サングラス
2010.8.16付 朝日俳壇より
サングラス悲喜こもごもを撥ね返す:(仙台市)柿坂伸子
大串章 評:サングラスをかけると、全ての光が消え、情景が一変する。まさに「悲喜こもごもを/撥ね返す」感じである。
選者はサングラスをかける側の句と読んでおられます。そうなんでしょう、多分。
でもねぇ、「全ての光が消え」というのは頂けませんね。揚げ足を取るわけではないけれど。それじゃぁ、真っ暗だ。何にも見えやしない。
サングラスをかけると、「世界は暗転し、情景は一変する」くらいでしょ。
私は、サングラスをかけた人を見る側の句ではないか、と思って読み、評を読んだ後も、その感覚が消えません。
サングラスをかけた人からは「表情が消える」。
いろいろな感情を持っているはずなのに、それらが消えてしまう。
あるいは、投げかけられる感情をきつくはね返してしまう。
サングラスは「拒否」を包含している。
そんなふうに読みました。
◆サングラスではないのですが。
紫外線除けですか、色の濃いお面のような「つば」のサンバイザーがありますね。
あれで顔面を覆ってしまうと、直射光を顔に受けなくて日焼けしにくくて良いということなのでしょう。
あれをつけて、自転車を走らせている人がよくいます。
自動車を運転する側としてはあれは怖いんです。
まだサングラスの方がいい。
つまり自転車を走らせている人の視線がどっちを向いているか察することができるのです、サングラスなら。あのサンバイザーでは何にも伝わってこない。
携帯しながら走っている人なら、こっちの車をまるっきり認識していないだろうから、それなりに、速度を落とし道の端に寄ってやり過ごします。
視線が見える人なら、こちらが進路をが譲れば会釈してくれることも多いし、視線でお先にどうぞといってくれる方もいるし、会話ができるわけではないのですが、視線によるコミュニケーションが存在しうるのです。
ところが、顔面覆いサンバイザーはダメ。視線が見えない。
携帯しながら走ってくる自転車より、はっきりいって怖いです。
まるっきりコミュニケーションが成立しない。
コミュニケーションを拒否されるということはものすごく怖いことなんですよ。
そんなことも考えてしまいました。
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