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2010年9月28日 (火)

老眼

2010.9.27付 朝日歌壇より
老眼は時に優しき視力なり「ぼんやり」という安らぎも在る:(広島県府中市)内海恒子

目のいい方であられるらしいですね。
中学生の時にはもう近視で苦労していた私としては、「ぼんやりというやすらぎ」を覚えたことは正直、ないですね。

裸眼でぼんやり、眼鏡をかけてなんとか物を見てきたのが、今度は、近くもぼんやりだもんなぁ。眼鏡の使い分けが忙しい。

ぼんやりで苦労しますので、鮮明な視覚世界にほっとしますが。

むしろ、視覚世界の「ぼんやり」よりも、眼鏡をはずして、ふっと気力を抜いて、ぼんやりした時間を持つことができるようになった、という心理的な意味での「『ぼんやり』という安らぎ」ととらえたいですね。

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崩彦俳歌倉」カテゴリの記事

コメント

私は小六のとき眼鏡をかけました。自分の不摂生でそうなってしまったのですが、学校帰りに歩きながら本を読んだり(ド田舎だし、当時は車など通っていませんでした)暗いところでも読みましたね。もっと気をつければ良かったと後悔しています。歳の離れた兄(従兄弟ですが兄です)が東京へ呼んでくれて、眼鏡を買ってくれました。あの感激!まるで夜が明けたようで忘れられません!それ以来の付き合いですから50年近くなります。子供達はコンタクトを入れていますが私はちよっと怖いですね。先生は老眼もあるのですか。近眼が老眼になることもあるのですか。

視力と老眼は別の出来事なんですね。近視で老眼になると、少しだけ近視の度が弱くなるのは確かです。でも、老眼の本質は調節能力の低下なのです。水晶体が固くなってしまうんですよ。近くを見ようとすると、毛様体を緊張させて、水晶体の厚みを増す必要があるのですが、厚くなってくれないんですね。
遠くを見ていて、近くのものを見ようとするとなかなかピントが合わなくて苦労するようになってくるのです。遠くから飛んでくる蚊が叩きにくくなりますね。ピントが合わない。
現在は、車の運転には度の強めの眼鏡、日常生活は老眼鏡、虫などを見る時は、眼鏡をはずすと凸レンズを使っているみたいに近づける、という生活です。

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