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2010年9月

2010年9月30日 (木)

ヒメジュウジナガカメムシ

0922_6himejuujinagakamemusi1 9月22日
ヒメジュウジナガカメムシです。
私にとっては初顔。
「ジュウジ」というのは「十字」でして、背中の橙色の模様の方に注目して下さい。黒を地、橙色を模様、です。
そうすると、橙色の十字というかX(エックス)字模様が見えませんか?
その十字模様が名前の由来のようです。
橙色を地として見て、黒を模様と見ると、胸の背面の黒と合わせて「ドクロ模様」だという見方もあるようです。
0922_6himejuujinagakamemusi2
ちょっとボケましたが、腹のほうまで橙色と黒の模様があるようですね。

警戒色でしょうかねぇ。おれはマズイぞ、食うなよ、というような。
とても目立つカメムシでした。

スズメガの幼虫

0922_2suzumega 9月22日
オーシャンブルーというアサガオのでかいやつの茎にいました。
スズメガの幼虫であることは間違いありません。尾角というのかな、尻尾がありますから。
で、オーシャンブルーという植物がどういうスズメガの食草になるのか、よくわかりません。
アサガオにはエビガラスズメが来ますが、この幼虫はどう見てもエビガラスズメではありません。
分からないまま、見失いました。
不審に思ったら、ついていた植物ごと捕って来て飼育するのが一番確実なんですが、そこまではどうも。

このあたりで、セスジスズメもの成虫も見ましたが、この幼虫セスジスズメでもないです。

さ、何になって飛んでくるか。是非大人になった姿を見せに来てくれると嬉しいですね。

ブチヒゲカメムシ

0921_8butihigekamemusi 9月21日
ルコウソウにブチヒゲカメムシがいました。ルコウソウって、意外と虫がつかないので、虫を見かけると珍しい気がしてしまいます。
「ブチヒゲ」カメムシなんだろうなぁ、などと考えつつ、触角を意識して撮影しました。

ぶち【斑・駁】いろいろの毛色のまじっているもの。まだら。「―の犬」[広辞苑第五版]

確かに「髭が斑」ではありますが。
体の両脇もまだらのような気もする。
で、こんなに毛むくじゃらだったっけ、というのが今回の感想。

0922_4butihigekamemusi
翌22日にはイノコヅチで見かけました。
やっぱりそうなんですね、毛むくじゃらなんだ。

これは私にとって新発見でした。

トホシクビボソハムシ

0921_6tohosikubibosohamusi1 9月21日
新顔ですね。ハムシだなというのは一目でわかります。
0921_6tohosikubibosohamusi2
触角などはこちらの方が見やすい。
一枚で特徴を全部把握しきるのは難しいですね。

さて、これは何というハムシか。
ハムシを調べていったら、トホシクビボソハムシのようです。

なんでぇ?ホシないじゃん。

それがですねぇ、無紋型というのがあるんですね。
http://members.jcom.home.ne.jp/fukumitu_mura/syu_k/koucyu4_.html
福光村昆虫記というサイトです。
ハムシのページですので、少し下の方へ見ていって下さい、出てきます。
紋の有るのと無いのと両方見られます。

クコが食草らしいのですが、我が家の近辺には無いと思うなぁ。
何を食べて育ったやら。
どこかから飛来したのでしょう。おいしい草のあるところを探してね。

ネコハエトリ

0921_5nekohaetori 9月21日
久しぶりの常連さん。
どうしてかな、ネコハエトリのメスは、ゆったりと被写体になってくれる。
オスは敏捷に逃げます。
ほかのハエトリグモもそんなに悠然とはしていない。
ネコハエトリのメスはこうやって、正面からご対面ショットが撮れます。
擬人化しやすい顔ですね。
賢者、という感じがしませんか?

ツマグロヒョウモン

0921_2tumagurohyoumon 9月21日
ツマグロヒョウモンの成虫をこのごろ見かけます。
この時は、休憩中を見つけました。
今、我が家の花はブッドレアくらいかな、大型昆虫向けは。
スミレ、パンジーの葉に注意することにしましょう。
産卵していってくれると楽しいんですけれどね。

アオスジアゲハ

0921_1aosuji 9月21日
朝見たら、蛹の色が変わってきています。
上の写真は昼ごろの写真。
成虫の体表面の色の準備にかかっているのですね。
こうなると速い。
0922_1aosuji 9月22日
もう朝見たら羽化していました。
蛹ってすごいものですね。

現在、アオスジアゲハやアゲハの飼育続行中。
ツマグロヒョウモンとかルリタテハとか産卵に来ないかな、と思っていますが、今のところまだです。

アリグモ

0920_3arigumo 9月20日
夏の間あまり見かけなかったアリグモです。
これはまだ幼体、成体の一歩手前くらいだと思います。
スマートでね、かわいかった。

ほとんど「アリ」です。
知らない方はまるっきり気づかないと思います。
アリの動作の「せわしなさ」と感じが違うなぁ、というようなところが、発見のポイント。
慣れれてくると、ん?おまえアリグモじゃない?と「見える」ようになってきます。
鑑識眼を養って下さい。結構身近にいますよ。

シロオビノメイガ

0920_2siroobinomeiga 9月20日
イノコヅチに止まるシロオビノメイガ。
結構敏感なガでしてね、なかなか近づけない。
気配を察して、飛び立ち、近くの木や草の「裏」に止まるんですね。
目で追って、あそこに止まったぞ、というのは分かっても、なかなか写真が撮れない。
やっかいなやつです。
この時は、落ち着いていたので、そっと接近して、一枚撮れました。
羽に「白帯」がありますね。そこで
白帯野螟蛾
ですね。
幼虫の食草は「ホウレンソウ、フダンソウ、ホウキグサ、アカザなど幅広い。」とありましたので、我が家の付近でも何か食べ物はあるのでしょう。

ヘクソカズラ

0919hekusokadura1 9月19日
腰の按配さえよければ毎週日曜に泳ぎに行くプール前。
ヘクソカズラが咲いていました。
0919hekusokadura2
横顔。
0919hekusokadura3
虫媒花だと思いますが、大きな虫には入ってほしくないのでしょうかねぇ。
毛でブロックしているように見えます。

しかしまあ、「ヘクソ」はかわいそうな名前ですね。
葉や茎をつぶすと成分が変化して「メルカプタン」という悪臭の揮発性の物質になり、匂うんですね。毒性があるので、植物が身を守るための装置でしょう。
お灸みたいだ、と、ヤイトバナという別名もあるようですが、これもポピュラーではないですね。

メルカプタンという名称は現在の化学の世界では正式名称ではありません。
「チオール」といいます。「R-SH」です。Rの部分はメチル基やエチル基やそういうもの。
-SHの「S」が「O」なら「-OH」でアルコールの仲間で、名前の語尾が「オール」になるんですね。で、そのイオウ版ということで「チオール」なんです。
ヘクソカズラから出るのが、正式に何なのかつかめませんが恐らく、Rがメチル基の「メタンチオール」ではないかな、と思っています。

0919hekusokadura4
青い実がついていました。
http://kitola.hp.infoseek.co.jp/dokusou/hekuso.html
このサイトによりますと
「完熟した果実の汁は手のひび割れに効く化粧水の材料にもなります。鳥も美味しそうに(?)食べますから危険な実ではないですね。」
とありました。
実が熟すと、今度は鳥などに食べてもらって、消化されないまま種が排泄されて生息域を広げようという戦略でしょうかね。

2010年9月29日 (水)

サルスベリ

0918_7sarusuberi1 9月18日
このサルスベリは去年かな、ご紹介しました。
紅白の花が咲くのでびっくりしたんです。
庭の中ですのであんまりじろじろ見ているわけにもいきませんが、白い花の咲く木と赤い花の咲く木を撚り合わせるように成長させてあるのです。一見すると一本の木なんですが、よく見ると二本です。
今回は、実がなっているようでしたので、失礼を承知でスナップ。
0918_7sarusuberi2
サルスベリの実なんか見かけると、頂いて播いてみたいと思ってしまうわけですが、そうもいきません。
http://www.geocities.jp/greensv88/jumoku-zz-sarusuberi.htm
樹木図鑑のサイトです。
「実は球形の蒴果。熟すと6裂し、翼のある種子が出てくる。」とありました。
わあ、見てみたい。翼のある種子ですって。カエデの実は知ってるけど、サルスベリのはどんなものなのか、興味津々ですね。

ゴーヤ

0918_6goya1 9月18日
ハイビスカスのお家のそば。
今年初めてグリーン・カーテンに挑戦なさいました。
ゴーヤが稔ってきています。
0918_6goya2
↑こちらが雄花。
0918_6goya3
↑こちらが雌花。

蘂だけでなく
0918_6goya4
花の後ろにミニ・ゴーヤがあるかどうかでも見分けられます。
実がなるって楽しいですよね。
「成り下がる」とかいって嫌う方もいらっしゃるようですが、私の価値観では「成り上がる」よりはよほど上品だと思いますが。

いえ、食欲が突っ張っているだけかもしれません。

ハイビスカス

0918_5hibiscus 9月18日
年ごとに栽培する花を変えてしまうお家も多いのですが、ここは毎年ハイビスカスを咲かせるお家。
いつも、この鮮烈な花を車で通りすがりに見ています。
モンパルを近くに止めて、大写しにさせてもらいました。
なんというのか、激しい色ですね。

ツクツクホウシ

0918_4tukutukuhousi 9月18日
モンパルを進めて、図書館の近く。
舗道の白い線の上に弱ったツクツクホウシ。
元気のいい時にはなかなか被写体になってくれないセミです。
メスですね。もう産卵は済ませたのでしょう。そう思いたい。
弱っているのでどうしようかな、と思ったのですが、自力でゆっくり歩いていて、もうすぐ土があって涼しい辺りまで行けそうだったので、見送りました。

ハナミズキ

0918_3hanamizuki1 9月18日
夏の間、あまりの暑さに怖れをなしてモンパル散歩をしませんでしたが、やっと日差しも落ち着いてきました。ただ今度は秋雨の季節。またしばらく出かけられないかも。
この日は、マルバルコウを見た後、ハナミズキの実はどうなったか、行ってみました。
大きなドラッグストアの駐車場に4,5本のハナミズキが植えられていて、間近に寄って観察できるポイントとしていい場所なんです。
みれば、根は地面に入っているとはいえ、やはり駐車場の焼かれた舗装面はものすごく暑かったんでしょうね。葉が焼けたようにちりちりになっていました。
中では被害の少ない、駐車場の端の方の木には実が熟していました。
1個だけ熟したものが多かったのですが
0918_3hanamizuki2
中にはこんな具合に、まとめて熟してきたものもありました。

これでやっと、ハナミズキの花から実までの姿をほぼ見る事が出来ました。
これを播く気にはさすがになりませんが・・・(播いちゃおか・・・)

植物にも辛い夏だったようです。

マルバルコウ

0918_1humei1 9月18日
モンパルに乗ってちょっとお散歩へ。
家を出てすぐ、線路際。
きれいな花に出会いました。
花の姿はルコウソウ。
0918_1humei2
ね、よく似ています。
でも葉の形が違う
0918_1humei3
アサガオやヒルガオの葉の形です。
困ってしまった。

ふと思い出したのが、アサガオが雑草化して、大豆の収穫の妨げになってきているという記事。(記事本体は後に載せます)。
で、その記事の中に「雑草化しているのは、熱帯アメリカなどを原産とするマルバアメリカアサガオ、ホシアサガオ、マルバルコウなどで、近年に渡来したものが多い」という記載がありました。
で、マルバルコウを検索してみたら大当たり!ですね。
http://had0.big.ous.ac.jp/plantsdic/angiospermae/dicotyledoneae/sympetalae/convolvulaceae/marubarukou/marubarukou.htm
このサイトから引用します

マルバルコウ Quamoclit coccinea L. (ヒルガオ科 サツマイモ属)
 マルバルコウは1年草のツル植物。熱帯アメリカ原産で、本州中部以南の各地に帰化している。ツルは他種に比べて太く、細いサツマイモのイメージがある。適潤~やや湿潤の富栄養な場所をこのみ、太い茎を伸ばして大きな群落を作る。花は1.5~1.8cmで小さく目立たないが、近寄ってみると朱色で美しい。
 和名は葉が羽状に裂けるルコウソウ(瑠紅草)と異なり、葉が丸いルコウソウとの意味である。マルバルコウもルコウソウと同様に古くから(嘉永年間)栽培された。

そうなんだ、私の直感も悪くはない。花の姿がルコウソウみたいだ、なんだかイモみたいな葉でもある、と思いましたもの。
丸葉縷紅」なんですねぇ。
きれいな花なのですが、被害が出ているとなると、困ってしまいますね。
管理下に置いて鑑賞すべきなのかな。

◆9月23日付の朝日新聞記事です。

大豆畑襲う、雑草アサガオ ツル巻き付き、成長妨げ 東海・九州で被害目立つ
 アサガオの仲間が雑草化して全国に広がっている。これから収穫期を迎える大豆畑では最近、大豆に覆いかぶさり、収穫が難しくなるなどの被害が出るようになった。特に東海や九州で被害が目立つ。放置されることも多く、農地周辺の生態系への悪影響も心配されている。
 雑草化しているのは、熱帯アメリカなどを原産とするマルバアメリカアサガオ、ホシアサガオ、マルバルコウなどで、近年に渡来したものが多い。夏から秋までだらだらと開花して、ツルが農作物に巻き付く。成長を妨げたり、コンバインに絡まって収穫に支障が出たりするなどの影響が出ている。
 昨年、中央農業総合研究センター(茨城県つくば市)がまとめた都道府県(九州を除く)へのアンケートによると、大豆栽培面積約5万ヘクタールのうち、3・3%の1613ヘクタールで雑草化が確認された。東海地方は25・8%にのぼった。愛知県独自の調査では、大豆栽培をしている25市町村すべてで発生が見られ、大豆畑の48・9%に侵入していた。温暖な気候を好むため、九州では2006年、07年の調査で、1~3割の大豆畑で見つかった。
 大豆畑には、堆肥(たいひ)を通じて持ち込まれたようだ。畜産飼料向けの輸入穀物にアサガオ類の種子が混入し、これを食べた家畜が未消化のまま糞(ふん)に出す。それが堆肥として農地にまかれ、さらに農業機械などを介して広がったと疑われている。ただ、畑以外でも雑草化しており、園芸用から広がった可能性もある。
 秋田県立大学の保田謙太郎准教授は「農地周辺では、在来のツル性植物と、生育場所の競合が起きている。ほかの在来植物にも覆いかぶさって成長を妨げる。今後は生態系への悪影響も心配だ」と話している。

つゆけし

2010.9.27付 朝日俳壇より
日本に朝日俳壇露けしや:(高崎市)山本春樹

露けしや握手するとき祈るとき:(昭島市)しもだたかし
 金子兜太評:下五で甘くなったが韻律から溢れるものあり。

広辞苑第五版より

つゆ‐け・し【露けし】 形ク 
①露が多い。湿気が多い。  秋 。源氏物語賢木「道の程、いと―・し」
②涙っぽい。源氏物語桐壺「見奉る人さへ―・き秋なり」

ごめんなさい、もう、鑑賞するも何も、「つゆけし」の意味が分からなくって。
お手上げになってしまいました。
広辞苑に出ている意味のほかに、なにかもっと別の意味があるのでしょうか?
ご教示下さい。

強か

2010.9.27付 朝日俳壇より
秋草となりし強かさを抜けり:(田川市)山田千恵女

タイトル、読めました?
私はこの作品を読んで、ずいぶん長く分からなかったんです。語彙、乏し。
ひょっとして「したたか」?かなと、広辞苑をひいたら「当たった」ぁ。
知識じゃなくて当てものですね、お恥ずかしい。

したたか【健か・強か】
①非常に強いさま。てごわいさま。「―な人物」
②いかめしいさま。しっかりしているさま。源氏物語末摘花「御歌も、…ことわり聞えて―にこそあれ」
③(副詞的にも用いる) 甚だしいこと。沢山。源氏物語初音「いと―なるみづからの祝ひごとどもかな」。「腰を―打った」「―に飲んだ」[広辞苑第五版]

「健か」もあるんですね。これはきっとだめだな、ゼッタイ「すこやか」としか読めないや。

夏草よりしぶとくなるんですか?秋になると。
草むしりってしたことがなくって。腰をかがめるのは全く駄目なもので。
実感がありません。

コオロギなどのためには、抜いた草をどこかに積んで、そのまま枯らしてやると、その下に入り込んで繁殖しますよ。むき出しの更地では繁殖できません。どうか、そのあたり、ご配慮を。
秋の虫さんのために。

帰燕

2010.9.27付 朝日俳壇より
あの子らも翔ちて帰燕となりしかな:(箕面市)菖蒲哲郎

「翔つ」というのは「たつ」でいいんですよね。「発つ」というような意味での造語でしょうか。
南へ飛翔して旅立っていく、ということで、「翔」を宛てた。

作者の家でかごく近所で、ツバメが子育てをした。成長する様子を楽しみに見守っていらっしゃったのでしょう。巣立ちして巣は空になった。
南へ渡るツバメたちをみると、あの中に「あの子」もいるのかなぁ、とひどく親しみがわく。
よくわかります。
私の場合はチョウの飼育。育てて羽化して放してやる。
チョウを見かけると、我が家から旅立ったやつかなぁ、などと見る目が違ってしまうんですね。

作者の目の温かさが句から伝わってきます。
また来年もおいでね。

2010.9.27付 朝日俳壇より
夕星のさそひ出したる虫しぐれ:(枚方市)石橋玲子
昼の虫集く裾野でありにけり:(伊万里市)田中南獄

実は、秋の虫さんたち、朝も多少は鳴いていますね。よく聞くと。
でもやっぱり、風情というやつがありますものね、夜のほうが。
秋の夜長を感じさせる。秋の涼しさを感じさせる。

昼の虫といった時には、日中の暑さを残す野原、でも夏とは違う草の香に埋もれた「虫の声」が、秋の深まりを告げます。
ところで、「すだく」という語彙はあったのですが、「集く」と直結しなくて、かなり長い時間、これ何て読むのかな、と考えてしまいました。おはずかしい。

すだ・く【集く】 自五 
①多く集まってさわぐ。万葉集11「葦鴨の―・く池水はふるとも」
②多く集まる。六百番歌合「―・きこし沢の蛍は影消えて」
③虫が集まって鳴く。閑吟集「人をまつむし秋に―・けど」[広辞苑第五版]

蝉の声は完全に絶えました。
先程、庭で、カネタタキのメスを見かけました。鳴かないメスです。どこかでオスの声がしていました。呼び寄せられていく途中だったでしょうか。
声なき鉦叩の腹は産卵へ向けて膨らみ、翅はないけれど、産卵管がありました。
秋が深まりゆきます。

敬老の日

2010.9.27付 朝日俳壇より
無為に生き敬老の日のこそばゆき:(宮崎市)木原チハル

いや、私などは自分の人生、初めっから「有為」に生きたいとは思っていなかったところがありましてね。下の広辞苑の解説の「役に立つこと」という意味で。

ゆう‐い【有為】役に立つこと。才能のあること。「前途―の若者」

役に立つということを価値的に低く見るたちなんですよ。
役に立たないことこそ大事だと。役に立つなんて恥ずかしい、と。
まして、51歳で退職してもう10年以上になりますが、社会に役立ちたいとか、社会とのつながりを持ちたいとか、全然思ってないわけで。
独り、無為に生きられる限りを生きて、さっさとさようならをしたいなぁ、と思っているわけです。下の解説の③の意味でね、この「無為」は。そのほうが楽でいいでしょ。

む‐い【無為】
①自然のままで作為のないこと。老子で、道のあり方をいう。ぶい。平家物語5「尭舜―の化をうたひ」
②〔仏〕因縁によって生成されたものでないもの。生滅変化を離れた永遠の存在。特に、仏の涅槃、また、仏法者の生活、仏門を意味する。今昔物語集1「永く―を得て解脱の岸に至れり」。謡、高野物狂「此の身を捨てて―に入らば」 有為ウイ。
③何もしないでぶらぶらしていること。「―無策」「―に過ごす」

もし、①の境地に至り、②の境地にまで没入し、彼岸へ渡れたら、スゴイですけどね、そりゃ無理だこの凡俗には。

白桃や人は完熟なく老ゆる:(佐久市)楜澤一郎

まあ、幾つになっても、角っこの取れない人ですよ、私は。
完熟なんてお恥ずかしい。私がかんじゅくしちゃったら、それはもう、私とは言えませんね。
敢えて完熟を拒否しながら死んでいきたいものです。

蓑虫

2010.9.27付 朝日俳壇より
蓑虫の糸一本もてひきこもる:(さいたま市)斉藤正美
 長谷川櫂評:「糸一本にたてこもる」ならもっとよかった。「ひきこもる」も「たてこもる」も同じようなものだが、気概に違いあり。

そう、「気概に違い」があります。だからこそ、詩人が「たてこもる」ではなく「ひきこもる」を選んだ場合、その選ばれた言葉に即した鑑賞を行うべきです。その意味の差は何か。一青窈さんの歌などもありますし、現代の「ひきこもり」には、「たてこもり」とは全く違う意味が発生している。そのくらい読みこんで下さいな。「『たてこもり』ならもっとよかった」なんて、ちょっといただけません。

たて‐こも・る【立て籠る・楯籠る】
 自五 
(古くはタテゴモル)
①戸などをしめきって、室内にこもる。平家物語3「ふすぼつたる持仏堂に―・り」
②城や要害にこもって防ぎ守る。籠城する。保元物語「謀叛をおこし、近江国甲賀山に―・り候ひしを」

ひき‐こも・る【引き籠る】
 自五 
退いて内にこもる。外に出ないで閉じこもる。ひっこもる。「家に―・る」

選者は「たてこもる」を②の意味で理解しているわけですよね。おそらく。
言葉のはらむ可能性についてもう少し深く論議してほしいな。

2010年9月28日 (火)

尻尾

2010.9.27付 朝日歌壇より
一度きり再生さるる尻尾にて青蜥蜴いま決断の時:(京都市)田畑益弘

そう、尻尾の自切は一度きり。
今がその時か?今はなんとか頑張り抜いて、もっと後に備えるべきか。

昔ですね。
朝日歌壇のあるところで、トカゲが尻尾を自切して逃げ去ったよ、という歌がありました。
で同じ日の歌壇の別のところに、尻尾が切れたばかりらしいトカゲが目の前を走っていったよ、という歌がありまして。
この二つの歌の作者のお住まいが、東北と関西だったかな、うろおぼえ、多分間違っていると思いますが、とにかく離れていた。
それを読んだ私、おお、これは同じトカゲがワープしたのに違いない、トカゲにはワープ能力があったのか、とひそかに喜んだものでした。昔のうろ覚えのお話でした。

蝦夷山椒魚

2010.9.27付 朝日歌壇より
校庭の池より二百匹の蝦夷山椒魚巣立ちていまは金魚が泳ぐ:(稚内市)藤林正則

うらやましいなぁ。エゾサンショウウオですか。200匹も。
私はサンショウウオは飼ったことがない。勤務校でアホロートルを飼ったことはありますが。
動物の飼育は子どもたちにとってかけがえのない経験になります。
ぜひ継続的に飼育して、毎年の記録を次の学年へとつないでいってください。
最高の理科教育になります。

◆最近仕入れた逸話を一つ。
松井正文 著「カエル――水辺の隣人」中公新書 1645

 ところで、両生類は爬虫類とともに、爬虫類両生類学という学問分野で研究されるのがふつうである。これら二つの動物群は、ともに下等脊椎動物、あるいは外(変)温性の四足動物として、古来、便宜的に一括して扱われてきた。
 (中略)
 蛇足ながら、ゴチャ混ぜ学――爬虫類両生類学の発端は、かの有名な分類学者リンネにあるように思う。彼は爬虫類や両生類が大嫌いで、よく見もせず嫌なものを一緒くたにした節があるのだ。

誰にでも苦手ってあるものなんですねぇ。

老眼

2010.9.27付 朝日歌壇より
老眼は時に優しき視力なり「ぼんやり」という安らぎも在る:(広島県府中市)内海恒子

目のいい方であられるらしいですね。
中学生の時にはもう近視で苦労していた私としては、「ぼんやりというやすらぎ」を覚えたことは正直、ないですね。

裸眼でぼんやり、眼鏡をかけてなんとか物を見てきたのが、今度は、近くもぼんやりだもんなぁ。眼鏡の使い分けが忙しい。

ぼんやりで苦労しますので、鮮明な視覚世界にほっとしますが。

むしろ、視覚世界の「ぼんやり」よりも、眼鏡をはずして、ふっと気力を抜いて、ぼんやりした時間を持つことができるようになった、という心理的な意味での「『ぼんやり』という安らぎ」ととらえたいですね。

秋刀魚

2010.9.27付 朝日歌壇より
赤銅色の男らの荒き息消えし秋刀魚を嘆く女川港:(石巻市)須藤徹郎
 馬場あき子評:女川漁港も赤銅色の肌をした猟(ママ)師の荒き息が聞こえる。

赤銅色の男らの荒き息 消えし秋刀魚を嘆く女川港

あえてスペースを入れればこうなるんでしょうね。
秋刀魚が消えたことを嘆いているのですね。
ちょっと、荒い息が消えたように誤解しました。お恥ずかしい。(文法的にも恥ずかしい誤解だ。)
で、書き間違いと、校正ミス、「猟師」はいけないんじゃないですか?「漁師」でしょ。

「ママ」と書いたのは校正用語です。
著者の原稿のままで、手直しをしていないという意味です。
誤字や誤用があったとしても、あえて訂正していないときに付ける印です。
「そのまま」の「ママ」です。
振り仮名ではないので「読まないでください」(見るだけ)

白杖

2010.9.27付 朝日歌壇より
男子生徒女子生徒に腕を借り登校の列白杖光る:(埼玉県)中川千草
 馬場あき子評:盲学生たちの心の通わせあいの姿の温かさが白杖のひかりにみえる。

その女子生徒は晴眼か、弱視の方でしょうか。その肘に、おそらく全盲の男子生徒が手を触れてガイドしてもらっている。

もし道で白杖を持った方が困っていらっしゃる時には、腕を引っ張ったりしないでくださいね。怖い思いをさせます。
肘に触れてもらうのがいい。そして、声で状況を告げるのがいい。
「腕を貸す」というよりは「腕に触れてもらう」と思って下さい。

それから、いまだに盲導犬を嫌う方がいらっしゃるようです。
よく訓練された穏やかな犬です。見守って下さい。
そして仕事中なんですから、むやみに声をかけたりさわったりしないでください。

仰向けに

2010.9.27付 朝日歌壇より
仰向けに死にたる蟬は望むこと全てかないて死にしと母言う:(佐世保市)近藤福代
 馬場あき子評:晩夏の蝉の死はさまざまの感慨や感傷を誘う。作者の母の世代の物の見方として、たくましくも、またかなわぬこと多い人生への裏返しの思いを見せているともいえるだろう。

いえ、昆虫好きとしてはどんな虫の死でも感慨を誘います。でも思い入れはありません。
生きて死ぬ。人といい、虫といい、何の違いもありません。
で、多くの虫は、死ぬと足を曲げて体の前に組んだようになりますので、腹を下にするのは不安定、たいていは仰向けに死にます。
理に落ちてしまいまして、スミマセン。

◆たまたま今日、東京新聞のサイトを見ていましたらこんな記事を見つけました。
東京新聞(2010年9月27日)

<人には聞けない>あおむけに死ぬセミ
<Q> セミはなぜひっくり返って死ぬのですか(名古屋市、小学生)。あおむけで死んでいるのは大抵アブラゼミで、ツクツクボウシなどは見たことがありませんが?(埼玉県越谷市、六十代男性)
<A> 名和昆虫博物館(岐阜市)の名和哲夫館長の観察によると、理由は以下のようです。
 寿命がきてツメで体を支えられなくなったセミは木から落下、六本の足がけいれんするようにつっぱって不規則に伸びます。すると安定を失ってひっくり返り、力が残っていないとその状態から起き上がれず、羽を背に死んでしまいます。
 あおむけの方が安定しているというわけです。セミに限らず、クワガタムシやカミキリムシなど他の昆虫もあおむけで死んでいるのをよく見かけるそうです。特異な死に方ではないようです。
 アブラゼミは市街地の公園などに多いうえ、他のセミの羽がほとんど透明なのに対し、褐色の羽を持つので地面に転がっていると目につきやすいのです。ツクツクボウシなどもあおむけで死んでいるのが普通だと思われます。



黒羽蜻蛉

2010.9.27付 朝日歌壇より
顎までを沈めて露天の湯に浸る鼻面をゆく黒羽蜻蛉:(鹿嶋市)和田山可扇

困ったな、正式にはハグロトンボです。
トンボ目>イトトンボ亜目>カワトンボ科>カワトンボ亜科>アオハダトンボ属>ハグロトンボ
です。
「黒羽トンボ」で検索すると、ネット上ではこの名前でも通用しているようですから、ま、いいですけど。
広辞苑では

はぐろ‐とんぼ【翅黒蜻蛉】
(翅が黒いのでいう) カワトンボ科のトンボ。腹部は細く雄は金緑色、雌は黒色。翅は静止の際に直立させる。小川のそばなどに多い。オハグロトンボ。カネツケトンボ。クロヤンマ。

「羽黒」から「お歯黒」、そして「お歯黒の液」のことを「鉄漿(かね)」ともいいますので、そのあたりの名前がついているようですね。

露天風呂につかって目の前をハグロトンボがとぶなんて、なんと贅沢な瞬間でしょう。うらやましいなぁ。

句点

2010.9.27付 朝日歌壇より
たらちねの明治の母は子を案ずともしびのやうな句点の大きさ:(北海道)坂本しづよ
 永田和宏評:誰の母親かはわからないが、子を案じる明治の母親の控えめな心情が、ともしびのような句点に偲ばれる。

一番基本的には作者の母上ではないのかなぁ。
間違っていたら申し訳ないのですが、明治・大正の女性は筆まめとは言い難い方も多かったのではないでしょうか。
書き慣れぬ手紙の文字は、あまり読みやすいというものではない。ただ、句点だけは、他の文字から離れてくっきりと「ろうそくの炎」のような姿をしている。
「控えめな心情」という風には私は読んでいません。
真剣に、でも、たどたどしい筆跡の中の際立つ句点の姿に、使いなれぬ筆で一生懸命に心を伝えようとした、気持ちの強さが迫ってくる感じがします。

無言で歩く

2010.9.27付 朝日歌壇より
死んじゃった犬に引かれて外へ出てぐんぐん歩く無言で歩く:(青森県)向山敦子

今はいない犬との散歩の思い出。
引き綱(リード)をぐいぐい引っ張っていつものコースを散歩していたんでしょうね。
自分一人で外へ出ても、そのリードの感触が手に残って、いつものコースをいつものように歩いてしまう。でも、犬はいない。
欠如の感覚が切ないですね。

いまそかり

2010.9.27付 朝日歌壇より
山道にありをりはべりいまそかり団栗は皆己の形:(可児市)前川泰信
 高野公彦評:言葉遊びをまじえた楽しい歌。

私も「ありをりはべりいまそかり」って覚えましたっけね。
今、広辞苑をひいたら
「いまそかり」→ 該当項目が見つかりません
「いまそ」で引いたら「いまそがり」がヒットしました。

いまそ‐が・り【在そがり】 自ラ変 「いますがり」に同じ。

います‐が・り【在すがり】 自ラ変 
(イマス(坐)カ(処)アリの約) 「あり」の尊敬語。おいでなさる。いらっしゃる。「いまそがり」
「いますかり」とも。竹取物語「翁のあらむ限りは、かうても―・りなむかし」[広辞苑第五版]

あ~らら、知らなかった。何十年も知らなかった。

「団栗の背競べ」という成語がありますが

団栗の背競セイクラべ:どれもこれも似たようなもので、大したものではないこと。[広辞苑第五版]

そんなことないですよぉ。みんな違うんだからぁ。
一つ一つが大事な実。「大したもの」なんですよぉ。命を繋いでいく実です。

上掲の歌、みんなそれぞれ自分のの形をしている、とおっしゃっています。嬉しくなりました。
「楽しい歌」ですが、重要な発見・主張をはらんでいると私は受け取りました。

ピーマン

2010.9.27付 朝日歌壇より
ピーマンは明日食べると逃げる子をあきらメガネをかけて眺める:(高槻市)有田里絵
 高野公彦評:「あきらメガネ」はあきらめのメガネの意。苦笑して子を見守る母の優しさ。

「母の優しさ」であることはもちろんなのですが。
まぁ、知恵がついちゃって、とんでもない言い訳を考えだすもんだわね、というおおらかな笑いがある。
「あしたもたたかうぞぉ」という、元気のよい母の眼差しがある。

昔の人は、子育ては若いうちに、といったようです。それは、育ち盛りの子の元気さに負けない体力・元気を親も持っているからです。同じ目の高さで、一緒になって騒ぎながら苦労しながら、一緒に育っていけるからです。
年を取ってからの子育ては、体力的にきつくなってきて、つい、言葉での指示・躾が強くなる。

作者は若いお母さんでいらっしゃる。元気な子育てを応援します。

鳳仙花

2010.9.27付 朝日歌壇より
堪えかねて身の弾けたる鳳仙花どこかで秋がそっと見ていた:(福島市)美原凍子

選者の高野公彦氏は、この歌を含めて三首まとめて「ひそやかに来ていた秋。全ての人にそれぞれの秋がある」という評をつけておられます。
ま、確かにね、そうなんですがね。

堪えて堪えて堪え切れなくなって弾けてしまう、って、とっても切なくないですか?
官能的と言っていいくらいだ。
その堪え切れずに弾けてしまうものに、秋が寄り添っていた。
この歌、読み方によっては、濃密な恋の歌にもなりうる気がするんですが。

読み込み過ぎでしょうね。

エスカレーター

2010.9.27付 朝日歌壇より
緩やかにエスカレーター上りゆく隣を駆けて登るひとゐて:(海老名市)川上益男

エスカレーターの右・左開け論争は続いたままですね。
私は右手でベルトにつかまらないと不安定でステップへの乗り降りが怖いので、東京の右開けの風潮には可能な限り逆らっています。

ふと、思うんですけどね。
今の御時世なんだか、他人との接触を嫌い怖れ、他者に不寛容で、見知らぬ人とのたった一言の声かけ、会話も鬱陶しがる。

エスカレーターの「ステップ」の上、というのが、ある意味である種「閉じた空間」として感じられるのかもしれませんね。
一つの閉じた空間の中に見知らぬ他人と一緒にいるということが不快・不安なのかもしれない。
だから、体(てい)良く、片側を開けるのがルールだ、なんて言いつくろって、他者を排除しようとしているのではないでしょうか。

ショッピング・ビルのエレベーターでは、子連れ、乳母車、車いす、杖使用などの方々の利用がある程度共通認識なので、互いに声をかけたり、何階ですか?と聞いたり、ドアが途中でしまってしまわないように押さえたり、いろいろな、瞬間的な交流が生じます。

でも、おそらくマンションのエレベーターだと、見知らぬ人と一緒に乗るのは気持ちのよいものではないかも知れない。

都会のエスカレーターは、孤独な閉鎖空間が前後に並んで上昇していく装置だ、と考えながら乗ってみてください。

ちょっとの心遣いで、やさしくなれるのにね。

フタモンアシナガバチ

0917_5hutamonasinagabati 9月17日
ルコウソウの葉の間をフタモンアシナガバチが飛んだり歩いたりしていました。
フウセンカズラで見かける時は花にくっついて蜜をなめたりしているようですが、ここには花はない。
恐らく、狩りなんでしょうね。幼虫の餌に出来るような虫を捜している。
肉食性の状態とでもいいますか。
でも、人に攻撃してくることはまずありません。興奮させなければね。

人って虫から見れば巨大な生き物なんですから、無駄な攻撃はしません。
自分の生命が危うい時、巣が危うい時、そういうときは命がけで攻撃してきますけれどね。
ハチ、っ、怖い、っ、と大騒ぎしてハチを叩いたりしちゃダメですよ。却って興奮させる。
静かに退いてしまえばいいんです。
お互いのためにね。
付き合い方を学びましょう。

ヒゲナガカメムシ

0917_4higenagakamemusi 9月17日
ちょっとピンボケでスミマセン。
ヒゲの長さが際立ってよく見えたものですから。
ヒゲの長いカメムシ、という命名ではありません念の為。
ヒゲの長いナガカメムシ、です。

カメムシ目>カメムシ亜目>ナガカメムシ科>ヒゲナガカメムシ

なんですね。
で、私に言わせれば「ポパイ腕」が特徴。
ややっこしいこっちゃ。

イチモンジセセリ

0917_2itimonjiseseri 9月17日
イチモンジセセリが目の前へやって来て、ゼンマイ状の口吻を掃除していました。
伸ばしたり巻いたり、前脚でこするようにしたり。
大事な口吻ですから、やはり掃除するんですね。

イチモンジセセリは元気に沢山飛び回っています。

キタヒメヒラタアブ

0916_2kitahimehirataabu 9月16日
相変わらずホソヒラタアブやクロヒラタアブの姿は見かけていません。
このキタヒメヒラタアブは少し飛び回っています。
フウセンカズラの花の大きさと比べるとアブの大きさが分かります。
長い口ではないので、こういう位置関係で、花の奥の蜜をなめられますかねぇ。
花粉なども舐めているのかな。
スタイルのいいすっきりと可愛いアブなんですよ。

アオスジアゲハ

0915_6aosuji 9月15日

9月22日、東京の真夏日71日・記録更新、といった翌日から寒くなりました。
涼しくなったを通り越して「寒く」なりました。
おかげで、却って昆虫の飼育に気力がわいてきました。
上の写真は15日のものですが、今年の夏のチョウの成育はなんだか変な感じがしました。
卵の孵化率が低い気がしました。幼虫が寄生されている可能性は低いのに、発育出来なかったりもしました。
ひょっとすると、高温障害かもしれません。
チョウの成育での高温障害というのは意外と低い温度で起こるのです。
30℃を少し超えると、幼虫の死亡率が上がることが知られています。
風通しの良い屋外、日陰、というような条件でも多少は改善されるかなという程度です。
ですから、夏って意外とチョウの季節ではないのですね。
まして、今年の猛暑。チョウも辛かったかもしれません。

夏の間、外へ虫探しに出ても、なんとなく「昆虫相が薄い」という感じを受けていました。
ここにきて、少しは虫たちに元気が出てくることを願っています。

「沈黙の春」ではないですが、「虫のいない夏・秋」は異常ですよね。
虫の姿が見えなくなったら、生態系の崩壊が近づいていると考えるべきかもしれません。
物言わぬ虫たちに注意を向けて下さい。

オオヒメグモ:2

0917_7oohimegumo 9月17日
卵の中で発生は進んでいるのでしょうか?
母グモが寄り添っています。

0922_7oohimegumo 9月22日
割れた卵があるような気もするのですが、孵化したのかどうかわかりません。
子グモがいるというようなことはありませんでした。
この後、東京では大雨があって、この巣は消滅しました。
巣はない、親グモはいない、卵囊もどこへやら。

孵化した子グモが見られるかと期待していたのですが、残念な結果になりました。
なかなか安定した環境下で、クモの孵化を見ることはできないので、期待したんですけどね。

親グモは多分どこかに避難したと思うんです。ぜひ、再度巣作りから始めて頑張ってほしいと願っています。

オオヒメグモ:1

0915_5oohimegumo1 9月15日
オオヒメグモが卵囊をつくりました。
右にメスグモがいて、真ん中に卵囊があります。
暗めの場所なのでフラッシュを使っています。
そのため、卵囊が光っていますが、露出をアンダーにしたら
0915_5oohimegumo2
卵を包んでいる網はとても薄いのですね。
中の卵が透けて見えます。
予想外に大きな卵でした。
クモの体からするともっと小さな卵だと思っていた。

0916_1oohimegumo 9月16日
雨が降ってしまったのです。
さて、これはどういう状態なのか。下半分の卵はどうなったのか?
わからないんですね。
この水滴をティッシュペーパーか何かで吸い取ってあげたい気もしたんですけれど、そばには母グモがいるのだし、人間が手出しをするべきではないな、とやめました。
自然に任せます。

超絶熱帯夜

9月25日付の朝日新聞コラムにこんな話がありました。

超絶熱帯夜は幻の記録に:気象予報士・高橋和也さん(9/25)
 ひと晩中、気温がほとんど33度以上。これは外国の話ではありません。日本、それも北陸の金沢で1990年8月22日夜に起こったのです。
 真っ暗ななのに熱風が吹いた、あの奇妙な夜はいまだに忘れられません。結局、翌23日午前9時までに記録した「最低気温」は31.5度。日本海を進んだ台風がフェーン現象を引き起こし、前代未聞の熱帯夜となったのです。「暑くて眠れなかった」とぼやく友人を横に、「たまたま帰省中、こんな珍しい日に居合わせるとは!」と勝手に胸躍らせていました。そして、ますます天気に興味を持つようになったのです。
 ただし、23日午後に雨が降り、気温が30度を下回りました。つまり、超絶熱帯夜は幻の記録に……これもまた、天気が見せる難しい一面なのです。

すごいですね。日射もないのに熱風が吹く。凄まじい気分でしょうね。
東京の今年の夏、屋外の気温の記録はまあそれとして。
我が家の屋内でも、夜も30℃を切らない日があったかと思います。
朝起きた途端に30℃、なんていう事態は、げっそり、そして笑ってしまいます。

ところで、最高気温、最低気温ですがウィキペディアから引用すると

最高気温 :着目している日、すなわち0時から24時までに観測された気温の最高値を最高気温(あるいは日最高気温)という。通常(特に晴天の日)には12時から15時の間に観測されることが多いが、もちろんそのときの気圧配置によって夜中に観測されることもある。天気予報などで「日中の最高気温」と明示した場合は「9時から18時までの最高気温」となる。新聞などでは「0時から15時までの最高気温」が掲載される場合が多い。また、着目している月内に観測された気温の最高値を月最高気温という。

最低気温 :着目している日、すなわち0時から24時までに観測された気温の最低値を最低気温(あるいは日最低気温)という。通常(特に晴天の日)では午前3時から9時の間に観測されることが多いが、もちろんその日の気圧配置によっては昼間に観測されることもある。天気予報などで「明日朝の最低気温」と明示した場合は「明日0時から9時までの最低気温」となる。新聞などでは「前日21時から当日9時までの最低気温」が掲載される場合が多い。また、着目している月内で観測された気温の最低値を月最低気温という。

こうなんですね。
そこで、最初の記事の「午前9時までに記録した「最低気温」は31.5度」は、その後もっと低い気温になったので、その日の最低気温として記録されなかったのですね。

テレビでたまに、夜中に最高気温が出てしまって、日中は雨などで、夕方に向かって一方的に気温が下がり続けるのに、何時の気象情報でも「今日の最高気温は**℃」と夜中に出てしまった気温を言っていることがあります。
私たちがTVで知りたいのは気象統計情報ではなく、今日の午後はまだ寒くなるのかどうか、というような「予報」なんですよね。ですから、そういうパターンの日は、今日の午後3時ころの気温は**℃くらいでしょう、というような情報にしてほしいと思うんですね。
災害情報じゃないんだから、そういう変更を加えてもいいと思うんだけどなぁ。で、気象予報士という資格はそういうことをしてもいいという資格であってほしいと思いますね。

ところで、私のこのブログでも時々気温のグラフをお目にかけていますが、このグラフの基礎データは、新聞に掲載された情報です。

最高は午後3時まで、最低は前日午後9時~午前9時。湿度は午後3時。

です。
気象庁のサイトから、気象データを取って来てもいいんですけれど、面倒くさくってね。やってません。
いつか、ちょっとトライしてみましょうか。

◆ところで、最初の記事と同じコラムでこんな話もありました。

「灼熱夜」の造語はいかが:真壁京子さん(気象予報士)(9月11日)
 この仕事を始めて最初に教えられたことは「新しいコトバは常に作り出されていく」ということです。いいものは残り。そうでないものは消えていくので、恐れず、新しいコトバをどんどん作って発信するべきだと思っています。
 今年の夏は過去113年間で最も暑い夏となり、「猛暑日」「熱帯夜」を耳にしない日はありませんでした。
 「猛暑日」は1990年代から最高気温35度以上の日が急増し、2007年4月1日に気象庁が制定したコトバです。最低気温が25度以上の「熱帯夜」は、元祖気象キャスター倉嶋厚さんが1966年に初めて発信したコトバです。現在、最低気温が30℃を下回らない夜を指すコトバはありませんが、「スーパー熱帯夜」「灼熱夜」などはいかがでしょうか??

超絶熱帯夜」「灼熱夜
あんまりありがたくないですねぇ。

こういう暑い夜は「有ること難し」ということで、「有難く」なってくれた方がいいんだけどな。

2010年9月27日 (月)

爆発事故

化学工場で爆発事故がありました。

住友化学三沢工場で爆発事故、作業員1人が死亡 青森(2010年9月24日)
 24日午後2時20分ごろ、青森県三沢市の住友化学三沢工場で、引火性の液体を入れる屋外タンク(直径約2メートル、高さ約2.8メートル)が爆発した。タンク上部で1人で修繕作業をしていた建設作業員が、約3メートル下の地面に転落し、間もなく死亡した。工場は家庭用殺虫剤の原料を製造しており、タンクは定期修理のため8月から内部の液体を抜き、空だったという。
(後略)

「原因がわからない」 住友化学事故(2010年09月25日)
 三沢市三沢淋代平の住友化学三沢工場で24日、屋外のタンクが爆発し、タンク上にいた作業員1人が地面に転落し死亡した。タンクは通常、殺虫剤の原料になる引火性の液体が入っているが、事故当時は修繕のため空だったという。長田伸一郎工場長は「(修繕に伴い)タンク内の洗浄も済んでいたと思う。原因がよく分からない」と話した。
 タンクにふだん入っている「3メチル2ブテニルアセテート」は、引火のしやすさが灯油などと同じ「第2石油類」の液体だが、定期修理期間の今は製造ラインが止まり、液体も8月6日に抜き取られていた。なぜ爆発が起きたのか今後、三沢署などで原因究明を進める。
(後略)

実際の物性も知らずに何も確実なことがいえるわけではないのですが、「空だったのに爆発した」というのはちょっと単純すぎませんか?
少しでも化学をかじった人なら「空だったから爆発した」と考えると思うんですよ。

可燃性の液体がたっぷりあると危険だと普通の人は思います。それは確かにそうですが。
例えば、ガソリンが洗面器に入っていたとしますね。そこへマッチを付ければ大きな炎で燃え上がるでしょう。それは怖いことです。でも、それだけです。
屋内で灯油と間違えてガソリンを入れて点火して火事になることはありますので、そんなことをしてはいけません。
では、自動車のエンジンの中では何が起こっているでしょう?
エンジンに液体のガソリンを注入して着火して炎が燃え上がった、というようなことをしているでしょうか?していません。
あらかじめ気化させて、空気と混合し、点火して爆発させているのです。
可燃性の液体が、気化した時は危ない。「燃える」のではなく「爆発」になり得ます。
普通、爆発なんて考えない、エチルアルコールだって、気化させて点火すれば爆発します。そういう死亡事故も知っています。
アルコールが瓶にたっぷり入っている時は、火がついて火事にならないように注意します。もし、瓶の底にあるかなしかの僅かな量の液体があって、瓶の中はほとんど蒸気だ、というときがいちばん危険なんです。
可燃性の液体一般についてこのことがいえます。

上の事故では、「3メチル2ブテニルアセテート」という可燃性の液体のタンクをほぼ空にした状態で、タンクの外で作業をしていたんですね。何か火花が飛ばないとは限らない。蒸気があれば爆発しますよ。
これは一番危険な状態じゃないですか。
危機管理がなっていない。というべきでしょうね。
事故の原因究明はまだのようですし、その結果を私たちが知ることはまずないだろうと思うので、ここでひとこと先に発言してておくことにします。(事故は報道されても、その事故の事後の原因究明はまず報道されませんのでね。)

◆ところで「3メチル2ブテニルアセテート」という物質名表記が気に入らないなぁ。元化学屋の神経を逆なでしますねぇ。
「3-メチル-2-ブテニルアセテート」としてください。

・炭素が4個枝分かれなしに並んでくっついたブタン分子の鎖の端にアルコール基「-OH」がついています。
ブタンの語尾を、アルコールを示す「オール」という語尾に変えて
「ブタノール」です。

・そのアルコール基がついた炭素から1番と番号を付けて4番まで番号を振ります。
で、2番の炭素と3番の炭素の間が二重結合になっています。ブタンの語尾「アン」が二重結合があるよということで「エン」に変わります。
「2-ブテノール」といいます。

・3番の炭素にメチル基がつきます。
で「3-メチル-2-ブテノール」です。
Alcohol

・例えば、エタノールが酢酸とエステルをつくると「エチルアセテート」といいます。
ですから、このアルコールが、酢酸(アセティック アシド)とエステルを形成すると
「3-メチル-2-ブテニルアセテート」
になるんですね。
Acid
これが酢酸

Solvent
これが問題の可燃性物質です。

IUPAC命名法という国際的なルールがありましてね。
一つの物質には一つの名前。一つの名前が決まると、命名規則をたどって、必ず一つの物質の構造式が書ける、ということになっているのです。
ですから、物質の名前を報道する時にはきちんと報道してほしいと思うのです。
さもなければ完全な通称でいいですよ。半端に書くのが一番いけないな。

こういう、一つのものに一つの名前、というような時に、理数系では「ユニーク」な名前、という言い方をします。日本語のユニークとはかなり意味が違いますので笑わないでください。
「他に無い、唯一の」という意味です。
 パソコンのファイルなんかで、無精して適当な名前をつけていると、保存時に名前が衝突して、上書きしてよいかと問い合わせがでて、何の気なしにOKしてしまうと、大事なファイルを失いかねません。ファイル名は常にユニークな名前を付けるようにしましょう。

生物多様性

9月26日付の朝日新聞の読書案内の欄に、池田清彦氏(早稲田大学教授・生物学)が本を紹介していました。

見えないものが支配する:池田清彦 
 「人類にとって重要な生きもの ミミズの話」(エイミィ・ステュワート、飛鳥新社)
 ・・・
 私たちは見えるものにしか興味を示さないが、見える生物多様性は見えない生物ネットワークに支配されているのだ。本書ではまた、農薬の使用がミミズを殺し、土壌生態系に甚大な影響を及ぼしていることも指摘されている。日本でも最近、虫の数が激減しているが、土壌生態系の変化と関係があるに違いないと思う。
 ・・・
 「フンころがしの生物多様性」(塚本珪一、青土社)
 人々が忌み嫌うフンをすみかとするフン虫たちも、また立派な生物多様性の担い手であることを宣言した本。日本には約160種のフン虫が生息するが、人々の清潔志向のせいで多くは絶滅危惧種になっている。フン虫もすめない生物多様性では仕方がないと著者は言う。私も同感だ。

池田さんは養老さんなどと並んで昆虫好きで知られる方です。
目に見えて「かわいい」ものだけを許容し、不気味なもの、嫌いなものなどを一切受け付けないような精神ではとても生物多様性に貢献できないでしょうね。
汚いもの、目に見えないもの、嫌いなものなどとの「折り合いを付ける」ということが大事でしょう。
超清潔好きは非寛容になります。私たちだって生きもの。そうそう清潔ばかりじゃ生きられない。不潔を好むこともないけれど、不潔なものとの付き合い方ってものがあるでしょう。
そういう懐の深さというのかな、が失われていますね。

「フン虫もすめない生物多様性では仕方がないと著者は言う。私も同感だ。」
かかしも同感だ。

アオスジアゲハ羽化

0926_3_2aosuji1 9月26日。
ナガサキアゲハと同時並行しているのですが、話は分けました。
まだケース内。
ナガサキアゲハと同時に見てしまったものだから、可愛らしく見えて仕方ありません。
青く鋭い飛翔がわくわくさせてくれる大型のチョウなのにね、ごめん。
0926_3_2aosuji2
木の高いところに止まったナガサキアゲハにレンズを向けていたら、手に止まったわ!と妻の声。
ふり向きざまのワンショット。
ケースからふわっと飛びあがって、手に止まったのです。
ね、いいでしょ。飼育者の喜びですね。至福の瞬間とはこういうものです。
卵から、幼虫へ。葉っぱをむしゃむしゃ食べて蛹になり、今、飛び立つ瞬間です。
もう一日中、なんだかうきうき幸せ気分でした。

アオスジアゲハも南方系のチョウです。
私が子どものころは東京では繁殖できないと聞いていたのですが。
夏の間、成虫が飛来しても、越冬蛹にはなれない、と聞いていたように思います。
で、あの青い色、鋭角の三角形の翅、直線的な飛び方、スピード、あこがれましたねぇ。
まだ未舗装路の多かった東京。雨上がりには水たまりができて、水たまりで吸水する姿を見たことがあります。東京で見かける他のチョウは吸水という行動はあまりしないので、珍しかったことを覚えています。

30年くらい前に、大田区へ引っ越して来て、区の木がクスノキだということを知り、クスノキの苗を区からもらって、夫婦二人でアオスジ来ないかな、と待ったのです。
苗木をもらって来てまもなく、まだ小さい苗木の葉に、3匹の見慣れぬ幼虫がいました。
それまで育ててきた、アゲハの幼虫とは形が違うし、色も透明感のあるきれいな緑だし、なんだろね、3匹仲良く並んでる、かわいいね、と話していて。
あっ、あれアオスジアゲハの幼虫かもしれない、と気づいて翌日あわてて見に行ったら3匹ともいなかった。鳥にでも食べられちゃったのでしょう。
で、ものすごく残念でしたが、でも、クスノキにアオスジアゲハが産卵しに来てくれることがわかった、ということで、猛烈に嬉しくなり、そのまんま現在に至るわけです。
二人ともあの時のシーンは忘れられずにいて、よく話に出てきます。
幼い夫婦というか、物好き夫婦というか、いえ、本人たちは、楽しくって仕方ないのです。
いいでしょ、ぜひ、トライして下さい。
生物多様性が叫ばれる昨今です。チョウの飼育を通じてでも、虫の世界を垣間見ていただければ幸いなのですが。

ナガサキアゲハ羽化:2

0926_3_1nagasaki3 9月26日
ケースから羽ばたいて飛び出しました。
一晩過ごしていますから、体は乾いていると思うのですが、まだ午前中。体温が低いのでしょう。高いところにつかまって翅を開き、日光を受けています。
わぁ、という気分。迫力です。
0926_3_1nagasaki4
背中から日光を浴びているチョウの腹側を撮るのは難しかったです。なんせ、逆光。
0926_3_1nagasaki5
ちょっとぶれてますが、真っ平らに翅を開いた姿。
力感があふれています。

ここまでくれば、あとは時間の問題。
元気でね。

9月26日の読売新聞の記事にこんな話が出ていました。

亜熱帯産・ナガサキアゲハ、福島で発見
 亜熱帯が原産で、国内では関東以南が生息域とされるチョウの「ナガサキアゲハ」を、福島県いわき市の写真愛好家丹野さんが同市内で見つけ、撮影に成功した。
 研究者は温暖化で北上した可能性に注目している。
 丹野さんは今月18日、虫の撮影のために足を運んだ市内の山間部で4、5匹群れているのを発見。「珍しいチョウだ」と関心を持ち、望遠レンズで撮影した。
 羽を広げた際の大きさは15センチほど。日本環境動物昆虫学会員が写真を見て、ナガサキアゲハのオスと分かった。
 ナガサキアゲハのオスは、青みを帯びた黒い羽が特徴。国内の生息域はかつては九州だったが、戦後北上し、ここ数年は茨城県辺りが北限だった。
 チョウに詳しい東京大学総合研究博物館の矢後勝也特任研究員は「温暖化で東北での発見は時間の問題と思っていた。さなぎでの越冬が確認されれば、1年を通しての生息域が北上したと言える」と話している。

福島までいってますか。
東京南部の我が家では、去年の冬前に越冬蛹になって、今春羽化したというのが、初めての飼育経験です。東京でも繁殖できるようになったんだな、と妻と二人で話しながら楽しんでおります。温暖化のせいなのかなぁ。飼育家としては楽しみが増えて嬉しいんですけどね。

ナガサキアゲハ羽化:1

0926_3_1nagasaki1 9月26日
ケースのふたを開けたところ。
青みがかったというか、緑がかったというか、独特の「黒」ですね。
0926_3_1nagasaki2
翅を閉じると外側に赤い模様。
堂々たる体躯です。

チョウの羽化

0926_3_0uka 9月26日
見れば何と!夕べ羽化したナガサキアゲハの隣に、アオスジアゲハも羽化しているではありませんか!
羽化が近いな、ということで、幼虫たちのいるケースから、こちらの空間の広いケースに蛹を写していたのです。(食草が違いますんでね、幼虫の飼育中には一緒にはしません。)

アオスジアゲハだって大型のチョウだと思うんですけどね。
ナガサキアゲハはでっかいや。

この後はナガサキアゲハとアオスジアゲハに分けて記事を書きます。

ナガサキアゲハ羽化

0925nagasaki1 9月25日
4時半ころ。ナガサキアゲハが羽化を始めました。
蛹から出てきたところで、まだ翅が伸びていません。
こういうクリティカルな時間帯にあまりフラッシュを光らせたくありません。
驚かせて落ちたら大変。
もういいかと思ったら、妻が、口がまだ2本で、合わせようとしている、と観察。
え、それは珍しいチャンスだ、ともう2,3枚撮らせてもらいました。
0925nagasaki2
チョウのストロー状の口吻はもちろん管になっているのですが、もともと、口器は顎ですから左右2本に分かれているのです。羽化直後にその左右の「樋」のような半分の管を1本に合わせる作業をします。肉眼では何度か見ていますが、写真に撮るチャンスは少ない。
見ていると、す~っと管を伸ばしては巻きます。伸ばした時に明瞭に2本に分かれているのですが、写真には写りませんでした。巻いたところしか写らなかった。でも、先端部がまだ分かれているのが見えますね。
0925nagasaki3
もうほとんど1本になりかかっています。

ここまで。
一晩ゆっくり静かに体を乾かしてもらおう、と天井の照明も消して、夜だよ、とこの場を離れました。

ヒガンバナ

0925_4higanbana 9月25日
台風も過ぎまして、晴れた土曜日。
ヒガンバナがヒガンバナらしい形に開きました。
彼岸の中日からは少し遅れましたが、でも、Just in time!でしょう。
種が出来ませんのでね、昔からここにあって、ほとんど生息範囲を広げていません。
積極的には手を貸さず、自力でどうぞ、という方針のせいですね。
がんばれよ~。

ハエ

0915_4hae1 9月15日
ハエさんが、なんだかゆったり落ち着いた気分でいるらしい。
で、お顔拝見。
0915_4hae2
顔の下にちょっと伸びた部分がありますね。これが「口」です。
ハエの口は刺すわけでもなく、吸うわけでもなく、齧るわけでもなく、舐めるタイプの口なんですね。
詳しくいうと、触角の形にも他の虫と違った特徴があるんですが、やめときます。

なかなかに珍しいショットを撮らせてくれました。ありがとう。

イノコヅチ

0915_2inokoduti 9月15日
今年はなんだかイノコヅチの当たり年のようで、あちこちで見かけます。
去年までは庭のごく一部にしかなかったのですが、今年は外へ出て行ってしまった。
猫か、鳥かが種を持ち出して播いたのでしょうかね。
地味ですけれど、これで、花が咲いているのです。

花のつき方からみると、これはヒナタイノコヅチのようですね。
ヒカゲイノコヅチというのもあります。

http://had0.big.ous.ac.jp/plantsdic/angiospermae/dicotyledoneae/choripetalae/amaranthaceae/hinatainokoduchi/hinatainokozuchi.htm
こちらがヒナタイノコヅチの解説

http://had0.big.ous.ac.jp/plantsdic/angiospermae/dicotyledoneae/choripetalae/amaranthaceae/inokozuchi/inokozuchi.htm
こちらはヒカゲイノコヅチの解説です。
見比べると違いが分かります。

http://www48.tok2.com/home/mizubasyou/97inokozuti.htm
ここも花の構造等とても詳しいので、ご覧ください。

ところでイノコヅチは「猪子槌」でしょうから、「イノコズチ」と書きたくないんですね個人的に。で、イノコヅチと書いております。意識的にそうしていますので悪しからず。

オンブバッタ

0915_1onbubatta 9月15日
やはり、繁殖の季節に入ったのですね。
あちこちでオンブ姿を見かけます。

メスは卵に栄養を持たせなければなりませんので、体が大きいのです。
オスは、運動能力のある小さな精子をたくさん作るだけなので、体は小さくていいのです。
昆虫はそういう例ですね。

逆に、体が小さいうちは精子しかつくれなくってオスだけれど、成長して卵子が作れるくらい体が大きくなるとメスとして活動する、という生物もいるのです。
魚でよく雌雄転換という話を聞きますが、この例なんですね。

ふしぎですね。

2010年9月24日 (金)

モッコク

0914_6mokkoku 9月14日
モッコクの実が熟してきました。
いっぱい実をつけていたのですが、塀から道へ乗り出し過ぎて、狭い私道を通り抜ける車の邪魔になりそうになってきたので切りました。で、今、実は2,3個しか残っていません。
熟しきって割れた時がきれいなんですが、そこまで無事到達できるかな。

ムラサキシキブ

0914_5murasakisikibu 9月14日
ムラサキシキブの実がどんどん色を濃くしています。
紫という色は、人が着るには結構難しい色ですが、植物たちは見事に紫をこなしますね。
ムラサキシキブが紫になる。季節の進行を告げています。

イチモンジセセリ

0914_4itimonji 9月14日
ひょいと目の前に姿を見せたイチモンジセセリ。
おや、こんにちは、と一枚だけパチリ。
パソコン画面で見たら、なんともものすごく鮮明に写っている。
私はプロではないので、こういう写り具合を意図的にはコントロールできないんです。
たまたまなんですね。
で、まぁ、こんなにきれいに写っちゃったので、やはりブログにのせてあげよう、と思ってしまうわけです。
イチモンジセセリやキマダラセセリの幼虫は、ネコジャラシやススキ葉を食べるはずなんですよね。それはいっぱいあるんですし、成虫もこうやっていっぱい見かけるんですが、幼虫を見たことがない。腰をかがめて丹念にネコジャラシを見ればいいのでしょうけれど。なかなか私の腰にとっては辛いものがあるなぁ。でも、一度くらい、飼育してみたいなぁ。

オンブバッタ

0914_3onbubatta1 9月14日
オンブバッタがその名前通りの格好をしていました。
もちろん小さい方がオスです。
私が近づいたのを気にしちゃったのか
0914_3onbubatta2
離れてしまいました。
ごめん。
この時の顔の部分をアップにしてみますと
0914_3onbubatta3
なんだか視線が絡み合っているような気がしませんか?
他人(他虫?)の恋路を邪魔しちゃあ恨まれる、さっさとこの場を立ち去りまして
0914_3onbubatta4
一回りして戻って来て、そっと覗いたら、またおんぶになっていました。
もう邪魔しないからね。さよなら。

アオスジアゲハ

0914_2aosuji 9月14日
アオスジアゲハの幼虫です。ころんとしてかわいいでしょ。
いくら夏が暑かったとはいえ、秋は秋、間もなく急激に気温が下がるはず。
チョウの季節も終わりに近づいています。

意外と南方系のツマグロヒョウモンなんかが、これから幼虫を見かけやすくなったりしますよ。
スミレとかパンジーとかに、派手派手しい、毒々しい雰囲気の幼虫がいたらツマグロヒョウモンです。飼って見て下さい。(刺したりしませんからご安心を)。きれいな蛹になります。

ヒガンバナ

0924_2higanbana 9月24日
昨日、秋分の日は東京は大雨でカメラを持ち出せる状況ではありませんでした。
今日は現在曇り空、予報ではこの後雨になりそうです。
で、今朝、思い出してどうなったかな、と見てきました。
開きかけ。
蕾と全開の状態を普通は見るわけですが、こういう、途中経過を見ることは結構珍しそう。
天気が良ければ、午後にも全開になるのでしょうが、今日は雨模様の20℃程度の肌寒い日。どうなりますか。チャンスがあればまた見に行きます。

ところで、ヒガンバナの背景にツユクサが焦点の外でぼんやり映っていたのですが、トリミングで消えちゃったので、カワイソウ。
0924_3tuyukusa
鮮烈な色の対比をお楽しみください。
ついでといっちゃなんですが
0924_5rukousou
すぐそばのルコウソウも並べます。
きれいですね。
花束ではなく、生きたままの花であるところがいいでしょ。

アダンソンハエトリ

0913_8adanson 9月13日
玄関ドアのすぐそばでハエトリグモ。
これはアダンソンハエトリだと思うんですが、模様がなんだかはっきりしませんでした。
アダンソンハエトリのメスだと思います。
屋内でもよく見かけるし、窓のすぐ外とか家の外壁にもいますね。
北上してきたクモで、それまでいたミスジハエトリを屋内から追い出してしまったということです。
クモの世界でもいろいろと変化が起こっているのですね。

ムクゲ

0913_6mukuge 9月13日
我が家のすぐそばに小さな空き地があって、大田区の土地なんですね。で、公園課の管理になっている。区のほうで、ツツジを植えて、枯らさないようにして下さい、といわれてもう30年以上ですか、育ててます。
で、少し空いた部分が残っているので、そこにムクゲのお引っ越しをさせようと目論んでいるわけです。
今年、うまく花がつきました。
真っ白なムクゲもまたよいものでしょ。
順調に育つといいな。

アサガオ

0913_5asagao1 9月13日
アサガオの花の中。
オシベの方がメシベより先に出ています。メシベを追い越して伸びる時に、自家受粉をした、その後ですね。
0913_5asagao2
メシベの柱頭に花粉がついているのが見えます。

アサガオはそれなりに結実しつつあります。
ところが、いっぱい咲いたオシロイバナがほとんど結実していません。
どうしたのかなぁ。

小学生の女の子が授業で「種さがし」をしているのかな、妻が外にいる時にやってきたそうで、フウセンカズラの実とか、クルミの実とか、アサガオの実とか、いくつかあげたのだそうですが、オシロイバナはダメでした。花はいっぱい咲いたのにね。

ヒメハラナガツチバチ

0911_6himeharanagatutibati 9月11日
ブルーサルビアの花にヒメハラナガツチバチが来ていました。
で、撮ろうとしたら、こうなりました。
写ったというべきか、こんなの写ってないじゃないかというべきか。
私の「肉眼の記憶」を信用していただくしかないですね。
これはヒメハラナガツチバチです。っ。

2010年9月23日 (木)

キタヒメヒラタアブ

0911_5kitahimehirataabu 9月11日
今夏はアブをあまり見ていません。
ホソヒラタアブが全然姿を見せていません。
9月に入って、この小さなヒラタアブの仲間、キタヒメヒラタアブが少し姿を見せ始めました。
フウセンカズラの花をスケールにしてアブの大きさを推測して下さい。
小さいです。
アブというとどうも、刺すアブを思い浮かべる方が多いのですが、ハナアブの仲間ですから刺したりはしません。素敵なホバリング飛行などゆっくりとお楽しみください。
今回の写真でも、平均棍がくっきり写りました。
すっきりした、姿のよいアブでしょ。

キチョウ

0911_4kityou1 9月11日
この間は、黄色いモンシロチョウを見ましたが、今回はちゃんと「黄色いキチョウ」だと思います。
ランタナの花に蜜を吸いに来ていました。
0911_4kityou2
翅を開いたところを撮りたかったのですが、ダメでした。
黒い縁取りがあるようですね。
飛び立つ瞬間です。そのまま去っていきました。

アリ

0911_3nekojarasi 9月11日
おや、ネコジャラシにアリがいる。
カメムシなら当たり前ですが、アリがネコジャラシにいる「目的」が分からないなぁ、と思いつつパチリ。
よく見て下さい。どうやら、アブラムシがいるようですよ。
パソコン上で見ていて気づきました。
そうかぁ、ネコジャラシの実などが目的ではなくて、アブラムシが目的だったのか、と納得。
それにしても、よくまあここにアブラムシがいると分かるものですね。アブラムシが何か化学的な信号を出して(においのようなものでしょう)、アリを呼んでいるのかもしれませんね。

ヒトの鼻がもし、アリのような感度を持ったら、いったい庭の中の「におい地図」ってどのようなものなんでしょうね。あちこちから、いろいろなにおい信号が漂ってきているのでしょうね。

キンカン

0911_2kinkan1 9月11日
夏の猛暑のせいでしょうか、キンカンがまた花を準備しています。
青い実がなってきているというのに、変じゃないでしょうか。
夏の暑さで、通常通りの時間変化を過ごせなかったのを、やり直そうという感じなのかなぁ。
間に合いますように。

0911_2kinkan2
で、また、花が開けばアリがくる。
5匹いっぺんにたかってますね。
よほどおいしいのでしょうね。
アリは確かに働きものです。まんべんなく歩き回って探索しているんでしょうね。

反射板

0910reflector 9月10日
用事があって車で出かけ、時間の合間に木陰へ車を止めて水を飲んで涼をとっていましたら。
遠くに止めてあった自転車の前輪に付けた反射板が光っています。
写真を2枚並べてお目にかけます。
路面の影から太陽は左側から射しています。
上の写真2枚の違いはと言うと、左はハンドルの上の高さから、右はフロントウィンドウの上部ぎりぎりの高さからの撮影なのです。
60cm程度ですか、の高さの差。
で、反射板で虹のように分光された光線の黄色と橙色が識別できたわけです。
車外に出て、もうちょっと、高さの差をつければ、緑とか青もとれたかもしれませんが、暑くて、車外に出たくなくて、この2枚でおしまい。

こういう、分光された光の色というのは、「純粋な色」とでも言うべきもので、物体の表面で反射されて見える色とはなんというのかな「純度」が違いますね。
目を傷めない程度の範囲で、水滴からの光とか、ガラスの縁からの光とか、覗いてみてください。きれいですよ~。

ところで、自転車からの距離がかなりありますので、こういう位置関係だと太陽の動く速さはすごく速い。ものの1分くらいで、運転席からはこの色のついた光は全く見えなくなりました。瞬間と言っていい位の出来事でした。

オオヒメグモ

0910_2oohimegumo 9月10日
オオヒメグモの巣に、ごみやら食べカスやら、何やらいろいろくっつけてあります。
隠れ家にするんだろうなと思って見ていたら
0913_7oohimegumo 9月13日
整理してしまいました。

この後、このオオヒメグモ産卵するのですが、それはまた別に書きます。

ガの幼虫

0910_1mayu1 9月10日
サザンカの葉を綴り合わせている幼虫がいました。
メイガの仲間かなぁ、とも思うのですが、よくわかりません。
0910_1mayu2
糸を吐いて、下にくっつけ上にくっつけ、と忙しそう。
これは繭づくりに入るところでしょうね。
0910_1mayu3
ずいぶん糸を張り巡らせましたね。
このあときっと蛹になるのだろうと思って、この場所を記憶に刻みつけたつもりだったのですが・・・。

ちょっと忘れて、3日位経ってから、確かこの辺りと見に行ったら、見つけられませんでした。
おんぼろな頭だなぁ。無事、蛹・成虫と行けたかどうか、わかりません。

チョウたち

0907_5yamatosijimi 9月7日
常連のヤマトシジミ。これまたお馴染みのフウセンカズラで吸蜜。ご機嫌麗しそう。
ヤマトシジミはそれなりにゆっくり花にとまっていますので、写真を撮りながら眺めておりましたら、せわしない動きが視界に飛び込んできました。

0907_6monsirotyo1
キチョウ?にしては白っぽい。
モンシロチョウ?としてはずいぶん黄色いなぁ。
0907_6monsirotyo2
一瞬翅が開きかけたところです。この模様はモンシロチョウですね。
このあと、すぐ飛び去っていきましたので、これ以上の情報はないのです。

結論:これは黄色いモンシロチョウだ、っ!

モンシロチョウが完全に真っ白ではないことは知っていましたが、こんなに黄色いモンシロチョウもいるんですねぇ。

気温と湿度

今年の夏、日々の気温や湿度の記録をつくっていて、ふと発見したことがあります。
下のグラフを見ながらお話しします。
Kionsitudo
グラフは今年の6月から9月初めまでの最高気温と、午後3時の湿度の2本のグラフです。
赤い線は最高気温(を均した曲線)で、右軸の値を「℃」で読んでください。
黒い線は午後3時の湿度(を均した曲線)で、左軸の値を「%」で読んでください。
最高気温が出た時刻は特定できませんが、普通の晴天の日であれば午後2時とか3時とかでしょう。
ですから、湿度が記録された時刻と、ほぼ同じころの気温だと考えて大きな間違いはないと思います。

さて、グラフの中に1~5までの数字を書き込んでおきましたが、この数字のあたりを見て何かお気づきではないでしょうか。

●気温が低いと湿度が高い、気温が高いと湿度が低い、という傾向が読み取れると思うのですが、いかがでしょう?

今年の天気を眺めていますと、東京では梅雨明け以降8月上旬くらいまで、どっしりと高気圧が居座ってしまって大きな動きがなく、私たちの頭上の空気の性質はそう大きく変化しなかったように思うのです。
ということは、大気中の水蒸気の絶対量(絶対湿度)がそう変わっていない。
ところが気温が上がれば空気中に含みうる水蒸気の最大限度量が増えます。

私たちが普通に「湿度」といっているのは「相対湿度」で、単純に言うと、空気中に含みうる水蒸気の最大限度量に対する、実際に今ある空気中に含まれている水蒸気量を百分率(%)で示したものです。

((今ある空気中に含まれている水蒸気量)/(空気中に含みうる水蒸気の最大限度量))×100

ですね。

さて、私たちを取り巻く空気がどかっと居座って、その性質が1カ月くらい大きく変化しませんでした。
ということは、その中にある水蒸気量は大きく変動しなかったのではないか。
ところが、日々気温は変化します。気温が上がれば「空気中に含みうる水蒸気の最大限度量」が大きくなりますから、相対湿度は下がる。逆に、気温が下がれば「空気中に含みうる水蒸気の最大限度量」は小さくなって、相対湿度が上がる、というような出来事が起こったのではないかと思うのです。

それをグラフで可視化出来たのではないか、というのが今回提示したグラフです。

◆今日、9月23日、秋分の日、東京では強い雨が降っています。
北の空気と南の空気の境い目の「秋雨前線」が南下してきたせいです。
このあと、東京の気温はぐんと下がるでしょう。でも、それは空気の性質自体の変化ですから、上に述べたようなことは当てはまりません。

長期にわたって、一定の性質の空気が居座った時にだけ可能な議論をしました。
台風が来る、前線が通る、といった空気の性質が変化していく時には成立しない議論ですからご注意ください。

でも、毎日記録をグラフ化しながら、なんだか、規則性があるようだなぁ、と気付いたのは楽しいことでした。

御堂筋線

9月18日付の朝日新聞の読者投稿欄「声」に、朝日歌壇でよく作品をお見かけする敷田さんの投稿が掲載されていました。
「河野先生の歌 受け継ぎたい」という題名です。
敷田さんは高校時代に河野裕子氏の歌と出会い、大学生になって河野氏の「塔」に入会なさったそうです。
 「まともなのはじぶんだけやと御堂筋線のホームをずんずん歩く」という歌を歌会に出して、河野氏から「あの歌良かったなぁ敷田さん。一皮むけたなぁ」という言葉を頂いたのが最後の会話だったとのこと。
 河野氏は毎日新聞の歌壇の選者をなさっていましたから、毎日新聞の歌壇には投稿しにくかったでしょうね。
 おかげで、私のような朝日新聞読者が敷田さんの瑞々しい歌に接することができたのでしょう。不思議な縁です。
 敷田さんは投稿の終わりで「先生から受け継いだものを忘れずにいきたい」と書いておられます。
 これからも、朝日歌壇で、作品の成長に立ち会わせていただければ幸いです。

2010年9月22日 (水)

0907_9ka 9月7日
部屋に入ってきた蚊を叩いたんですね。
で、せっかくだから、写真を撮ってみようと思い立って。
矢印で指しているのが、カの平均棍だと思うんです。
ハエ、アブ、ガガンボではかなり見事な平均棍が撮れたのですが、カはまだなんです。
今回の写真も、あまり納得のいく写真ではないのですが、一応、間違いはあるまい、とお目にかけます。
動かない相手なのに、うまく写らないんですよ。難しい被写体です。

2010.9.20付 朝日俳壇より
草刈られ風の道まで刈られけり:(鹿児島市)青野迦葉
 稲畑汀子 評:草が刈られると、風の道も刈り取られ消えたようである。

目に見えない「風」を可視化してくれるのが「風の道」。
草刈りで、風を可視化するものがなくなって、風の道は見えなくなりましたが、風は吹く。
名残の夏を包みこんだ秋の風です。

なびくものより新涼の野となりぬ:(浜田市)田中由紀子

「なびくもの」が風を可視化してくれる、と。

一方は目に見えなくなった、といい、他方は目に見せてくれる、と言っていますが、2句ともに、秋の風を言語化したものといえましょう。

飛蝗

2010.9.20付 朝日俳壇より
流れゆく飛蝗や水を蹴りつづけ:(伊勢崎市)小暮駿一郎

バッタさんのその後は?
バッタを食べることの出来るくらいの大きさの魚がいたら危ないなぁ。
魚に食べられなければ、バッタの泳ぐ力は結構強いですから、多分、無事岸に上がれるでしょう。

さて、虫好きかかしとしては、バッタの幸運を祈ります。

四十九日

2010.9.20付 朝日俳壇より
凄まじや四十九日のいなびかり:(箕面市)大野美恵子
 大串章 評:死後四十九日目のすさまじい稲光。この日まで死者の魂は迷っているとされる。

法事の雷雨、というのは「すさまじい」出来事だ、ということは充分に理解します。
評がねぇ、なんだかねぇ。
御霊前とか御仏前の使い分け、ってのがありましたね。亡くなった方は初めは「霊」で、やがて「仏」になるんですか?
葬式仏教とは、ずいぶんいろいろ妙なことを言いだすものだ。
そもそも、死後の霊の存在なんて、基本的に釈迦は言っていないと思うんですけれどねぇ。

まあ、親しい人を失った衝撃を和らげていくための「装置」として、だんだん間隔が長くなっていく法事というものは優れた装置なんでしょう。
それだけですよ。
後に残った人が納得できればいい。法事の形にとらわれることは全くない。

私は葬式仏教のお世話になる気は全くない男です。
私は原始仏教の理解者です。実践はまるっきり不十分ですから、実践者とは名乗れませんので、理解者としておきます。
日本の仏教をみていると、恥ずかしくなる人間です。
形式として、社会人だから、従いますけどね。

ちんどん屋

2010.9.20付 朝日俳壇より
学生のちんどん屋来る敬老日:(川越市)松本良子
 大串章 評:敬老会であろうか。「学生のちんどん屋」がお年寄りを楽しませている。和やかな光景。

なんだかなぁ。敬老の日あたりで、こういう光景をニュースなどでよく目にしますが、「和やか」ですか?
まぁ、楽しんで下さる方もいらっしゃるのでしょうからいいですけど。
なんだか、他方では「失礼な」「無礼な」行為のように見受けることもあるんですがねぇ。

年配者世代の年少組に属する私としては、あんまり愉快な気持ちだけでは居られないんですけれどねぇ。

60代を一応「年少組」
70代をまあ「年中組」
80代以上で「年長組」
かなぁ、などと呟いております。

苦月

2010.9.20付 朝日俳壇より
苦月(くがつ)とも言ひたきほどの秋暑かな:(岡山市)光畑勝弘

まったく。彼岸の中日の前日に33℃は辛い。猛暑日だったところもあるようですね。
まさしく「苦月」です。
みごとな造語です。

造語と言えば、「九月蚊」と書いて「うるさい」と読みませんか、というようなことを私は、去年でしたっけ、言った覚えがある。
「五月蝿」も「九月蚊」もうるさいなぁ。真夏の蚊より攻撃的な気がしませんか。

高階

2010.9.20付 朝日俳壇より
高階に吾も俊寛放屁虫(へひりむし):(東京都)朝田冬舟
 金子兜太 評:島流しにされた心情の諧謔。

この句では私はちょっと考え過ぎました。
高階って、高い「階=きざはし」って、何か宮殿や神社・仏閣の話かな?と。

選者の評をしばらく眺めていて、あぁそうかぁ、高層マンションの上の方=高階なんだぁ、と思い至った次第です。
私は高層マンションの上の方には住みたくないです。
エレベーターが動いていればそれは行き来できますが、もし、地震で停止したなんていったら、もし外出中だったらどうやっても帰れませんし、下りることもできません。
まさに「島流し」ですね。

災害時の備蓄を地下に置いていると、実際に災害があった時に上の方へ運ぶことは難しい、各階に備蓄すべきだろう、というような話も聞きますね。

昔、勤務した学校にエレベーターがあって、車いすの生徒を受け入れていたのですが、震度4位の地震がくると、停止してしまって、業者が点検して安全を確認してリセットしないと動かないというシステムでした。で、実際、夜中に震度4があって、朝出勤したらエレベーターが動かない。生徒を車いすごとみんなで運び上げた、ということがありましたっけ。

私だって、地震が来てエレベーターが途中の最寄り階に停止してしまったら、自分の脚では上るもならず、下るもならず、立ち往生してしまいますね。怖いことです。

何気なくエレベーターに頼った生活をしてしまいますが、「島流し」って、すごいポイントを衝いた句なのだ、ということがだんだんわかってきました。

秋燕

2010.9.20付 朝日俳壇より
海遥か秋燕厚き胸したる:(広島県府中市)宮本悠三

渡りに備えて堂々とした体つきになった、それを「胸厚き」と表現したところが、ポイントですね。巣立ちのころは、体格だけは親鳥より大きめになったくせに、エサ頂戴、とまだねだるんですからね。その頃に比べれば、体は締まり、精悍になり、いかにも渡りへ向かうというパワーを感じさせるようになったのですね。

ところで、日本で見るツバメはどこへ渡るのか、ちょっと検索してみましたら、
マレー半島、フィリピン、台湾、オーストラリア、などとありました。

あの小さな体ですごい飛行をするのですね。無事南へ渡り着き、来年はまた日本へ飛来して繁殖してくれますように。

獺祭

2010.9.20付 朝日俳壇より
獺祭のごと目薬を並べ秋:(京都市)辻弘斗

困った物知らずです。
まず読めなかった。イタチかカワウソとは思ったんですよ。で、カワウソだった。
「カワウソ・まつり」って何だ?と分からず。
京都にそういうお祭りがあるのかな?などといい加減なものです。
読めないままに「獺祭」で検索したら、お酒の銘柄が出てきた。
ふ~ん、酒瓶でも並べるのかなぁ?と不審。
この時点で「だっさい」という読みを知ったので広辞苑を引きました。

だっ‐さい【獺祭】
①カワウソが多く捕獲した魚を食べる前に並べておくのを、俗に魚を祭るのにたとえていう語。
②転じて、詩文を作るときに、多くの参考書をひろげちらかすこと。正岡子規はその居を獺祭書屋と号した。[広辞苑第五版]

ここに至って、やっと句の意味がわかりました。
カワウソが魚を並べる、というのになぞらえたんですねぇ。

何種類かの目薬を処方されたのでしょうか、事情はわかりませんが、情景は浮かびます。
これと、これと、これ。忘れず、これだけ点すんだぞ、と自分に確認して、これはまるで獺祭だなぁ、と苦笑なさったかな。

「評」というより「注」がほしかったというのが実感でした。

サングラス

2010.9.20付 朝日俳壇より
サングラス外し気概を払ひけり:(千葉市)佐藤豊子
 金子兜太 評:構えた気持ちを捨ててしまうということ。

分かるんですけどね。「捨ててしまう」というよりはむしろ、「解き放つ」という感じではないか、と私は思います。
「気概」というのはおそらく、「気を張って」いたということでしょ。ですから、それをほどいた、という風に私はとりました。


ヒガンバナ

0922_3higanbana1 9月22日
昼食後に、暑いけれど外に出てみました。薄くなり始めている頭髪を通して、地肌が日焼けしそうです。
律儀なことに、ヒガンバナがすっくと立ち上がって、つぼみを付けていました。
まだ固いのもあれば
0922_3higanbana2
まもなく開きますよ~、というのも。
今のところ4本くらい立ち上がってきています。
今年の夏は、やたら暑くて、地面に生えている植物でも焼けたみたいになったり、プランターのものは、かなり手ひどく枯れたりしました。
それでも、彼岸は彼岸。ちゃんとヒガンバナは花を開こうとしています。
生きものたちって、すごいものですね。

昆虫相もなんだか薄い感じがします。
予報では暑いのは今日まで。明日から少し雨の日が続いて=秋雨前線がかかって、気温がぐんと下がると言っています。期待しましょう。そして、昆虫さんたちにも、さあ秋だ、とどしどしご登場願いたいものです。

追記

前の記事への追記です。
カ氏温度では0℃→32Fですね。
なんでこういう数値なんでしょう。
確認しとこうとおもって、「カ氏温度」で検索したら、自分のホームページがトップでヒットしてびっくり。なんだか見覚えがあると思ったら自分のHPなんだもんなぁ。で、自分のHPから引用します。

http://homepage3.nifty.com/kuebiko/biology/jyosyo/ondo.htm

温度について
●私たちが日本で通常使っている温度目盛りは「セ氏温度」です。スウェーデンのセルシウス(Anders Celsius、1701~1744)は、水の沸点を0度、氷の融点を100度として、その間を100等分する温度目盛りを1742年に提案しました。後 にこの定義は逆転され、氷の融点が0度、水の沸点が100度となりました。この提案はカール・フォン・リンネ(Carl von Linné、1707~1778)によるものだということです。(「サイアス」、2000.7月号による。)
「セルシウス」が中国語で音訳されて「摂爾修斯」となり、それが「摂氏」から「セ氏」になったものです。温度の記号は「℃」です。
●アメリカでは今も「カ氏」温度が使われています。ドイツのファーレンハイト(Gabriel Daniel Fahrenheit、1686~1736)が提案したもので、温度がマイナスにならないように、氷水に食塩を混ぜた寒剤の温度を0度とすることを考えま した。寒剤の温度と氷点の温度間隔と、氷点と人間の体温の温度間隔が約1:3になることから、「氷点を32度、人間の標準体温をその(3倍の)96度にす る」という温度目盛りを提案しました。
 板倉聖宣氏によると、「32」という数値は、2×2×2×2×2なので、目盛りを均等に刻みやすいのだそうです。半分、半分・・・でよいので。むしろ「100等分」の方が途中に「1/5」という操作が入るのでむずかしいのだそうです。(「温度をはかる」板倉聖宣 著、仮説社 2002年 刊 による。)「ファーレンハイト」を中国語で音訳すると「華倫海」となり、「華氏」から「カ氏」となったものです。
●2004 年話題の映画「華氏911」で、華氏が話題にのるようになりました。(もとはアメリカのSF作家・レイ・ブラッドベリ氏の著書「華氏451」です。思想統 制による焚書を描いた近未来小説で、題名は紙が自然発火する温度とされています。)

温度の値が「マイナス」になることが気分が落ち着かない、不快だったんですね。
中学校で負の数を導入して自然数を拡張して整数にひろげていくときに、「負、マイナス」という概念に戸惑った方も多いことでしょう。
温度のような量を例にして、どこから測ってもいいので、どこかに原点をつくり、そこからある方向が「プラス」、逆方向が「マイナス」、と操作的に理解してもいいと思うんですけどね。トランプの赤と黒とか、借金と貯金とかもいいけど。
単純に「向き」として割り切って理解して、マイナス1を掛けることは向きを反転させることだ、だから、2回マイナス1を掛けると、反転・反転でプラスに戻るよ、でもいいのではないかなぁ。

まあ、いずれにせよ、歴史的にもマイナスの数というのはなんとなく把握しづらくて落ち着きが悪かったのだなぁ、と思っていただければ、気が楽になることでしょう。

華氏

2010.9.20付 朝日歌壇より
おおまかに華氏に換算し直して今日の暑さを再認識す:(舞鶴市)吉富憲治
 永田和宏 評:渡米生活の長かった作者。百度を超えたかなどと華氏に換算すれば、この猛暑はいっそう身体に堪える。

評にあるように、作者はアメリカ在住が長く、アメリカから朝日歌壇に投稿をなさっていたと記憶します。

アメリカでは、ヤード・ポンド法が生きていて、温度は華氏が使われています。
私は子どものころ尺貫法からメートル法への切り替えを経験した世代です。いろいろ抵抗もありました。永六輔氏は有名です。
母親も裁縫には鯨尺を使っていました。銭湯の体重計は貫の目盛りで「百貫・・・」などという囃し言葉もありました。肉は匁で買っていました。升、合なども当たり前でした。
でも温度は摂氏でしたね。
日本人はそういう変わり身ははやいようですね。

化学の授業で温度を扱うことがあります。その時に、摂氏と華氏について話をして、換算法なども教えます。
そして、アメリカへ留学して天気予報で「今日は百度でしょう」といわれてもびっくりするなよ、などと話すわけです。
Cf
これが換算式。Fは華氏温度、Cは摂氏温度の意味です。
上の式をグラフ化するとこうなります↓
C2f
横軸は摂氏温度、縦軸は華氏温度です。
華氏の100のところを右へ辿っていきますと約38℃くらいですかね。
ということは、猛暑日には、華氏100度ということになるわけですね。
計算すると37.8℃で華氏100度になります。

★今年は、華氏100度の日が頻出したということになります。
すごいですねぇ。

カ‐し【カ氏】
(創始者のドイツの物理学者ファーレンハイト(Gabriel Daniel Fahrenheit1686~1736)の名に中国で華倫海の字を当てたことから) カ氏温度の略。華氏。
セ‐し【セ氏】
セ氏温度の略。創始者セルシウスの名に中国で摂爾修斯の字をあてたことから、摂氏セツシとして使われてきたが、現在はセ氏が常用される。
[広辞苑第五版]

日本人の省略好き。セ・リーグとパ・リーグみたいなものですね。あるいはコピペとか。

セルシウス【Anders Celsius】スウェーデンの物理学者・天文学者。水の氷点と沸点を定点とした温度目盛を提唱。(1701~1744)[広辞苑第五版]

最初はね、セルシウスさんは水の氷点を「100」、沸点を「0」にしたのだったと思います。
向きを反転させたのは、分類学で有名なリンネじゃなかったかなぁ。確認していない記憶です。
今、摂氏温度を「℃」で表示しますが、この「C」はセルシウスの「C」と日本では普通は受け取られていますが、英語圏では「centigrade」=「100分目盛り」の略ということになっていると思いますよ。

◆先程、新記録が出ました!
アサヒ・コムから。

中秋も30度超 東京都心の真夏日、観測史上最多71日(2010年9月22日10時15分)
 日本列島は22日、南からの暖かい風が流れ込み、東日本から西日本にかけては厳しい残暑となった。東京都心では午前9時17分、気温が30度に達した。これで今年、都心で最高気温が30度以上となる真夏日は71日となり、1876年の観測開始以来、最多となった。
 気象庁によると、これまでの最多記録は2004年の70日だった。東京都心は今年、最高気温が35度以上の猛暑日も13日観測され、観測史上最多タイ記録となっている。
 ただし、秋分の日の23日にかけて前線が列島を南下し、各地に雨をもたらす。梅雨明けから続いた厳しい暑さは終わり、秋の空気に入れ替わる見込みだ。

たまらない暑さですが、「新記録」と聞くとなんだか嬉しいような気がしますね。変な心理。
(病院の待合室での会話が、病気の重さ比べ、になるのと似てますか?)

◆厳密な話を最後に。
ITS-90という国際温度目盛り(1990年)が現在の基準です。
この温度目盛では、水という物質の「三重点」(固体・液体・気体が共存する温度と考えて下さい、詳しくは省略)を絶対温度273.16Kと定義しています。
この定義によれば、水の沸点は約99.974℃となっています。
氷点は-0.01℃となります。
日常生活に影響が出るような話ではありません。

2010年9月21日 (火)

桃剥けば

2010.9.20付 朝日歌壇より
桃剥けば雫は肘にまでつたふ甘きをわかつ人はあらなく:(徳島市)磯野富香
 永田和宏 評:寂しさはこんな何気ない瞬間に不意に襲ってくる。「雫は肘にまでつたふ」の具体が秀逸。

瑞々しい桃の皮をするするっとむくと、果汁が溢れ、手をつたい、肘にまで伝う。
見事な描写ですね。
その甘くべたつく果汁を手に伝わせて皮をむいて。
食べてくれる人がいない。うまいなぁ、と言ってくれる人がいない。
一人で口にする桃の甘さの、空しさ、切なさ。味気なさ。
切ないですね。
で、思い入れし過ぎかな、配偶者を失われたばかりの永田氏の「寂しさは何気ない瞬間に不意に襲ってくる」という評の言葉は、おそらく実感であろうと、推察します。

気が張っていた間はいい。
季節は秋。
季節性の鬱にも襲われやすい時です(私がそうなので。)
心確かにお保ちください。
作者も。選者も。

概念なき死

2010.9.20付 朝日歌壇より
(し)が影に花びらのごと蝶墜ちぬ概念なき死は怖れなき死か:(和泉市)長尾幹也

「死」という概念をつくってしまったところに人間の不幸があるわけで、生まれ来るも死に去るも、そう特別なことではないのにね。
生まれる前に何かがあったわけでもなし、死んだ後に何かが残るわけでもなし。
死ぬ時には意識の統合がほどけてしまうので、苦痛も何にもありはしない。
ただ、死ぬのが怖い、とか、死んだら何にも残らない、とか余分なことを考えるのがいけないのです。
生まれた以上生きる。生きている以上死ぬ。ただそれだけのこと、に徹してしまえば、何にもない。
実はおそらく、釈迦の教えはそういうところにあるのです。
「概念」とは中味の朽ち枯れた外殻でしかないのに、それが実体であるかのように思って苦しむ。そんなことへの執着は捨ててしまいなさい、そうすれば「苦」は消えますよ。

ちょうど明後日は「彼岸の中日」。
執着に苦しむのが「こっちの岸=此岸」、執着を離れて自在にあるがままにあり、また、消えるのが「あっちの岸=彼岸」。

ヒト以外の生物たちはみんな悟りに達していましてね、彼岸にいるんです。たまたま、此岸に姿を現して私たちの目を楽しませてくれますが、あれらは皆悟りし者。

どうということもない。あっちの岸へ渡りませんか。
ご一緒に。
彼岸にわたるというのは、即、死ぬということではありません。
心が凪ぎわたることです。
生きたままでも渡れるんですよ。

採点

2010.9.20付 朝日歌壇より
薄くって小さな文字が見えにくい高学年の採点苦戦す:(広島県)底押悦子

低学年の子は先生の言うとおり、HBとかBとかを使ってくれるんですよね。
高学年になると、いろいろ「少女」の趣味が発揮されてくる。

高校生でもいますよ、女子に。
5Hだとか、すごく薄い鉛筆で、やたらと小さな文字を書く。
男子にはあまりいませんね。
私の場合は相手が高校生でしたから、おまえダメだよこんな字、読めねェや、採点しないぞっ、と文句つけると、いいじゃん先生、虫めがね買いなよ、とかかえってくる。

作者は明白な形では詠みこまれませんでしたが、想像するに、シニア・グラスの必要性について考え始めていらっしゃる。いえ、老眼が始まっていらっしゃる。
私の場合、30代の終わりか40代の初めごろには、ははぁ、老眼が始まった、と意識してましたからね。理科教師は自分の肉体も観察してしまうもので。

陣痛

2010.9.20付 朝日歌壇より
陣痛のあいまに見やる夏花火もうすぐ会えるおまえに会える:(神戸市)小島梢
{佐佐木幸綱、永田和宏 選}
胸の上の生まれたばかりの息子抱く命の重み3224:(神戸市)小島梢
 高野公彦 評:出産直後の若き母親の喜びが、胸の上、3224(グラム)という言葉にこもっている。

よかった、よかった。ほっとしました。
超音波検査で男子ということは分かっていた、それが「おまえ」という言葉になり、生まれて実際に胸に抱いて「息子」になった。
陣痛のあいま、花火大会、あれが終わるころにはきっと出産している、きっと、と波状にくる陣痛を受け止めている。
そして、産声をあげた息子。お腹の中にいた時の重さとは全く違うズシリと来る3224gの体重。愛しいものを腕に抱き、胸に抱くということの切なさ、嬉しさ。
まるっきり頼りないんですけれどねぇ。すべてを親に任せ切っているんですけれどねぇ。でも、自力で生きているんです。命ってすごいですよね。

胎児から出産、新生児へ。宝石のような時の経過を味わわせていただいて、嬉しく思いました。
元気に成長しますよ。いい子になる。

沙悟浄

2010.9.20付 朝日歌壇より
沙悟浄や孫悟空らの通りゆく砂漠のような日々を過ごせり:(京都市)新宮良彦

火焔山ですか?
すごい連想をなさいました。
西遊記、好きですねぇ。ずいぶんいろんな訳で読みましたね。
最後に孫悟空が「闘戦勝仏」になってしまうという、まるっきり仏教的ではない結末が面白くって好きでしたね。

今年の夏の暑さは詩人たちの想像力を枯渇させるどころか、いろいろな工夫・趣向を産み出させているようですよ。
それを読ませてもらって、気分を涼しくするとしましょう。

白旗

2010.9.20付 朝日歌壇より
降伏の白旗のごと洗濯物を軒先に下げて一日始まる:(銚子市)小山年男

朝っぱらから30℃だなんて、やってられませんね。
お手上げ。参りました。降参します。
と白旗を掲げて始まるわけですね、一日が。
まったく、仰せの通りです。
降参しても手を緩めてくれないところがおっそろしいなぁ。

あきれるほどよく乾く。
一日三回くらい洗濯して、猛暑パワーでパリパリにしましょうか。

蟻地獄

2010.9.20付 朝日歌壇より
蟻地獄に蟻捕へては落としゐる夏もをはりの少女のあそび:(笠間市)北沢錨
 馬場あき子 評:夏の少女の無邪気な遊びの中に無意識に潜む可憐な残酷さをみている。
 永田和宏 評:新しい遊びに興じる少女という一見和やかな景だが「夏もをはり」の背にはどこか不吉な影が。

「無邪気で」「残酷な」「遊び」
ちょっと紋切り型ですね。

いいんですよ、蟻地獄に蟻を落してみて、どうやって捕まえるのか、ドキドキしながら観察する、とっても大事なことです。そういう経験をしないから、命の大切さをかえって知らない子が増えるんです。
昆虫少女が増えることは大歓迎。
ジョロウグモやコガネグモの網に、バッタやハエを放り投げてくっつけて、どうやってぐるぐる巻きにしてエサとして捕まえるのか、なんて、是非経験して欲しい。
カマキリはどのようにエサの昆虫に近づきカマを伸ばし、捕えるのか。チョウを捕まえた時など、翅を切り離してから食べますが、どこが食べられてどこが食べられないのか、どうして知っているのか・・・じっくり観察して欲しい。

そうやって大人になってこそ、生物多様性の意味のわかる次世代の担い手になれるんです。
虫遊びをしましょう!虫はヒトの先生です。

椰子の実

2010.9.20付 朝日歌壇より
暑き日はプールに浮かび椰子の実となりて漂着する島思ふ:(埼玉県)小林淳子
 馬場あき子 評:今年の夏の暑さは異常だが、来年はこれが異常ではなくなってしまわないか心配。第一首はもう椰子の実になってと、涼しい島への夢を思う。

別に涼しい島である必然性は詠みこまれていないと思いますが。
「椰子」といえばイメージは熱帯。
ですから、ここはもう熱帯、私は椰子の実、流れ流れて遠い島へ。

島崎藤村でしたっけ

名も知らぬ 遠き島より
流れ寄る 椰子の実一つ
故郷の岸を 離れて
汝はそも 波に幾月
・・・

これを踏まえて水面に漂い遊ぶ作者。
プールに浮かぶ涼感を一緒に味あわせていただきましょう。

このような暑さを異常と思わなくなってしまうのではないか心配、と選者はおっしゃっています。それはそうですが、このような暑さがもし続いたら、その「続く」ということが異常ですよね。
そういう意味でも続いてほしくないですね。
辛かった。

2010年9月20日 (月)

気温平年値

気温の平年値は「30年間の平均だ」といいます。例えば1月1日の平年値は30回の1月1日の平均なのでしょうか?
違うんですね。移動平均といって、日々の上下を均した値についての30回分の平均なのです。
で、現在使っている平年値は1971年から2000年までの平均値です。
10年ごとに、前の10年の分を捨て、後の10年分を追加して平均します。
現在の平年値が発表された時に、その前に使っていた平年値と比較したグラフが残っていましたのでお目にかけます。
Heinen
旧平年値は黒で、新最高気温は赤で、新最低気温は青で表示されています。
どちらも、旧に対してほんのわずか高くなっています。
最低気温のほうが旧から新へ変化が大きいですね。ほぼ通年、高くなったようです。

これは「地球温暖化」なのでしょうか?
「因果関係」というものはなかなかに難しいです。
でも、多分、人間活動が関わった変化だろうと考えています。
次の平年値はどう変わるのか?興味深いところです。

暑かった夏、寒かった夏

東京の猛暑日日数記録は今年新記録になりましたが、それまでは、1995年が猛暑日日数の記録でした。
Kion95
猛暑日がいっぱい。
「太陽がいっぱい」なんて、映画の題名ご存知の方は「御同輩」でいらっしゃいますね。ついでに「S盤アワー」とか。「帆足まり子」さんとか。

9月の中旬の始まりくらいに最後の猛暑日があったようです。
こういうグラフを見ていて気づくのは、気温が下がるといって、なだらかではない、ということです。暑い日が続く、そしてがくっと下がる。階段状に下がっていきます。

Kion93
こちらは記録的な寒い夏、1993年です。
30℃を超えた日を数える方が早い、という年でした。
熱帯夜もほとんどなかったようですね。
それはそれで、異常なことでした。
米は不作でした。

生徒に配る授業通信用に作ったグラフをそのままお目にかけました。
ずいぶん長くこんなことやっているんですね。
基本的な表計算データは時代が変わっても使えます。
LOTUS1-2-3で作ったグラフだったかもしれません。
文章は「テキストファイル」にしておくと、ソフトが変わっても全く気にすることなく使えます。
ソフトに依存しないデータファイルをつくっておくと長持ちしますよ。

今年の夏は暑かった

Kion2010
秋分の日も近づいてきました。今年の長く暑い夏もようやく終息へ向かっているようですので、気温のグラフをお目にかけましょう。新聞に掲載されたデータをグラフ化したものです。もちろん東京の気温です。黒い線は前後7日を含めた移動平均で、毎日の変化を均した線です。
4月は低温でした。
6月上旬以降、ずっと平年気温を大幅に上回りっぱなし。とんでもないですね。
朝起きるともう30℃近くという日も続きました。笑ってしまうほど暑い。
夜中に、空気が肺に入ってこないような気分にさせられたこともありました。
水を飲み、頻尿だぁ、仕方ないだろ、と呟きながらトイレに立っては水を飲み。(一回以上トイレに立ったら頻尿だ、なんてやっぱり嘘だよなぁ。)
辛かったですね。年齢を重ねると、夏を越すのが辛くなる。身に沁みてきました。

立秋を過ぎると平年気温は徐々に下がり始めます。そうして、9月に入るとすごい勢いで下がっていくのが読み取れますね。
まだまだ平年気温より高い日が続くと思いますが、いくらなんでももう35℃にはならないと思いますよ。
最高気温の平年値がそろそろ25℃になります。
暑さに身構えていた体が「ほどけそう」。
気を付けないと、ぐったりします。これが夏バテでしょう。
昔、若かったころは、そのぐったりをこえた頃、10月でしょうか、やたらと腹が減った、ということを思い出します。食欲の秋、というのはそういうことではないのかな。夏の疲れを体が回復しようとしているのでしょう。

ご自愛ください。
かかし。

半球睡眠

今、国立科学博物館で、「大哺乳類展 海のなかまたち」というのをやっていて(9月26日まで)、それに関連する記事が朝日新聞に連載されていました。その9月15日の分です。

イルカはどうやって眠るの?
 イルカもクジラも海底で眠ると息ができないし、水面に浮いたまま寝ているとサメなどに食べられてしまう。そこで、左右の脳が半分ずつ交代で眠るみたいなんだ。半分は寝ていても、もう半分が起きていて、ゆっくり泳ぎながらときどき水面で呼吸もする。片目をつぶっているときもあるそうだよ。

この、脳が半分ずつ交代で眠るというのを「半球睡眠」といいます。
ウィキペディアでは、数秒程度の半球睡眠を繰り返す、とありました。ずいぶん短時間の睡眠ですね。分単位ぐらいかと思っていましたが。
イルカの場合、それでも、水中の哺乳類で、体は海水と同程度の密度でしょうから、「眠りこけて」も、漂うくらいで済みますよね。もちろん外敵から狙われる危険はあるけれど。

ところがですね、長距離を飛ぶ鳥が半球睡眠をするんです。
アホウドリやカモメが半球睡眠をするということです。
今度は、空中を飛びながらですよ。あまり外敵に狙われることはないかもしれないけれど、「眠りこけ」たら絶対落ちますからね。水平を保つとか、腹を地上の方に向けるとか、大変なコントロールが必要だと思うんですが、半球睡眠をしながら飛ぶんですって。

人間にはまねできません。居眠り運転になってしまいます。
昔、軍隊があった時、半分眠りながら行軍した、というような話は聞いたことがありますが。

動物の能力ってものすごいものですねぇ。

貼り出す

2010.9.15の朝日新聞の読者投稿欄に「『悪い絵』と例示されたあの日」
という投稿がありました。

小学校の時、図工の時間に、自分の絵が悪い見本として貼り出されてしまった。それは心に深い傷として残り、50年以上もたった今も、心の傷は癒えない。
中学校の美術の先生は、個性としてそれを褒め、評価してくれた。これは忘れることができない。

こんな内容でした。教師の仕事は生徒を褒めることです。
一見けなしているように見える指導法も、裏には強固な愛情があってこそ成立するのです。
そんなことを考えていたら、2010.9.16の朝日新聞の連載漫画「ののちゃん」にこんな内容の漫画が載りました。セリフだけご紹介します。

1:キクチくん、答案を模範解答として貼り出してもいいかなぁ。
2:えええーっ 100点なんスかぁー
3:平均点の60点
  えっ?
4:まちがいがすごくよくある模範的なまちがいだから。
  おことわりしマス!

私、この漫画正直なところ嫌いなんです。学校の勉強は役に立たない、教師もぐうたらな人間であって、でたらめ放題だ、家族間の人間関係も互いに相手を尊重するところから成立する、というような、基本的なことを否定しているように思えるのです。
嫌いだから、却って何を描いているか、見てしまうという皮肉なことになっています。

読者投稿欄で否定された方法そのまんまじゃないですか。
「悪い見本」として貼り出すなんて。
教師も確かに人間です、色々な方がいます、それは確か。
でもねぇ、大多数の教師は責任を以て生徒を育てようと日々努力しているんですよ。
その努力をあざ笑うようなことを敢えて描いて笑いを誘うというのは、邪道ですね。
教育を害するものです。
できれば早く、この漫画を終わりにしてほしいと、願っています。
ムリだよね、わかってますけど。朝日新聞はこの漫画から「ののちゃん。藤原先生」というキャラクターを得て、大いに利用してますからね。

電子レンジ

2010.9.15の朝日新聞にこんな記事がありました。日常生活に大事な情報も入っていますので全文引用です。

キッチン掲示板:道具③電子レンジの事故(9/15)
 火を使わない電子レンジは便利ですが、一方で製品の欠陥や誤使用による事故も多く起きています。独立行政法人・製品評価技術基盤機構(NITE)に寄せられた電子レンジの事故情報は、96年度以降で646件。「10秒のボタンを2回押すつもりが、10分のボタンを2回押してしまい、パンが焦げて家中に煙が充満した」「冷凍食品をあたためていたら中から火が上がった」など内容は様々です。とろみのある食品や飲み物などを温めたあとに突然噴き上がる「突沸」でやけどした、という事例も多く寄せられています。
 火を使わないレンジも、加熱しすぎれば燃える原因になります。また、庫内に食べ物のくずが残っている状態で使うと、炭化して火花が出ることも。NITE製品安全センター参事官の長田敏さんは「こまめに掃除をし、温めすぎに気をつけてほしい。突沸を防ぐには、しばらく庫内で冷ましてから取り出して」と注意を呼びかけます。

非常に正常な内壁を持つ器で、水を静かに加熱していくと、100℃を超えたのに沸騰しないことがあります。その状態で、振動が加わるとか、小さなほこりが舞い落ちたとか、沸騰の「種」が生じると、一挙に全体が沸騰して、水蒸気が大量に発生して、噴き上がるんですね。これが突沸。
中学校や高校の理科実験でこの突沸を防ぐために「沸石」という多孔質の石の粒を入れることを学んだ方は多いと思います。多孔質の穴の中に入っている空気が膨張して小さな泡をつくり、これが沸騰の「核」となって安定した沸騰状態が得られるのですね。
これは理科実験でのことだけではないのです。とうぜん、家庭の料理でも遭遇するシーンなのですね。
学校でやる理科実験なんて、入試対策に必要なだけで、日常生活には何の役にも立たない、と思っていると大間違い。化学実験技術の多くの部分は家庭での調理技術とオーバーラップしているのです。
理科って、すごく生活に役立つんですよ。

ところで、以前から思っていることがありまして。
国際宇宙ステーションで、無重量状態で浮く水滴を電子レンジで加熱したらどうなるのか、是非見たいなぁ、という願いです。
100℃を超えても、しばらくは液体のままだと思うんですね。温度差ができても対流が起こらないので過熱状態になりやすいはずだと思うんですよ。
で、何かの内部のごくわずかのきっかけで沸騰が始まったら、一瞬で消滅するのではないか、と想像するわけです。
容器との接触がない分、できごとが激しく怒るだろうな、と想像します。
誰か、実験してみてくれませんかねぇ。

隠居

2010.9.11付の朝日新聞にこんな記事がありました。部分引用します。(太字は筆者による)

再読 こんな時 こんな本:紀伊国屋書店 市橋栄一さんに聞く:「隠居」原論
 「隠居」とは、いわば無用の人のことである。
 経済利益の飽くなき追求と競争原理を善とする物質文明の域外へ踏み出してしまっているからだ。しかし、無用であるがゆえに変幻自在に生きられる。流砂の上で必死に足を踏ん張って立ち続けなければならないような寄る辺なさにもつきまとわれずに済む。
 市橋さんはその「無用」の生き方を、「自己の解放」と解釈して、「隠居」原論となる3冊を選んでくれた。
 ・・・
記者が薦める「したくないことはしない 植草甚一の青春」(津野海太郎 新潮社)は、1970年代の若者に「ファンキーな老師」と崇拝された粋人、評論家の植草がいかにそうなったかに担当編集者だった著者が迫る。
「したくないことはしない」。これこそ、「隠居」の神髄である。義理や義務のしがらみを断ち切った超自己中心の境地へ、もめごとを起こさずに没入するには、その生き方を「芸」の域まで磨くしかない。植草老はその範となるたぐいまれな人である。
 その生き方の根底に終生、「新しいことはいいこと」という20世紀の前衛的信条があったと著者は論じている。

笑ってしまいました。私のことを言っているのかと思った。
そもそも、障害者であることを原点として引き受けたところから、私は「隠居」だったんですね。
せっかく障害者になれて、競うという価値観から解放されたのに、なんで競わなくっちゃいけないの?とパラリンピックを批判する文を書いたこともありますね。
「しがらみ」もほとんどないんですよ。教師ですから異動があるわけで、そのたびに人間関係をほとんどすべて脱ぎ捨ててきてしまった。同窓会というようなものも、まったく関心なし。年賀状という儀礼もとっくの昔に捨てちゃったし。
身軽でいいですよ~。もし私が死んでも、知らせなくっちゃならないところはほとんどない。
植草さんとは違った形で「芸」にまで達したかなぁ。
「新しいことはいいこと」という表現のままは受け入れられませんけれど、「新しもの好き」は大事だと思っています。過去の蓄積物なんかにかかずりあってはいたくない。好奇心の赴くまま、新奇なこと珍しいこと、知らなかったことをを求めて、日々楽しんでいます。
これって、隠居ですよね。

ところで、ちょっと話がずれるのですが、教師の現役時代、私はよく「教師は世間知らずでいい」といったものです。
学校というところは、世の中の仕組みや姿の原型、理想、仕組みを知るところでしょ。
なのに、今の世の中の仕組み、今の世の中に通用する価値観を絶対的なものとして教えたのでは、新しい世の中が作れないじゃないですか。
ですから、教師が「世知辛」かったり、「世故にたける」必要はないんですよ。民主主義の「原点」に立って、あるべき姿を説いていいんです。実際の社会とのずれはある。それは、大人の個人が背負って、矛盾の中を生きていく中で解決へ向けての努力を尽くせばよい。
学校は、世間に流される必要はない、と今でも思っていますが。

隠居はこんなことを考えます。

2010年9月17日 (金)

本は力持ち

◆ことのついでに、もうひとつ。

実験15「本は力持ち」:物と物が触れ合うと摩擦力が生じる。2冊の本を1ページずつ重ね合わせ、生じた摩擦の力で、どのくらい重いものを吊るすことができるのか、実験で検証する。
初回放送:2010年09月08日

これは実験自体は面白くて摩擦の力ってすごいな、と思わせてくれるのでまあいいんですが。

◆本のページを重ねる枚数を、初め例えば10枚ずつ。その時、引っ張り強度試験機のようなもので引っ張って、引き離すのに必要な力をちゃんと測る。
重ねる枚数が20枚ずつになったらどうなんだ、30枚ずつ、40枚ずつなら・・・
と実験して、グラフ化してみる必要があったと思うのですよ。

比例関係にはならないはずです。

重なり合いが2倍、3倍となるときに、引き離す力は2倍、3倍とはならない。
おそらく、指数関数的になる。
世の中の出来事には、比例じゃないものがあるんだね、ということを教えたっていい。
自分でそういう関係を取り扱えるようになるのは先のこととして、出来事としてはそういうタイプのものもあるのですから。知っていていい。

西部劇で、馬を繋ぐ時に手綱を柵の横木に3,4回巻いて、ちょっと結ぶと、馬の力ではほどけなくなる。あれも摩擦が指数関数的に増えるからです。2倍、3倍になるんじゃなくって、おそらく2乗3乗といった増え方をするのです。

そんな出来事があることを示した上で、じゃあ、体重120kgの力士を吊るすにはおおよそ何枚ぐらい重ね合わせたらいいか、と予測したらいい。

番組では重ね合わせる枚数については天下りなのですよ。
力士をぶらさげるシーンは確かにハラハラしますけれど、耐えられるはずだ、そう予測したんだから多分大丈夫だ、どうだ、うまくいくか、というハラハラをさせたい。
ただ、「紙の摩擦で力士をぶら下げることができた」すごいなぁ、ではその時だけしか印象が残りませんよね。

仮説実験授業というものを全面的に支持する私ではないのですが、うまく導いていくことで、「発見的=heuristic」な実験に組み立てていくことができるのです。
根拠もない予想・仮説を出して、当たった外れた、では heuristic にはならない。
そこは間違えないようにしないと、教育的ではない。でないと、手品を見て楽しむのと同じになってしまう。それは科学にとってはむしろマイナスだと考えます。
上手に導くべきです。
当たることも外れることもどちらも同じように重要だというように導きたい。
私の授業づくりはそんなことを気にしていましたね。

せっかく物理教育の専門家集団ガリレオ工房さんが関わっているのだから、ぜひとも、がっばってくださ~~~い。

高速スピンの謎

◆前の記事に続いて、大科学実験の「クリティサイズ」
{批判するというと、悪く言う、貶める、という感じが日本語ではつきまといます。私はNHKの技術力を高く評価していますし、大科学実験という番組も同様に高く評価しているものです。ただ、教育用に最適な形になっているかどうかという点で疑問を感じることもありますので、対象を分析し、解析し、問題点があるとすればそれはどういう点か、というようなことを、明白にしたい、と思うのです。その作業をクリティサイズと表現しました。価値観抜き、冷徹な「眼」に徹したいと思うのです。}

実験12「高速スピンの謎」:華麗に宙を舞う空中バレエ。よく見ると、手や足を広げたときには回転が遅くなり、縮めると回転が速くなっている。どのような原理が働いているのだろうか?
初回放送: 2010年07月21日

について。

◆これは「角運動量の保存」の実験でした。
サーカスでぶら下がって回転する人が、体を縮めると回転が速くなる、ということを大規模にやろうとしたのです。
大きな回転する円盤の縁に座っていた4人が、ロープをよじ登って、上の方に集まっていくと回転が速くなるという実験に仕立ててありました。

規模を大きくすればいいというものではないのですが、このごろ、この番組、大規模化ばかり追求しているように思えます。

大事なのことは
1:外力が働いていないことが明白な形で質量を移動する。
2:質量移動は回転円板上で行われるべきである。
3:質量分布が周辺か中央かが明瞭である。

これらの点が、番組では不明瞭でした。

●円盤を吊るしているロープの吊り下げ点にむかって斜めにロープを「登って」いったのですね。
すでに分かっている人には、これで外力が働いていないことが分かりますが、初心者には、人がロープをよじ登ることが内力のみによるということは明白ではないでしょう。
ロープを手繰る力の収支関係が見えにくいからです。
●また、人が登りながら回転の中央に集まっていますので、質量分布が中央に移ったのだということが不明瞭になっています。高くなった、ということの影響はないのかな?と考えさせてしまうでしょう。
無用の要素を混入させたために混乱を招きます。

●大きな円盤を吊して回転させる。これはいい。
円盤上に例えばレールが敷いてある。そこに摩擦の少ない椅子が円盤の端に向かい合わせで二つ乗っている。
椅子に人が座った状態で円盤を回転させる。
二人は一本の軽くて丈夫なロープを持っており、実験開始後、ロープを互いに引く。
すると、ロープの張力を介して二人の座った椅子はレール上を中心方向に移動していく。
この時、円盤の回転速度は速くなっていく。

こんな実験にするべきでした。
質量は回転面の内にある。
ロープを介して引き合えば、外とは無関係に内部の力だけで移動していることが明瞭。
です。

あるいは逆向きに、
●回転円板の中心部に、相当に重いおもりを二つ、押し縮めたばねを挟んで、強い紐で結んでおく。
円盤を回転させ始めてから、何らかの時限装置で紐を切る。
すると、二つのおもりはバネの力で両側へ押し出され、レール上を縁に向かって転がっていって、質量分布が変わる。
円盤の回転速度が小さくなる。

こういう構成でもいいですね。
角運動量保存、なんて言葉は要らないわけで、出来事の本質部分を見ただけで分かるようにすべきでした。

スケートのスピンを使わなかった、というのは、氷と靴のエッジの摩擦が「外力」のように見えるからでしょうか。
規模を大きくしたかっただけでしょうか。
どっちでもいいですが、本質のえぐり方が「鈍かった」ですね。

ただ実験規模を大きくすればいいというものではないはずなのですが。
ちょっと思い違いしていないかなぁ。

時速100kmの振り子

◆今年度NHKの教育テレビで放送されている「大科学実験」ですが、出だしのころは快調で、原理・法則一つを追求して、常識をはみ出すような実験で本質をえぐり出してくれるものでした。私は現場を去ってしまいましたが、つい「これは授業に使える」というような意識で見ていました。
 ところが、このところ、不作が続いています。
◆近いところで、9月15日に放送された実験16を先ずクリティサイズしたいと思います。
 題名は、実験16「時速100kmの振り子

 基本的には単振り子が最下点で最高速となる、その最高速を時速100kmにできるか、という設定です。

 単振り子とはいえ、振幅の小さな範囲での周期を問題にしているのではなく、90度の高さから振り落してて最下点でどのくらいの速度になるかという実験です。ですから、力学的エネルギーの保存がテーマということになります。
Huriko
上図のAからおもりを放して円弧を描いてh落下し、最下点Bで速さvになるものとします。

Aでの位置エネルギー = Bでの運動エネルギー
という式は①です。
Siki

この式を変形して、最下点での速さを求めたければ②の形で、どのくらいの高さから落とせば望みの速さになるかを求めるには③の形で使えばよいのです。

◆番組では、最初、おもりを放す高さが高いほど最下点での速さが早くなることを、ほぼ天下り的にやってしまいました。
精密な実験の可能なNHKなんですからいくつかの実験を提示して、その結果をグラフにしてもいいと思うんです。
高さを横軸に、速さを縦軸にとったグラフでを描いて、直線的ではないけれど、高いところから落とすと速くなる、ということを示してもいいと思うのですよ。小学校高学年くらいならその対応関係くらいはつかめる。
下のグラフは、横軸が高さ[m]、縦軸が速さ[m/s]になっています。
Hayasa
こんなグラフのごく粗いものでいい。
正比例ではないけれど、高くから落せば最下点での速さは速くなることは一目瞭然です。

◆さて、番組内では、スタッフが最下点で時速100kmになるには振り子の長さはどのくらいなのか計算してみよう、といって計算しているシーンが写りました。
だったら、下のようなグラフを提示して、理論的にはこうなる。時速100kmにするには約40mの長さの振り子が必要らしい。
ほんとうだろうか?やってみなくちゃわからない。
といえばいいのですよ。
Hayasa2
このグラフでは横軸は、速さ[km/h]で、縦軸が高さ[m]になっています。
横軸の100[km/h]のところを上へたどれば約40[m]というのが直読できます。

予測する。本当か。そんな大きなスケールでも正しいのか?
と詰めていくわくわく感を、スタッフと一緒に味わえるようにすればいい。
{スタッフはかなりわくわく胸躍らせてるなずなんです。今までにない実験をやろうとしているのですから。それを視聴者にも味あわせてあげたい。}

◆さて、実験ですが、クレーンの先端が40m位になるようにして、実験。
実は、失敗。
最下点で時速100kmにならなかった。
それより少し高い点での測定値が時速100kmになっていた。
番組では、これだけ高速になると、空気抵抗が大きくなってしまう、と天下り的に宣言して、とにかく時速100kmが出た、めでたしめでたし。になってしまったのでした。

◆困ったなぁ。
これを録画しておいても、授業で使うわけにはいかない。
失敗がいけないのではないのです、その原因追究がなされていないからなのです。

1:できれば真横ショットで、おもりを放した点と、反対側でほぼ同じ高さまで上がることを示してほしかった。エネルギーの保存のことを話すためにはそれが絶対に必要。

2:おもりの速度をスピードガンで測っているのですが、その誤差はどの程度のものなのか。複数台使っていますので、それぞれに示す値は信用できるのかどうか。時速100kmで走る自動車を一斉に測定して、どのスピードガンも同じ値を示すかどうか、といったチェックが必要でしょう。

3:最下点の手前で最高速が出て、最下点でスピードが落ちる、ということは空気抵抗を考えてもあり得ないのではないか?
終端速度に達したのであれば、その速度が保たれるのではないか?なぜ速度が落ちたのか釈然としません。

4:全体をおさめる視野のカメラでチェックして、おもりを吊るしている針金の「たわみ」などはどうなっていたかが知りたい。
当然40mもの長さの針金ですから水平にまっすぐになっているわけがない。
下にたわんでいるはずですね。
ですから、落ちはじめは、ほぼ真っすぐ落ちて、その後に針金がピンと張り、その衝撃でその後ある種のバウンドをしながら落ちてきたのではないか。そのバウンドの頂点部ではスピードが落ちることがあるかもしれない。
{高校物理で、自由落下を記録タイマーで測定する実験がありますが、あの時、テープのたわみとバウンドが測定に紛れ込むことがよくあるのです。}

5:おもりを吊るす針金の固定点はどのような構造になっているのか。ねじれとか緩みはないのか。

いろいろ湧いてきます。
できれば、この回の実験のPart2として、実験の解析をやってくれれば、最初の失敗と共に「授業に使える」ようになるのですが。
実験は失敗したっていいんです。なぜ失敗したのかがきちんと追求できればそれは「成功」なんです。

どうも、この番組、ガリレオ工房も絡んでいるはずなのに、ちょっと甘くなってきたなぁ。
本質をえぐり出すパワーを回復して欲しいものです。

法則・公式を天下りに信じこまないで実験してみようということでスローガンができているんですよね。
やってみなくちゃわからない
とね。

だったら、失敗を天下りに「~~のせいだ」と信じこませてはいけないんです。
分析してみなくちゃわからないでしょ。

ツユクサ

0907_4tuyukusa 9月7日
先日、アサガオの自家受粉の話を書いたときに、ちらっとツユクサにも触れました。
ありふれているので、もういいかぁ、と今年は全然載せなかった花ですが、ここで、一度見ておきます。
他家授粉を基本にしながら、自家受粉でもいいという保険をかけている花です。
すごい工夫ですね。

それにしてもこの青い色。見事に青いですね。
青いバラをつくったという話がありましたが、こうはいかない。
それぞれの花がそれぞれの色でいいと思うんだけどなぁ。
無理していじらない方がいいと思うなぁ。

ササグモ

0907_3sasagumo 9月7日
ササグモの幼体ですね。
生まれたばかりではありません。
それなりに成長したもの。
でも、頭胸部も丸っこいし、腹部もポチャッとしているし、「幼児体型」ですね。
トゲトゲの脚は一人前にすごいんだけどなぁ。

やっぱりこのくらいだと、蚊のようなサイズのエサを捕まえるんでしょうね。

オンブバッタ

0907_2onbu1 9月7日
ん?なんだ?
視野に何かが引っかかりました。
アジサイの葉の間に何か異なるパターンが見える。
0907_2onbu2
オンブバッタですねぇ。
0907_2onbu3
回り込んでみればはっきりわかる。
みつかっちゃった。
0907_2onbu4
これがオンブバッタの「ピースサイン」
ピース・ピース。

ハチ

0907_1hati 9月7日
また分からないものをお目にかけます。
なんだろうなぁ。ハバチかなぁ。
とにかく、触角に注目して下さい。
トナカイの角みたいでしょ。
これを手掛かりに調べたのですが、分からない。
こんな触角珍しいと思うんだけどなぁ。

教えてください。
(聞いてばっかりですね、このごろ。頼りないなぁ)

オオヒメグモ

0906_10oohimegumo1 9月6日
オオヒメグモが何かをぐるぐる回しています。
エサがかかったのですね。
これは、アリではないでしょうか。
0906_10oohimegumo2
完全に確定は出来ませんが、まず間違いなくアリですね。
糸を出してくるんで、ぐるぐる巻きにしています。
アリはまだ生きていて、動きます。ひょっとすると「蟻酸」を放っているかもしれません。
思いなしか、クモは少し離れ気味に獲物をぶら下げて回している気がします。
まともに浴びたらきっときついと思いますよ、蟻酸は。
翌日見に行ったらもう、形跡はありませんでした。多分食べたんでしょう。

ブチヒゲカメムシ

0906_7butihigekamemusi1 9月6日
フウセンカズラの蜜をカメムシが吸っています。
やっぱり「刺して」吸うんですねぇ。
0906_7butihigekamemusi2
口吻と鞘の関係が分かりやすいようにその部分だけ拡大してみました。
普段は鞘を腹側に倒して伸ばす。すると口吻はその鞘の溝に納まってしまうようですね。

ところで、このままでは何カメムシか分からない。
ちょっと背中を見せてよ、と指で花の部分をひねったら
0906_7butihigekamemusi3
指に移ってきてしまった。
悪い、そんなつもりじゃなかったんだが。
食事を中断させてしまいました。
で、背中を見ればブチヒゲカメムシでした。
フウセンカズラの花に戻してやりましたが、どうなったかなぁ。

追記:カメムシがとまっている指の下の指。水滴がついています。
その時はまるっきり気づいていませんでした。多分、カメムシの排泄物。花の蜜を吸って水分を放出したのでしょう。写真を見るまで気づきませんでしたから、おそらく、この水滴、シャツかジーパンに吸い込まれたんだろうなぁ。

ネコハグモ

0906_5nekohagumo1 9月6日
ネコハグモの巣です。
右の方に小さな甲虫がとらえられて死んでいます。
食べられたのでしょうね。
0906_5nekohagumo2
拡大するとこういう甲虫。
ハムシでしょうね。小さいのです。4mmあるかないか。
バラルリツツハムシでしょうか。
自信は全くありません。

間違っていたら訂正してください。

2010年9月16日 (木)

ブッドレア

0906_6buddleja 9月6日
夏の間暑さに耐えかねたのでしょうか、花をつけなくなっていましたが、ここにきて、再び花を咲かせ始めました。嬉しいことです。
ブッドレア、ランタナなどがあると、チョウが蜜を吸いに来てくれます。
ランタナの方が花のシーズンが長いかな。
花にチョウを呼びたいな、という方はランタナもいいと思いますよ。
飼育してみたい方は、食草を植えなければなりませんが。

ハエ(としかいいようがない)

0906_4hae 9月6日
腹部の膨らみ方はハチっぽいですよね。
でも、平均棍が写っていますでしょ。
それと触角ね。
どちらも、この昆虫がハエ目の昆虫だということを示しています。
で、アブという感じはないからなぁ。ハエでしょう。
そこまで。
その先が分かりません。
ハナバエの仲間かなぁ。
どなたかご存知ないですか?

オオチョウバエ

0906_3ootyoubae 9月6日
なんでだか嫌われる昆虫ですね。
水廻りで発生します。
この写真も、外の流しのところの壁。
毛むくじゃらですね。
おそらくこの毛がこのハエの「武器」なんですよ。
トイレとか風呂とかの水廻りで発生しますから、当然水をかぶってしまうことも頻繁にありうる。
ところがこのハエ、見事に完全撥水性の体なので、全身に水を浴びても濡れないのです。
もし、シャワーなどあるところで見かけたら、試しに、シャワーを浴びせかけてみてください。
平然として水流の中から脱出してきますよ。
もし体が濡れてしまったら、水の表面張力はとても強いので、飛べなくなったり、水滴に体が張り付いて死んだりしますが、オオチョウバエは大丈夫。
その秘密が恐らくこの「毛」なんです。毛自体濡れにくいのでしょう、その濡れにくい毛が密生すると、超撥水性になって全く濡れなくなるのです。サトイモの葉の上で水滴がころがるのも、葉の表面の毛のせいですね。
車のフロントガラスにフッ素樹脂の撥水処理をした時は「毛」ではなくフッ素樹脂という素材の撥水性ですけれどね。
これで水廻りでの生活の安全を確保しているのだと思います。

ただ、敏捷な虫、というほどでもないので、見つけて、嫌だったら手で叩いてしまえばいい。簡単に叩き殺せますよ。

◆オマケ
チョウの翅も毛ではなく鱗粉の凹凸による撥水性を持っています。もし、死んだチョウなど見つけたら、ちょっとだけチョウさんに手伝ってもらって、翅に水をかけてみてください。見事に水を弾くはずです。実験がすんだら、土に戻してやって下さればいいのです。

理科おじさんの部屋にそのことを書いたことがあります。ご覧ください。
http://homepage3.nifty.com/kuebiko/science/100th/sci_100.htm

ヤマトシジミ

0906_2yamatosijimi 9月6日
ヤマトシジミなんですけれど、意外と翅を開いたところって見たことないんですね。
たまたま、翅をゆっくり閉じたり開いたりしていたので、こういう写真が撮れました。
地味ですけれどきれいなものです。
もうちょっと全開の状態って撮れないものでしょうかねぇ。狙ってはいますが、よく動くチョウで、なかなかに難しい。

アシブトコバチの仲間(だと思う)

0906_1asibutokobati 9月6日
これねぇ。後脚が太いんです。でアシブトコバチの仲間だと思うんです。
これで脚が黄色ければ、キアシブトコバチなんですが、黄色くはない。
調べてみたら、チビツヤアシブトコバチではないか、と思うんです。
尊敬するサイトに「?」つきですが写真があります。ご覧ください。
http://plaza.rakuten.co.jp/Wolffia/diary/?ctgy=2

ハチの世界は奥深い。うっかり写真を撮ると迷いこんで迷子になってしまいます。
でも、見ると撮りたくなるんだよなぁ。

ニラ

0904_13nira 9月4日
ベランダのプランターでニラの花が咲き続けています。
これは夕方。雨戸を閉めようと顔を出したらきれいだったのでパチリ。
光の量の関係で花がくっきり浮き立って写りました。

0911nira 9月11日
これは朝。上の写真とほぼ同じアングルなんですが、いかにも朝でしょ。
背景の木が朝日を浴びて明るく輝いています。

0914_1nira 9月14日
花が終わりにきて、子房がみずみずしく目立っています。
花弁も、メシベもオシベも、この子房の中に種をつくることが仕事。
無事、種が成熟しますように。

アオスジアゲハ羽化

0904_12aosuji1 9月4日
アオスジアゲハが羽化しました。
白いのはティッシュペーパーです。
今年買った昆虫飼育用のケースで、まだ足場が悪くて滑るのですね。ながくチョウの幼虫を飼育したケースだと、幼虫たちが歩く時に足場の糸を張りながら歩くので、ケース内面が滑らなくなるのですけれどね。
で、危ないから、足場としてティッシュペーパーを垂らして、上の方でセロテープで止めてあるのです。

0904_12aosuji2
クロアゲハのような迫力ある姿態ではないですね。スマートだ。
優しくって可愛い顔です。

0904_12aosuji3
飛び立つ直前、翅を開きかかった瞬間。
きれいでしょ~。
自然界に介入して、ちょっとだけ羽化率を高くしているわけですが、許してもらえる範囲だと思うんですけどね。
うれしくって楽しくって仕方ないんですよ。

甘いにおいも

9月15日 こんな話がアサヒ・コムに載っていました。

甘いにおいも「不快」 京都地裁、菓子工場側に賠償命令
 違法操業していた菓子製造会社の工場(京都市南区)から漂う甘いにおいや騒音で苦痛を受けたとして、周辺住民らが同社と京都市に慰謝料など計約2100万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が15日、京都地裁であった。裁判長は「あめやカステラなど菓子特有の甘いにおいが漂っていた。長期間にわたって継続的な場合、住民の不快感はかなりのものと認められ、受忍限度を超えていた」として同社に計約280万円の支払いを命じた。市への訴えは棄却した。
(後略)

絶対的に「よいにおい」というものは実はないのですね。
芳香も濃いと悪臭、しかも長期間となったら、たまらないでしょうね。
悪臭も薄いと芳香というのもあって、ジャスミンの香りには、糞便臭のインドールが含まれています。
酪酸という乳製品が腐ったような悪臭も薄ければ、チーズの芳香、赤ちゃんの乳臭さ。

◆思い出すこと
 昔、到来物の醤油の大きな缶(18L位でしたでしょうか)を使い切ったので、何かに使えるということで、母親が私に、缶のふたを切り開いてくれといったのですね。大きな缶切りを手に、切り始めたのです。
初めは醤油の芳香だったのですが、切っていくうちに、中の濃い醤油の香りが顔面を襲い、鼻を襲ってきました。
参りました、吐き気のする悪臭になってしまったのですね。あわてて、室内から缶を外へ持ち出して吐き気に耐えながら作業続行。切るには切りましたが、もう2度とやりたくない作業ですね。
芳香のはずなんですがねぇ。濃いとダメ。知ってました?

◆昔の人の知恵
 トイレをね、便所とか御不浄とかいっていましたが、便壷に溜めておく汲み取り式で、トイレ自体の密閉性も悪いし、使用後、家の中ににおいが漂うわけですね。
で、火鉢のシーズンには、炭火に醤油を垂らすんですね。すると、醤油の焦げた香りが立ちあがって、トイレの芳香剤の代わりになったわけです。これはいい香り。
ミカンを食べた後の白い皮ね、あれを炭火にくべると、これがまたよい香り。
いろいろな知恵があったものなのです。

◆話が吹っ飛びますけどね。昔は「焼海苔」よりも生海苔が安くて、手に入りやすかったんです。
で、私、親に仕込まれて、海苔焼きの技を持っているんです。火鉢の五徳に金網をのせて、生海苔を2枚合わせて持ちまして、炭火であぶるようにあおぐように、すっ、すっと表、裏と手首をひねって返しながら、焼くんですね。
炭火焼きの焼海苔の技を持っているんですよ~。
料理によって焼海苔が必要になると、海苔焼いて、と渡されて、良いぐあいに焼くのが私の仕事。でした。

2010年9月15日 (水)

アメリカミズアブ

0904_8mizuabu 9月4日
アメリカミズアブが体の掃除をしていました。
掃除ではない時は、触角を交互に上下にふるのが特徴的なんですが、この写真の時は、前脚の動きも入っていて、あれ?なんだろう?と目をひかれました。
前脚で複眼から触覚へ拭きとっては、前脚をこすり合わせる。かなり一生懸命長時間やってました。なかなかに可愛らしい動作です。
写真では、右前脚で触角をおさえて拭きとる瞬間が写っているようです。

ハエが手をする、というときもよく見ると、前脚で複眼を拭いて、その前脚をすっていることも多いようです。じっくり観察してみてください。

カメムシ2種

0904_7kamemusi1 9月4日
上がヨツボシヒョウタンナガカメムシ。
下はヒゲナガカメムシ。
ネコジャラシですが、まだ花ですね、結実直前かな。汁っ気が多くておいしいのでしょう。
0904_7kamemusi2
こんな写真が撮れました。
空中浮揚みたいですね。
ヨツボシヒョウタンナガカメムシです。
穂の毛に脚を置いて立ってるんですね。
結構気に入った写真になりました。

ネコハエトリ

0904_5nekohagumo 9月4日
ネコハエトリの食事中。
獲物はこれ、何でしょうねぇ。
平均棍がはっきり見えます。当然ハエ目。
この複眼の赤さはハエでしょうかねぇ。
腹があまりころんとしていないのが気になりますが、もうクモに吸われたのか。
分かりませんが、大きなエセにありついたものです。
よかったね。

ホップ

0904_4hop 9月4日
ヤマノイモとアサガオがごちゃごちゃに「グリーン・カーテン」をつくっている場所。
目の届かない頭の上の方で花が咲いていますが、目の前に、アレ?
これホップの葉です。
何年か前に、緑のすだれにと植えましたが、ちょっとがさがさ引っかかりやすいんで、やめて、2年くらい植えてないはずだと思ったんですが。
しぶといですねぇ。ヤマノイモとアサガオの乱戦の真ん中に顔を出しました。
茎に触れてみるとザラザラ、ホップの感触です。
茂る気なんですかねぇ。見ものですね。
三つ巴になるかもしれない。

ハエ

0904_1hae 9月4日
ものすごく大きなハエでした。
迫力にびっくりして一枚。
ニクバエですかね。

昔、老眼になるずっと前、反射神経も鋭い少年時代、飛んでいる大型のニクバエを素手でつかみとったことがあるんですね。やった、と思いながら、軽く押して動けないようにして、紙にくるもうと掌を開いたら、小さな蛆がいっぱい産み出されていましてね。その時、ニクバエは卵胎生なんだ、と身を以て知ったのでした。
忘れません。

ぽわぽわ

0903_hppowapowa 9月3日
白山神社にて。
なんということもないのです。
白いぽわぽわをご覧頂いて、心和んでください、というだけの記事でした。

お祭りポスター

0903_hmaturi 9月3日
「ガマの油売り」とか「バナナの叩き売り」というのが「奉納『演芸』」なんですねぇ。
ガマの油売りは直接見たことはありません。
バナナのたたき売りは、渋谷のガード下でもやってましたね、子どものころ。
じいさんになっちまった。
客との掛け合いが面白いんで、一人でやってもつまんないんじゃないかな。

思い出:小学校の低学年のころ、駒繋神社という神社がそばにあって、祭りの日の方が先に決まっていて、小学校は祭りの日に合わせて休校になったんです。ところが、高学年になったころ、学校優先になってしまって、神社のお祭りは土日になってしまった。つまんなかったですね。

(多分)タケノクロホソバ

0903_hga 9月3日
白山神社にて。
この黒いガ、タケノクロホソバというガだと思います。
成虫はとくに警戒することはないですが、幼虫が毒毛をもっていますので注意してください。
笹の葉がスパッと切られたように食べられていたら、このタケノホソクロバの幼虫の可能性大です。
幼虫の姿は下のサイトでどうぞ↓
http://aoki2.si.gunma-u.ac.jp/youtyuu/HTMLs/takenohosokuroba.html

お祭り

0903_hdenkyu 9月3日
白山神社にて
お祭りの準備をしていました。
夜の境内を照らす電球です。
保護用の針金の籠のようなものに入っています。
下の部分が花びらみたいに開くんですね、これ。手作りでしょう。
上の部分のメインの電線に対して並列でつながっている。当たり前だけど。

私の世代では、ぎりぎりのところで、「アセチレンランプ」というものを知っています。
イメージ図を描いてみました。
Lamp
子どものころに自分の目で見て、多少大きくなってから何かの書籍で解説を読んで、それで記憶が強化され定着したイメージです。
下の缶が2段になっているというのは書籍から得た知識。ねじがどこかについていて、それを緩めると、上の段の水が下の段のカルシウム・カーバイドに滴下され、反応を起こしてアセチレンが発生し、くだを通って導き出され、点火すると明るく燃える。先端部が二股になっていて、二つの炎が交差して、そのぶつかった部分が明るかったような、これは記憶。
大人はよく、祭りのアセチレンランプは「くさかった」といいましたが、なぜか、においの記憶はないんです。祭りの人出に興奮していて、出店なんかに集中していたせいかもしれません。祭りの全体像はないんです。人出の中での小さな切り取られた「シーン」という記憶が少し残っています。

◆理科おじさんコーナー
ふつうこのアセチレンランプに使うものを「カーバイド」といいます。
でも「カーバイド=carbide」は「炭化物」という意味でして、何の炭化物なのか指定されていないことになります。
ですから正しくはカルシウムの炭化物=炭化カルシウム=カルシウム・カーバイド
=calcium carbide
なんですね。

F1

カルシウム・カーバイドは水と反応してアセチレンを発生し、水酸化カルシウム(=消石灰)を生じます。
で、このカルシウム・カーバイドというやつ、普通に売られているものはものすごく不純物が多いのです。そのために、アセチレンそのものは無色無臭の気体なんですが、不純物のためにものすごく臭いことになってしまうのです。これがいわゆる「アセチレンは臭い」ということになってしまった原因です。

アセチレンはアセチレン溶接に使うくらいで、酸素が十分に混ざった状態で燃やせば2000℃を越える炎が作れるのですが、実はものすごく不完全燃焼しやすい物質なのです。不完全燃焼すると炭素の微粒子が生成し、それが加熱されて光るんですね。それでランプに使えるわけです。完全燃焼の炎は青くて暗いので、ランプには使えません。

アセチレンの完全燃焼の青い炎で、生石灰(酸化カルシウム)の棒を加熱します。するとこれがものすごく明るく光るんですね。台所で卵の殻を熱くないように燃えない棒で挟んでガスの炎で焼いてみてください。殻の縁が明るく光ります。これを大規模、高温でやると、一種の照明用の光源になる。
英語で石灰のことをlime=ライムといいますので、この方法で舞台照明をしたので「ライムライト」なんですねぇ。(灯台の光源にも使ったという話もあります。)

高校の化学実験で、アセチレンを発生させて捕集し性質を調べるというのがあります。危険なので、3年生の少人数での実験くらいでしかやれませんけれどね。
試験管にいろんな割合で空気と混合してゴム栓をしておきます。
で、点火する。
空気とちょうどよく混じっているときは、ピュっとものすごい音を立てて爆発します。
空気がほとんど混じっていない状態のところへ点火すると、赤い火の玉が試験管の口から底へ向かって「走り」ます。これ、おもしろいので、生徒は熱中して繰り返すんですね。
適当なところで、おい、顔をあげて周囲を見てみろよ、というと、細かい煤が舞っていることに気づき、あわてて払うんですが、ノートや顔が煤だらけになるんですね。
アセチレンの捕集は、カルシウムカーバイドを水槽の中に放り込んで、その水と反応しているカルシウムカーバイドの上にロートをかぶせてポリ瓶に集めるのですが、やっているうちに水が白濁してきます。
溶けきれなくなった水酸化カルシウムのせいです。
水酸化カルシウム水=石灰水は強いアルカリ性なので、その水の中へ手を突っ込んで捕集作業をやると、手が後でゴワゴワになるんですね。生徒にはその話をして、今晩あたりから手がゴワゴワになるからね、ハンドクリームでも塗りな、と告げておきます。
翌日、どうだった?というと、みんな、ひでぇなぁ、なんという実験やらせるんだい、といいながら楽しそうに報告してくれるのです。

もう一つ。試薬として購入するカルシウムカーバイドは、缶入りなんですが、固まりが大きい。で、生徒に渡すには1cm程度の大きさのかけらに砕く必要がある。ところがこのカルシウムカーバイドという物質がおっそろしく硬いのです。
古い学校の実験室には、鉄製の大きくて重い乳鉢と鉄製の乳棒がありますので、飛び散らないように雑巾で蓋をしてガンガン砕きます。
そういう道具がない時は、しょうがない、雑巾を敷いて、固まりをのせ、また雑巾をかぶせて、上からハンマーで叩いて砕くののです。なんというか、荒仕事でしたね。

いろいろ頭の中が飛び回ってしまいました。わぁ~っと記憶が溢れてしまった。

銀河

2010.9.12付 朝日俳壇より
銀河濃し空は地球のものならず:(川崎市)堅山道助

◆初めて意識的に銀河=天の川を見たのは高校生のころでした。秋田県の海岸で。夜、砂浜に寝転がって空を見ていたら、ぼーっと白いもの。えっ、これが天の川?
知識として星の集まりとしての銀河系を知っていましたから、頭でっかちに、天の川って星の粒々が集まって見えるのだろう、と思っていたのですね。
ちがうんですね、これが。粒々なんかじゃない。連続的に白いんですね。ミルクを流したというほうが実際の見え方に近いんだ、そうなんだ。とね。
ショックでした。圧倒的に大きかった。呆然と眺めていましたっけ。
地球がどうのこうのというスケールじゃないですからね。
夏の天の川もいいし、冬の天の川も絶景ですね。
太陽系は銀河の中のごくちいさな一つの恒星系なんだ、と実感できます。

ところで、銀河=天の川をみると、「立って」いますよね。
水平線や地平線に寝てませんよね。
これがどういう意味かお分かりになるでしょうか。

銀河は円盤状です。厚みがありますが、銀河面ということにしましょう。
太陽系では大部分の惑星が同じ平面上に乗って公転をしています。この面を黄道面といいます。(惑星の公転面といったほうが分かりやすければそう理解して下さい。)

銀河が「立っている」というのは、銀河面と黄道面が同じ平面上にない、黄道面は銀河面に対して垂直に近く傾いている、ということなんです。

----/-----○----------

変な図です。大きさなんて全く無視。中央に膨らみのある銀河を横から見たイメージ図。
銀河系の直径は約10万光年。太陽系は銀河中心から約3万光年離れたところにあります。
銀河円盤の厚みは1000光年の桁ですから、太陽系なんか本当は絵にも描けない小ささなんです。
で、何が表現したかったかというと、上の図でスラッシュ「/」は、太陽系の黄道面のつもり、で、黄道面は銀河面に対して傾いているぞ、というイメージを持ってほしいということなんです。
60度くらい傾いています。
で、夏の天の川は、銀河系の中心方向を向いてみています。
冬の天の川は、銀河系の外向きの方を向いてみています。
春や秋には銀河系の外の宇宙の天体が見えるというわけです。

これからは、春夏秋冬、空を見た時に銀河の中でどっちを向いているかが分かるようになりました。そんなことを意識しながら、星空を楽しんでください。

秋の雲

0903_hkumo 9月3日
白山神社にて
ふと上を見上げると、秋空がそこにありました。
羽田が近いですから、航空機がよく飛びます。
私にはこのジェット機の機種かわかりませんが、好きな方ならこのくらいボケていても分かるのではないでしょうか。

家へ帰って、またふと上を見上げると
0903_fkumo1_2
これは完全に秋の空
コンパクトデジカメでの撮影です。

0903_fkumo2
カラスでしょうか、視界を横切っていったのでシャッターを切ったらかろうじて写りました。
シャッターが落ちるまでに時間がかかるんですよね、コンパクトデジカメだと。
で、その時は気づきませんでしたが、パソコンで整理していたら
おや、右の方に、ジェット機も。
やっぱりうちの辺りは普通より飛行機は多いですね。

0903_fkumo3
低くなった日射しを下から受けて輝く雲
秋だなぁ。

電線がなければな、もっと空を写そう、という気力がわくんですけれどね。
ほとんど、どう撮っても電線が入る。
写真としてはやっぱり厭ですね。

2010年9月14日 (火)

ハラビロカマキリ

0903_6harabiro1 9月3日
線路際。パッと見て、すぐ分かりますか?
みごとに緑色に溶け込んでいます。
見失わないように視線を向けたまま、家の中の妻に携帯を入れて、ハラビロがいるぞ~。今行くわ。
しばし、二人で鑑賞したのでした。
0903_6harabiro2
翅のこの模様がハラビロカマキリの成虫の特徴。もちろん、見慣れてしまえば、模様なんか見なくても一目でわかりますけどね。
0903_6harabiro3
ちょっと、肉食性のカマキリさんを飼育するのは大儀である。
このあたりで生きていってね、できたら時々は姿を見せてね、と声をかけて、ラストショット。
太いカマ、強烈な視線、好きだなぁ。

おいしい!

0903_5seseri 9月3日
おなじみイチモンジセセリです。
何度見てもまあ、ほんとうに、おいしそうですねぇ。顔が緩みます。

0903_5sijimi
ヤマトシジミも蜜を吸っていますが、なかなか、「表情」までは撮りにくいんですね。
でもまあ、こうやって、日を浴びて元気に飛びまわりながらフウセンカズラの花の間を舞っているということは、「おいしい!」ということの、全身での表現なんでしょうね。

言霊

2010.9.12付 朝日俳壇より
言霊と遊びひと夏耐へにけり:(厚木市)田中啓介
 大串章 評:万葉集に「磯城島の大和の国は言霊の助くる国ぞま幸くありこそ」がある。作者も言霊に助けられて今年の猛暑を耐えたのであろう。

私はどうも「言霊に助けられて」、といってもよくその実態が分からないのです。
万葉集を引いたために、かえって「助くる」という言葉の存在によりかかってしまったように見受けます。
言霊があったから暑さに耐えられた、という助けられ方と、万葉の「助く」とは違うような気がしますが。

作者は「言霊と遊び」と言っておられます。
つまり、暑い中ではあるけれど、俳句の材料をさがし、それをどのように言葉にのせるかを工夫し、気に入った表現になるように苦労した。その過程を「言霊と遊」んだと表現なさったのではないかと想像します。
そうやって、言葉と一緒に、暑い夏を対象化し、切り、分け、表現を探していたら、なんとかこの暑さも乗り切れたよ、というのではないかなぁ。

秋の蝶

2010.9.12付 朝日俳壇より
秋の蝶風の色して吹かれけり:(横須賀市)佐藤博一
 大串章 評:この蝶は白蝶であろうか。秋風は素風ともいい、白風とも言われる。

別にシロチョウという必要もないと私は思いますが。「ひらひら」と風のイメージを喚起するならいいのですよ。アゲハだってタテハだって。

「素」「白」という「しろ」の言葉にこだわり過ぎのように思います。
モンシロチョウは真っ白だと思ってませんか?言葉のイメージで。
モンシロチョウってかなり黄色いんですよ。
イメージに頼り過ぎると危ない、内容を失います。

昼寝

2010.9.12付 朝日俳壇より
金太郎も熊もその他も昼寝かな:(国立市)加藤正文
 長谷川櫂 評:金太郎の仲間たちが、みな山の木かげで昼寝をしている。相撲のけいこに疲れて。童心の一句。

いいですけど。
想像を逞しくして。
保育園のお昼寝タイム。ころんころん、あっちこっちで、くぅくぅ。
起きているときは、元気で強い金太郎や熊のような幼子たちが、こてんと寝てしまった暑い午後。
というのはいかがですか?

ひまわり

2010.9.12付 朝日俳壇より
顔中をひまわりにして一輪車:(北九州市)伊藤信昭
 金子兜太 評:一輪車の子だから喩えが活きる。

いいですねぇ。
いかにも健康で、笑顔の輝きが目に見えるようだ。
両手を開いて葉の如く。
すくすく伸び伸び成長して下さい。

問題は

2010.9.12付 朝日俳壇より
問題は君の冷房嫌ひなり:(深谷市)渡辺智恵

キンキンに冷やしてしまう人がいると思えば、何があっても冷房は嫌だという人もいて。難しいですね。
よく男性が冷房を利かせ過ぎるといわれますが、この場合は、男性が冷房嫌いなんですね。付き合う側のことも考えてよねっ、ですね。
いや、殺人的な夏は、エコとかいってられません、うまく冷房使いましょ。

かつて勤務したある学校の職員室では、ある女性の先生が戻ってくると途端に急速に冷房が強くなるんですね。その方が授業にでかけると、さっと、だれかが冷房を弱めに立つ。いろいろあるものです。

ところで、冷房をかけるとき、冷房が苦手だから、弱風とか微風にすると、かえって吹き出し口での風の勢いが弱くって、冷たくて重い空気が落ちてきます。で、そこにいる人は辛い。
むしろ、強風で出して、部屋の反対の壁にぶつけて、そこで下へ落ちるようにすると、部屋全体がリモコンのコントロール温度に下がってきます。
お試しください。
強よりも弱や微の方が寒いということがよくあるんですよ。

とんぼう

2010.9.12付 朝日俳壇より
とんぼうの麒麟の首の高みかな:(所沢市)岩間喜久子

トンボの飛翔力はすごい。
高層マンションの窓の外を飛んでいたとか、走る汽車の窓の外をず~っと並んで飛んでいた、とかね。
キリンのリボンになったのですかね。おっしゃれ~。
キリンはくすぐったいと、耳をピクピクと振ったりしていたでしょうか。
猫の耳の先端の毛に触ると猫が耳を振るでしょ、あんなふうに。

蜘蛛の糸

2010.9.12付 朝日俳壇より
蜘蛛の糸暁(あけ)の光を編みあげる:(釧路市)榊田澄子
 金子兜太 評:暁光の蜘蛛の巣の繊美。

「繊美」って言葉あるんでしょうか。繊細な美、という意味だというのはよくわかりますが、広辞苑にはありませんでした。
で、この句、気に入ったなぁ。「蜘蛛の囲」という言葉を避けた、これが先ずいい。
糸が光を反射して「編んだ」という言葉に載せた、これが最高。
よく、雨がかかって水滴をちりばめた、ネックレスのような、という表現はありますがね。
「光を編んだ」という表現に脱帽。

レッテルに頼った表現ではない、中味を語っている。
嬉しくなってしまいました。

蠅叩き

2010.9.12付 朝日俳壇より
蠅叩き名人の妻起きてきた:(養父市)足立威宏
 金子兜太 評:こうした特技の細君は珍しくないが、「起きてきた」が愛嬌を呼び、夫が眼を細めてその姿を見ている様子が見えてくる。農家のにおいも。

「珍しくない」ですかぁ?いやあ、珍しいと思うけどなぁ。

名人出動す。これは楽しい。

(内緒話)ひょっとするとね、奥様がこらっ、うるさいじゃないの、と叱ると、ハエさんが、ごめんなさいって、しょんぼりしたりするんですよ、きっと。

稲妻

2010.9.12付 朝日俳壇より
稲妻にふつと忘れてしまふこと:(盛岡市)浅利清香

ピカッと来て、ゴロゴロゴロとなって。おお、一雨来るか、過ごしやすくなるかな。などと思った瞬間。
あれ!?今何しようとしてたんだっけ?ん?もう一回元の場所に戻って繰り返してみるかな。なんだっけ?
(私の発明した表現では)う~む、脳が痒い。忘れたってことだけを覚えてるぞ、何忘れたんだっけ。

ハイ、よくあることです。

暑さ

2010.9.12付 朝日俳壇より
言ひたくも声にならざる暑さかな:(洲本市)高田菲路
 稲畑汀子 評:余りの暑さに、暑いと言いたくても声にならない極限状態の作者のなげき。

かかし思うに、余りの暑さにもうバカバカしくなった、という笑いも入っているような。

とは言へど狭庭に育ち初めし秋:(神戸市)玉手のり子

で、上の句とセットにして続けて声を出して読んでください。味わいが増します。

これほどの残暑に会ふて永らへて:(鳥取市)椋誠一朗

そしてこの句も続けて声に出して読んでください。どうぞ。
やぁ、なんとか生き永らえたぞ、やれやれ、とね。

こういうばかな遊びをご存知ですか?
You might or more head today’s as fish.
ゆう まいと  お も        へど    きょうの   あつ さかな
言うまいと思へど今日の暑さかな

9月も半分過ぎて、やっと人心地を取り戻しましたね。
もう、いくら暑くても35℃にはならないでしょう。
30℃くらいならたえられます。
室内は温室状態でも、意外と屋外は風もあってほっとする。
木陰も涼しい。

こうなってやっと「秋立ちぬ」って気分ですが。
もうすぐ秋分ですねぇ。
長い夏でした。

気圧の谷

2010.9.12付 朝日歌壇より
経理主査と財務課長が言いあえば気圧の谷が課内に現わる:(調布市)水上香葉

うまい表現を発見なさいました。
昔から、機嫌が悪いと「低気圧」とかいったものですが、「気圧の谷」ときましたか。
気圧の谷のものでは、雲行きが怪しい。

言いあいがもし長引いたら、停滞前線だぁ、とかいかがです?
時は「秋霖」を目前にしています。秋雨前線が停滞するかもしれませんね。

鹿肉

2010.9.12付 朝日歌壇より
鹿肉をドイツの婿が切り分けしゾーリンゲンのナイフの切れ味:(長野県)沓掛喜久男
 高野公彦 評:婿殿が持参したドイツ製ナイフの見事な切れ味に感嘆。

直接的には選者の言うとおり、「切れ味」なんでしょうが・・・。
ナイフ「さばき」も重要なのではないかなぁ。
現在の日本人はナイフで肉をさばく技は持っていないでしょ。
ドイツ人の婿のみごとな手さばき。
彼我の食文化の違いを改めて認識し、そのようなナイフさばきの出来る夫を得た娘の目の確かさを褒めているのではないかなぁ、と思うのです。

作品を繰り返すだけの評はつまらない。
トートロジーは何も新しいものを産まない、といつも申し上げている通りです。

おにあざみ

2010.9.12付 朝日歌壇より
おにあざみ、はりせんぼんと呼ばれつつああ三十年あなたと暮らす:(新潟市)太田千鶴子
 高野公彦 評:ユーモラスな歌。ユーモアは人の心を和らげ、楽しくしてくれる。

確かに、ユーモラスです。でも、「人の心を和らげ、楽しくしてくれる」だけですか?
これ、夫への最高の賛辞なんじゃないですか?
そして、その妻たる自分も、少しくらい「大変だったのよ」と言ったってバチはあたらないでしょう、と笑っている。すごい妻もらってよかったでしょう、と笑っている。
夫婦愛というものです。

◆「昆虫からの贈りもの」宇尾淳子 著、蒼樹書房、1995年刊
 こういう本がありましてね、女性の昆虫学者なんですが、「ゴキブリの女王」という尊称を奉られた、と自分でも笑っておられるスゴイ方。「天才的脳外科医・ゴキブリの」というのもあるそうで。
 御夫君は物理学者でいらっしゃいました。
この著書のあとがきでこんなことを書いておられます。

 ・・・
 かつて重篤の結核から奇蹟的によみがえった夫にとって、その後の人生は”もうけもの”の感が深かったらしい。・・・彼は建前抜きの本音だけを、内でも外でも押し通した信念の男であった。あれほどナンギで、かつ魅力的な人物は他にはいないであろう。
 ・・・

ぞくぞくしますね。「あれほどナンギで、かつ魅力的な人物は他にはいないであろう」これは考えられる限り最高の賛辞ですね。
私ゃ、半端にナンギな男だからなぁ。うらやましいや。

またこんなことも書いておられます。

 ・・・
 人の一生に”対照区”はない。与えられた条件下で自分なりに力一杯生きた私は”幸せ者”と言えるだろう。
 ・・・

「対照区」というのは「コントロール」ともいって、ある条件を課した実験をする時に、その条件を課していない群をつくり、それとの対照で、その条件の効果を調べるという概念です。
薬が効くかどうか、というのも、必ず対照区がなければ認められません。対照区のない実験は、評価にも値しません。
つまり、「もし」その条件がなかったら、ということを知るのに必要なのです。
「人生に対照区はない」というのは、「人生には『もし』はない」ということです。
もしあの時これこれだったら、今の自分は違っていた、というようなことは単なる逃避でしかありません。これ、今、はやってると思いませんか?
もし「本当の自分」が現れたら、こんなものじゃない、とかね。
今この自分しか、本当の自分はないのにね。

私は中学生のころかなぁ、周囲からもしポリオにかかってなかったら、というような声をたくさん聞いて、反発し、僕は自分自身に対して「もし」は使わない、ポリオにかかったこの自分が自分だ、と、何かに書いたことがあったなぁ。

宇尾さんは、「もし」を一切言わず、力一杯生きた、「幸せだった」と言い切っておられます。
昆虫学者らしい「人生に対照区なし」という表現は、私の座右銘です。

最後にもう一つ。
岩波新書に「腸は考える」という名著があるんですが、その著者と共同研究をして、ヒドラもゴキブリもヒトも同じ仕組みを持っている、というすごい結論に達しましてね。
「昆虫の贈りもの」という本の表紙の絵は、ゴキブリとヒトが握手している絵なんです。
そして
 「昆虫もヒトも生物学的大綱においては同じ
という考えを述べておられます。

感動的ですね。ヒトとゴキブリは同じなんですよ。それは真実なんです。

体温

2010.9.12付 朝日歌壇より
幼子の事件聞くたび抱きよせて子らの体温確かめており:(高槻市)有田里絵

大切なものを、両腕にひしと抱きしめる。手のひらに包む。
大事なことです。相手の体温を感じ、存在を確かめる。
赤ちゃんと一緒に成長するということは、「くっつく」ことですよね。
ベビー・マッサージ、とかベビー・ヨガとかなんだか妙なこのがはやりますが、要するに、授乳時、おむつ替えの時、抱っこのとき、寝るとき、起きたとき、常に触ってあげればいいんです。
ほっぺつっついたり、おなかつっついたり、小さな手で親の指を握らせて、開いたり閉じたり、体を立てて抱けば膝を蹴っ飛ばしてよろこぶから、ほ~らピョンとかいって遊んでいれば、喜びます。特別なことじゃない。触れ合いましょう。そうすると、赤ちゃんの精神も安定して、好奇心も発達して、どんどん環境を吸収して、育ちますよ、伸び伸びと。
親の不安も薄らぎます。
何か「してあげなくちゃいけない」といわれると、自分はちゃんとそれが出来ているんだろうか、と不安になりますよね。今の社会、そうやって親の不安を増幅するようなことばっかりやっているようにも見えるんですよ。
親子が育つ。自然なことです。

事件があると、そういう触れ合いを失っていたんだろうなぁ、と思います。
親が子を育てるんじゃないのにね。親と子が一緒に育つのにね。

◆原爆の話をした時に、書きました。存在を抱きしめたいのに、対象がなくって、骨しかない、もう「かみしめる」しかなかったのだろう、とね。

かつて、私は「概念の身体規定性」ということを考えていました。左脚の不自由な私にとって、座る、立つ、歩くという行為、およびその概念は健常者のものと完全に同じとは言い切れない。サリドマイド禍で両腕を持たぬ人にとって、握りしめる、抱きしめるという概念は、両腕のあるもののそれと、同じではないだろう。想像力のみがその間隙を飛翔することができるのではないか、などとね。観念的な時代を存分にくぐりぬけた私です。そして、大人にならなかった私です。今も観念的でいけないなぁ。

いぐさの香り

2010.9.12付 朝日歌壇より
昼寝から目覚めた子らを抱き上げて鼻をつければいぐさの香り:(町田市)高村紀子

いやあ~、いいですね。乳くさい幼子に畳の香り。なんだかこう、生きてるなぁ、という気分だな。しあわせですね。
「乳くさい」という香りの中には実は単独で濃ければ悪臭になる成分も含まれているんですよ。
酪酸という乳の発酵した匂いですね。でも、それが赤ちゃんの香りの一部になると、なんともいとおしい。
まぁ、生きるってことは、いろんなにおいを発することでもあるんですよね。子育て経験のある方なら分かる。わぁ、くちゃいわねぇ、とかいいながらおむつを替える。いいうんちは健康の証です。

最近の「おやじくささ」の排除には、危険な雰囲気を感じます。とかく、不寛容な世の中は生きにくいですよね。
もっとおおらかでいいんじゃないのかなぁ。生きるってことが、完璧に清潔だったり無臭だったり、なんてことはあり得ないのに。

だーれもいない

2010.9.12付 朝日歌壇より
畑にはだーれもいない午後三時蝉の声さえも途切れる:(西予市)大和田澄男

あまりに暑い時刻には虫も活動しません。朝と夕方、すこし気温が下がってから活動します。
私のブログの写真撮影。普段は12時台の小1時間ですが、今年の夏は暑すぎた。
私も暑いし虫も暑い。昼の時間帯には虫がいません。隠れています。
で、8時台の小1時間に切り替えました。
午後三時といえば、最も暑い時間帯。蝉だって休みます。

無理はしない。そろりそろり、と、参りましょう。ヒトもムシも。

33度

2010.9.12付 朝日歌壇より
33度十日も続けばそれなりに適応し出す進化のきざし:(宮城県)白鳥光代
 佐佐木幸綱 評:来年、再来年の夏はもっと暑いのだろう、という意味と読んだ。

進化というのは実は「生きもの個体」に対して使う概念ではないのですね。
イチローが進化した、とかいうのは間違い。
生物の遺伝的な性質が世代を経ていく中で変化していくことです。
優れたものになるとか、強くなるとかそういう価値的な概念は全く含んでいません。
あえて言えば、現在地球上に生きている全ての生物はそれぞれ「進化の頂点」に立っています。人間は優れている、進化の頂点に立つ、などというのはまるっきりの誤解ですので、念の為。

「個体が適応する」という言葉は適切です。
私は選者のように、来年・再来年も、という風には受け取りませんでした。
「暑さ慣れ」ということは昔からいうことで、この暑さ、たまらないし、つらいけど、それでも続いているうちに体というのも大したもので、だんだん慣れて来る。そのうち、30℃じゃ寒いなんて言い出すかもね、という、おおらかな笑いまで含んでいるような気がしました。

◆顔見知りの年長の方に伺ったお話し。
インドネシアに4年ほど勤務されたとか。
とにかく年がら年中、暑い。地元の方はそれでも汗をあまりかかない。
自分も赴任して間もなくは大量に汗をかいたが、慣れてくると、汗の量は減っていった、というのですね。
日本から出張で来る人はみんな大汗をかく。
人間の発汗というものは、住む土地の気候に合わせて違うものなんですね。
生物の適応能力ってすごいものです。

人間も適応します。

2010年9月13日 (月)

猛暑日

2010.9.12付 朝日歌壇より
理科室のメダカが死んだ猛暑日の犠牲は人間だけじゃなかった:(広島県)底押悦子

子どものころに買っていた金魚。夏の暑い日、帰宅したらみんな「ゆだって」しまっていた。
タライで買っていたのが全滅。水量が少ないと、水温が上がりやすい。悲しかったです。

水温が上がると、その温度だけでもメダカやキンギョは辛い。
さらに、温度が上がると気体は水に溶けにくくなるので、水中の酸素が減ってしまって、呼吸困難になるんですね。
バブリングしてやると、水が泡へ蒸発して温度を少しは下げ、酸素を溶かしこんでくれる。

人間もなんだか、夜中に息苦しくって、息が肺に吸い込めないような気がして来て、辛かったですね。
たまにフェーン現象かなんかで異常に高温になった、ということは昔からあったのですが、今年のように、毎日猛暑日、というのは異常でした。猛暑日が「常態」というのでは、いくらなんでも、ヒトも魚も、生きづらいことです。

気象災害といってもいいような八月でしたね。

天眼鏡

2010.9.12付 朝日歌壇より
新しく一万円の天眼鏡即決で買ふ母が嬉しき:(水戸市)檜山佳与子

気力あり。
新聞を本を、読む。もっと使いやすいのがいい、と大きな天眼鏡を多少の出費ではあっても、買おう、という気力があるうちはいい。
弱ってくると、新聞読むのもしんどいわ、今ある天眼鏡何とか使うよ、一万円出すほどのことじゃない、と、ネガティブな方へと気持ちが向かうものです。
お元気でなによりです。

ところで、天眼鏡って若い人に通じる言葉なんでしょうか?私の世代は分かるけど。
「点眼」用の「鏡」かな、なんて思ってないだろうなぁ。
老眼でも不自由なく眼薬がさせる、凹面鏡かな?とかね。

てんかふん(天花粉・天瓜粉)はきっと死語じゃないかな。
てんがんきょう とどうちがうんだろう?
アハ。

子猫

2010.9.12付 朝日歌壇より
捨てられた身の上をまだ悟らざり子猫四匹戯(じゃ)れ弾みいて:(高崎市)門倉まさる
 馬場あき子 評:炎暑の夏に捨てられた子猫か。四匹とも生まれた元気を保ってじゃれ合っている姿にその後を予測させる。

「その後を予測させる」という評がどうも、わからなくって。
子猫の元気さ、それを見る作者の眼、から、救われて育てられる「その後」なのか。
なんだかよくない「その後」も予測されます。
あの時元気だった子猫、どうしても気になって戻ってみたら、ぐったりとなっていた。

わからないや。

まじめで、授業に遅刻などしたこともない女子生徒が、定期テストに遅刻してきた。
私のところへ飛び込んで来て、タオルにくるんだ子猫を差し出し、テストが終わるまで預かってほしい、と。
体を拭いて乾かし、ほどなくテストを終えてきた生徒に渡して、獣医さんと相談しなさい、ミルクの与え方、排便のさせ方などもちゃんと聞きなさい、と。
翌日。先生、あの子猫、夕べ死にました。でも、一晩だけでも「うちの猫」でした、うちの猫として死ねたのは、幸せだったと思います、との報告。
ご家庭の、懐の深さに深く感じ入った出来事でした。

2010.9.12付 朝日歌壇より
住職の戻れば朝昼夕洗う白衣(はくえ)白足袋まだ続く夏:(松坂市)こやまはつみ
汗たらし経読み終えて施主往()ねばシャツまで脱いで真裸になる:(三原市)岡田独甫
 馬場あき子 評:僧職の今年のお盆だろうか。人間的な生身の姿が可笑味とともに自笑されている。
 佐佐木幸綱 評:修業を積んだ僧だって、この猛暑暑いのである。ユーモアの味わいが捨てがたい。

最初の歌は僧が出向いての法事。2番目は寺での法事。
そりゃ人間ですもの、暑い。汗が出る。まだ彼岸に行ってしまったわけではないからな。
此岸は暑い。
暑さを感じられるのも生きていればこそ。
辛い苦しいも生きていればこそ。
死んじゃったら辛さだって味わえやしません。

凡俗はこっちの岸で騒いでいるのがよいのです。

轣轆

2010.9.12付 朝日歌壇より
月うるむ和歌山線の終電の轣轆過ぎて鳴く青葉梟(あおばずく):(御所市)内田正俊

終電車の音が行き、訪れる静寂の中に、静寂を強調するかのごとき、アオバズクの声。
情景は見えます。

言葉を知らなかった。「轣轆」
線路際に住んでいるのにね。

れき‐ろく【轣轆】
①車などのきしる音。
②糸車。[広辞苑第五版]

多摩川線の「轣轆」は、気象状態を伝えてくれるんですよ。(新型車両はだめだけど。)
電車の車輪というのはレールとの間で滑るか滑らないか、ギリギリのところで加速したり減速したりしているんですね。で、雨が降ってくると、滑りやすくなる。車輪がレール上で滑ると回転数がグンと上がります。そうすると、自動車のアンチスキッド・ブレーキング・システムと同様なものが働いて、回転を抑え、すべりを止めるんです。この回転数がグンと上がる音が聞こえるんですね。(雪でも同じ。減速時もほぼ同様)
ああ、雨だね、と外も見ないで夫婦の会話になるわけです。

多摩川線轣轆に知る雨模様

となるわけですね。
覚えたぞ、轣轆。

被曝マリア

2010.9.12付 朝日歌壇より
洞(うろ)の眼の被爆マリアのデスマスク六五年が巡る長崎:(東京都)長谷川瞳
 永田和宏 評:永遠に洞を抱えた浦上天主堂のマリアにまた夏が巡る。

ニューヨークの国連へ行き、バチカンへも行った。
ただ、天主堂に座していたわけではない、という点にも思いを致すべきでしょう。
あのマリアに旅をさせようという決意の重大さを思います。
ニュースで見たときは、いいのかな、壊れたりしないのかな、と心配したのですが、ひょっとして、壊れるのなら壊れるようなことも受容しよう、それよりも、像の命をかけてでも世界に反核を訴え続けよう、という決意があったのではないでしょうか。

入場券

2010.9.12付 朝日歌壇より
一二〇円の入場券を買う発車するまでの時間を買う:(奈良市)杉田菜穂
 永田和宏 評:君が発つまでの僅かな時間を入場券で買う。字足らずも切ない恋の歌に似合うか。

そうなんだ、「時間を買う」のだったか。
入場券って、このごろあまり買うことがなくなりました。
入場券を買う必要というのは、見送りと出迎え。
都会では電車は頻繁に来る。見送るったって、汽車ではなし、車窓から名残惜しそうに手を振るなんてことはない。
出迎えるといっても、携帯で、今どこ?といったぐあいで、改札の前、でしょうね。

それでもなお、入場券が必要だとしたら。
そうなんだ、恋のシーンなんだ。
離れがたいのに、離れざるを得ない。その僅かの時間を買うのでしたか。
そのようにして買った時間の証として、入場券は大切にしまわれるんだろうな。
昔を思い出すな。お話ししないけど。
今さらに、入場券の意味を知りました。

ところで、この歌を、「短歌」として読めば字足らずというようなことになるのでしょうね

ひゃくにじゅう
えんのにゅうじょう
けんをかう
はっしゃするまでの
じかんをかう

こうなるのかな。でも、私はまるっきりこのようには読みませんね。

一二〇円の
入場券を買う
発車するまでの
時間を買う

破調も破調。4行詩でいいと思う。
決然とした思い。
かえって破調のほうが、恋心の深さを訴える力を増す。

アワダチソウグンバイ

0903_4awadatisougunbai1 9月3日
写真うつりの悪いアワダチソウグンバイ。
なんとなく細部が鮮明になりません。

0903_4awadatisougunbai2
真横ショットが撮れまして。
頭部はこんなふうなんですよ。なんだかすごいでしょ。
で、触角の先が膨らんでますね。これは初めて気づきました。

0903_4awadatisougunbai3
このごろセイタカアワダチソウの葉の裏にこういう光景が見られます。
小さいのは幼虫だと思います。
面白いことに、こういう幼虫の集団は何カ所かで見られるんですが、必ず成虫が2、3匹一緒にいるんですね。
この写真のなかではぼやけたのもいれて3匹成虫がいますね。
私の短時間の観察で、成虫が幼虫に対して何かをしてやっているという感じは見てとれてはいません。
でも、大抵一緒にいる、ということは、きっと何がしかの意味があるのだと思います。
何か、世話をしているのかなぁ。
きっと、幼虫が成虫になる率がわずかでも高くなるような寄与があるんでしょうね。

0903_4awadatisougunbai4
この幼虫が、成虫に輪をかけて写真うつりがわるい!
どうがんばっても、どうにも、細部がうまくわからない。
とげとげの円盤状の姿は分かりますが。
ま、こんなもんだ、と我慢して下さい。

ツマグロオオヨコバイ

0903_3tumaguroooyokobai 9月3日
ツマグロオオヨコバイの幼虫です。さして珍しくはない。
顔が撮れそうだな、と頑張ってみたのですが、正面顔はあまり気に入ったものが撮れなくって、このアングルが比較的表情がありました。
で、写真を眺めていたら・・・あれ?「放出した瞬間」だったのかな?
焦点の向こうに、まん丸な水玉が。
う~む、傑作である。

アオスジアゲハ羽化

0902_aosuji0 9月2日午後5時ころ
蛹の中に模様が見えます。
もう間もなく羽化します。
とおもったら、7時すぎに羽化が始まってしまった。
あわてて、ケースを置いてある玄関の灯りを消して、「夜だよ」にしました。
あせらず、ゆっくり。

0903_1aosuji1 9月3日午前7時ころ
一晩、ゆっくりできたので、体は十分に固まっていると思います。
ただ、そろそろ外にでたいよ~という動きがまだなかったので、様子見。

0903_1aosuji2 朝9時近く
もう気温も上がってきたし、パタパタし始めたので、外に出しました。
パッと飛び立って、ボウガシの葉にいったん止まりました。うつくしい。
何匹我が家から巣立っていくか、毎回、はらはらしながら、でも、嬉しいですね。
さようなら。ひたすら、飛べ。

父子男旅

今年の7月ごろから、朝日新聞では1面の左下のあたりに、ときどき「父子男旅」という小さな広告が載ります。9月10日に第8回というのが載っていました。

これが下らない。イメージ?ラベル?レッテル?そういう表面に張り付けたものだけで語る。中味がなんにもない。
これほど無内容な文を見せつけられるのは、噴飯もの、いや苦痛ですね。

強く逞しい父親が、息子を強い男に育てる、という”イメージ”を描いています。
それは裏返せば、「女性は良妻賢母であるべきだ」、という差別・偏見と表裏一体のものですね。

あんまり下らないので、これはくだらない、っということを一声だけ挙げておきます。

第1回(2010/07/08)

 かわいい子には男旅させよ。日本は広い。高速道を1時間、一般道を30分も行けば、たいていは未知の景色に出会う。「目的地はどこでもいい、目的さえあれば」。男旅の醍醐味は世界を広げること。ひたすら田園を走り案山子に遭うでも、海岸沿いを行き釣り人に「何がつれますか」と一言かけるでも、子にとって初めてならば立派な経験。思いもよらぬ体験は思いもよらぬ土地にある。走り出すこと。道の先に広がる未知は成長の友。父と子は男旅しよう。

別に父と娘だって同じでしょ。母と息子、母と娘、親と子、どんな組み合わせでもかまわない話ですね、この内容。
女の子は世界が狭くていいんですか?

思いもよらぬ体験は、思いもよらぬ土地に行かねばできないほど、貧弱な感性なんですね。
今、ここ、で思いもよらぬ体験をすることも出来ぬ貧しい感性の持ち主が、知らぬ土地に行ったって、何にも感じとることはないでしょう。
私、子どものころ、ご近所のおじいさんの家に入り浸って、金魚を飼う、生きものを飼うということの基本を学びましたよ。初めての経験は遠くでしかできませんか?

「目的さえあれば」って、どんな目的を持っているんですか?何にも明らかにされていない。言葉のイメージだけ。

走るな!
先ずは、今立っているところを踏みしめろ。
そして歩き出せ。失敗を重ねろ。
人間としての成長に必要なことに、男も女も差はないはずですよね。

第8回(2010/09/10)

 いつもは後部座席で熟睡する子が、寝てたまるかと助手席でまぶたに力を込めている。男なんだななあと思う。{意地を張ってるな}。隣り合わせの旅。ともに道をすすむ旅。男旅には、クルマでいく旅のよさがある。「同じ方向を向いて、向き合うこと」。道中の父は、父であり男であり時に兄であり仲間である。ともに歩み、止まり、走り、気持ちは向かい合う。学校のことでも、友のことでも、恋のことでも。家で面と向かって話すのとは少し違った間合いが◎。さあ男旅しよう。

↓下はパロディです。何か不都合ありますか?

 いつもは後部座席で熟睡する子が、寝てたまるかと助手席でまぶたに力を込めている。女なんだななあと思う。{優しい子ね}。隣り合わせの旅。ともに道をすすむ旅。女旅には、クルマでいく旅のよさがある。「同じ方向を向いて、向き合うこと」。道中の母は、母であり女であり時に姉であり仲間である。ともに歩み、止まり、走り、気持ちは向かい合う。学校のことでも、友のことでも、恋のことでも。家で面と向かって話すのとは少し違った間合いが◎。さあ女旅しよう。

性別抜きにして、親子、に置き換えてみてください。何か不都合ありますか?

どうせ粋がるんだったらさぁ、助手席には妻(夫)しか乗せない、てな粋がりの方がかっこいいですよ。
父さん(母さん)の助手席に座るのは母さん(父さん)だけ。
君たちはいずれ大人になって私たち親のもとを去っていく人。
父さんは母さんと二人で、自分たちの人生を行くからね。君たちは君たちの人生を行きなさい。

とねぇ。ずっとかっこいいと思うけどなぁ。

人生を、運転しナビゲートしあうのが夫婦というものでしょ。
互いに相手のドライバーであり、ナビゲーターである。それが配偶者というものではないですか。
親は子の人生のドライバーでもナビゲーターでもあり得ない。
子の人生に初速をつけてやるのはいいとして、子の人生は子が自分でつくるもの。
君たちは自分自身の大事なドライバー・ナビゲーターを自分で探せ、それが人生の「旅」というものだ。

ですね。

ヒメナガカメムシ

0902_7himenagakamemusi1 9月2日
ヒメナガカメムシ、交尾中。
どうも、うまく写らなくって、そっと指先で花をひねったんですね。
そうしたら
0902_7himenagakamemusi2
つながったまま私の指先に移動してきてしまった。
大きさからいうと手前の小ぶりな方がオスでしょうね。
0902_7himenagakamemusi3
指先ですから、角度はかなり自由に変えられるので、こういうショットを撮らせてもらって。
そっと、花へ戻してやりました。
強引に引き離すようなことにならなくて良かった。
このヒメナガカメムシって、交尾状態のまま歩きまわったり、飛んだりもするんですけどね。

ベニシジミ

0902_6benisijimi1 9月2日
フウセンカズラの花にベニシジミが来ました。
ヤマトシジミの方が圧倒的に数は多いんですが、目立つからなぁ。
どうしても視線を惹かれる。ヤマトくんごめんね。
0902_6benisijimi2
どういう瞬間なのか、口吻を伸ばそうとしているのか、引っ込めようとしているのか。
わかりませんが、珍しい瞬間が写りました。
多分、伸ばそうとしているのだろうとは思いますが。
伸ばして先を下へ曲げて、花の中へ上から口吻を差し込んで蜜を吸う、という順序ではないかなぁ、と想像しています。

ツクツクホウシ

0902_5tukutukuhousi 9月2日
離れた木陰のツクツクホウシ。
近づけなくて、こんな写真しか撮れませんでした。
アブラゼミやミンミンゼミの方が接近しやすいですね。
ツクツクホウシは敏感です。
9月上旬も終わり、明け方のセミはほとんどいません。日中から夕方にツクツクホウシが鳴くだけです。
もう、さすがの夏も終わり。
いくら暑くても、これは残暑、と笑っていられますね。

東京の平年気温で、立秋(今年は8月7日)の頃は年間のピークですので31.2℃。
8月31日が30.0℃。
20日ちょっとで1℃ちょっとしか下がりません。
ところが
9月 1日は29.9℃
9月30日は24.1℃
この1カ月で6℃近く下がるんですよ。
やっぱり、秋ですね。「秋パワー」全開で気温が下がっていきます。
期待しましょう。

つくつく‐ぼうし【つくつく法師・寒蝉】(鳴き声による名) セミの一種。体長3センチメートル内外で細形。暗黄緑色で黒斑があり、金色の毛が多い。7月末から9月末まで「おおしいつくつく」と鳴く。クツクツボウシ。筑紫恋し。法師蝉。<季語:秋>
〈書言字考〉[広辞苑第五版]

あれ?私は濁らずに「ほうし」だと思っていたら、広辞苑は濁っている方を採用しているんですね。
で、鳴き声は「おおしいつくつく」と聞きなしている。
そうだよなぁ、と思いながら検索してみたら、いろいろありましたね。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%84%E3%82%AF%E3%83%84%E3%82%AF%E3%83%9C%E3%82%A6%E3%82%B7   

鳴き声
 オスは午後の日が傾き始めた頃から日没後くらいまで鳴くが、鳴き声は特徴的で、和名もこの鳴き声の聞きなしに由来する。鳴き声は「ジー…ツクツクツク…ボーシ!ツクツクボーシ!」と始まり、以後「ツクツクボーシ!」を十数回ほど繰り返し、「ウイヨース!」を数回、最後に「ジー…」と鳴き終わる。最初の「ボーシ!」が聞き取りやすいためか、図鑑によっては鳴き声を「オーシツクツク…」と逆に表記することもある。
 また、1匹のオスが鳴いている近くにまだオスがいた場合、それらのオスが鳴き声に呼応するように「ジー!」と繰り返し声を挙げる。合唱のようにも聞こえるが、これは鳴き声を妨害しているという説がある。

http://homepage2.nifty.com/saisho/zukan/tsukutsuku/index.html

このセミの特徴はやはり鳴き声で、同じ属に属するクロイワツクツク、オオシマゼミ、イワサキゼミなどとは全く異なる、起承転結のはっきりしたリズミカルなもの。基本的には、ジ~~という序奏/前奏に続いて、オーシンツクツク、オーシンツクツクを14、5回ほど繰り返しながらアッチェランド (テンポを早める)し、最後だけオーシンと尻上がりに発音してから今度はオシヨーーシ を2、3回繰り返し、ジ~~~~~という後奏で終わる。しかし、細かく見ると序奏 も入りの部分から中間部、そして終わりは微妙にトーンが変わり驚くほど音楽的。
休憩していたセミが鳴き始める時、最初の鳴きでは序奏が非常に長く(このときには ジ~~~~というよりジュクジュクジュク・・・・と聞こえ、この部分だけで長いときには1分以上の時もある)、 同じ場所で数回歌う場合の2回目以 降の序奏は数秒しかない。したがって1回の歌の時間は大きく変わることになるが、 2回目以降の場合は30秒~40秒ほど。

このサイトの記述が私の感覚と一致します。「前奏」部分が結構長い。で、ゆっくりじ始まって、だんだんテンポが上がって行ってクライマックスへ。
この鳴き方劇的ですよね。

◆遊び
芭蕉45歳の句に
おもしろうてやがて悲しき鵜舟哉

というのがありますが、恐れ多くも替え歌を

おもしろうてやがて悲しき蝉の声
{やっぱマズイかなぁ}

何を見たのか:3

0907_7nanda1 そして9月7日
状況が変化しなかったので、毎日見てはいましたが、放置していました。
まいったー。
小さなハチがいっぱい。
これは寄生バチに違いないと思います。
複眼が赤くて、胸は黒く、腹は白くて先端が黒い。
さて、この寄生バチの蛹はどこにいたんでしょう?
褐色になったイモムシの中?
見えないと思っていた、イモムシの腹の下、糸の綿の中?
最初に見たイモムシの腹の下の白いものがこのハチの幼虫だとは、ちょっと大きさ的に考えにくいんですけれど。
あの白いの、結構大きかったよなぁ。このハチ、小さいなぁ。
でも、数としては、あの白いのの数と多分ほぼ一致した数のハチがいるようでもあります。
まいりました。

訳は分からないのですが、このハチの写真を何枚か掲げて、このシリーズを終わりにします。
0907_7nanda2
ハチでしょ、これ。
0907_7nanda3
かなりくっきり写ったのがありました。
0907_7nanda4
私は一体何を見たのでしょう?
教えてください。ぜひ。
目に見えているのに理解できません。
アブラバチを見た時に似たような状況でした。何を見たのか分からなかった。
今回の方が、なんだか複雑そう。

アブラバチは、小さなアブラムシから出てくるにしては結構大きなハチです。
多分、今回このイモムシがらみで見ているハチより体長はアブラバチの方が大きかったです。
ですから、なおさら、このハチがどこから来たのか、何を寄主にしているのか、知りたいのです。
ひょっとして、死んでいたイモムシの腹の下にいた白いイモムシに寄生していた、ということでしょうか。
いや、まいりました。

どなたかご存知ないですか~。

何を見たのか:2

0902_8nanda 9月2日
同じ場所。
変です。
イモムシの体が褐色になり、体の下の白いもの、左右に出ていた突起物などが見えません。
その代わりに、細かい目の糸の綿のようなものがあります。
この幼虫は死んでいる。ということに気付きました。

とすると、昨日見た体の下にいた白いのは何だ?
0901_8nanda2_2
1日の写真を再掲します。
すでに1日の時点でイモムシは死んでいたのですね。
で、腹の下に、もっと小さな白いイモムシが8匹くらいいるようです。
この小さなイモムシあるいは蛆が、上の長いイモムシに寄生していたのだとすると、それはいくらなんでも、数が多過ぎる。
一体、上のイモムシと、下の沢山のイモムシの関係はどうなっているのでしょう?

で、下の小さなイモムシがいなくなったということは、どういうことなのでしょう?
蛹になるためにここをを離れた?
張り巡らした綿状のものの下に蛹がいる?
それは体積的に無理な感じだ。
どこかに行ってしまったというほうが納得しやすい。
困りました。

何を見たのか:1

0901_8nanda1 9月1日
セイタカアワダチソウの葉の裏です。
私は一体何を見ているのでしょう?
瞬間的な印象は、何かの幼虫がアワダチソウグンバイを襲っている、というものです。
1.5cmあるかどうかという「イモムシ」を見ています。頭の先にアワダチソウグンバイがいます。
ここを見たのですね。
で、肉食性のイモムシ?とわけのわからないまま写真を撮りました。
よく見ると、イモムシの体の左右に「突出物」があります。
この時は、これはこのイモムシに付随するものだと考えていました。
左右対称ではないけれど、肢かな、くらいに軽く。

0901_8nanda2
真横からのショットです。
これを撮ったときも、白いものはやはりイモムシの体の一部だと思っていました。
ただ、アワダチソウグンバイを襲っているのではない、ということは分かりました。
頭部に側単眼がはっきり見えるな、と注意はそちらへ向かっています。

0901_8nanda3
ちょっと引いて撮ると、イモムシの頭の先の方にアワダチソウグンバイの成虫が2匹。
小さいのはアワダチソウグンバイの幼虫だと思いますが、今ここではちょっと脇に置いておきます。

ここまでが9月1日のこと。

2010年9月10日 (金)

八千草薫さん

9月9日付の朝日新聞に女優の「八千草薫さんの庭」の話が載っておりました。タイトルは
「多様な命と きずな  草木茂り虫や小動物」

 いい予感がしますね。

 世田谷区にお住まいだそうですが、約160平方mの自宅のお庭に草木を茂らせているのだそうです。
 2階の高さを越えるケヤキ、ヘビイチゴやイヌワラビ、エノコログサも茂り、日陰にはシダやコケ。秋には池をつくる計画だそうです。
 「植木屋さんに、そんなに切ったらだめと注文をつけてきたんです。きれいにしたいと思う側からすれば、つまらない仕事かもしれませんね」と八千草さんは笑っておられるとか。(我が意を得たり。)
 チョウが舞い、バッタがはねる。地面にはセミが出た穴。
 コンクリートに囲まれた水場にいたオタマジャクシを救出して、軒先のかめで飼っていたら、ヒキガエルに成長して去っていったそうな。
 「ビオトープが完成したら、近くの子どもたちに遊びにきてもらう機会をつくりたい。好奇心いっぱいな子どもの目で見ると、きっと、もっといろんな発見があるはず」と目を細める八千草さん、素敵ですね。
現在、日本生態系協会の理事をなさっているとか。日本生態系協会で八千草さんのお庭の生態系を調べたら、植物21種、昆虫17種が確認されたそうです。
 でもなぁ、そんなもんじゃないと思いますよ。かかしさんの小さな庭でも、そんな数じゃ済まないもの。
 「手入れをあまりしない」と虫は絶対に増えます。
 次々と新顔が挨拶にやってきますものね。植物だって鳥が糞をするという形で「種蒔き」をしていきますから、さっぱりわからない「双葉」がいっぱい出ますよ~。「草むしり」をしないで、あなたは誰?と成長を見守っていると、面白いですよ、想像を絶することがしばしばある。
 自然が失われることで、気がかりなのは子どもへの影響だ、と八千草さんは心配します。
 「虫を捕まえたりする中で、子どもって時々残酷なこともしちゃう。でもそんなことを通じて、死ぬことや生きること、命のつながりを学ぶ。身近に土や虫にふれる機会がないと思うと心配になります」

 八千草さんご自身は、虫が出てもきゃーきゃー騒ぐ方ではないでしょう。でも、虫がお好きかどうかはわかりません。ただ、こうやってご自分の庭に生態系をつくっていくからには、「つきあいかた」を知っていらっしゃる。
 私は大事なのはこの「嫌いなものとの付き合い方」だと思うんですよね。
 嫌いだ、という感情に、不潔だとか害虫だとかいう「理屈」をくっつけて「殲滅」しようとする。
 自分にとって利・益であるもの、役に立つもの、「優しい」もののみの存在を許して、それ以外を殲滅しようとする排他的で不寛容な意識を消さない限り、生物多様性を守って、生態系を豊かなものに回復させ、ひいては人間自身の絶滅を回避する、ことは不可能なのではないでしょうか。

記事の終わりに。
 やちぐさ・かおる 1931年生まれ。山が好きだった夫、映画監督の谷口千吉さんと一緒に、ヒマラヤをはじめ国内外の山に登った。85~93年に環境庁の自然環境保全審議会の委員をつとめ、現在は日本生態系協会理事。

そうだったんですね。知らなかった。
妻と二人でにこにことこの記事を読みました。
八千草さんって、素敵な女性だなぁ。しびれました。

ネコハグモ

0901_5nekohagumo 9月1日
ネコハグモ食事中。
何か小さな昆虫。なんでしょう?
蚊ではないような、有翅タイプのアブラムシかな。
わかりません。
なんとなく葉の表面から浮上していますね。
網をうまく利用しています。

食べた後のエサをちゃんと同定していくと、ネコハグモの食性の研究とかになるんでしょうけれど、そこまではしません。ときどき、食卓を覗かせてもらうだけで結構楽しいですから。

ハエ

0901_4hae 9月1日
鉢植えの実生イチョウの葉の上。
あまりかがみこまずに撮れる位置でしたので、くっきりした写真になりました。
平均棍もはっきり写りました。

先日「振動ジャイロ」の開発をしている方から、私が撮ったアブの平均棍の写真がくっきりしていて分かりやすいので、セミナーでの発表の時に、自然界の振動ジャイロの例としてその写真を使いたいというお申し出を受けました。
大した写真ではないのですが、私が意図的に、これが平均棍だ、という撮り方をしたのがよかったのでしょう。

蚊の平均棍を撮りたいのですが、まだ成功しません。ガガンボの平均棍はもう掲載したことがあるのですけれど。
http://yamada-kuebiko.cocolog-nifty.com/blog/2009/07/post-77d8.html

カは難しい。

マエキヒメシャク

0901_3maekihimesyaku 9月1日
マエキヒメシャクという小さなガです。
開長が2cmくらいあったかな。
4枚の翅にまたがって伸びる筋模様が特徴のようですね。
小さなシャクガですから、その幼虫のシャクトリムシも小さいはずです。見たことはないのですが想像されます。
きっと「小枝」ですね。

トキワハゼ

0831_11tokiwahaze1 8月11日
私の頭も、いい加減ボロボロですね。
今の季節にトキワハゼっていいのかな、なんて思って写真を撮っていた。
春に最初に見かけたときは嬉しくなって一生懸命撮るのに、その後は頭の中から消えていました。
「花は4月から秋まで咲き続け、「ときわ」の名前の由来となっている。」
そうなんだあ。
今咲いているのはごくあたりまえだったんだぁ、と、妙に感心しています。
上の写真、右下の方は花弁が落ちかかっていて、萼とメシベが残っています。
萼のプチプチした状態はこれ、なんでしょう?毛ですかね。

0831_11tokiwahaze2
プランターに勝手に生えてきたものですが、地面と違って、撮影しやすい高さに持ち上げられるので、こんなアングルでの撮影ができました。

脱け殻

0831_9nukegara1 8月31日
ミカンの葉です。
左の、色の淡い方の脱け殻。大きさからいってツクツクホウシの脱け殻でしょう。
0831_9nukegara2
すぐそばのミカンの葉にも脱け殻。
腹の部分の太さが微妙に違っていたりするのですが、もう深くは追求しません。
アブラゼミとミンミンゼミとツクツクホウシではないかと思うわけです。

9月上旬も終わろうとする今の時期、もう鳴いているセミはツクツクホウシばかりです。
虫が教える季節は確実に進んで行きますね。
まだ暑い日が何回かは来るでしょうが、それこそ本物の「残暑」というものです。
立秋の後に猛暑日が連続しても残暑としか言いようのない俳句の世界は窮屈だ。
すねてます。あんまり暑かったから。

オンブバッタ

0831_7onbubatta 8月31日
お馴染みのオンブバッタ。
もういいかぁ、とも思ったのですが、格好がね、面白くって。
四股を踏んでいるというか、おう、なんか文句あっかよ、と啖呵を切っているというか。

それだけの写真です。虫に遊ばれているかかしじいさんでした。

ヨツボシヒョウタンナガカメムシ

0831_4yotubosihyoutannagakamemusi 8月31日
ネコジャラシの青い実に突き刺さる口吻が撮れました。
写真中赤い矢印で指している細い棒がそうです。
太い鞘が手前に折れ曲がっているのも見えます。
こうやって一生懸命近づいて写真撮っていると、思い入れが生じてきて、ネコジャラシの「実」がおいしそうな気がしてきます。熟した実はきっとおいしくない。青い実の方がジューシーで濃くっておいしいのではないか、などと想像しています。
農家の方はカメムシが米についたりしたら、大変。
この写真のネコジャラシの実を米の実に置き換えて想像して下さい。
せっかくの稔りが、台無しです。
我が家の雑草園でよかったね。

dog ear

0831_3sasagumo1 8月31日
本のページの隅を三角に折ることを「dog ear」といいます。
上の写真、ホトトギスの葉がdog earになってますね。
この折り目の内側にササグモの卵囊があります。
0831_3sasagumo2
ほら、メスが卵囊を守っている。
今年初めてササグモの卵囊に気付いて、これで4つ目かな。
他の場所では見つけていません。
ホトトギスの葉だけではないはずですので、よく見れば他の場所でも見られるのだと思います。ただ、このようなdog earの目印がないと、見つけられないですね。
また、すぐそばにササグモがいてくれないと、何の卵塊か分からずに見過ごしている可能性もあります。
見るべきものはいろいろいっぱいありますねぇ。尽きません。

モノサシトンボ

0831_2monosasitonbo1 8月31日
モノサシトンボと目があってしまいました。
よく見ると、なんだか、口のあたりがいつもと違う様子。
0831_2monosasitonbo2
食事中ですね。
小さな昆虫、脚の模様を見るとおそらくヒトスジシマカを捕まえて食べているのです。
口を大きく開けて、むしゃむしゃ、という感じが伝わってきます。
0831_2monosasitonbo3
ちょっとぼやけましたが、獲物の翅が見えます。
見ている間に口の外に出ている部分がどんどん少なくなっていきます。
もぐもぐ食べてますよ。
0831_2monosasitonbo4
もうほとんどなくなった。
イトトンボがカを食う。すごく小さいといえば小さいですが、たらふく食った、という感じですよね。気付いてから1,2分で食べ終えてしまいました。
よくわからないのですが、前脚を使って獲物を口のあたりに保持しているように見えます。
とても横からも見させてもらえるような状態ではないですから、想像するだけですけれど。
写真を見ていてふと気づいたのですが、
0831_2monosasitonbo5
白い矢印で指したところとその左下のあたりの光った点、これ単眼でしょうね。
イトトンボの単眼を見られるとは思ってもいませんでした。

いや、すごいものを見させてもらった。
肉食昆虫なんですよねぇ、やっぱり。
そのスケールの世界では獰猛な狩人なのかもしれません。
モノサシトンボを見直してしまいました。

ミカンワタカイガラムシ

0831_1mikanwatakaigaramusi 8月31日
ヤツデの葉の上です。アリが何やら夢中になって動かない。
みれば、あれは多分以前に調べたミカンワタカイガラムシのようですね。
葉の汁を吸って、何かアリにとってものすごくおいしい液体を分泌しているのでしょうか。
アリが歩きまわらずに、こんなふうに刺さるようにくっついたままになるというのは結構珍しいことです。
アブラムシの世話をしている時でも、あちこち歩き回っていますよ。
ひょっとすると、ただ甘いだけではなくて、アリが中毒的な状態になる物質でも含んでいるのでしょうか。
不思議な光景でした。

2010年9月 9日 (木)

オオヒメグモ

0830_9oohimegumo 8月30日
ガレージの隅っこに網を張ったオオヒメグモ。
ガレージの扉に網を延長してくることもなく、私の用途と衝突しない範囲でここに生きてくれるようです。
あまり獲物の多い場所とも思えないけれど、きっと何とかなるでしょう。
見続けていくことにします。

アオクサカメムシ

0830_8aokusakamemusi1 8月30日
ルコウソウの葉にアオクサカメムシがとまっていました。
ちょっと弱った状態のようでしたが、記念にと、写真を撮らせてもらいました。
0830_8aokusakamemusi2
単眼は明確に2つ、ですね。

翌日も全く同じ場所にいて、もう動けないのだな、と思っておりましたら、3日目には落ちたのでしょう、見えなくなっていました。

東急電鉄の保線関係で、線路際の草刈りが行われました。枯れ草に火でもついたら大変ですから、当然のメンテナンスです。
ただ、線路際の住民としては、植物が減れば、それだけ虫も減ります。ちょっぴり悲しい。
ま、仕方ないですけどね。
我が家の前の線路際の、フウセンカズラやオシロイバナは残していってくれました。保育園のお散歩コースだし、園児に花を見せたくってね、と立ち話をしたことを受けて配慮して下さったようです。有難いことです。

フウセンカズラ

0830_6huusenkazura 8月30日
フウセンカズラです。
花弁がまだ残っていて、オシベも残っています。
将来フウセンになる小さな青い袋の先端にメシベの先端が残っています。

こうやってみると、フウセンは果実の果皮ということのようですね。
大きくなって褐色になったフウセンが果実なんですね。

緑色の風船が膨らんできたら、そっと指先でつまんでみてください。ぽわぽわして、実に心地よい触感ですよ。
熟してからハート模様の種子を楽しむのもいいですが、青い風船の触り心地を楽しむのもなかなかによいものです。

9月9日に

◆現役当時、9月9日にはよく授業の冒頭で「今日は何の日か知ってるか?」と話をしたものです。
「重陽の節句」というんだぞ、で、明日菊を買うと「6日の菖蒲10日の菊」っていうんだぞ、などとひとしきりウンチクを傾けて、授業への気分のひきこみに使いましたっけ。

ちょう‐よう【重陽】(陽の数である9が重なる意) 五節句の一。陰暦9月9日で、中国では登高という丘に登る行楽の行事がある。日本では奈良時代より宮中で観菊の宴が催された。菊の節句。9月の節句。重九。<季語:秋> 。「―の宴」

六日の菖蒲アヤメ:(5月5日の節句の翌日の菖蒲の意) 時機におくれて役に立たない物事のたとえ。「十日の菊」に同じ。六菖十菊。むいかのしょうぶ。平家物語11「今はなんのようにか逢ふべき。会エにあはぬ花、六日の菖蒲シヨウブ」

十日の菊(菊は9月9日の節句のものだからいう) 時機に遅れて役立たないもののたとえ。「六日の菖蒲(アヤメ)」と同意。[広辞苑第五版]

こんな具合。

◆今朝の朝日新聞の読者投稿欄にこんな投書が載りました。

9条を9時9分に考えよう
 平和憲法を守ろうとする人々の呼びかけにより、9月9日の午前や午後9時9分に、日本国憲法を様々な形で見つめ直すアピールが、全国のあちらこちらで行われます。(後略)

知りませんでした、そういう取り組みがあるということを。
で、「憲法9条 9月9日9時9分」でグーグルのアンド検索をかけたところ、いっぱいヒットしました。
そうなんだ、と今年初めて知りました。

9月9日、みんなで、「憲法9条、平和をありがとう」 と、叫びませんか。
9月9日午後9時9分、『4アワセ9条』を合言葉に、この時間に、一斉に、
仲間と一緒なら、大きな声で、
お一人なら、囁きの、心の大声で
平和を愛する、みんなの心をつなぎましょう、
みんなの顔は、見えないけれど、みんなの声は、聞こえないけれど、
みんなが、一緒に、 「憲法9条、平和をありがとう」と、感謝をすれば、
みんなの、平和の心が、平和の絆が、見えきますよ、
9月9日午後9時9分、『4アワセ9条』を、合言葉に、みんなに広げましょう、

こう書いておられるブログもありました。

0909_9oclock
私は独り行く者、ですので一人でこんな写真を撮って、この趣旨に賛同するものであることを表明します。
他の方に押しつけはしません。
私はただ、9条を守りたい、と表明します。
みなさんがそれぞれの位置で考えていただければ幸いです。

◆朝日新聞の元記者の方の闘病記がアスパラ・クラブというところに掲載されているのですが

・・・
人間ドックの検査日は、毎年誕生日前後の縁起のいい日にしているが、2008年は、9月9日しか空いていなかった。
「9、9というのは、窮(きゅう)、窮につながって、嫌だな」と、感じたことを思い出した。
・・・

「縁起」ってみなさん気になさるものなのでしょうか。
私は、電話番号とか、車のナンバーとか、数字にかかわる一切の「縁起」を拒否・無視して生きております。
去年、車を軽自動車に替えたときに、ナンバーの好みとかありますか、と聞かれましたが、
4444でも9999でも、4949でも、4989(四苦八苦)でも、何でもいいですよ、私には一切のpreferenceはありませんから、と答えましたっけね。
「良い数字」を喜ぶ、というのも拒否です。同じ縁起かつぎの裏表ですからね。

 今朝の新聞にはこんな話もありました。

「民国99年9月9日」台湾で縁起良い切符大人気(朝日新聞 2010年9月9日2時9分)
 台湾は1912年の中華民国建国を元年とする暦を使っており、今年は「民国99年」で、9月9日には9が四つ重なる。「九(チウ)」は「久(チウ)」に通じて縁起が良いとされ、この日付の鉄道記念切符が人気を呼んでいる。
 台湾鉄道管理局は、台南県内にある永康駅で、保安駅行きの記念切符を5万枚用意した。1枚21台湾ドル(約56円)。駅名の4文字を組み合わせると「永保安康」(ずっと心配事なくやすらかに過ごせる)という意味になる。「99・9・9」の日付を入れて6日に売り出したところ、朝から長蛇の列ができ、6時間で売り切れ。同局は急きょ5万枚の追加印刷を決めた。(後略)

要するに、数字には何の力もないということですよね。
気にする人間の心が起こす「偽薬効果」というものでしょう。

執着を捨てると、心が軽くなります。

モノサシトンボ

0830_3monosasitonbo 8月30日
これまた、モノサシトンボの非常に分かりやすい写真が撮れました。
翅の翅脈などもかなり見えています。
たまにこんな写真が撮れることもあって、こういう時は嬉しくなります。

ヨツボシヒョウタンナガカメムシ

0830_2yotubosihyoutannagakamemusi 8月30日
ヨツボシヒョウタンナガカメムシの見やすい写真が撮れましたので掲載しておきます。
小さい虫の姿を、これを見れば間違いないというような姿で撮るのは結構難しい。

図鑑などで、時折目にしますが、写真よりもイラストの方が情報量が多いことがあります。
写真は対象のすべてを写し撮っているかというと、そうでもないんですね。
ここをみてほしい、ここがポイントだ、と分かっている方が描いたイラストは非常に分かりやすく重要なポイントが伝わってきます。
そういう分かりやすい写真を心がけますが、未熟者でスミマセン。

オンブバッタ

0830_1onbubatta1 8月30日
成虫になったオンブバッタが完全な姿を見せてくれたので、嬉しくなって一枚。
では、このオンブバッタのプロフィールを
0830_1onbubatta2
profile なぜかプロファイルとは普通いわなくてプロフィール=横顔
でした。

余計な一言:C言語でプログラムを書いて、コンパイルする時にプロファイル・オプションを付けてコンパイルし、走らせると、プログラムのどこをどのくらい通過したかというデータが取れます。これを利用して、プログラムの無駄を削減し、時間を食う部分を食わないように書き直したりしてプログラムの改良ができます。
英語にはこういう意味の「プロファイル」があることも知っておくといいですね。

クスノキ

8月27日付で「クスノキ」という話を書きました。
http://yamada-kuebiko.cocolog-nifty.com/blog/2010/08/post-a64e.html

茂木健一郎さんと多田多恵子さんの対談で、クスノキが積極的にダニを呼びこんで、そのダニを食べるダニを間接的に呼び、葉を守るという話です。
その時私は、クスノキの葉の表側の写真を撮って掲載しました。確かに葉脈の分岐点に盛り上がりがありました。
裏はどうなってるんだ?と写真を撮ってみました。
0828_5kusunoki1
あ、膨らんでますねぇ。ここに、草食性のダニが住んでるわけだ。
0828_5kusunoki2
穴が開いてますよ。
増えていっぱいになって、出ていった跡なのかな。
「このダニは増えると、裏側の開口部からチョロチョロ出てくる」と多田さんがおっしゃってますからね。

そうなんだぁ。
一人、なんだか、嬉しくなりました。

アリの仕事

0828_4ari1 8月28日
突き当りの道路の路面。
何やら色の濃い丸い部分が散在しますね。
これ、路面に一様に落ちている木や草が枯れて生成した粒状のものを集めたものなのです。
少しですが盛り上がっています。
なんで、こんなものが?
0828_4ari2
コガネムシの死体が真ん中にあります。
0828_4ari3
みみずの死体があります。

アリの仕業だと思うのですが。
意味・目的が分からない。
アリの意図を感じますが、その意図の内容が分からない。
何でこんなことするんだ?
目印?いやぁ、においづけして活動しているのですから、視覚的な目印は要らない。

不思議なものを作っています。
気づいてみれば、いつもあるようです。
なにやってんのかなぁ?

トカゲ:おとな

0828_3tokage1 8月28日
前日の夕方、妻が外の水道のところのバケツの中にトカゲがいるわよ、と教えてくれました。
もう写真撮る気にもなれなくて、生返事をしたのですが。
そうそうそういってたな、と今日、見に行ったら、まだいました。
大人のトカゲです。
0828_3tokage2
いい顔つきですねぇ。
目の後ろの丸いものは水滴です。
その水滴の斜め後ろ下、くぼんでいますが、これが耳孔です。
改めて手を見ると
0828_3tokage3
こういう尖った爪でした。
ひょっとして、このトカゲ、バケツに落っこちてバケツの壁を這いあがれなくて一晩ここで過ごしたのかな?とバケツを傾けて、草の中へトカゲを逃がしてやりました。
ヤモリだったら、全く問題なく壁を歩きあがったでしょうにね。

トカゲ:子ども

0828_1tokage 8月28日
まだ子どものトカゲ。
少し前に自切後の再生中というトカゲを見ましたが、もちろんあれとは別個体。
先端まで滑らかに細くなっています。完全な尾です。

どうも、庭に2,3匹はいるようで、ちょろちょろと姿を垣間見ます。
外猫チャコちゃんなどもいますから、見つからないようにして成長してほしいですね。

2010年9月 8日 (水)

ウラギンシジミ

0827_h_uraginsijimi 8月27日
白山神社はお祭り前。
人出が多いのでしょう、その方たちが虫に刺された、というのでは公共の場所としてまずいのかな、変な言い回しですが「地回りの虫」はほとんどいません。
翅があって、少し遠くで生きているのが飛んできた、という感じでしか虫に会えません。
これはウラギンシジミですね。
シジミとはいうものの、大型で、モンシロチョウくらいありますので、このように翅を閉じた状態ですと、分からないかもしれません。
翅を開くとモンシロチョウとは全然違う模様なので、すぐ分かります。
成虫で越冬するようで、冬、サザンカの枝で見つけたことがありました。
去年の12月から今年の正月にかけて何回か、ウラギンシジミの記事を書いています。
その最初だけリンクを張っておきます。
http://yamada-kuebiko.cocolog-nifty.com/blog/2009/12/post-2251.html

夏に出会うのはこれが初めてでした。

コブシの花

0827_h_kobusi 8月27日
白山神社前の舗道の植え込み。
コブシの花が咲いてしまいました。
他にもつぼみがいっぱい見えますでしょ。

狂い咲き、というんですか、こういうの。
気温のせいでしょうか。
「コブシ 狂い咲き」でグーグルのアンド検索をかけたところ、何件かヒットしました。
全く珍しい、というのでもなさそうですが、やはり、なんだか変な気分にさせられるものですね。

ヒメグモ

0827_10himegumo 8月27日
ヒメグモの巣にカノコガがかかっていました。
ただ、どうも、このカノコガ、糸で巻かれていません。
ヒメグモにとって大型で暴れられて持て余したのかな、とも思います。
その後、2,3日、この状態でかかっていました。
獲物として食べるのであれば糸で巻きますよね。それがないのが不審です。
たまたま飛んできて引っかかって死んでしまったのかな、と想像しています。

アワダチソウグンバイ

0827_8awadatisougunba2 8月27日
カメムシ目>カメムシ亜目>グンバイムシ科>アワダチソウグンバイ です。
北米から入ってきたとのことです。
アワダチソウグンバイがセイタカアワダチソウにいるという写真で、その点では何の変哲もない写真です。ただ、ヒマワリを植えればヒマワリにもつくし、なんにでもついちゃうようですね。ナスやイモにもつくとか。で、害虫ということになります。

さて、このアワダチソウグンバイなんですが、実に写真写りの悪い連中でして、すっきり細部まで写ってくれないのです。
全体として翅の形が「軍配」の形をしているとか、頭部がジェット機のコックピットのような感じの形をしている、というのは分かるのですが、どうにも細部が描写できない。めんどっちい奴です。
0827_8awadatisougunbai1
今年気づいたことが一つ。
歩く様子が、ヘン。
まっすぐ滑らかに進んで行かないのですね。
細かく前後に体を揺らしながら、少しずつ前へ移動していく。
この動きが分かるようになると、遠目でも、その揺らぎが感じられて、見えるようになります。
何か理由があるのか、ないのか、分かりませんが、目が肥えました。(そういうのって「肥える」っていうのかよ、と突っ込まれそうですね。)

モンシロチョウ

0827_6monsirotyou 8月27日
フウセンカズラで吸蜜するモンシロチョウ。
我が家のベランダでコマツナを食いつくして消滅させたあいつらの子孫ですよゼッタイ。
モンシロチョウはシジミより撮りにくいです。長い時間とまってくれないのですね。すぐ花を移動する。アングルを狙っている暇がないのです。
もう少し顔の部分をアップにできると、セセリなんかとは口吻の出方が異なるのですが、そこまでは迫れませんでした。

モノサシトンボ

0827_5monosasitonbof 8月27日
モノサシトンボですが。
色がね、いつものとちょっと違う。
メスでしょうね。腹部はいつもの黒い色で、胸部が茶色っぽいのでそう思います。
成熟していないオスも茶色ぽいらしいのですが、腹部まで茶色っぽい写真が多かったので。

一体この夏、何匹羽化したのか。よくわからないのですが、イトトンボ池になっているようです。

ハエ交尾

0827_4hae 8月27日
ふと見上げると、蔓でハエが交尾していました。
それだけなんですけれど、なんだか、青空を背景にして、美しいと思います。

生きて、繁殖する。それは美しいことですね。

ササグモ

0827_3sasagumo 8月27日
また、ササグモが卵囊を守っています。
この写真の葉っぱ、ホトトギスの葉ですが、曲げてあって、その裏側に白い糸で包まれた卵囊があります。
産みっぱなしで去ってしまうよりも、やはり孵化の割合とか、孵化直後の安全性とかで有利な行動なんでしょうね。
単純に人間的な愛情、と同一視してはいけませんが、やはり、愛情だよなぁ。
人間だって、動物としては親による育児が生存率を高める行動であって、そこに人間としての「抽象化」が働いて「愛」を獲得したのでしょうよね。

ヤマトシジミ

0827_2yamatosijimi 8月27日
この写真どうしても解説が要るのです。
シダの葉の上に2匹のヤマトシジミがいました。
普通2匹がいる、といえば、ただ並んでいるか、交尾か、という感じですよね。
ところがね、立っている私の目の距離からは、あたかもこの2匹がキスしているような位置関係でしてね。互いに顔を向けあって、くっついている。
おっ、kissing butterflies だ!
というので、シャッターをを切ったのですが、私の動きを感知したのでしょうね、飛びあがってしまった。
というのがこの写真なんです。
この2匹、その後どうなったのかは知りません。ご想像に任せます。

ぼやけた写真で申し訳ない。
決断が早ければ、kissing butterflies をお目にかけられたかもしれなかったのですけれど・・・。

イチモンジセセリ

0827_1seseri1_2 8月27日
イチモンジセセリの特徴的なとまり方。
後翅を水平に開き、前翅を立てる。
0827_1seseri2
三角翼のジェット機みたいだ、といわれる姿です。
平和そのものの生きものなのにね。申し訳ない言い方ですね。
他のチョウではこういう姿はあまり見かけませんね。
イチモンジセセリだって、いつもこういうとまり方しかしないというわけではないのですが、この姿ができるのは彼らの特徴。

毎朝、玄関を出ると、ほとんど必ず、おはようーっと姿を現わします。はいおはよう、と一枚どうしても撮ります。楽しい友人です。

秋来ぬと

0904_9murasakisikibu1 9月4日
暑い暑いと大騒ぎ。最低気温が28.7℃、朝っぱらから30℃近い、とげんなりしておりました。エアコンは必要、昼に外へ出る気もなく、朝カメラを持ってちらっと庭の様子を見ては、すぐ退散してくる、という日々。
日の出は遅くなってきたし、日没は早くなってきたし、確かに風も秋をはらんではいる。
でも、ひどい日々だ、とぼやくばかりでしたが。
見れば、ムラサキシキブの実にほんのり紫色がのっているではありませんか。
0904_9murasakisikibu2
ほらね。
なんだかうれしいですね。

藤原敏行の「秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる」という歌は有名です。
私の感覚的には、風に秋を感じてはいたけれど、こうやってムラサキシキブが紫をのせはじめたのを見て「おどろかれぬる」なんであります。
植物は、暑い中も、少しずつ、少しずつ、秋を進めていたんだなぁ、というわけでした。

雨です

東京では朝から実に久しぶりの雨となっています。
暑さに加えて、乾燥で、鉢植えのみならず、庭の植物も水分不足で張りを失ってきていました。恵みの雨です。ただ、この雨は台風の影響ですから、災害になるような降り方をしてほしくないという思いです。
台風というものは、とても大きなエネルギーの動きですから、このあたりで、この暑い夏という天候が、ここで一つの曲がり角を曲がって、秋へと向かう転向点になることを期待します。

東京では昨日も猛暑日で、計13日となり、タイ記録となりました。感覚的には今日の雨でもう、35℃以上にはならないのではないか、と期待していますが、もうしばらく様子を見てから今年の夏の気温の状況など、グラフ化してお目にかけます。

今日は、その、タイ記録の相手、1995年の気温のグラフをお目にかけます。
Kion95
これがそう。
この当時は授業通信に印刷して、生徒に配布して、いろいろな話をしました。
ですから、カラーのグラフはかえってプリントにしづらく、モノクロームで表現してあります。
7月の終わりごろから9月にかけて、35℃を超えています。
ただ、当時は、猛暑日という言葉もなく、35℃という一つのラインを設定して超えた超えない、という議論はしていませんでした。
真夏日ということで、30℃を超えた日数、という議論・報道でしたね。ですから、記憶に猛暑日13日!というような感覚が残っていません。
このグラフは、今夏の気温のまとめを書く時にもう一回登場させるつもりです。

ついでに、その2年前、1993年の気温のグラフをお目にかけます。
この年は記録的な冷夏でした。
Kion93
もちろん東京での記録です。
30℃を超える真夏日が何日あったか、というレベルなんです。
熱帯夜も数少ない。
米も不作で、単一品種だけを作ることのリスク・弊害などが言われるようになったのもこの頃からでしたでしょう。
私は45歳。兄は50歳を目前にした8月に亡くなったので、この夏のことはよく覚えています。
さむいなつでした。

2010年9月 7日 (火)

目高

2010.9.6付 朝日俳壇より
ほろぶ国目高少なくなりゆけり:(三豊市)磯崎敬三
 長谷川櫂 評:「ほろぶ国」とは今、滅びつつある国。いうまでもなく日本。

もちろんこの評のとおりです。
自分の足元から地についた句を詠む。そこから遠くへ出発していく。

視線をあげて、遠くこの句の先を眺めれば、「ほろぶ国」とは、「人類の社会」のことだと思います。
大絶滅期を招来したのは、人類です。
そして、自身も滅びゆくのでしょう。

かき氷

2010.9.6付 朝日俳壇より
脳天を貫通したるかき氷:(三木市)酒井霞甫
 稲畑汀子 評:かき氷を口に入れた途端に頭の芯までつんときた。次第に馴れるが、最初の一口の瞬間が描けた。

私もう、何年もかき氷というのを食べたことがありません。店でしゃかしゃか削ってくれるやつも、カップに入って、コンビニでアイスと一緒に売ってるやつも。
冷たいのがだめなんですね。
アイスコーヒーとか、アイスティーとかを自分で作って飲む、というのは毎日のことですが、かき氷はダメ。昔は食べたけどなぁ。

一口目でつんときた記憶はあんまりないんです。ごめんなさい。
むしろ、よろこんで、がつがつとかきこんで食べているうちに、頭がツーンと痛くなってきて、一口すくっては、息をつき、また一口すくっては息をつき、とダウンしていく、という記憶があります。

どのポイントで「脳天を貫通」するのか、いろいろあるんでしょうね。

冷房

2010.9.6付 朝日俳壇より
冷房に頼り過ぎたる暮らしかな:(久留米市)谷川章子
 稲畑汀子 評:夏の暑さも秋の残暑も凌ぐため、冷房を入れて暮らしやすくした。長く冷房に頼り過ぎたことを、今年はそれも仕方のない厳しい現実があったとふり返る作者。

なんとなく、評にギャップを感じます。
「今年はそれも仕方のない厳しい現実があった」と選者が作者を労り慰めているのではありませんか?

作者は、いくら暑いといっても、冷房に頼り過ぎたかなぁ、電気代はかかるし、エコじゃないし、と反省していらっしゃる。
私も、選者と同じく「今年はそれも仕方のない厳しい現実があった」のですよ、いいんです、生きるためですから、殺人的な暑さでした、お互い様、冷房にすがってでも生き延びましょうよ、と申し上げます。

猛暑日

2010.9.6付 朝日俳壇より
国難のごとき猛暑日つづきけり:(さいたま市)藤井健治
 大串章 評:今年の猛暑はけたはずれ、38度を越す日も何日かあった。まさに「国難」のごとき猛暑。
 金子兜太 評:誇張も時に真。

さすがに、私の年齢では「国難」という言葉はイメージしにくい。
私の感想としては、この暑さ「災害」といっていいのではないか、と感じています。
救急搬送の数が万の桁、死者が百の桁。
台風災害だと、経済的な損失とか大規模ですが、死者は今の日本では百の桁に達することはまれでしょう。
死者数ではれっきとした「大災害」であるような気がします。

猛暑日というのは2007年度から気象庁が使い始めた言葉で、比較的新しいものです。
1995年に東京でのいわゆる猛暑日日数記録が出ていますが、この時には猛暑日という言葉がない。で、30℃を超えた日、なかでも、35℃を超えた日、というような言い方がなされたはずです。ですから、猛暑日が多かった、という記憶がない方も多いと思うのです。かくいう私も、え、そんなに暑かったのだっけ?と戸惑ってしまった一人です。

言葉があると、言葉が一人歩きしがちではあります。
とはいえ、暑いよ。
たまりません。

盆をどり

2010.9.6付 朝日俳壇より
極楽と地獄の前の盆をどり:(東京都)途中庵福老
 大串章 評:精霊を迎えるための盆踊り。死者の霊魂は、極楽からも地獄からも帰ってくるのだろうか。

なんだかなぁ、日本の仏教って、何でもかんでもごった煮ですねぇ。
霊なんてことはお釈迦様はおっしゃってないよなぁ。
地獄・極楽も「方便」。
死んで霊になって現世に顔を出すなんて、そんな執着してちゃぁ、成仏しませんがね。

執着を離れなさい、とお釈迦様はおっしゃった。

塩素の匂い

2010.9.6付 朝日歌壇より
濡れた髪塩素の匂い教室に広がる気だるさプールのあとは:(八尾市)原口友紀

体育の先生には申し訳ないのですが、体育の授業の後の授業というのは、座学の教師としては最悪。
季節を問わず、落ち着かせるのに時間がかかるのです。
まして、水泳のあとは、ダメ。
ドライヤーを出して髪を乾かしたりしますからね。絶望的に授業が始まらない。
で、体はぐったり疲れてますから、授業に身が入らないことおびただしい。

さて、作者は生徒?教師?
生徒だとしたら、先生は張りきってるけど、こっちは疲れてだるいヨ~。でしょうか。
先生なら、多分私が書いたような気分。

この暑さ、校庭で体育はきつすぎますね。しかたない、泳いで体を冷やして下さい。

朝顔

2010.9.6付 朝日歌壇より
日に五十咲く朝顔に蝶や蜂飛蝗亀虫雨蛙も来る:(松坂市)こやまはつみ

余計なことを。「飛蝗」は「ばった」です。

いろいろ来ましたね。ただ、きのう書いたのですが、素直ではなくなった私です。
朝顔は咲く前に自家受粉してしまうんですね。虫媒は期待していない。
蝶には花粉の媒介の可能性はありますが、花が深いからなぁ。無理っぽいところもあります。
ハチは潜りこむかもしれません。
バッタは蜜を吸いに入るわけではない。
カメムシは、ひょっとすると、花に入り込むか、あるいは花の外から口を刺して蜜を吸うかもな。
雨蛙は授粉とは無関係。

作者には申し訳ないのですが、いろいろ来るんですが、みんな、花としての朝顔にやってくるのではないかもしれませんね。

竜舌蘭

2010.9.6付 朝日歌壇より
百年に一度の竜舌蘭の花咲けば蟲たち立ち騒ぎけり:(大阪市)灘本忠功

炎暑、懸命開花 アオノリュウゼツラン…大阪・池田

 30~50年に一度しか咲かないといわれている「アオノリュウゼツラン」が、大阪府池田市綾羽、市低区中継ポンプ場の敷地内で開花した。
 米国南西部や中南米の熱帯域に自生。花は1か月ほどで散り、一度開花すると植物自体が枯れてしまうという。
 ポンプ場の敷地内には1株あり、7月20日頃から開花が始まった。高さは約6メートルで、途中で枝分かれした花茎の先端に、小さく黄色い筒状の花が密集している。花茎の下部から上に向かって順番に開花が進む一方、下から枯れていくといい、現在は高さ5メートル付近で花をつけている。市緑のセンターによると、あと約10日で最上部が咲くという。
(2010年8月4日  読売新聞)

このリュウゼツランですね。虫たちは基本的に毎年生まれ変わっているのでしょうから、生まれて初めて嗅ぐ香りだったはずです。なんだなんだ、この香りはなんだ、と浮足立ったかな。

実は、今年、東京でもリュウゼツランが咲きました。

リュウゼツラン 40数年かけ開花:文京・一行院(朝日新聞 2010/8/26)
 文京区にある一行院(千石1丁目)で、「センチュリー・プラント」と呼ばれ、花が咲くのに100年から60年かかるといわれる、リュウゼツランが開花し、満開を迎えている。夏の青空を背景に、約5mほど伸びた幹の先に黄色い花を咲かせている。
 リュウゼツランはメキシコ原産の植物。なかなか開花しないことで知られるが。実際は40年前後で花が咲き、花が終わると枯死する。
 住職の八木千暁さん(47)によれば、ここ2カ月で幹が伸び始め、今月中旬から咲き始めたという。リュウゼツランは前住職で現在は増上寺(港区芝公園)の法主を務める父の季生さんが、四十数年前に親類の寺から株分けされたもの。
 千暁さんは「年齢は私の方が少しお兄さん。子どものころからアロエのお化けと言っていたが、こんなに大きくなるとは」と、咲いた姿を見て驚いていた。

東京に住む私は、歌を読んで、東京のリュウゼツランを先ず思い浮かべたのですが、作者が大阪の方でいらっしゃるので、調べてみたら、大阪でも咲いたのですね。

ところで、テキーラというメキシコの強いお酒は、リュウゼツランを原料とするお酒でしたよね。どなたか、日本で作ってみないのかな?

◆この夏咲いた珍しい花というと、ショクダイオオコンニャクが話題になりましたね。
「燭台大蒟蒻」ですね。学名が「Amorphophallus titanum」というので、アモルフォファルスと呼ばれることもあります。
この花、大きいといって有名ですが、臭いんです。肉が腐ったにおい、だそうで。
授粉のために、その匂いでハエを呼ぶんですね。
この花の開花の方が「蟲たち立ち騒ぎけり」「ハエたち立ち騒ぎけり」だったのではないでしょうか。強烈なにおいで呼びつけられてしまったことでしょう。

「世界最大」花開く 香りに誘われたのは… 東大植物園(朝日新聞 2010年7月22日)
 「世界最大」と呼ばれるインドネシア・スマトラ島原産のショクダイオオコンニャクの花が22日夕、東京大学理学系研究科付属植物園(小石川植物園、東京都文京区)で開花した。高さ約1.5メートル、直径約80センチの花は受粉のためにハエなどの虫を誘う腐敗臭を漂わせ始めた。
 小石川植物園での開花は1991年以来で、これが国内6例目となる。開花状態はあと2日ほど続くとみられ、25日まで花の公開を続ける。園長の邑田(むらた)仁・東大教授は「種をまいてから17年かかったが、珍しい花を間近で見られて感慨無量です」と話した。
 花びらのように広がったのは葉が変形した仏炎苞(ぶつえんほう)で、中央に高く伸びた付属体の根もとに、小さな花が多数ついている。花の集まり(花序=かじょ)であるこの全体が、大きいものは高さ約3メートルにもなることから「世界最大」とされる。一つの花で世界最大と言えるのは、直径約1メートルになるラフレシア・アーノルディだ。
 開花に関する情報は、同園のウェブサイトで提供されている。


あの腐臭花、鹿児島でも開花か…東京の親類(2010年7月26日 読売新聞)
開花が近づいているショクダイオオコンニャク
 鹿児島県指宿市のフラワーパークかごしまで、世界一大きな花といわれる希少植物・ショクダイオオコンニャクの開花が迫っている。
 咲けば全国で7例目、同園では3例目となり、関係者らはわくわくしながら見守っている。
 インドネシア・スマトラ島原産のサトイモ科の固有種で、ろうそくを立てる燭台(しょくだい)に似ていることから名付けられた。
 花がたくさん集まって一つの大きな花に見える花序の直径は約1メートルにもなり、色は鮮やかなあずき色。夕方に開いて、翌日の夕方にはしぼみ、開花時は、受粉の虫を誘うため、肉が腐ったような強烈なにおいを発する。
 同園は2003年に、小石川植物園(東京都)から球茎を取り寄せて育て、08年7月に国内で2、3例目となる2株に直径約1メートルの花が開いて話題となった。今回は7月初旬、08年に開花した株の球根であるコンニャクイモ(直径約60センチ)から花芽が伸び始め、現在は高さ約1メートル80センチまで成長している。
 フラワーパークかごしまでは、花芽を育てるため、イモを傷めないように土の入れ替えには気を使ってきたという。同園栽培管理課の伊東信雄さん(49)は「6、7年に一度しか咲かないといわれ、1株から2度目の開花となれば世界的にも珍しいのではないか。小石川植物園が話題となったが、フラワーパークでも開花が迫っており、ぜひ巨大な花の開花を見に来てほしい」と話している。今のところ、開花は31日とみている。

野良猫

2010.9.6付 朝日歌壇より
霊園に住みつく猫を野良猫とよんでいいのか迷いつつ詠む:(東京都)大久保やそじ

その猫に聞こえないように、内緒話。
それは絶対「ねこまた」ですよ。
霊園を荒らす悪霊など食べているんですね、きっと。
おねこさま、としてあがめましょう。

{黙す}

今週、9.6付の朝日歌壇の各選者は、8月12日に亡くなられた河野裕子氏への追悼の歌をいくつかずつ選んでおられます。
夫君の永田和宏氏は、選んだ十首のうち五首が、河野氏追悼の歌です。
そして、通常ですと、選んだ歌への評を書く欄にこう書いておられます。

私事を書く場ではないが、選歌をしながら何度も泣いてしまった。二百通近い河野裕子を悼む歌が寄せられ、驚き、感謝している。河野は亡くなる前日まで口述で歌を作っていた。選歌も最後までやり遂げた。歌に択ばれた歌人だった。歌人としては幸せな一生だったが、家族としての喪失感に見合う言葉はまだ出てこない。

夫人を亡くされて、歌壇の選歌をお休みになってもよいのに、と思っておりましたが、ご夫婦共に、「歌人」であられます。

今週、河野裕子氏追悼の歌を敢えて私はこの俳歌倉に載せません。
言葉がないからです。

君を打ち子を打ち灼けるごとき掌よざんざんばらんと髪とき眠る
生きながら死んでゆくのが生きること眠るまへ明日の二合の米とぐ
しつかりと飯を食はせて陽にあてしふとんにくるみて寝かす仕合せ

パンの耳

2010.9.6付 朝日歌壇より
パンの耳捨てしを恥じぬみみだけで一日生きしとふ歌人いづくに:(成田市)神郡一成

困った。私、パンの耳好きだ。絶対捨てたりするもんですか。
味が濃いじゃないですか、パンの耳って。多少硬いけれど、噛みごたえがある。牛乳にでも浸してほぐしたっていい。

羊羹の端に砂糖がざりざり結晶してきたところ、とか
カステラの端の、味の濃いところ、とか
狙って食べたものなぁ。

端にこそ、幸せの神は宿るのですよ。
{次男坊の言い分かもしれない。}

戦さ

2010.9.6付 朝日歌壇より
涙ばかり誘いてドラマは終わりけり戦さを決めし人には触れず:(浜松市)桜井雅子

夏は「ドラマ」が多い。
戦争の構造をきちんと解き明かしていくと、最終的にたどり着くところを、皆、知っていながら明確には出来ないのが今の日本。

こだはりの心にへばりつく残暑:(福山市)広川良子

こだわり続けましょう。あっさり忘れたりしてはいけません。
記憶は薄らぐものですが、意志は持続できるものです。
みんながこだわり続ければ、それは力になります。

それにしても暑い。
終戦の夏は暑かった、と聞きます。
解決のつかないことを背負い続ける精神のタフネスを、鍛えましょうよ、私ら庶民の力って、そういうタフネスのことでしょ。

棚経

2010.9.6付 朝日歌壇より
失業し金がないから棚経を読みに来るなと電話のかかる:(三原市)岡田独甫
{永田和宏氏も選んでおられます。}

物知らずの恥をさらします。
「棚経」という言葉を知りませんでした。

たな‐ぎょう【棚経】盂蘭盆会ウラボンエに、精霊棚シヨウリヨウダナの前で僧が経を読むこと。  秋 。風俗文選「旦那寺の小僧―として読みありく」[広辞苑第五版]
しょうりょう‐だな【精霊棚】盆に精霊を迎えるために設ける棚。たままつりだな。[広辞苑第五版]

なるほどねぇ。次男は祭祀には関係ないからなぁ。

経をあげることは、僧の修業。お布施はある時に頂けばよいもので、ないからとお断りになる必要はありません、と。

◆ところで、棚経を調べて分かるようになった俳句があります。
2010.9.6付 朝日俳壇より
霊棚のゴーヤの馬の緑濃く:(堺市)吉田敦子

なるほど、納得。ナスやキュウリでつくる、あの馬をゴーヤで作ったんですね。

遠い昔、母の実家で盆を過ごすことがありましたっけ。干菓子を糸でつないで、仏壇の前にぶら下げるというのを覚えています。4,5歳ごろの記憶でしょう。かすかな記憶です。

楢山

2010.9.6付 朝日歌壇より
背負われて楢山行きし「おりん」かな背負う人なき百歳いずこ:(高槻市)奥本健一
 高野公彦 評:かつては姥捨という哀しい悪習があったが、今では捨てにゆくのではなく、ただ放置する、という事実への嘆き。

直接的には、今年明らかになって現在問題になっている「長寿者の所在不明」問題でしょうね。
ただ、私自身、団塊の世代のど真ん中という世代から見ますと、私たちが年齢を重ねていった時、支え「背負って」くれる世代がものすごく少ない。
団塊を背負う世代なし、百歳など生きたくもなし。

ちょっと、観念的に拡大解釈してみました。

2010年9月 6日 (月)

セスジスズメ

0826_7sesujisuzume1 8月26日
朝、雨戸を開けたら網戸の外にスズメガが見えました。
おっ、スズメガだ、と内側から一枚。これは苦しい撮影です。
一応、画像を確保してから、外へ回りました。
0826_7sesujisuzume2
こういうガです。スマートでしょ。
幼虫は、ヤブカラシとか、ホウセンカとかを食べるそうなので、おそらく我が家で育って羽化して間もないのでしょうね。
若齢幼虫と終齢ではかなり姿が違います。
幼虫図鑑で確かめてください。
http://aoki2.si.gunma-u.ac.jp/youtyuu/HTMLs/020926a1.html

「蛇模様」にびっくりしないでくださいね。
スズメが特有の「尻尾」がありますよ。ご確認ください。

オオヒメグモ

0826_5oohimegumo 8月26日
ガレージの隅に網を張っているオオヒメグモ。
ごく普通の種だそうですが、私にとってはヒメグモの方が以前から知っていて、庭中どこでも見かけてきました。
先日、白山神社の石垣で初めて気づいて、認識したばかりですので、我が家にも登場してくれて嬉しいです。
白山神社の方は、多分、クモの巣というとさっさと払い落してしまうのでしょう、今はもう見かけません。
我が家ではクモの巣は歓迎ですから、じっくり生活して下さい。
人の「動線」に入り込んでしまうと、破壊してしまうことはあります、仕方ない。
その時は網を張り直してくださいね。

ニラの花

0825_1nira 8月25日
去年近所で採集したニラの種から発芽したものです。
つぼみがつき始めたのはかなり前。この花、進行がゆっくりしていますね。

0831_10nira1 8月31日
ここまで開きました。
子房は緑色。
0831_10nira2
メシベは棒状ですね。先端が少し粘液でもついているのかな。
ベランダのプランターで育てていますので、ゆっくり近づけました。
かわいらしい花です。

フタモンアシナガバチ

0826_2hutamonasinagabati 8月26日
フウセンカズラに来たフタモンアシナガバチ。
背中の模様が完全には見えないのですが、たぶん間違ってないと思います。
この場所は、フウセンカズラとルコウソウが絡まっています。
細い葉はルコウソウです。
白く露出オーバーになってしまっているのはフウセンカズラの花です。
こういう狭苦しいところを、ちゃんとハチは「飛ぶ」のです。歩かず飛ぶんですね。よく引っかからないものだと思いながら見ています。
ハチの眼から見れば、充分に飛び回る空間があるのでしょうね。

クマバチ

0825_2kumabati 8月25日
クマバチがフウセンカズラに来ました。
家の前のフウセンカズラでクマバチを見るのは初めてです。
体が大きいから、完全にギュッと花を抱え込んでいます。
お尻からは同時に排泄かな。
変なところを撮ってしまった。
しばらくブンブン羽音を立てて花を訪問していました。

コアシナガバチ

0824_9koasinagabati1 8月24日
フウセンカズラの花に来たコアシナガバチ。
一目でその場での同定は私にはできません。アシナガバチまでしか分からないのです。
で、何とかして背中の模様を撮らねばならない。
0824_9koasinagabati2
これで何とか、コアシナガバチと確定してよいと思います。
ミツバチやハナバチが花に来れば当たり前の感じですが、アシナガバチもよくフウセンカズラにきます。ちょこっと蜜を吸って、活動のエネルギーを得ているのでしょうか。

ヨツボシヒョウタンナガカメムシ

0824_8kamemusi1 8月24日
ヨツボシヒョウタンナガカメムシの幼虫です。
ネコジャラシの毛の上に乗っているのです。危ういですね。
0824_8kamemusi2_2
こちらが成虫。
↓の部分に星が4つあって、くびれ具合がヒョウタンをイメージさせる、ナガカメムシ、ということですね。

今気づいたのですが、9月2日に書いた記事で、やはり、ヨツボシヒョウタンナガカメムシを紹介していますが、その時に、ぼんやりしていて、一方をヒゲナガカメムシとしてしまいました。ごめんなさい、間違いです。直しておきますのでよろしく。

アサガオ

0824_3asagao1 8月24日
朝、咲いていました。
よく見ると
0824_3asagao2 花粉がころんころんとついています。
何の気なしに、朝早くから虫が潜りこんで、花粉を付けて出てきた痕だろう、精が出ますね、と思ったのです。

うかつでした。てっきり、アサガオは虫媒花と思い込んでおりました。

2010年9月2日(木)にNHKで「いのちドラマチック『アサガオ 芸をする遺伝子』」という番組があって、トランスポゾンの話だな、ゆっくり聞いてみよう、と録画して視聴しました。
参った。
アサガオは朝咲くのではないのですね。夜中に咲いて、朝は花が終わるのところなんですね。暗くなるという出来事を検知して、9時間くらいで花を咲かせ、朝にはしぼもうとしているのです。
で、夕方、つぼみの中では、メシベよりオシベが短い。それが開花に向けてオシベが伸びてゆく。
オシベは長さを伸ばしながら葯を開き、メシベを追い越す時に「自家受粉」を行う。
ですから、開花する時に同時に自家受粉を行ってしまうのだそうです。
知らなかったなぁ。
でも、虫が潜りこんで花粉を体につけて虫媒してくれることも拒んではいない。
自家受粉を基本にしながら、虫媒による遺伝子の撹拌も担保している。
なるほどねぇ。あまりにも身近な花でしたが、知らなかったなぁ。

番組では「動く遺伝子=トランスポゾン」の話がじっくり聞けましたが、私自身にとってはほぼ既知のことでしたし、今ここでは書きません。
それより、自家受粉にショックを受けたのでした。

http://www.aichi-c.ed.jp/contents/rika/syotou/syo14/asagao/jyufunn3.html
ここに分かりやすい説明がありました。ご覧ください。
最後のところにこんなことが書いてありました。

なぜ,あさがおは,すぐにしおれてしまうのでしょうか。
それは,受粉しためしべを夏の暑さや,乾燥から守るためです。

なるほどなぁ。朝、鑑賞するアサガオの花は、もう仕事をほぼ終えて、おしまい、という段階だったんですねぇ。

最初の写真を見て下さい。もう一回。
オシベの葯が一番高い位置にありますね。
自家受粉は済んだ後だったのですね。

◆一応の知識として、ツユクサは虫媒を基本としながら、しぼむときに、オシベとメシベを接触させて自家受粉も行える。保険をかけているような植物だ、という話は知っていたのです。万が一、虫が訪れてくれなかった時でも、とにかく自家受粉だろうがなんだろうが授粉するのです。そういう保険をかけている、という話は聞いていました。
今回ちょっと調べたら、「3段階」だということです。下のサイトを見て下さい。
http://www.juno.dti.ne.jp/~skknari/tuyu-kusa5.htm

植物たちの生存・繁殖戦略というのは、すごいものなのですねぇ。
引用したサイトの下に、メニューがあります。ツユクサの「閉鎖花」のことも書かれています。ぜひ、熟読して下さい。その後に、「閉鎖花」を検索すると、いろいろ出てきてますので、びっくりしますよ。

モノサシトンボ

0824_2monosasitonbom8月24日
このころ、次々とモノサシトンボが羽化したようです。
どこか、別の場所生まれのモノサシトンボを呼んで来て、遺伝的な多様性が保てるといいですね。期待しています。
とにかく、毎日池の脇を歩くと、必ずモノサシトンボがふわっと舞いあがって存在を知らせてくれます。
ヤゴがいる事も間違いない、長く付き合えそうで嬉しいことです。

アズチグモ:2

0824_6azutigumo1 8月24日
昨日、アズチグモがイチモンジセセリを捕えていた場所に行ってみました。
いましたいました。ほぼ同じ場所です。
今日は待ち伏せ中。
0824_6azutigumo2
これです!っ
アズチグモのメスのすべて、というような写真が撮れました。
横綱土俵入りの「不知火型」を思わせるような、前2対脚の開き方が、カニグモの仲間の大きな特徴です。
もうちょっと前からのショットだと分かりやすいのですが、頭にとんがり眼鏡をかけたような独特の顔つきをしています。
0824_6azutigumo3
フウセンカズラの茎の反対側から。
後ろ2対の脚で体を保持していますね。
小さな子が、両手を開いて「ヒコーキ」と叫びながら走るなんて素朴な遊びは今はもうないかな?あれを思い起こしました。

前回見かけたのは2年前ですかね、ブルーサルビアの花のところで見つけた、という記憶が鮮明です。
http://yamada-kuebiko.cocolog-nifty.com/blog/2008/09/post_6f23.html

http://yamada-kuebiko.cocolog-nifty.com/blog/2008/09/post_30d1.html

http://yamada-kuebiko.cocolog-nifty.com/blog/2008/09/post-3a51.html
3回にわたって掲載していました。
モンシロチョウを捕まえているところを見つけたのでした。
「顔」がはっきり見られます。是非参照してください。

アズチグモのオスは、色が赤系で非常に小さく、メスの腹部に乗っかている事が多いそうです。見たことはありません。
また、私の見たアズチグモのメスは両方とも白が基本になっていますが、黄色いタイプもいるそうですので、もし見かけたら迷わないでください。

◆お気づきの方もいらっしゃると思いますが、ブログ画面の右脇の一番下に、検索窓を付けてあります。この検索は、このブログの中の全文検索用です。全文検索ですので時間がかかりますが、私のブログ内のことについては間違いなく拾いだしてくれますので、ご利用ください。

アズチグモ:1

0823_7azutigumo1 8月23日
線路内。
遠目には、イチモンジセセリがフウセンカズラの花に「ずぼらな」とまり方をしているのかな?と。
前脚だけか何かでぶら下がっているように見えたのでした。
でも、柵から乗り出して、よく見ると、違うんですね。
クモにつかまってしまったのです。
このクモ、大分前に一度見覚えがあります。カニグモの仲間ですね。
0823_7azutigumo2
これはクモの腹部の先端です。
糸を出す装置が見えています。
脚を両側に大きく開いて構えた格好が、カニグモの特徴です。
0823_7azutigumo3
ここまで近づくのが限界でした。これ以上は乗りだせない。
この時点ではもう、イチモンジセセリは死んでしまったか、抵抗していない。
ですから、クモの方も、脚で獲物を支えていませんね。
4対の脚すべて(特に右側の4本)で体を支えていますね。
「日本のクモ」という図鑑によりますと

・・・草や樹木の花の中や葉裏に潜んで、シジミチョウや小型の飛翔性昆虫をとらえる。・・・

とありました。なるほど。
この日は、これ以上はどうにもならないので、そっと離れました。

ササグモ

0823_5sasagumo 8月23日
完全な状況把握は出来ないのですが。
卵囊を守っている途中でお腹が空いたのか、卵囊から子グモが孵化して一息ついたのか。
ツマグロオオヨコバイの幼虫を捕まえたようですね。
どっちにしてもすごく空腹だったでしょう。
ツマグロオオヨコバイの幼虫は見るからにおいしそう。(私の目からは、ですが)
ゆっくりお腹を満たして下さい。

2010年9月 3日 (金)

アゲハ

0823_3ageha1 8月23日
ふと見上げると、ボウガシの高いところにアゲハがいます。
翅を開いて陽光を浴びています。
朝8時過ぎ。体を温める時間帯。いくら暑い日々でも、朝の昆虫はまずウォームアップから、です。
何枚かチョウに意識を集中して撮影し、ふと気持ちが収まったら、別のアングルを見つけました。
0823_3ageha2
アゲハ、青い空、赤いキョウチクトウ。
夏ですね。いかにも。

空はもっと広く撮れているのですが、電線を画面に入れたくなくてトリミングしました。
電線って、写真撮ってるとホントに邪魔ですねぇ。

アオドウガネ

0823_1aodougane1 8月23日
おや赤い虫がいる。
と思いきや
0823_1aodougane2
なんと、アオドウガネでした。
腹部の先端に金属光沢があったり、腹を見たら赤かったり。
いろいろと一筋縄ではいかない奴ですね。
私は「採集する人」ではなくて、「見る人」なものですから、こちらに見えている側しか見ていない。虫を興奮させたりしないように、可能な限り彼らの行動に介入しない。
で、こういう「物識らず」になっちゃうんですね。
採集して、指でつまんで、頭から腹からつぶさに見ていればとっくに分かっていたはずのこと。

でもまぁ、仕方ないか。やはり「見る人」であり続けようと思っています。

白山神社にて

0820_h1mitubati 8月20日、白山神社前の舗道の植え込みです。
神社の境内には今はあまり虫はいません。
キバナコスモスには翅のある昆虫が遠くから飛来するので、虫を狙うには境内より植え込み。
黒いミツバチですから、ニホンミツバチかな。
セイヨウミツバチの方が体は黄色っぽくて、大きな目立つ花粉団子を作ります。

0820_h3itimonnjiseseri
イチモンジセセリもおいしそうに蜜を吸っています。

0820_h4tumagurohyoumon
ツマグロヒョウモンも来ていました。
今年初めて見たのかな。
これからがこのチョウの季節ですね。かなり寒くなるまで見られるし、幼虫も秋の終わりごろまでいて、餌のスミレが足りなくて焦らされますものね。

0820_h5enju
エンジュの花が落ちていました。
拾ってみたら、まことにもって、マメ科の花!です。
花が散って道が白くなったとか、豆の形をした実がなって鳥が食べに来ている、とか知っていましたが、花そのものをちゃんと見たことはなかったですね。
なるほど、納得。
マメ科というと、なんだか草を思ってしまって、エンジュは木だから、ジャックと豆の木の、豆の木はこれかなぁ、などと、昔思いましたっけね。

ムギワラトンボ

0820_19tonbo 8月20日
いわゆるムギワラトンボですが、画像がクリアではない。
線路内の草むらで、遠いんです。
シオカラトンボのメスでしょうか。そう思っておくことにします。

アキアカネが姿を現すのはもっと先のこと。
もっと空気が透明な感じになってからでしょう。
今はまだ空気がねっとりしています。

ヒメグモ

0820_17himegumo1 8月20日
ヒメグモの網に、こんなものが引っかかっていました。
これ、風に乗って飛ぶ種子ですよね。

0820_17himegumo2
網の直下にはウンカかなとおぼしき虫が落ちていました。
これは餌として食べた後、網から切り離したのかな。

0820_17himegumo3
で、この網の持ち主は、この時食事中。
アメリカミズアブがかかったのだと思います。
ずいぶん大きな獲物だ。
腹のあたりに顎を当てているのではないでしょうか。
これだけの食事をしたら、当分の間食事は不要になりそうですね。
飽食しても食べ続けるということはしませんから。
卵に栄養の大部分は回されるのだと思います。

ヒメハラナガツチバチ

0820_15himeharanagatutibati1 8月20日
今回は全体がちゃんと写せました。
前脚で花を抱えています。
0820_15himeharanagatutibati3
顔のところだけをトリミングすると複眼がきちんとわかります。
灰色の複眼で、黒い模様がありますね。

0820_15himeharanagatutibati2
蜜を吸うことに夢中になっています。
小さな花なんですけれど、よほどおいしいのですね。

ヤマトシジミ

0820_9yamatosijimi 8月20日
ヤマトシジミが、フウセンカズラの花を抱え込んでいます。
で、ストローも使わずに、直接「口」をつけてごくごくと飲んでいるかのように見えます。
そんなわけはないのですけれど。
でも、こんなにくっつかなくっちゃ届かないほど、花は深くないし、チョウの口吻も短くはない。
何でこんな恰好で吸蜜しているんでしょうね。
これ、お行儀が悪い、と叱られるゾ。

0820_10monsirotyou
このくらいの距離感が普通ですよね。
ちょっとはっきりしませんが、口吻を伸ばして蜜を吸っています。

0820_12yamatosijimi
季節がちょっとずれている感じがしますが、またユウゲショウが少し咲いていまして、そこで蜜を吸うヤマトシジミもいました。
花の横、花弁の間から口吻をさしのばして蜜を吸っています。
こんなに長い口吻があるのに、最初の写真では花の中で口吻は窮屈じゃないんでしょうかね。

セミの脱け殻

0820_7nukegara 8月20日
アブラゼミの脱け殻だと思います。
白い矢印で指し示した節が、太い、その下の節の1.5倍くらいある、ということで、そう思います。
ミンミンゼミだとこの節が細くて短い。
といいつつ、いつも脱け殻を拾っては、どっちだろう?と悩むんですけれどね。
ホントによく似ています。

モノサシトンボ

0820_4monosasitonbo 8月20日
今年は例年になくモノサシトンボがたくさん羽化しています。
先程の記事で、池の水にイトトンボ系のヤゴがいたのをお目にかけましたが、あの時も、実は小さいのが2匹入っていたんです。
ですから、今年ももうすでに産卵・孵化したのではないでしょうか。

シオカラやアカトンボなどの飛び方もダイナミックでいいものですが、イトトンボ達の飛び方がまたよい。
ふわ~っと、ホバリングというでもなく、直線的に素早くでもなく、飛ばされそうな風情でいてしかもしっかりゆっくり、絶妙な飛び方をしますよね。
イトトンボを見つけると、大型のトンボとはまた別の意味で嬉しくなってしまいます。
みんなで、この夫婦を楽しませてくれるなぁ。ありがとう。

2010年9月 2日 (木)

ヨツボシヒョウタンナガカメムシ幼虫

0820_3kamemusi1 8月20日
ヨツボシヒョウタンナガカメムシの幼虫です。
ネコジャラシで見かける2種類のカメムシの一つです
ポパイ腕のヒゲナガカメムシ。
{9月6日記:ぼんやりしてたんですねぇ。全然「ポパイ腕」ではないですね。}
こちらは、もっと齢の若い幼虫。
0820_3kamemusi2
ネコジャラシの毛がジャングルのように見える、ということで大きさを推測して下さい。
今の季節、ネコジャラシを見かけたらちょっと注意を振り向けてみてください。
ヒゲナガカメムシ、ヨツボシヒョウタンナガカメムシ、ヒメナガカメムシなどが見られると思います。

クロウリハムシ

0820_2kurourihamusi 8月20日
キベリクビボソハムシよりもフレンドリーなやつでしてね。
カメラを向けても、平気でポーズを決めてくれる。
おしゃれな配色がいいでしょ。
黄色い腹と頭に黒のコートを羽織ったような。

口のところは、顎ですかねぇ、なにか、丸いものがくっついて見えます。
こんな写真を見て、ハムシに気持ちを開いていただけたら幸いです。
完璧な葉っぱだけが美しいというわけでもなし。

池の水

0820_1ike1 池の水の表面をアオウキクサが覆ってしまわないよう、妻が水面をひしゃくですくって、捨てるのですが、その際に、ヤゴなどを捨ててしまわないよう、注意深く見ながらやっています。
ひしゃくの水を透明ケースに移して、一掬いにこんなにいろいろいるわ、ともってきてくれました。
上の写真はヒル。左が頭です。
久しぶりです、ヒルを見るのは。
0820_1ike2
頭の端に点があります。光りに感じる点かなぁ。プラナリアほどの眼点はないと思いますし、数も二つじゃないと思うのですが、何か見えますね。で、目に見えますね。

0820_1ike3
このタイプのヤゴはシオカラトンボとかアカトンボとかそういうタイプのトンボのヤゴです。
0820_1ike4
こちらはイトトンボ・タイプのトンボのヤゴ。

0820_1ike5
メダカの稚魚も入っていました。
ヤゴが小さいうちはメダカの餌になるでしょうし、ヤゴが大きくなるとメダカはヤゴの餌になる。

この他にも、ミジンコの仲間なども走っていましたが、水中のものは写しにくい。
小さな池の小さな連中をご紹介しました。

ヒメグモ

0819_12himegumo 8月19日
ヒメグモの巣にあった卵囊に穴が開いていました。
ほぼ毎日見てたのですけれどね、子グモは全く見かけなかったな。

ヒメグモはあちこちいっぱいいますから、気をつけてみていればそのうちいつか、子グモも見られるかもしれません。
ひたすら、見続けるしかないですね。

イチモンジセセリ

ゼッタイ、わぁ~、って呟きたくなりますよ。

0819_10itimonnjiseseri1 8月19日
いかがです?

↓これでどうだ、っ。
0819_10itimonnjiseseri2
おいしそうでしょう。

チョウの口吻って、種類によっては(人間的な感覚で)頭の上から出ているようにみえるのもあるんですが、イチモンジセセリの場合、人間が口にストローくわえて、ジュースを吸っているように見えるんですよ。
これが、この「おいしそう!」という感覚の一つの要因だと思います。

イチモンジセセリの顔を見ていると幸せになれます。

ヒメハラナガツチバチ

0819_8himeharanagatutibati1 8月19日
毛むくじゃらでミツバチと見間違う方もいらっしゃるかもしれませんが、腹が長いです。
ミツバチはころんとしてます。
かといって、腹が長いからといって怖がることもありません。
幼虫はコガネムシなんかの幼虫に寄生するそうです。園芸家は歓迎でしょう。
0819_8himeharanagatutibati2
フウセンカズラの小さな花を盃を抱えるようにして頭を突っ込んで蜜をなめているようです。

そのうち、このハチに似ているんですが、もっと毛むくじゃらで、ハチの「ライオン」みたいなのも現れるでしょう。そいつは「キンケハラナガツチバチ」です。ヒメハラナガツチバチより少し大きめになります。

この小さなフウセンカズラ、昆虫たちに人気の花です。

フウセンカズラ

0819_7huusenkazura1 8月19日
突如、唐突に気づいてしまったのです。
フウセンカズラの葉序。
ずいぶん以前から見慣れてきたフウセンカズラなのに、葉のつき方なんて意識してなかった。
ふと、美しい三角形が意識にのぼって、なんだっけ?などとぼけたことを呟きながら見ればフウセンカズラ。
0819_7huusenkazura2
きれいですね。こうだったんだ。
もうこうなれば
0819_7huusenkazura3
緑が入り乱れていようとも、平気。
見間違うことはありません。
フウセンカズラとルコウソウが入り混じっていますが、間違える事はないですね。

◆唐突ついでに。
フウセンカズラとかノウゼンカズラとか書いていると、なんとなくむずむずするんですよ。
「カヅラ」という語感、発音感覚が私にあるものだから。

ふうせん‐かずら【風船蔓】 カヅラ :ムクロジ科の多年生蔓草。熱帯アメリカ原産。世界の熱帯・亜熱帯に広く野生化。観賞用にも栽培。葉腋から長い花序を出し下部の花柄は巻きひげとなる。夏に小白花をつけ、3稜のある風船状の果実をつけ
る。種子は黒い球形で、ハート形の白斑が目立つ。[広辞苑第五版]

やっぱりそうなんですね。旧かなづかいの世代じゃないんですけれど、ときどき、こういう語感がでちゃうんだな。

◆唐突ついでのついでに。
「少しずつ」と書くのも、慣れましたけどね、むずむずするんです。

ずつ ヅツ
 助詞 
(副助詞)
①分量を表す語に付いて、一定量の事物を均等に割り当てる意を表す。あて。源氏物語橋姫「けさ、ころもなどすべて一くだりのほど―ある限りの大徳達に賜ふ」。大鏡道長「行事二人に五十人―わかたせ給ひて」。「全員千円―払う」
②一定量の事物に付いて、その分量だけを繰り返し行う意を表す。源氏物語帚木「これは二の町の心やすきなるべし、片端―見るに」。「少し―読む」「一人―乗る」[広辞苑第五版]

ね、そうでしょ。「少しづつ」なんだよなぁ。
小一のころは「づつ」だったような。ウソ。覚えているわけがない。

コフキコガネ

0819_6kohukikogane1 8月19日
先日、ヒゲナガコガネを一瞬このコフキコガネと間違えた、という話を書きました。
この写真がコフキコガネです。
0819_6kohukikogane2
毛がいっぱいで、「粉」っぽく見えるんですね。
葉っぱを引き寄せてクルミの葉っぱを食べています。どうも、角度が気に入らないですよね、口に対して「縦」のほうが食べやすくないかい?
人間が焼き鳥の串を縦に立てて食いついているような感じじゃないか、と思ってしまうのですが。
まあ、本人(虫)がいいのならそれでいいですけどね。

教師

太き骨は先生ならむ そのそばに 小さきあたまの骨 あつまれり:正田篠枝

9月に入って、猛暑日が続く東京です。
8月の原爆忌のときに、「出会い」という題で、私自身の「関わり」を書き散らしたのでした。↓
http://yamada-kuebiko.cocolog-nifty.com/blog/2010/08/post-9ff9.html

その時に、書きたいなと思いつつ書けなくて、今も多分まともなことは書けそうにない、というテーマがあります。
冒頭に掲げた歌についてです。
広島の「原爆犠牲国民学校教師と子どもの碑」に刻まれています。

ぐったりと恐らくは息絶えた幼い児童を両腕に抱え、深い絶望の眼差しで空を仰ぐ女性教師の像です。

私も、教師のはしくれでした。
教室に立つ、ということの意味を、常に考えていました。
通常は「授業」です。でも、地震・火災・事件・・・なにが起こるか分かりません。
そういう時に、教師としての自分は、生徒とともに、どのような行動が取れるのか、取るべきなのか。何か事ある時、生徒に対する責任を果たすことが私にできるのか。
それらは、教師たるもの、常に自分につきつけていなければならない刃であろうと思います。

原爆が投下され、教師としての極限に突如放り込まれてしまった女性教師。
その思い、いかばかりか。
自身も家族がありましょう。でも、その瞬間、子らにとって絶対的に頼ることができるのは、その先生だけでした。その子らの思いを引き受けつつ、何もできはしないあの状況。絶望のどん底にあられたことでしょう。
言葉になりません。

あの頃、小学校3年生以上は疎開していました。でも、1,2年生は、幼いがゆえに疎開から外され、親元に残りました。中学生も建物疎開作業に従事させられて、疎開しなかったそうです。
その、幼い子が、あの原爆に焼かれたのです。
無念です。
教師約200人、児童約2000人が犠牲になったと考えられるそうです。

8月31日の朝日新聞天声人語「8月の言葉から」に、こんなことが書かれていました。

 〈八月五日(日)晴れ〉。少女の日記は〈明日からは、家屋疎開の整理だ。一生懸命がんばろうと思う〉と結ばれている。13歳。原爆で亡くなる前日だった。平和と安穏を求める8月の言葉から。
・・・

疎開した方々の辛い思い出も聞きます。そして、疎開から除外されて被曝した声もない無念にも思いを致さなければならないでしょう。

どうにも、この文章を「まとめる」方向に持って行くことができません。

唐突に、ここで終わります。
教師という職業を思います。

http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/kyousitokodomonohi.htm
松山大学のサイトです。
「小さきあたまの骨」の主が、小学校1,2年生だった、ということはこのサイトで知りました。

語り部

昨日「ケロイド」という題で木本康雄さんの歌を取り上げました。その文章への追記です。

ケロイドの項(うなじ)は汗をかかざりし被曝の疵も古稀を迎へぬ
:(高石市)木本康雄
 馬場あき子 評:被曝のケロイドを項にもっている。ケロイドの部分は汗をかかない。たぶん人にもいわず古稀を迎えられたのだろう。辛い歳月であった。

そこで私は、選者の馬場あき子氏に、楯ついたのでした。
その後、私の不完全な歌壇・俳壇データベースを検索してみたところ、いくつかが既にありました。

2010/08/16
エノラゲイ知らざる人と鳩殖えて巡る平和の八・六迎ふ:(高石市)木本康雄

2010/08/16
語り部は被曝胎児や敗戦忌:(高石市)木本康雄
 金子兜太 評:原爆の悲惨さを伝えて止まない。選句している今日が六五年目の広島忌。核廃絶を。

2010/08/02
昭和逝く灼くる人間魚雷の碑:(高石市)木本康雄

表現に適した器として短歌・俳句どちらでも自在に使いこなされる方でいらっしゃいます。

これらの歌・句に表現されている「まなざし」に接して、作者はやはり「人にもいわず」ではなく、積極的な語り部であったかどうかは別として、自己を以て戦争の惨禍を語り、平和への希求を語る方であった、あるいは、であろうと、想像します。

2010年9月 1日 (水)

キベリクビボソハムシ

0819_4kiberikubibosohamusi 8月19日
脚にも模様があるんですね。脇腹とでもいうような場所にも模様があるんだ。
面白いものです。
で、私の撮る写真って、どうも、擬人的。
なんだか得意顔、意気揚々、という感じがしませんか。
なんでこうなるのか、撮影者の意識が画像に投影されるはずもないのだけれど。

ササグモ

0819_3sasagumo1 8月19日
親グモが完全に離れたようでしたので、持ち上げてみました。
やはり、卵囊に穴が開いていました、孵化したのですね。
0819_3sasagumo2
近くにはまだ幼体がいました。
0819_3sasagumo3
この後、幼体は完全に散っていったようで、見かけなくなりました。
大きくなったらまた目に入るようになるでしょう。
この卵囊をつくったメスかどうかわかりませんが、このごく近くでまた卵囊を守るメスグモがいます。今年はササグモについて大きな勉強をしました。楽しいですね。利害関係一切なし、ただ純粋に学ぶ、これ最高の楽しみですね。

絶滅危惧種

2010.8.30付 朝日俳壇より
この星も絶滅危惧種原爆忌:(春日井市)西村青夏
 金子兜太 評:だから自滅を更に早める核兵器などもってのほか。

地球という星はこれからも40億年50億年と続きます。生命がその表面にいようといまいと、関係なし。レベルは「惑星」ですからね。
生命というものも、あまりの高温にでもならなければ、エネルギーの流れのある限り続きます。ヒトという種がいようといまいと、関係なし。

絶滅危惧種なのはヒト。

原子力をコントロールしきれてもいないのに、力にあこがれ強くなった気で核爆弾を保有したい。
原子力発電にしたって、核燃料の後始末方法も確立できてはいないのに、平和利用といって使いたがる。100年先にどうなっているか、核のゴミに埋もれているのではないでしょうかね。

自分の絶滅について、まず考えなければなりません。

秋近し

2010.8.30付 朝日俳壇より
甦る五感に確と秋近し:(枚方市)中嶋陽太

今日はもう9月。
日の出は遅くなってきたし、夕方は早くなったし。
空の青さも「盛夏」というより秋色をはらんできてはいるし。
五感に秋は近いと感じますが。

でも、暑い。
朝目を覚ますと、室内は30℃近く。
やってらんねぇよなぁ、とぞんざいに呟いて笑って紛らわすしかないですね。
朝のうちに虫さんたちの顔を見に庭へ出て小一時間。汗グッショリ。
昼になんか外に出たくもない。
猛暑日ですよ。秋の季語・猛暑日。
熱帯夜新記録。
あ~あ、たまらないなぁ。
ツカレル。

生きのびて

2010.8.30付 朝日俳壇より
生きのびてこの涼しさの身に余る:(奈良市)吉田淳
 稲畑汀子 評:暑さのきびしい中にもかかわらず、元気に過ごすことのできた夏。涼しさを身に余ると思う謙虚な作者。

今度は私が理屈をこねたいのですが。
ひょっとして、この夏の異様な暑さに、若い人たちから、遠慮せずにエアコン使ってね、暑いの我慢しちゃだめだよ、この暑さ、命がけなんだからね、と言われて、エアコンをいつもの夏よりいっぱい使ったんじゃありませんか?
扇風機に当たるのでも贅沢で、ある意味で不自然で。
通り抜ける風にあたればよい、団扇の方がやさしい、と毎年過ごしてきましたが、今年はさすがにそうもいかなくなってしまった。
身に余る涼しさを感じます、エアコンの風にも、家族らの思いやりにも。

緊張

2010.8.30付 朝日俳壇より
緊張を解かれし汗でありにけり:(岡山市)岩﨑ゆきひろ
 稲畑汀子 評:緊張していて気がつかなかったが、緊張が解けたとたんに汗がふきだしたのだろう。人間の心理と生理の関係は分からぬがなるほどと諾う一句。

なんだか、ここでは評者の方が理屈っぽいな。
緊張がほどけた一瞬の解放感を、「汗」に託して語り尽くした一句、です。読む側もほっと息をつきます。
と、案山子評。

あご

2010.8.30付 朝日俳壇より
秋風やふつと少女のあごあがる:(神戸市)豊原清明

輪郭のくっきりした、少女の決然とした表情を想像します。
整ったあごが上がるとは、顔が上がるということですね。
遠くを見据える眼差しが見えるようです。

秋風、少女、あご、という言葉のイメージが重なり合ったところから視覚的な情景が湧きあがりました。

カブトムシ

2010.8.30付 朝日俳壇より
カブトムシ生まれて緑の風をすう:(東京都府中市)東鏡士郎

また理に落ちます。
私たちは、鼻や口から息を吸って、気道を空気が通過していく感覚を味わいながら、緑の風が肺を満たす、という感覚を覚えます。あたかも体全体に爽やかな風が満たされるような感じ。
さて、昆虫たるカブトムシ。
空気を吸うのは腹の横の気門から気管へ。
気管は枝分かれして、腹部の中へ広がります。
どういう感覚を得るものなのか、想像できませんが。
ひょっとして、緑の風が「五臓六腑にしみわたる」と思っているかもなぁ。
さぞかし、気持ちよいことでしょう。

昼寝

2010.8.30付 朝日俳壇より
昼寝の子しとねは母の胸と腹:(東京都)吉田邦幸

「よい」情景です。
お母さんも、暑いし、疲れたし、一緒に眠ってしまいました。
赤ちゃんは自在にくっついています。

男ってね、妙なもので、赤ん坊にくっつかれると、潰しちゃいそうな気がして、気になって、眠れなくなってしまうんですね。(少なくとも私は)
ところが、母親は体を密着させたまま結構ぐっすり寝てしまう。でも、赤ちゃんが動くと、さっと手でなだめたり、泣けばすぐ目を覚ます。平気で密着している。
あのあたりの感覚は父親と母親って違うものだなぁ、と、昔、思いましたっけ。

にはたづみ

2010.8.30付 朝日俳壇より
はつあきや一日残るにはたづみ:(京都市)川端通代
 長谷川櫂 評:雨の水たまりにすぎないのだが、あわれ。ほんの一日、この世に現れて消えてゆく。

にわ‐たずみ【潦】ニハタヅミ
(ニハは俄か、タヅは夕立のタチ、ミは水の意というが、平安時代には「庭只海」と理解されていたらしい)
①名:雨が降って地上にたまり流れる水。行潦。万葉集7「―いたくな行きそ人の知るべく」
②枕:「川」「ながる」「すまぬ」「行方しらぬ」にかかる。万葉集13「あしひきの山行き野行き―川行き渡り」[広辞苑第五版]

「あわれ」はかなく消えてゆく。という情感かなぁ。

夏の盛りならば、一雨あってもすぐ乾く。
秋も立ち、水たまりも、それなりにしぶとく一日残るようになったよ。
ではないのかなぁ。

樫の大木

2010.8.30付 朝日歌壇より
隣り家の樫の大木倒されて吾は深ぶか大空を吸ふ:(仙台市)坂本捷子

長年かぶさってきていた大木がなくなって、空が広々と大きくなって、気持ちよく深呼吸していらっしゃいますか?
それとも、長年親しんできた空の覆いが消えてしまって、何だか物足りないような、喪失感のうちに、今までそこにはなかった大空を発見なさいましたか?

ケロイド

2010.8.30付 朝日歌壇より
ケロイドの項(うなじ)は汗をかかざりし被曝の疵も古稀を迎へぬ:(高石市)木本康雄
 馬場あき子 評:被曝のケロイドを項にもっている。ケロイドの部分は汗をかかない。たぶん人にもいわず古稀を迎えられたのだろう。辛い歳月であった。

さて、実際がどうだったのか、分からないことですが、私には必ずしも「人にもいわず古稀を迎えられたのだろう」とは思いません。
想像の範囲を超えませんが、その被曝の疵を原点にして原爆を、戦争を、語り続けるという選択だってあり得ますでしょ。
そのようにして、共に被曝を語った「語り部たるケロイド」とともに、古稀を迎えたよなぁ、という感慨であってもおかしくはないでしょ。
辛い歳月であったことはもちろんです。でも、その辛さとどう対峙したのか、そのことに想像力を及ぼす言葉を語るとき、言葉は語り手の意識をあらわにするのです。
私は、自分の障害をさらして、障害と共に生き、生徒たちに語り続けました。
そういう生き方をしたために、作者が原爆の語り部であってもおかしくはない、と想像してしまうわけです。
「人にもいわず」という評を書かれる馬場氏は、もし、私や作者のような状況に置かれた時、障害を、ケロイドを隠して生きるんだろうな、と思わせるわけです。

言葉とは恐ろしいものです。


国連本部で開かれた核不拡散条約(NPT)再検討会議で谷口稜曄(すみてる)さん(81)は(2010年5月8日 朝日新聞)

・・・
原爆で背中に大やけどを負った17歳当時の自分の写真を示しながら、「核兵器がなくなるのを見届けなければ、安心して死んでいけません」と訴えた。
・・・
 谷口さんは、16のNGO代表者の3番目に登壇。演説の大部分を通訳の代読に任せた。長崎市の爆心地から1.8キロのところで自転車で走っていて被爆し、背中を焼かれて1年9カ月間、腹ばいで身動きできなかったこと、現在まで手術を繰り返していることなどが英語で語られた。
 その間、赤く焼けただれた背中の写真を、微動だにせず高く掲げ続けた。演説は「被爆者は全身に原爆の呪うべきつめ跡を抱えたまま、苦しみに耐えて生きている」とつづられ、「私はモルモットではない。もちろん見せ物でもない。でも、私の姿を見てしまったあなたたちは、どうか目をそらさないでみてほしい」と訴えた。
 終盤、日本語で「人間が人間として生きていくためには地球上に一発たりとも核兵器を残してはならない。私を最後の被爆者に」と呼びかけた。12分余りに及んだ演説を「ノーモア・ヒロシマ ノーモア・ナガサキ ノーモア・ヒバクシャ」と締めくくると、会場を埋めた約300人が立ち上がり、しばらく拍手が鳴りやまなかった。
 谷口さんにとって「これで最後」と位置づけた渡米だった。成田を離陸し、ニューヨークまで半日余。背中には今もケロイドと手術痕が多数残るうえ、皮膚が薄く裂けやすいため、機内のいすに背をもたせかけることができない。高齢でもあり体力的にきついが、ちゅうちょはなかった。演説原稿は、出発前に準備した。「いつも修学旅行生に話しているのを、時間に合わせて短くしただけ」。半世紀以上にわたって続けてきた真実の訴えだからだ。
・・・

今年の8月5日

・・・
 潘基文事務総長は長崎原爆資料館を視察、被爆者6人から直接、当時の惨状や今も続く苦しみなどを聞いた。
 原爆の熱線被害の資料を展示するコーナーでは、爆心地から1.8キロで被爆し背中や左手に大やけどを負った長崎原爆被災者協議会長の谷口稜曄(すみてる)さん(81)が、米軍が当時撮影した真っ赤に焼けただれた自らの背中の写真を前に説明。事務総長は手を取って熱心に聴き入った。健康状態も気遣い、谷口さんは「今も背中からは汗が出ません」と答えていた。
・・・

(定義集)被爆国の道義的責任とは何か 「核の傘」離脱、求めてこそ 大江健三郎(2010年8月17日)から

・・・
 式典に参加する最初の国連事務総長、潘基文(パンギムン)氏は来日してすぐ長崎の原爆資料館で被爆者谷口稜曄(すみてる)さんと対話されました。私がこれまでに見た忘れられない写真のひとつ、原爆に背中を焼かれた少年のモデル、谷口氏は、今年五月の核不拡散条約再検討会議で、あの写真を掲げて演説された。その会場に核保有国の首脳らはいなかった、という記事を読んで、私は五年前、谷口夫人が汗を出せないその背中に毎日薬を塗る習慣なので、外国の旅に出すと気懸(きが)かりだ、といわれていたのを思いました。
・・・

早過ぎる

2010.8.30付 朝日歌壇より
まぁだまだ早過ぎるよといなされる十七年も生きてきたのに:(福岡県)田嶋三紗子

だからなぁ、私、高校生の年代が好きなんだよなぁ。
この「半端」さが、たまりませんね。
でも、実際、次の世代を担っていく下地はほぼ完成している。
まだ観念的だ。
でも、観念なしの、現実主義などもろいもの。

よい職業人生を楽しませてくれました。感謝します。

レトルトカレー

2010.8.30付 朝日歌壇より
そんなわけでレトルトカレーとなりました家事手につかず初入選の日:(四街道市)佐相倫子

ナルホド。8月2日の「数独」の歌、掲載後日談です。

母じゃない

2010.8.30付 朝日歌壇より
母じゃない、母じゃないんだ、母じゃない。ああこの骨が母というのか:(東京都)無京水彦

どうも、わたくし、薄情というのか、強情というのか。
祖母、母、兄の骨揚げをしましたが、激情に身を悶えさせるということはありませんでした。
お骨への感情の移入がないものですから、墓に納める、ということへの執着もない。
地球に生まれたものは、地球へ還ればよい。
ちかしい者の心になおしばらくとどまって、やがて無名の者たちの世界へ去るのが、幸せというもの、と心得ております。
それは私の気持ち。
歌われた激情を否定するものではありません。

◆かつて、生徒を修学旅行に引率する前に、教室で、原爆の詩など読み聞かせたことがあります。
林 幸子さんの「ヒロシマの空 」という詩も読みました。
一部分だけ引用します。

・・・
ああ
お母ちゃんの骨だ
ああ  ぎゅっ  とにぎりしめると
白い粉が  風に舞う
お母ちゃんの骨は  口に入れると
さみしい味がする
たえがたいかなしみが
のこされた父とわたしに
おそいかかって
大きな声をあげながら
ふたりは  骨をひらう
・・・

全文は下のページでお読みください。
http://www.hiro-tsuitokinenkan.go.jp/taikenki/sora.html

ある生徒が、なんで骨を口に入れるんだ?と呟きました。

私、
人が、もっともちかしい者の存在を確認したくなった時、おそらくは、しっかりと腕に抱きしめたいと思うのではないだろうか。そう思うよ。
ところが、その相手の体がない、骨の灰しかない。握りしめてもこぼれる灰。抱きしめようもない、どうしようもない時、最後は、口に、唇に、舌に相手の存在を確認するしかなかったのではないかな。
赤ちゃんは、何かを確認し学ぶときに、口にいれる。唇の感覚、舌の感覚、それは人間存在のもっとも奥深いところで、相手の存在を確認する、最終的な手段なのかもしれない。

そんな話を思い浮かぶままに聞かせたら、なんとなく納得してくれました。
教師というものは、いろいろな局面で、自分をさらけださないわけにはいかないものなのです。

喪服

2010.8.30付 朝日歌壇より
鬼百合を喪服の蝶が訪ねくる夕立あがり風の立つころ:(松坂市)こやまはつみ

虚を衝かれました。「喪服の蝶?」と、考え込んでしまって。
あぁそうか、クロアゲハ、カラスアゲハ、ナガサキアゲハ、クロヒカゲなどなんだな、と得心するのに時間がかかってしまった。
私にとっては、チョウは黒くても艶やかととらえているものですから、喪服と結びつきませんでした。
新しい発見をさせていただきました。

ガリレオ温度計

2010.8.30付 朝日歌壇より
浮子(うき)すべて底に沈みて睡りたり夏眠は深しガリレオ温度計:(名古屋市)諏訪兼位

ガリレオ温度計というものをご存知ないといけないので写真をお目にかけます。
0831ondokei1
こういうものです。ガラスの円筒の中に無色透明な液体が入っていて、その中にガラス球が入っています。ガラス球には色のついた液体が入っていて、さらに金属製のプレートがついています。このプレートに数字が刻印されており、それが温度を示します。(おそらくガラス球の密度の微調整にも役立っているのだろうと想像します。)
0831ondokei2
気温と共に円筒内の無色透明な液体の温度も変わり、温度が上がるとこの液体が膨張して液体の密度が小さくなり、ガラス球のうち、液体より密度の小さいものは浮き、大きいものは沈みます。どの球が浮いているか沈んでいるか、で温度が分かる仕組みです。

気温が高すぎると、写真のように全部の球が沈んでしまい、温度計が「振り切った」状態になります。これが、冒頭の諏訪先生の歌の状態なんですね。

「夏眠は深し」というのは、暑くて、液温が高くて、全部沈んでしまった。いったい何度になっているかは「測り」知れない状態になっている。最初の浮子が浮いてくるのはいつになるのだろう・・・という慨嘆を含んでおられますね。
今年は暑いもの。
年齢を重ねてくると、夏を越すのも一苦労ですね。

◆「ガリレオ温度計」はガリレオが発明したものではありません。念の為。
ネット上で検索してみると大仰なことが書いてありますが、「ガリレオ」というビッグネームを利用した商売です。ガリレオの時代に、このようなものがあったらしいことは確かですが。
{NHKの「アインシュタインの眼」という番組ね、あの映像は素晴らしいですが、別にハイスピードカメラをアインシュタインが発明したわけではないんで、ビッグネームをうまく利用した番組名ですね。似たようなもんです。「ダーウィンが来た」というのもね。}

私のホームページ「案山子庵雑記」で、このあたりを詳しく解説してあります。ガリレオ温度計の原理も併せて。
http://homepage3.nifty.com/kuebiko/science/freestdy/G_Thermo.htm
「ガリレオ温度計について考える」というタイトルです。

ついでに、ガリレオの密度測定法についても書きましたので、よかったらどうぞ。
http://homepage3.nifty.com/kuebiko/science/freestdy/Gbalance.htm
「ガリレオの最初の論文「小天秤(La Bilancetta ラ・ビランチェッタ)」」
という文章です。

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