楢山
2010.9.6付 朝日歌壇より
背負われて楢山行きし「おりん」かな背負う人なき百歳いずこ:(高槻市)奥本健一
高野公彦 評:かつては姥捨という哀しい悪習があったが、今では捨てにゆくのではなく、ただ放置する、という事実への嘆き。
直接的には、今年明らかになって現在問題になっている「長寿者の所在不明」問題でしょうね。
ただ、私自身、団塊の世代のど真ん中という世代から見ますと、私たちが年齢を重ねていった時、支え「背負って」くれる世代がものすごく少ない。
団塊を背負う世代なし、百歳など生きたくもなし。
ちょっと、観念的に拡大解釈してみました。
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