炎天
2010.8.2付 朝日俳壇より
炎天に山河歪んで来りけり:(枚方市)石橋玲子
大串章 評:灼けつくような炎天、山河も歪んで見える。山も河も炎暑に耐えているのだ。
山河が歪むとは、文字通り、揺らめき立ち上る熱気に景色が揺らぐことでもありましょうし、命の危険さえ覚えるほどの暑さにくらむ意識のなかで、世界が揺らぐ、ということでもありましょう。
山河も炎暑に耐えている、という評はのどかですね。
雨去れば次は暑さの覚悟かな:(枚方市)石橋玲子
稲畑汀子 評:梅雨が明けると忽ち盛夏となる。今年は殊に厳しく暑い日が続く。その現実を淡々と述べて、それらを処す覚悟が読者にも伝わってくる。
上の句のところでも書きましたが、今年の暑さは尋常ではない。
室内で熱中症になる。
睡眠中に熱中症になりはしないかなどと面白くもない冗談を呟きたくなる。
年齢を重ねてくると、「夏を越す」ことが大きな仕事になってきます。
「冬を越す」ことも大仕事です。
ひとつひとつ、季節を越していく。
この暑さを乗り切れば、やがてはほっとする時も来よう、腹を据え、耐え、長らえようという決意ですね。
◆落合恵子「積極的その日暮らし」というエッセイがありまして、その7月31日の題名は「そういうこと」
「3カ月先なんて、待てない……。そう思った。あまりに先のことに思えてね」
・・・
「来年の予定どころか、次の季節といっても、ずっと先のことに思える。その時、自分がどうなっているか……。予想のつかない年代になったんだな」
年齢を重ねるということは、「そういうこと」なのだ、と記憶にある通りの静かな口調で、けれど、その時だけはきっぱりと、彼は言った。
彼の言う「そういうこと」の意味に、少し伸ばせば指先で触れるところに、わたしも近づきつつある。
若い人は自分の将来像の見えなさに苛立つ、とよく言います。
年を取ってみて、自分の将来が全く見えていない、ということに気づきます。
結局、人は、老いも若きも、今を生きる、しかないのでしょう。
それにしても、今日も暑い。
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