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2010年8月25日 (水)

空蝉

2010.8.23付 朝日俳壇より
空蟬や歩みて来る高さあり:(藤沢市)寺田篤弘
空蝉の力を抜かぬままにゐる:(岡山市)大本武千代

こここそが、自分が羽化して成虫になるのによい場所だ、という判断をそのように下すのでしょう。実にいろんなところで脱け殻を見ます。
脱皮中にアリに襲われてはならない。殻から出て翅を伸ばすとき何か遮るものがあってはならない。いろいろな条件があるのでしょうが、ちゃんと自分で探して、体を固定して、羽化に至る。不思議なことです。
幼虫が歩きまわるときには、二重になった成虫の体はまだやわらかくて、成虫の筋肉が幼虫の体を運ぶ。そうして、脱皮中に落ちないように、ざらざらな面を選び、脚を固定する。この時にはおそらく力もこめるでしょう。
それ以降は、足に力を込めてはいません。成虫の体内にある筋肉はもう、脱け殻の固定にかかわることはできないのです。
背中が割れ、上半身をのけぞらせて脚を抜きます。この状態でしばらくじっとしていて、細い脚は乾燥が早いですから、ある程度体重を支えられる硬さになるのを待って、体を起こし、脚で脱け殻につかまり、下半身を引き抜きます。
後は、脚で体を吊るすように支え、体液を翅に送りこんで翅を展開し、体が乾燥して固くなるのを待ちます。

何度見ても心揺さぶられる光景です。どうしてこんなことができるんだろう?感動にとらわれます。

ところで、セミは幼虫の期間が長くて、成虫の期間は瞬間のように短い、ということはよく知られています。
人間的に見ると、人生の価値は「大人」になってからであり、子ども時代は準備期間、というように考えてしまいます。
そのような目でセミの生涯を見ると、大人の期間が短くてかわいそうだ、存分に生を謳歌出来ていないのではないか、と考えがちです。
でも、そうでしょうか?
圧倒的に長いいわゆる幼虫期間こそがセミにおける人生であり、おいしい木の根の液を吸いながら、生を堪能しているのではないでしょうか。
その長い人生(虫生)の終わりに当たって、生殖世代に変身して、命を引き継ぐ仕事をしに出てくるだけ。
リスクの大きい、生殖という仕事を最後に成し遂げる、実に充実した虫生なのではないでしょうか。
成虫をヒトの大人に、幼虫をヒトの子どもになぞらえて虫の命を見るのをやめると、また新たな視界が開けてくると思いますよ。

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