いい人
2010.8.23付 朝日歌壇より
「いい人ですね」云われる少しの快感が僕にもう一つ嘘をつかせる:(熊本市)近藤光弘
具体的に何がどうだったのか、よくわからないのですが、「いいこと」をしたんでしょ。それでいいですよ。
朝日新聞の読者投稿欄「声」にこんな投稿がありました。14歳の中学生です。
[声]「偽善」の行為も「善」のうち(8/21)
塾の夏季講習の帰り、僕が駅で電車から降りようとすると、先に降りたおばあさんが座席に日傘を忘れていった。僕はとっさに日傘を持って追いかけ、手渡した。おばあさんはとてもうれしそうに礼を言ってくれた。僕はとても良い気持ちになれた。
ところで僕がおばあさんに日傘を渡したのは、何となく格好いいと感じたからだった。それは人から良く見られたいという偽善だと思ったし、この猛暑で日傘がなくてはおばあさんは大変だっただろうことには後で気づいた。しかし、おばあさんにとっては僕の内心は関係ないことだ。また、人が親切にする行為は、幼少時に親や周囲に褒められるとうれしいから始めるのだろう。それを何度も経験するうちに自然に心と体が動くなるようになるのではないか。
結局、僕は、どんな気持でも、何が目的でも、とりあえず行動してみることに価値があるのだと考えた。
いかにも、中学生らしいなぁ、とニコニコ。こういう観念性がこのごろ欠けてるんですよね。なんでも実利ばっかり。中高生のころは観念的に生きていいんです。
善とは何か、偽善とは何か。いいぞいいぞ。
余計なおせっかいはいかんでしょうが、これはまさしく「善」ですよ。それ以外の何物でもない。
上に掲げた歌の作者、いい嘘ついてくださいな。
いい嘘は善ですよ。
自分にだけは正直であればいい。自分に対して嘘をついてはいけないけれど。
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