救出される
2010.11.22付 朝日歌壇より
納豆をかきまぜながら見ておりぬ救出される人人人人:(香川県)薮内眞由美
佐佐木幸綱評:チリの鉱山落盤事故のテレビ報道と日本人の日常生活との対比。それぞれの人生の一場面が、一瞬だけ交錯する。
イラク戦争の時に強く言われたのでしたっけ、「茶の間で戦争の中継を見る」という事態。
情報伝達の手段が発達して、世界中の出来事がリアルタイムで見られるようになった。
人が死ぬ、その爆撃をテレビの生中継で見る。
今回は、命が助かる救出でしたが、出来事の本質はなんだか変わらないような気もする。
現代の日本では、何か「騒ぐ」ネタを探していますね。
騒ぎのための騒ぎに奔走している。
変ですよ。突っ走ってばかりで、騒いでばかりで、じっくりと事の本質へ沈潜しようとはしない。
上っ面ばかりだなぁ。
鉱山事故で、命が助かったのは確かに嬉しい。
でも、「感動、感動」ばかりでしたね。
一瞬の騒ぎのネタで日本では終わってしまった気がする。
ちょっとこのあたりで立ち止まってよく考えないと、日本の社会はすかすかになってしまうんじゃないか。
(政治だって騒ぎの一環みたいにされていますね。)
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