終戦忌
2010.8.23付 朝日俳壇より
語り部の二十に還る終戦忌:(福岡市)信岡可子
大串章 評:太平洋戦争が終わった時、この語り部は二十歳であった。その日のことを思い出しながら感慨深げに語って聞かせる。
さて、また選者にたて突きますが。
作者は「還る」とおっしゃっています。
語り部として戦争のことを語るとき、時空を超えて、あの時に立ち還り、そこに現在の意識も重ね合わせて、戦争の悲惨について語って下さいます。
「思い出しながら感慨深げに」というのは、意識を現在に置いて記憶をよみがえらせるだけです。「還る」という表現とは少し違う気がします。
どこに立って語るか、その立ち位置を見誤っていませんか。
「思い出しながら感慨深げに」という語り方は、往々にして、あの「懐かしい」時代はそれなりに良かった、に陥りがちなのです。そこは注意しなければなりません。
記憶は風化し、浄化されます。記憶を産み出した歴史の事実をつかみ取るようにしなければ、懐古談に陥ります。
どうか、そのあたり、失礼にはならないように、でも、注意してお聞きください。
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