出会い
◆1982年1月のことです。広島で行われた教育研究集会に参加しました。高知で行われた教育研究集会で私自身がレポーターとして化学の授業の構築という報告をして以来、何度か勤務先の先生方の支えで、この集会に参加させてもらいました。
会場へ向かうバス。全国からやってきた先生方がそれぞれ目的の会場へ、乗りなれないバスに乗って向かったために、車内は大混雑。料金の受け渡しを運転手さんがしなければならないシステムだったものですから、大勢の慣れない乗客が両替を申し出たりして運転手さんがイラついてしまいました。もう、両替はできません!と叫んでいました。
座らせてもらっていた私が降車するために立ち上がろうとすると、目の前の老婦人が千円札を握りしめていらっしゃる。で、運転手さんもイライラしていらっしゃいます、私はちょうど小銭がありましたので、両替いたしましょう、と両替して差し上げました。
もみ合いながら、降車すると、先ほどの婦人が待ってくださっていて、ありがとうございました、これは私の詩集なのですが是非読んでください、と一冊の詩集を差し出されました。両替をしただけですのに、本を頂くなど大それたこととは思いましたが、ご親切をむげに断るのはかえって失礼と思い、ありがとうございます、読ませていただきます、といって頂戴したのです。
その場はそれでおしまい。
会場について、ひとしきり挨拶や資料収集などを済ませて、席に着き落ち着いて、先ほど頂いた詩集を出してみました。
これです。著者の名前さえ見ずに頂いてしまったら、なんと、栗原貞子さんではないですか。あぁ、あの方が、栗原さんだったのか、とびっくりしました。
「生ましめんかな」の栗原さんです。
・・・
かくてくらがりの地獄の底で
新しい生命は生まれた。
かくてあかつきを待たず産婆は
血まみれのまま死んだ。
生ましめんかな
生ましめんかな
己が命捨つとも
1945.8.30
私はこの詩を平静な心の状態で読むことができません。必ずこみあげて来るものに、揺さぶられ心が乱れてしまいます。
吉永小百合さんが朗読するのを聞いても同じ。感情を移入しながらしかも読み切っていく吉永さんの力量にも心打たれます。
この詩の作者と、たまたま、一瞬のことですが、出会いすれ違ってしまった。それは何がしかの責務をも受け取ったことになるのではないだろうか。
どのような人と、いつどこで出会うのか、そんなことは全く分かりません。出会いを果たせないなら、それは己が未熟。いつどんなときでも、いかなる出会いにも正面と向き合えるか、それは自分を厳しく問う行為です。
「可能と思えるありとあらゆる準備の果てに、でたとこまかせ」を標榜しているのはそういうことです。最初から目的があってそれにかなわぬものは役に立たないと切り捨てるのでは、あまりに貧しい。豊かな出会いを逃してしまいます。
ありとあらゆることに「正面衝突」してこそ、出会いを捕まえることができるのでしょう。
◆この教育研究集会に際して、地元広島の高校生たちが元安川の河川敷で原爆瓦を拾い集め、洗い、全国から集まった先生方に配ってくれました。高校生というのは大人です。しかも、観念的で純粋な側面を持ちます。それが好きなんです。高校教師の醍醐味ですね。あの時の高校生は今はもう40歳を過ぎて社会の主力になっているでしょう。でも、どこかに必ずあの時の行為の名残を持ち続けているはずです。それが高校教師のやりがいなのです。
これがその時もらった原爆瓦2枚。学校に帰って、木箱を作り、ガーゼの上に置いて、アクリル板で蓋をし、以来、教師であり続ける間、ずっと何かの形で生徒に提示してきたものです。
私は彼らから「受け取りました」から。責任があります。
表面はこんなです。3000度というような高温で焼かれて、瓦がふつふつと煮立ったあとです。この熱で、人も焼かれました。街のすべてが焼かれました。
そのことを思ってみて下さい。
資料館などで、展示資料のあまりの悲惨さに目をつぶって駆け抜けてしまう生徒がいます。感受性が高いのですが、それでいいのか?と自分の生徒には尋ねます。
悲惨な現実を見ることはとても辛いことだ、しかし、一番つらかったのは誰だ?
被爆した方々ではないのか?その辛さに比べれば、私たちが受け取る辛さなど何ほどのものでもない。ぜひ、受け止めてくれ。それが今生きている私たちの責任だ。とね。
◆「10フィート運動」というのがありました。職場でまとめ役になって、寄付しました。
家族でも寄付しました。映画が完成した時の上映会で、被爆者の方がこうおっしゃいました。
この映画の画面からは絶対に伝わらないものがあります。それは「匂い」です。死んだ方々が暑い日差しの中「腐敗していく」匂いです。遺体を焼く匂いです。
◆広島の原爆ドームの修理がおこなわれました。その時、一般からの寄付が募られました。
家族でも寄付しました。私の授業では、教室に空き缶に穴を開けたものを持って行き、寄付を募りました。教室では入れにくい、という生徒もいて、準備室に置いておくから気づかれないように入れてくれていいよ、といって置いておきました。
かなりの額のお金が集まり、送金しました。「一教師と授業仲間たち」という名前で一文を添えておきました。あとでパンフレットに載ったものが送られてきました。たまたま、校長と話していて、「いいでしょう、うらやましいでしょう、私には授業仲間がいる。教室という現場を離れた校長さんには授業仲間はいませんものね」と皮肉を言ってあげました。
授業は教師一人でできるものではないのです。生徒との共同作業で構築していくものなのです。ですから、教師と生徒は授業仲間なんですね。
長く教師をやりましたが、同じ授業なんてできません。いつも違う仲間とつくるんですから、同じものになるわけがないでしょう。授業は生きもの。仲間と育てるものです。
◆こんなことを書いていると、やはり心が乱れます。
いくつかを、思いつくままに、書き連ねてみました。
とりとめもない話でした。
すべての人の心が「なぎ」わたりますように。
すべての「人と人の間」から、権力・力の関係が消滅しますように。
これと同じ内容を、今は月面にある「かぐや」に搭載されたプレートに書きこんでもらってあります。
私のメッセージは月面から地球を見ています。
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