蜘蛛の囲
2010.8.23付 朝日俳壇より
蜘蛛の囲のごときものもて一句待つ:(佐賀県有田町)森川清志
長谷川櫂 評:俳句を考えているとき、おそらく脳が活発に働いているのだろう。そのイメージを蜘蛛の囲にたとえた。ほのかに明滅しながら獲物を待つ網。
句を考えている、というよりも、句になる題材が意識に引っかかってくるのを待っている、と言ったほうがよくはないですか?
もちろん脳は活動しているのですが、能動的にあれこれと探しまわる、というような活動をしているわけではない。
私の造語になりましょうか「分散的集中力」の状態にあるのでしょう。
集中力というと、何か一つのことに絞っていく感じですが、そうではなくて、精神の活動は静かにゆったりとさせたまま、広く意識を分散させながら、そこに引っかかってくるものを、かすかなものであってもとらえるような精神作業というイメージなんです。
静かに、脱力して、耳を澄ませ、他の五感も研ぎ澄ませた状態で、静かにしている。
これが作者のいう、精神に張り巡らせた「蜘蛛の囲」でしょう。
いざ、何かがかかったら、全力を挙げてそれを捉える。蜘蛛も作者も。
そう、これは句になる、と捕えた瞬間から、「俳句を考える」ことに活発に脳が働き始めるのです。
選者は、ちょっと、ポイントがずれたようですね。
「ほのかに明滅しながら獲物を待つ網」これはよくわからないイメージです。
「しずかにそよぎながら獲物を待つ網」を張って、しずかに待つのです。
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