分教場
2010.8.2付 朝日歌壇より
猪が校庭を歩く山間の分教場はいま百合の中:(東京都)太田良作
馬場あき子 評:山の分校の景の推移。猪から百合によって地域全体の優しい野趣が印象に残る。
猪がくるというだけで、まず、人気の少なさが思いやられます。
百合の中、という表現は、手入れの行き届いた花畑のようなイメージではないと思います。
分教場が「百合の中」といっているのですから、校庭に迫る茂みに百合がいっぱいなのではないですか?
浮かぶのは、子の少ない、あるいはいなくなってしまった分教場。
猪が歩き、野生の百合が生い茂る。人影も薄い、寂しい姿のように思えます。
「地域全体の優しい野趣」というのは、「百合」という言葉のイメージだけに頼り過ぎてはいないかと、私は思いました。
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