背広着る
2010.11.8付 朝日歌壇より
背広着る堅苦しさは嫌だったでも守られていたと知る今:(佐倉市)内山明彦{三}
この歌について、選者の佐佐木幸綱氏は、「就活の困難さがリアルに読める」という評を書いておられます。
私にとっては、あれっ?でした。
私は職を退いた人の歌ととったのです。
勤め人の間、背広を着て堅苦しかった、嫌だった、でも、あれはある種の「身分証明書」であって、また一首の「鎧」でもあった。
職を退いて背広を着ず、「私がなんであるか」を示す「肩書」もなく、「鎧」もなしに「むき出しの私」として社会にさらされる。背広と言うものの存在感をいまさらながらに知る。
というような感じで読んでから、評を読んで、あれっ?なのです。
「就活」の歌なんですか、これ。
背広を着ない学生から見ると、「背広を着る堅苦しさは嫌だった」。でも、あれは社会の「砦」だったのか。なんと堅固な砦であることか、ぶつかっては跳ね返されることよ。
なのですか。
分からなくなってしまった。投稿者の年齢を選者は知っているのでしょうね。とすれば、就活なんだろうなぁ。
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