安楽死
2010.10.18付 朝日歌壇より
安楽死をえらびたる夫(つま)われをみてかすかに笑みてさよなら言えり:(松山市)曽我部澄江
ここでの「安楽死」は、単に延命するだけの終末期医療を拒否した、という意味だと思います。意識のあるうちに「さよなら」を言って、機械的な延命をすることなく、自然に逝かれたのでしょう。
幸せなことだと、私は思います。
私の兄が逝った時もそのようなものでした。
◆朝日歌壇で「安楽死」という言葉を聞くと、ネーダーコールン靖子さんのことを思い出します。
オランダで、法的に認められた安楽死を選択なさいました。
息子さんは安楽死を選択した母親に、葬送の曲は何を流してほしいか、と聞いたそうです。
何を流して欲しいかと息子の吾に聞く 音楽のことらし吾が葬送の
1997年の秋のことでした。
2009.11.8付の朝日歌壇より
菜菜ちゃんがママになったとアテネから写真が届く「美菜(ミイナ)エレニ靖子」:(横浜市)宮本真基子
佐佐木幸綱 評:かつて本欄で活躍したオランダのネーダーコールン靖子さんの遺児を歌う。安楽死の歌が思い出される。
この日の朝日歌壇の下の記事にこんなことが書かれていました。
安楽死の詠み人 孫の名に「再生」
ここに一冊の本がある。ネーダーコールン靖子著『オランダは緑』(00年刊、ながらみ書房)。オランダで、がんと闘った10年の後97年、現地の法律が認める安楽死を選択、52年の生涯を閉じた人の遺歌句集だ。
朝日歌壇にも入選を重ねていた。本書所収の「座すことの叶う日再び来ることを祈りて入りし三たびのオペ室」は臨終を看取った知人が作歌ノートから筆写、ファクス投稿したうちの一首。選者全員が採り、共選の星印が四つついた。
さらに感銘深いのは、巻頭に付された96年撮影の家族の肖像だ。ソファに腰掛ける夫ロブさんと靖子さん。背後に立つ長男啓介さん、長女菜菜さん。この髪の長い美少女に女児が誕生、赤ちゃんの名前の中に靖子さんがよみがえったことを今日の歌壇・佐々木選の第10首に知る。没後10年余、遺族との連絡を保った歌友の存在に心打たれる。
高校生の頃に森鴎外の高瀬舟を読んで、安楽死について初歩的な考察を書いたことがあります。以来、ずっと忘れずにおります。
60歳を越して、死が近づく年齢となり、また考えております。
死ぬ時くらい自分の意志でちゃんと死にたい、と思っております。
人生に残る最後の大仕事は「ちゃんと死ぬこと」ですからね。
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