写真
2010.8.2付 朝日歌壇より
八年も前の壊れたケータイのもう取り出せない亡父(ちち)との写真:(大阪市)澤田桂子
永田和宏 評:その中にあることはわかっているのに、もう決して取り出せない父との写真。人間の記憶だってやがてはそのように再生不可となる。
それでいいんですよ。記憶、思い出などは、時とともにあいまいになり、細部が失われ、実はちゃんと保持しているつもりで、いつのまにか変形していくものなのです。
あるいみではだからこそ、生きていけるのです。
すべてが、あいまいさなく、くっきりと、過去のその時のままに立ち現われたら、人は耐えられません。もし耐えられるとすれば、それは神のみでしょう。
人が生きるということは、失うことです。
善哉善哉。
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