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2010年8月11日 (水)

昭和

2010.8.8付 朝日俳壇より
八月やあの日昭和を真つ二つ:(岐阜県揖斐川町)野原武
 長谷川櫂 評:昭和という時代の真ん中に戦争があった。と思っていたのだが、こういう見方もあるか。二つに断たれた時代。

「真ん中」などであるものですか。
私は昭和23年の生まれ、戦後生まれ。昭和「64」年の1月には40でした。

戦争が、「分断」しているのです。時間を。

私は、この「分断」ということを警戒するものです。
昭和20年で分断されて、それより前のことが、単に遠い「過去」のように感じられてしまう。
連続感が失われる。自分のいる「今」につながっていないような気がしてしまう。そのために、戦争とはなんだったのか?、戦争責任は?などの歴史的な問題が、なんだかもう過ぎ去ったことだから免罪されてしまった、自分には関わりがない、というような時代の雰囲気を作り出してはいないか。
昭和20年以前に生まれ生きた人がまだまだいっぱい御存命であるのに、あたかも過ぎ去った過去のように思ってしまうのは無責任じゃないか、と思うんですね。

元号というものも、使いますが、遠ざけています。
昭和「時代」などといって、もう、過去の古き時代のように語ってしまう。
歴史の連続感がない。
大正、明治、などといったら大昔であって、「太古の人類」見たいな気分でいる。
高々、明治ごろに生まれた習慣を、古来の日本の習慣のようにいう。
うそでしょ。
祖父母、曽祖父母の時代でしょ。まだまだ。
つながってるじゃないですか。
元号が変わるたびに、「過去」を脱ぎ棄ててしまって、歴史を分断するのはいけません。
もっとも、為政者はそれこそ古くから、飢饉や疫病があると、元号を変えて、意図的に連続性を断ち切ろうとしてきたのですがね。

西暦のほうが連続性の感覚が保てて歴史感覚を身につけるにはよいと思っています。

◆やわらかい話を一つ。
若い教師の時代。教師の夏合宿によく参加しました。昼間は、授業の報告や議論討論などに熱を上げ、夜はアルコールっ気も交えて歓談して。
じゃあ、10年ごとの世代で集まって、何か歌うなり寸劇なりやろうか、ということにもなったことがよくあります。
1920年代生まれ、1930年代生まれ、・・・、1950年代生まれ、などとこれは結構うまくまとまるのです。育った時代の文化的な背景を共有していて、歌なども共有している。
ところが、1940年代生まれ、はダメなんです。
1945年を境にして、歌う歌が違うんです。
文化の共有感が薄いんです。
ショックでしたねぇ。
このdecadeだけは二つに割らないとだめでした。

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