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2010年12月 8日 (水)

文化の精髄

異星にも下着といふはあるらむかあるらめ文化の精髄なれば:山田富士郎

2010.12.5付の朝日新聞天声人語欄にこんな歌を見つけました。

[天声人語]方程式と異星人 2010/12/05 朝日新聞
 方程式にも色々あるが、「ドレーク方程式」というのをご存じだろうか。宇宙に知的生命のいそうな星がどれだけあるかを求める式で、カリフォルニア大教授だったドレーク氏が若いときに考えた。
 計算次第で幅が出るが、昔記事にしたとき、たしか全宇宙でざっと1万個ほどと教わった。結構あるな、などと思うなかれ。我々のいる銀河系だけで太陽のような恒星が2千億はある。そうした銀河が宇宙に約1千億という。大海で針一本を捜すようなもの、と言っても言い足りない。
 そんな奇跡でも起きたかと、米航空宇宙局(NASA)の「重大発表」を待った人もいたようだ。なにせ「宇宙生物学上の発見について」と題されていた。会見の前から「異星人の可能性」を報じた米国のテレビ局もあった。
 ふたを開けると、猛毒のヒ素を食べる細菌の発見だった。米国の湖で見つかった。なーんだ、と思うなかれ。生命に必須のリンの代わりにヒ素を食べる。それは「生命には水が必須」といった常識も覆しかねない発見なのだそうだ。
 つまり生命には、これまでの想定をはるかに超える柔軟性があるかもしれない。過酷な環境の星にも我々と異なるタイプの生命が存在する可能性がある、ということになるらしい。
 人類が「独りぼっち」ではない可能性が増したことになろうか。とともに、我々は何者か、という問いも深まりゆくように思われる。〈異星にも下着といふはあるらむかあるらめ文化の精髄なれば〉山田富士郎。パンツをはいたサルとして、夜空を仰いで思い巡らす。

いや、私は異星には下着はない可能性の方が大きいと思います。
複雑な化学反応系が「内と外」を仕切って存在し続ける、というような意味での「生命」の発生は、宇宙的な規模では多分必然的なことではないかと思っています。
その「個体」が、一から多へ、存在の形を変えることもおそらく、必然的に起こり得る。

では、人間が「衣服」を発明したのは必然だったのか?
地球上のヒトたちがそれぞれに衣服を発明したのは寒かったからでしょう。
毛を失ったから寒かったのです。
他の哺乳類たちは毛を保持して寒さに耐えてきた。
ヒトはなぜか、体毛を失った。
脳を巨大化させることに働いた遺伝子が、別の方向では体毛を失わせる方向に働いたのではないか、という説もあります。
体毛を失うと寒いので生存上の不利を招きますが、脳が大きくなって、火を使い、衣服を着、言葉によって集団生活が営めるようになった、ということのメリットの方が大きかったのではないでしょうか。
ヒトが衣服を発明したことに、生物的な必然性はないように思われます。

生命の発生、多細胞化、知性の発生、そのあたりには宇宙的な必然性があるかもしれません。
でも、衣服を着ることには必然性はないように思えるのですね。
衣服は決して「文化の精髄」ではないと、私は思っています。
たまたま体毛を失ったヒトという生物にとっては、衣服が必然となり文化となったのではあるでしょうが。

現実問題として、我々がパンツをはいたサルであること、これは認めます。

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