行間
2010.8.16付 朝日歌壇より
軽いフォントわざと明るい行間に読み取れなかった君の苦しみ:(北海道)坂本しづよ
私自身の書く文は、標準フォントの字面から読みとれるものだけが伝わればよい、という主義で書いております。アバターも置かないし、顔文字も使わないのはそのせいです。
行間を読んでいただく必要はありません。そこに書かれた文字、そこから伝わるものだけでいいですよ。理に落ちてますね。でも、理系の論文はそのように書かれます。余分な意味をそぎ落として、伝えたいことだけを、明示的に(エクスプリシットに)書きます。書かれていない部分まで読みこまなくて結構です。
私に「苦しみ」や「悩み」があれば、そう書きます。書かれていない部分は「ない」のです。
無味乾燥な文でスミマセン。でも、多分、私の文が「微笑」を含んでいることは読みとれてしまうでしょうね。特に虫のことを書いているときは。
そういうものなんです。文と人というものは。
私は敢えて行間を読まない主義なのです。
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