機械科教師
2010.12.6付 朝日歌壇より
分解して手入れして仕舞ふ扇風機機械科教師を父に育ちて:(仙台市)坂本捷子
馬場あき子評:機械科教師の父の習性がじつにユニークだ。
機械というものはな、単なる命のない金属の塊の道具じゃないんだぞ。
丹念に手入れして、丹精込めてやれば、それに応えて長く一緒に働いてくれるものなんだ。
幼い日々に、父のそばでそんな言葉でも聞きながら、夏の扇風機をしまう父の手さばきを見ていた。手の小さい方がこういうところは拭きやすい、とかいって、手伝わされた。
長じて、自分が扇風機をしまうにあたって、自分の手つきが、いつの間にかあの頃の父の手つきに似ているな、と感じてしまうようになった。
自分の中に生きている父。
そういう時間の流れ、人生の変転を読み込んでほしいなぁ、選者には。
「父の『習性』」だなんて。生きる哲学なんです。人の生き方を身をもって教えてくれたんです。
「親の背中を見て」とかいいますが、別に背中じゃなくてもいいんです。「手」で生き方を教わったんです。
それはまた、教師としての信念でもあったことでしょう。生徒たちも教師の生き方に育てられるのです。父上は工業高校の機械科の先生でいらした。とすれば、教師としての父が育てた生徒の方々も、きっとこういう風に、機械を大切にしながら使っていく、よい仕事をする人、がたくさん育ったに違いありません。派手派手しい仕事とは無縁でしょうが、地道な人育てをなさったはずです。
よい父親であり、すぐれた教師だったろうと、推察いたします。
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