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2010年10月20日 (水)

詠み手と読み手

朝日歌壇・俳壇の下に多分担当記者の方が書いているのだろうというコラムがあります。
10月18日はこんな文章でした。

詠み手と読み手が17文字の中で共感(10/18)
 未曽有の猛暑だった今年の夏。残暑が続いた9月も終わり、季節は歩みを進めている。本日の朝日俳壇は、いちだんと秋が深まった。
 俳句は季語を入れるのが決まりだが、同じ季語でも、季節の中で味わいが変わってくる。たとえば「秋風」という季語は、初秋はさわやかに感じられるが、晩秋は寒さが身にしみ、寂しくなる。
 秋にまつわる季語は、なぜだかもの悲しい気分にさせる。間近に迫る冬を連想し、季節の変わり目を先取りするからだ。今年は猛暑のなかで秋の訪れを待望したから、特にそう感じるのだろう。
 同じように秋を詠んでも、その年々で、受け取り方が変わるのが俳句の面白さだ。季語をきっかけに、たった17文字の言葉の並びのなかで「詠み手」と「読み手」が共感する。そこから広がる世界を感じ取ろう。

正直な話、歌壇・俳壇欄のコラムとしては悲しい文章ですね。
内容がない。余韻もない。
芸術って、作者と鑑賞者が「作品」を介して向かい合うことによって成立するものでしょ。そもそもが。
今さら、
     「詠み手」と「読み手」が共感する。そこから広がる世界を感じ取ろう。
といわれてもなぁ。
今までどうしていたのですか?
困惑してしまいます。
もっと質の高い文章を読みたいなぁ。
と思う私でした。

{人を批判すると、その言葉はそのまま自分に向かってかえってくる、という真実を受け入れます。無内容な批判で申し訳ないです。}

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