納骨日
2010.12.27付 朝日歌壇より
納骨日母の骨箱抱へつつ厨居間など見せて回れり:(八王子市)瀧上裕幸
高野公彦評:遺骨となった母に、見慣れた台所や居間を見せて回る。最後の別れだ。
骨壷をしばらく家に置いたのでしょうか。いざ納骨に至って、生前生活していた台所や居間を見せてあげた。ということは、逆からみると、お墓に納めるということは、家を離れ、墓の中に閉じ込めることになるのだ、という無意識の意識、のようなものがあるのではないでしょうか。
私は実際、納骨に立ち会ったことはありますが、閉じこめる、という気持ちを強く味わいました。
母の時はごくわずかですが海へ散骨しました。
山や海への散骨でも、樹木葬でも、オープンに開いた自然の中の命の循環の中へ還してさしあげるのがいいと思うんですよ。閉じこめることにはならない。
御霊常に共にあり給う。
広々としていいと思うのですが。
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