敬老の日
2010.9.27付 朝日俳壇より
無為に生き敬老の日のこそばゆき:(宮崎市)木原チハル
いや、私などは自分の人生、初めっから「有為」に生きたいとは思っていなかったところがありましてね。下の広辞苑の解説の「役に立つこと」という意味で。
ゆう‐い【有為】役に立つこと。才能のあること。「前途―の若者」
役に立つということを価値的に低く見るたちなんですよ。
役に立たないことこそ大事だと。役に立つなんて恥ずかしい、と。
まして、51歳で退職してもう10年以上になりますが、社会に役立ちたいとか、社会とのつながりを持ちたいとか、全然思ってないわけで。
独り、無為に生きられる限りを生きて、さっさとさようならをしたいなぁ、と思っているわけです。下の解説の③の意味でね、この「無為」は。そのほうが楽でいいでしょ。
む‐い【無為】
①自然のままで作為のないこと。老子で、道のあり方をいう。ぶい。平家物語5「尭舜―の化をうたひ」
②〔仏〕因縁によって生成されたものでないもの。生滅変化を離れた永遠の存在。特に、仏の涅槃、また、仏法者の生活、仏門を意味する。今昔物語集1「永く―を得て解脱の岸に至れり」。謡、高野物狂「此の身を捨てて―に入らば」 有為ウイ。
③何もしないでぶらぶらしていること。「―無策」「―に過ごす」
もし、①の境地に至り、②の境地にまで没入し、彼岸へ渡れたら、スゴイですけどね、そりゃ無理だこの凡俗には。
白桃や人は完熟なく老ゆる:(佐久市)楜澤一郎
まあ、幾つになっても、角っこの取れない人ですよ、私は。
完熟なんてお恥ずかしい。私がかんじゅくしちゃったら、それはもう、私とは言えませんね。
敢えて完熟を拒否しながら死んでいきたいものです。
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