息がたりない
http://yamada-kuebiko.cocolog-nifty.com/blog/2010/10/post-8160.html
これは10月5日に書いた私のブログ記事です↑
10月4日の朝日歌壇の永田和宏氏の「評」のなかに書きこまれていた「亡き妻」の歌を載せました。
亡き妻などとだうして言へやうてのひらが覚えてゐるよきみのてのひら
10月9日付けの朝日新聞「惜別」という欄に、河野裕子さんのことが載りました。
下にその記事を載せます。太字は私が施しました。
夫婦は互いに響き合っていた。
それを記すだけが、今、私になしうるすべてです。
それ以上、何も書けません。
いずれ、歌集のような形で公になるのでしょう。
全貌はその時に、みなさま各自でお読みください。
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[惜別] 歌人・河野裕子さん 最後の一首「息が足りない」:2010年10月9日
かわの・ゆうこ 8月12日死去
すさまじいまでの暑さの夏、歌をのこして逝った。
抗がん剤の投与をあきらめ、退院して京都市内の自宅に帰ったのが7月。食べられず、33キロまでやせた。モルヒネでもうろうとするなか、目をつぶったまま、ふいにつぶやきだす。五、七、五、七、七。指折って。何首も、何首も。
夫の歌人、永田和宏さん(63)ら家族が耳をすまし書き取った。
8月11日、朝から苦しい、苦しい、ともがいた。和宏さんが手を握ると少し眠った。目覚め、かすれ声でつむいだ。
< 手をのべてあなたとあなたに触れたきに息が足りないこの世の息が >。
最後の一首になった。
京都女子大在学中に角川短歌賞を受け、デビュー。学生の短歌同人誌の集まりで出会った和宏さんと25歳で結婚した。身ごもる女のからだを、夫や子どもとの暮らしをのびやかに歌い、現代女性歌人の先頭を歩いた。〈ブラウスの中まで明るき初夏の日にけぶれるごときわが乳房あり〉。受賞歴は枚挙にいとまがない。
「母はあけっぴろげで直感の人と思われるけれど、よく本を読み努力していた」と話す長男淳さん(37)も長女紅さん(35)も歌人になった。
2000年に乳がんを患い、手術。再発の不安を抱えて創作を続け8年。おととし、転移が見つかった。化学療法をしながら、昨年末出した第14歌集「葦舟(あしふね)」は死を見すえていた。
<一日に何度も笑ふ笑ひ声と笑ひ顔を君に残すため〉〈そこにとどまれ全身が癌ではないのだ夏陽背にせし影起きあがる>
「葦舟」のあとがきに、歌がなければ、たぶん私は病気に負けてしまっていただろう、と記していた。亡き後、ティッシュの空き箱にまで歌の断片が見つかった。愛用の三菱の2Bだろう鉛筆書きが、執念のごとく。
歌うことが生きることだった。
{写真}がんの転移がわかり、家族で「撮影会」をした。和宏さんと紅さんがレフ板を持ち、淳さんが撮った一枚=08年、京都市内
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