンを押しやれば忽ち犬は「物」となりゆく:(横浜市)冨沢昌晴
 高野公彦評:作者注に≪(最近の)朝日新聞の「保健所での犬・殺処分」の記事に心が痛みました≫とある。

モノクロの柴犬が人を見つめてる殺処分前の記事とはなりて:(横須賀市)坂野富美

多分、1月18日の記事だと思います。

命奪うの誰のせい 犬猫殺処分あえて公開 愛媛の施設(2011年1月18日)
こういう記事があったのです。そこには、「殺処分される直前の犬」の写真も掲載されていました。記事を部分的に引用します。

 飼い主に捨てられるなどして、年間30万匹近い犬や猫が「殺処分」されるなか、愛媛県動物愛護センター(松山市)の職員の姿を描いた児童書「犬たちをおくる日」(金の星社)が反響を呼んでいる。同センターは命の大切さに気づいてもらおうと、殺処分の様子を原則公開している全国でも珍しい施設。ペットの最期に向き合う職員らの思いを聞いた。
 センターは2002年12月に開設。1年間で、県内で収容された犬約2千匹、猫約3500匹が殺処分される。
 06年4月からは啓発活動として、希望者には面談などをしたうえで、殺処分を含めて施設のほとんどの様子を公開している。岩崎靖業務課長は「犬たちの思いを、覚悟のある人には直接感じてもらいたいのです」と話す。
 「犬たちをおくる日」は、センターの職員が写真とともに実名で出てくる。捨てられた犬猫を処分機へ送らねばならない日常や、人と意思疎通できるようにしつけをし、1匹でも多くの命を救おうと奮闘する姿が描かれている。
 ・・・
 センターを訪ねると、けたたましい鳴き声が管理棟から聞こえてきた。元の飼い主が現れなければ、多くの犬や猫たちは収容されてから5~7日で、幅1.35メートル、奥行き1.4メートル、高さ1.2メートルの金属製の箱の中で、二酸化炭素を充満させて殺処分される。
 ・・・
 午前9時半、処分が始まった。本の主人公となった職員、滝本さん(43)が慎重に機械を操作し、15分ほどかけてゆっくりと犬を処分機に追い込む。二酸化炭素注入ボタンを押すと、10~15秒で次々と犬が倒れていった。
 滝本さんは言う。「センターの犬猫は人間の身勝手のためにただ死んでいく。殺処分数がゼロになるまで、この仕事を続けることが使命だと思うようになりました」。本のサブタイトル「この命、灰になるために生まれてきたんじゃない」は、自身の言葉だ。
 岩崎さんは「責任を持って命を預かることに、理解を深めることが大切。犬猫を殺す社会をつくったのは自分たち。一人一人に何ができるのかを考えてほしい」と語る。

これ以上何かを書く必要はありませんし、また私には書けません。
私は子供時代から、犬、猫、鳥、魚、昆虫など、いっぱい飼育し、共に生活してきました。
いったん飼い始めたら、寿命を全うさせることが飼い主の責任です。
それは相手が虫一匹でも同じです。
飼育したかなり多くの動物たちについて、ほぼ寿命を全うさせてあげられた、と思っています。

殺処分なんて、なんだか、くやしくって、たまりません。

父の額

2011.2.13付 朝日歌壇より
熱高き父の額に掌を置けば薄皮の下冷えた骨あり:(盛岡市)白浜綾子
 高野公彦評:情をまじえない表現が、歌に緊迫感を与える。

いえ、情は満ちているんです。
皮膚と骨の間に脂肪がない。柔らかなふかふかがない。こんなに痩せてしまって。
という、深い愛情があふれているんです。

薄皮とか骨とかいう言葉で記述したら即「情をまじえない」ではないんです。
濃い愛情のゆえに、記述の言葉が詩になるんです。

流感と入試

2011.2.13付 朝日歌壇より
流感と入試続いて今日もまた暖まらない三年二組:(逗子市)荒木陽一郎

教室がすかすかなんですね。
暖房はあるんですけれど、暖まらないんだ。
わかります。
教師は生徒のエネルギーを受けて元気になるものなんでね。
みんなの笑顔が早く教室に充満しますように。

保護者

2011.2.13付 朝日歌壇より
うちの子は来たくて来てる訳じゃない保護者の言葉耳に残れり:(名古屋市)福田万里子

なんだろうなぁ。すごくざらついた気分にさせられますね。
状況はつかめません。でも、よい話ではないですね。なにかのトラブルなんだろうなぁ。
捨てぜりふというものは哀しい。
きちんとした言葉で話しましょうよ。
捨てぜりふを吐かれたら、もう、余地がなくなってしまう。
ざらつくなぁ。

親になりゆく

2011.2.13付 朝日歌壇より
可愛さも可愛くなさも引き受けて日々少しずつ親になりゆく:(東京都)田中彩子

いろいろありますわねぇ。たしかに。
でもねぇ、年齢重ねてみると、やっぱり圧倒的に可愛いほうが多いですよ。
ど真ん中の方々は格闘中だからなぁ。いいんです、真正面から子と組みあって下さい。
子はどんなに幼くても自分の力で生きる「人間」です。
親というものも、子が生まれれば親になるというものではないですね。親としての成長というものがある。
親と子と、お互い様なんですよ。

杉の香

2011.2.13付 朝日歌壇より
杉の香のぷんぷん匂ふ俎板で野菜を刻む当面の幸:(前橋市)荻原葉月

「当面の幸」の含意が読み解けません。
とにかく、桧や杉の香の高いおろしたてのまな板を使うしあわせ、という感覚は理解できると思います。
やっぱりなぁ、「当面」という言葉遣いになんとなくひっかかるなぁ。
「ただ 今の 幸」とか「夕方の幸」とかだと滑らかなんだけれど、なんだかざらつきを覚えるのは考えすぎでしょうか。
作るところから食べるところまで、全面的にしあわせだわ、とは感じられずにいます。

雪は降る(アダモ風に)後半

0215_1snow1 2011.2.15
昨日の夕方からちらついていた雪。
気象情報でもそう大げさには注意を促していませんでしたが、朝はこれ。
我が家の庭です。
積もっちゃった。
0215_1snow2
門柱の上の門灯。
3~4cm積りましたね。
門までも雪が積もっていて、私は歩けないから、玄関からの撮影。
0215_1snow3
東急多摩川線の線路です。
多摩川線では終電の後も、時々電車を走らせていましたね。
眠りが浅くなったときに、ああ終夜運転か、これは積りそうなんだな、と布団の中で思っていました。
ポイントは少ないんですが、おそらく架線の凍結防止などの目的でしょうね。
0215_1snow4
電車の屋根にも雪。
こういうアングルは沿線住民独特のものですね。
0215_1snow5
これはカラスですかね。
どう撮っても白黒にしかならない、というシーンですね。

いや、ちょっとびっくりしました。
この時間(10時半ごろ)はもう青空で日差しが一杯。
どんどん雪は解けていきます。
今年の東京はまだ降るかもなぁ。
雪は苦手です。
(この他の写真は、そのうちゆっくりお目にかけます。今日は速報まで。)

雪は降る(アダモ風に)前半

0211yuki 2011.2.11
気象情報では11,12日の金・土は東京でもかなりの大雪だろうとのことでした。
気が急きましてね、まだあまり降らないうちに買い物済ませなきゃ。(猫缶などが少なくなってきていまして。ヒトの分なんぞは何とでもなるんですけどね。)
ちらちら雪の舞う中、午前、午後車を出して、緊張しながら買い物へ。
上の写真は、ベランダから撮った写真です。結構降っている時でした。
右のビワの木にピントを合わせてシャッターを切ろうとしたら電車が来たので一緒に写してみました。
あんまり雪のふわふわ感は出ませんでしたね。残念。
0211mado
これは2回目の買い物から帰ってきて、ふと助手席の窓を見たら、細かい水滴が窓ガラスの内側に白くついていましたが・・・
どういうわけか、年輪状というのかバウムクーヘンみたいというか。
輪になった模様が見えました。
なんでだ?
拭き跡なんでしょうか?いやぁ、そんな拭き方してないよなぁ。
わかりません。
外気が冷たくて、エアコンかけて車内の空気の水蒸気を取ろうとしてもなかなか取れず、窓が曇って運転しづらかったです。
おかげで、こんな妙な物を見ることになったのですが。
どうしてかなぁ。

で、雪自体は気象情報で脅されたほどには降りませんで、我が家付近では積雪ゼロでした。
土曜も同じ。雪のちらつく中、今度はちゃんと「ヒト食」を買いに行きました。

金・土で降り積もって、辺りが真っ白になってしまったら、いくらなんでも日曜日、泳ぎに行くのも長閑過ぎるかなぁ、と思っていたら、全然積もらず、日曜日はのんびりと泳いでまいりました。
ここまでが、前半の話。

2011年2月14日 (月)

雪が降る

2011.2.13付 朝日俳壇より
高英男歌っているよな雪が降り:(大阪市)三品征子

これって、「雪の降るまちを」という歌のことですね。
調べてみたら、この歌は1952年にヒットした、とありました。
私、4歳か。
ラジオから流れるこの曲の記憶は、4歳の時のものなのか、もっと後のものなのか、分かりません。「ラジオ歌謡」だったという記憶はありますが、それとて、後で知ったことなのかどうか、もう、今は分かりません。記憶ってあいまいなものだ、後からの思い込みもあたかも自分の記憶のように錯覚してしまいがち。気をつけなくっちゃ。
真空管ラジオで聞きましたっけ。トランジスタラジオなんてまだまだ。
留守番中に、このラジオから流れてきたタンゴが悲しくって、泣いちゃって、中学くらいまでタンゴが苦手で聞けなくなったなぁ。
栃錦・若乃花なんていう相撲もラジオで聞いたのです。
思い出話ですみません。

「いつのひか ほぐさん」という歌詞の意味が幼い私にはよくわからなかった、という気がします。「ほぐさん」って何だろう?と思ったのでした。

2011.2.13付 朝日歌壇・俳壇より
朝日背にヒーローの如現れし除雪車雪を押し立てて来る:(八王子市)瀧上裕幸

除雪費の予算が底をつきそうだ、という報道を聞きます。
北国の自治体である、ということだけで多大な除雪費を負担しなければならないのは不公平だと思うんです。日本中の自治体がそういうタイプの不公平を背負わなくてもよいようにはできないものなのでしょうか。

雪おろし青空広がる眩しさに生きてるよぉって思う瞬間:(福島県)松岡秀子
 高野公彦評:屋根の雪をおろして頭上が明るくなった瞬間の開放感を詠む。「生きてるよぉっ」に実感がこもる。

北国に住む、ということだけで個人的にも余分な負担を背負わされたり、危険にさらされるのは不公平な気がします。冬季の暖房費だけでも、東京に住む私などとは全然違うでしょう。そんな負担は取り除けないのだろうか。
雪国の障害者はどんな生活をしていらっしゃるのだろう?
私などはもう一歩も外出もならないことになるでしょう。
想像もつかないのです。
どなたか、雪国の障害者の生活について声をあげて下さる方はいませんか?
みんなで考えなくちゃいけない問題だと思っています。

消火栓の目じるし雪に埋もれゆき木の枝に結ばる黄色いリボン:(鳥取県)長谷川和子
 高野公彦評:雪の深さを物語る黄色いリボンが鮮やか。

降るたびにひと辛抱と唱へつつ雪掻き給ふやふるさとの母:(東京都)橋本栄子

二の腕のまだまだ雪を掻く力:(札幌市)早川水鳥

瞬発的には、結構力は出るんです。でも、あとから腰に来たり、翌日から筋肉痛に体が軋んだり。無理はなさらないように、といいたいのだけれど、やはり雪掻きはしなければならないでしょうし。私には、声もない。

ドカ雪に閉じ込められしわが家も外気つながる換気口あり:(札幌市)近藤満里子

雪に閉じ込められた車の中で暖をとるためにエンジンをかけっぱなしにしていたら一酸化炭素中毒になったという事故を聞きます。
同じ状況が、家についてもあるのですね。
外気が取り込めなくなったら、煮炊きもできない。
これは初めて気づかされました。ご無事で。

ダンダラテントウ

0203_2dandaratentou 2011.2.3
日溜まりのボウガシの冬芽の間に頭を突っ込んで越冬中のダンダラテントウですが、すこし動いていますね。頭を上にしている。
この後2,3日して姿が見えなくなりました。
立春のころ暖かくなったので動き始めたのかもしれませんが、その後、雪が降ったりしてまた寒さが戻っています。
どこか、乾燥した暖かい場所に潜り込めたらいいのですが、ちょっと心配。
どうか、無事でね。

センリョウ

0202_4senryou 2011.2.2
センリョウです。
新芽が少しずつ伸び始めました。
画像のぼけ方がなめらかできれいですね。
このセンリョウの葉を舞台にして、去年はいろんな種類のクモが観察できたのですが、今のところ、そういう気配は皆無。みんなどこかで冬籠り。

まぁだだかい?まぁだだよ。

ゼニアオイ

0202_3zeniaoi 2011.2.2
ゼニアオイの芽です。
小さいくせに、一人前に、葉が茎と接するところの色を変えていたりして、にこにこしてしまう。
我が家の前のゼニアオイは枯れまして、こうやって種からの発芽が始まったところです。
ところが、100mくらいかな、離れたところの、やはり線路際のゼニアオイは、去年からずっと年を越して花をつけたままです。
どういう違いかなぁ。日当たりなどは差がないはずなんですが。わからない。

ユスリカの仲間

0202_1yusurika 2011.2.2
こういうとまり方の時は難しいですね。
ピントが葉の方に行っているのか、昆虫の体に合っているのか、ファインダー内でくっきりとは見えません。
0202_2yusurika1
枯れたセイタカアワダチソウにとまっているのを見かけましたので、チャレンジ。
左ひじを線路の柵に固定できたこと、のっぺりした面の上ではないことなどが幸いして、けっこう様になったと思います。
顎や平均棍も写りました。
0202_2yusurika2
触角のふさふさがよく見るタイプと少し違うようです。

このくらいに写ってくれると嬉しいですね。元気が出ました。

クロヒラタアブ

0201_4kurohirataabu1 2011.2.1
クロヒラタアブがいましたので撮ろうとしたら飛んでしまった。
で、どこにも焦点が合っていないという恥ずかしい写真が撮れました。
このクロヒラタアブはすぐそばの葉に再度とまってくれたので、挑戦。
0201_4kurohirataabu2
今回はここまででした。
この後また飛んで、今度は飛び去ってしまいました。

とにかく撮れる時に一枚撮って、それから少しずつ近づいていく、という撮り方をしますが、ここまで。
また来てね。

卵殻

0201_3houzukikamemusi 2011.2.1
レンズ修業中の身としましては、この季節つらいなぁ。
窓枠についていた去年のホウズキカメムシの卵の殻にレンズを向けてみました。
70~80cmくらい離れていたでしょうか。こう写りました。
肉眼で見ると、きれいな色に輝いています。
写真で見ると、幼虫たちが孵化していった跡までちゃんと見えますね。
なかなかの解像力です。

2011年2月10日 (木)

ミツバツツジ

0131_9mitubatutuji 2011.1.31
ご近所の「土佐の三つ葉躑躅」の鱗芽です。
鱗芽といっても、てかてかした硬い鱗状のもあるし、このミツバツツジのような毛の生えた鱗もあるし、いろいろですね。
確か去年植えられたのでした。今年もきれいな花が咲くのを楽しみにしています。

ハゼノキ

0131_8hazenoki 2011.1.31
鳥が糞で種まきしたと思われる木。
植木屋さんに聞いたらハゼノキでしょう、とのこと。
ま、その割には今のところ、あの鮮烈な紅葉は見せてくれませんが。
いつの間にか葉は落ちて、棒状になっていましたが。
よく見ると、芽がありますね。
鱗芽ではなく、小さく折り畳まれた葉の芽、のようです。
ものすごく可愛らしい芽です。
順調な春が来るといいね。

マツの芽

0131_5matu 2011.1.31
マツの芽です。
マツって、生き方がスローテンポですね。スローライフ、です。
被子植物の生き方とはちょっと違うみたいだ。

ゆっくり、ゆっくり、でも、着実に。
そういう生き方って、いいな。

クロヒラタアブ

0131_4kurohirataabu1 2011.1.31
クロヒラタアブが姿を見せてくれました。
露出はカメラのプログラムに任せたのではなかったかな。で前後がボケました。
被写界深度が欲しい、とf11位に絞り込んだら
0131_4kurohirataabu2
こんな写真が撮れました。
アブの触角というのは、一本の長い触角ではないのです。
この写真のような触角が特徴なのです。
ハエとハチの見分けに困ることがあったら、触角を見て下さい。すぐ分かります。
ハチは翅が4枚、ハエ目は2枚ですが、現場で羽根の枚数なんてまずわかりませんよ。
(このことを問うた中学入試問題化なんかありましたが、実物を知らない人が出題したということがありありと分かりますね。知識しかないんだから。)

顔を見ればわかるのです。

日溜まり

0131_3chako 2011.1.31
もう、言うことないですね。
ふわふわチャコちゃんが日向ぼっこ。
「きもちいい」を具現化していますね。

チロリアンランプ

0130_7tyrolianlamp 2011.1.30
チロリアンランプの花なんですが。
新たに咲くのでもない、枯れてパリパリになるのでもない。
ずっとこの状態でいるんですよ。
不思議な花です。

今年(この冬)植物たちを見ていて、確証はないのですが、去年の夏の暑さの影響が尾を引いているのではないか、と言う気もしています。
あの時、暑すぎて強いダメージをくらった。そのダメージからの回復を夏以降にもはかったために、普段の秋・冬とは違う状態のまま秋・冬に入ってしまったのではないか、そんな気もするのです。
単なる印象です。主張ではありません。

ツバキ

0130_6tubaki 2011.1.30
以前よりきれいに咲くようになりました。
花弁の縁が開花時にぼろぼろになってしまう、という咲き方が続いていました。
なんででしょう?
ひょっとして空気が乾燥しすぎていた?で、つぼみの時に外気に触れていた部分が傷んでしまった、とか。
よくわかりません。

寄生バチ

0130_5aburabati 2011.1.30
新しいレンズで昆虫を撮りたいのですが今はなかなかお目にかかれません。
ツバキも花弁がうまく整わないなぁ、と眺めていましたら、下の方の葉に去年もお目にかけた「マミー」が残っていました。アブラバチの寄生を受けたアブラムシです。
1mmないようなものですが、こう写るんですね。
ハチが羽化して脱出して行った穴には目が行っていましたが、アブラムシとしての「脚」を強く意識したのは初めてかな。

思いの他に長く残っていて、感慨深いですね。
生きることの一つの側面です。

2011年2月 9日 (水)

端っこ食材

2011.2.7の朝日新聞夕刊に、短いエッセイがありました。

[シアワセのかくし味] 端っこ食材、たくさんの福    作家・小川糸
 幼い頃から、卵焼きの端っこを食べるのが好きだった。まな板にのせられた、熱々の卵焼き。端っこ欲しさに後ろから手を伸ばし、包丁を持つ母親によく怒られていた。同様に巻き寿司も、端っこが好きである。海苔とご飯の間にほんわかとした余裕があり、具が長かったり短かったり不揃いなのが面白い。しかも端っこは、希少価値である。
 魚や肉もついつい切れ端に手が伸びる。魚ならば、断然アラ。この時期は、良質な鱈のアラを求めて、魚屋を巡っている。いいアラに出会えた時は、宝くじにでも当たった気分だ。アラをたっぷり入れた鱈ちりは、様々な部位から旨みが出て、複雑な味のスープになる。
 肉の場合は切り落としである。上等の和牛の切り落とし肉で作る牛丼は、贅沢の極みだ。切り落としとは意味が違えど、砂肝やレバーなど内臓も、調理次第で見事なご馳走に早変わりする。新鮮な鶏のハツが手に入った時など、思わず小躍りしたくなるほど。しかも嬉しいことに、これらはすべてお財布に優しい。そう、端っこ食材には、たくさんの福が隠されている。

これ読んで、もう嬉しくって。夕食の準備をしていた妻に全文読み聞かせてしまいました。
われら夫婦も同じ趣味。
スーパーに行くと、まずはアラのコーナーへ。
この行動を二人の合言葉で「アラ探し」と呼んでおります。
タラ、ブリ、サケ、キンメダイ・・・いろいろアラばかり探し歩く夫婦です。
キンメダイの目玉まで食べてしまう私です。
「尾頭付き」とはよく言いますが、真ん中抜きの「尾 頭のみ」という食べ方もあるんですよ~。おいしいんだから。野菜と一緒に煮て下さい、絶品。

昔、学生時代に知り合いの年長者に寿司屋へ連れて行ってもらったのですが。
その方が、ここのお吸い物は絶品なんだ、とおっしゃる。
出されたお吸い物を味わって、ああこれはアラでだしをとりましたね、といったら、職人さんの喜ぶこと、味の分かる人だ、ってんで歓待されましたっけ。

確かに、安くてうまくて、最高ですよ。切り身にとった部位と味が変わるわけじゃなし、むしろ骨や脂や血のうま味が加わって、味が濃くなる。下手に「魚臭さをとる」なんてしないほうがいい。魚は魚臭いのが当たり前。臭みをとっちゃったら魚らしくなくなってしまうじゃないですか。ですから、生姜とかは使わない。

話の向きを少し変えて、卵焼きの端っこは味が濃い。
で、私の個人的な趣味ですが、子どものころ・・・
カステラの端っこはおいしい!!
砂糖がじゃりっとしたりしてね。あれサイコウ。
カステラは端っこが好きだなあ。

ついでに
羊羹の端っこはおいしい!!
砂糖が結晶化していてね、じゃり、がり、っというのがサイコウ。

素敵な文章を、小川さんありがとう。
文章の端っこの方に「端っこ食材には、たくさんの福が隠されている」とありました。
なるほど、端っこに福があるんだ。
夫婦二人で笑いながら味読しました。

灰にまみれ

2011.2.7付 朝日俳壇より
餅を焼く一つが灰にまみれけり:(大分市)有松克忠

火鉢をお使いですね。うらやましい。

子どものころ、火鉢で餅を焼きました。
金網にのせて火箸で押さえたりひっくり返したり。
中央付近にうまくひび割れを作ると、真ん中が漫画のように膨らんで立ち上がってきたり。
金属製の火箸は重いですからね、餅をとり落とすことも。
灰にまみれたって、払えばいい。取りきれなくって食べてしまっても大事ない。そういう食生活でしたね。

火鉢に鉄瓶の湯がこぼれると、灰が舞い上がります。ちょっとすごい。
これが「灰神楽」。
で、私はそれをもじって「俳歌倉」。
当然、お気づきのことと思いますが、為念。
短歌や俳句をネタにして、灰神楽のごとくに騒いでおります。
大騒ぎの割に実体は大したものじゃない、という自分への皮肉も含めて。

初句会

2011.2.7付 朝日俳壇より
別人のごとき妻の句初句会:(浜田市)田中静龍
 長谷川櫂評:句会の句に、まだ知らぬ妻の一面にはたと気がつく。知りつくしているようで案外知らないのが夫婦。

これもまた、そうかなぁ、という感想。
夫婦であるからこそ、「普段」を互いに知りつくしている。
あれ、あいつ、よそゆきなんだ、とにやりと笑いを含んでいらっしゃる、違いますか。
よそ行きの姿が「句」に現れて、あははうまくやってるぞ、と夫はニヤ。
句会の後で、互いに笑いを含んだ会話が交わされたのではありませんか。
夫は冷やかす、妻はしらっと澄まし顔。

玉子酒

2011.2.7付 朝日俳壇より
玉子酒やるべき時はやる男:(京都市)藤野雅彦
 長谷川櫂評:実は頼もしい男なのだが、いつもは玉子酒でもなめて養生しているような人物。「昼あんどん」というべきか。

玉子酒と言えばやはり、風邪を引いてのお籠りなのでは?
ちぇ、風邪引いちまったい、と恨めし気、ではいけませんか。
今は何にもできないけどさ、やる時はやるさ、と。
それをして「昼あんどん」というのはちとなぁ。
というのが私の感想です。

母奔放

2011.2.7付 朝日俳壇より
古稀過ぐも母奔放や去年今年:(船橋市)斉木直哉
 金子兜太評:「母奔放」が生生しい。この母に息子は頼り切っている。

そうなんでしょうかねぇ?
生きることのいろいろなくびきから解き放たれて自在に生きるようになった母に、母のその苦労の一端を知る息子として感慨が深いのではないかと、そんな気がして。
いろんなことがあったよな、かあさん、と。
思う存分「奔放」でいいんだよ、と。
「この母に息子は頼り切っている」というのがどこから出てくるのか、私の理解の及ぶところではありません。

冬の月

2011.2.7付 朝日俳壇より
大陸も海もあるらし冬の月:(久慈市)和城弘志
 金子兜太評:冬の月下の日本列島を取り巻く大空間が一気に。

私はちょっと違った感想を持ちました。
月には「大陸」のつく地名はないけれど、「山脈」や「海」のつく地名があります。冴えた冬空に輝きわたる月を見て月面の地名を思い出している、とは読めないでしょうか?

おもちゃのラッパ

2011.2.7付 朝日歌壇より
わが妻が峡の闇へと吹き鳴らすおもちゃのラッパ猪(しし)は逃げゆかむ:(高知県)宮橋敏機

手ごわい相手ですよね。せめてなんとかならないか、とおもちゃのラッパを吹いている。
作者はそんな妻を「かわいい」と思っているのだと感じました。

すてきなご夫婦でいらっしゃる。

注連縄外す

2011.2.7付 朝日歌壇より
元日の朝早くより死者ありて搬送車二台の注連縄外す:(八戸市)山村陽一

人の生まれると死ぬとには予定など立たない、と申します。
凛として冷え切った正月の空気に「粛然」と仕事をなさる姿に黙して礼をささげます。

●ところで、今年の1月31日付けの朝日俳壇に次のような句がありました。

祖父母父母夫の遺影の淑気かな:(熊谷市)斉島真樹慧
 金子兜太評:三世代の死を最短定型に乗せた韻律効果に淑気あり。

この「淑気」という言葉、私は知らない言葉だったもので広辞苑を引いてみました。

しゅく‐き【淑気】天地の間に満ち満ちているめでたいけはい。新年をことほぐ気持からいう。<季語:新年>[広辞苑第五版]

そうしたら「めでたいけはい」という語感なんですね。別の季語サイトでは

新しい年を迎え、天地山河いたるところに瑞祥の気が満ちていること。

とあって、やはり「めでたい」らしい。
そうなると、「遺影」について使ってよいのだろうか、と分からなくなって、この句を俳歌倉に取り上げられなかったのです。自分で何も言えない作品は取り上げていません。

「めでたい」という感じを取り除いて、正月の冷たく凛と張り詰めた清らかな空気、ということなら使えるのだが、と。

そうしましたら、朝日新聞2月8日の夕刊文化面に「あるきだす言葉たち」というコーナーがあって、そこに北大路翼さんの句がいくつか載っていました。

   

一月一日祖母逝去
 ひつそりと去る人のゐる淑気かな
 初雀優しき人の死の静か

また「淑気」にであってしまった。
身内の方の「死」に関して使うことはできるようだし、その語感は好ましいものだ、と思います。
でも、やはり当事者でない者には「死」に関しては使えないのではないか、という気持ちは変わりません。
もし、使ってよいものならば、冒頭の短歌についてこの「淑気」という言葉が当てはまるかもしれない、と言う気はしたのです。
でも、結局「粛然」という言葉を使いました。

私には使うことのできない難しい言葉でした。

つる科の植物

2011.2.7付 朝日歌壇より
冬の夜素足にて君にからみつく吾は熱帯のつる科の植物:(神戸市)野中智永子
 高野公彦評:ちょっとセクシーなのがいい。

うむ、炬燵かな?
テーブルの下?
評に賛成。

ただ、無粋を承知でリクツを言うと、「つる植物」とか「つる型植物」という言い方はあるんですが、「つる科」という分類枠はないんですね。
{やな奴、引っ込め。}

2011.1.10付の朝日歌壇にこんな歌があったんですよ。

足をよせあら冷たいわというけれど私はあなたの湯たんぽじゃない:(掛川市)村松建彦

で私は「夫は妻のレッグウォーマー」というとか聞いたことがあります、と書きこんだのでした。

ひんやりした素足が絡みつくなんて、そうとうにセクシーだなぁ。

みぞれもよう

0209mizore 2011.2.9
朝8時過ぎ。外を見ると、みぞれもよう。
マニュアルフォーカスで2,3m先のあたりにピントを固定し、フラッシュを光らせてみました。
「焦点の合わない目つき」のカメラにフラッシュでみぞれを写し込もうという魂胆です。
白く流れているのが氷の粒ですね。
寒いです。
早々に部屋に引っ込もうとしたら
0209heli
ヘリコプターが飛んで来たので、あわててピントを無限遠に持っていってパシャ。
ぼんやりとしか写りませんでしたね。
2回ほどこの空を横切って行きました。
なにか事件や事故でなければよいのですが。

あ~寒い
い~寒い
う~寒い
え~寒い
お~寒い
かっ、寒いや。

2011年2月 8日 (火)

フウセンカズラ

0130_3huusenkadura 2011.1.30
自然の状態で種が見えるのは私にとっては珍しい。
いつも掌にとってフウセンを壊して中から種を出してみるだけです。
カラカラに乾燥して、ぶつかって壊れて、中が出てきたのですね。
ネコジャラシともども、発芽の力を貯えた種たちです。
これが生命力の固まりというもの。
芽吹きますように。

センダングサ

0130_2sendangusa 2011.1.30
頑張って咲いたのですが、結実までは至らず、残念ながら自然にドライフラワーになってしまいました。
ちょっと悲しい気もしますが、これも生きる姿。
残念だったね、と声をかけてやりたくなります。

トキワハゼ

0129tokiwahaze 2011.1.29
今時、トキワハゼが咲いています。
雑草図鑑など見ますと、花期4~10月となっていましたが。
イチョウの鉢植えの土に生えています。
がんばってますね。東京がそれだけ暖かいということなのかなぁ。

2011.2.7付 朝日歌壇より
センターの漢字問題ケータイでそろりと変換帰りの車内:(東村山市)八尾奈々子
 高野公彦評:センター試験を受けて帰りの車内で正解を確かめる。その緊張感が伝わってくる。

緊張感という表現が最適かどうか。
どうかな、あってたかな、という期待感、ワクワク感、そしてしくじったかなという不安感、まとめて「緊張感」ですかね。
さて、どうでしたでしょう。

私のようなケータイ後進者は、ケータイが電卓になるなんて最近まで知らなかったし、辞書になるなんて使い方したことないし。
時代は変わったなぁ。

あんな小さな画面でネットにアクセスしても、そもそも老眼では見えないんだよなぁ。
我が家ではワンセグの電波も届かないし。

ケータイって電話でしたよね、タシカ。

2011.2.7付 朝日歌壇より
幅狭き里の雪道ぬくみきぬ譲り合ふ道会釈する道:(新潟市)伊藤敏
 佐佐木幸綱評:「どうぞお先に」「いや、あなたこそ」。雪がとけて、あちこちに水たまりができたのである。下句、うまい。

声をかけあったかどうかは別として、ひょいとゆずる、あ、と会釈して行かせてもらう、よい光景です。

で、選者の評のように、雪が緩んで来ての話だとは思うのですが、そういう「あたたかい心の交流が生まれる道」という感じも「ぬくみきぬ」にオーバーラップして、ともども意味を構成しているような気もしました。

編隊で

2011.2.7付 朝日歌壇より
夕暮に三三五五と川下る鷗の上行く鵜は編隊で:(東京都)横関丹
 佐佐木幸綱評:隅田川河口近くでよく見かける光景。それぞれの仕方で夜を迎える鷗と鵜のコラボレーション。

光景はよくわかりますが、こういうの「コラボレーション」っていいますか?
collaboration ですから、一緒に働く、とか、協力するとか、そういう意味がもともとでしょ。
鷗と鵜、それぞれ勝手に行動しているんだと思いますが、コラボじゃないよなぁ。
観察者の意識の中で、鷗と鵜が一緒になって景色を構成している、というようなおつもりでしょうかね。なんだかしっくりしませんが。

東京だと、浜離宮とか不忍池が有名ですね、カワウのコロニーとしては。
鵜の糞害が問題になったり、鵜が鮎を食べてしまって漁業被害が出ているという話も聞きました。
水に潜るには羽が水をはじいては潜りにくいので、鵜はびしょびしょに濡れてしまうタイプの鳥です。羽を十分に乾かしてから飛ぶのでしょう。
また、空を飛ぶ「眼」を持ちながら、水中でも魚を視認して追うことができる。水晶体を筋肉で絞って屈折率を大きく変えて水中でもくっきり見える目なんですよ。
人間は裸眼で水中にはいると、極度の遠視状態になってしまってぼんやりになってしまうでしょ、あれが鵜にはないんですね。
鵜の目鷹の目、どちらも極度に優れた目なのです。

ところで、私の家の最寄り駅の隣が「鵜の木」駅。
きっと大昔、多摩川のカワウ達が集まる木があったんでしょうね。

命待つ

2011.2.7付 朝日歌壇より
牛小屋に置炬燵して命待つ牧に月冴え霜降りる夜:(前橋市)兵藤宇亮

きっと湯気をあげて生まれるんですよね。赤ちゃん牛が。
付き添う作者、寄り添う心。思わず声をかけてしまいますね。
哺乳類の出産だものな、感情が移入します。
元気な赤ちゃんが生まれますように。

革手套

2011.2.7付 朝日歌壇より
革手套脱げば流暢手話の女(ひと)真紅の爪の指しなやかに:(高石市)木本康雄

「手套」は「しゅとう」ですね。
使ったことのない言葉なので、広辞苑を引いてみました。

しゅ‐とう【手套】 タウ
てぶくろ。
○手套を脱す
うわべをつくろうことをやめて、真の手腕を現す。
                   [広辞苑第五版]

最初の印象は、革のゴワゴワ感としなやかに語る指の対照が美しいな、と思ったのです。
広辞苑を引いてみて、少し印象が変わりました。
誰でも同じになってしまう革手袋を脱げば、「真の手腕が現れて」しなやかに、指が言葉を語り始める。べつにうわべをつくろったということではなく、隠れていた能弁な手話の能力が現れた、というふうに読めるのですね。

言葉が増えました。うれしい。

ハイビジョンから

2011.2.7付 朝日歌壇より
蝦夷蝉が鳴く故郷の湖の道がハイビジョンから突然届く:(大津市)佐藤勝美

故郷の景色が突然目に飛び込んできたら、えっ何?と一瞬何が何だかわからくなるかもしれませんね。
大慌てで、リモコンの録画ボタンを探したりして。
なつかしかったでしょう。
視覚的なタイプの記憶の方だとなおさらです。
いろんな記憶のタイプがありましてね。
嗅覚による記憶というのは、かなり記憶の深い場所に結びつくようですしね。

私には「故郷」というものはないのですが、なじんだ風景というのはあります。
五能線に乗って北上していく時、あるいは国道101号線を北へ走る時、「ぬかもり」が見えると、ああ来たなぁ、と思います。
あるとき、昼のテレビで突然画面に「ぬかもり」が現れた時はびっくりしましたね。思わず録画しました。八森漁港からの中継でハタハタなんかの話だったな。
漢字で書けば「糠森山」ですが、いつも「ぬかもり」と言っていましたっけ。
大正生まれの母は、ぬかもりに遠足で登った、とかいっていたな。

懐かしい景色がテレビ画面から飛び出してくるのは嬉しい驚きですね。

肩にとまらせ

2011.2.7付 朝日歌壇より
わが孫を肩にとまらせゲルマンの婿は天守閣を仰ぎてゐたり:(長野県)沓掛喜久男
 馬場あき子評:ゲルマンの婿に松本城を見せたのか。わが孫を肩車しているという人情も面白い。

「わが孫」ではあるのだけれど、娘が国際結婚をして、最初から国際人として成長を始めた「わが孫」に、何か不思議な感じとでもいうのでしょうか、感慨を覚えていらっしゃる、と思います。
で、選者は「肩車」といっていますが、日本人がやる首にまたがらせる肩車ではないのではないかな。歌にあるそのままに、片方の肩に子を乗せているのでしょう。肩幅が広い、だから「肩にとまらせ」なんでしょう。さすがに大男だなぁ、という感慨もある。そして、城という日本の情緒と溶け合っている。
はあぁ~、という息が聞こえてきそうです。

昨年の9月12日付の朝日歌壇にこんな歌がありました。
鹿肉をドイツの婿が切り分けしゾーリンゲンのナイフの切れ味:(長野県)沓掛喜久男
 高野公彦 評:婿殿が持参したドイツ製ナイフの見事な切れ味に感嘆。

これを私はこのブログで取り上げました。
http://yamada-kuebiko.cocolog-nifty.com/blog/2010/09/post-76de.html
そして、こう書きました。

ナイフ「さばき」も重要なのではないかなぁ。
現在の日本人はナイフで肉をさばく技は持っていないでしょ。
ドイツ人の婿のみごとな手さばき。
彼我の食文化の違いを改めて認識し、そのようなナイフさばきの出来る夫を得た娘の目の確かさを褒めているのではないかなぁ、と思うのです。

またその後こんな記事も書いています。
http://yamada-kuebiko.cocolog-nifty.com/blog/2010/10/post-76de.html
「鹿肉」という題です。

「お婿さんが「主人」をきちんとやったんですね。ゾーリンゲンのナイフで鹿肉を切り分け、みんなにサーヴしたんでしょう。」

こんなところも是非合わせて読んでみて下さい。
味わいが増すと思います。

たてにならぶ

2011.2.7付 朝日歌壇より
ここからは雪の降る町信号機赤黄緑がたてにならぶよ:(高槻市)小谷口晴栞(はな)
{永田和宏・高野公彦 選}

この日の紙面の下の方の担当記者が書く欄にこういうことが書いてありました。

横並びばかりが信号機じゃない
 朝日歌壇に昨年兆した幼年歌人健闘の潮流は、本年に引き継がれたようだ。・・・
 ・・・
 晴栞さんの母真生子さんによれば、昨年末、車で山陰に旅した時の詠。「トンネルを出ると一気に雪景色で縦型信号機が。前に福井の親戚から降雪地には雪が付着しにくいこの型が多いと聞いていたので、ホントだ!と思ったのでしょう」

このような註がないと、知らない人にはわからないかもしれませんね。
信号機を支える腕には雪の重みがかかるわけですが、縦型のほうが雪の積もる面積が小さいので、腕にかかる荷重が小さい、というのが理由でしょうね。

ただ、最近はLED信号機も増えています。LED信号機の場合、「厚み」が電球型より圧倒的に薄いですよね。そのため、腕にかかる荷重が小さくなるので、どうしても縦型がよい、という理由は消えつつあると聞き及んでいます。

いろいろ勉強して下さい。

ちょびちょびすすむ

2011.2.7付 朝日歌壇より
おねがいがまだきまらないはつもうで考えながらちょびちょびすすむ:(笠間市)高野真気

神社に行ったんですけどね、参拝者が多くて、行列になってしまったんですね。
で、少しずつしか進まない。
去年のお守りを焼く炎が上がっていたり、今参拝している人が鳴らす鈴の音が前の方から聞こえたり。
独特のはなやいだにぎわいの中で考えている。
大人なら、おおかたは、家内安全、みんなしあわせに、とかほぼ決まり文句があるのですが。
経験値のまだ少ない彼は真剣に考えているな。
何をおねがいしましたか。
かなうといいね。

母子

2011.2.7付 朝日歌壇より
まつ毛まで雪積もらせて帰る子を抱いてさすってこすって溶かす:(富山市)松田由紀子

金賞じゃなかった私と金賞の妹今夜も並んで眠る:(富山市)松田梨子
 佐佐木幸綱評:それぞれにがんばっている仲良し姉妹。どんな明日が待っているか楽しみな眠り。

ということはママになってもばあちゃんになってもひらがな私の名前:(富山市)松田わこ

二人ともお母さんに抱かれてさすってもらって、溶けましたか?
寒くて、雪が多くて大変だね。

例えばの話、若子さんという方がいたとしましょう。
お母さんになっても若子さん。おばあちゃんになっても若子さん。
う~む、名前をつけるということは責任重いよなぁ。

なんだか、子どものうちは自分の名前はひらがなだけど、大人になったら漢字になったりするような気がしたんでしょ。
なんだか分かるなぁ。
いくつになってもおばあちゃんというものは若いんですよ。はなやかであたたかくて、やさしいものなのです、おばあちゃんは。
「わこばあちゃん」になってくださいね。

「ということは」という出だしにはびっくりしました。この言葉一つで、話の奥行きが一気に広がりましたね。

受話器のむこう

2011.2.7付 朝日歌壇より
やさしげに妻よぶ声のもれ聞こゆ受話器のむこう友に夫あり:(大阪市)谷口眞喜子
 永田和宏評:電話口のむこうで妻を呼ぶ優しげな夫の声。孤り居の作者にはふと嫉妬にも似た羨望の思いが去来したのだろう。

考えすぎかもしれませんが、やはり、永田さんは奥様を喪った「虚」のなかにおられるようです。
長く連れ添った夫婦が連れ合いを喪う、こういう悲しみに敏感になっておられるように感じます。ほぼ同年輩だからなぁ、私も。なんだかひどく身に沁みる。

反射を抑える

今朝、アサヒコムでこんな記事を見かけました。

腕時計の反射、99%カット セイコー、文字盤見やすく
                       2011年2月7日19時57分
 セイコーウオッチは3月11日、光の反射を約99%抑えるガラスコーティングを施した「セイコーブライツ」シリーズのソーラー電波クロノグラフを発売する。太陽光や照明の下でも文字盤の視認性が良くなった。希望小売価格は税込み10万5千円。

別に宣伝する気は毛頭ありません。
反射光を99%カットした。だから時計を読みとるときにギラギラしなくて視認性が良くなった。
なるほど。そうでしょうね。

それだけですか?
反射光をカットした。ふむふむ。
じゃあ、反射が減った分、どこへいったのでしょう?
おそらく透過するのですね。
そして太陽電池に吸収される。
つまり太陽電池に当たる光を増やした、ともいえるのだろうと思いますよ。
「ソーラー」って書いてある。文字盤が太陽電池なのでしょう。ですから、反射で光が逃げずに入ってくる分、発電量が増えるのではありませんか?

そんな「深読み」をしてみました。

ほっこり

昨日の読者投稿欄です。

[声]若者の優しさに心がほっこり(2/7)
 主婦(39)
 私は両下肢のまひのため、車いすで移動しています。近所にある国道は道幅が広い割に信号が変わるのが早く、いつも中央分離帯で一度止まって、また次の青信号になって渡ります。
 先日、いつものように渡り始めたら、高校生くらいの男の子がごく自然な口調で「押してもいいですか?」と言って、押してくれたのです。そして、その先にある坂道も押してくれました。「ありがとうございます。ここでもう大丈夫です」とお礼を言うと。「気をつけてください」と言いながら彼は来た道を戻って行きました。私のためにわざわざ信号を渡ってくれたのだなと思い、心がほっこりしました。
 年配者の中には「今時の若者は……」と言う人もいますが、私の経験では困っている時に助けてくれるのは若者のほうが多いように思えます。彼らの優しい言動に接すると「日本の未来もそう悪いものではない」と思います。

いいことばですね「ほっこり」。
あたたかくて、読む側もあたためられます。
相手に心理的な負担をかけずにお手伝いするって、結構難しいんですよね。
さりげなく、やさしく。
こんな投書もありました。

[声]目の不自由な人見守った「神様」(2/1)
 家事手伝い(60)
 寒波の続く先日のある駅内のことです。私が電車を降り階段を下り切って、やれやれと思った時、前を行く年配の男性が突然両手を広げ、前を通る目の不自由な同世代の女性の後ろを追い始めました。
 女性は煩雑であろう音の中で必死に歩く方向を考えていました。男性は女性の後ろを少し離れて見守ります。周りの人に注意を促すように、女性を守るように両手を広げて。女性はおぼつかない足取りで白い杖を小さくたたきながら改札口に近づきました。
 男性の後ろにいた私も女性を励ましたくなりました。女性はポケットから「スイカ」を出し、自動改札口を無事通過。男性も同じ方向へ行くと思いきや、さっと反対へ人混みの中に消えました。たった5分ほどのことでしたが、すがすがしさを覚えました。
 あの調子では、女性はいつも難儀し、もしかしたら出るまでぶつかったりしていたような気がします。男性はほほえみながら去りました。女性にそのことを教えたいなと思いました。神様にも見えた男性にお疲れ様とねぎらいたくなりました。私は耳が不自由ですので、私が親切にされたようでうれしくなりました。

私自身もう配慮を頂く身ですが、駅のホームなんかで、杖をついてゆっくり歩いている年長の方を見かけると、その後ろを適当に離れてついていくことがあります。
ケータイなんかで前方不注意な人が勢いよく後ろから当たったりしないようにね。

なんだかもう、八王子簡裁のことで、むかっ腹立ててしまって、気分悪いので、少しは心のあたたまる話をしなければ、ひっこみがつかなくなっちゃった。

最後に、自分のホームページから引用します。
http://homepage3.nifty.com/kuebiko/essay/taisyoku.htm

 ・・・
 今は嘱託員として都立広尾高校に勤務して、思いやり深い生徒に出会い感動する日々です。(2005年3月末をもって嘱託員も終了しました)。最近、ドアを開けたら後に続く人をちょっと待ってあげることが日常的になってきました。とても嬉しい心配りです。ある女子生徒が、そうやってドアを開けて待ってくれたのですが、礼を言いながら通り過ぎる私に彼女は「急がせてしまってすみません」と言ってくれたのです。これほどの深い思いやりに出会うとは、思いもかけぬ幸せでした。(授業を担当している生徒ではありませんでした。いつも私を見てくれていたのだと思います。さりげなく、相手に負担をかけないまなざしで見続ける、というのは、とてつもない優しさ、思いやりだと思います)。以来、私も、お年寄りやベビーカーのお母さんなどに対してドアを開けて待つときには「急がないでいいですよ、ゆっくりどうぞ」というようになりました。生徒に教えられる幸せをかみしめています。私の教師人生は、豊かな障害者達や思いやり深い生徒に、初めから恵まれています。また、私の思いを真剣に受け止めてくれた同僚達がいつも支え続けてくれました。私と出会ったことによる「生き方の変化を検証する」というようなことはしませんでした。私はただひたすらに「願いつつ、障害者教師人生を走り抜け」てきました。すべての学校に障害者教員が配置されたら、そこに起こる障害者教員と、児童・生徒と、健常者教員との相互作用の中に、心を豊かに、いのちを大切にする教育の芽が自然に芽吹くのではないかと夢見ています。
 ・・・

生涯に師と呼べる人は一人か二人、あとはすべて友なんだよ、と我が師は教えて下さいました。上に書いた生徒は師と呼ぶに値すると思います。
幸せなことでした。

“簡裁の着工手続き進めず”

 どうも、今、私かなり頭に来ていて、ちょっとまともじゃないようです。
書くことが支離滅裂だったり、過激だったりするかもしれませんが、ご容赦を。
何を怒り狂っているのかと言いますと、今朝、NHKで耳にしたニュースのせいなのです。

NHK首都圏ニュース
“簡裁の着工手続き進めず” 02月08日08時25分

建て替えられる八王子簡易裁判所にエレベーターの設置が計画されていないことについて、東京・八王子市はバリアフリー化が不十分だとしてエレベーターを設置しない場合は工事の着工に必要な手続きを進めない方針を明らかにしました。
八王子簡易裁判所は現在使っている庁舎が取り壊されるため、新たに建設される2階建ての庁舎に移転することになっています。
裁判所は、「対応は1階で可能だ」として新しい庁舎に、エレベーターの設置を計画していませんが、障害者団体や弁護士会は「高齢者や障害者のためのバリアフリー化が不十分だ」として計画の変更を求めています。
これについて計画の審査を行う八王子市は、裁判所がエレベーターを設置するよう計画を変更しない場合には工事の着工に必要な建築確認の手続きを進めない方針を決めました。
国土交通省は、今回のケースについてエレベーターを設置しなくても法律に違反しないとする見解を示しています。
今回の対応について八王子市の黒須隆一市長は、「高齢化が進む中で多くの人が利用する施設でバリアフリーを行わない裁判所の対応は市民の意識とかけ離れており計画の変更を強く求めたい」と話しています。

これです。法律には違反しないかもしれませんけれどね、完璧に「合理的な配慮」を欠いています。これをして差別と言わずに、何といえばいいのでしょう。
読売新聞では

簡裁はエレベーター設置を…建築確認出しません
(2011年2月7日22時39分  読売新聞)
 東京都八王子市は7日、八王子簡易裁判所を建て替えるため国が出した建築確認申請について、高齢者や身体障害者が利用できるエレベーターがないことを理由に、計画を変更しない限り申請を認めない方針を決めた。
 黒須隆一市長が同日の記者会見で表明した。
 計画されている建物は2階建て。国は「エレベーターがなくても、バリアフリー新法や都条例に違反しない」との見解だが、ユニバーサルデザイン(だれでも利用しやすい設計)を推進する市は「国の建物は自治体や民間の手本になるので影響は大きい」と、後に引かない構えだ。
 国土交通省建築指導課によると、バリアフリー新法は2階建て建築物にエレベーターの設置義務を課していないが、地方自治体による上乗せ規制を認めており、都条例では2階建てでも対象になる。ただ、「不特定多数が利用する」などの条件があるが、担当の最高裁経理局は「不特定多数の人は利用しない。車イスの人が来ても、1階部分で対応できる。法的な問題はない」としている。
 同局によると、全国の裁判所の建物のうち、2階建てでエレベーターを設置しているのは、東京都町田市にある町田簡裁(1996年築)のみという。

東京新聞では

八王子簡裁「エレベーター設置を」 市長 建築確認手続き留保も
東京新聞 2011年2月8日
 今春完成予定の八王子簡易裁判所(八王子市明神町)の建て替え計画について、黒須隆一・八王子市長は七日の会見で、バリアフリー対応が不十分として「エレベーターを設置してほしい。このままなら(着工に必要な)建築確認申請の手続きを留保せざるを得ない」と、裁判所側に計画変更を強く求めた。
 建築基準法では、市は申請を受理してから三十五日以内に確認済証を交付するとされている。今回は一月二十一日に申請を受理しており、今月二十四日が交付の期限だが、仮に留保されれば着工できない。
 市によると、簡裁新庁舎は鉄筋二階建て。一階に法廷や書記官室があり、二階は調停室などを置く。最高裁は「二階の利用者はあらかじめ特定でき、高齢者らが利用する場合は、職員が車いすを持ち上げて階段を上り下りするので問題ない」と説明。バリアフリー法を所管する国土交通省も、問題ないとする見解を示したという。
 しかし黒須市長は「簡裁は何十年も使うもの。エレベーターを設置しないのは、市民感覚からあまりにかけ離れている。計画変更を強く望む」とした。
 最高裁は「記者会見の内容について事実確認できないため、コメントできない」(広報課)としている。

「車イスの人が来ても、1階部分で対応できる」
最高裁は「二階の利用者はあらかじめ特定でき、高齢者らが利用する場合は、職員が車いすを持ち上げて階段を上り下りするので問題ない」と説明。

何をほざいているんだろう?自分たちは決して障害者なんかになりはしない。裁判所の職員はすべて健常者に限る、とでもいうのですか?
なんという傲慢。差別そのものでしょう。
自分たちは障害とは無縁で、障害者が来たら、我々が親切にお世話してやるから構わないのだ、とう気分なんでしょうね。
なんとまぁ、お優しくって、体力があって、素敵な方々なんでしょう。
そういう人たちを差別者と言うんです。

障害者は裁判所の職員にはなれないんですね。
ふ~ん。裁判所って傲慢な存在なんだ。国民を「みくだして」いるんですね。
自分たちはスーパーマンだから、障害者なんか関係ないんだ。

さっすが、障害者権利条約に、2010年12月1日現在日本国は批准していない、という国の裁判所だもんな。
障害者権利条約と言うのはですね
障害は個人ではなく社会にあるといった視点からの条約である。」(ウィキペディアから)
こういう視点なんかどこにもないんでしょ。
私は授業などで「障害者ってどっちですか?障害を設けているのはどっちですか?障害という踏み越えるべき『障害物』をつくっているのはあなたたちでしょ。あなたたちをこそ『障害者』と言うべきなんじゃないですか?」と言い続けてきました。
去年、小学校で理科支援員をした時のあいさつでも、これに近い話をして、子どもたちは素直に共感してくれましたよ。
貧しい精神の持ち主だよなぁ、裁判所って。

合理的配慮なんてカケラもありゃしない。

「障害による差別」とは、障害を理由とした万人に対する、政治権、経済権、社会権、文化権、市民権の全分野にわたるの人権と基本的自由のあらゆる区別、排除、制限を、さらに障害のある人に対する合理的配慮の欠如を意味する。「合理的配慮」とは障害のある人が他の人同様の人権と基本的自由を享受できるように、物事の本質を変えてしまったり、多大な負担を強いたりしない限りにおいて、配慮や調整を行うことである。

合理的な配慮をしないこと、それが差別なんです、っ!
簡裁にエレベーターをつけたら、簡裁の本質が変わったり、とんでもない負担を追うことになるのですか?
エレベーターをつけることは合理的配慮でしょ。それをしないということは、差別そのものなのです。
私の住む町の区役所の出張所は、地下に駐車場があって、1階の事務窓口に上がるエレベーターがありますよ。2階で選挙の事前投票ができますが、エレベーターでいけます。
エレベーターを設置するのは当たり前ですよね。駅にも、歩道橋にもエレベーターをつけるようになってきましたが。簡裁はそれができないんですか。
法律違反じゃないから、かまわないんですか。
恥ずかしいとは思わないんですか。

もう、朝からいらいらしっぱなし。
言い足りないような、言い過ぎたような。
アップロードして、後から自分で読んだらおそろしく恥ずかしい文章を書いている気がしますが、とりあえず、アップロードしてしまいます。

引用したウィキペディアのURLは以下の通りです。読んでみて下さい。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9A%9C%E5%AE%B3%E8%80%85%E6%A8%A9%E5%88%A9%E6%9D%A1%E7%B4%84

(他人の怒りを吹きつけられたらたまりませんよね。申し訳ないことです。ごめんなさい。)

2011年2月 7日 (月)

アロエ

0128h2aloe 2011.1.28
今年はあちこちでいっぱいアロエの花を見かけます。
この季節、昆虫は少ないのですが、結構鳥が花に嘴を突っ込んでいるようでもあります。
花の奥まで届いているかどうかはわかりませんが、蜜が少し流れ出しているようでもあります。
なかなか鳥の蜜吸いの現場をおさめられません。
鳥は苦手じゃ。
(アブはフレンドリーなんだがなぁ)

ホトケノザ

0128_h4hotokenoza 2011.1.28
ホトケノザと思われるまだ小さい葉。
葉に密生する毛を狙ってみました。
すごいですね。
立ち上がっている透明な毛にもう少しピントが合うとよかったな。
なかなかファインダーのなかでは完全な合焦点が見極められないんです。
シングル・オートフォーカスで大体のところにピントを合わせて、そこからマニュアルでピント合わせをしているのですが。難しい。

ツツジ

0128_25tutuji 2011.1.28
ツツジです。
つぼみがふくらんできました。
細かいところまできれいに写るので面白いです。

0128_24tori 2011.1.28
すんごいタイトルですね。誰が見たってこれ、鳥以外には見えないよなぁ。
カラスですか?
ふと見上げたら飛んでいたので、パチッと一枚。
後でパソコン画面で見たら、何かくわえているのが写っていました。
なんだろう?カラスかな?
カラスが魚をとるということもないだろうなぁ。
(魚に関しては多摩川が近いから可能性はあるんですが、カラスが水面で魚をとるというのは、ちょっと・・・)
このシルエットだけで鳥の種類が特定できるようでしたらお願いします。

スイセン

0128_18suisen1 2011.1.28
線路際のスイセン。
黄色いカップの中はなかなか見るチャンスがない。
この際、と道路にぺたっと座り込んで撮影。
0128_18suisen2
黄色いのは副花冠ですよね。
オシベのつき方が複雑ですね。副花冠から立ち上がっているようにも見える。
メシベは普通だな。

きちんとナイフで切り分ければもっとはっきり構造がわかるのでしょうが、そこまでは、ちょっとする気になれませんでした。

ビワ

0128_15biwa 2011.1.28
ビワの花も終わりまして、実が熟すのを待ちます。
葉の間の暗い場所ですので、どう写るのかと思いましたが。
f2にすると、1/160秒でシャッターが切れるという表示。
腰が不安定でぶれやすい私ですが、1/160なら耐えられます。
明るいですねぇ。画像処理はしていません、写ったまま、です。そうそうISOは100です。

ちょっと驚きの写り方でした。

ナツミカン

0128_14natumikan 2011.1.28
今年もナツミカンが熟してきました。
夏はアゲハやナガサキアゲハ、クロアゲハなどのチョウの食草になり、この季節にはかかしさんという「サル」の仲間夫婦のデザートになる。ありがたいことです。
実生。
酸味も強いけれど、甘みもこってり。とにかく「味が濃い」のです。
商品にはならないでしょう。でも、私ら夫婦の年代ですと、子どもの頃に超強烈に酸っぱいナツミカンを食べた世代ですから、平気平気。コッテリ甘いです。

完全無農薬、有機栽培ですので、安心してママレードづくりもできます。
「アゲハ印ママレード」にでもしましょうか。

サボテン

0128_22saboten1 2011.1.28
かえって拡大しない方がわかりやすいでしょうか。
前のまつぼっくりの記事に出てきた「らせん状の配置」が見えています。
0128_22saboten2
すごい写り方をしますね。
鮮明さとぼけが一緒になって、かっこいい!
私の腕ではありません。レンズの描写力です。
なるほどねぇ、こういう写り方が狙えるんですねぇ。

まつぼっくり

0128_12matubokkuri1 2011.1.28
2年越しで種を成長させてきたまつぼっくり。
とうとう落ちました。長く頑張ったね。台風や嵐やいろいろあったのですが、仕事を全うしました。
0128_12matubokkuri2
散布しきれなかった種子が何個か残っていました。
0128_12matubokkuri3
木についているときには撮れなかったアングル。
ラセン状の配列が見えますね。

これ有名なんですよ。フィボナッチ数列の話にはほぼ必ず出てきます。
1,1,2,3,5,8,13,21,33,54・・・という数のならびです。
並んだ数字二つをとって、後ろの数字を前の数字で割ると
1.618・・・に近づいていくのです。
正確には
Fib
に近づいていくのです。
この値をよくφと書きます。
で、「1:φ」という比を「黄金比」といいます。
黄金比という言葉は知られていると思いますが。

角度360度を黄金比に分割して、その角度づつ回転しながら成長をくわえていくと、マツボックリに見られるような、螺旋形の配列が現れてくるのです。
私のこのブログで以前詳しく書いたことがありますので、お読みください。
http://yamada-kuebiko.cocolog-nifty.com/blog/2008/08/post_8ee9_1.html
2008年8月25日 (月)の「ヒマワリ」という記事です。

http://yamada-kuebiko.cocolog-nifty.com/blog/2010/05/post-5217.html
2010年5月14日 (金)にも「タンポポ」の記事の中でちょっと触れました。

 

最初の写真のまつぼっくりですが、せっかくだから玄関のいろいろ干支やネコのグッズを置いてあるところに一緒に置きました。年月を経て熟成したものですから、鑑賞しなくっちゃ。

ハエ

0128_10hae 2011.1.28
少し前にお知らせしたハエ。
おそらくヒメフンバエかな、の死骸なんですが。
壁面にこうやってとまったまま死んでしまったのですね。
カビかなにかの寄生を受けたのではないか、と書きました。
その後もそのまんまなんです。
カビが白く盛り上がってきて遺骸を包む、というようなこともない。
どうなったのでしょう?
わからないままに、時々観察しています。

シロザ

0128_5siroza 2011.1.28
もうほとんど枯れそうなのに、まだ頑張るシロザ。
わずかの花を包むようにして咲かせています。
すごい生命力です。一年草だと書かれていますが、越冬してなお頑張っています。
大田区のこの地はシロザにとっては暖かいのでしょうか。

トクサ

0128_4tokusa 2011.1.28
いつもトクサ、としか書いていないのですが、オオドクサというのが正しいのかな?
以前住んでいた家には、草丈が30cmかちょっと高いくらいのトクサがあったのです。
で、大田区へ引っ越してきて、種苗会社のカタログを見ていたら、背丈の高いトクサが載っていて、目隠しにもよさそうだね、と相談して買ったものです。
草丈は人の身長程度。なかなかいい風情なんですよ。
レンズの描写感覚をつかむための習作です。

白梅

0204h_1ume1 2011.2.4
立春の白梅。
白山神社にて。
今年の梅はずいぶん早くから咲き始めました。もう満開です。

立春を過ぎて、冷え込みが緩み、少しほっとしています。
昨日は東京の乾燥注意報も一時的に途切れました。朝起きたら道路が濡れていましたので、お湿りもあったよう。でも、今日、7日にはまた乾燥注意報が再び出たようです。
東京で雪が降るとすれば2月が一番可能性が大。低気圧が南岸を走るようになりますのでね。まだまだ油断はできません。

立春の時の太陽黄軽は315度。あと45度進むと春分になります。
日本中どこでも、立春の頃には年間の平年気温の底を抜けて、少しずつ少しずつ、気温が上がり始めます。お楽しみに。

ちょっと見慣れぬアングルを発見
0128_h1ume1
花を後ろから見る、というのは普段あまりしませんね。
気づいたら、後ろから見ても「梅鉢」なんだ。
萼と花弁の位置関係も、そうなんだ、でした。
これは1月28日の発見

↓2月4日には
0204h_1ume2
もう少し鮮明に狙いました。

0204h_1ume3
もうちょっと、待っててね。

0204h_2ume4
つぼみ、咲き始め、咲いた花。
何とか、一緒に写し込むことに成功。
咲き始めの姿が大好きです。

◆別件
これは立春の日のことでしたが、こんな記事がありましたよ。
来年の秋分の日の話なんですけれど。

2012年はレアな秋分の日 116年ぶりに9月22日
         (アサヒコム 2011年2月1日11時50分)
 国立天文台は1日、来年の秋分の日が9月22日になると発表した。秋分の日が近年は23日が続き、22日になるのは1896年以来116年ぶりという。23日以外になるのは、24日だった1979年以来33年ぶりとなる。
 春分と秋分の日は、太陽と地球の位置関係で決まる。国立天文台が計算し、前年の2月1日付の官報で発表している。春分の日はこの50年で3月20日と21日を行き来していたが、秋分の日は79年は9月24日で、80年以降はずっと9月23日だった。
 日付が動くのは、地球が太陽の周りを365日と約6時間かけて1周するためで、4年に1度、うるう年で調整するものの、それでもずれが出てくるためという。
 計算上は、当面は4年に1回、9月22日が秋分の日となりそうだ。

というわけで、来年の話になりますが、珍しい年になるのだそうです。

2011年2月 4日 (金)

マクロレンズ買いました

今使っているオリンパスのデジタル一眼レフ E510 高級な機種ではありませんが充分満足のいく性能です。
購入したのは2008年の2月でした。
虫や花を撮るつもりでしたから、最初からマクロレンズを同時に購入しました。

ZUIKO DIGITAL 35mm F3.5 Macro
焦点距離:35mm(35mm判換算 70mm相当)
最短撮影距離:0.146m
最大撮影倍率:等倍撮影(35mm判換算で2倍相当)
最近接撮影範囲:17x13mm

↑こういうレンズです。
今まで、このブログでお目にかけてきた写真の大部分はこのレンズでの撮影です。

使い始めてほぼ3年。4万5000枚くらいも撮影してきて、少し「欲」が出てきまして、上級のマクロレンズが欲しくなりました。
これです↓
ZUIKO DIGITAL ED 50mm F2.0 Macro
焦点距離:50mm(35mm判換算 100mm相当)
最短撮影距離:0.24m
最大撮影倍率:0.52倍(35mm判換算 1.04倍相当)
最近接撮影範囲:33.3x25mm

使う人間の腕が変わるわけじゃなし、大して変わりばえするはずもないのですが、明るいレンズを使いたくって。うずうずしてしまった。

モンパルで外出した時、風景などにはあまり興味がないので、あちこちのお家の草花や、花に来る虫など撮りたいのですが、あまりに接近するのは「不審者」めいて気が引ける。
望遠レンズでの撮影なら楽だろうな。
少し離れて、昔のカメラの感覚での等倍マクロ撮影ができるのならすっごく楽だよなぁ。
と、なんとか自分自身を納得させて、踏み切りました。{清水の舞台から飛び降りたぞ。}

1月28日に届きまして、さっそく使い始めました。
0128_1jintyouge
これがその最初の写真。
f2、1/4000秒です。
つまり開放です。
被写体はジンチョウゲのつぼみ。
被写界深度がすごく浅い。
すごくいい雰囲気のぼけ味です。
0128_3outou
こちらは桜桃の冬芽。
これもf2。1/200秒です。

現在、このレンズの個性になじむ練習中です。
虫を撮るときにはある程度被写界深度を深くしたいので、f10やそこらには絞りこまなければならないでしょうし、花などはf2のあたりで撮りたいし。
その変更をダイアル一つで頻繁にやるのは、ボディに対してちと負担が大きそうだしなぁ、と、考えながら練習しています。

当分、皆様には、私の練習中の写真をお目にかけることになります。
申し訳ないことですが、お付き合いくださいますよう。

クロゴキブリの幼虫は白い!

クロゴキブリの幼虫がやってきたことを書きましたが、クロゴキブリの幼虫の孵化直後の姿なんてなかなか見られません。
かつて私のホームページなどに載せたものがありますのでご紹介します。
苦手な方は見ない方がいいですが、興味がおありでしたらどうぞ。

http://homepage3.nifty.com/kuebiko/science/60th/sci_60.htm
私のHPです。
このページの終わりの方に、クロゴキブリの卵鞘の話があります。

http://homepage3.nifty.com/kuebiko/science/65th/sci_65.htm
私のHPです。
孵化直後のクロゴキブリの白い幼虫の写真を載せてあります。

http://eco.goo.ne.jp/nature/unno/diary/200408/1092482156.html
写真家の海野和男さんのサイトです。
「クロゴキブリの孵化」
本当に真っ白な幼虫の写真が見られます。

よろしかったらご覧ください。

クロヒラタアブ

0127_4kurohirataabu 2011.1.27
高い位置にとまっていました。
クロヒラタアブです。
おそらくこの個体だと思うのですが、時々顔をあわせます。
花も少ないので大変でしょう。
ハエ目ってタフですね。

トビ

0127_2tobi1 2011.1.27
前の記事のヤツデの葉は庭。
ひとまわり庭を見まわして、外へ。
ふと見上げると、空にトビが。
ぐる~り、ぐる~りと大きく輪を描きながら移動していきます。
どの程度に写るのかな、と撮影。
35mmフィルムカメラに換算して70mmという、軽めの望遠になります。
0127_2tobi2
縮小なしでこのくらいです。
羽の縁が輝いていました。
ゆっくりと円を描きながら移動して、北西の空へ去って行きました。
鳥をとろうと思ったら、もっと長い望遠レンズが必要だし、私の関心の中心部は虫ですからマクロも絶対条件だし。
2台もカメラをぶら下げて散歩する気はないものなぁ。

葉 葉

0127_1ha 2011.1.27
何にもいう必要ないですよね。
ヤツデの葉に、ナンテンの葉の影が写っているのを裏側から撮影したものです。

被写体が少ないよ~、と言っているのが伝わることと思います。

黒雲

0126_4kumo 2011.1.26
すごい雰囲気の黒雲でしょ。
4時少し前でしたかね。ふと空を見たらこれ。

写真左には太陽が入っていて、ちょっとカメラに危ないかなと心配しつつ撮った写真です。
空の半分以上が真っ黒になりました。

このあと、黒雲が頭の真上に移動してきまして、雨がパラパラと降りました。
雲の脇は晴れていて、「お天気雨 狐の嫁入り」状態になりました。
その状態を写真に撮ることはできないか、と何枚か試してみましたが、日差しと雨粒を同時に写し込むことはできませんでした。難しいものです。

雨がぱらついたのですが、乾燥注意報が解除されるほどのものではありませんでした。

東京では、2月3日で連続35日乾燥注意報が出ています。史上2位だそうです。
じゃあ、1位は?
気象庁が現在の基準で乾燥注意報を発表し始めたのが1967年。
それ以降で東京の最長連続記録は1973年11月~74年1月の65日間だそうです。
単独2位になったと夕べの気象情報で言ってましたが、「1位」が何日だったか言ってくれないんですね。で調べてみたらこうでした。
多分1位には届きませんね。これからまだ30日も、となると3月に入っちゃうものなぁ。

とにかく、カラカラです。ご注意ください。

カランコエ

0126_3kalanchoe 2011.1.26
まだ咲きませんね。
ベンケイソウの仲間の花はみんなこうだなぁ。
コダカラソウ、フチベニベンケイまでは知ってるんですが、これの花はまだ見たことがない。
ゆっくり待ちましょう。
大分膨らんで来たように思うのですけどね。

2011年2月 3日 (木)

ツバキ

0126_2tubaki1 2011.1.26
前後のボケをつかってみました。
蕾から花、花の終わりごろまで入っています。
典型的にきれいな花がなくって、こういう狙い方になりました。
0126_2tubaki2
思いっきりぼけてみました。
マクロの醍醐味といいましょうか、被写界深度がオシベの葯一つ分くらいしかありません。
f3.5、1/1600秒です。
これが、このレンズの開放という状態ですね。

被写体が少ないとトリッキーな撮影が増えますね。
素直じゃない。

クロゴキブリの幼虫

0125_6gokiburi1  2011.1.25
部屋に遊びに来ました。
とはいえ、よたよたした感じ、やっぱり寒いんだろうなぁ。
多分一齢。
孵化直後は全身白いのですが、しばらくするとこうなります。
白い帯が2本。後ろの帯は真ん中が黒くて両側が白い。
黒い触角の先端部4節が白いのです。
おしゃれでしょ~。
0125_6gokiburi2
いっちょまえのかっこして。

10匹とか20匹とか、一度に孵化したのでしょう。あちこちで見かけます。
そのたびに、悪いな、この寒いのに、生きられたら生きていいよ、と屋外へ吹き飛ばしています。この間風呂に入ったら、このくらいのゴキの赤ちゃんが泳いでるんでやんの。
ゴキブリと混浴かぁ、と苦笑しながら、また窓の外へ。ふっ。

どうしてゴキブリだけが嫌われるんだろう?
「さべつだ!」と叫んでますね、きっと。
さして不潔なわけではなし。普通に普通の場所を歩いて生きてるだけなのにね。
ファンとまではいいませんが、昆虫として普通に扱っています。

大人になれたらまたおいで。その時はフェアにたたかってやるぞぉ。

ハナアブ

0125_5hanaabu 2011.1.25
大型のお客さん。
ハナアブです。
門の前のパンジーに2匹来ていました。
一匹の写真をなんとか撮っているうちに、もう一匹は飛び去りました。
越冬中という低エネルギー状態ではなく、元気ゲンキという動き方だったな。
とってもうれしい。
また来てね。

クロスジホソサジヨコバイ

0125_4kurosujihososajiyokobai 2011.1.25
ビヨウヤナギの葉の上。
先日気づいたように、ビヨウヤナギの葉は日当たりのよいところのものが赤っぽく、影になっているものが緑色。
ということは、この写真の葉は日差しをいっぱい受ける最前面の葉なんですね。
そこに飛び出してきたクロスジホソサジヨコバイ。
ぱっと目の前に飛び出してきて、ぱっと消えてしまいました。
この写真もぶれています。
でも、一瞬でも姿を見せに来てくれたのでおじさんはほくほく。
喜んでブログに掲載する次第です。
単純だなぁ。

ハエ・テントウムシ・カ

0125_3htk1 2011.1.25
行きどまりの日溜まり。
日向ぼっこする昆虫3種。
ハエの種類は同定しません。ハエさんでいいでしょう。
0125_3htk2
この場所にじっとしてもうずいぶんになります。
ダンダラテントウ。越冬中。
0125_3htk3
ユスリカの仲間のオスだと思いますが。
冬の最中にも羽化しては生殖活動をしているのでしょうか。

同じ場所に立って、ほとんど動かずに3種の昆虫をカメラに収めました。
珍しいことでした。

写真ネタがもうすぐなくなります。
鳥の写真は苦手だしなぁ。
どうしましょ。

おしっこ

0125_2hun 2011.1.25
鳥は総排出口から、糞も尿も卵や精子もみんな出しますので、糞と尿をあまり区別していませんが、こうやってみると、違いますね。
写真は尿が乾いたものです。

糞の方は口から入って、消化管内という体にとっての外部を通過して排出されます。ですから、体内に吸収できなかった固形物などが含まれて、固形の黒っぽいものとして排出されます。
尿の方は、それこそ真正の「体内」での代謝活動からの不要物の排泄です。その中には、たんぱく質が分解されt生じた窒素分が入ります。
そのままだとアンモニアになりますが、これは有毒なので無毒なかたちに変えます。
ヒトなどの哺乳類は尿素にして、水に溶かした形で排出します。
鳥などは、体を軽く保つために、水を体内にたくさん保持したくないですから、水に不溶性の尿酸にして捨てるんですね。また、殻につつまれた卵の中で発生しますから、水に溶けるのはまずいので、水に溶けない尿酸にして貯えたほうがいいわけです。

まえせつ、が長くなりました。
写真はその尿酸の粉末でしょう。
鳥たちがよく止まっている枝の下などにも、白い点々がいっぱいあります。
みんな、鳥のおしっこが乾燥したものです。
糞には種などが入っていることも多く、みれば固形物として見分けられます。
一緒に排出されますが、糞と尿は由来も姿も異なるものですね。

再度「空振」について

●毎日新聞に下のような記事がありました。

新燃岳噴火:4回目の爆発的噴火 鹿児島・霧島で、窓ガラス割れ92歳けが
・・・
 同気象台によると、新燃岳から南西約3キロにある鹿児島県霧島市湯之野の空振計では458パスカルを観測。1月26日以降の最大値は同28日の81・8パスカルで、今回はその5・6倍になる。同気象台の上之薗正利防災調整官は「溶岩ドームでふたをされて火山性ガスが蓄積したため圧力が高まり、かなり強い空振を伴う爆発的噴火となった。今後、更にマグマが供給されると、再びドームが吹き飛ばされて強い空振が起きる恐れがある」と注意を呼び掛けている。
==============
■ことば:「空振とパスカル」
 噴火に伴う空気中の圧力変化によって空気の振動が波のように伝わる現象が空振。パスカルは圧力を表す国際統一単位。秒速1メートルで動く1キログラムの物体を秒速2メートルにするのに必要な力(1ニュートン)が、1平方メートルに加わる圧力が1パスカル。その100倍が1ヘクトパスカル。気象庁火山課によると、人が音による空振を感じるのは10パスカルからとされ、数百パスカルになるとガラスが割れることもあるという。
毎日新聞 2011年2月1日 東京夕刊

間違ってはいませんけどね、この「ことば」という解説を読んで、どのくらいの方が「ああそうか」と納得するのかなぁ。既にわかっている人には不要の説明だし、ご存知ない方にはおそらくこの説明は混乱を増幅するだけではないのでしょうか。
マスコミの「報道力」「科学力」が問われますね。

●で、まぁ、すっきり分かるかどうかは自信ないですけれど、話の筋道をクリアにしておきたいと思います。

◆まずは、ニュートンの「運動の法則」から。
 多くの方がご存知だと思います。標準的な表現は

第一法則(慣性の法則)
 外的な力が加わらない限り、物体は静止或いは等速直線運動を続ける.
第二法則(運動法則)
 物体の加速度は、加えた力に比例し、その質量に反比例する.
第三法則(作用・反作用の法則)
 物体が互いに力を及ぼし合うときには、同一直線上で互いに逆向き・同一の大きさの力が働く.

こうですね。くだいて表現すると(私の物理授業での表現)

1:「力が加わらない場合、物体の運動状態は変わらない」
 止まっていたものは止まったまま。動いていたものは、そのまま真っすぐ等しい速さで進み続ける。
2:「力が加わると、物体の運動状態が変わる」
 止まっていたものが動きだしたり、真っすぐ等しい速さで動いていたものが、減速したり(止まったり)、加速したり、進む向きが変わったりする。
3:「力は単独では働かない」
 押せば押し返され、引けば引き返される。

少しは「砕けた」でしょうか。
さて、この第2法則を式で書くと{本当はベクトルですがここでは無視}
   F=ma
この式で力を定義することができるのです。
・定義:1[kg]の物体に作用して、1[m/s^2]の加速度を生じさせる力を1ニュートン(N)という。
{これが、毎日新聞の記事にあったものですね。}

・ kg、m、sはそれぞれ別個に独立に決めることのできる基本単位です。
それに対して、加速度という量は[m/s^2]という組立単位です。
これに質量がかかるので
力の単位は  [kg・m/s^2]
という組立単位で表されます。
ただ、国際単位系でも力には「ニュートン(N)」という固有の名前を与えることが認められています。

・圧力というものは、力そのものではなく、単位面積にかかる力という量です。
同じ力で押しても、押す面積が小さければ圧力は大きくなり、面積が大きければ圧力は小さくなるのですね。
そこで
1Nの力が1m^2に及ぼされる時の圧力を「1パスカル(Pa)」と決めました。
基本単位で表すと圧力の単位は
   [N/m^2]=[(kg・m/s^2)/m^2]=[kg/(m・s^2)]
という見慣れぬ組立単位になりますがこれでいいのです。
ただ、ここでも「パスカル(Pa)」という固有の名前を与えることをSIでは認めていますので、圧力の単位はPaだといっていいのです。

●ここまでを前提として前回の議論に入れるというのが正式な道筋ですが、めんどくさいですものね。
9.8N≒10N=1kgf
1N≒0.1kgf

こういう換算で身近なキログラム重(kgf)に引き寄せて考える方が楽でしょう。

そうすると、1Pa=1N/m^2=0.1kgf/m^2

1気圧=1013hPa=101300Pa/m^2=10130kgf/m^2

何と、1平方メートルに10トンですよ。1気圧ってすごいんですね。

今のところ一番強かった空振の圧力が458Paですから
   458Pa=45.8kgf/m^2
だったのですね。

気圧単位で話すと
1気圧=101300Paから
   458Pa≒0.005気圧
ということになります。
これでガラスが割れるんですね。

●ところで、昨日(2/2)の夜のNHKニュースだったと思いますが、新燃岳の爆発の瞬間に、山頂から「衝撃波」が広がって行く映像が見られました。
噴火口から瞬間的に音速をこえる速さで噴火が起きるんですね。音速をこえると衝撃波が発生します。
そこでは空気が圧縮され密度が高まり、屈折率が変わるので、無色透明な空気のなかでも爆発の鋭い衝撃波面は見えるのです。

爆発直後はこの衝撃波面はすごく密で、鋭いものですが、広がって行くとエネルギーを失って広がり、速度も落ち、やがて「大きな音」になります。

2月1日の4回目の爆発的な噴火を知らせるNHKのニュースで確かこういっていました。

「爆発的噴火から22秒後、火口から8km離れた地点のカメラが衝撃波で揺れました。」

   8000m/22s=363.6m/s

ですね。
普通、音速は340m/s っていいませんか?
気温15℃で約340m/s です。
気温は15℃よりは低かったでしょうから、この時の340m/s弱だと思われます。

空振=衝撃波が音速を超えていた、ということが実感できましたでしょうか。

●超音速ジェット機が超音速のまま低空を飛行しますと、衝撃波面が超音速で地面を横切って行きます。すると、地上の人は「爆発音」を聞き、家のガラスなどが割れたりします。これをsonic boom(ソニック・ブーム)といいます。

今回の爆発的噴火でガラスが割れた事故は、火山爆発の超音速の衝撃波による破壊的なソニック・ブーム現象であった、といえると思います。

まだこれからも起きるかもしれません。ガラスをテープで補強して、たとえ割れても飛散しないようにするなどの対策が必要ですね。

2011年2月 2日 (水)

新燃岳

●宮崎、鹿児島県境の霧島連山・新燃岳での噴火が続いています。毎日ニュースが入ってきますが、その中で、ちょっと理科的に解説した方がいいかな、と思われることがありますので取り上げてみました。

空振(くうしん)」です。
一般的な解説としてはウィキペディアがあります。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A9%BA%E6%8C%AF

空振(くうしん)は、火山の噴火などに伴って発生する空気の振動のうち、人間の耳で直接聞くことが難しいもの。人間の耳に聞こえる振動は爆発音と呼ばれる。
火山が爆発的な噴火を起こすとき、火口において急激な気圧変化による空気の振動が発生し衝撃波となって空気中を伝播することがある。火口から離れるに従って減衰し音波となるが、瞬間的な低周波音であるため人間の耳で直接聞くことは難しい。空振が通過する際に建物の窓や壁を揺らし、窓ガラスが破損するなどの被害が発生することもある。

今日のニュースでは

新燃岳、続く爆発的噴火 発生の頻度高まる(アサヒ・コム 2011年2月2日11時7分)
 宮崎、鹿児島県境の霧島連山・新燃岳(しんもえだけ=1421メートル)で2日午前5時25分と同10時47分、爆発的噴火があった。1月27日に52年ぶりに発生して以降6、7回目。この噴火の約6時間前の1日午後11時19分には5回目の爆発的噴火もあった。1日に続き同日中に2度の発生となった。発生の頻度が高くなっており、気象台は引き続き、噴石などに注意を呼びかけている。
 福岡管区気象台などによると、いずれの噴火でも、火砕流は確認されていないという。5、6回目の噴煙は火口から2千メートル上空に上がって雲に入り、火山が爆発したときに噴火の衝撃波が空気に伝わる「空振(くうしん)」も確認されたが、被害の報告はないという。
気象台によると、空振の大きさは新燃岳から南西約3キロの湯之野観測点で5回目のものが185.5パスカル6回目が299.6パスカル7回目が86.5パスカルだった。
これまで最も大きかったのは1日早朝に確認された4回目の爆発的噴火で起きた空振の458パスカル。この空振では、降灰被害などが少なかった新燃岳から南西側約5キロにある鹿児島県霧島市の病院やホテルなどで約300枚のガラスが割れるなどの被害が出た。

聞くことはできないけれど、空気の振動であるはずですが、「パスカル」という単位で強さが示されていますね。パスカルってどこかで聞きませんか?そう、気象情報で、気圧の単位として「ヘクトパスカル」という言葉をよく聞きますね。

空振という空気の振動が気圧と同じような単位で示されていますね。
爆発というのは「急激な体積の膨張」ですから、接していた空気は爆発の際に「圧縮」されるんですね。それが波として伝わってくる。そして、物体に当たると、その物体を押すんですね。そうすると、物体には圧力がかかる。ですから、空振を圧力の単位ではかることができるのです。
音だって、振動するものが空気を押したり引いたりして、その圧力変動が波として伝わってきて、音が当たった物体に圧力を及ぼすのです。ですから、空気の圧力で耳の鼓膜は押したり引いたりされて、音が聞こえるのですね。
じゃあ、音もパスカル単位で測れるの?
そうなんですね。音圧といって、音の強さも圧力単位のパスカルで測れるのです。

●まず、パスカルって何だ?から。
定義としては
Pascal
1パスカル(Pa)は、1平方メートルの面積に1ニュートン(N)の力がかかっている、という圧力です。
まだピンときませんね。ニュートン(N)ね。
Kgf
1kgの物体を地球が引っ張る力が9.8N(約10N)です。なんとなくイメージがわきましたか。
1m四方の板の上に1kgの物体が載っていると9.8Paなんですね。
Pa2kgf
逆にいって、1Paはというと、1m四方の板に100gのおもりが乗っている程度ですので、ずいぶん小さな単位なんですね。

●さてそうすると、4回目の爆発の空振は458Paだったということですから
458pa
1m四方の板の上に46.7kgの物体が乗っているのと同じということになります。
これだと、ガラスが割れますね。
体重50kg弱の人が1m四方のガラスに乗ったら、強化ガラスでなければ、割れそうですね。
実際に、ガラスが割れてけが人が出ました。300枚ものガラスが割れたとあります。
さもありなん。
いかがでしょう?空振の強さが実感できましたでしょうか?
大ざっぱな話、パスカルで表示された数値を10で割ると、1メートル四方に乗った物体の重さのキログラムでの数値になります。(大ざっぱにですよ)
458÷10≒46 でしょ。

5回目が約20kg、6回目が約30kg、7回目が約9kgと見積もると、ガラスは何とか耐えられるかもな、と思えます。(1平方メートルにね)。

ニュースを聞く時の参考にして下さい。

●1気圧って?
Atm
1気圧は101325Paです。
これを、1013.25×100Paと変形します。
キロとかセンチとかミリとかメガとかギガとかいう接頭辞をご存知でしょう。
ヘクト(h)という接頭辞は「100」を表します。
そこで、1013.25×100Pa=10313.25hPa
となるのですね。
普通、キロ、メガ、ギガ、テラと1000倍ずつで接頭辞を変えているのに、なんでここでは100倍のヘクトが出てくるのかな?
実は、昔は気圧をミリバール(mb)という単位で測っていたんですね。バールはcm、gなどを使ってあらわした圧力単位でした。それが現在のSIという単位系になった時、パスカルが標準になったのですけれど、気圧の数値を変えたくなかったんですね。
1気圧=1013mbだったので、数値が変わらないように
1気圧=1013hPaにしたのです。

{気象を離れて、自然科学的には、1気圧は0.101325MPa(メガパスカル)として扱うことが一般的です。}

●ところで音もパスカルで測れるんですか?
そうなんですね。
音も物体に圧力を及ぼしますので、当然その圧力はパスカルで測れるんですね。
とはいっても、音が及ぼす圧力は小さい。鼓膜が揺れる程度。
通常の会話の音声で桁として100分の1パスカル程度です。
空振で記録されている100パスカルの桁になると、もう、人間が音として聞くことのできる限界の圧力になります。鼓膜が破れますね。
Onatu
理科年表から表を作ってみました。
ジェット機の騒音で10パスカルの桁ですものね、想像がつくでしょう。

●朝日新聞の鹿児島版にこういう記事がありました

「爆発音 けた違い」 空振被害の霧島(2011年02月01日)
大きな爆発音と空振が朝の温泉街を襲った。新燃岳が活発化して4回目の爆発的噴火。1日、火口からほど近い霧島市の山あいの地区では公共施設やホテル、民家などで相次いで窓ガラスが割れ、一連の噴火活動による直接の影響で初めてのけが人も出た。住民は驚きと不安を口にした。
 新燃岳火口から約11キロ離れた霧島市霧島田口にある霧島市霧島総合支所では、1階の窓ガラスが1枚割れた。
 近くにある霧島公民館では1階の会議室や和室などの窓ガラス3枚が割れ、トイレの1枚にひびが入った。霧島公民館に勤める嘱託職員の西さんは出勤前に自宅で爆発音を聞いた。「これまでとは、けた違いに大きな音でびっくりした」
 そばの美容院でも縦1・5メートル、横1メートルの窓ガラス2枚が割れた。経営者の小園さんは「こんなに大きな音は初めて。今後のことを考えると怖い」と顔をこわばらせた。
・・・後略

まさしく、通常聞く音とは「音圧」の「桁」が違うのですね。
こういう時は数値そのものより、「桁」で物を考える習慣をつけると、かえって分かりやすいんですよ。

いかがでしたでしょうか?

非情

2011.1.31付 朝日俳壇より
朽ちるまで立たせておかむ枯鶏頭:(岩手県大槌町)祝田幸治
 長谷川櫂評:「立たせておく」とは非情だが、鶏頭という直立する植物にはふさわしい最期。鶏頭への情の句。

にこごりになりそこねたる鮒飼はる:(多久市)松枝さよ子
 長谷川櫂評:これもやや非情な句。しかしながら、鮒の身にしてみれば、煮られる運命をのがれたことになる。

別に「非情」とも思いませんが、私は。
花が咲いたら枯れて倒れるまで愛でてあげるのが「情」というものでしょう。
私に言わせれば、花の時だけ、やいのやいの、美しいといって愛でて、花の時期を過ぎればさっさと切り捨てる方がよほど非情ですね。

鮒の方は。飼うことになった鮒との対話ですね。
おまえ、煮られて煮凝りができるはずだったんだぞ、惜しかったな。
とまあ、非情とはいいかねますね。
不思議な「友情」のようなものと言っていいのでは?

しかしまぁ、飼育した鮒は食えません。情が移ってしまったというのもあるけれど、ギトギトに脂がついてしまうと思うんですよ。要するに運動不足でね。
鯉だって運動不足の鯉は脂臭くってだめです。
皇居のお濠で釣ったという鯉を頂いて、捌いて食べたことがありますが(子どもの頃)、いやあ、すっごい脂だった、辟易しましたっけ。
子どもの頃、死んだ金魚を解剖したことがあります。とんでもない脂で、メスもピンセットも、ギトギトになったけな。

季節の花300というサイトでケイトウの「(花のあと)冬枯れ 」という写真を見つけました。
http://www.hana300.com/keitou1.html
よろしければどうぞ。

ねこじやらし

2011.1.31付 朝日俳壇より
猫の相手できぬほど枯れねこじやらし:(東大和市)本田久子

0201nekojarasi
枯れたネコジャラシです。
実はほとんど落ちてしまっています。
チクチク感が強いですね。
猫の相手をさせるには、もうしなやかさを失ったといえましょう。

今日は2月2日。
2月22日だと「にゃんにゃんにゃん」で猫の日なのですが、声が一つ足りないな。
「子」猫の日ということにしておきましょうか。

女郎蜘蛛

2011.1.31付 朝日俳壇より
空つ風荒ぶ日生くる女郎蜘蛛:(磐田市)深田茂夫

「生くる」というのが適当かどうかは分かりません。
死なずにいる、という方が適切かもしれない、とも思うのです。
餌の昆虫もいないのですが、代謝速度が極端に低下しているおかげで、何も食べなくても死なずにいる。
網に脚をかけていることにはエネルギーは要らない。
ですから、死なずにいますよ、ということなのではないかな。
おそらく、風とか雨で一度網から落ちたら、そのまま動けずに死ぬことでしょう。

でも、冬に耐えている虫たちを見ると励まされますね。

死んではいません。生きています。

と語りかけてくるのかもしれませんね。

古墳の如き頭

2011.1.31付 朝日俳壇より
お正月古墳の如き頭して:(野洲市)鈴木幸江
 金子兜太評:古墳の喩えに、妙に居直った鬱屈感がある。

私の場合は、ちょっと吹き出して笑ってしまった、というのが実感。
「古墳のような頭」って、一体どんな頭なんでしょうね。
昔、母は、大晦日のことを片付けてから、美容院へ行って「暴れ髪」をきちんとしたりしてましたっけ。でも、正月は正月でまた大忙し。また「髪振り乱して」になってしまったり。
鬱屈感というより、なんて頭だろうね、これ。せっかく年末にきれいにしたのにね、という(自虐的)苦笑いのような気もするんですが。
ひどい頭になっちゃって、と。

いかがでしょう。

とぐろの芯

2011.1.31付 朝日俳壇より
冬眠のとぐろの芯を夢といふ:(松江市)三方元
 金子兜太評:とぐろは蛇と限定しない。冬眠の生きものたち。何かを見ている。それを夢と言っておきたい。

金子先生に噛みつくのは恐れ多いけど、やっぱり基本は蛇でしょう。と、思うんですが。
昆虫や哺乳類では「とぐろ」とはいいにくいように思いますが。

とぐろ【塒・蜷局】
蛇などが体を渦巻状に巻くこと。また、その巻いた状態。[広辞苑第五版]

戯れていいですか?
坪内稔典さんの句に
    たんぽぽのぽぽのあたりが火事ですよ
という大好きな句がありますが、これをまねて

とうみんの とう のあたりに夢のあり : かかし

これだと、虫でも、クマでもヤマネでも通用しそうだな、っと。
遊び過ぎか、ごめんなさい。

いくらでも眠れる

2011.1.31付 朝日俳壇より
いくらでも眠れる風邪であるらしく:(茅ケ崎市)川村敏夫

確かに。風邪をひいたり、何か体に不調を抱えた時というのは、自分でもあきれるほど眠れますね。やはり、体内での病因との闘いが、そうさせるのでしょう。
眠れる限り眠って下さい。
体内の「声」に耳を傾けながら、ぐっすりと。
眠れなくなってきたら、治ってきたということです。

もう二十歳

2011.1.31付 朝日俳壇より
遺児のもう二十歳となるや春著着て:(尼崎市)ほりもとちか
 稲畑汀子評:匂うような二十歳の春著姿がいとおしい。

もちろん阪神・淡路大震災の遺児、ということですよね。
1995年1月17日でした。
当時5歳だった女の子が成人を迎えた。
ご家族の安否など、気にかかることです。
それを背負っての「春着」ですから、普通の華やぎとは違うものがある。
生きてください。みんなのために。

竜巻の気配

2011.1.31付 朝日俳壇より
竜巻の気配の沖や冬怒涛:(浜田市)田中静龍
 稲畑汀子評:沖は冬の怒涛が渦巻く大荒れである。さらに竜巻の気配まで見える。日本海の冬が描けた秀句。

実際の竜巻というものを見たことはないのです。ニュースなどの映像でしか知らないのですけど。
真っ黒な雲の雲底が低く垂れさがり、今にもそこから漏斗状の竜巻が降りてきそうな気配だったのではないでしょうか、想像するに。

「気配」とは多分具体的に見えるものだった、と私は思いました。

雪浄土

2011.1.31付 朝日俳壇より
往きは漕ぎ還りは泳ぎ雪浄土:(さいたま市)川辺了
 稲畑汀子評:大雪が降り積もった町である。そこまで出かけるのにも難渋する。「往きは漕ぎ還りは泳ぎ」という表現が、臨場感を見事に伝えてくれる。

時間の経過を表してはいないか、と思うのですが。
行きは「漕ぐ」程度だったのが、帰りは更に降り積もり、「泳ぐ」ようにしか進めなかった、と。
短い滞在の間に、こんなに積もってしまった、という慨嘆と驚きも含めて。
この句での「漕ぐ」は、山の用語での「ラッセル」でしょうか。

ラッセル【russel】
(除雪装置を発明・創製した会社名による)
①ラッセル車の略。
②(登山用語) 深雪の際、身体で道をひらきながら進むこと。

こ・ぐ【漕ぐ】 他五 
①櫓や櫂カイなどで船を進める。万葉集1「玉藻刈る沖へは―・がじ」。平家物語12「汀―・ぐ船は波に揺られ」。「櫓を―・ぐ」「船を―・ぐ」(居眠りをする)
②深い雪や泥の中などをかきわけるようにして進む。義経記5「雪をば深く―・ぎたり」
③自転車やぶらんこなどを足を屈伸させて動かす。「自転車を―・ぐ」

ラッセルでは済まなくなって、雪の中を泳いで帰るというのは、いったいどんな積雪なのか。
想像に余ります。

私は雪・氷が完璧にダメ。
「またぐ」という動作は私にはない。
「すべる」という状況に対応する能力もない。
雪国には住むことのできない「身体」です。
雪国の障害者の方々、どうか、ご無事で。

2011年2月 1日 (火)

挨拶の前に

2011.1.31付 朝日歌壇より
挨拶の前にかならず息を吸うそのとき僕は「先生」になる:(河内長野市)小坂泰介

今はあまり昔のように、起立、礼、とかやらないのかもしれませんね。
なんだか軍隊的で、強制的で不快だ、とかいわれたのですね。
でも、なにか挨拶の言葉は授業の始めと終わりにやっているようです。
休み時間と授業時間をきちんと心理的に分けて、集中力を授業に向かせる、という心の作業は必要なんですよ。
そして、先生の側も、決して生徒に君臨するとかいうのではなく、気を引き締めて、生徒の顔を眺め渡して心理状態を把握し、さあ、授業だ、という心の準備態勢を整える必要はあるのです。
それは、若くても年齢を重ねても同じ。
挨拶の瞬間から、授業が「生き」始めるのです。
授業は生きもの、殺さないでおくれ、というのが私の言い続けたことでした。
生きものは二度と同じ繰り返しにはならない。一生教師を続けたって、同じ授業なんてできはしない。

さあ、今、ライブが始まる。
それが挨拶なんです。

そういうことって、小さいことのようでいて、大事なこと。
大切にしたいですね。

日なたの匂い

2011.1.31付 朝日歌壇より
真夜中に日なたの匂い寝床から干した布団と息子のあたま:(神戸市)小島梢

よい歌ですね。ほくほくした気分になります。
男の子が「日なたの匂い」というのは嬉しい。
日中、外で思いっきり日を浴びて遊んだのでしょう。
子は元気が何より。
日差しに干した布団にくるまれた、日なたのにおいのする息子。
これを幸せと言います。

楮晒し

2011.1.31付 朝日歌壇より
清水湧く川辺を笹をもて囲ひ素足に踏める寒の楮晒(かつさら):(埼玉県)澤野朋吉
 佐佐木幸綱評:伝統的な方法でおこなう和紙作りを、ドキュメントタッチでたんたんとうたう。ここは流水を使う晒し作業。埼玉県小川町の和紙だろうか。

「楮晒し」って「かつさらし」と読めるのかな、という疑問があります。
「楮」は「こうぞ」か「ちょ」ですよね。
で、検索してみたら
「桐生和紙」「MAGO工房」のサイトがありました。
http://homepage2.nifty.com/shin-tachibana/koutei6.html

楮蒸かし【カズフカシ】
楮煮【カズニ】
楮晒し【カズサァシ】

こういう名前の工程があるんですね。
「こうぞ」が「かず」になっているようです。
それが「かつさらし」になったのでしょうけれど、「かつさらし」はうまくヒットしませんでした。
文字から意味は完全に理解できるのですが、読みがなんだか私には確定できませんでした。
「かずさらし」の「ず」がきちんと発音されずに省略されて、「かっさらし」になったのではないでしょうか。歌の振り仮名でしたので「かっさらし」と書けず「かつさらし」になったのかな?という気もします。

さて、寒い中、川で「寒の楮晒し」はおそろしく寒く冷たい作業のような気もするのですが、ひょっとしてそれほどではないのかもしれないな、という気もします。
「清水湧く」とありますので、湧き水のそばなんですよね。
地下水というものは温かいものなのです。
以前、井戸水を使うことがあったのですが、夏は手が切れそうなほど冷たい。ところが冬は湯気が上がるほど温かいのです。温水器要らず。
地下水というものはその土地の年間平均気温に近い温度で少ししか上下しないんですね、ですから夏冷たく、冬は温かい。

湧き水のそばでの晒し作業は傍で見るほど冷たくはないのかもしれないと想像します。湧き水から離れてずっと下流にいくと、冷やされておっそろしく冷たくなりますよ、きっと。

長斧

2011.1.31付 朝日歌壇より
今年から長斧(ちょうな)始めは若棟梁まず一礼す桧丸太に:(渋川市)蓼科麟太郎

代替わりですね。長年の棟梁が、成長した息子かな、に棟梁の地位を譲って、誇らしげに長斧始めを見る側に回っている。そういう、シーンでしょうか。善哉善哉。

ちょうな【手斧】
(テヲノがテウノと転じ、さらに訛ったもの) 大工道具の一。平鑿ヒラノミを大きくしたような身に、直角に柄をつけた鍬形の斧。斧で削った後を平らにするのに用いる。ちょんな。
ちょうな‐はじめ【手斧初め】テウナ
①新年に大工が初めて仕事をする日の儀式。
②大工が家の建築にとりかかった初めの日に行う儀式。こづくりはじめ。おのはじめ。
[広辞苑第五版]

広辞苑では「手斧」が使われていました。
竹中工務店のサイトを見に行ったら、「釿」の字が使われていました。
http://www.takenaka.co.jp/daiku/chona/index.html

釿始め
釿は儀式にも用いられています。釿始め(ちょうなはじめ)と呼ばれる儀式は、起工式で行われる場合と新年の仕事始に行われる場合とがあります。
どちらも、曲尺と墨さしで式材に寸法を取り、墨壷で線を引き、釿で材木にはつるという一連の所作を神前に奉納し、工事の安全成就を祈願します。

こうして見ると、上掲の歌のちょうな始めは、おそらく新年の仕事始めですね。
一種の神事です。ですから、桧丸太に「おごそかに」一礼したのでしょう。

あの「ちょうな」という道具、危なっかしい道具でね、私には絶対使えません。確実に足を切りますね。ノコでもノミでも少しは使えますが、ちょうなは危ないよ。

ところで、「墨壷」ね、なつかしい。あれ面白くってねぇ、大工さんの仕事を飽きずに眺めたものです。壷から糸を引き出して、ピンと張って、ちょっと持ち上げてパチっとはじくと直線が描かれている。あんな優れた道具はそうざらにはないですね。
直線を描く、といったら普通は定規でしょ。糸を引っ張ったら直線になる、絶対曲線にはならない、というのは、当たり前のようでいて実際に道具として考案して使いこなすというのはすごいことです。

現代に、ちょっと変わった墨壷が生きているのをご存知ですか?
道路に白いペイントで歩道とか車線とか引くでしょ、あの時に墨壷の子孫が使われているんですよ。初めて見た時は感動してしまった。
白い粉の入った袋を通して、太めの糸を引き出すんですね。で、道路上でぴんと張っておいて、パチッとはじくと、一瞬で道路に真っすぐな線が描かれるんですね。それをなぞって、ローラーにペイントをつけて白線を引く。
あれは嬉しかった。こんな所に生きてるのか、と。
余談でした。

猫の寝息

2011.1.31付 朝日歌壇より
朝寝するわれの呼吸と腕に抱く猫の寝息が寸時重なる:(島田市)小田部雄次

何も言う必要なしですね。
ものすごい一瞬を描ききってますね。
生きるって、なんて素敵なことなんだろう。

哺乳類同士、という気もしますね。
相手が昆虫や爬虫類じゃこうはいかないものなぁ。

ぬくもりがたまりません。

食べ尽くし

2011.1.31付 朝日歌壇より
娘は膳のタカアシガニを食べ尽くし仕事始めの都市に戻りぬ:(浜松市)松井惠

親ってものは、一緒に生活していた時の「記憶」が固着してましてね。
あのこは、あれが好きだこれが好きだ、あれ食べさせたいこれ食べさせたい、って一生懸命になるんですよ。
で、子はまあ、親元だし、遠慮なくむしゃむしゃ食べて、気持ちよくのびのびして、あっさり、じゃあね、仕事仕事、と戻って行ってしまう。

子がそのように自立してのびのび生活しているということは何よりの親孝行なんだ、と分かってはいるんですが、やっぱりどこか、拍子抜けして寂しい。
それが親のつとめですね。

よいお子さんを育てられました。

かまきりの卵

2011.1.31付 朝日歌壇より
かまきりの卵触れればあたたかき手指かじかむ小寒の朝:(気仙沼市)畠山登美子

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これは、ハラビロカマキリの卵鞘ですが、イメージ喚起の手がかりにして下さい。

ところで、すぐ理に落ちるのが私の悪い癖。
卵鞘の中で、卵の発生は進行しているのだとは思いますが、そのことによる発熱は非常に小さなものでしょう。手で触れて「あたたかさ」を感じるほどには発熱していないと思います。
ほとんど外気温と同じ温度になっていると思うんです。

じゃあなぜ暖かさを感じるのか?
授業での会話風に。

教室の中の机や何かは、ずっと教室の中にあって、教室の室温と同じになっているはずだ。温度の異なる物体が接触していると、充分長い時間の後には必ず同じ温度になるのだから。
では、机の表面や、ノートに触ってみてほしい。
次に、机の脚の金属に触ってみてほしい。
どうかな?

金属の方が冷たいよ。

そう、木や紙より金属の方が冷たく感じるね、なぜだろう?

こういう授業もしましたね。
長時間室内にあった木・紙・金属は室温と同じ温度になります。所が実際のところ金属は冷たいはずです。お試しください。手近なところの衣服と時計とかね。

私たちの皮膚の温度感覚というものは、対象の物体の温度を温度計のように測定しているわけではないのです。もちろん熱い物体、冷たい物体と温度もわかりますけれどね。
それだけではなく、物体に触った時に、皮膚表面から物体へ流れ出る熱の量というか速さというか、をも感じているのです。

紙や木は熱を伝えにくい物質です。金属は熱を伝えやすい物質です。
例えば木や紙・金属が20℃、皮膚温が30℃だったとしますね。
この場合だと、木や紙・金属に触れると、皮膚から熱が逃げることになります。
木や紙は熱を伝えにくいので、接触点から他の場所へ熱が伝わりにくい=皮膚から熱が逃げにくいのですね。
ところが金属は熱をよく伝える。だから、皮膚からどんどん熱が逃げるわけです。
この、熱が逃げる、皮膚の熱が奪われた、というのを「冷たい」という感覚として認識するのです。
そこで、同じ温度であっても、金属は冷たく、木や紙は暖かい。

そして、熱を伝えにくい「泡で包まれた」カマキリの卵鞘は暖かいのです。

{逆に高温物体から熱が伝わってくる時も、熱を伝えやすい物体の方が熱く感じるはずですよ。}

2011.1.31付 朝日歌壇より
スマトラまで行きては帰るとふ鸇(さしば)地図を開きてその道辿る:(東京都)上田国博
 馬場あき子評:小型の鷹の一種さしばの渡りの道を確かめる。スマトラまで行くというそのはるかな空間に詩を感じているのだ。

さすがに 鸇 は辛い。「差羽」くらいじゃだめですか。詩は読めなければ始まらないから。
下のウィキペディアにサシバの渡りの解説があります。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%82%B7%E3%83%90

・本州の中部地方以北で繁殖したサシバは第1番目の集団渡来地、伊良湖岬を通り、別のサシバと合流して鹿児島県の佐多岬に集結する。
・大陸の高気圧が南西諸島に張り出し、風向きが北寄りに変化したときに南下飛行を開始する。
・第3の渡来地、徳之島で休息する。
・第4の渡来地、宮古群島で休息する。一部は沖縄本島、周辺の離島で休息する鳥もいる。
・第5の渡来地、台湾の満州郷で休息する。
・第6の渡来地、フィリッピンのバタン諸島で休息する。
・フィリッピン、インドネシアまで広がって越冬する。

伊良湖崎や佐多岬が有名ですね。円を描きながら上空へ上空へと登っていって、風に乗って集団で南下していく姿をテレビなんかで見ました。

鳥の渡りってすごいですよね。
キョクアジサシは1年のうちに北極圏と南極圏の間を往復しちゃうんですしね。
究極の飛行術ですよね。
あまり羽ばたかずに、気流に乗っていくのでしょう。
アホウドリだって北太平洋を自在に飛び回ってるしなぁ。

「ああ 人は 昔々 鳥だったのかもしれないね♪」って、もちろん本当ではないけれど、いい歌だったなぁ。私は加藤登紀子さんの歌ったのが好きだったなぁ。

厨に立ちて

2011.1.31付 朝日歌壇より
香港とスロバキアから来し嫁と厨に立ちて雑煮を作る:(アメリカ)大竹幾久子
 馬場あき子評:国際結婚も珍しくない時代だが、第一首は香港とスロバキアから来た嫁というのが楽しい。姑のてんやわんやぶりが想像されるのも面白い。

話はアメリカで、ですよね。アメリカの住宅のキッチンが「厨」でしょ。
息子さんたちのお連れ合いたちも国際的なら、おかあさまの住居も国際的。
いろんな言葉が飛び交い、でもコミュニケーションは成立する。英語を主にして女性たちのおしゃべりが展開しているのでしょう。
狭い民族的な壁なんか軽々と超えて、人間って、いいな、としみじみ思わせます。

受話器取る

2011.1.31付 朝日歌壇より
なんとなくそんな気がして受話器取る研究室に年を越す君:(加古川市)角田知美
 永田和宏評:若い頃の私にも覚えがあるが、研究室で越年、元旦から実験していたこともある。君を思い寂しくも、少し誇らかな気持ちか。

誰からかかってくる電話でも呼び出し音に差があるわけではないのだけれど、恋するものにとっては、あ、このベル、彼だわ、ということが分かるのですね。恋は超能力?

ただね、何となく、古風ですね、という気分もある。
私はよく知らないけれど、相手によって着メロを変えられるんでしょ、最近の携帯電話は。

古風な恋の成就を祈ります。

はるのゆめ

2011.1.31付 朝日歌壇より
ねんころりあめゆきふるふるつちのしたはるのゆめみるくさばなのたね:(横浜市)秋鹿素子

少々読みにくいけれど、ひらがなのもつ「まるさ」「やわらかさ」が生きていますね。ふんわり。ふっくら。

ただ、私のような虫好き人間としましては、いろいろな虫さんたちの卵も土の中で眠っているし、落ち葉の布団の下で、代謝を抑えて春を待つ虫もいっぱいで、そっちの方にもどうしても意識が向いてしまうのでした。

キス

2011.1.31付 朝日歌壇より
マーキングするのだとぬれたキスをするあなた私の何を知ってて?:(鹿沼市)星野恵子

いや、なんにもいえないんですけど。
私の語彙ではマーキングって、犬や猫が縄張り宣言のために、おしっこひっかけて「ここはおれのテリトリーだ!」と宣言する、あの行為と理解しているのですが・・・。

わぁ、どういう二人なんだ?混乱しています。

{街に落書きするのは、ヒトという「サル」の若いオスの、テリトリーの主張なんだという見方もできるそうですね。}

日記

2011.1.31付 朝日歌壇より
十年を五年に更(か)へて日記買ふともども喜寿を迎へたるけふ:(鹿児島県)押 勇次
 高野公彦評:人生を見つめて静かにいきる夫婦の姿。

短いスペースで評を書くのは大変なことだとは察しますが、十年連用日記を五年連用日記に「かえた」というのが大きなポイントだと思うんですよ。
御夫婦共に数えで七十七。そのことはめでたい、うれしい。しかし、自分たちに「10年先」というものが見えにくくなってきた。せめてはまず「5年」を目標にして生きていこうな、と。
その先にまた「5年」が来るかもしれないが、だんだん先の見えにくい歳へと向かうことよ、と。
若者はよく将来が見えないといいますが、老年もまた将来が見えなくなるのです。
いや、将来が見えると思っているのは実は錯覚で、人生というものは常に「将来のみえないもの」なのではないでしょうか。
人は純粋な偶然、には耐えられない、向き合えない。
だから「見えた」つもりになって生きていく。
でも歳を重ねたら、あんまりのうのうと先が見えるつもりになっていてはいけないな。
うっかり死ぬのは嫌だからな。必ず死ぬんだからして、ちゃんと死にたいよな。

実は私も5年連用日記というのに毎日2,3行メモを書いています。今年、4冊目に入りました。
最初の一冊の書き出しは確か、この一冊が終わるまでに自分の人生は全く変わっているはずだ、というようなことを書いた。50歳で退職するつもりでいたからなんです。実際には51歳まで勤めましたが、確かにこの一冊の中に、その変化が書きこまれています。
51歳で勧奨退職。定年退職と違って退職手続きを自分でしなければならない。自分で自分の首を絞めているような感じだ、と書いた覚えがあります。

何冊目かの冒頭には。5年連用日記をまた書き始めてしまった、5年先まで生きているつもりなんだろうか私は、傲慢なことだ。・・・みたいなことを書いたな。まだ生きてるけど。

そういうタイプの人間なんで、年末の天声人語の記事にはちょっと疑問を感じたものです。

天声人語:古暦から初暦へ(2010/12/31)

 机の脇に掛けたカレンダーを外して、新年用に替えた。1年間、眺め、眺められて小欄を書いてきた。良い日があり、さえない日があった。いちいちを本人以上に記憶しているかも知れない。未来から過去に流れた365日をとどめて、古暦(ふるごよみ)は少しやつれた風情で役目を終える。
 この季節、文房具店は暦と手帳、それに日記が売り場を広く占領する。年あらたまる候は、せわしない日頃より長めのイメージで「時」を思う時節でもあろう。〈ためらはず十年日記求めけり〉水原春郎。
 3年、5年と使える連用日記は根強い人気があるそうだ。中高年には息災を願う座右の「お守り」でもあろうか。〈三年連用を新しく買うごとに、無事にこの一冊を書き終わりたいと願っていた〉。作家の吉屋信子が随筆に書いている。
・・・後略

「座右のお守り」なんかじゃないですよ。朽ち倒れていく「樹木」の記録です。
「我かく倒れたり」とね。

「声」という投書欄にも、10年日記にわくわくする、というような投書が載っていましたが、やっぱり違和感を感じてしまった。
昔、子育て中、科学万博でしたか、10年後の自分への手紙のような催しがあった。
私は参加しなかったしさせなかった。
10年後、生きているかどうかなんて、わかりはしない。
とてつもなく辛い思いをすることだってあるんだよ、と。

そういう親ではありました。

立往生の

2011.1.31付 朝日歌壇より
立往生の車の人にトイレ貸しむすび差し出す琴浦町民:(鳥取県)中村麗子
 高野公彦評:先ごろ大雪で多くの車が立ち往生した。地元の人々がおのずから起こした行動がこれ。作者自身この琴浦町の住民。

私の世代だと「三八豪雪」という昭和38年の豪雪を思い出しました。
急行が106時間も遅れて、炊き出しなんかが行われましたっけ。

今回の年末年始の鳥取の豪雪に関してこんな記事もありました。部分的に引用します。
2011年1月9日付 朝日新聞「五線譜」から

 日本海を望む鳥取県琴浦町で看板工房を営む祇園さん(79)は、いつもと同じ午前6時前に目を覚ました。夜明け前、窓の外はまだ暗い。大みそかから降り続いた雪は、もう腰の高さまで積もっていた。
 「ずいぶん降ったもんだ」。近くの米子市では1日午前5時に観測史上最高の89センチの積雪を記録した。雪の多い山陰でも、海沿いでこんなに積もるのは初めてだ。身震いをして石油ストーブに火を入れた、その時だった。
 トントントン。入り口のサッシをたたく音がする。開けると、50歳くらいの女性が真っ青な顔で立っていた。
 「すみませんが、トイレを貸してもらえませんか」
 聞けば、路地の50メートルほど先にある国道9号で、車が立ち往生しているという。ポツリとともった明かりを見つけ、すがる思いでひざ上までの雪の中を訪ねてきたのだ。
 「こらぁ大変だ」
 祇園さんは、見たこともない長い車列に驚いた。仕事場のトイレを、みんなに使ってもらおう。人口1万9千人の琴浦町の人たちにとって、いつもと違うお正月が始まった。
・・・
 仕事柄、祇園さん一家にとって看板作りはお手の物。1メートル四方の白いベニヤ板に赤いテープで「トイレ↑」と書いた看板をつくり、国道脇と自宅前に立てかけた。
 次々と人がやってきた。
 赤ちゃんを連れた若い女性は、ミルク用のお湯が欲しいと小さなポットを持ってやってきた。「寒かったろうに」。長男の忠志さんは毛布を持ち出し、お湯と一緒に手渡した。「ありがとうございます」。女性は何度も頭を下げて車に戻った。
・・・
 パン屋を営む小谷は・・・母に電話した。「ありったけの米を炊いてくれ」。公民館から大きな釜を二つ借り、自宅にあった1俵半の米を全部炊いた。
 近所の女性に役場に集まってもらっておにぎりをつくった。疲れをとってもらおうと、塩を少し多めにした。
 パンを運ぶトレーで、おにぎりを配り歩いた。汗だくになった。一度着替え、夕方までかけて配り終えた。「目の前に困ってる人がいたから……。お互い様じゃけね」
・・・

そこまでして、それでもなお

・・・
 祇園さんは、渋滞に気づくのが遅れたのを少し悔やんでいる。「昔は雪が降ればすぐに近所で雪かきを分担した。最近は行政に除雪車を頼むけれど、ふだん連絡を取り合っていれば、お前は米、お前は漬けものを用意しろ、ともっとうまく助け合えたかな」
・・・

人の「情」というものが心にしみて、目をうるませながら読んだ記事でした。

お互い様じゃけね

これ、今こそ、思い起こさなければならない言葉だと思うんですよ。

今日も凍りました

0201_1ice1 2011.2.1
今朝も池が凍りました。
都心の最低気温は氷点下ではないと思いますが、ようやく地面も冷え切ったのでしょう、昨日に続いての氷です。
0201_1ice2
コンデジでフラッシュを発光禁止にして反射光で撮影しています。
0201_1ice3
超ミニ「御神渡り」のような盛り上がりもありましたがうまく写らなかった。
ザンネン。

家の外壁近くのバケツの水は凍りませんでした。
家(という物体)からの放射熱があるのだと思います。

微妙な熱の影響ってあるんですよ。
広い駐車場に雪がうっすらつもったときに、街灯の下で光のあたる所だけ溶けるのが早くて地面が見えていた、というようなこともあります。
街灯の光に「熱」を感じることは人間にはないことですが、雪には熱と感じられたのですね。

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