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2010年8月10日 (火)

野の蝶

2010.8.8付 朝日歌壇より
「野の蝶やトンボのように死にたい」と遺書に綴りし灰谷健次郎:(箕面市)遠藤玲奈
 馬場あき子 評:灰谷健次郎は児童文学者。遺した言葉が素晴らしい。

灰谷さんの言葉自体はそれでいいのですが。
基本的にすべての生物は、人間に完全に家畜化された動物や、食用のみに栽培される植物などを除いて、すべて「野の蝶やトンボのように」死ぬのです。
人間だけが「とんでもない死に方を発明」してしまったのですよ。
生前の地位やら、権威やら、名声とやら、名前やら、いろんなものを引きずって死ぬ破目になった。
軽々と、何にも引きずらずに死ねるのが一番いいのにね。
後世に名を残す、なんて、笑わせちゃいけません。
過去に死んだ方々がみんな私たちに名を残してくれたりしたら、鬱陶しくって仕方ないじゃないですか、手に余ります。どうしましょ。
後世にお荷物を残しちゃいけません、名を残すのはやめましょう。
墓だっていずれ無縁になるのは当たり前。そんな重たい石を残すのはやめましょう。

私たちは38億年もの間、最初の生命からずっと切れ目なく生き続けてきたのです。1回も切れてません。それが生命の流れというものです。
それでいいじゃないですか。そういう生命の一環として生きて、再び生命の流れに戻っていく。充分じゃないですか。
ある「ひととき」を個体として生まれ生きて、また生命の流れに復帰する。こんな幸せはないでしょ。そのひとときが、1年であろうと、100年であろうと、生命の価値に何の差もないですね。

当然私は、チョウやトンボやカマキリやカメムシやクモ・・・のように死にます。
幸せ者です。

◆朝日新聞に「ナカニシ先生の万葉こども塾」という連載があります。その2010年6月26日の文章をご紹介します。

   激励か、生涯の悔恨か
士(おのこ)やも 空(むな)しくあるべき
万代(よろずよ)に 語り続(つ)ぐべき 名は立てずして
                                         巻六の九七八番、山上憶良の歌
   ◇
男子は、むざむざと一生をすごしてはいけない
後のちに語りつがれるような名声も立てずに
   ◇
 家柄にも出世コースにも恵まれなかった憶良は、四十歳で命をかけた中国派遣の使節団の一員となり、やっと出世のいと口をつかみました。
 帰国後、ふたつの国の長官をつとめ、後世に残る歌文も作りましたが、しかし生涯、人間とは何か、社会とはいかにあるべきかを考え抜き、重苦しい一生をおえます。
 まさに死にのぞんで、憶良は病床に見舞客を迎えました。年若い貴公子からの使者です。
 憶良は使者に対して感謝のことばを述べ、しばらく沈黙しました。と、沈黙した目頭に涙があふれました。
 やがてその涙を拭(ぬぐ)うと、悲しげな口調で、この一首を口ずさんだと記されています。
 貴公子への激励でしょうか。憶良自身の生涯の悔恨のようなひびきもありますね。
 士――りっぱな男子を志した生涯をここで閉じました。数え年七十四歳でした。
(奈良県立万葉文化館長・中西進)

昔から「名声」って欲しかったんですね。
「りっぱな男子」ってなんだろう?
「りっぱな女子」はいらないのか?
「崩れかかった男=崩彦」のような障害者はどうなっちゃうんだ?

名声なんて碌なもんじゃないんだけどなぁ。

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