おにあざみ
2010.9.12付 朝日歌壇より
おにあざみ、はりせんぼんと呼ばれつつああ三十年あなたと暮らす:(新潟市)太田千鶴子
高野公彦 評:ユーモラスな歌。ユーモアは人の心を和らげ、楽しくしてくれる。
確かに、ユーモラスです。でも、「人の心を和らげ、楽しくしてくれる」だけですか?
これ、夫への最高の賛辞なんじゃないですか?
そして、その妻たる自分も、少しくらい「大変だったのよ」と言ったってバチはあたらないでしょう、と笑っている。すごい妻もらってよかったでしょう、と笑っている。
夫婦愛というものです。
◆「昆虫からの贈りもの」宇尾淳子 著、蒼樹書房、1995年刊
こういう本がありましてね、女性の昆虫学者なんですが、「ゴキブリの女王」という尊称を奉られた、と自分でも笑っておられるスゴイ方。「天才的脳外科医・ゴキブリの」というのもあるそうで。
御夫君は物理学者でいらっしゃいました。
この著書のあとがきでこんなことを書いておられます。
・・・
かつて重篤の結核から奇蹟的によみがえった夫にとって、その後の人生は”もうけもの”の感が深かったらしい。・・・彼は建前抜きの本音だけを、内でも外でも押し通した信念の男であった。あれほどナンギで、かつ魅力的な人物は他にはいないであろう。
・・・
ぞくぞくしますね。「あれほどナンギで、かつ魅力的な人物は他にはいないであろう」これは考えられる限り最高の賛辞ですね。
私ゃ、半端にナンギな男だからなぁ。うらやましいや。
またこんなことも書いておられます。
・・・
人の一生に”対照区”はない。与えられた条件下で自分なりに力一杯生きた私は”幸せ者”と言えるだろう。
・・・
「対照区」というのは「コントロール」ともいって、ある条件を課した実験をする時に、その条件を課していない群をつくり、それとの対照で、その条件の効果を調べるという概念です。
薬が効くかどうか、というのも、必ず対照区がなければ認められません。対照区のない実験は、評価にも値しません。
つまり、「もし」その条件がなかったら、ということを知るのに必要なのです。
「人生に対照区はない」というのは、「人生には『もし』はない」ということです。
もしあの時これこれだったら、今の自分は違っていた、というようなことは単なる逃避でしかありません。これ、今、はやってると思いませんか?
もし「本当の自分」が現れたら、こんなものじゃない、とかね。
今この自分しか、本当の自分はないのにね。
私は中学生のころかなぁ、周囲からもしポリオにかかってなかったら、というような声をたくさん聞いて、反発し、僕は自分自身に対して「もし」は使わない、ポリオにかかったこの自分が自分だ、と、何かに書いたことがあったなぁ。
宇尾さんは、「もし」を一切言わず、力一杯生きた、「幸せだった」と言い切っておられます。
昆虫学者らしい「人生に対照区なし」という表現は、私の座右銘です。
最後にもう一つ。
岩波新書に「腸は考える」という名著があるんですが、その著者と共同研究をして、ヒドラもゴキブリもヒトも同じ仕組みを持っている、というすごい結論に達しましてね。
「昆虫の贈りもの」という本の表紙の絵は、ゴキブリとヒトが握手している絵なんです。
そして
「昆虫もヒトも生物学的大綱においては同じ」
という考えを述べておられます。
感動的ですね。ヒトとゴキブリは同じなんですよ。それは真実なんです。
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