« 2010年7月 | トップページ | 2010年9月 »

2010年8月

2010年8月31日 (火)

猛暑日

2010.8.30付 朝日歌壇より
高さ保ち蜻蛉飛び初む立秋の二日前なる猛暑日の朝:(鳥取県)中村麗子

「猛暑日」をもし歳時記に載せるとしたら、夏だろうか?秋だろうか?
大阪の猛暑日連続が始まったのは確か立秋の後でしたよね。
「猛暑日」は秋の季語だな。

ところで、トンボはどうやって水平飛行をするのか。
単眼がありますね。あれが明暗の切り替わるところを検知する、つまり地面と空の境を認識するのに役立っているということを聞きました。
体の空間的な位置感覚、地平の認識、こういうことがないと、ちゃんと飛べずに、地面へダイブしてしまう、といった致命的なことになります。
あの、人間の技術の遠く及ばない飛行術、みていて爽やかですよね。

人間には「空間識失調」という事態があります。
ウィキペディアから引用します。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A9%BA%E9%96%93%E8%AD%98%E5%A4%B1%E8%AA%BF

空間識失調(くうかんしきしっちょう、英: Vertigo、独: Vertigo)は、平衡感覚を喪失した状態。バーティゴ(vertigo)ともいう。
・・・
機体の姿勢(傾き)や進行方向(昇降)の状態を把握できなくなる、つまり自身に対して地面が上なのか下なのか、機体が上昇しているのか下降しているのかわからなくなる、非常に危険な状態。しばしば航空事故の原因にもなる。
・・・

詳しくは直接ウィキペディアを読んでください。
空間識失調を起こしたパイロットは「バーティゴ」と叫ばなければならない、それを受けた周囲のパイロットは、機体の位置・姿勢情報をただちに送らなければならない、というような話を聞いたことがあります。

トンボは空間識失調を起こさないのでしょうね、すごい飛行術ですよね。
(実はハエもすごい、ひっくり返っても飛べる、あれもすごいんですよ。歌には詠みにくいけど。)

ひ孫

2010.8.30付 朝日歌壇より
ひ孫生れ笑顔よき子になりました可愛さたまらんもうたまりません:(富田林市)太田喜利代
 高野公彦 評:ひ孫誕生を無邪気に喜ぶ。作者九十二歳。

もう、なんにもいう必要なし。この歌を読ませていただいただけで、「もうたまりません」。
浮き立ってしまいます。

五三

2010.8.30付 朝日歌壇より
六二三(ろくにいさん)、八六八九八一五(はちろくはちきゅうはちいちご)、五三(ごさん)に繋げ我ら今生く:(岸和田市)西野防人

 高野公彦 評:六二三(沖縄の日本軍ほぼ全滅)八六(広島に原爆投下)八九(長崎に原爆投下)八一五(終戦)、そして五三(日本国憲法実施の日)という数字仕立てで歴史の重さを思う歌。

6・23は日本軍が組織的抵抗を終えた日、という方がふつうでしょうか。
この日の後も悲惨な住民虐殺が続きました。「軍隊は住民を守らない」。
これらの日を、数字で呼ぶこと自体はそれぞれにあるのですが、それを「五三」につないだところに衝撃を受けました。
見事です。平和を守ろう、憲法を守ろう、と言葉に表してはいませんが、完全にその主張が伝わります。
「五三」につなげ、というのは強力なスローガンですね。

それにしても、「実施」というのは少し変。
「1946年(昭和21年)11月3日に公布され、1947年(昭和22年)5月3日に施行」というのがきちんとした言い方でしょ。
こういう言葉は、意味を限定して余分な意味が入り込むことを排除しながら使うものです。
ですから、実施という日常語を使うべきではないと思います。

守宮

2010.8.30付 朝日歌壇より
守宮這う研究室の窓際で今日も続ける無菌培養:(東京都)夏目たかし

「守宮」という表記、好きなんですよね、ヤモリですが。ヤモリ・ファンですから。
ところで、老爺心ですが、ヤモリは窓の外を歩いているんですよね。アッタリマエか。
でないと、無菌培養には差し支える。
研究室の窓から漏れる光に昆虫がやってくるのでヤモリは餌場にしているのでしょう。

どんな研究をしていらっしゃるのかな。一端が読み取れるような歌も作ってほしいものです。

あけぼの草

2010.8.30付 朝日歌壇より
あけぼの草まもる草刈りせせらぎのむこうに猪ちらちら見つつ:(宮城県)須郷柏
 佐佐木幸綱 評:「あけぼの草」は秋に五弁の小さな花をつける。

猪の姿を垣間見ながらの草刈りとはすごいものだな、と感心しつつ、あけぼの草って知らないぞ、どんな花が咲くのかな、絶滅危惧種か何かなのかな、と思って検索してみました。
「アケボノソウ」でグーグル検索をかけると、解説が読めます。
きれいな花ですね。別に絶滅危惧とかいうのではないようです。
「湿原の周辺草地や山間の小川のほとりなどの湿った場所に生育する」とありました。
なるほど、それで「せせらぎ」のこちらで草刈り、向こうに猪、という構図が見えてきました。

花一つ、知らないと歌の情景が分からないものなんですね。
調べてみて良かった。

キマダラセセリ

0819_2kimadaraseseri1 8月19日
シダの葉にキマダラセセリがとまっていたので一枚パチリ。
びっくりしたらしく、飛んでしまいました。
なにすんのよっ!
といってませんか。
すぐそばの葉にとまりましたので、ごめん、撮らせて下さいと頼んだら
0819_2kimadaraseseri2
撮らせてくれました。
別にストーリーを作ったわけではなくて、流れとして実際そうなってしまったのです。
2枚目の写真ではゆっくりと近寄らせてくれました。
口吻を伸ばして、葉に接触させてますね。水分でも吸っているのでしょうか。
吸水に夢中になっていて、写真を撮らせてくれたのでしょう。

イヌツゲ

0819_1tuge1 8月19日
イヌツゲの実です。
あんまりちゃんと結実したという雰囲気ではないような。
0819_1tuge2
手にとって割ってみたらこうなっていました。
0819_1tuge3
これが一応、種だと思います。
今まであまり実のことを意識していなかったのですが、この木は実がなる木だったんですね。
疎くてすみません。
発芽させてみようとかいう気にはちょっとなりませんで、申し訳ないことです。

これなんですか?

0818_10nanda1 8月18日
一番奥はフウセンカズラ。
その手前がネコジャラシ。
で、一番手前に写っているのは、なんですか?
イネとかムギとかそういう雰囲気のものですが、初めて見た植物という気がします。
「猫の草」というようなムギの仲間は春から初夏に見ましたが、これは何だろう?
0818_10nanda2
拡大。
花が終わったところでしょうか。
さしあたって、このあたりで、この一株しか生えていないようです。
どこかから今年移動してきたのでしょう。

なんだろうなぁ?

クサギカメムシ

0818_5kusagikamemusi1 8月18日
クサギカメムシの幼虫がキンカンの実の汁を吸っています。
0818_5kusagikamemusi2
横から撮ると、口吻が突き刺さっているのがよく見えます。
成虫だったら、ここで食事しちゃダメ、と追放しますが、翅のない幼虫だとかわいそうになってしまうんですね。
と、
0818_7kusagikamemusi
こちらの気分を察したか、やばいかな、と立ち去って行きました。
次はどこで汁を吸うんでしょうね。まぁ、いいやあ。

アオドウガネ

0818_4aodougane 8月18日
シダにアオドウガネがぶら下がっていました。とても「とまっている」とはいいかねます。
どうも、私に偏見があるのか、シダっておいしくなさそうに思ってしまって。
アオドウガネはシダも食べるんですかねぇ。
葉の裏に胞子があったりして、粉っぽい感じがしてしまうのは先入観かなぁ。
自分じゃ食べっこないのに、無責任ですね。

クロウリハムシ

0818_3kurourihamusi1 8月18日
クロウリハムシの顔です。
0818_3kurourihamusi2
プロってすごいですよね。
私の写真ではやはり、どうしてもボケている。
思うようにはいきません。ただ、何となく私の写真は、かわいい顔、という感じになりませんか。撮ってる本人の意識が投影されています。

黄色と黒というのは警戒色として有名ですが、このハムシの場合はあまり警戒色という感じはしませんね。
なかなかセンスのいい配色です。

2010年8月30日 (月)

オオシオカラトンボ

0818_1oosiokaratonbo 8月18日
玄関ドアを開けた途端に立ち往生。目の前の鉢にオオシオカラトンボ。
不均翅亜目といっていた仲間です。今はトンボ亜目でいいです。
翅の大きさが前後で違う、とまるときにはこのように開いてとまります。
ヤゴは言葉では言いづらいですが、尾鰓のない、ずんぐり型とでもいいますか、いわゆるヤゴです。
オオシオカラトンボの場合、翅の付け根の黒いというか濃い焦げ茶色の模様が目印になります。

イトトンボの華奢な体つきに対して、このパワフルな体はすごいです。
圧倒的な雰囲気ですね。

このトンボ、我が家の池からまた羽化したもののようで、テリトリーを主張し始めました。
人間が行くと、これは何だ?とチェックに来ますよ。おもしろい。

モノサシトンボ

0817_14monosasitonbof1 8月17日
ツユクサのところで見かけたモノサシトンボ、黄色味がかっているのでメスでしょう。
この場所は、池からは直線で3,4m離れたところです。
0817_14monosasitonbof2
最初の写真では翅を畳んでいて、この写真ではぱらぱらっと開いています。
前翅と後翅が同じ大きさなので、以前は「均翅亜目」といっていましたが、このごろは「イトトンボ亜目」というようですね。
その、イトトンボ亜目の特徴が、このとまり方。
0817_14monosasitonbof3
イトトンボの仲間のヤゴは、小型で、腹端から3枚の尾鰓が出ていることです。
水の中でそういう虫を見かけたら、あ、イトトンボのヤゴだ、と思って下さい。

小さな池を掘っただけでまぁ、いろんなトンボがすみつきます。楽しいことです。

メスジロハエトリ♂

0817_13mesujirohaetorim 8月17日
メスジロハエトリのオスです。
昆虫の幼虫と成虫も似てるやつはいいけれど(カマキリとか不完全変態昆虫)、ものすごく違うのが多いですよね。(完全変態昆虫)。

クモには、幼体・成体での違いに加えて、雌雄の違いの大きなものがいます。
上の写真は雌雄の差を知らなければ全く分からないタイプです。
メスジロハエトリという、メスは白くて一目でわかるハエトリグモの仲間です。
オスは全然白くないのですね。
しかも、メスより警戒心が強い感じがします。
上の写真は次の瞬間、ジャンプして、左上の葉に飛び乗り、姿を消す直前です。
なかなか、じっくりとは写真を撮らせてくれません。
やっかいな奴です。

カメムシ幼虫

0817_12kamemusi1 8月17日
ネコジャラシの穂の上。
何というカメムシかなぁ。
もうダメ。幼虫図鑑のカメムシの幼虫という写真では該当するものがないように思います。
見落としかもしれませんけれど。

0817_12kamemusi2
これ、同じ種の幼虫かなぁ、わからない。
目がくらくらしてくる。

0817_12kamemusi3
左下はヒメカメノコテントウ。(でしょう)。
虫さんたちが我も我もと立ち現われて、案山子さんはパンク状態です。
大人になったらまたおいで。といっても、あの幼虫がこうなりました、とは言ってくれないものなぁ。とにかくまぁ、撮ります。
お分かりの方は教えてください。

ヒメカメノコテントウ

0817_12kame_himekamenokotentou 8月17日
通りすがりのワンショットしかないのですが、これ、ヒメカメノコテントウの模様の変異型だろうと思います。
http://mushinavi.com/navi-insect/data-tento_himekame.htm
虫ナビです。
ここに、普通の模様のものや、変異型の写真が載っていますので、ご覧になって下さい。
通常は、この写真の模様では覚えない方がいいです。

ヒゲナガカメムシ

0817_11higenagakamemusi 8月17日
もういいか、とも思ったのですが、ちょっと一言付け加えておこうと思いまして。
ヒゲナガカメムシというと、ヒゲの長いカメムシ、のような気がしませんか?
もちろん、このカメムシ、写真のように、非常に長い触角をもっています。
ただ、分類的には
カメムシ目>カメムシ亜目>ナガカメムシ科>ヒゲナガカメムシ
なんですね。
ですから、ヒゲの長い、ナガカメムシなのです。

ヒゲナガ+ナガカメムシ=ヒゲナガカメムシ なのではないかな。

見分けるには「ポパイ腕」です。これを見れば一目瞭然。
ヒゲより腕で見分けて下さい。

カラスウリ

0817_10karasuuri 8月17日
中央の濃い緑の葉、これカラスウリの葉です。
種を播いてみたのですが、暑さに負けましたかね。成長は鈍いし、花の準備もしません。
夜咲く花、というのを見てみたかったのですが、今年はダメそうです。

トウキョウヒメハンミョウ

0817_3tokyohimehanmyo 8月17日
シダの葉の上で見かけたトウキョウヒメハンミョウ。
成虫の姿を見たのは、この頃が最後でした。
みな繁殖を終え、来年までは、卵から幼虫で過ごしていくのでしょう。
セミのように極端ではないですけれど、成虫の時期はそんなに長くないですね。
大人こそが生涯の主要な部分であって、子の時代はその準備期間に過ぎない、というのは人間的な考え方。
長い単性的な幼虫時代が生涯の主要部分であって、その生涯の終りに当たって、生殖という仕事を果たすべく成虫になるのだ、と考えて虫を眺めてみてください。
新しい見方が開けるかもしれません。

カメムシ孵化

0819_13kamemusi_9 8月19日
孵化しました。
なんだか見覚えのある姿だなぁ。

0819_13kamemusi_12_1
しばらくしたら、全部孵化して、その場を離れたようです。

0819_13kamemusi_12_2_2
葉のふちに集まっていました。

0819_13kamemusi_12_3
クサギカメムシのような感じです。
間違ってないと思うけれど。
何でもいいんですね、クサギカメムシの食草は。
この後、同じ卵をネコジャラシの穂でも見かけましたよ。

嫌われがちなカメムシですが、かわいいですよ。
農業被害とかがあるのなら別ですが、そうでなければ、適当にあしらってやってください。
殲滅戦など企てないように。

カメムシの卵

0816_9tamago1 8月16日
アサガオの葉の上にカメムシの卵らしきものを発見。
樽状というか、きっと蓋がぽこっと開いて幼虫が出てきますね。
0816_9tamago2
横から見た形はこんな風。
どんな幼虫が孵化するのか、葉っぱをとって、透明ケースに入れて毎日眺めていました。

ヒゲコガネ

0816_12higekoganef 8月16日
クスノキの葉の間にヒゲコガネのメス。
オスは名前の通りものすごく立派な「ヒゲ」です。
以前、多摩川線の駅で見つけて助けたのもヒゲコガネでした。
実は、駅と我が家のあたりは、「猫的」には続いています。
「人的」には袋小路の道なんですが、猫にとってはまっすぐ駅までいけるんですね。
虫も同じでしょう。我が家と環境的には続いていますので、同じ昆虫が現れても不思議ではない。

ヒゲコガネはあまりなじみではないので、一瞬「コフキコガネ」と呟いてしまったのですが、コフキコガネはもっと粉っぽい感じがします。
この模様は、ヒゲコガネ。2度見たから多分もう忘れないと思いますが。

ヒメグモ

0816_11himegumo 8月16日
ヒメグモが何かを捕まえて糸でぐるぐるに巻いていました。
この模様は多分スグリゾウムシですね。たぶん間違いない。
乱雑な網の中に枯れ葉でつくった隠れ家の下です。
きっとここでは落ち着くのでしょう。
揺らさないように注意して撮影、すぐに離れました。

イチモンジセセリ

0816_8itimonjiseseri 8月16日
時々、脈絡もなく、登場させます。おなじみイチモンジセセリ。
玄関を出て、すぐ出会ったりすると、やあおはようと、どうしても一枚撮ってしまうんですよねぇ。かわいいから。
このまん丸な顔がいいよなぁ。
新しい発見とかなくっても、時々登場させますので、にやっとしながら見てやってください。

ヒトスジシマカ

0816_7hitosujisimaka1 8月16日
ふと視界に引っかかりを感じて見つめ直すと、蚊だっ!
吸血しようと体にまとわりつくのはお馴染みですが、吸血して重くなった体を引きずるようにして休んでいるカをみるのは初めてですね。
見るからに体が重たそう。
私か妻かの血です。あ~あ、たっぷり吸ったなぁ。
気配を感じたか、動きましたが
0816_7hitosujisimaka2
ちょっと左へ寄ったくらいで、あまり動けないようですね。
引っかかっている、という感じのとまり方ですね。

この血を栄養にして卵を成熟させようとしているメスのカです。
なんとなくなぁ、殺すのも忍びなくなってしまって。
見逃しました。
吸血中のカをバシバシ叩くのは毎日のことなんですが、こうやってじっくり眺めてしまうとなぁ。
甘いとは思いつつ、見逃してしまう私でした。

「惻隠の情」とでもいうのかなぁ。大仰か。

ササグモ:2

0816_5sasagumo2 8月16日
大人のササグモがいた場所から少し離れた場所に幼体がうろうろしています。
これは、別の卵囊から早目に孵化した子どもたちだと思います。
0816_5sasagumo3
「顔」に見えて仕方ありません。

0817_4sasagumo1 8月17日
腹部の模様が少し大人っぽくなってきています。
脚は薄青く、半透明で、トゲトゲが立派。ササグモです!と主張してます。

0818_9sasagumo 8月18日
ここまでくると、ササグモだということが一目でわかるようになりました。
頭胸部の模様も、腹部の模様も、これはササグモの模様です。
小さくて丸っこいですけれどね。

何匹生き残れるのでしょう。がんばってね。

ササグモ:1

0816_5sasagumo1 8月16日
単独で姿を現したササグモ。おそらく、卵囊のそばにいた個体だろうと思います。
卵囊を離れたとすれば卵が孵化したということでしょうが、よくわかりません。
卵囊の位置は分かっていますが、あんまりひっくり返して調べるのも気が引ける。
まだだったら、申し訳ないので。
もうしばらくは、ちょっかい出さずに見続けます。

2010年8月27日 (金)

クサギカメムシ

0816_6kusagikamemusi 8月16日
クサギカメムシがキンカンの青い実から汁を吸っています。
酸っぱくないのでしょうか。

写真中、白い矢印でさしたところが、口吻が刺さっているところです。
脚や触角と紛らわしいので書きこんでおきました。

これは成虫ですので、行きたいところへ飛んで行けます。ですから、少し邪険に、ここはダメと追放。でも、また来たかもしれません。幼虫だとね、歩くしかなくって可哀想だから、そんなことしないんですけどね。

ヒメグモ

0816_4himegumo1 8月16日
ここにも腹が緑っぽいヒメグモがいました。
そして獲物がかかったらしく、ぐるぐる回しています。
0816_4himegumo2
下にぶら下がった獲物は何でしょう?
ゾウムシでしょうか?チョッキリでしょうか?青いですね。
調べてみたのですが、うまく見つかりませんでした。
わかったら教えてください。

ツマグロオオヨコバイ

0816_3tumaguroooyokobai 8月16日
ツマグロオオヨコバイの幼虫ですが、シダの葉の上です。
普通、アジサイとかヤツデとかの葉や茎で見かけます。
どうしてこんなところに?
イメージとして、あんまりおいしくなさそうな気がしません?
ジューシーじゃないような。
ツマグロオオヨコバイの味覚は知らないのですけれど。

0817_2tumaguroooyokobai 8月17日
今シーズン最初の成虫かな、と思います。
新成人ならぬ新成虫です!
しばらく、この成虫の姿を見ませんでした。
これからは、幼虫・成虫入り混じって姿を見せる事になるのでしょう。

0824_1tumaguroooyokobai 8月24日
ツマグロオオヨコバイ3兄弟。
もちろん上の写真と同じ兄弟ではありません。

今度はどんなショットを狙いましょうか。
楽しみですね。

クロアゲハ羽化:2

0825kuroageha1 8月25日
朝の散歩に出て、線路際の柵のところでフウセンカズラやオシロイバナを眺めていたら、右の方からふわぁ~っとクロアゲハが飛んできました。
まさか、昨日羽化したあの個体、とも思われませんが。
でも、なんだか、あの個体みたいな気がしてしまうんですよね。
目の前を、何回か、左へ右へ、ふわりふわりと飛び回って
0825kuroageha2
やがて、もと来た方向へ飛び去って行きました。

気分的には昨日の個体が、挨拶に来てくれたようで、嬉しくって仕方ないのでした。

クロアゲハ羽化:1

0813kuroageha 8月13日
クロアゲハが蛹になったのですが、お分かりですよね、変ですね。
クロアゲハの蛹はこういうぶら下がり型の蛹ではないのです。
どうしてしまったのか、飼育ケースの天井で蛹になって、しかも、上半身を支える糸の固定がうまくいかなかったのでしょう、ぶら下がってしまいました。
紙で円錐を作って入れてあげました。

0824kuroageha1 8月24日
羽化しました。翅もちゃんと伸びたようです。
ホッとしましたね。うれしかった。
そっと外へ出して放してやったら
0824kuroageha2
シダの葉っぱにつかまって、なおしばらくじっとしていましたが、やがて飛び去っていきました。
いやぁ、本当に良かった。

0824kuroageha3
これが今回使った紙の円錐。
この円錐の上の紙をさらにティッシュペーパーに貼り付けて、もし歩きまわったりしても足場が悪くならないようにしました。

もし、アゲハの飼育などなさっている方で、蛹に不調が生じたら、参考にして下さい。

アリとアブラムシ

0816_2aburamusi 8月16日
このごろあまりアブラムシを見かけなくなっていたのですが、いました!
すんごい。植物の表面が見えない!
アリもいっぱいついて世話してますね。
あ~あ、しょうがないなぁ。ほどほどにしておけよ、木の勢いに影響が出そうになったら、実力行使に出るぞ。と。
甘いかな。

アンスリウム(ですか?)

0814satoimoka 8月14日
東急線蒲田駅。花の咲いているポッドを次々に置く場所です。(その場で育てているのではないということです)。

さて、見るからにサトイモ科。仏炎苞を鑑賞するのですね。
植物に知識の貧しい案山子には、これは何何だ、と即座には言えない。
噂に聞くアンスリウムではないだろうか、と思うわけですが、ちがうかなぁ。
アンスリウムという言葉は、ドリームズ・カム・トゥルーの歌で耳にはさんで、どんな花かと調べたことが昔にあっただけなんで、自信がありません。よろしくご判定ください。

トサカフトメイガ

0813_8tosakahutomeiga1 8月13日
クルミの葉が糸で丸められています。
これはトサカフトメイガの幼虫の仕業です。
網を透かして幼虫が見えますね。
この幼虫、イモムシというイメージとはかなり違いまして、すごく敏捷です。
0813_8tosakahutomeiga2
中を開こうとしたら、自分でぴょんと跳び出して道に落ちました。
これがその幼虫。
今さら一匹殺しても、クルミの木にはかなりたくさんいますのでしょうもないのですが、やはり、ここは食害は少なくしたい。
で、殺しました。

成虫の画像や詳しい情報は下のサイトなどご覧ください。
http://aoki2.si.gunma-u.ac.jp/youtyuu/HTMLs/tosakafutomeiga.html

http://www.jpmoth.org/Pyralidae/Epipaschiinae/Locastra_muscosalis.html

同定できません

0813_7nanda 8月13日
チャタテムシの仲間か、キジラミの仲間か、よくわかりません。
気づいて1枚撮ったら、弾けるような感じで消えました。
なんだろうなぁ。

クスノキ

0813_5kusu1 8月13日
これ、何の変哲もないクスノキの葉っぱです。
0813_5kusu2
黒い矢印で指し示した2カ所。よく見て下さい。ちょっと膨らんでいるのですね。
0813_5kusu3
光の当て方を工夫して、この2カ所が膨らんでいることを反射光で確認できるようにしてみました。いかがでしょう?わずかですが膨らんでいます。
さて、なんでこんな写真をお目にかけるのか、面白い知識を仕入れてしまったので、みなさんにもご紹介したくて。

「日経サイエンス」 2010.09号の
茂木健一郎 科学のクオリア:身近な植物の意外な戦略
ゲスト:多田多恵子(植物生態学者)

こういう記事を読んだのです。ではみなさんも、その部分を読んでみてください。

  クスノキの小さな味方
多田:ここの葉脈の、枝分かれになった根元のところを見て下さい。ちょっと膨らんでいますね。なぜだかわかりますか。
茂木:全然わからないです。養分の流れの問題?
多田:これ、ダニ部屋なんです。この中にダニが棲んでるの。
茂木:へえー。虫こぶと同じようなものですか。
多田:そうそう。中に虫がいるから植物の組織が膨らむんです。
茂木:そうなんだ。何割くらいの確率でダニがいるんですか?
多田:多分、どのクスノキにもいます。
茂木:知らなかった。面白いな、こんなに一体化してて、。これって、ダニにとってはどういう意味があるんですか。
多田:ここに棲んでいるのは草食性のダニで、植物の軟らかい内側の組織の汁を吸っているんです。植物にとっては栄養をとられちゃうわけですが、ダニはこの中にしかいないので、割と無害です。で、このダニは増えると、裏側の開口部からチョロチョロ出てくる。
茂木:そこに白いのが走ってるけど。
多田:それは違います。顕微鏡でないと見えないくらい小さなダニです。で、これが出てくると、別の肉食性のダニが来るんです。そして草食性のダニを食べるんですが、それだけではなくて、もう一つ、徘徊している別のダニも食べます。
茂木:はい。
多田:そっちのダニは、葉っぱをクルクルと巻いちゃうんです。巻かれると光合成をするのに不利になるので……。
 ・・・
茂木:クスノキにとっては、こっちはもっと困ると。
多田:そうなんです。だから草食性のダニを飼っておくと、肉食のダニを呼び寄せて、葉っぱを巻いちゃう奴を食べてもらうことができる。
茂木:少しの被害で大きな被害を食い止めている。寄生されているというより、呼び込んでいるんだ。
多田:呼び込んでます。
茂木:やっぱり聞いてみるもんだなあ。専門家って、すごいね。よくそんなことにきづくもんだね。
 ・・・

さて、もう一度、冒頭3枚の写真を見返して下さい。そういう、植物と動物のドラマがここで繰り広げられるのですね。すごいでしょ。読んでいて嬉しくなってしまって、我が家のクスノキを早速見に行ったら、確かに膨らんでいました。すごいですねぇ。植物の戦略。
一緒に進化してきたんですね。クスノキもそのダニも。
ですから、もし、そういう草食性のダニがいない他所の国の環境のようなところへ、クスノキを移植すると、葉を巻かれっぱなしになって、クスノキが繁茂できないかもしれない。
あるいは逆に、どのダニもいなくって、やたらとクスノキの勢いが強くなって周りの環境を圧迫するかもしれない。
長い時間をかけて、食うもの食われるものが共に進化してきて今の生態系を作っているわけです。これを、ヒトの浅知恵でいじってはいけないのですね。

好奇心だけで生きているようなかかしさんには、こういう話は「大好物」です。
あ~面白かった。まんぷくじゃ。

2010年8月26日 (木)

ルコウソウ

0813_4rukousou 8月13日
ルコウソウが咲き始めています。
気温は相変わらず猛烈に高いですね。
夜中の室温が30℃近くあるのには参ります。
25℃まで下がってくれたら、涼しい!という気分になりそうです。

私たちも、日の出が遅くなったな、とか、夕方が早まってきたな、という感覚は持ちますが、植物はもっと太陽を利用していますね。

ルコウソウは短日植物でしょう。アサガオもそうですね。
夜の暗い時間が長くなってきたことを感じとって、花芽を用意し、花を咲かせ、結実へと向かうのです。
気温を指標に使うと、年ごとに暑かったり寒かったりして、結実の時期が不適切な時期になってしまう恐れがあります。それに対して、日長は、太陽の位置そのものを示していますので、適切な時期に結実できることになります。
植物はもともと太陽暦で生きているんですね。

実は朝顔市が7月に行われるのは少々不自然。アサガオを露地に植えておくと、花が盛んになってくるのは8月に入ってからでしょう。短日処理をしているのではないですか。
電照菊は、照明を当てて、まだ日は長いよと菊をごまかしておいて、突然、日を短くして花の咲く時期を狂わせる技術ですね。

植物を自然の太陽暦で生きさせてやりたいな、と私は思うわけです。

ニクバエの仲間

0813_2hae 8月13日
カニクサなどを登らせているネットです。
ニクバエの仲間のハエが交尾していました。
腹部に、ある種の市松模様がありますので、ニクバエということは多分あっていると思います。
嫌いな人はゲッと思うでしょうね。
でもまぁ、動物の排泄物などを、土にかえす仕事をしているのですから、全滅させようなどとは考えないでくださいね。

仕事を分担して生きる、それが生態系です。
システムの一部だけを嫌いだからと切り捨ててしまったら、どういう影響が全体に及ぼされるのか、人間の小さな知恵では分からないのですよ。
ヒトも当然生態系の一部として生きることを目指しましょう。

セミ(保護色)

0811_13semi1 8月11日
今、セミが盛りですね。
我が家では、多摩川線の電車の音や、新幹線などの音も近く聞こえますので、そういう人工音に慣れた耳には、セミの声は大声で賑やかですがうるさくはありません。精一杯、生きる活動が耳触りなどということはないのです。

さて、上は枝にとまったミンミンゼミ。ちょっと暗いですが分かります。
この写真を撮った位置から、右の方、アブラゼミの声がします。
音源の方向を大体確認してからその方向を見ると
0811_13semi2
これクスノキです。
アブラゼミがとまっています。お分かりになりますでしょうか。
画面中央、対角線の交点のあたりにいます。

何とか工夫してみました。
0811_13semi3
こうすれば見えますよね。
なかなか、見つけにくいものです。
むしろ、真横から、体の盛り上がりの姿を見るとセミの形がよくわかるのですが、この位置ではそういう写真は撮れませんでした。
紛らわしいやっちゃ。アブラゼミとしては、紛らわしければ「うまくいった」ですよね。

擬態(かな?)

0811_11batta1 8月11日
線路際の柵に伸びているアサガオ。
ぼんやり眺めていたら・・・ん?なんだ?
よく見ると、アサガオのつぼみにオンブバッタがしがみついているのですが。
色といい、とんがりぐあいといい、うまくまぎれていますねぇ。
0811_11batta2
かくれながらそっと覗いている、というアングルを探してみました。
いかがでしょう。
触角の先端がつぼみの上に出ています、なかなかの「擬態」ですね。
0811_11batta3
コンクリートの柵に体重を預けて背側から撮ると、こういう状態なのです。
こいつつぼみを食べる気ですかねぇ。
0811_11batta4
顔のアップ。
ちぇ、みつかったか、しかたないな、という顔をしていませんか。
食べても食べなくてもどっちでもいいよ、とその場を離れました。
後で見ましたが食べていった形跡はなかったですね。

ナガサキアゲハ

ちょっと残念なお話をします。
0731_1nagasakiageha 7月31日に撮影した終齢幼虫。
0807nagasakiageha 8月7日には蛹になりました。
飼育ケースの角のところです。気にはなっていたのですが
8月14日、羽化しましたが、失敗して、ケースの底に落ち、翅が伸びきらないまま乾いてしまいました。
外へ放してやるわけにはいかなくなりました。
花を採ってきてそこへとまらせて蜜を吸うように誘導したり、空き瓶の蓋に、薄い砂糖水をしみ込ませた脱脂綿を置いて、チョウをつかまらせて砂糖水を吸わせたりしました。
2週間弱生きて、死にました。
寿命いっぱい生きたというには少し短かったかな、とも思いますが私たちの支援ではここまででした。ごめんね。

窮屈そうに見えたりしたら、あえて、蛹を壁から切り離して、紙の円錐に移して広くて足場の安定した状態で羽化させる方がよいようです。
現在、ちょっと心配なアオスジアゲハの蛹がいますので、紙の円錐に移そうと思っています。

卵の孵化率、幼虫の蛹化率、羽化の成功率、飼育下でもなかなか思うように育ってはくれないものです。
でも、やっぱりチョウを育てたい夫婦です。
ご声援ください。

日時計

0811_10kibanakosumosu 8月11日
キバナコスモスです。
この花も最近増えましたねぇ。
増えすぎかな、という気がしないでもない。
ミツバチとかチョウとかに人気のある花です。

撮影は8時20分頃。
まるで日時計でしょ。この影の位置が午前8時ころを示しているのです。
大きな花時計というのはありますが、一つの花でも日時計になりそうだな、と、そんなことを思いました。

ツバキ

0811_9tubaki 8月11日
どうということもない写真です。
庭の隅にあるツバキです。
時間は朝の8:20分頃。
私はツバキに対して西側に立っていて、ツバキを見ていますので、私の側からツバキへさす光はありません。暗がりなんです。
ところが、1か所だけ緑色に輝いている。
近寄ってよく見ると、木の向こう側、東の方からの日射しがわずかに洩れて、この1カ所だけを裏側から照らしているのですね。
すぐ近くにマンションが建ってしまい、我が家は午前中の日射しがほとんどありません。
珍しい角度の日射しが、たまたま1カ所だけ明るくしてくれていました。

そういう写真 です。

ハチ(未同定)

0811_7hati1 8月11日
小さなハチです。
視覚的には「赤いハチ」と見えます。
腹部の前方が赤いだけなのですが、あ、赤いハチ、という感じがします。
0811_7hati2
なんというハチなのか、わかりません。
コバチ?ヒメハナバチ?コハナバチ?・・・
0811_7hati3
ハチに詳しい方がおられましたらぜひご教示ください。
何枚か撮っていて、最後
0811_7hati4
飛び上がった瞬間です。
さようなら。

トカゲ

0811_4tokage1 8月11日
池のそばでトカゲを見かけました。まだ子どもです。
動きが早いので、じっくりとは撮れなかったのですが
0811_4tokage2
よく見ると、尻尾がなめらかではない。
自切したんでしょうね。どんな事態だったかは分からないけれど。
(猫にでも押さえられたかなぁ)

尾の特定の部分に自切面という構造があって、そこで切れます。
どこでも切れるというわけではありません。
切れても、筋肉をぎゅっと締めて、血管からの出血が起きないようにします。
再生した尾には骨はありません。

多分自切は繰り返せません。
子どものうちに自切をやってしまったので、これから成長してももう自切という手は使えなくなってしまいました。
どうか、無事に、繁殖までいけますように。

別の場所ですごく腹部のふくらんだトカゲを見ています。あの個体はきっと産卵したのではないかなぁ。楽しみですね。

アリグモ

0811_1arigumo 8月11日
玄関前のシュロチクの葉の上。
我が家では至るところでアリグモと出会います。
先日はダイニングの窓の内側を歩いていたので、窓を開けて外へ送り出しました。
なんでだろ?
増えたのか?見る側の目が変わったのか?
意識の中にないものは見えませんから、こういうクモが存在して身近で生きているということを認識して下さい。ひょっとすると、あちこちで見えてくるようになるかもしれません。

2010年8月25日 (水)

セミ

0810_9minminzemi 8月10日
コンクリートの電柱にとまってミンミンゼミが鳴いていました。
高さもよし、接近して撮れました。
子どものころだったらドキドキものですね。
あこがれの大型のセミ。でしたもの。

0818_8aburazemi 8月18日
上と同じ電柱です。
青い色は落書きのペンキ。
ここまで接近を許してくれました。
セミの単眼は美しいですね。ルビーのような赤。
アブラゼミは子どものころから普通種でした。あまりあこがれの的ではなかったな。ゴメン。

ヒグラシって声は聞くのですが、実際の虫として採集したことはないかもしれない。
日常的な場所で鳴いてくれなくって。
山の中、という感じしかないですね。

ヒグラシ、クマゼミも最近はこのあたりでたまに聞けるようになってきたのかもしれません。
セミの「相」も変わっていきますね。

オンブバッタ

0810_6batta1 8月10日
オンブバッタがこっちを向いていましたのでチャンス、と、正面顔に迫ってみました。
偽瞳孔のせいで、完全に視線が合った、という感じになりました。
0810_6batta2
おかしなやつでしてね。
顔の写真を撮ったら、おもむろに向きを変えて背中を見せた。跳ばないんですよ、もぞもぞと向きを変えるんです。
後ろ姿も撮ってよね、という感じでポーズを決められては仕方ない。
お~、君は美しい、と。

ササグモ

0810_3sasagumo1 8月10日
今年初めて認識したササグモの幼体。
完全にはまりましたね。このかわいさにはかなわない。
0810_3sasagumo2
後ろから見ているのに、こっちを向いているような模様です。
ササグモ特有の脚の棘。
立派ですねぇ。
でも、サイズ的にはこの棘、ホトトギスの葉の毛と同じくらいの長さなんだなこれが。

何匹が成体にまでいけるのか、シビアな世界ですが、頑張ってほしい。

キイロテントウ

0809_13kiirotentou1 8月9日
キイロテントウです。
妻はこれを知らなくて、黄色いテントウムシがいるわよ、と聞きに来たことがあります。
黄色いテントウムシだから、キイロテントウというんだ、と教えてあげたら、分かりやすい名前ねぇと笑っていました。
黄色いのはもちろん翅。白いところが胸の背面で、そこに黒い模様があります。
さて
0809_13kiirotentou2
こういう風に見ると、黄色い大きな帽子をかぶった顔に見えませんか?
胸部背面の模様が目に見えるでしょ。
人間のパターン認識って面白いものですね。
黒丸が二つあれば目に見えるんですから。
我ながら、自分の脳の働きに笑ってしまいます。
自分で自己言及するとパラドックスに陥るかな?


ムラサキシラホシカメムシ幼虫

0809_12murasakisirahosikamemusi 8月9日
ムラサキシラホシカメムシの幼虫がセンリョウの青い実にやってきました。
いかん、気づかれた、とくるんと裏側へ逃げて行きました。

去年は、このセンリョウの実の周辺ではササグモをよく見かけたのですが、今年はカメムシが多い。そのせいかな、今年はセンリョウの実はあまり熟しそうにありません。まぁ、仕方ないです。虫好きですから。

キマダラセセリ

0809_11kimadaraseseri1 8月11日
キマダラセセリがブルーサルビアの花で蜜を吸っています。
0809_11kimadaraseseri2
口吻を伸ばして、いかにもおいしそう。
イチモンジセセリも、キマダラセセリも、この頭がまん丸いのが、まるで猫みたいでかわいい。
撫でてあげたくなりますが、虫ですからそうもいかない。
愛でてあげるにとどめましょう。

敏捷なチョウではあるのですが、ぼんやりしている時があって、そういうときは、ついと指を伸ばすと挟みつかむことができるんですよ。
昔、カマキリのエサが乏しくなってしまった時は、そうやってセセリをつまんで来てカマキリにあげたこともあります。罪深いなぁ。懺悔、ザンゲ。

ヒメグモ

0809_9himegumo_g 8月9日
これ、ヒメグモだと思うのですが。
腹部が薄い緑色。でも、網の張り方、腹の模様、どうみてもヒメグモのような気がする。
クモの図鑑を開きましたが、よくわからない。
0811_himegumo_g 8月11日
変わらず、薄緑の腹。
0816_himegumo_g 8月16日
あれれ。同じ場所ですから、同じ個体だと思います。
腹がオレンジ色になっています。
0817_8himegumog 8月17日
もういいですね。ヒメグモの体色変化というものがあるのでしょう。
知らなかった。
初め見たときは、びっくりしました。
これからは、このくらいの色違いがありうるという目で見る事ができるようになりました。

終戦忌

2010.8.23付 朝日俳壇より
語り部の二十に還る終戦忌:(福岡市)信岡可子
 大串章 評:太平洋戦争が終わった時、この語り部は二十歳であった。その日のことを思い出しながら感慨深げに語って聞かせる。

さて、また選者にたて突きますが。
作者は「還る」とおっしゃっています。
語り部として戦争のことを語るとき、時空を超えて、あの時に立ち還り、そこに現在の意識も重ね合わせて、戦争の悲惨について語って下さいます。

「思い出しながら感慨深げに」というのは、意識を現在に置いて記憶をよみがえらせるだけです。「還る」という表現とは少し違う気がします。
どこに立って語るか、その立ち位置を見誤っていませんか。

「思い出しながら感慨深げに」という語り方は、往々にして、あの「懐かしい」時代はそれなりに良かった、に陥りがちなのです。そこは注意しなければなりません。
記憶は風化し、浄化されます。記憶を産み出した歴史の事実をつかみ取るようにしなければ、懐古談に陥ります。
どうか、そのあたり、失礼にはならないように、でも、注意してお聞きください。

精霊会

2010.8.23付 朝日俳壇より
精霊会やがて無縁の仏の身:(いわき市)星野みつ子
 長谷川櫂 評:いずれはだれしも無縁の仏となる。星くずとなって宇宙に抱かれるように。精霊会とはお盆のこと。

せっかく「千の風」も流行っていることですし、この際、みなさん、「私の墓標はこの地球」と悟ってしまいませんか?
永代供養なんて生易しいものじゃないですよ。太陽系が果てるまで、私の墓標は宇宙を進む。これから50億年くらいはまだ太陽は輝き続けますからね。
いいでしょう。雄大だ。

地球に生まれ、地球に還る。生命の循環過程に、現れては消える。名もなく生まれて名もなく去る。実にすっきりしていると思いませんか?
地球上のどの国に生まれたとか、なんだんかんだ、くだらないですね。私たちは地球に育まれた生命なんですから。

そんな風に生命のありようをきちんと認識して、ヒトの世界の、つまらぬごちゃちゃから離れ、自己を解放する。
そうすると、苦悩が消えてしまいますよ、というのが本来の釈迦の教えであったはずです。
執着を離れなさい。一切の執着をはなれなさい。とね。

蜘蛛の囲

2010.8.23付 朝日俳壇より
蜘蛛の囲のごときものもて一句待つ:(佐賀県有田町)森川清志
 長谷川櫂 評:俳句を考えているとき、おそらく脳が活発に働いているのだろう。そのイメージを蜘蛛の囲にたとえた。ほのかに明滅しながら獲物を待つ網。

句を考えている、というよりも、句になる題材が意識に引っかかってくるのを待っている、と言ったほうがよくはないですか?
もちろん脳は活動しているのですが、能動的にあれこれと探しまわる、というような活動をしているわけではない。

私の造語になりましょうか「分散的集中力」の状態にあるのでしょう。
集中力というと、何か一つのことに絞っていく感じですが、そうではなくて、精神の活動は静かにゆったりとさせたまま、広く意識を分散させながら、そこに引っかかってくるものを、かすかなものであってもとらえるような精神作業というイメージなんです。

静かに、脱力して、耳を澄ませ、他の五感も研ぎ澄ませた状態で、静かにしている。

これが作者のいう、精神に張り巡らせた「蜘蛛の囲」でしょう。
いざ、何かがかかったら、全力を挙げてそれを捉える。蜘蛛も作者も。
そう、これは句になる、と捕えた瞬間から、「俳句を考える」ことに活発に脳が働き始めるのです。

選者は、ちょっと、ポイントがずれたようですね。
「ほのかに明滅しながら獲物を待つ網」これはよくわからないイメージです。
「しずかにそよぎながら獲物を待つ網」を張って、しずかに待つのです。

空蝉

2010.8.23付 朝日俳壇より
空蟬や歩みて来る高さあり:(藤沢市)寺田篤弘
空蝉の力を抜かぬままにゐる:(岡山市)大本武千代

こここそが、自分が羽化して成虫になるのによい場所だ、という判断をそのように下すのでしょう。実にいろんなところで脱け殻を見ます。
脱皮中にアリに襲われてはならない。殻から出て翅を伸ばすとき何か遮るものがあってはならない。いろいろな条件があるのでしょうが、ちゃんと自分で探して、体を固定して、羽化に至る。不思議なことです。
幼虫が歩きまわるときには、二重になった成虫の体はまだやわらかくて、成虫の筋肉が幼虫の体を運ぶ。そうして、脱皮中に落ちないように、ざらざらな面を選び、脚を固定する。この時にはおそらく力もこめるでしょう。
それ以降は、足に力を込めてはいません。成虫の体内にある筋肉はもう、脱け殻の固定にかかわることはできないのです。
背中が割れ、上半身をのけぞらせて脚を抜きます。この状態でしばらくじっとしていて、細い脚は乾燥が早いですから、ある程度体重を支えられる硬さになるのを待って、体を起こし、脚で脱け殻につかまり、下半身を引き抜きます。
後は、脚で体を吊るすように支え、体液を翅に送りこんで翅を展開し、体が乾燥して固くなるのを待ちます。

何度見ても心揺さぶられる光景です。どうしてこんなことができるんだろう?感動にとらわれます。

ところで、セミは幼虫の期間が長くて、成虫の期間は瞬間のように短い、ということはよく知られています。
人間的に見ると、人生の価値は「大人」になってからであり、子ども時代は準備期間、というように考えてしまいます。
そのような目でセミの生涯を見ると、大人の期間が短くてかわいそうだ、存分に生を謳歌出来ていないのではないか、と考えがちです。
でも、そうでしょうか?
圧倒的に長いいわゆる幼虫期間こそがセミにおける人生であり、おいしい木の根の液を吸いながら、生を堪能しているのではないでしょうか。
その長い人生(虫生)の終わりに当たって、生殖世代に変身して、命を引き継ぐ仕事をしに出てくるだけ。
リスクの大きい、生殖という仕事を最後に成し遂げる、実に充実した虫生なのではないでしょうか。
成虫をヒトの大人に、幼虫をヒトの子どもになぞらえて虫の命を見るのをやめると、また新たな視界が開けてくると思いますよ。

胎児

2010.8.23付 朝日俳壇より
拳ほどの胎児でありし八・一五:(埼玉県宮代町)酒井忠正
 金子兜太 評:栄養不足で小さかった胎児。あの胎児がどうやら育って、ここに。

作者は「胎児」といっておられます。胎児という言葉は、母の胎内にいる状態をさします。
ですから、8・15の終戦の日、自分は母の胎内でまだ「拳ほどの大きさ」に成長した段階の胎児だった。その時、自分は、この世の空気さえ吸ってはいなかった。その後、出産を経て、成長し、生き、今に至る。
作者は、その過程、時間の流れに大きな感慨をもたれた。

栄養不足で小さかったわけではないと思いますよ。戦後の栄養不足が大きく問題になるのは、「嬰児」になってから。

ちょっと、言葉の意味のずれがあるような気がしました。

えい‐じ【嬰児】
①生れたばかりの子。あかご。ちのみご。みどりご。
②生時から3歳位までの子供。

たい‐じ【胎児】哺乳類の母胎内で生育中の幼体。

                    [広辞苑第五版]

2010年8月24日 (火)

生きてる

2010.8.23付 朝日歌壇より
死ぬために生きてるようなものなんだ声出してみる人の居ぬとき:(岡山市)小林道夫
 永田和宏 評:小林氏は癌の再発と闘う。

評にある通りなので、私ごときが何かを言えるような立場ではないのですけれど。

私はなぜ生きているのか?
生まれてきたからです。
生まれたからには、死ぬまでの間を精一杯生き抜くしかないでしょう。
そういうことです。
死ぬために生きている、それは真実です。
一人で裸で無名で生まれてきて、一人で裸で無名でこの世を去る。
何も恐れるようなものはありません。
死ぬときって「痛くないの」「辛くないの」。
いえいえ、人間の脳って、よくできたものでしてね。最後は、自分で自分をシャットダウンしますから、痛くもかゆくもないんですよ。
過去に亡くなった方々が、全員、痛かったり辛かったりしたら、今頃この世は怨念だらけ。
みなさん、静かに逝かれるのです。
これ、浅学の私ですが、保証しますので、皆さんご安心を。

いい人

2010.8.23付 朝日歌壇より
「いい人ですね」云われる少しの快感が僕にもう一つ嘘をつかせる:(熊本市)近藤光弘

具体的に何がどうだったのか、よくわからないのですが、「いいこと」をしたんでしょ。それでいいですよ。

朝日新聞の読者投稿欄「声」にこんな投稿がありました。14歳の中学生です。

[声]「偽善」の行為も「善」のうち(8/21)
 塾の夏季講習の帰り、僕が駅で電車から降りようとすると、先に降りたおばあさんが座席に日傘を忘れていった。僕はとっさに日傘を持って追いかけ、手渡した。おばあさんはとてもうれしそうに礼を言ってくれた。僕はとても良い気持ちになれた。
 ところで僕がおばあさんに日傘を渡したのは、何となく格好いいと感じたからだった。それは人から良く見られたいという偽善だと思ったし、この猛暑で日傘がなくてはおばあさんは大変だっただろうことには後で気づいた。しかし、おばあさんにとっては僕の内心は関係ないことだ。また、人が親切にする行為は、幼少時に親や周囲に褒められるとうれしいから始めるのだろう。それを何度も経験するうちに自然に心と体が動くなるようになるのではないか。
 結局、僕は、どんな気持でも、何が目的でも、とりあえず行動してみることに価値があるのだと考えた。

いかにも、中学生らしいなぁ、とニコニコ。こういう観念性がこのごろ欠けてるんですよね。なんでも実利ばっかり。中高生のころは観念的に生きていいんです。
善とは何か、偽善とは何か。いいぞいいぞ。
余計なおせっかいはいかんでしょうが、これはまさしく「善」ですよ。それ以外の何物でもない。

上に掲げた歌の作者、いい嘘ついてくださいな。
いい嘘は善ですよ。
自分にだけは正直であればいい。自分に対して嘘をついてはいけないけれど。

あめの匂ひ

2010.8.23付 朝日歌壇より
いつまでも二人でゐられるものでなし雨はあがれどあめの匂ひす:(名古屋市)伊藤美子

どういう情景かな。雨宿りでしょうか?
思い切って読みこんでしまうと、片思いの男性と一緒に雨宿りのチャンスがあった、のかな。
雨はやむ。いつまでも一緒にいられるわけではない。
雨上がりの匂い、大きく深く呼吸して。
別れて帰ったのかな。

◆突然、全然、思い入れも何にもなし!
東京に雨降れ~。
暑いよ~。夕立くらい会ったっていいじゃないか、っ。
少しくらい、ホッとさせてほしいなぁ。
高齢者年少組(前期高齢者)のじいさんとしては、この暑さは辛いゾ。

家族写真

2010.8.23付 朝日歌壇より
戦死した父も並んだ唯一の家族写真を母の柩へ:(米子市)川戸萌
 永田和宏 評:はるか昔の黄ばんだ家族写真。父と母の居る唯一の写真を柩に入れることで、家族の記憶に大きな終止符が。

私はこの歌を読んで、王貞治氏の御母堂が亡くなられた時の氏の言葉を思い出していました。(太字は筆者による)

王貞治さんの母、王登美さん死去(2010年8月17日12時53分)
 王 登美さん(おう・とみ=プロ野球福岡ソフトバンク・王貞治会長の母)が16日、肺炎で死去、108歳。葬儀は密葬で行う。
 富山市出身。中国・浙江省生まれの夫、仕福(しふく)さん(故人)と東京都墨田区に中国料理店を開業。次男の王会長らを育てた。王会長の現役時代は自ら巨人戦のチケットを購入し、球場で応援した。
 王会長は「108歳の天寿を全うしてくれました。長い人生で様々なことがあったと思いますが、力強く生きてくれたことは、息子として誇りです。これからは父親のそばで、まずは出会いを楽しんで欲しいです」と球団を通じてコメントを出した。

戦争で夫を亡くし、戦後、一人で子を育て上げた。
お疲れ様でした。あの世で、父さんともう一回出会って楽しい青春の日々を再現してください。
もう頑張らなくっていいんですよ。思う存分父さんに甘えてください。
そんなメッセージが込められているような気がして。

2010.8.23付 朝日歌壇より
囂(かしがま)し囂(かしま)し蟬のひと枝につらなりて鳴くああ囂(かまびす)し:(八尾市)水野一也
 高野公彦 評:囂しいを三回重ねて蟬の喧騒を表現した水野氏。機知に富む。

「囂」
読めました?この字。
私は読めませんでした。

かしがま・し【囂し】形 シク:(古くは清音) やかましい。うるさい。かしましい。かまびすしい。蜻蛉日記下「くつくつぼふし、いと―・しきまで鳴くを」

かしまし・い【囂しい・姦しい】形 かしま・し(シク):やかましい。かまびすしい。落窪物語3「あな―・し。…な言ひそ」。「女三人寄れば―・い」

かまびすし・い【喧しい・囂しい】形 かまびす・し(シク):(古くはク活用、中世以降シク活用) やかましい。さわがしい。為忠集「―・く鳴くひよどりの」。方丈記「波の音常に―・しく」
   いずれも広辞苑第五版より

ツクツクホウシが「かしがましく」鳴くんですね。そうだったんだ。知らなかった。
いやはや、知らないことのみ多かりき、です。お恥ずかしい。

案山子

2010.8.23付 朝日歌壇より
わが人生四十五年を教室に立ちて暮れたり案山子のごとく:(青梅市)津田洋行

どうも、わたくし自身「(一本足の)案山子」を名乗っておりますもので、気になってしまいました。
45年ですか、存分に立ちつくされましたね。
わたしの場合は、31年しか教壇に立てませんでした。教諭としては26年です。短かったな。やはり障害者というものの衰えは速いよな。教諭としてのフルサイズの勤務には体が耐えられなくなってしまった。ハーフサイズの勤務というものがあれば、もう少し続けられたかもな、などとも思います。

教壇に立つ。生徒の成長に立ち会う。それはまさしく「案山子」です。
毎年毎年、苗が伸び、花をつけ、稔り、収穫される。
この過程に立ち会い続けるのが案山子の役割でしょう。

毎年毎年、新たな生徒と出会っては育て、送りだす。
作者のもとで育ち旅立って行った方々の稔り多き人生を祈ります。

あの夏

2010.8.23付 朝日歌壇より
あの夏を忘れる事は許されぬ原爆、落とされ戦争、終わった:(大阪市)大江亜矢

この歌には2点、「?」があります。

新聞紙上では「落とされ」のところでたまたま行がえが起こったので読みやすいのですが、上のように一行で書くと、なんだか読みにくくありませんか。読点の位置はこれでよいのだろうか?敢えてこの位置で切って読んでほしい、という表現なのでしょうが、そのことの意味が私には判然としないのです。

あの夏を忘れる事は許されぬ、原爆落とされ、戦争 終わった

ではないのか?

「原爆を落とされた→戦争が終わった」という論理は、原爆を投下した側の論理に近づいてはいないだろうか、というのが2点目。
原爆があの戦争を終わらせ、より多くの命を救ったのだ、というのが投下した側の論理ですね。
実際、あの原爆の威力の前に戦争を続けることができなくなり敗戦に至った、そのこと自体はそうなのだろうと思いますが、原爆を投下したこと自体は許されざることです。
そのあたりが、まぎれてしまいそうで、もう少し別の表現にならないかと、考えますが、私の手には余ります。

工夫の余地があるように感じました。

絵日記

2010.8.23付 朝日歌壇より
絵日記はしあわせすぎたらまっしろけ毎日ざぶざぶ惜しげなき日々:(川西市)市森晴絵

前の「父の日」と同様、この歌も、いろいろ想像の広がる歌です。
「惜しげなき」というところで、作者の年齢が推測されますが、そこまでの部分は、大人か子どもか、両義性があります。
子どもの歌だったら:絵日記はしあわせすぎたらまっしろけ毎日毎日どんどん過ぎる
というような感じになりましょうか。

お母さんの「目」でしょうね。書くべき変化波乱もなく、夏の日々をまるで浪費するかのように過ごしている・・・大人になった自分の時間感覚とは異なった時間を生きる子への、ある種遥かな思い、でしょうか。
まずい、何か「句読点」のような日をつくってあげないと、真っ白なままの提出になってしまう、と焦っておられますか?

◆私が小一の時でしょうか、毎日毎日、同じことを書いたらしい。朝起きて、虫取り網持って、虫取りに。ばっかり、だったのかな。
母親はまずいと思ったらしく、ある一日、洗足池へ連れて行ったのですね。多分その時に初めてウシガエルのおたまじゃくしを見てあまりの大きさに感動したのだった、と思います。
あんたおんなじことばっかり書くから、あせったのよ、と、後に私に語ってくれて、記憶が補強されたのでした。

父の日

2010.8.23付 朝日歌壇より
父の日に何を買おうと困ったが結局買わずかたたたきする:(柏原市)島田真菜実

この歌、作者は名前からして女性でしょうね。
さて、歌だけを見ることにしましょう。
作者の性別も年齢も不明である、歌だけがある、として読みこんでください。

小学生くらいの子(男女不問):父の日にプレゼントしようと思ったんだけれど、おこづかいは自分で使っていいんだよ、とか諭されたり、何を買ったら喜んでもらえるか分からなくて、結局、肩叩き券をつくるとか、肩叩くよ、ということになった。
肩叩きされる父の方は、小さな拳の力を背に感じて嬉しかったりして。

成人した娘:ネクタイもベルトも、今いちありふれてるなぁ。子どもの時風に肩叩きにしようか。父、照れる。とうさん意地張ってないで肩叩かせなさいよ、と。女性のやわらかな手を感じる。大人になったのだなぁ。

成人した息子:父親に何か買ってくるということに、息子は照れる。父の日だぜ、肩叩こうか。
あまえなぁ、手加減しろよ、肩がほぐれないで、却って痛くなるぞ、とぶつぶつ。でも、大きな手で叩かれ、力強くもまれると、感慨ひとしお。昔は腕相撲しても勝てなくてむきになってかかってきた息子、もう腕相撲には勝てないな。

老年期へかなり入り込んだ父親に:今さら何を買ってあげるという年でもなし。何十年も昔にかえって、ここはひとつ、肩でも揉んであげようか。
がっしりとした大きな方だったはずだが、こうやって今肩叩きをしていると、小さくなってしまったなぁ。

まだまだ色々なシチュエーションが考えられます。
一切の介在情報を排して、作品だけで想像世界を広げてみてください。

塩卵

2010.8.23付 朝日歌壇より
父が仕掛けし塩卵呑みし青大将見事果ており鶏小屋に:(浜松市)仲村正男

塩卵って何ですか?
検索してみたのですがよくわからないのです。
アオダイショウに陶器の偽卵を飲ませるという話は聞いたことがあるのですが、塩卵って何だろう?
塩を固めて何かに包み、アオダイショウが呑みこむように仕掛けるのでしょうか。そうすると、アオダイショウの体内で濃い塩水が生成してアオダイショウが死ぬ、とかいうのかな?

ご存知でしたら教えてください。

黄揚羽

2010.8.23付 朝日歌壇より
黄揚羽は芹の一群めぐりし後真珠のごとき卵を産めり:(久喜市)布能寿子
 馬場あき子 評:黄揚羽の幼虫は芹や人参の葉を食べるので、蝶は卵をそこに産みつける。芹の群落を確かめて生んだ「真珠のごとき卵」、の表現に愛情がこもる。

余計なひと言。「一群」は「ひとむら」と読むのでしょうね。

キアゲハの幼虫の食草はセリ、ハマウド、シシウドなど、セリ科の植物です。またニンジンやパセリにも来ます。ですから、家庭でプランターでパセリを栽培すれば、まず間違いなくキアゲハが来ますよ。
結構、派手な警戒色になります。
幼虫図鑑でご覧ください。↓
http://aoki2.si.gunma-u.ac.jp/youtyuu/HTMLs/kiageha.html

メスの成虫は、視覚・嗅覚で食草を発見するのでしょうね。
その上で、前脚で葉の表面を叩いて小さな傷をつけ、そこからでる物質を脚の先端の受容器で「舐めて」味見して、食草として適していることを確認して産卵します。
産卵時には、腹部先端にある光の受容器で、腹端部が葉に密着して「暗くなった」ことで確認して卵を産み出すようですね。お尻の目として有名な話です。

キアゲハじゃないんですが、アオスジアゲハの真珠のような卵をご覧ください。もう既に使った写真なのですが、再掲します。
0804_1aosuji1
クスノキの枝にくっついています。
ところで、この写真を前に使った時に書き忘れていたことを思い出しました。
{俳歌倉じゃなくなってしまってゴメンナサイ}
0804_1aosuji2
卵の部分だけ、全く縮小なしでトリミングするとこうなります。
上の方に黒いポチが二つありますね。なんだろうコレ?
幼虫の目は側単眼という小さい目が複数あるので、これ、目ではないと思うのですが、なんとなく、人間の属性として、黒いポチが二つあると目に見えるんですよねぇ。
そんなことを書きたいと思っていて忘れていました。
人は、黒丸が二つあると「目」あるいは「顔」と認識します。
進化上、そういう認識を自動的してしまうことが有利だったんでしょうね。
決して、私たちは外界をありのままを見ているわけではない、パターン認識の過程でかなりいろいろのバイアスがかかっていることを自覚すべきですね。
心霊写真とかいうのは基本的に全てこのバイアスを利用したものです。

オンブバッタ(でしょう)

0809_8batta1 8月9日
今回、登場願ったのは、虫の種類ということではないのです。
オーシャンブルーの葉なのですが、穴が開いてますね。
この穴を開けた「責任者」はこのバッタではないかと思うのですね。
で、考えてみると、結構妙なんですよ。

チョウの幼虫を長く飼育してきましたので、チョウの幼虫たちが葉を食べるところは何度も見ています。
昆虫の口器は元来、一つの体節に1対ある肢が起源なんですね。
いくつかの体節をまとめて頭部をつくった、その時、肢のうちあるものは口器になり、あるものは触角になる、などしたわけです。
そういうわけで、昆虫の口器は肢が起源ですから、左右に開閉するのですね。(体軸に垂直な方向といってもいいです)。
脊椎動物の口は上下に開くでしょ、ヒトも。そこが違うんですね。
さて、左右に開閉する口で薄い板状の葉を食べるとなると、葉のふちに行って、葉の裏表を左右に開閉する口ではさむのが自然ですよね。
実際、チョウの幼虫たちはそのようにして葉を食べます。頭を上下に振りながら、葉のふちををえぐって食べます。

そういうつもりで、バッタの写真を見てください。
どうやって、その穴開けたんだよ、っ。その口で。
左右に開閉する口で、その穴を広げていくのはかなり効率悪いんじゃないのかい?
上下に開く口じゃないんだから。
というのが私の疑問なんです。
しゃくるように口が動かせるのかなぁ。
チョウの幼虫にはそういう穴は開けられないし、穴を広げていく食べ方も出来なさそうですよねぇ。

変なことに気づいてしまったのでした。
0809_8batta2
もう一回、ながめてやってください。
いかがでしょう?
この穴を、どうやって開けたのかなぁ?

ササグモ

0809_7sasagumo 8月9日
ササグモのお母さんの、卵の守は続いています。
脚だけがみえていますでしょ。
ひっくり返して守を放棄させたりしたら申し訳ないので、脚だけ写して引き下がりました。

この周辺には、先に孵化したササグモの幼体がパラパラとあらわれますので、当分、そっちの方のかわいい姿をご報告することにします。

ツヅミミノムシ

0809_2tudumiminomusi 8月9日
ツヅミミノムシが池に落ちていたと妻が拾ってきました。
中の虫は死んでいます。
正式な名前は「マダラマルハヒロズコガ」の幼虫です。
2008年にこの「かかしさんの窓」で生きたツヅミミノムシの観察記を書きました。
http://yamada-kuebiko.cocolog-nifty.com/blog/2008/06/post_05cd.html
ここです。是非お読みください。

この「ミノ」の形が面白いので、見かけたら観察してみてください。

アオスジアゲハ

0808aosuji 8月8日
アオスジアゲハの幼虫です。2齢くらいかな。
今「いっぱい」飼育中で、数が把握しきれません。
もう蛹になったのもいます。
日々、蝶暮らし。
0809_1aosuji1
青い幼虫になりました。
この姿で脱皮を2,3かい繰り返して終齢にいたります。
0809_1aosuji2
1齢の幼虫が体をくねらせていたので、何だろう?とよく見たら
脱皮でした。
脱皮の瞬間というのはなかなか見るチャンスはないのですが、うまく見られました。

アオスジアゲハも、何か特記すべきことがあれば幼虫・蛹の記事を書きますが、それ以外は羽化の時だけにしましょう。

暑い日々が続きますが、チョウたちは元気です。
皆さんも、もう少しです、暑いけど頑張りましょう。

クロアゲハ羽化:2

0807kuroageha3 8月7日
ランタナの花につれていって、花にとまらせました。
きれいでしょう。
翅の模様などじっくり見てあげてください。
0807kuroageha4
ほら、すごいでしょ。
ふさふさ。
複眼には、太陽光の反射とカメラのフラッシュの反射が写っています。

見ている間は蜜を吸う様子もなかったので、ゆっくりね、と声をかけて離れました。
しばらくして覗いたらいませんでしたから、旅立って行ったのでしょう。
我が家育ちのチョウを見かけたら、声をかけてやってください。
(むずかしそうだが)

クロアゲハ羽化:1

0807kuroageha1 8月7日
またクロアゲハが羽化しました。
幼虫や蛹時代の写真はこの夏は終わりにして、羽化の時だけ載せます。
0807kuroageha2
ここまではケースの中。
ばたばたするんですが、すぐ舞いあがらなかったんですね。
じゃあ、花にでもとまらせてあげよう、というのが次の記事。

ヒメグモ

0807_15himegumo 8月7日
ヒメグモの不規則網をなんとか写してみました。
上の方にクモ本体がぼんやり写っています。
暗い場所でフラッシュをたいて、網が光るようにしたのですが、いかがでしょう?
「不規則」ぶりが伝わりますでしょうか。
上下左右前後に不規則に張り巡らせています。
円網だと、面に垂直な側からはかなり接近できますが、こういう不規則な網ですと、どこまで近づいたらレンズが網に触れてしまうのかが判然とせず、撮りにくいんですよ。

2010年8月23日 (月)

ムラサキシラホシカメムシ

0807_14murasakisirahosikamemusi 8月7日
重複しますが、センリョウの実から吸汁するムラサキシラホシカメムシです。
口吻のところの状態が非常にクリアに撮れましたので、重複して掲載します。
細い口吻と鞘の関係がはっきり見えますよね。
食事が終わると、口吻を抜き、鞘に納めて鞘ごと胸の方にたたむわけです。
通常、カメムシの腹を見た時にみえる「口吻」は鞘に納まったものです。

実は、蚊の口も同じような仕組みです。
皮膚を刺す針は通常は鞘に納まっているのですね。
血を吸っている時に、よく観察すると、鞘が外れて弓のようになっているのが見えます。
我慢できたら、観察してみてください。
観察したあと叩いちゃって結構です。情を移す必要はありません。

ブチヒゲカメムシ

0807_13butihigekamemusi 8月7日
ブチヒゲカメムシがブルーサルビアに来ていました。
口がどこを刺しているのか判然としませんでしたが、カメムシですから、チョウと違って、花の奥の方、子房の部分、実になりかけのところ、そいういところを狙って外から刺しているのには違いありません。
花の中に頭をつ込んで蜜を吸う、ということはありません。

どこならおいしい液が吸えるのか、どうしてわかるのでしょう?
経験ではないと思うのですよね。試行錯誤を繰り返すには世界は広すぎるし。
何かを目印に最初から狙ってくるのだと思うのですが。
カメムシの見る世界って、どんなものなのでしょうね。

キアシマメヒラタアブ(かなぁ)

0807_12abu1 8月7日
フウセンカズラにて。
アブですよね。
0807_12abu2
黒いけれどクロヒラタアブよりずっと小さくて迫力はない。
フウセンカズラの花と比べていただければ大きさが分かりますね。
腹がぺったんこなんですよ。
そういう意味ではヒラタアブに似てるので、検索してみるとキアシマメヒラタアブが該当しそうです。
自信はないのですけれど、そういうことにします。
腹がぺったんこなのでヒラタアブ、なんだか安易な気もしますが多分、大間違いではないでしょう。

ハチ(としか・・・)

0807_11hati 8月7日
ビヨウヤナギの葉の上で。
実に特徴的な手のこんだ模様でしょ。
明らかに「ハチ」ですけれど、どうにも、種の同定はできませんでした。
ハチの世界は奥が深くってなぁ。私ごときには分かりません。
どなたか、ハチが好きだ、という方、教えていただけませんか?

同定できない昆虫を載せるのは気がひけますけれど、見ちゃったんだもん。
奇麗だし。
名前を知りたいものです。

アオドウガネ

0807_7aodougane1 8月7日
今回は最初から腹部の先端部に注目しています。
この角度から見ると、毛がふさふさしていて、とくにどうということのない腹部です。
0807_7aodougane2
こうやって真後ろに回り込むと、毛を垂直に見ることになってほとんど毛は見えなくなります。
すると、腹部なのにこの金属光沢。
表面の反射のぐあいは、硬い翅の部分と似た感じですね。

あんまり気づかないアングルだからなぁ。今年の発見ですね。面白かった。ありがとう。

ヤマトシジミ

0807_6yamatosijimi 8月7日
ヤマトシジミが、小さなキク科の花に来て蜜を吸っています。
ノゲシのような葉に見えますが、背丈がすごく低いのです。
よくこんな低いところの小さな花を見つけるものです。
わたしはシジミチョウを見ていて花に気づかされるわけです。
虫の動きを見ていると思いがけないものを見せてもらえることもあります。
楽しいですね。

ムラサキシラホシカメムシ

0806_4murasakisirahosi1 8月6日
センリョウのまだ青い実の上です。
センリョウの実ですから、大きさは推定していただけますね。
0806_4murasakisirahosi2
針状の口吻の鞘は曲がって実には突き刺さっていません。針だけが刺さっています。
0806_4murasakisirahosi3
白い矢印で指しているのが口吻。
赤い矢印で指しているのが鞘、です。
鞘が折れ曲がった分、口吻が実に刺さって潜りこんでいるということですね。
刺す部分では、口吻を鞘が支えて折れたり曲がったりしないようになっていますね。

やっぱり植物の実って、液が濃くっておいしいのだと思います。
よくわかるものですね。

ムクゲ

0806_3mukuge1 8月6日
ムクゲのつぼみの赤ちゃん。
つぼみ部分は3mmあるかないか。
0806_3mukuge2
これは大分成長したつぼみ。
0806_3mukuge3
もう咲くところだったはずですが・・・。
これは、アリが花の蜜を採りに来たのではないと思います。
つぼみの中へ潜りこんでいく虫がいて、それにアリがたかっているのでしょう。
アブラムシがつぼみの花弁に「穴」を掘るかなぁ。違うような気もする。
よくわかりません。穴が穿たれているように見えました。
0806_3mukuge4
いかがですか?
右の方の穴の中に、何かの幼虫の腹部が見えているような気もするのですが、判然としません。撮影時にこういうことに気づいていれば、強引に中を割ってみたかもしれませんが、整理していて気づいたので、後の祭りでした。

ヤマトシジミ

0805_8sijimi1 8月5日
こちらはブルーサルビアで吸蜜するヤマトシジミ。
花の上の方から頭を突っ込んでいます。
0805_8sijimi2
すごいでしょ。普通チョウの吸蜜は口吻を伸ばしているのが見えるのですが、今回は違う。
頭から突っ込んでいます。こういうのは珍しい。
蜜のありかが花の奥の方なのでしょうが、でも、ふつうこういう格好はしないよなぁ。
花の長さ=蜜までの深さと、チョウの口吻の長さは釣り合っていて、口吻の長さに見合った花を訪れるものなのですがね。
ちょっとミスマッチだけれど、頑張っているんでしょうかねぇ。面白いものです。

アシナガバチ

0805_7asinagabati 8月5日
背中が見えなかったので、アシナガバチとしかいいようがないのです。
フウセンカズラという花は不思議な花で、チョウも来ますが、結構ハチに好かれる。
アシナガバチや、ツチバチがよく来ます。
で、花に頭を突っ込んでいます。蜜集めということではなく、吸水代わりとか、当座の活動エネルギー補給とかなんでしょうか。

スジコガネ

0805_5sujikogane1 8月5日
今年はいろいろなコガネムシに出合います。
これはスジコガネでしょう。なんだか、自信がないけど。
成虫は針葉樹の葉を食べる、とあるんですよね。困った。
虫ナビを見ると、そう書いてあるのですが、掲載されている写真は針葉樹じゃないような感じなんですよねぇ。食べてなくて休んでるだけかなぁ。
0805_5sujikogane2
困ったね。この葉っぱにある食べたあとは、わたしのじゃないよ、ということかなぁ。
0805_5sujikogane3
我が家には鉢植えの松があるくらいで針葉樹はないのですがねぇ。
幼虫も針葉樹の根を食べるとありました。どこかの松の根でも食べて成長したのかなぁ。

あ、待てよ、イチイがあるなぁ。あれは針葉樹だなぁ。
そのあたりが震源地なのでしょうか。

飛び込み

アサヒ・コムを読んでいましたら、「高さ19メートルの橋から川に飛び込み、18歳男性水死」という記事が載っておりました。8月22日付です。

 22日午後1時25分ごろ、奈良県吉野町菜摘の吉野川で、「橋から川に人が飛び込んでおぼれている」と119番通報があった。周囲の人たちが引き揚げたが、救急隊の到着時は心肺停止状態で、搬送先の病院で死亡が確認された。
 吉野署などによると、死亡したのは、私立大1年○○さん(18)。死因は水死で目立った外傷はなかったという。○○さんは友人の男女計14人で遊びに訪れ、水面から19.3メートル上の橋から水深約3メートルの場所に飛び込んでおぼれたという。○○さんが飛び込む前、友人ら数人も飛び込んでいたとみられ、同署が詳しい状況を調べている。

高校で物理を学んだ方は覚えていらっしゃるでしょう。
F1
こんな式。自由落下の式ですね。
この二つの式からを消去しますと
F2
こうなります。この式自体を公式として暗記した方もいらっしゃるでしょうが、私は理科教師ですが、こんな式は暗記していません。必要に応じて最初の二つの式で計算したり、まとめて3番目の式をその場で作って利用します。
さて、y=19.3m、g=9.8を代入しますと
v=19.4m/sとなります。
どんな速さかイメージしにくいでしょう。
秒速の数値を「3.6倍」すると、時速[km/h]の値になります。(理由は今日は省略)
19.4×3.6=69.8≒70
時速70kmですよ。そんなスピードで水面に衝突したわけです。
自動車にはねられたようなものです。これはよほどの構えを取っていないと耐えられるものではないでしょう。
まして、無防備に胸や腹で水面に当たれば、衝撃で気を失いますね。
頭から突っ込んでいたら、首の骨を損傷しているかもしれません。
一番耐えられるのは、脚から突っ込む形でしょう。それもきちっと両脚をそろえて、足の裏で水を叩くようにして衝撃を和らげるしかないでしょう。

痛ましい事故です。
「水は硬いもの」です。液体だからといって、やわらかいと思わないでください。
お気をつけくださいますよう。

◆「高飛び込み」という競技があります。一番高いのが10mです。
10mから飛び込むと、時速50kmで水面に突っ込むことになります。
頭から突っ込む場合は、両手を握って拳を頭の真上に挙げて、その拳で水を割ってそこへ突っ込むのです。
充分に練習を積んだ選手だからいいのですが、素人は真似してはいけません。

繰り返します。「水は硬い」のです。

ハラビロカマキリ幼虫

0805_3harabirokamakiri1 8月5日
ハラビロカマキリの幼虫がキンカンの枝の間から顔を出しました。
やっぱりこの顔つき、好きだなぁ。
0805_3harabirokamakiri2
ほら、この姿勢。腹をぎゅっと上に曲げていますでしょ、これがハラビロカマキリ独特のスタイルなんですね。
翅の芽がしっかり見えていますから、終齢幼虫ですね。
0805_3harabirokamakiri3
今年はもう飼育には挑戦しません。
生きた昆虫を与え続けるのがだんだん手に余るようになってきた。
私たちの年齢が進んで、飼育力が落ちてきた、ということでしょう。
生き餌を与え続けるのって、結構大変なんです。
小学生だったU君が来ていた頃は、ぜひカマキリの飼育を体験させてあげたいと頑張りましたが、ちょっと疲れ気味です。
「飼育力」ってあるんですよ。抽象的ですけどね。
子が小学生のころ、オオカマキリの継代飼育を6年間続けたのですが、子らが元気にあふれていて、親の私たちも若かったということですね。相当な飼育力を保持しておりました。

今年は、草食系の、チョウの飼育に励むことにしましょう。
これなら、新鮮な葉っぱを絶やさないように取って来てあげれば大丈夫。
私たちにもまだ出来ます。

2010年8月20日 (金)

ササグモ:2

0805_1sasagumo4 8月5日
意識が少し広がって、ホトトギスの葉の全体を見ることができるようになると、白い点がいくつか見えました。
それが上の写真。
かわいいったらありゃしない。
ササグモの1齢の幼体ですね。
体長1mmちょいかなぁ。
体がころんころんとして「幼い体形」。
上方の単眼と、頭胸部の白い模様が一緒になって、「人の顔」みたいですねぇ。
0805_1sasagumo5
拡大するとこうなんですよ。
薄青い半透明な脚。小さいくせに立派なトゲトゲ。
こうやってみると、正面の単眼が見えますね。
ですからこっちを見ているわけではない、ということは分かるんですが、それでもなお、擬人化したいよなぁ。
なぁに?おじいちゃん、なにかご用?
という感じでしょ。
いやいや用というわけじゃないんだよ。
このかわいさには負けました。おじいちゃんは君にはかないません。

ササグモ:1

0805_1sasagumo1 8月5日
ホトトギスの葉が丸められています。
なんだろう?
実は一番若い葉のところに白いのがいて、これが本当はヒントになるのですが、この写真を撮った時点で私は気づいていません。あとで別にお目にかけます。
そ~っと曲げられた葉の下を覗いてみました。
0805_1sasagumo2
ササグモがいます。
同じように曲がった葉がありますね。
比べてみるとちょっと違っています。
そうか、これ、ササグモの卵囊なんだ!
卵囊を母グモが守っているんだ!と気づきました。
右上の方は、隙間が大きくなっている様子、もう孵化したあとでしょう。
今は左下の方の卵囊の中で卵が育っているのでしょう。
0805_1sasagumo3
少しくらい揺れたって、母グモは離れません。
クモって、卵囊を守るタイプのものが結構多いですよね。
ごめんなさい、と小声で謝って、激しく揺れないように、そっと元の状態に戻しました。
これ以降しばらく、私はこの場所に手を触れずに見守ることにしました。

クロバネツリアブ

0804_11kurobaneturiabu1 8月4日
クロアゲハが飛び去って、さあ家に入ろうとしたら。妻が、何かいるわよ。
見れば、トクサに見慣れぬ昆虫がいます。
私には初見の昆虫。
そっと近寄って撮影を試みました。
きれいですねぇ。黒い翅が青く輝いていたり。
印象的な白い帯。
0804_11kurobaneturiabu2
ふわっと飛びあがってはまたとまる。
アブの顔ですね。翅は不透明。
0804_11kurobaneturiabu3
わ、こいつホバリングしてる。
アブだ!

調べてみたらクロバネツリアブでした。
なるほど、不透明な黒い翅を名前に入れたのですね。
{私的命名:クロバネシロオビツリアブ:長すぎますか}

「ツリアブ」というのはホバリングして入る姿が、空中に「釣られて」いるようだ、という名前だそうです。
でもなぁ、ホバリングという点では、ヒラタアブだって見事な空中停止を見せてくれるんだけどなぁ。

幼虫は寄生性で他の昆虫の蛹などの体内を食べるようですが、成虫は花の蜜などを舐めるようですよ。
大きめのアブで、黒いからびっくりするかもしれませんが大丈夫。
美しい飛行術を堪能して下さい。

クロアゲハ羽化:2

0804_10kuroageha2 8月4日
体も乾いたようなので、外へ放してあげようと、妻と二人でケースごとチョウを玄関の外へ連れていきます。
ケースのふたを開けた直後に、真上から一枚撮影。
すごいでしょ、圧倒されますね。
力感にあふれた姿。
力強い翅。
正面から目が合ったという感じですね。
どきどきしますよ。

0804_10kuroageha3
フワっと飛びあがって、門にいったん止まりました。
翅の外側を写すことができました。
この後、すぐ、庭木の葉の間へ飛んで行って姿を隠してしまいました。
あとで、妻がランタナのあたりにいたわよ、といっていました。

0804_10kuroageha4
これが脱け殻です。
心尽くしの紙の円錐に脱け殻を残していきました。
羽化に成功してホッとしました。
羽化したチョウを飛び立たせると、いつだって、なんだか、ほっと力が抜けた気分になるのですが、今回はまたひとしお。

妻と二人で、快い脱力感に浸ったのでした。

クロアゲハ羽化:1

0804_9kuroageha 8月4日
クロアゲハが羽化しました。
午後2時少し前。
出てきたばかりで、まだ翅が伸びきっていません。
これから体液を送りこんで翅を展開し、体全体を乾かしていくところです。

ところで、このチョウが出てきた蛹の殻、変な所に入っていませんか?
「数学プリント」と書いてあるのは、妻が数学の講師などしていて、作った教材プリントのあまりなどを再利用しているだけで、別に数学とチョウとは関係ありません。
「変」というのは、蛹が糸で体を壁面に固定していない、という点です。
写真の左にも、同じような状況の蛹がちょこっと写っています。

これは、蛹化した時に、不具合があって、蛹が落ちたとか、糸が弱そうで不安定すぎるとか、そういう事態の時の方策です。
紙をクルっと巻いて、円錐形にし、蛹が安定していられるくらいの深さにしてそこに蛹を入れるのです。
蛹のサイズ程度の円錐でやる人もいますが、羽化した直後に少し上へ歩いて翅を展開することを考えると、写真のように作ってあげた方が、足場がいいんですね。
紙なら滑り落ちない。
長くチョウの飼育をやっていますと、いろいろ「不幸な事態」にも遭遇してしまいます。このやり方は、羽化を支援する一つのテクニックですので、もし、ご自分でも飼育をしてみようという方は知っておくとよいかもしれません。
0804_10kuroageha1
5字少し前。翅が乾いたようです。
出たいよ、といっています。
見事な姿でしょ。
何度見ても飽きることなんかありません。
いつも深い感動に浸らせてくれます。

写真のサイズが大きくて、続きは次の記事で。

キベリクビボソハムシ

0804_7kiberikubibosohamusi1 8月4日
おなじみキベリクビボソハムシ。
模様の個体変異が豊富なので、見かけるとつい撮ってしまいます。
左右対称が基本ですが、ちょっぴりミスったらしくって、左にだけちょっと汚れのような模様が出てしまいましたね。

こちらは別の個体。すぐそばにいてこっちを向いていたので顔を狙いました。
0804_7kiberikubibosohamusi2
被写界深度が非常に浅いので、どこにピントが合ったか判然としないままの撮影です。
もうほんのわずか手前にピントが合えば、口のあたりがくっきりしたはずですが、思うようにはいかないものです。
複眼の間、人間的には「額」のところに、黒いポチが二つ。
殿上眉というのか、高眉というのか、そんな感じですね。
高貴なお方に違いない。

てんじょう‐まゆ【殿上眉】殿上人の化粧で、眉を剃り落し、その上に墨で丸い2点を描いたもの。たかまゆ。
たか‐まゆ【高眉】公家の子弟が元服のとき、眉を剃り落し、その上に墨で二つの円点を描いたもの。殿上(テンジヨウ)眉。
[広辞苑第五版]

牛若丸とか思い出してください。あれです。

シオヤアブ

0804_4sioyaabu1 8月4日
シオヤアブのメスです。
以前、オスの写真をお目にかけました。
オスは腹端部に白い毛の束がありました。
このアブにはそれがないので、メスと分かります。
別にアリを狙っているのではありません。偶然です。
0804_4sioyaabu2
オスもモノポッドにとまってくれたりして、人をおそれませんでしたが、このメスも悠然としています。
私の動きと合わせて動くという感じで、家の角を回ってオーシャンブルーの方へ移動していったら、一緒に来ました。
で、もう一枚記念写真。
標本でも見るかのように、きれいに写ってくれました。
このくらいちゃんと写れば、種の同定に使って頂いて構わないですね。
フレンドリーなアブでした。

カメムシたち

0804_3kamemusi1 8月4日
ネコジャラシで見かけたカメムシたち。
上の写真はおそらくブチヒゲカメムシの幼虫だと思います。

0804_3kamemusi2
これはヒゲナガカメムシの幼虫。

0804_3kamemusi3
これはヒメナガカメムシの成虫。

0804_3kamemusi4
これはよく見るのだけれど、よくわかりません。
幼虫です。
ネコジャラシのあたりで見かけるカメムシの成虫とうまく結び付かないので困っています。
ヒメナガカメムシの幼虫かとおもって検索しても違うみたいなんですねぇ。
探してみてください。

アオスジアゲハ

0804_1aosuji1 8月4日
これアオスジアゲハの卵です。
見事に丸いですね。
0804_2aosuji2
これは別の卵ですが、完全な球形では不安定ですから、ちゃんと落ちないように「糊」づけしてあります。
0804_2aosuji1
1齢幼虫。3mmくらいの小さな幼虫です。

今、手元で何匹成長しているのか、よくわかっていません。
次々と見つけては連れてきてしまったので、大変。
あまりきちんと逐次的な報告はしないことにします。
蛹化した、羽化したというような時点でお目にかけましょう。

楽しいですよ~。絶対お勧めですね、クスノキがあったら卵はないか幼虫はいないか、探してみてください。

2010年8月19日 (木)

蝋燭

 2010.8.18付の朝日新聞夕刊の「水曜アート」という欄で、高島野十郎の「蝋燭」という絵の話がありました。
どんな絵かは、三鷹市美術ギャラリーのサイトで先ずはご覧ください。
http://mitaka.jpn.org/calender/gallery/069.php
大きなサイズでは見られませんが、イメージはお分かりになると思います。

この絵を見て、私の記憶は一挙に教師になった一年目にふっとんだのです。
統廃合で今はもうない、世田谷区立池尻中学校というのが私のキャリアのスタート点です。
教師になった最初の年の冬休みだったと記憶します。
冬休みの宿題というのを出したのですね。もちろん担当教科は理科です。
なんというべきか、かなり「ものすごい」宿題でしたね、今から思えば。
「ろうそく」というのです。
ろうそくの燃焼について理科的なことを調べてきなさい、という宿題ではないのです。

夜、3cmのろうそくに火をつけて、部屋の明かりを消しなさい。
そして、そのろうそくの炎が消えるまで、ひたすら眺めなさい。その何分かの間に君の心に浮かんで消えていったものを捕まえて、文章に表現して提出しなさい、というのです。

先ずはろうそくの炎の構造が見えるでしょう。青い部分、黄色く輝く部分、先端からはかすかにすすが出るかもしれません。
部屋を閉め切っていても、炎はかすかに揺れることでしょう、なぜだ?
君の心は揺れないか?
ろうが融けていく様子も見えるでしょう。固体のロウの棒の先が融けて液体になってくぼんで溜まる。液体のロウは芯に吸い上げられて燃える。芯も少しずつ燃えて、その燃えカスの形は変わっていく。
ちょっと目をあげてみましょう。
ろうそくの炎って、意外と明るい。部屋の中が照らされている。でも満遍なく明るいのではなく、どこか「光の範囲」のようなものがある。照らされない隅、というものがある。
ろうそくは短くなっていく。
ろうそくの炎がろうそく自身の影を机の上につくる。その影は少しずつ大きくなっていく。
光を発し、周囲を照らすものが、自らの影を作る。影を作らざるを得ない。
輝くものの影とは一体どのようなものか?
もう、ろうが2,3mmしか残っていない。
まさに消えようとするとき、不思議と炎は一度大きく伸びる。
消える直前の大きな炎。

こんなことを、私自身が文章に書いて、宿題の出題プリントに添えたのでした。

変な教師だったでしょうね。でも、生徒は真剣に取り組んでくれて、素晴らしい文章を書いてくれましたっけ。
思えば無茶苦茶な教師だったんですよ。
最初の一歩が、その後のすべてを象徴するんですね。
授業を作るのが楽しくて仕方ない私。
障害者のことを語り続けた私。
その後の教師生活のエッセンスがこの池尻中学校時代に凝縮されていましたね。

昨日の夕刊を開いて、「蝋燭」という絵を見た瞬間に、40年近くもタイムトラベルしてしまいました。
私が生徒に宿題を出すときに、自分でまずろうそくを眺めました。
そのとき、短くなったろうそくに触発された思いが瞬時に復活してしまいました。

あまりに懐かしくて、なかなかに伝わりにくいことだとは思いますが、こんなことを書きたくなってしまいました。

◆ろうそくについては、いろいろエピソードがあるんです。
・同僚の30歳祝いに、小さなケーキを買ってきて、30本のろうそくをぐるっと立てて、準備室でお祝いをしたのですが、30本のろうそくに火をつけると、上昇気流がものすごく強くなって、その上昇気流に引っ張られて、ろうそくの炎はものすごく長くなり、内側に倒れ、30本の炎が一つにまとまったような姿になります。あまりの迫力にドキドキしてしまいました。
・小学生のころ。岩波の科学映画で、密閉できる箱の中にろうそくを立て、反対側に8mmのカメラを置き、火をつけてカメラを回して蓋をし、3回くらいの高さから落として、下で布を張って受ける。自由落下中は無重量になるので、上昇気流が生じない。そのため、ろうそくの炎は「球形」になる、というのを見たのです。すごかった。炎の形がなぜ炎型なのか、理解してしまった。
後に、廃坑になった炭鉱で、自由落下による無重量研究がなされるようになりました。そこで撮影された、ろうそくの炎の「球形燃焼」が教科書のカラーページに載って、感慨深いものがありました。
・化学の授業でも、球形燃焼の話などもしました。
宇宙船の中でマッチを擦ったらどうなるか?というような設問もよく生徒にぶつけました。
空気の強制的な流れはないものとします。
発火はします。でも、無重量なので、対流が起こりません。そうすると新鮮な空気が供給されません。ですから、比較的短い時間で消えてしまうはずなのです。
もちろん、ろうそくに火をつけても同じですね。

いや、気分がものすごく懐古的になりました。私としては珍しいことです。
どうも、失礼いたしました。

ハグロトンボ

0803_17hagurotonbo1 8月3日
妻がハグロトンボ捕まえた、といって捕虫網を持ってきました。
{面白い夫婦でしょ。捕虫網を振り回すおばあちゃんというのがいいですよねぇ。}
ケースに入れるとばたばた暴れますから、翅を傷めては大変、指でつまんでの記念撮影です。
ハグロトンボのオスですね。胸のところ、こんなに赤かったっけ?とは思いつつ、撮影。
0803_17hagurotonbo2
脚のトゲトゲがすごいですね。
この脚で籠を作るんでしょうね。
この写真の顔の部分だけクローズアップ。
0803_17hagurotonbo3
反射光で複眼を構成する個眼が見えます。部屋の天井の蛍光灯と、フラッシュと両方の反射光が見えます。
単眼も見えますね。
つまんでいるおかげで、こんな接写ができました。ありがとう。
0803_17hagurotonbo4
翅は真っ黒、こんな感じにしか撮れませんでした。
新井裕著「トンボ入門」という本では

夏~秋に、用水路や小川、大きな川の下流部などで見られる。未成熟な個体は川の近くのうす暗い林の中で過ごすが、時に、川から離れた家の庭にやってくることもある。

となっていました。
我が家の場合、多摩川まで、まっすぐだと500mないでしょうし、反対側に100m少しで六郷用水跡の水路がありますから、どちらかで羽化して、我が家を訪問してくれたのでしょう。我が家の池は流水ではないので、対象外ですね。

うれしいお客様でした。記念撮影の後、捕獲した場所で放してやりました。
また来てね、っ。

ムラサキシラホシカメムシ

0803_15murasakisirahosikamemusi1 ツユクサの花の上です。
ムラサキシラホシカメムシの成虫と幼虫。
何やってるんでしょうね。
成虫の針のような口が伸びてますから、成虫は吸汁中でしょう。
幼虫はおこぼれに預かっているのかな?
0803_15murasakisirahosikamemusi2
なんとなく、擬人化したくなりますね。
ねぇ、おかあさんと甘える子を、母親が手でかかえながらなだめている風情ですねぇ。
他種の昆虫、例えばアリなんかがこういう位置関係に入りこんできたら、嫌がるんじゃないだろうか。同種の幼虫だからこういう接触する位置関係を許容しているように思えてしまいます。違うかなぁ。

不思議な光景を見ました。

フウセンカズラ

0803_11husenkazura1 8月3日
フウセンカズラの蔓の先端に網を張ったクモがいるようですね。
ここに見えているのがクモ本体でしょうかね。判然としません。
誰だろうなぁ。ネコハグモですか?ヒメグモですか?
いずれにしても、小さな幼体でしょう。健気なものですね。がんばれよ。
0803_11husenkazura2
フウセンカズラの花は盛りと咲いています。
まだまだこれから長く咲き続けるはず。
鑑賞用とは言えないでしょうけれど、花の可愛らしさ、風船の面白さ、そしてなにより虫たちからの絶大な支持。素敵にタフな花です。
右の花の花弁の向こうに何やら黒い小さな甲虫がちらっと見えていますよ。

ヒゲナガカメムシ

0803_10higenagakamemusi 8月3日
ヒゲナガカメムシの幼虫を撮影したのですが、もう2匹カメムシが写り込んでいます。
これはまぎらわしいですが、ヒメナガカメムシだと思います。
ヒゲナガカメムシは「ポパイ」です。
これを目安にして観察してください。
ヒメナガカメムシは慣れないとハエみたいな気がするかもしれません。

アブラゼミ

0803_8aburazemi1 8月3日
キョウチクトウにアブラゼミがとまりました。
セミにとっては枝が細すぎるようですが、私にとっては高さがちょうどいい。
で、一気に近づいてみました。
0803_8aburazemi2
金粉をまぶしたみたいですね。
直後、飛び去りました。
それを予想して一気に近づいたんですけどね。
おしっこを引っ掛けられたりはしませんでしたよ。
子どものころはよくひっかけられたものだ。

ところで、一昨日、クマゼミではないか、というジュワジュワジュという声を聞きました。昨日は聞こえませんでした。
昨日はツクツクホウシの初鳴を聞きました。今日は聞こえてきません。
クマゼミ、というと、なんだか、年甲斐もなくわくわくしますね。
あれは南方系のセミですから、東京の大田区あたりで繁殖するようになったら、かなりの北上ということになるでしょう。確認したいなぁ。

0803_12seminukegara
庭を歩いていると、蝉の脱け殻だらけです。
触角の節の長さでアブラゼミとミンミンゼミの見分けができるんですが、微妙で、もういいやぁ。
2節目と3節目の長さの比が、約1:1ならアブラゼミ、約1:1.5ならミンミンゼミということになっています。
この写真では、ミンミンゼミかなぁ。難しいですよ。

モッコクの実

0803_7mokkoku 8月3日
花はかなりの数咲いたのですが、実が稔りそうなのはごくわずかです。
まだ緑ですが、赤く熟します。その種が真っ赤なんですね。
そのあたりを追跡できればいいのだけれど。
数が少なくってなぁ。保証しかねますが続けて観察します。

スグリゾウムシ

0803_4sugurizoumusi 8月3日
スグリゾウムシです。
泥んこから脱出してきて、泥が乾き、ひびが入ったように見える、と前に書きました。
そういう写真です。
背中を見てください。何かひびの入った板状のものがかぶさっているように見えませんか?
これが本来の姿なのか、よくわからないんです。
どうも、みょうな奴です。

ヒメグモの顔

0801_13himegumo2 8月1日
前の記事のヒメグモの卵囊のある巣のすぐそばにいるヒメグモのメス。
枯れ葉を隠れ家にしています。
腹が見えない、こっちを向いてるな、という認識で撮影。(肉眼的には実はよく見えていません)
予想通り、こっちを向いていましたよ。
単眼が固まっていて、3対はわかります。もう1対は写っているのか、別の向きなのかよくわかりません。
単眼の先の小さな脚のようなものは触肢でしょう。
かなりの気迫を感じさせる顔つきですね。

ヒメグモ

0801_13himegumo1 8月1日
ヒメグモの巣です。白いのは卵囊でしょう。
メスが付き添っています。
0803_6himegumo 8月3日
左の方に、ぼやけてますがオスが来ています。

その後、メスが卵囊のそばに長くとどまっていましたが、やがて姿が見えなくなりました。
私の意識からも、遠ざかってしまって見に行かずにいて、今朝、そうそう、と見に行きました。
0819himegumo 8月19日
卵囊に穴が開いていますね。きっと子グモ達が孵化して出ていったのでしょう。
子グモの姿を見ることはできませんでしたが、めでたしめでたし。

気分がいいです。

アオドウガネ

0801aodouganesuper 8月1日
日曜日はスーパーへ車で買い物に。
店の前で、何かが飛びました。
なんだ?と近づいて見れば、アオドウガネ。
夜の照明か何かで引き寄せられてこのあたりにいたのでしょう。
どうこうしてやる、というわけにもいかず、写真を撮っただけで別れました。
車の通行量も多い道。
無事に生息環境へ戻れたかどうか。ダメだったかもしれません。
都会は、虫にとって生きづらいですね。
都会のはじっこの、我が家あたりに飛んでくれば生きられるのですけれど。

ネコジャラシ

0801_10nanda 8月1日
ネコジャラシの穂の先端に何かがあります。
なんだ?
可能性としては、鳥の糞、かなぁ。
クモの卵塊、でもなさそうだ。
分かりませんでした。
なんとなく、ヘン、だったのでお目にかけます。
0801_12higenagakamemusi
こちらは、おなじみ、ヒゲナガカメムシの幼虫です。
ネコジャラシの穂の大きさなどと比べて大きさを推測して下さい。小さなものです。
このカメムシは他の植物では見かけません。
食草がほぼ固定。
クサギカメムシなんかは色々なところで見かけます。
何でも食べる。
最近、カメムシとのつきあいがなんだか増えたなぁ。

2010年8月18日 (水)

ヤマトシジミ

0801_9yamatosijimi 8月1日
小さな花に小さなチョウ。
フウセンカズラの花です。
シジミチョウはこれまでも登場してきたし、この後も何度も登場する予定です。
だって、かわいいんだもの。
外に出て、おはようおじちゃん、と挨拶されると、どうしても、やあおはよう、と一枚撮らずにはいられないのです。
笑ってお付き合いください。

こんな小さくったって、生きているのです。花も。チョウも。
すごいでしょ。

おそい

2010.8.16付 朝日歌壇より
走るのがおそい私は泳ぐのが苦手な魚と話してみたい
 馬場あき子 評:具体的な弱点の自覚に対して、空想した似た弱点を持つお魚が面白く、結果的に楽しい歌になっている。
 佐佐木幸綱 評:「泳ぐのが苦手な魚」は私たちを一気にメルヘンの世界につれていってくれる。

じっくり読んでください。
選者の評から、作者の年齢に関する部分を削除してあります。

「私」の年齢を問う必要もない。「私」の性別を問う必要もない。
たとえば、62歳の男性である私=かかしが詠んだといっても別におかしいということはないでしょう。
私は、年とって長距離を飛ぶのが辛くなったカラスというのはいないのか、ぜぇぜぇ、ちょっと待ってくれよ、一息入れたいよ、と若いカラスを呼びとめる老カラスはいないのか、などということを考えるたちですから。
泳ぐのが苦手な魚なんてのはいないのかな、と私が考えてもおかしいところはない。
{脚の障害者としての「走れない私」が、ヒレなどの傷で「泳ぎにくい魚」のことを考えていてもおかしくないですしね。}

実はこの歌の作者、九歳の女性なんですね。
で、私が主張したいのは、歌はまず作品それ自体として鑑賞されるべきだ、という点です。
作者の名前も年齢も性別も、あるいは詞書があったとしてそれも、あるいは選者の評があったとしてそれも、一切抜きにして、鑑賞者は作品と向かい合い、作品のみを通して、作者の表現内容とぶつかり合い、切り結ぶべきだ、ということです。

この作品は、充分に鑑賞に耐える。
最近のアニメのポニョとかニモとか、そういう背景を考えれば、魚を擬人化して「わたしは魚なんだけど泳ぐの苦手だなぁ」というシチュエーションを設定することにそれほど大きな飛躍はない。

選者たちは、やはり作者が幼いという点を勘案したうえで、「幼い『のに』すごい」と評価したと思うのですね。
それって、芸術作品の評価としてはフェアじゃないと感じてしまう私です。

今週の歌壇で高野公彦氏は冒頭の歌のほかにもう二つ、小学生の作品を採り、10首のうちの最後に3つ並べています。
さて、ここで、歌壇・俳壇担当者の書いたコラムがあるので読んでください。

幼いひとの歌 童心恐るべし(2010/8/16)
 本日の朝日歌壇・馬場、佐佐木、高野選歌欄に小学3年生の歌が入選した。共選の☆三つもさることながら馬場、佐佐木選者の、この一首を第2位に置く高評価を思えば、9歳少女の快挙だ。
 小中学生の投稿が増加傾向にあるのは確かだが、日々400余も届く投稿歌の作者は、もちろん圧倒的に大人が多数派。そのなかから、同列の選を経て、文字も言葉づかいも幼い歌が、時にこのように立ちあがる。
 こころに感じたところを、31音の定型詩の器に盛るにあたってはそれなりに懸命な創作意識があるに相違ない。だが語彙も少ない。技もない。記されるのは、子供特有の奇妙な発想を含めた、ありのままだ。
 たぶんそこにえも言われぬ魅力が生じるのだ。佐佐木評にもあるように、幻想的なメルヘンの世界が現出する。童心恐るべし。願わくば、永遠なれ童心。

この筆者は「子供特有の奇妙な発想」とか「それなりに懸命な創作意識」とか、「語彙も少ない。技もない」などと、芸術の場で、幼い人を低く見る視点を持っていることがあからさまですね。「幼いのにすごい」といっていますね。そういう意識では少なくとも、小学校の教師には不適格ですね。児童がついてきませんね。
歌壇・俳壇担当者としてはかなり情けないなぁ、というのが実感です。

幼い人の作品だからということで選ぶのはいけない、と考える私です。
作品そのものを味わいましょうよ、というのが基本的な主張です。

「童心恐るべし」というのは当然「後生畏るべし」を踏んでいるんですよね。だったら、「恐ろしい」とはせず、「畏怖する」という「畏る」を使うべきではありませんでしたか?
(漢字の使用制限のせいか。情けない。)

もう一つ。
「第2位に置く高評価」という表現。
短歌・俳句、選者はそれぞれ4人ですが、紙面に並べるときに、選者の位置が固定されないように工夫していることは分かっています。毎週、位置をローテーとしてますね。
さて、各選者が十首、十句を選んで並べるのですが、その配列順に関しては、私も長いことこの歌壇・俳壇を読んできましたが「明示的に(explicitに)」右の方が高い評価で、左が低い評価だと言ったことはありませんでした。
暗黙のうちにそのような了解があったのかもしれませんが、明示的に読んだことはない。
それを「言っちゃった」。
小学生の作品が選ばれて、しかも、高い評価の2番目に置かれた、とね。
逆にいうと、高野氏が小学生の歌3首を左端に並べたということは、評価は低いが幼い人の歌としては面白いから採りましたよ、ということになってしまいます。

いいんですか、そんなことを明示的に言ってしまって。
かなりの問題発言だと私は思います。

選者たちは、評を書くにあたって、「第一首」「第一句」というような順番で示すか、作者の名前で示して評を書いています。それは、やはり作品の配列順は、そういう明示的な評価がらみではないとしているのだと思います。配慮でしょう。

俳壇の方で、長谷川氏が選者になってから、長谷川氏は「一席」「二席」という表現を使っています。そして、かならず右から3句にしか評を書きません。他の選者は、通常、右から3つまでの作品について評を書きますが、飛んで、途中の作品に評をつけることもあります。
長谷川氏は選者になった時から、ほぼ明示的に自分の選句は右ほど評価が高いということを示しておられました。そのことは最初から気になっていたことです。
右に載った人はいいですよ。でも、左端の人の気持ちって考えたことあるんですか?

私にはよくわかりません。
俳句という「芸事」の世界では問題ないんでしょうね。きっと。

◆最近、こんな文章を読みました。

なぜ、もっと視ないのか? 市川亀治郎
 十代の一時期、展覧会の梯子に凝ったことがある。デパートから国立博物館まで。内容は問わず。西洋美術は好むところではないが、当時は「ルーブル美術館特別展」「ルイス・C・ティファニー展」などにも足を運んでいた。五島美術館で国宝「源氏物語絵巻」が公開された時は、入館待ちの大行列にも並んだ。どれもが懐かしい思い出である。しかしながら、作品についての印象は、残念ながら数えるくらいしか残っていない。
 日本で行われる展覧会は、宣伝が大いに行き届いているせいか、どの会場も大勢の入場者でごった返している。作品を鑑賞しにきたのか、人を見に来たのかわからなくなるほどに、各陳列ケースの前には人だかり(厳密にいうと、説明書きの前)。後ろからだと背伸びをしてもよく見えない。そこで、人と人の間を巧みにすり抜け、手際よく最前列に進み出て、心ゆくまで鑑賞する。これは子供の特権である。
 そこで気付いたことがある。大人はまず解説をじっくりと読む。親切にも声に出して読んでくれる人もいる(いや、それは他人に聞かせるためというのではなく、ただ単に独り言の音量が大きいということなのだが)。その後に作品をちらりと見る。不思議だった。せっかく間近にある作品をなぜこの人たちはもっと視ないのだろう?
 歳を重ねれば重ねるほど、人は知識が豊かになってゆく。知識を得るということは、すなわち知識という眼鏡を掛けることだと思う。眼鏡を掛ければ、今までよく見えなかった物事が、よく見えるようになる。これは大切なことである。その一方で、安易に眼鏡に頼りすぎると、裸眼で物を見る努力を怠るようになる。そしていつしか眼鏡なしでは何も見られなくなってしまう。
 子供はいつでも裸の目だ。自分の範疇を遥かに超える対象物と懸命に向き合い、必死に考える。静かなる格闘。勝つか負けるか、命懸けの勝負だ。こうして知識は勝ち取られてゆく。そして、そこには勝者だけが味わえる無上の喜びが存在する。

 いちかわ・かめじろう 1975年生まれ。歌舞伎俳優。(8月11日付東京本社夕刊beから)

 私もね、高校生の頃です。毎週のように博物館・美術館に通っていました。解説が聴ける機器の貸し出しなどが始まった頃ですね。一切借りたことはありません。
 創造者として世界を産み出す「熱」が自分にはない、ということを自覚していました。
ならば、せめて、鑑賞者としての自分を高めたい、せめて、一流半の鑑賞者くらいにはなりたい、と思ったのです。そして、このブログ記事の上の方で書いた、作品は「作品それ自体として鑑賞されるべきだ」「作者の名前も年齢も性別も、あるいは詞書があったとしてそれも、あるいは選者の評があったとしてそれも、一切抜きにして、鑑賞者は作品と向かい合い、作品のみを通して、作者の表現内容とぶつかり合い、切り結ぶべきだ」という主張は、実は高校生の頃に私が到達したポジションなのです。以来、そのように芸術を鑑賞してきました。
裸の私が、一切の介在情報なしに、作品とのみ向き合う、作品のみを通して作者と切り結ぶ、というスタイルはそのころに確立したものなのです。(作品につけられる題名でさえ、まずは知らずに向き合いたいと思いますよ。極端でしょ)
絵画も、音楽も、詩も・・・すべてそのようにして鑑賞したいと思います。

市川さんの文章を読んで、うれしかったですね。
「青い」ですか?もっとこなれなくちゃいけませんか?
「かど」が取れて「丸くなる」ことを拒否したいのですが、変ですか?

わたくし、青年期の続きをやっております。生まれて以来の私は一続きに今に至っております。
私は、一貫して生きたい。

サングラス

2010.8.16付 朝日俳壇より
サングラス悲喜こもごもを撥ね返す:(仙台市)柿坂伸子
 大串章 評:サングラスをかけると、全ての光が消え、情景が一変する。まさに「悲喜こもごもを/撥ね返す」感じである。

選者はサングラスをかける側の句と読んでおられます。そうなんでしょう、多分。
でもねぇ、「全ての光が消え」というのは頂けませんね。揚げ足を取るわけではないけれど。それじゃぁ、真っ暗だ。何にも見えやしない。
サングラスをかけると、「世界は暗転し、情景は一変する」くらいでしょ。

私は、サングラスをかけた人を見る側の句ではないか、と思って読み、評を読んだ後も、その感覚が消えません。

サングラスをかけた人からは「表情が消える」。
いろいろな感情を持っているはずなのに、それらが消えてしまう。
あるいは、投げかけられる感情をきつくはね返してしまう。
サングラスは「拒否」を包含している。
そんなふうに読みました。

◆サングラスではないのですが。
紫外線除けですか、色の濃いお面のような「つば」のサンバイザーがありますね。
あれで顔面を覆ってしまうと、直射光を顔に受けなくて日焼けしにくくて良いということなのでしょう。
あれをつけて、自転車を走らせている人がよくいます。
自動車を運転する側としてはあれは怖いんです。
まだサングラスの方がいい。
つまり自転車を走らせている人の視線がどっちを向いているか察することができるのです、サングラスなら。あのサンバイザーでは何にも伝わってこない。

携帯しながら走っている人なら、こっちの車をまるっきり認識していないだろうから、それなりに、速度を落とし道の端に寄ってやり過ごします。
視線が見える人なら、こちらが進路をが譲れば会釈してくれることも多いし、視線でお先にどうぞといってくれる方もいるし、会話ができるわけではないのですが、視線によるコミュニケーションが存在しうるのです。
ところが、顔面覆いサンバイザーはダメ。視線が見えない。
携帯しながら走ってくる自転車より、はっきりいって怖いです。
まるっきりコミュニケーションが成立しない。
コミュニケーションを拒否されるということはものすごく怖いことなんですよ。
そんなことも考えてしまいました。

大の字

2010.8.16付 朝日俳壇より
柴犬も大の字に寝る大暑かな:(藤沢市)西 智

いや、おかしい。
柴犬がねぇ。
舌がだらんと伸びましたか?
汗をかけない犬は辛いだろうなぁ。

連日の猛暑。午後のひとときなどに、ふと気力が抜けて、ふわっと眠くなる瞬間があります。
可能であるならば、ほんの10分20分でいいです。おやすみください。
夜の睡眠が浅くて、疲れを持ち越しているのです。
短くていい、一瞬、気力を完全に抜く時間をお持ち下さい。
楽ですよ。

こういう疲れがたまっていって、暑さがおさまってきた頃に、どっと疲れが出ます。
これを夏バテというのではないでしょうか。
暑い盛りには気を張って頑張っていますが、涼しくなってきて力みがほどけてきた頃に、どっと疲れが出ます。
夏バテはこれからです。充分にご自愛くださいますよう。

そうそう、平年気温で見る限り、東京の暑さのピークが過ぎました。
最高気温は8月9日の31.2℃を最後に下がり始め、今日18日の平年気温は30.8℃です。
最低気温は8月15日まで24.4℃で、18日は24.3℃です。
このあと8月中はゆっくりゆっくり下がっていき、9月に入ると下がる速さが増していきます。

実質的に
残暑お見舞い申し上げます。

遠泳

2010.8.16付 朝日俳壇より
遠泳の陸を手繰りてもどりけり:(青梅市)市川賢
 長谷川櫂 評:沖から泳いで戻るときのあの感覚。陸を手繰り寄せるとはそのとおりだろう。引き寄せられた陸がしだいに大きく近づいてくる。

「あの感覚」と書いておられますから、長谷川氏は遠泳の経験があるのでしょう。
集団で遠泳に挑戦していると、孤独にさいなまれて、不安に駆られてパニックになるということはおそらく少ないので、「陸を手繰り寄せる」という感覚が得られるのだと思います。

私は一人で沖に出ていって、浮かんでいて、気分よく波に揺られていて、さあ、もどろうかと思った時にパニックになったことがあります。高校時代かな。
沖に出ていく時は、意気揚々なんですよ。ところが、帰ろうとすると、浜って近づいてこないんです。横に広がった浜って、遠近感がつかめなくって、泳いでも泳いでも近づいてこないんですよ。とても「手繰り寄せ」られるものではない。おまけに、北の方の川から流れ込む水の流れがあって、流される。まっすぐ自分の出た場所へ向かっているつもりなのに、横へ横へずれていく。これ、こわいですよ~。
沖へ出ていく時の何倍も時間がかかったような気がして、浜辺に戻ったときにはぐったりでした。自分の心理があのように動くものだとは知らなかった。

遠泳のゴール地球を確と踏み:(大阪市)森田幸夫
 大串章 評:遠泳のゴールが近づき、歩いて岸にたどり着く。「地球を」と言ったところに実感がある。

いや、プールと違って脚の全く立たない場所を泳ぎ続けてきての「浜」は、確かに「地球」「大地」ですね。
水中と地面の絶対的な違いを脚で踏んで知るのですね。

中学生の初遠泳の話が新聞に載っていました。

(五線譜)遠い砂浜、少し成長していた夏(2010年8月17日 朝日新聞)
 千葉・館山の穏やかな海に白い水泳帽子が揺れている。都内から5泊6日でやってきた生徒たち。合宿の最終日は1年生の96人が3キロの遠泳に挑む。
 Mさん(12)は小学校時代、水泳が苦手だった。十分練習して遠泳班に合格したのに「本番は無理じゃないかな」。緊張しながら泳ぎ始めた。
 海ではクラスで行列になり、学校のテントがある砂浜を目指す。まもなく近くでタンカーが動き出した。波が大きくなる。「気をつけてください」。ボートからの先生の声に無我夢中で手足を動かす。平泳ぎのフォームは崩れがち。足の裏に何かが触れた。「魚かな」。確かめる余裕はない。
 海の真ん中でコーチが氷砂糖を口にぽんと放りこんでくれた。甘さが広がる。なめていて気づいた。「あれ、立ち泳ぎができてる」。海藻の間の小さな魚の群れが、今は目に入る。歌を口ずさんで自分を応援した。そばで泳ぐ3年生が「もうちょっとだよ」と励ましてくれる。
 泳ぎ始めて1時間半。砂に手が触れた。立ち上がると浅い「ゴールしたんだ」
 周りが大はしゃぎの中、Mさんは「まさか自分が完泳してるとは」とどこかひとごとのよう。無理だと思っていたことができた。自分の可能性がぐんと広がった瞬間。そのことに本人が気づくのは、もう少し後かもしれない。

途中、ちょっとパニックになったようですね。でも、パニックを経験することはわるくない。
人間が一回り大きくなります。心の容量が大きくなるんですね。

朝仕事

2010.8.16付 朝日俳壇より
今朝も又戦ふ如く草を引く:(札幌市)岩本京子
黎明に西瓜を叩く畑仕事:(守山市)川尻教夫

この暑さですからね。日中に庭仕事、畑仕事に出たら、マジな話、死にますよ。
一度、庭で熱中症で倒れたけれど助かり、2度目の熱中症で亡くなった方がおられました。

明け方、まだ比較的気温が低いうちに仕事をしないといけません。
でも、最低気温が真夏日(30℃以上)というようなとんでもない日々ですから、お気をつけて。

「戦ふ如く」が効いてますね。抜いても抜いてもしぶとく生えてくる草に戦いを挑んでいる。
暑くて暑くて朝というのに汗が流れて、気分は戦闘的。
両方を表現しきっていますね。

明け方、朝の一番蟬と競うように畑に出て、ポンポンとスイカの実のぐあいを確認しながらの収穫なのでしょう。涼しいうちに済ませようという緊張感と、ポンポンとが、絶妙な「俳味」というのかな、おかしみを演出していますね。

玫瑰

2010.8.16付 朝日俳壇より
玫瑰(はまなす)やプラットホームだけの駅:(伊賀市)西澤与志子
大楽毛(おたのしげ)さかんなるもの実玫瑰:(釧路市)榊田澄子

読めました?「玫瑰」。
恥ずかしながら私は読めませんでした。
「玫瑰=はまなす」って「浜茄子」ではないんですって。これも知らなかったなぁ。

http://aoki2.si.gunma-u.ac.jp/BotanicalGarden/HTMLs/hamanasu.html
このサイトによりますと

学名:Rosa rugosa
 花期:初夏
 「なす」ということで,「浜茄子」だと思っていませんでしたか?これは,バラ(薔薇)と同じ仲間です。北海道,東北などの海岸に多いのです。そして,現地の人達が「ハマナシ」をなまって「ハマナス」になってしまったのです。「ナシ」というのは,花が終わった後にできる果実が梨の実に似ているということから来ています。(あまり似ていないように思いますが...)

わたし、「現地の人」の息子だからなぁ。秋田弁を話すことはできないけれど、ある程度は耳慣れています。
そう、「i」と「u」の発音が明確に区別されないんですよね。「e」とも似てしまう。
で、「し」と「す」、「ひ」と「ふ」「へ」、「ち」と「つ」などが判然としなくなるのです。
口を曖昧に開いて「s」の擦過音を出すんですね。
{昔、叔母が「おいら岬の灯台守は・・・灯(ひ)をかざす・・・」という歌をうたうと、「屁をかざす」に聞こえると、ワルガキの私はからかったものでしたっけ。}

訛りが、名前になったというのは珍しくないですか?
私の古い記憶だと、夏の田舎の駅の花壇には、よく、カンナが燃えるように咲いていたなぁ。
そんな気、しません?
無人駅に似合う花なのでしょうか。

◆また、突拍子もない話を。
東京のテレビやラジオのニュースの端っこで交通情報が流れます。日本道路交通情報センターのスタジオから流すんですが。
申し訳ないけれど、いつの頃からか、この情報をアナウンスする女性方が「なまって」しまった。舌っ足らずの喋り方がかわいいと、流行ってしまったのかなぁ。「ちゅうおうどう」が「つうおうどう」に、「しゅとこう」が「すとこう」に、「ちば」が「つば」に、発音されるのは聞いていてたまらなく不快なんですけど。
口をはっきり開けず、曖昧に閉じたまま原稿を読んでいるんですよ。ぜんぜんかわいらしくないんだけどなぁ。アナウンサーの訓練教室にでも通わせて下さい。情報を伝えるという仕事には全くふさわしくありません。
あの方たちに「はまなし」と書いた原稿を読んでもらうと「はまなす」になりますね。ゼッタイ。

夕立

2010.8.16付 朝日俳壇より
炎天の大地鎮むる雨となる:(大牟田市)古賀昭子
 稲畑汀子 評:炎天の大地を鎮める雨はうっとうしいものではない。

池の面を縮緬にして大夕立:(旭川市)大塚信太

夕立ちも来ない。来てよ。
少しは気温を下げてよね。
だぁ~れも「うっとうしい」なんていいませんから、是非来て下さい。
我が家の小さな池の水面を「縮緬」にしてください。

そうそう、今朝、玄関のドアを開けたら、目の前の鉢にオオシオカラトンボがとまっていました。きっと、我が家の池から羽化して、そう時間が経っていないのだと思います。人の気配を感じてふわっと浮かび上がりますが、すぐ、同じ枝にとまる。
池のメダカも元気そう。この暑さの中、お湯にはなっていないようですが、そろそろ、水面を叩く激しい雨もいいよね、ヤゴさん、メダカさん。一緒に雨乞いしようか。

日傘

2010.8.16付 朝日俳壇より
この道を行かねばならぬ日傘かな:(東京都)松村登美子
 稲畑汀子 評:日傘を頼りに日盛りの路を行かねばならない作者。季題の日傘は動かせない。

この暑さです。どうしても「行かねばならぬ」ときは仕方ないとして、可能な限りなんでもかんでもサボりましょうよ。昨日の東京は37.2℃。体温なら微熱ですかね。しっかしまぁ、気温に「お熱がありますねぇ」といっても仕方ない。じっと動かないのが最上の策。ひっそりと生き延びましょう。それっきゃない。今年の夏は辛い。

ところで、金子氏の評の欄に「選句している今日が広島忌」とありました。
8.6に選句して8.16に掲載。
8.7が立秋。
日傘は夏の季語。
季語って窮屈ですねぇ。今8月の中旬。強烈な暑さ。でも、「日傘」は使いにくいわけですな、察するに。
東京で猛暑日の日数が多かった1995年かな、あの時は確か、8月の下旬にノックアウトされたのだった、とかすかに記憶しますが。そういう暑さのときに、日傘をさしていても、俳句にはならんのですか?
「秋の日傘は涼しげだ」とかいわれちゃうのかなぁ。

2010.8.16付 朝日俳壇より
蟬鳴くや地球の病んでゐやうとも:(市原市)鈴木南子
 稲畑汀子 評:地球の温暖化を言われて久しい。自然の中で生きていくものの生態系が変わってしまう怖れがあろうとも、今また変わらず鳴き出す蟬にほっとする作者である。

「地球が病む」ということが私には少し論点のずれを覚えるものです。
地球上に発生し、38億年かけて地球を覆ってきた「生態系」がきしんでいるのです。
地球自体は「生命」に対して「優しい」わけではない。むしろ、生命の生存に対して強い圧力をかけてきた、だからこそ、「進化」があり得たのではないでしょうか。
「地球に優しい」という口当たりの良い言葉がはやりますが、そうではないのでして、人間をも含む「生態系」を維持していけるかどうか、が基本的な論点なのです。

子どもの頃、セミといえば、ニイニイゼミとアブラゼミとツクツクホウシでした。
それが今は、ミンミンゼミがアブラゼミを圧倒しそうな勢い。ニイニイゼミは全く見かけなくなりました。
東京の片隅で50年以上見続けてきて、生態系が微妙にずれてきている。
アオスジアゲハなど遠いあこがれのチョウだったものが、今は自宅のクスノキで普通に繁殖している。
現在の生態系が壊れて、ヒトの生存に適しなくなっても、生態系は別なバランスを回復するでしょう。
生態系は何らかの形で持続する。
ましてや、地球はちゃんと持続します。

セミの鳴き声に生態系のシフトを読み取って下さい。それは実際に進行していることなのですから。

シバンムシ

昨日、「きららむし(=シミ)」の読みこまれた俳句について書いていて、実際に本を食べるのは「シバンムシ」だというようなことを書きました。
シバンムシについては下のウィキペディアなどお読みください。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%90%E3%83%B3%E3%83%A0%E3%82%B7

さて、私は夜はパソコンに触れないことを原則としていますので、夕方パソコンをシャットダウンします。その前にちょっと、とアサヒコムを覗いたら、なんと、シバンムシに関する記事がありました。タイミングのよさにびっくり。その記事を抜粋してご紹介します。

本の虫食い、COで防げ 国立国会図書館の対策奏功(2010年8月17日)
 書籍類の虫食い被害防止に、国立国会図書館が本格的に取り組んでいる。外部から持ち込まれた書籍類が虫に食われたり、虫の餌となるカビが広がったりという被害が急増。二酸化炭素ガスで虫や卵を窒息させる手法を採り入れ、効果が出ている。同図書館は国内外の他の図書館にもノウハウを提供している。
 ・・・
 同図書館資料保存課の中島さんは「室温25度、濃度60%で2週間燻蒸(くんじょう)すると、成虫はもちろん、目に見えない卵まで駆除できます」と話す。
 ・・・
 2006年に館内一斉調査をすると、過去に古書店から購入した和紙の巻物2本が、保管ケース内で繁殖した甲虫の一種「シバンムシ」の幼虫に食べられているのが見つかった。
 07年には書庫内でカビが発生した。カビは本そのものを傷めるだけでなく、虫の餌にもなる。
 ・・・

こういうぐあいでした。
なるほど、二酸化炭素で窒息させるんですね。
「窒息」がターゲットであるなら、窒素でもいいような気もする。
二酸化炭素とどちらが安いかな。値段のことはよくわかりません。
窒素の方が少し安全性が高いかなぁという感じがしますけれど。

おもわぬタイミングでした。
ご紹介します。

2010年8月17日 (火)

カブトムシ

2010.8.16付 朝日歌壇・俳壇より
カブトムシ一匹二〇〇円の♀四〇〇円の♂と暮らせる:(京都市)田畑益弘
永らへよ『ゲバラ日記』のきららむし:(京都市)田畑益弘

余計なことですが、♀はメス、♂はオスです。念の為。
角のある方が高いのかぁ、卵を生んで幼虫を育てる楽しみを与えてくれるのはメスなんだけどなぁ。

「キララムシ」は「シミ(紙魚)」です。

しみ【衣魚・紙魚・蠧魚】(体形が魚に似ているので「魚」の字を用いる) シミ目シミ科の原始的な昆虫の総称。体は細長く無翅。一面に銀色の鱗におおわれ、よく走る。衣服・紙類などの糊気あるものを食害。ヤマトシミ・セイヨウシミなど。しみむし。きららむし。<季語:夏>[広辞苑第五版]

最近は見かけなくなった虫ですね。捕まえようとして触ると銀色の粉が指に着きます。
本に穴を開けてしまうのはシミではなく、シバンムシです。

でまぁ、ゲバラ日記を開いたら、シミが出てきたのでしょうか。「永らえよ」という言葉は、ゲバラの精神に対してでもあり、シミに対してでもあるのでしょう。
{シミは寿命が7~8年と長いんですよ。}

作者は日常に昆虫がいる生活に馴染んでいらっしゃるのでしょう。

テキストエディタで、気になる句や歌をファイルに打ち込んでいたら、作者のお名前が、あれ、さっき変換しなかったっけ?と思い出され、歌壇・俳壇にまたがる作品に気づいたのでした。

ホットケーキ

2010.8.16付 朝日歌壇より
君と並んで満月を見ていたらホットケーキが食べたくなった:(奈良市)杉田菜穂

作者は句集を出した「俳人」ということになっているようなのですが、これまで朝日歌壇・俳壇を読んできた印象としては「歌人」という感じが強くします。

実体験か創作かは知りませんが、なんとなくにやっとするというか、楽しい歌ですね。
恐らくは青い月ではなく、金色に輝くような月とホットケーキの対照・連想がキーポイント。

ね、ホットケーキ食べない?
と叫んで、ホットケーキミックスでも焼いて、甘い蜜とバターをとろかして、二人で食べる。
極上の味だったことでしょう。
絵が描けますね。

肝試し

2010.8.16付 朝日歌壇より
教師らの怖い話に怖気(おじけ)付き結局二人で行く肝試し:(稚内市)藤林正則

小さな学校の家族づきあいのような生徒と教師。
合宿ですか?移動教室ですか?
夜の行事に、花火とか肝試しとか組んであるのですね。

いらっしゃるんですよ、怖い話を上手になさる方というのが。
私はダメなんです。描写・分析する言葉は持ってますが、怖い話というのを語る言葉を持っていない。
ま、どうということもないのですがね、やっぱり闇というものは怖いんですね。
先生方で分担して、肝試しの道の先の方で「わっ」と声をかける役なんかもいたりしてね。
大人の側からは、ニヤッとしますが、生徒は真剣だったことでしょう。
作者と「教師」との関係が、いつも気になるのですが。校長先生でいらっしゃるかなぁ。
まだ読み取れません。

うるわしき青

2010.8.16付 朝日歌壇より
うるわしき青き色した青大将玄関先の庭木に登る:(京都市)後藤正樹

アオダイショウの色に「うるわしき青」という形容を与えるとは、すごい。
私はそこまではいきませんね。脱帽です。
幼いトカゲの青になら、麗しい、きらびやか、というような形容を使えますが。

◆2,3日前の夜、居間でテレビを見ていたら、どこから飛びこんできたものやら、脚の上に幼いヤモリが現れて、「わ、ヤモちゃんだ」と私が叫ぶと、瞬時に妻は、私がヤモリを手のひらに包み込むまで猫がちょっかい出さないように膝の上の猫を抑え込み、それからすっと立ってプラスチックケースを取ってきて、保護したヤモリを入れて、玄関へ連れて行き、玄関灯のそばに放してきました。玄関灯の光に誘われてやってくる小さな昆虫をお食べなさい、という配慮です。
そのくらいの境地には、私共夫婦も到達しておりますが。
アオダイショウはなぁ。眺めてるだけでいいです。

行間

2010.8.16付 朝日歌壇より
軽いフォントわざと明るい行間に読み取れなかった君の苦しみ:(北海道)坂本しづよ

私自身の書く文は、標準フォントの字面から読みとれるものだけが伝わればよい、という主義で書いております。アバターも置かないし、顔文字も使わないのはそのせいです。
行間を読んでいただく必要はありません。そこに書かれた文字、そこから伝わるものだけでいいですよ。理に落ちてますね。でも、理系の論文はそのように書かれます。余分な意味をそぎ落として、伝えたいことだけを、明示的に(エクスプリシットに)書きます。書かれていない部分まで読みこまなくて結構です。

私に「苦しみ」や「悩み」があれば、そう書きます。書かれていない部分は「ない」のです。

無味乾燥な文でスミマセン。でも、多分、私の文が「微笑」を含んでいることは読みとれてしまうでしょうね。特に虫のことを書いているときは。
そういうものなんです。文と人というものは。

私は敢えて行間を読まない主義なのです。

シービービー

2010.8.16付 朝日歌壇より
蕺草(どくだんべ)・蛇苺(へんびのまくら)・烏野豌豆(シービービー)・水澄まし(まいまいぎっちょ)里から消えゆく:(岐阜県)棚橋久子
 佐佐木幸綱 評:それぞれの土地の言葉で親しまれた虫や草たち。彼らが消え、言葉もまた消えつつある寂しさ。表記の工夫も見どころ。
{高野公彦氏も選んでおられます。}

うわぁ。全然知らない言葉ばっかりでした。
言葉が消えてゆくというほうに、私は重点がありそうな気がするけれど。

ドクダミ、カラスノエンドウは茂ってますが。家のあたりでは。

ヘビイチゴですよね、最近は見ないか(ミズバショウを「蛇の枕」とも言うそうですが、そっちじゃないですよね)。
ミズスマシは子どもの頃に見たっきりか。

そうか、そういう動植物も消えかかっているようですね。そうなんだ。

カラスノエンドウは豆の莢を笛にするそうですね。それで「しーびーびー」なんだそうです。
「カラスノエンドウ シービービー」でアンド検索してみてください。色々な話題がヒットしました。

潮招き

2010.8.16付 朝日歌壇より
潮招きは穴にこもりて一斉に出でては消ゆる仕事なるらし:(東京都)高須敏士

そうです。ハサミの大きなオスたちにとって、ハサミを振る求愛行動こそ生きている証です。
絶対にしなければならない仕事です。
壮観ですよね、シオマネキたちが一斉に行動する姿は。
命の歌を聴き取って下さい。
ヒトなどが出現するずっと前から、あのようにして命を繋いできたのですから。

八月六日

2010.8.16付 朝日歌壇・俳壇より
エノラゲイ知らざる人と鳩殖えて巡る平和の八・六迎ふ:(高石市)木本康雄

語り部は被曝胎児や敗戦忌
:(高石市)木本康雄
 金子兜太 評:原爆の悲惨さを伝えて止まない。選句している今日が六五年目の広島忌。核廃絶を。

戦後生まれの私が62歳。老齢の域に足を踏み込みつつあります。
戦争の体験を継ぐ者の世代は確実に移りつつあります。
個々の実体験を語り継ぐだけではなく、人類社会に平和を、という意志の持続が必要です。
いまだに世界には戦争があふれています。
なぜですか?なぜ人間の歴史から戦争が消えないのですか?
なぜ争わなければならないのですか?

平和というものは、祈り唱えるだけでは実現できません。
平和を「行為する」しか道はありません。

平和を行う意志のたいまつを絶やさずつないでいかねばなりません。

南瓜

2010.8.16付 朝日歌壇より
南瓜の花朝は黄の色深くして尻太き蜂出で入る羽音:(伊那市)小林勝幸

マルハナバチかな。
せっせと花の中に潜っては出てきて、また潜っていく。
花粉を運んでくれる働き者。
虫も花も「生き生きとしている」という感じですよね。
花が喜んでいます。
虫も元気です。
こういう光景は、生命感あふれていて、心が湧き立ちます。

暑くなる日の、まだ静かな朝です。

花火

2010.8.16付 朝日歌壇より
いちばんに大事な君を失って見ている夏の終わりの花火:(京都市)敷田八千代

去年の夏は「居た」。ドキドキしていた。
今年の夏は「居ない」。
大きな打ち上げ花火の大きな音の中で、その喪失感が際立つ。

不在が在ることの空しさが心に響きます。

派手

2010.8.16付 朝日歌壇より
子等も父も何たる派手なパンツかな弟一家男三人:(水戸市)檜山佳与子

作者の家庭はきっと女性が優勢なのではないですか?ですから、男がパンツいっちょで家の中を走り回っているなどという光景自体がきっと珍しいのでしょう。
最近の男のパンツは、とくにトランクス型のは模様も色も多彩ですからね。
頻繁にプールに行きますが、年齢はあまり関係なくなりましたね。
みんな「柄パン」ですよ。若いのも年長者も。

風呂上がりの男の子二人が飛び出してくる、後から追っかけて父親が飛び出してくる。
みんな、パンツいっちょで、こらぁ、きゃっきゃ、と走ってるような気がしますね。

夏だ!まあいいですよ。

湿舌

2010.8.16付 朝日歌壇より
天気図の「湿舌」というはなにがしかなまめかしくてなまぐさくてよし:(堺市)高橋貞雄

そういう感覚がありえたのか。ほぼ純粋理系人間の私には思いもつかなかったことです。
「舌」という漢字のほうから入るのでしょうか。
湿った舌が九州方面に伸びて来る、そうか、なまめかしいのか。

天気図上で等圧線の形が「舌」みたいで、湿った空気を運んでくるので「湿舌」というのですが、私の感覚では、またもや九州に豪雨が襲いかかることのありませんように、という方が強いですね。

私の中では、湿舌は災害と結びついています。

ポッケの小石

2010.8.16付 朝日歌壇より
からころと洗濯機の中まわるもの海辺で拾ったポッケの小石:(諏訪市)宮澤恵子

洗濯機を回していると、時々「異音」がしますよね。
あ、また何かポケットに入っていたな。
取り出してみれば、海の思い出。
小石。
潮の香がするような、浜辺の温もりが残っているような。

「ポッケ」という表現は、当然お子さんのポケットのことですよね。
自分のポケットだったらまた違う表現になるでしょう。
「ポッケ」から、お子さんの年齢なども想像されてきます。

◆「詩的」ではない思い出
昔のポケットティッシュは水によくほぐれた。
ポケットにティッシュが入ったまま選択してしまった時の「悲惨」が思い出されました。
全ての服に、細かい繊維がまつわりついてしまって、とるのがとんでもなく大変だったなぁ。
干してから、粘着テープではがしたり。
散文だなぁ、スミマセン。

2010年8月16日 (月)

ホソハリカメムシ

0801_4hosoharikamemusi 8月1日
ホソハリカメムシがミズヒキの花を抱え込んで、吸汁しています。
ちょっとボケていますが、細い針状の口を包む鞘が逆「く」の字に曲がって、中の針が見えます。
0806_1hosoharikamemusi 8月6日
こんどは、ミズヒキの花の後、実ができかかったところにホソハリカメムシ。
ホントに両手で抱えて、という感じで実を押さえています。
鞘は「く」の字になっていますので、中の針はそう長く突き出してはいない。
鞘ごと奥深くへ入りこんで吸汁しているのでしょう。

やっぱり、花とか実とか、汁が濃いのですよね、きっと。
おいしいおいしい、といいながら、夢中になっての食事でした。

セミの脱け殻

0801_1nukegara 8月1日
これ、モンパルのカバーです。
寒いうちは辛いな、夏はいっぱい乗れるだろうと思っていたのですが・・・。
梅雨の間は乗る気になれなくて、梅雨が明けたら、一気にとんでもない熱さになってしまって。
ダメです。とても乗って散歩に出る気になれません。
昼の散歩と称して食後に家の周りをうろついていたのも、ほとんど身の危険を覚えるというほどの暑さにめげて、午前中の8~9時くらいの間に移動させました。
とにかく暑い。今日はこの夏6回目の猛暑日でしょう。
35℃を超えるなんて勘弁してほしいよな、何年かに一回くらい、まぐれで猛暑日、というならまだしも、気象情報で最初から「明日は36℃」なんていう予報が出てはたまりません。こんなことなかったよなぁ、私なんかの若い頃は。

で、モンパルを動かさずにいたら
0806_5monpal 8月6日
その後もカバーの上での羽化が続き、今4つの脱け殻がくっついています。
脚を固定しやすいのでしょうね。
いいですけれど、なんだか自分の出不精に自分で苦笑いしています。

ツマグロオオヨコバイ

0731_3tumaguroooyokobai 7月31日
アジサイの葉の上。
成虫は全く見かけません。
幼虫があちこちにいます。
かわいい、なんていっていてはいけないのでしょうが、やっぱりかわいいです。駆除できません。
「横這い」の名の通り、写真を撮られていることに気づくと、つつっとヨコバイして裏に隠れます。
0807_1tumaguro1 8月7日
やはりアジサイの葉で。
ちょっと細部がボケているのがかえって愛嬌。
芽が合っちゃった、という感じですね。やはり幼い感じを受ける。
クリアに撮れた写真もあります。
0807_1tumaguro2
ヒゲが立派だったり、目のところの配色も分かります。
なんにしても、半透明のきれいな体で可憐なまなざしの幼虫に、笑いかけてしまう私です。

サルスベリ

0730h_sarusuberi1 7月30日
白山神社にて。
高いところでサルスベリの花が咲いています。
本当は、実際に咲いているところでその花を見たいのですが、高くてダメ。
落ちている花を調べてみました。
0730h_sarusuberi2
花の姿が分かりやすそうなのを拾って手に持って撮影。
緑の萼が閉じていますが、おそらくこれは木の上では開いているのではないでしょうか。
その萼の切れ込みの間から出ているのが花弁。普通の花弁とかなり様子が違って、一つの花弁がまるで一つの花のようにも見えます。
中央に長く伸び出しているのがメシベで、周囲でくるくる巻いているのがオシベだろうとの見当はつきます。
0730h_sarusuberi3
花びらの完全に落ちたのを拾って、中を開いて覗いてみるとこうでした。
長いメシベの付け根にちゃんと子房があります。

でもなんだかすっきりしないので、グーグルで「サルスベリ 花の構造」というアンド検索をかけたところ、答えが見つかったようです。公的なサイトを一つご紹介します。
http://www.fukuchi-sanroku-hanakouen.jp/kongetsunohana01.html

・・・
がくは六つに裂け、その各々の裂け目から糸のような軸で立ち上がった、木くらげ状にシワシワの6枚の花弁(花びら)があります。
中央には黄色い葯を先端につけた多数のおしべがあり、そのまわりにそれより長い6本のおしべと、1本のめしべがあります。この周囲のおしべとめしべは先端が湾曲して下向きになっています。厳密に言うと中央のおしべの葯とこれらのおしべ・めしべの先端が向かい合っています。
こうした構造の意味を考えてみると、まず鮮やかな花びらと中央のおしべの先端の食用花粉で昆虫を呼び寄せ、そのとき、下向きになった6本のおしべの花粉が昆虫の背中につき、これがやはり下向きになっためしべに触れて受粉するのです。
自然の造形はすごいとつくづく思います。
・・・

昆虫に食べさせる花粉をつけたオシベと、授粉用の花粉をつけたオシベ、と役割分担しているようですね。
他にも、検索でヒットしたサイトはありますが、ご自分で調べてみてください。
グーグル検索のこの結果の1ページ目には怪しいサイトはなさそうです。

ミドリグンバイウンカ

0730h_midorigunbaiunka1 7月30日
白山神社にて。
影絵が見えました。この姿には覚えがある。ミドリグンバイウンカの幼虫だよこれは。
0730h_midorigunbaiunka2
やっぱりね。
翅の芽がずいぶん目立ちます。終齢でしょうか。
成虫になると、シルエットが変わって「軍配」になるんですよ。

ここで成虫の姿を見てください。
http://aoki2.si.gunma-u.ac.jp/youtyuu/HTMLs/midorigunbaiunka.html
群馬大学のサイトです。

カラスウリ

0730h_karasuuri1 7月30日
白山神社にて。
カラスウリの花が夜に咲いたその翌日の午後、ですね。
子房がふくらんで見えます。ここが実になる部分ですね。
0730h_karasuuri2
花の姿の名残が見えます。

是非一度自分で花の写真を取りたいのですが、果たせずにいます。
季節の花300のサイトでご覧ください。
http://www.hana300.com/karaur.html

0730h_karasuuri3
いろいろ眺めていたら、しぼんだ花に、ルリマルノミハムシだろうと思われる昆虫がくっついていました。

我が家には今、カラスウリの種をまいたものがあるのですが、全然成長してくれず、つぼみもありません。だめかなぁ。これが花を咲かせてくれたら撮ろうと思っていたのになぁ。

ホタルブクロ

0730_15hotarubukuro1 7月30日
少し前に、ホタルブクロの花の後はどうなるんだろう?見てなかったなぁ、と書きました。
で、これがホタルブクロの花の後、です。
しおれた花弁がつぶれてくっついていますので、これをそっと取ってしまうと
0730_15hotarubukuro2
こうなります。
実が熟してきている、という感じでもありませんが、一応、メシベの名残と子房が見えました。
いつも忘れるのですよね、この先どうなるか。
おんぼろ記憶力がもったら、時々見ることにします。

ツバメ

0730tubame 7月30日
分かりにくいかもしれません。
これ、ツバメです。
ヒナを育てるときは、人間の活動範囲の周辺で、カラスの脅威を避けながら育雛しますが、巣立ってしまえば、巣は生活の拠点ではありませんので放棄されます。
我が家の場合、多摩川が近いですから、おそらく、河川敷の茂みなどで生活しているのでしょう。
エサを求めて、写真のように、飛び回ります。
我が家の上を走る電線にとまった瞬間ですが、ズームアップする間もなく飛び去ってしまいました。

ヒロヘリアオイラガ幼虫

0730_14hiroheriaoiraga 7月30日
ボウガシの木に、ヒロヘリアオイラガの幼虫がいました。
きれいなんですが、触らないでください。

いら‐が【刺蛾】イラガ科のガの総称。中形で口吻を欠く。幼虫は短く扁平で毒刺があり、種々の樹木を食害する。繭は卵形できわめて堅く、俗に「すずめのたご」「たまむし」といい、中の蛹サナギを釣餌とする。その一種のイラガはカキ・ナシ・リンゴなどの害虫で、9月ごろ黒条のある繭を作る。[広辞苑第五版]

この棘は「毛」ではなく、刺さる針です。で、刺さると痛いです。(別名「電気虫」とかいいます)。
ただ、チャドクガの幼虫の毛が、幼虫本体が死んでも「有効」で、毛だけ飛んできてもかゆくなるのと違って、イラガの場合は、死んでしまうと針だけ飛んでくるみたいなことはなくなります。でも素手でつままないで下さいよ。

触りさえしなければいいので、処分は楽です。葉っぱにのせて、通行人なんかに見つからない場所に連れていって処分してしまいました。

今朝、サザンカにチャドクガの幼虫がついた葉が1枚ありました。小さな幼虫でした。
風呂用のスプレー洗剤を持って行って、葉の下に塵取りを差し入れた状態で洗剤をスプレーします。泡につつまれて落ちてきた幼虫を塵取りで受けます。幼虫が付いていた葉をあわてずにゆっくりと切り落としポリ袋にでも集めます。幼虫は泡で濡れてしまいますので、毛がとび散りません。安心してゆっくり処理できます。
殺虫剤だと揮発性ですから、幼虫は死にますが毛が散る可能性を残したままです。
この、泡スプレーによる処理は心理的な緊張感が少なくて楽です。
もし、チャドクガの幼虫が発生してしまったらお試しください。

ヒゲナガカメムシ

0730_13higenagakamemusi1 7月30日
ネコジャラシにいたヒゲナガカメムシが
0730_13higenagakamemusi2
お腹を見せてくれました。

先日はクサギカメムシのお腹を見ましたが、また、見ちゃった。
虫のお腹を見るチャンスは多くはない。
でも見たからってどうということもないのですけれどね。
背面や顔面を見れば、種の特徴がはっきりわかるのですが、お腹ではねぇ。

背中に派手な模様があって、それが腹面にも続いているというような場合は面白いです。
でも、ヒゲナガカメムシのお腹は、さほど面白いものではありませんでした。
ゴメンナ、せっかく見せてくれたのに。

2010年8月13日 (金)

アオドウガネ

0730_12aodougane1 7月30日
これもクルミの葉の上。
一瞬、自分が見ているものが何なのか、分かりませんでした。
こんな顔した虫いたっけ?なんだ?

よく見れば、これはアオドウガネ
0730_12aodougane2
アオドウガネのお尻だったんですね。
それにしても、アオドウガネの腹部の末端って、こんなに大きくて金属光沢があったのでしたっけ。改めて眺めて、感心しました。
う~む、立派だ。

サクラコガネ

0730_11sakurakogane1 7月30日
例の金色のコガネムシ・サクラコガネがいました。クルミの葉の上。
で、一枚撮影して、ちょっとアングルを変えようと葉をつまんでひねったら、自らコトンと落っこちました。あら、擬死かいな、と思えば
0730_11sakurakogane2
死に真似はしていませんでした。
ダンゴムシと何やら・・・
うるさいオッサンに見つかっちゃったよ、ダンゴさん
ま、さっさと消えましょうか、サクラさん
・・・

なんとなく、ファンタジーだなぁ。

ヤマトシジミ&モンシロチョウ

0730_9yamatosijimi 7月30日
ブルーサルビアもかなりタフな花ですね。
見栄えが悪くなってきていますが、でも頑張って咲き続け、チョウたちの食事場所になっています。
シジミチョウがいると、つい撮りたくなる。
かわいいですもの。
で、ふと足元を見たら
0730_10monsirotyou
モンシロチョウがいました。
葉の上ですね。
シロチョウとはいっても、結構黄色っぽいのだということを今年はきちんと勉強しましたよ。
あの集団で羽化して旅立って行った連中の、仲間とか、子とか、かもしれないな、と思うと親しみがわきます。

クサギカメムシ

0730_8kusagikamemusi 7月30日
ムクゲのつぼみから汁を吸うクサギカメムシの腹です。
変な写真。
カメムシの腹なんてあんまり見る機会はないから、珍しいものを見た、と笑って下さい。
それだけです。

アブラバチ

0730_7aburabati 7月30日
ツバキの葉の上で。
アブラバチに寄生されて、そのアブラバチが羽化して出て行った後です。
ミイラに似ているということでしょうか、マミーと呼ばれているようです。
気をつけてみているとこういうの、結構あるものなのですね。
今年は、ケース内で羽化させて、アブラバチの成虫も見ました。
http://yamada-kuebiko.cocolog-nifty.com/blog/2010/05/post-6a1c.html

ところで、アブラバチの幼虫はアブラムシ1匹で成長して羽化まで至れるんでしょうね。
なんだか、この1匹のアブラムシでは足りないんじゃないか、という気もしてしまいますが、そうではないらしい。
でも、どう考えたって、アブラムシより体重の大きなハチができるわけはないのですから、恐ろしく効率のいい成長をするのでしょうね。
私の見た成虫は2mm足らずでしたか、小さなハチでしたが、あの体をこのアブラムシ一匹を食べて作るとなると、驚異ですね。
不思議なものだ。

結構大きなアゲハ幼虫に寄生して羽化するハチは蛹の大きさに比べると小さなものでした。
その経験からすると、アブラバチはとんでもない効率だという感じがします。

ヤガタアリグモ(でしょうか)

0730_6arigumo1 7月30日
ブロック塀の壁面で見かけたものです。
アリグモ、と総称してしまっていますが、これはちょっと、マズイかな。
腹部の模様がね、アリグモではなさそう。
0730_6arigumo2
ヤガタアリグモというのが一番似ているのですが。
「日本のクモ」という図鑑によりますと

平地に生息。草原、樹林地とその周辺などの草や樹木の葉上、枝や茎の間などに見られるが個体数は少ない。タイリクアリグモにきわめてよく似ており、外見での区別は難しい。2004年の日本蜘蛛学会第36回大会において、池田博明により日本新記録種として発表された。

とあるんですね。
似ているというタイリクアリグモの方には

アリグモより茶色が強く、成体での区別はつけやすいが、アリグモも幼体期は茶色であるため、幼体での正確な同定は不可能。平地~山地まで分布するが、個体数は少ない。
・・・

なんですよ。
私は普通種でいいんです。希少種はちょっとなぁ。
普通種と一緒に暮らしたいんです。
私の家は一体どこにあるんだ?

それともアリグモの幼体なのかなぁ。
いや、大きさ的には成体ですよ、写真のクモは。
私には決めかねることとなりました。
どなたか、クモに詳しい方、決めてください。

ダンゴムシ

0730_5dangomusi 7月30日
ダンゴムシの交尾です。
ダンゴムシにも関心がないわけではないのですが、なにせ地面を歩きます。
私は低い姿勢が苦手。もしダンゴムシをきちんと撮影するなら、ケースに土でも入れて飼育しながら撮影するしかないでしょう。そこまでの気力はないのです。
今回は、ブロック塀の支えの上面にいましたので、こういう近づき方ができました。
幼生を保護するとか、ぶつかった時に曲がる方向が、右、左、右・・・と交互なんだとか、いろいろ面白い話はあるんですけれどね。(これを利用してダンゴムシに迷路を脱出させるという実験もあります。)

ま、撮れる時に撮りますので、ご覧ください。

ホウズキカメムシ

0730_4houzukikamemusi1 7月30日
おや?赤いカメムシ?
写真の上の方にホウズキカメムシの幼虫の腹の部分が写っています。色を比べてみてください。
0730_4houzukikamemusi2
翅などがまだ完全に乾ききっていないように思われます。
しかしそれにしても赤いなぁ。
これは脱皮して間もなくですね。

0731_5houzuki 7月31日
同じ場所に行ったら、昨日の赤いのがまだいました。
完全に体は固まったと思うのですが、やはりまだ赤い。
そばにいた普通のホウズキカメムシの写真も撮って、2枚並べてみました。
いかがでしょう。姿形はホウズキカメムシですよね。
色が違うだけ。
何か、突然変異のようなもので、黒っぽい色素が充分に作れなかったのでしょうか。
こういうこともあるんだなぁ、と感心しました。
その後、この赤っぽいホウズキカメムシには出会っていません。どうしたでしょうね。

2010年8月12日 (木)

アメリカミズアブ

0730_3amerikamizuabu1 7月30日
また「撮ってぇ」ですよ。
アメリカミズアブ。
ぶんぶん音を立てて飛びますが、危険は何もありません。
葉にとまっているのを写そうとすると、敏感に感じとって逃げてしまうことが多いのですが、わざわざ手に止まるとは。なんちゅうやつだ。
触角を互い違いに上下に振るというのがかなり目立つ特徴です。
上の写真でも、右の触角が下がっていて、左の触角が上がっています。

もう一つの特徴が複眼の模様。
0730_3amerikamizuabu2
ほらね。
こんなにまん丸な顔つきだとは思っていませんでした。結構かわいい。

翅の付け根のところにある小さな杓文字のようなものは平均棍です。ハエ目昆虫の特徴。
昔、後翅だったものが、飛翔用としては退化して揚力は発生しませんが、飛翔中の体のバランスを取るのに役立っています。
他の昆虫の羽ばたきにおける後翅と同じタイミングで、前翅に連動して激しく振られるものです。
運動としては一応羽ばたき運動をするのですね。で、揚力は発生しないけれど、ジャイロのような姿勢制御装置として働いているのです。

モノサシトンボ

0730_2monosasitonbof 7月30日
モノサシトンボのメスですね。
前にモノサシトンボのオスを載せました。もっと青かったです。
こちらは、色合いが違いますので、メスです。
我が家の池で孵化・成長・羽化したものと思います。

こんな小さな池でも、生きもの密度がものすごく高いですね。

ムクゲ

0728_9mukuge 7月28日
ムクゲの花が次から次へと咲き続けています。
我が家のムクゲは純白。
で、目立ってしまうのかもしれませんが、アリがこの花にたくさんやってきます。
蜜がよほどおいしいのでしょうか。
あとは、つぼみでカメムシを見るくらいなのですが、アリはせっせと通っていますよ。

カメムシ(でしょう)

0728_6kamemusi1 7月28日
桜桃の木に葉裏にこんなものが。
カメムシの幼虫だと思うのですが。
0728_6kamemusi2
葉っぱについている黒いものと、幼虫の背中の黒いものとの関係はあるのかないのか。
0728_6kamemusi3
何というカメムシの幼虫なのかはわかりませんでした。

桜桃の木はまだ十分にたくましくなっていませんから、守っています。
カメムシの場合、食草が固定的なものもあるし、自由度の高いものもいるようです。
で、この連中には、「ここはダメ。あっちのほうの大きな木でよかったらあっちで成長しな」と言い聞かせて、葉っぱごと連れていってくっつけておきましたが。どうなったかな。

アオスジアゲハ

0728_3aosuji1 7月28日
昨日はアゲハ、今日はアオスジアゲハです。
このランタナは昨日アゲハが舞ったランタナとは別の場所。4,5m離れたところ。
目の前をアオスジアゲハが横切って、私をここへ引っ張ってきたのです。
そうして、じっくりと蜜を吸う姿を見せてくれました。
あまりにものんびり一つ一つの花を探りまわるので、間に合うかもしれないと、オ~イと大声をあげました。室内にいた妻に声が届いて、玄関から顔を出しました。手招きして二人で鑑賞。
0728_3aosuji2
ランタナの花は小さな花が集合しています。
このアオスジアゲハは、その小さな花の一つ一つに丹念に口吻を差し入れては蜜を吸っています。
0728_3aosuji3
夢中になっているのでこんなに接近することも許してくれます。
0728_3aosuji4
ほら、すごいでしょ。
屋外で、飛び移りながらの吸蜜ですが、体のふさふさの毛が識別できるほど。
複眼の個眼が見えそうなくらい。
こんな接近を許してくれました。
0728_3aosuji5
いやもう、飛ぶ宝石、ですね。
やがて去っていきましたが、夫婦二人して、大きく深呼吸ですよ。
すごかったなぁ。

連日チョウが来てくれます。なんと贅沢で豪華な時間でしょう。

記事を書いている今、アオスジアゲハの幼虫が4,5匹いるんですよ。
毎年、毎年、何匹かのチョウたちを旅立たせています。ひょっとすると、その子孫も入っているかもしれませんね。
「ここは、私たちの実家」と言っているチョウもいるのかもしれません。
チョウを飼育していると、なんだか、目の前のチョウのすべてが親しいものに見えてくるのです。
すてきな趣味でしょ。
稔り多き日々です。

ツマグロオオヨコバイ

0728_2tumaguroooyokobai 7月28日
ツマグロオオヨコバイの幼虫ですが。いや、シツレイ。
おしっこ玉をこしらえたところだったんですね。

最近、成虫を見ません。
長い間ずっと成虫を見てきたのが、ここにきて幼虫ばかりです。
成虫たちは生殖行動を終えてみんな死んでしまったのでしょうか。
世代の交代が進行中のようです。
今のこの幼虫たちが成虫になって、また長く目を楽しませてくれることになるのでしょう。

ヒメナガカメムシ

0727_4himenagakamemusi 7月27日
左手がむずがゆい。
見ればカメムシ。
ポパイタイプではないですから、これはヒメナガカメムシ。
単眼が写るほどの接写をしたら、すぐ飛んで行ってしまった。
こういう「行動」をされると、擬人化したくなりますよね。
「おじちゃん、撮って」とやってきた、撮ってもらったら、バイバイ。

結構こういうことがあるから可笑しい、人間離れしてきたか、と笑ってしまいます。

アゲハ:2

0727_3ageha4
ちょっと大きめの写真を載せます。
ダイナミックに羽ばたきながら、体はしっかり落ち着かせて、蜜を吸っています。
見事な姿でしょ。
ため息が出ます。凄い。美しい。

0727_3ageha5
やがてふわっと浮き上がって、玄関ドアの前を横切り、高~く舞いあがって去っていきました。

言葉もありません。お礼を呟き、深呼吸し、夢から覚めたような気分で飛び去った方向を眺めて、しばらく立ちつくしたのでした。

はぁ、すごいものをみせてもらった。

アゲハ:1

0727_3ageha1 7月27日
玄関を出たら「足止め」。
目の前のランタナにアゲハがやってきて、舞ってくれるのです。
この頃は、クロアゲハやアオスジアゲハとのつきあいが増えて、ナガサキアゲハなどもやってきて、アゲハがあまり姿を見せてくれませんでしたが、この日はじっくり姿を見せてくれました。
0727_3ageha2
初め気づかなかったのですが、右の後翅に欠損があります。
さしあたって、花を舞うには不便はなさそう。バランスが崩れているということもなさそう。
0727_3ageha3
目の前5,60cmです。
私を警戒するでもなく、自在に飛び回って蜜を吸っています。

長年チョウを飼育してきて、羽化した成虫を放すときには、翅がボロボロになるまで飛んで、飛んでおくれ。自在に空を舞い飛ぶこと、それがチョウの生き方なんですから、ぜひそうして欲しい。私たちはコレクターじゃないんで、完全な姿のチョウの標本がほしいのではないのです。チョウの生き方に寄り添いたいだけなんです。
翅がボロボロになるまで飛ぶ、それが本望でしょう。

こんなことをいつも思っているものですから、実際こうやって翅がボロボロになったアゲハが目の前に来て、舞い姿を見せてくれると、なんだか、ジーンとしてしまいましてね、うれしくって、うれしくって。
相手は虫なのに、きれいだね、思いっきり生きてきたんだよね、などと声をかけながら夢中になってシャッターを切り続けてしまったのでした。

{続く}

オンブバッタ(ですか)

0801_6batta 8月1日
体全体にこまかい模様あり。
0803_13batta 8月3日
これはいかにもオンブバッタ。
0803_16batta 8月3日
翅の芽のところの模様が違う。

前の記事と同じことを繰り返してしまいました。

最近出会うのはここでの一番上の写真に写っているタイプです。オ-シャンブルーの葉を食べていて、多分毎日同じ個体に会っている。

このあたりの違いがきちんとわかるサイトとか、ありませんか?
気づいてしまった「ふしあわせ」です。
気になるなぁ。

オンブバッタ(ですよねぇ)

0727_2onbubatta 7月27日
↑これオンブバッタですね。まず間違いないと思うのです。
↓じゃあこれは?
0730batta 7月30日
翅の芽のところの模様が違うんですね。
色合いもなんとなくなぁ。
迷いを生じてしまった。
0731_4batta
なんだか、体全体に細かい模様があって・・・。
上の3枚、別々に見ればオンブバッタですが、比べてみると、それぞれ微妙に違うなぁ。
雌雄の違い?まさかショウリョウバッタと見間違えてることはないと思いますが。

ついでですので、次の記事もこの続き。

2010年8月11日 (水)

クサギカメムシ

0726_7kusagikamemusi1 7月26日
クサギカメムシも手を擦るんですねぇ。こちらは成虫。
0726_7kusagikamemusi2
こちらは幼虫。
前の記事のホウズキカメムシほど一緒にくっついてはいなかったのですが、比較的そばにいました。
ちょっとちょっかいを出したら、指先に乗ってきてしまった。
爪よりちょっと小さいくらい。
かわいいものでしょ。怒らせてませんから臭くなんかないですよ。
翅の芽がオシャレ。
きっと次の脱皮で成虫でしょうね。
元の場所へ移らせてやりました。

ホウズキカメムシ

0726_5houzukikamemusi 7月26日
ホウズキカメムシなんですが。
親子でお散歩うれしいな、というわけでもないでしょうけれど。
なんとなく擬人化して、親子連れ、に見えますねぇ。
2世代が一緒に行動するというのはカメムシの面白いところかもしれません。
エサが共通で、親の寿命が長いせいですね。

キンカン+

0726_4kinkan1 7月26日
キンカンの花や花が終わって子房が見えているところ、など、全く無造作に何気なく、撮ったんです。
0726_4kinkan2
見られてたぁ。
花のほうにピントを合わせていますから全くのピンボケなんですが、葉の裏にいるのは紛れもなくネコハエトリのメス。
正面の1対の単眼がしっかり光っています。
なんだかすっごく愛嬌のある顔に見える。
参ったなぁ、みられちゃったかぁ、という気分ですね。
どこで誰に見られているのか、分かりませんねぇ。

{昔、都はるみさんの「あら、みてたのねぇ」というのがありましたが、ネコハエトリに見られてしまったカカシでした。}

セグロアシナガバチ

0726_3seguroasinagabati 7月26日
セグロアシナガバチが池に舞い降りました。
さっそく近寄って撮影。
離れて肉眼で見ていた分には、ハチは水面に浮いている水草とか、水面まで届いている水草の茎に脚をおいて体重を支えているのだろうと思っていました。
こうやって近づいてみるとどうやら違うようです。
水面の反射光でみるくぼみ具合からして、ハチは自分の脚で水面に立っているようです。
アメンボほど自在とはいかないでしょうが、6本の脚に体重を分散して、それぞれの脚が水面にくぼみをつくって、表面張力で支えているようなんですね。
そういうことができるとは知りませんでした。
脚が水中に潜っているようには見えないですよね。
水を飲んで巣に帰り、巣に水をかけて冷やすのでしょう。蒸発熱で。
いろんな知恵を獲得しているものですね。

大型のアシナガバチです。普通にしていて攻撃されることはないのですが、もし人の通るところに巣を作られていたらマズイですので、ちょっと緊張します。飛び去る先を眺めて、遠くへ行くようなら、まあいいや。

ほんのわずかの水面に繰り広げられる虫たちの様々な姿、楽しいですねぇ。知らないことばっかり。学ぶことばっかりで、こんな楽しいことはない。

ナガサキアゲハ:2

0802_0nagasakiageha 8月2日
前蛹になりました。

0803_1nagasakiageha1 8月3日
蛹になりました。
0803_1nagasakiageha2
ケース越しですこしぼやけた感じですが姿はお分かりいただけますね。
0803_1nagasakiageha3
真上から。
きちっと糸を張って、体を支えています。これが「命綱」。
自然界で羽化する時はこれがもし切れたらおしまいです。
命を託した糸です。
さぁ、これから、成虫への大改造が起こります。
待ちましょう。何をしてあげることもできはしません。
この小さな体の中でのおおしごと。一人でやり遂げます。
飼育なんていったって、立ち会うこと、待つこと、しかないんですよ。
生きることは自分でやるんですから。

ナガサキアゲハ:1

0726_2nagasakiageha 7月26日
もうすぐ終齢になるところ。
0727_1nagasakiageha1 7月27日
終齢幼虫になっていました。
相変わらず怒りんぼ。
まあまあ、気を鎮めてとなだめて
0727_1nagasakiageha2
終齢幼虫になりたては、大きいけれど腹が細いんです。頭でっかちに見える。
0729nagasakiageha 7月29日
太ったでしょ。がっしりしてきました。体内ではもう、蛹になる準備が始まっています。
この見かけの顔と、くいっと下に曲げている本当の頭の対比が面白いですね。
アゲハよりもクロアゲハよりもがっしりと大きな幼虫です。

花火

◆前の記事でご紹介した大高翔氏の親子俳句の中で、こんな句が紹介されていました。
親御さんの方の句です。

パンと鳴り間があり開く花火かな:(母)

あれぇ、逆じゃないのかなぁ?
理科おじさんの「理」です。
前の花火の音が消えて間を置いて次の花火が開いた、という句ですか?
それとも、打ち上げの音を聞いて、しゅるしゅると上昇していって、間があって花火が開いた、という句でしょうか?
わかりません。

花火がぱーっと開いて、遅れてどーんと来るんですよね。
遠くで見ていると、その「間」が長くなる。

言葉に乗せるときに、勘違いをなさいませんでしたか?
{内緒話:パッと開き間がありドンと花火かな のような気がする}

◆8.8付の「ののちゃん」(作・いしいひさいち)という漫画がまた、同じような「?」でした。
この漫画のギャグは私には理解できないものばかりで、つまらない漫画だと思っておりますが、一応見てはいます。{人間の「おろかしさ」を愛情をもって包み込んで表現しているのではなく、「おろかしさ」を見くだしているように感じてしまうんです。この漫画のファンの方には申し訳ないことですが。}

絵ですから、引用はできません。
説明します。

1:{暗い夜空に花火}「パッ」
2:{消える}
3:ドン
4:母「どんだけ 沖で打ち上げてるんや」
  ののちゃん「花火が微妙に小さかったね」
  祖母「理科における雷かいな」

こういう4コマです。
「間」がすごく長いようです。ならば、「微妙に小さい」のではなく、思い切って「打ち上げ線香花火かな」くらいに表現してもよかった。
そして、「理科における雷かいな」です。理科における、ではなく、「音は光より遅いからなぁ」と言わせてもよかったのでは?
学校で習うことは、庶民の日常生活には全く役に立たない、という視点がこの漫画では貫かれているのです。算数も、理科も、役になんか立たない、とこの漫画は主張しています。
ちがうでしょ。雷がピカッと光ってから、「いち、に、さん・・・」と数えて、3カウント後にゴロゴロときたら、340×3≒1000m=1km離れたところの雷だったんだね。
間が短くなってきたら、雷雲が近づいてきているのだし、間が伸び始めたら、もうすぐこの夕立ちはおさまるのだし。
キャンプ場でも、光と音で、危険を察知できるのだし。
命を守る知識でありうるわけですよ。
私自身は、兄が5歳年上だったこともあって、小学校の低学年の頃にはこういうことを理解していました。光りは音より圧倒的に速いということを知っていました。

「理科における雷」ではなく、「雷さんとおなじやなぁ」でもいいですよね。
どうも、配慮に欠ける漫画です。

◆母の実家は秋田県の八森というところにありました。
私自身が夏をそこでよく過ごし、子育て中は子らを連れて毎年そこへ行っていました。
8月の能代の花火大会というのはそれなりに有名です。米代川の河川敷の桟敷で観たこともあります。
で、この能代の花火が八森から見えるんですね。
八森の海岸から能代市まで直線距離で20kmくらいあります。
海岸の湾曲のおかげで、海の向こうに花火が見えるのです。
20km先の花火は遠いですよ。「ぽ」と光って、約1分後に音が来るんです。
今聞こえた音がどの花火が出した音かなんて実は分からないのです。
でも、星明りしかない海岸で、昼間の日射の温もりを尻の下の砂に感じながら眺める「遠花火」というのは、風流というか、小さいけれど絶景というか、楽しいものでした。
「打ち上げ線香花火」より小さいかな。
浜に寝っ転がれば、雄大な天の川。水平線に花火。波音にまぎれる花火の音。
終わった頃に、家庭用の花火を砂浜で遊んで、帰って寝る、と。
夏の夜の楽しみでした。
もちろん私は子らに、光と音の速さについて教えましたよ、理科教師ですもん。生活に役に立つ理科知識をどんどん教えましたね。
生活は理科です。生活は算数です。

親子で俳句を

2010.8.8付の朝日歌壇・俳壇のあいだのコラム「うたをよむ」で、俳人の大高翔氏が、「親子で俳句を」という文を書いておられます。
・・・
俳句は、現代の親子にとって、こんなにすばらしいコミュニケーションツールになるのだ。
・・・
と書いておられます。
それはその通りだと思いますし、言葉を意識化して使うことの楽しさ、言葉の持つ意味がどのように伝わっていくのかについての深い経験などを味わうことができると思います。目で見たものを、心に感じたことを「ことば」で表現することは大変に意義深いものです。

かつて、子どもが書く「言葉」は詩だ、というのがはやりました。
大人の常識的な視点を覆し、常識的な表現を突き崩し、新鮮な驚きと感動を受けたことは紛れもない事実です。
しかし、勢い余って、ただ単に、年齢の低い人が書いたものなら何でも「詩」だという行き過ぎが起こったことも否めません。
稚拙な散文を、ただ短く切って並べたら詩になった、というのは行きすぎでした。
現在、あまりそうしたものは流行らなくなりました。当然です。
大人が書こうと子どもが書こうと、「作品」は独立したものとして、作品自体として鑑賞されるべきであって、書いた人によって価値が決まるべきものではありません。

今週の歌壇にも小学一年生の歌が一首、選ばれております。
歌壇の選者の方々に、幼い人の歌を選ぶ傾向が多少あって、10首を選んで、その最後に置くことが多いようです。
決して悪いこととは申しません。ですが、上に書いたように、年齢がまだ少ないがゆえに選ばれたのだということになっては、作者に対してもかえって礼を失することになるでしょう。
読者の心に作品が語りかけることがまず第一です。その基準を失ったら、いずれまた、年少者の短歌が消えてしまうでしょう。俳句も然り。

親子の俳句・短歌づくりは楽しいことです。慎重に育てて行って、大切な芽が途中で枯れることのないようにしたいものだと思うものです。

空蝉

2010.8.8付 朝日俳壇より
空蟬や脱ぎつぱなし置きつぱなし:(伊丹市)岸下庄二

0728_4nukegara 7月28日
それが生きて行くということでしょう。
やがて、脱け殻は落ち、土に還っていきます。
脱ぎっぱなし、置きっぱなしのようでいて、ちゃんと自然界の循環の中にある。

置きっぱなし、出しっぱなしなのが人間。
燃やせば消える、という発想で、何でも燃やしてしまった。
二酸化炭素出しっぱなし。
後始末は植物まかせ。
水に流せば消える、という発想で、何でも海に捨てていたら、海の浄化力を超えてしまった。
水は汚しっぱなし。

自然の循環過程からはみ出してしまって、種としての存続さえ危うくなっています。
ヒトに100年の未来はありますか?1000年の未来はありますか?10000年は?
ホモ・サピエンスは絶滅が危惧される生物種ですね。

昭和

2010.8.8付 朝日俳壇より
八月やあの日昭和を真つ二つ:(岐阜県揖斐川町)野原武
 長谷川櫂 評:昭和という時代の真ん中に戦争があった。と思っていたのだが、こういう見方もあるか。二つに断たれた時代。

「真ん中」などであるものですか。
私は昭和23年の生まれ、戦後生まれ。昭和「64」年の1月には40でした。

戦争が、「分断」しているのです。時間を。

私は、この「分断」ということを警戒するものです。
昭和20年で分断されて、それより前のことが、単に遠い「過去」のように感じられてしまう。
連続感が失われる。自分のいる「今」につながっていないような気がしてしまう。そのために、戦争とはなんだったのか?、戦争責任は?などの歴史的な問題が、なんだかもう過ぎ去ったことだから免罪されてしまった、自分には関わりがない、というような時代の雰囲気を作り出してはいないか。
昭和20年以前に生まれ生きた人がまだまだいっぱい御存命であるのに、あたかも過ぎ去った過去のように思ってしまうのは無責任じゃないか、と思うんですね。

元号というものも、使いますが、遠ざけています。
昭和「時代」などといって、もう、過去の古き時代のように語ってしまう。
歴史の連続感がない。
大正、明治、などといったら大昔であって、「太古の人類」見たいな気分でいる。
高々、明治ごろに生まれた習慣を、古来の日本の習慣のようにいう。
うそでしょ。
祖父母、曽祖父母の時代でしょ。まだまだ。
つながってるじゃないですか。
元号が変わるたびに、「過去」を脱ぎ棄ててしまって、歴史を分断するのはいけません。
もっとも、為政者はそれこそ古くから、飢饉や疫病があると、元号を変えて、意図的に連続性を断ち切ろうとしてきたのですがね。

西暦のほうが連続性の感覚が保てて歴史感覚を身につけるにはよいと思っています。

◆やわらかい話を一つ。
若い教師の時代。教師の夏合宿によく参加しました。昼間は、授業の報告や議論討論などに熱を上げ、夜はアルコールっ気も交えて歓談して。
じゃあ、10年ごとの世代で集まって、何か歌うなり寸劇なりやろうか、ということにもなったことがよくあります。
1920年代生まれ、1930年代生まれ、・・・、1950年代生まれ、などとこれは結構うまくまとまるのです。育った時代の文化的な背景を共有していて、歌なども共有している。
ところが、1940年代生まれ、はダメなんです。
1945年を境にして、歌う歌が違うんです。
文化の共有感が薄いんです。
ショックでしたねぇ。
このdecadeだけは二つに割らないとだめでした。

ひやむぎ

2010.8.8付 朝日俳壇より
ひやむぎのあかいいつぽんのようなひと:(延岡市)金丸浩樹
 金子兜太 評:その赤い一本の冷や麦をすうーと吸いこんで。

ごめんなさい。作者のイメージも、それに応える選者の評も、よくわかりません。
なんとなく、にやっとするだけです。
どういう「ひと」なんだろう?
で、すいこんじゃったらどうなるんだろう?

楚々とした女性が、ひやむぎを運んできてくれたのかな?
で、そのイメージを、細くしなやかだけれど、際立って見える「赤い麺」に託して表現したのかな?
で、金子氏は、その「ひと」に、そのひやむぎの、食感、味覚、すずやかさ・・・と重ねろと言っているのかな?

◆そもそも、冷や麦と素麺の区別もしっかり意識していない無粋な男で、すみません。
冷や麦は細打ちの「うどん」ですよね。
確かにこどもの頃、冷や麦を頂くと、赤と青の麺が入っていて、探したり、見つけて喜んだり、色々あったのを覚えています。

今回、ちょっと検索してみましたら。
・天の川を表現している。
・白い冷麦の中の二本の色付は、その色で「涼」を表現したと師匠に聞いたことがあります。侘び寂びの世界ですね。
・子供の食欲を誘うためだそうです。
など、いろいろな意見がありました。

製麺所がひやむぎの麺束にこれらの彩色麺を混入しているためで、これによりそうめんとひやむぎを区別していた。この風習は1980年代後半までは関東地方(東京)などを中心に多く見られたが、1990年代には徐々に縮小していき大多数が白一色のひやむぎになってしまった。しかしその一方で揖保乃糸など一部の製造業者が現在でもこの風習を続けている。色のついた麺が入っていると子供が喜ぶ為、近年ではそうめんにも入れられていることがある。

こういう解説がもっともらしいですね。

揖保乃糸の手延冷麦です。ピンクと緑の色麺が2本ずつ入っているのが目印♪ご贈答用に、ご家庭用にどうぞ。

これは広告。

骨脆く

2010.8.8付 朝日俳壇より
骨脆くなりて生き抜く原爆忌:(長岡市)内山秀隆
 金子兜太 評:原爆ごときものに、骨をもろもろにされてたまるか。普通に自然に生きてゆきたいのだ。

金子氏の評に違和感。
骨が脆くなったのが、原爆のせいなのか、年齢のせいなのか、それはわかりません。
おそらく両方でしょう。
それだけ、被爆後を長く生きてきたのです。
それだけの年月を経て、核爆弾はなくならない。
骨が脆くなろうとなんだろうと、そんなことで、反核の意志を変えることなどはできないのだ。
この世から原水爆がなくなりますように。

2010年8月10日 (火)

蟬の穴

2010.8.8付 朝日俳壇より
蟬の穴だらけの庭となりにけり:(泉大津市)多田羅初美
 稲畑汀子 評:蟬の穴だらけの庭を描いて蟬時雨のすさまじさを読者に伝える一句。

今はミンミンゼミとアブラゼミが競って大声を挙げています。
一昨日、カナカナゼミ(ヒグラシ)の声が、お寺のほうから聞こえてきました。今年の初鳴きでした。

蝉は木の根にくっついて吸汁し、長い時間をかけて成長して出てくるわけです。地面に穴もあけます。でも、どういうわけか、蝉の吸汁、穴あけは園芸家の方が嫌わないんですね。
コガネムシの幼虫などは根切り虫と呼ばれて駆除されるし、アリもさして木の根を傷めることはないはずなんだけれど、嫌われてお湯を注ぎこまれたり、殺虫剤を流しこまれたり。

なんで蝉はいいの?
鳴くから?

私には少々不公平、差別だ、と見えてしまうんですが。
虫好きのたわごととおわらいください。

青田

2010.8.8付 朝日俳壇より
次々に風は姿となる青田:(静岡市)松村史基
 稲畑汀子 評:青田を渡る風の姿に、季節の推移を描く作者の感性。目に見えない風を青田にとらえて妙。

この句は視覚的なシーンが広がる句です。
ただ、ちょっと危険な題材であることも指摘しておきたいと思います。
風が吹いて、それによって青田の稲がなびく、それが「風を可視化する」というのは、かなりよくあるシーンであり、昔テレビのCMなどでも、使われたことがあったように思います。
新しい表現、なるほどそうかという発見などがない限り、初心者がこの題材を使うと、類想ありとかいわれかねません。

見舞

2010.8.8付 朝日俳壇より
見舞はれぬことが見舞や梅雨曇:(松本市)唐澤春城
 稲畑汀子 評:うっとうしい梅雨に体調を崩した人。見舞われるより、本当はそっとして欲しいのだ。見舞われないのが有難い、本音。

でもねぇ、一方では、「あの人は見舞に来たけど、あの人は見舞に来なかった。冷たい人だ」「あの人は見舞に行ったけど、あの人は見舞に行かなかった。冷たい人だ」なんて口さがないことを言う人もおりましてね。
むずかしいところですよ。世間づきあいというやつは。

私は作者に賛成です。
真心のこもらない見舞なんて負担になるだけです。
相手の負担にならないような心の配り方、というものがさりげなくできるようになるといいですね。

兜虫

2010.8.8付 朝日俳壇より
兜虫落ちないように飛びにけり:(富士見市)新藤征夫

カブトムシは体が重いですからね、あれが飛んでくるというのはかなり大変そう。
「落ちないように」というのはそのあたりをうまく表現しています。

ところで、トンボは昼間に活動して自在な飛翔を見せます。飛びながら獲物を籠状にした脚で抱え込んで捕まえて食べます。
その飛翔には「視覚」が大きな役割を果たします。単眼が明暗の切り替わるところ、つまり地平線などを検知して、地面へ向かってダイブしてしまうことを防いでいるとも聞きます。

カブトムシは夜、月明かりの中を樹液などを探して飛びます。
月を見る角度を一定に保つと水平に飛べるのだそうです。地上でいくら飛んでも月の角度はその飛翔によっては変わりませんものね。不動点として扱えます。
しかし、カブトムシの飛行ははっきりいって、下手。トンボ、ハエ、アブなどは、自在に飛んで自在にやわらかく目的のポイントにとまります。
カブトムシは、木の幹に体当たりして止まります。うまく速度を落として、着陸時には速度ゼロにするというような飛び方はできません。体が丈夫ですからいいのですけれど。ガツンとぶつかって、やっととまるのです。

ところで、夜行性のガなども、同様に、月を見込む角度を一定に保つ、という飛び方ができます。
ところが、月は遠いから、それで水平飛行になるのですが。
地上にある光源、たとえばたき火に対してこの飛び方をするとどうなるか。
光源を見込む角度が一定の飛び方をすると「等角らせん」というラセンを描いて光源に接近していってしまいます。
「飛んで火に入る夏の虫」というのは、このような習性がもたらす行動なのですね。

ご参考までに↓
http://yamada-kuebiko.cocolog-nifty.com/blog/2008/08/post_9af9.html

http://yamada-kuebiko.cocolog-nifty.com/blog/2009/06/post-d0e5.html

あめんぼう

2010.8.8付 朝日俳壇より
水上を氷上のごとあめんぼう:(久留米市)田中淳也
 大串章 評:あめんぼうの滑らかな泳ぎが、「氷上のごと」によく表れている。

アイススケートにたとえたのはよくわかります。あの摩擦のない水面を自在に移動する姿は氷上の舞いにもたとえられるものです。
ただ、ちょっと選者に苦言を。アメンボウが「泳ぐ」というのはちょっと違いませんか?
水面を「滑走」しているのではないかなぁ。泳ぐというのはもっと水の中でしょう。

水馬水はさみしき乗物なり:(八戸市)ちば夜汽車
 長谷川櫂 評:アメンボの下を流れる水。「さみしき乗物」とは舟を浮かべて乗ったときの感じに似ている。

でもって、また選者に苦言を。「舟を浮かべて乗ったときの感じ」ってなんですか?
私もいろんな船、小型漁船から、大型のフェリーまでずいぶんいろいろ乗りましたが、「似ている」といわれても、意味不明です。もう少し、読者に分かりやすい表現を使ってもらえないでしょうか。
作者は、水が「さみしい乗物」だといっているのであって、水に浮いているアメンボをさみしいと言っているわけではありません。

「乗物」に「さみしい」という形容をつけることで発生してくる「意味」について、それなりのイメージはありますが、私としての適切な表現を与えることができません。
読者に任された領分です。

戦争の絵本

2010.8.8付 朝日歌壇より
戦争を知らぬ私が戦争の絵本を子らに読み聴かせおり:(和泉市)星田美紀

作者は子育ての歌を多く朝日歌壇に寄せて選ばれています。
もうそろそろ小学校かな、とも思います。
若いお母さんです。

戦争を経験した者のみが戦争を語りうる、などというようなことはありません。決してありません。
戦争体験を引き継ぐというのは、ただ体験者が体験を語ること、ではないのです。
その体験を自分自身に引き受けて、自分の言葉で語ること、それが「引き継ぐ」ということでしょう。
そうでなければ、体験などというものが長く引き継いでいけるわけがない。

昔、工業高校で荒々しい生徒たちを広島の修学旅行に引率し、被爆者の話を聞く機会を持ちました。生徒たちが話を聞かないのではないかと心配したのですが、とんでもない。
咳一つもせず、長い時間を聞き入っていました。騒がしくするのではないかと疑ってしまって心の底から生徒たちに申し訳なかった、と反省しました。
自分の受け持つ生徒たちに本当に感謝したことでした。

戦争を語り継ぐということは、心を受け継ぐことです。
若い母親の優しい言葉で戦争の絵本を読み聴かせてもらう子の成長を頼もしく思います。

{自分のことをじいさんと言ってますが、私は昭和23年生まれですので、戦後生まれです。念の為。「戦争を知らない子供たち」を自分のこととして口ずさんだ世代です。}

ギンヤンマ

2010.8.8付 朝日歌壇より
ホバリング後のギンヤンマ見失う空にゆったり夏雲遊ぶ:(堺市)丸野幸子

先日、NHKのアインシュタインの眼という番組で、トンボの飛翔を見ました。
4枚の翅をそれぞれ別々にコントロールできるんですね。
空中にホバリングしていたかと思うと、全速で飛んでいる。急降下してきて、一瞬で向きを変える。ものすごい飛翔力です。
ホバリングやひっくり返って天井にとまるというようなものすごい飛翔力はアブやハエにもありますが、トンボはやっぱり速度が違う。
昔よく、汽車の窓の外を長い時間トンボが並行して飛んでいたのを感動しながら見たなぁ。

昆虫を見るときは、一瞬も眼が放せません。眼を放したらそれっきりになります。
ましてギンヤンマ、見失ったとたんにものすごく遠いところを悠然と飛んでいたりするんですよ。
その瞬間を見事に切り取った歌ですね。

◆5,6歳の頃、住んでいた家が高台の縁でした。その縁のところにいて「虫目」になっていた私の目の前にオニヤンマがパトロール中だったのでしょう、やってきた。
目の前で、オニヤンマがホバリングしながら、こちらを見ている。目が合ってしまった。
手には捕虫網はない。手を伸ばした少し先に浮いている、採りたい、でも手を伸ばせば崖から落ちる。長かった、主観的にはものすごく長い時間でした。おそらく実際にはそんなに長い時間ではない。
やがて、ふいと、向きを変えて飛び去ったのでした。
強烈な映像として今も記憶に残っています。

稚魚

2010.8.8付 朝日歌壇より
針先のごと頼りなき稚魚たちが人影させばはや藻に隠る:(名古屋市)田中稔員

何の稚魚でしょうね。メダカ?キンギョ?フナとかコイとか・・・?
最初はね、人の歩く振動や水面にかかる「影」などを捉えて隠れるんですがね、やがて「学習」します。
エサくれる音だ、影だエサだ、とね。
そうすると、よってきて、ちょうだい、ちょうだいとなります。
かわいいですよね。
ただ、そうなると、猫なんかが手を突っ込んで呼びよせてひょいと外へすくいだしてしまったりできるようになる。痛し痒し。
ザリガニもそうだったな。人の影を感知して、水面に上がってきて、ちょうだいちょうだい、と小さなハサミを振り上げて催促するんですよ。ガラス細工みたいなザリガニがね。

小さな生きものたちとの交流は楽しいものです。

◆小学生の頃、ランチュウの品評会で上位をとったというおじいさんの家に入り浸っていました。姿のよいランチュウは、畳一畳くらいの広さの水槽に1,2匹しか飼ってはいけないんです。密度が高いと姿が乱れるんですって。
餌用のミジンコを発生させる池もあって、ヒルが泳いでいましたっけ。
これはおじいさんの趣味で、大きなコイとウナギがいる池もあって、人の姿を見ると、よってくるんですね、大きなコイの口の中に指が吸い込まれるんですよ、ちゅぱちゅぱ吸いつくんです。かわいいものです。ウナギも指に吸いつくんですね。コイの喉の奥にはな、歯がある、触れるだろ、それでかまれると、10円玉も折れるぞ、といわれてびっくりしました。
かわいがられて、いろいろ金魚などの飼育法を教わったものです。
自転車で事故に遭って、入院し亡くなったのですが、自分がいくら痛くても、他の患者さんたちに迷惑をかけてはならない、と一言もうめき声も出さずに頑張った、と後で聞かされて、自分もそうあらねばならない、と強く思ったものでした。小学校4,5年の頃でしたでしょうか。

野の蝶

2010.8.8付 朝日歌壇より
「野の蝶やトンボのように死にたい」と遺書に綴りし灰谷健次郎:(箕面市)遠藤玲奈
 馬場あき子 評:灰谷健次郎は児童文学者。遺した言葉が素晴らしい。

灰谷さんの言葉自体はそれでいいのですが。
基本的にすべての生物は、人間に完全に家畜化された動物や、食用のみに栽培される植物などを除いて、すべて「野の蝶やトンボのように」死ぬのです。
人間だけが「とんでもない死に方を発明」してしまったのですよ。
生前の地位やら、権威やら、名声とやら、名前やら、いろんなものを引きずって死ぬ破目になった。
軽々と、何にも引きずらずに死ねるのが一番いいのにね。
後世に名を残す、なんて、笑わせちゃいけません。
過去に死んだ方々がみんな私たちに名を残してくれたりしたら、鬱陶しくって仕方ないじゃないですか、手に余ります。どうしましょ。
後世にお荷物を残しちゃいけません、名を残すのはやめましょう。
墓だっていずれ無縁になるのは当たり前。そんな重たい石を残すのはやめましょう。

私たちは38億年もの間、最初の生命からずっと切れ目なく生き続けてきたのです。1回も切れてません。それが生命の流れというものです。
それでいいじゃないですか。そういう生命の一環として生きて、再び生命の流れに戻っていく。充分じゃないですか。
ある「ひととき」を個体として生まれ生きて、また生命の流れに復帰する。こんな幸せはないでしょ。そのひとときが、1年であろうと、100年であろうと、生命の価値に何の差もないですね。

当然私は、チョウやトンボやカマキリやカメムシやクモ・・・のように死にます。
幸せ者です。

◆朝日新聞に「ナカニシ先生の万葉こども塾」という連載があります。その2010年6月26日の文章をご紹介します。

   激励か、生涯の悔恨か
士(おのこ)やも 空(むな)しくあるべき
万代(よろずよ)に 語り続(つ)ぐべき 名は立てずして
                                         巻六の九七八番、山上憶良の歌
   ◇
男子は、むざむざと一生をすごしてはいけない
後のちに語りつがれるような名声も立てずに
   ◇
 家柄にも出世コースにも恵まれなかった憶良は、四十歳で命をかけた中国派遣の使節団の一員となり、やっと出世のいと口をつかみました。
 帰国後、ふたつの国の長官をつとめ、後世に残る歌文も作りましたが、しかし生涯、人間とは何か、社会とはいかにあるべきかを考え抜き、重苦しい一生をおえます。
 まさに死にのぞんで、憶良は病床に見舞客を迎えました。年若い貴公子からの使者です。
 憶良は使者に対して感謝のことばを述べ、しばらく沈黙しました。と、沈黙した目頭に涙があふれました。
 やがてその涙を拭(ぬぐ)うと、悲しげな口調で、この一首を口ずさんだと記されています。
 貴公子への激励でしょうか。憶良自身の生涯の悔恨のようなひびきもありますね。
 士――りっぱな男子を志した生涯をここで閉じました。数え年七十四歳でした。
(奈良県立万葉文化館長・中西進)

昔から「名声」って欲しかったんですね。
「りっぱな男子」ってなんだろう?
「りっぱな女子」はいらないのか?
「崩れかかった男=崩彦」のような障害者はどうなっちゃうんだ?

名声なんて碌なもんじゃないんだけどなぁ。

エビ漁

2010.8.8付 朝日歌壇より
さし出されるマイクをさけてエビ漁に出られぬ男が船べりを打つ:(アメリカ)ソーラー泰子
 馬場あき子 評:どういう場面だろう。エビ漁に出られないのは海の汚染などだろうか。漁民はどこも同じ。「船べりを打つ」にその無念がにじむ。

のどかな選者でいらっしゃる。メキシコ湾での原油流出事故ですよっ!
油まみれのペリカンの写真くらいしか見ていらっしゃらないのでしょうね。
もっと社会的な視野も広げて頂きたいと願います。

FNNニュースから引用します。

2010.6.21
メキシコ湾の原油流出事故の発生から2カ月がたった。アメリカ史上最悪といわれる汚染被害をもたらしたこの事故、原油の流出はまだ続いていて、周辺の住民は怒りと不安を募らせている。
ニューオリンズから南におよそ100kmの町、モンテグ。
ここにはアメリカの先住民族が暮らし、そのほとんどが漁業を営んでいる。
本来ならば、今はエビ漁の最盛期にもかかわらず、漁港に漁師の姿は見当たらない。
モンテグの漁港には、まだ油が漂着していないものの、政府当局が、汚染の疑いがあるとして漁を禁止している。
この町で50年以上、エビ漁を続けてきたビリオットさん(68)。
エビ漁の最盛期にあたる5月から6月は、例年、1日およそ5,000ドル(日本円でおよそ45万円)の売り上げがあったという。
ビリオットさんは「この漁港に油は漂着していないのに、政府は漁業を禁止した。政府のやっていることは理解できない。政府も何をしているのかわかっていない」と話した。
生活の糧を失った漁師たちに職をあっせんしているのは、事故を起こしたBP社。
ビリオットさんも、生活のため、現在はオイルフェンスの設置作業を請け負っている。
しかし、こうしてBPの仕事で生計を立てている漁師たちに、さらなる「追い打ち」があった。
ビリオットさんたちのように除去作業に参加している住民らが、健康被害を訴えるケースが続出している。
診察所のレケルト看護師は「熱射病のほか、頭痛や吐き気、けいれんやめまいを訴える患者がいました」と話した。
原油の流出が完全に止まるのは、早くて8月ともいわれている。
ビリオットさんたちが50年続けてきたエビ漁を再開できるのはいつの日か、めどはまったく立っていないのが現状。

不用

2010.8.8付 朝日歌壇より
「ご家庭で不用なものは無いですか」毎日マイクで来るのには参る:(大分市)長尾素明
 永田和宏 評:笑ってしまうが実感かも。

このごろ、「20年前のお値段で・・・」という竿屋さんが来なくなりました。まじめな方も多かったはずですが、サギまがいの商売が報道されて、すたれたようですね。

最近はこの「・・・廃品回収車です」というのがはやっていますね。
確かに毎日来ます。
「壊れたものでもかまいません」ときますね。
こちとら、もう半壊を過ぎて、全壊寸前ですからね。
たまんねぇや。

家庭で交わされる面白話のコーナーで、あのマイクの声を聞いて夫婦で顔を見合わせた、というような投書もあったなぁ。

無料で回収します、といって、ウソだったりもします。ご注意を!
8月5日の朝日新聞記事に

 ・・・
 回収にあたっては「先積み」と称するマニュアル化された強引な手法を展開。軽トラックが呼び止められると、代金を先に言わず、庭先や物置などにある様々な物品を勝手に積み込んだうえ、「作業の手間をどうしてくれる」などとすごんで代金を請求。動揺した人の中には10万~20万円を支払った人もいるという。
 また、一度断った人への「再勧誘」や、長時間にわたる迷惑な勧誘をしていたという。いずれの行為も特定商取引法で禁じられている。
 ・・・

こんな会社もあったようですよ。神奈川県の会社。昨年は17億円も収入があったそうです。
「只ほど高いものはない」
昔の人の知恵はすぐれています。

祈り

2010.8.8付 朝日歌壇より
僧ゆえに人より多く祈り来し形ばかりの祈りなれども:(三原市)岡田独甫

私自身に関してはとる道ではないとはいえ、形から内容が生みだされ定まっていく、ということはあります。認めます。
形ばかりの祈り、とはおっしゃいますが、普段「祈り」という行為と無縁に暮らすものにたいして、形の祈りから、心の祈りへと導いて行くのも、僧籍にある方のお勤めでしょう。

ゲジゲジ

2010.8.8付 朝日歌壇より
おぞましや身の毛もよだつゲジゲシは譱(ぜん)という字にしかし似ている:(新潟市)太田千鶴子

「譱」。こういう字です。知らなかったぁ。確かに字の姿はゲジに似てますね。笑える。
でも、この字「善」と同じ意味なんですね。

【譱】20画 [言]部 〔異体〕 [音]ゼン;セン [訓]よ・い [意]よみする [⇒]善[学研パーソナル版漢字辞典]

作者が、ムカデとヤスデとゲジを識別して認識していらっしゃるかどうかは定かではありません。え、ちがうものなの?というかたもきっといらっしゃるでしょう。
苦手な方に好きになって下さいとは申しません。ただ、あっちだって生きています。
互いにこの地球に生きる者同士です。
生きること「善い哉、善い哉」、と笑って遠ざけておいてください。

おおゲジだ、譱なるかな、譱なるかな、ですよ。

草食む牛

2010.8.8付 朝日歌壇より
殺すなと言うあり殺せと言うありて草食む牛をテレビは映す:(赤穂市)堀百合子
 永田和宏 評:殺せと、また殺さないでと、人間界の思惑を外れて草を食む牛。口蹄疫問題の複雑な本質を捉えた。

「口蹄疫問題の複雑な本質」は人間の経済的な欲望にあります。
人間と無関係なところに牛という存在が生息しているのなら、病気にかかる牛かからない牛、免疫を獲得した牛・・・、牛とウイルスの多様な関係の中で、病原ウイルスとその対象となる生物の間で、ある種の平衡関係が成立していきます。遺伝的な多様性とはそういうものです。

ところがここに、肉牛としての品質、商品としての牛の品質という人間の経済活動=欲望の活動がからむので複雑になってしまうのです。

この問題で私は「種牛」ということに非常な違和感を覚えました。
種牛さえ保存できれば宮崎牛は維持できるような言い方って、変じゃありませんか?
精子が子の品質を保証するんですか?
まるで、メス牛の子宮は単なる畑で、精子という種をまけばいい、みたいな前近代的な概念に聞こえる。
もちろん、メスの品質だって大事なんです。ただ、精子の数と、卵子の数の圧倒的な違いから、精子が大事にされるのだということもわかります。
でも、オスの種牛さえ守れれば、というような感覚に対して、すごく違和感を覚えました。

メスもオスも大事なのではないですか?

人間の経済活動って、貪婪でですね。

{少しほとぼりが冷めてきたので、過激なことを呟いてみます。事の最中にはちょっと自重しました。}

てつぼう

2010.8.8付 朝日歌壇より
「てつぼうができますように」短冊を八月七日まで飾りおく:(高槻市)有田里絵

普通に成長すると、歩く、走る、跳ぶなどの身体感覚を獲得します。
この中に、「逆さまになる」という身体感覚があまりないのですね。
でんぐり返し、くらいかな。
鉄棒で重要なのはおそらく、逆さまになる、とか頭が回転する、といった身体感覚なのです。
私は左脚が棒の状態で行動しますから、鉄棒はできませんでした。中学生だったか高校生の頃に、自分の身体感覚を分析して、逆さまになる、頭が回転する、むき出しの身体が走るという行為以外で高速で移動する、といった身体感覚が自分にかけていることを認識しました。
自転車に乗る、というのは高速移動感覚です。
自動車を運転できても、むき出しの身体が高速で移動するというのではないので、自転車に乗れるというわけではありません。
わずか時速6kmで動く電動車いすに初めて乗ったときはドキドキしました。自動車の運転とは全く異なる身体感覚でした
水の中ででんぐり返しをすると、多くの人が鼻に水を吸いこんで辛い思いをします。
これも身体感覚の欠如によるものです。慣れて、水中でどういう姿勢を取っても自分の身体の状況が把握できるようになると、吸い込みません。ダイビングとか、競泳のクイックターンとか、身体感覚の積み重ねで獲得するものです。

幼い人が、いろいろな身体感覚を獲得できますように。
いろいろやってみようね。
だれだってみんな最初はできなかったんだから。

似五郎

2010.8.8付 朝日歌壇より
孵(かへ)せざる鮞(はららご)抱きて鮒鮨(ふなずし)になりし似五郎(にごろ)は目をむきてをり:(神栖市)寺崎尚
 高野公彦 評:はららごを抱いたまま鮒鮨にされたニゴロブナ。目をむいているのが哀れ。

「はららご」という言葉を知りませんでした。語彙不足。

はらら‐ご【鮞】魚類の産出前の卵塊。また、それを塩漬などにした食品。筋子の類。腹子。<季語:秋>[広辞苑第五版]

「卵」としか認識していなかったなぁ。特に魚類についていうんですね。知らなかった。
「子持ち」と称して、卵のある魚をうまいうまいと食べてきました。
カレイ、ハタハタ、ニシン、シシャモ・・・
でもって、子どものころから、アジやカレイなどの煮魚の頭などしゃぶりつくして、目玉も「たんぱく質!」といって食べてしまう私です。鯛の頭のところのアラなど煮込んで、食べ尽くすのは冬の楽しみ。大きな目玉も食べちゃいます。
おいしいというものではないですけれど、食えるものを食わないのは食品になった魚に対して失礼だ、という人なものですから。

という無粋な男にとって、「目をむいているのが哀れ」という感情はほとんど無縁です。ごめんなさい。
それよりも、鮒鮨はくさいといって、食べずに放置したりしたら、それこそ、鮒も哀れ、人も哀れ。
うまいうまい、と食べ尽くすことが命を頂く相手に対する礼儀でしょう。
礼儀は尽くすべきです。

「はららご」は、俳句の方では「秋」の言葉のようで。不自由なことですね。

2010年8月 9日 (月)

出会い

◆1982年1月のことです。広島で行われた教育研究集会に参加しました。高知で行われた教育研究集会で私自身がレポーターとして化学の授業の構築という報告をして以来、何度か勤務先の先生方の支えで、この集会に参加させてもらいました。
 会場へ向かうバス。全国からやってきた先生方がそれぞれ目的の会場へ、乗りなれないバスに乗って向かったために、車内は大混雑。料金の受け渡しを運転手さんがしなければならないシステムだったものですから、大勢の慣れない乗客が両替を申し出たりして運転手さんがイラついてしまいました。もう、両替はできません!と叫んでいました。
 座らせてもらっていた私が降車するために立ち上がろうとすると、目の前の老婦人が千円札を握りしめていらっしゃる。で、運転手さんもイライラしていらっしゃいます、私はちょうど小銭がありましたので、両替いたしましょう、と両替して差し上げました。
 もみ合いながら、降車すると、先ほどの婦人が待ってくださっていて、ありがとうございました、これは私の詩集なのですが是非読んでください、と一冊の詩集を差し出されました。両替をしただけですのに、本を頂くなど大それたこととは思いましたが、ご親切をむげに断るのはかえって失礼と思い、ありがとうございます、読ませていただきます、といって頂戴したのです。
 その場はそれでおしまい。
 会場について、ひとしきり挨拶や資料収集などを済ませて、席に着き落ち着いて、先ほど頂いた詩集を出してみました。
Kurihara1
これです。著者の名前さえ見ずに頂いてしまったら、なんと、栗原貞子さんではないですか。あぁ、あの方が、栗原さんだったのか、とびっくりしました。
「生ましめんかな」の栗原さんです。
   ・・・
   かくてくらがりの地獄の底で
   新しい生命は生まれた。
   かくてあかつきを待たず産婆は
   血まみれのまま死んだ。
   生ましめんかな
   生ましめんかな
   己が命捨つとも
      1945.8.30

私はこの詩を平静な心の状態で読むことができません。必ずこみあげて来るものに、揺さぶられ心が乱れてしまいます。
吉永小百合さんが朗読するのを聞いても同じ。感情を移入しながらしかも読み切っていく吉永さんの力量にも心打たれます。

 この詩の作者と、たまたま、一瞬のことですが、出会いすれ違ってしまった。それは何がしかの責務をも受け取ったことになるのではないだろうか。

 どのような人と、いつどこで出会うのか、そんなことは全く分かりません。出会いを果たせないなら、それは己が未熟。いつどんなときでも、いかなる出会いにも正面と向き合えるか、それは自分を厳しく問う行為です。
「可能と思えるありとあらゆる準備の果てに、でたとこまかせ」を標榜しているのはそういうことです。最初から目的があってそれにかなわぬものは役に立たないと切り捨てるのでは、あまりに貧しい。豊かな出会いを逃してしまいます。
ありとあらゆることに「正面衝突」してこそ、出会いを捕まえることができるのでしょう。

◆この教育研究集会に際して、地元広島の高校生たちが元安川の河川敷で原爆瓦を拾い集め、洗い、全国から集まった先生方に配ってくれました。高校生というのは大人です。しかも、観念的で純粋な側面を持ちます。それが好きなんです。高校教師の醍醐味ですね。あの時の高校生は今はもう40歳を過ぎて社会の主力になっているでしょう。でも、どこかに必ずあの時の行為の名残を持ち続けているはずです。それが高校教師のやりがいなのです。
Genbakukawara1
これがその時もらった原爆瓦2枚。学校に帰って、木箱を作り、ガーゼの上に置いて、アクリル板で蓋をし、以来、教師であり続ける間、ずっと何かの形で生徒に提示してきたものです。
私は彼らから「受け取りました」から。責任があります。
Genbakukawara2
表面はこんなです。3000度というような高温で焼かれて、瓦がふつふつと煮立ったあとです。この熱で、人も焼かれました。街のすべてが焼かれました。
そのことを思ってみて下さい。

資料館などで、展示資料のあまりの悲惨さに目をつぶって駆け抜けてしまう生徒がいます。感受性が高いのですが、それでいいのか?と自分の生徒には尋ねます。
悲惨な現実を見ることはとても辛いことだ、しかし、一番つらかったのは誰だ?
被爆した方々ではないのか?その辛さに比べれば、私たちが受け取る辛さなど何ほどのものでもない。ぜひ、受け止めてくれ。それが今生きている私たちの責任だ。とね。

◆「10フィート運動」というのがありました。職場でまとめ役になって、寄付しました。
家族でも寄付しました。映画が完成した時の上映会で、被爆者の方がこうおっしゃいました。

この映画の画面からは絶対に伝わらないものがあります。それは「匂い」です。死んだ方々が暑い日差しの中「腐敗していく」匂いです。遺体を焼く匂いです。

◆広島の原爆ドームの修理がおこなわれました。その時、一般からの寄付が募られました。
家族でも寄付しました。私の授業では、教室に空き缶に穴を開けたものを持って行き、寄付を募りました。教室では入れにくい、という生徒もいて、準備室に置いておくから気づかれないように入れてくれていいよ、といって置いておきました。
かなりの額のお金が集まり、送金しました。「一教師と授業仲間たち」という名前で一文を添えておきました。あとでパンフレットに載ったものが送られてきました。たまたま、校長と話していて、「いいでしょう、うらやましいでしょう、私には授業仲間がいる。教室という現場を離れた校長さんには授業仲間はいませんものね」と皮肉を言ってあげました。

授業は教師一人でできるものではないのです。生徒との共同作業で構築していくものなのです。ですから、教師と生徒は授業仲間なんですね。
長く教師をやりましたが、同じ授業なんてできません。いつも違う仲間とつくるんですから、同じものになるわけがないでしょう。授業は生きもの。仲間と育てるものです。

◆こんなことを書いていると、やはり心が乱れます。
いくつかを、思いつくままに、書き連ねてみました。
とりとめもない話でした。

すべての人の心が「なぎ」わたりますように。
すべての「人と人の間」から、権力・力の関係が消滅しますように。

これと同じ内容を、今は月面にある「かぐや」に搭載されたプレートに書きこんでもらってあります。
私のメッセージは月面から地球を見ています。

アゲハ

0725ageha 7月25日
日曜日の午後。外出から帰ってきたら、ランタナの花にアゲハが来て蜜を吸っていました。
ベルトにつけたコンパクトデジカメしかなくて、これ一枚。
親切に、どこにピントを合わせるか、なんてやってくれるので、思った瞬間にシャッターが落ちないんですね。連写性能もないし。
で、焦っているうちに、飛び去りました。
ズームはきくんですが、昆虫の撮影というのは被写体から目を放したらその瞬間に撮影終了、のようなものなので、ままなりませんでした。
残念。

ホウズキカメムシ

0724houzukikamemusi ホウズキカメムシの脱け殻です。
始めてみたときは何かと思いましたが、今年はこれをよく見る。
近くに必ずホウズキカメムシがいますから、脱皮のシーンを直接見てはいませんが、間違いないはずです。
アサガオとヤマノイモの茎に群がっています。
枯れる葉もありますが、全体としては茂っていきます。
植物はタフですよ。

ヒゲナガカメムシ

0724_14higenagakamemusi 7月24日
全く「植物っ気」のない、鉄骨の上で見かけました。
翅があるのですから、自由に飛べます。どこで見かけたっていいのですけれど。
普段の居場所はネコジャラシですよ。全然無関係なところで見かけても、迷うことなくヒゲナガカメムシだ、といえるのは、この「ポパイ」腕のおかげ。
これは見間違えようもないですね。
こうやってあらためて眺めると、結構トゲトゲですね。カマキリの鎌とまではいいませんが。
なんだか、あの腕で獲物をがっしりと抱え込めるのではないかと思ってしまいます。
でも、カメムシ。
肉食ではありません。

クサギカメムシ

0724_12kusagikamemusi 7月24日
ムクゲの蕾にクサギカメムシの幼虫です。
花の蕾とか、成熟中の実って、きっとおいしいのだと思います。
茎を流れる液より濃いのではないでしょうか。
グルコース(ブドウ糖)の薄い液から、蜜を合成したり、花が咲くためのいろいろな準備がなされているでしょう。
実が熟すときは、グルコースを原料にして、でんぷんを作るとか、あるいは油脂をつくるとかもしているはずです。
カメムシはそういうところを狙っているのではないかな。
きっと、おいしいのだと思いますよ。

花好きの方はぞっとするでしょうね。私だってムクゲの白い花は好きです。でも、虫も好きです。適当にバランスを取れよな、と考えながら、両方を鑑賞しています。
両方とも生きているんだもん。

ゼニアオイ

0724_11zeniaoi 7月24日
ゼニアオイの実が熟しきった姿。
花はもう終わりだと思っていたのですが、ここにきて、再び小ぶりな花を咲かせています。
しぶとい植物ですね。

実も熟し、枯れた茎ばかりになってきた、と思っていたら、また花です。
がんばって、ずっと付き合って見続けます。

アサガオ

0724_10asagao1 7月24日
9時前ですので、まだアサガオの花が開いています。
今回の撮影の意図は、緑の葉とのコントラストです。あまりに鮮やかでカメラを向けました。
意識は完全に花のほうに向いておりました。
部屋に戻って、パソコンで画像を確認していたら、思わず笑ってしまった。
オンブバッタが、私と同じアングルで花を見ているではないですか。
風流なやっちゃねぇ。
それとも、花の中にダイブしたらどんな気分かな、とでも考えているのかな?
こんなにしっかり写っているのに、私の意識には入っていなかった、うかつというか、衰えたというのか、よくいえば、「花へ」という集中力の高さというか。笑いました。

0724_10asagao2
花の手前に葉が重なっていますでしょ。
肉眼的には、この色のコントラストで、葉の緑色が縁の部分だけ濃くなって、ギラッとした感じになっていたのです。写真ではうまく表現できませんでした。
コントラストでぎらついている、とわかってはいても、目にはかなり「激しい」光景だったんですよ。

アサガオの美をオンブバッタと共に鑑賞しました。

ネコジャラシ

0724_9nekojarasi 7月24日
これネコジャラシの花です。
白い毛のようなのがメシベ、黄色いのがオシベですね。
正式にはエノコログサですね。
イネ科>エノコログサ属です。
確かにイネ科の花ですね。
0801_11nekojarasi 8月1日
実が熟しました。
なるほど、という姿ですね。

エノコログサは「狗尾草」とも書くそうです。穂の形が子犬の尻尾に似ているというのでしょう。
英語では「 Foxtail grass」というのだそうで、狐の尻尾なんですね。

普段は穂全体の姿や、トゲトゲしたところに目が行ってしまいますが、ちゃんと花も咲き実がなります。アレロパシー(嫌地)を起こすという話もありますが、どうなんでしょう?
さしあたって、いろいろな草花と一緒に茂っているように思えるのですが。

スグリゾウムシ

0724_8sugurizoumusi1 7月24日
自分としては構図も決まって、「芸術的な」写真になった、などとにこにこしてますが、虫嫌いの方には、とんでもないことでしょうね。
ビヨウヤナギのところにいたスグリゾウムシです。

0724_8sugurizoumusi2
このところ、スグリゾウムシの関節が気になって仕方ない。
それと、今回はうまく写っていませんが、背中の模様なんですね。
どうにも「泥の中から出て」きて乾燥してひび割れた、という感じなんですが、これをもう少しくっきり撮りたいものです。

トウキョウヒメハンミョウ

0724_7tokyohimehanmyo1 7月24日
トウキョウヒメハンミョウの交尾です。
前回、交尾を見かけたときは石の上だったので、最初から「何か虫だ」という感覚で接近して「ハンミョウの交尾か」と確認したのですが、今回はちょっと違うのです。
土の庭、落ち葉などもたくさん落ちている場所では、虫の「形」は全然分かりませんでした。
「動き」だけが認知されました。「何かが動いてる」ということです。動いているものの形が分からないのに、動きだけが感覚に引っかかる、自分でも少々妙な気分でした。
なんだ?とそっと近づいたら、やっと虫の交尾だ、それもトウキョウヒメハンミョウなんだ、とわかったのです。
ピントがうまく合いませんでした。
0724_7tokyohimehanmyo2
かなり激しく移動していきました。体を二つ折りにした状況での撮影ですから、追い切れませんでした。しゃがめればいいんですけれど、無理なんです。腰への負担もつらいから、地面の撮影は長時間はできません。
くっきり撮ってあげたかったな。

タマサンゴ

0724_6tamasango 7月24日
前にも掲載しましたが、すごいですね。
緑から濃い赤まで、とりどり。
葉を見てもさほど穴が開いていません。
ナス科なのにニジュウヤホシの標的になっていないのでしょうか?
これから先もずっと彩りを楽しませてくれます。
このまん丸い実が面白くって、我が家の庭に引っ越してきてもらったのですが、なんででしょう?なんだか心和む姿です。

2010年8月 6日 (金)

キベリクビボソハムシ

0724_5kiberikubibosihamusi 7月24日
キベリクビボソハムシ。
背中の模様が面白くて、見かけるとつい撮ってしまいます。
はっきりしませんが、左の方の模様はつながっていて、右のは切れている。
左右対称じゃないこともあるんですね。
形はいろいろバリエーションがあっても、個体では左右対称が普通だと思っていたので、ちょっと珍しかったです。

クサギカメムシ

0724_3kusagikamemusi 7月24日
クサギカメムシの幼虫です。
今年はクサギカメムシも多いように思います。

下は幼虫図鑑というサイトなのですが、是非ご覧ください。
http://aoki2.si.gunma-u.ac.jp/youtyuu/HTMLs/kusagikamemusi.html
幼虫だけでなく、卵の写真も見られます。
この卵が面白いんですよ。
「検印」付きなんですねぇ。
一度だけ見たことがあるのですが、その時はまだ一眼レフじゃなかったしなぁ。
ぜひもう一回見たい!
あの模様は一体何なんだろう?

オオヒメグモ(か?)

0723h5kumo1 7月23日
白山神社の舗道に面した石垣の「オーバーハング」になったところ。
不規則な網がありまして、そこにハエか何かを捕まえたクモがいました。
ちょうど食事中。
0723h5kumo2
ちょっとアングルを変えて、クモの腹部背面の模様を写しました。
私には初めてのクモです。
0723h5kumo3
この現場のすぐ右には、同じような網にアリがかかっていました。もう食べられた後でしょう。
さらにその右には
0723h5kumo4
もう1匹同じ種類のクモがいて、こちらはアリを捕まえて食べていました。

「日本のクモ」という図鑑を眺めていたら、オオヒメグモではないかという感触を得ました。

日本で最も普通に見られるクモ。都市部~高山まで広く生息。建物の内外に多く、部屋の隅、縁の下、ベランダの隅や下側、外階段の下、塀、石灯籠、生け垣などに不規則網を張る。野外では、立て看板、側溝、公園のトイレ、山地の崖地、石垣、渓流沿いなどの樹木の枝葉間などにも生息。不規則網の中央部に枯れ葉や土を吊して住居を作る個体も見られる。色彩、斑紋には変異が多い。

とありました。
いけませんねぇ、最も普通のクモ、ですって。ちゃんと見てなかったんだなぁ。お恥ずかしい。
虫ナビを引用しておきます。ご覧ください。
http://mushinavi.com/navi-insect/data-kumo_oohime.htm

家のそばでも探してみることにします。
私にとっては、オレンジ色のヒメグモの方がなじみ深いんだけどなぁ。

コブシの実

0723h3kobusi1 7月23日
白山神社前の舗道。
下から順に実が熟していくのを、ながめていたら、
0723h3kobusi2
何かの脚が見える。モニターで発見。
手が届かないところの実なので、他にはないかな、と探したら
0723h3kobusi3
いた!
クサギカメムシですね。
青い実に針を刺しています。
やっぱり実はおいしいのだと思いますね。
茎を流れるアミノ酸や糖の薄い溶液よりも濃いだろう。
それだけでなく、おそらく、脂肪もある。
栄養たっぷりなんだと思いますよ。
虫に感情移入しやすいたちですから、コブシの実がおいしそうに見えてきました。

キバナコスモス

0723h2kibanakosumosu 7月23日
白山神社。キバナコスモスが咲き始めました。
この辺りとしては、早目の開花かな。
秋になると、いやというほど咲きますよ。
園芸品種だったのでしょうが、野生化してしまったようですね。
ナガミヒナゲシもちょっと増え過ぎですが、キバナコスモスも、下手すると迷惑な外来種にされそうな勢いですね。
チョウやミツバチなど、虫に好まれる花ですね。

アジサイ

0723h1ajisai1 7月23日
白山神社のアジサイ。
今年は通常の意味での「花の後」も少し残してくれています。
そのおかげで、こういう姿を見ることが出来ました。
それなりに風情がある、と私は思うのですが。
0723h1ajisai2
これが熟すところまで行けば実がみられますが、まぁ、いいとしましょう。
アジサイの花の子房の部分がずらっと並んでいます、未熟な実です。

やっぱりなぁ、花の仕事の最後は実の完成。そこまで見てあげてこそ、花を観賞したといえるのではないでしょうか。

クロアゲハB:前蛹

0726_1kuroageha2zenyou 7月26日
前日には幼虫だったクロアゲハB。
26日に前蛹になりました。
飼育ケースの内面に足場の糸が張ってあるのが見えますね。
カマキリなどを飼育する時に、こういうチョウの幼虫の足場糸が残っていると、カマキリがプラスチックケースの内面で滑らなくていいのです。ですから、もし、そういうチャンスがあるなら、チョウを飼育したケースを洗わないでおくと、次の虫が歩きやすくていいんですよ。

反射像と合わせてご覧ください。
これ「幸せのハート形」ですね。
見ていると優しい気分になりませんか?

クロアゲハ:蛹

0724kuroageha1 7月24日
前の記事で前蛹になったクロアゲハ。
翌日には蛹になっていました。
凄い格好でしょう。
0724kuroageha2
背面から見るとこういう形。
下に幼虫時代の皮が残っています。皮の左側が頭の部分の皮です。
なんでしょう?木の皮にでも擬態しているのかな。
この中で、幼虫時代の体をバラバラにして、既に作ってある成虫の体の「芽」を伸ばし、成虫の体を作り上げて行きます。
すごい作業ですね。体をばらして再構築する。
昔の人は、チョウが幼虫→蛹→成虫と変化していくのを見て、死と再生をそこに読んだようですが、まさしく、ある種の死(幼虫の体をばらしてしまう)と、再生(成虫の体に再構成する)なのです。

0724kuroageha3
こちらはこの時点でのクロアゲハBです。
何日かの差で変化を追いかけていくことになるでしょう。

◆教師をやっていますとね。生徒が外見上全然成長しなくなっている時期というものに突き当ることがあります。そういうときに、外見上の変化がなくても、精神的な内面では激しい葛藤を抱えて、巨大な成長を遂げていることもよくあるのです。
そこを、見守って、立ち会ってあげるtことができれば、やがて、輝きを増した素晴らしい姿になって立ち現われて来るんですよ。

クロアゲハ:前蛹

0723kuroageha1 7月23日
クロアゲハの幼虫2匹のうち1匹が前蛹になりました。
枝を挿してあったお茶のペットボトルの側面です。
緑色の包装が気に入ったのでしょうか。
腹端部を固定し、背面に糸をかけ回して、足を縮めています。

0723kuroageha2
斜め上から見るとこんな具合。
まだ幼虫の姿ですね。
0723kuroageha3
このあと、もう一回脱皮すると蛹の形になります。
この変化も激しいですよ。

例の、上から皮を脱いで行って、腹端部に達した時どうするのか、という問題がありますね。床に爪先をつけたまま靴下が脱げるか、ということです。
やっぱり一瞬爪先を浮かせなければ脱げませんよね。
前蛹の脱皮でも同じです。
自分の皮をまたぎ越して脱ぎ捨てる瞬間があります。

さて、上の写真の個体にクロアゲハAという名前を仮に与えます。
もう一匹幼虫がいて、こちらをクロアゲハBとします。
何日かの差で、Aの方が年長(日長?)なんですね。
0723_kuroageha1
こちらが、Bです。Aが前蛹になった時点で、まだ終齢幼虫です。
昆虫としての脚3対は頭のところで、拝むような形になっています。
目立つのは腹脚4対。そして、腹端部に尾脚1対。

金網の飼育カゴで飼うと、この全部で16対の脚で、すがりつくように歩いて行く姿がはっきり見えます。
実は、昔々、妻はこのアゲハ幼虫の歩く姿のあまりの可愛さにノックアウトされて、アゲハ愛好家になったのでした。娘がお腹にいて、軽いつわりがあって、虫の匂いに少しめげていましたが、何にもましてこの幼虫のかわいい歩行が気に入ってしまったのです。
なつかしい話だ。

ムラサキシキブ

0723_12murasakisikibu1 7月23日
写真の右から左へ、時間が進んで行きます。
右側に過去の「花」。
中央に今の「花」。
左に将来の「花」。
時間の流れを感じとって下さい。

0723_12murasakisikibu2
充分な時間の流れの後、今度は、未来の「花」の準備です。


「未来」は「いまだきたらず」ですから、ずっとずっと先の方。
「将来」は「まさにきたらんとす」ですから、すぐ目の前。
そんな時間感覚で言葉を使っています。

2010年8月 5日 (木)

暑中御見舞申上ます

今日は8月5日。
東京の平年気温の
最高気温のてっぺんが、8/2 ~8/9 で、31.2℃
最低気温のてっぺんは、7/31~8/15で、24.4℃

その真っ最中です。
この「てっぺん」の中に「立秋」があるのですね。8/7です。
立秋だから秋風が吹く、というわけではありませんが、気温の頂上を過ぎるぞぉ、ということになります。
立春のときに、気温の谷底を過ぎるぞぉ、といったのと同じです。
「暦の上では秋が始まります」とかよく言いますが、「暦の上で」という言い方は旧暦での話のように聞こえますが、二十四節気は太陽暦です。
太陽が春分点を通過する時を角度の原点0度として、135度回った点を含む日に名前をつけるにあたって「立秋」という名前をつけてあるのです。
名前の方にあまり気を取られ過ぎないように。
太陽の位置が進んだのだなぁ、というほうを把握しましょう。
夕方の来るのが早くなりましたでしょ。
明け方が遅くなってきましたね。
暑いことはまだまだ暑いのですが、太陽の進行に夏の終わりを感じ始めます。
そのポイントに「立秋」という名を与えたセンスはお見事というべきです。

Kion
今年の気温の記録、途中経過です。
黒い線は前後それぞれ7日間のなかで間を縫って行くように描いた線です。
日々の変化が激しいので、すこし「ならして」みました。
4月は寒かった。
6月以降の暑さはただものじゃない。
縦軸はエクセルの自動設定に任せてあるのですが、ずっと35℃が上の端だったのに、とうとう、40℃に変更されてしまいました。
猛暑日のせいです。
9月に入ると、平年気温がぐんぐん下がり始めるのが分かりますね。
あと1カ月足らず。みなさん、がんばりましょう!

◆暑い写真を1枚
0725atui
7月25日。部屋に入ったらあまりの暑さに殴られたような気分。
机の上の電子体温計をふとONにしてみました。
液晶を全部表示して、37を表示して、Lという文字を表示してから測定に入るのですが、
なんと、室温36.9℃ですって。

平熱ですか?
微熱ですか?

猛暑です。
(解熱剤がほしいゾ)

アサガオ

0723_11asagao1 7月23日
昼の散歩はきつすぎる。帽子かぶって出ても、暑さにくらくらします。
で、習慣を少し入れ替えて、朝の散歩にしました。8時過ぎからの小1時間。
おかげで、昼にはしぼんでしまうアサガオにお目にかかれるようになりました。
オシロイバナはもうしぼんでいますね、この時間だと。

小ぶりなアサガオです。
例によって
0723_11asagao2
花の中央へ。
花粉の粒々が見えますよ。
これ以上凝ったことはしませんでした。

朝からすぐ30℃に達してしまう日々。
今年の夏は長そうですね。

イチモンジセセリ

0723_9itimonjiseseri 7月24日
イチモンジセセリです。
どうも、茶色で地味で、と思われています。
そのせいで、ガと間違えられることもあります。
(今はチョウとガは区別しないんですけどね。きれいなチョウ、地味なガ、という差別はもうやめましょう)

ところで、複眼の後ろあたり、よく見てください。虹色が発色しています。
毛の色ではないと思いますね。いわゆる構造色でしょう。
毛の表面の凸凹などで反射した光が干渉して発色する、しゃぼん玉の色や、CDの録音面の発色などと同じ原理です。

0724_15itimonjiseseri
7月24日にも別の場所で見かけました。
胸部背面をよく見てください。
虹色が見えますね。
光の波長程度のスケールの構造が生みだす「色」です。
物体の表面の色とは違って、光の波が重なって色を強めたり弱めたりして生じるものですので、純粋な、色そのもの、とでもいうべきものです。
イチモンジセセリも、なかなかにおしゃれなチョウだと、認識していただけたでしょうか。

ヤマイモハムシ

0723_8yamaimohamusi 7月23日
勝手口の前。ヤマノイモとアサガオが競り合ってのびている場所。
ホウズキカメムシが群がっています。キベリクビボソハムシもここでよく見ます。
キベリクビボソハムシは背中の模様の変異が大きいので、見かければ大抵一枚パチリ。
今日はいないな、と思っていたら、目の前に何かが出現。
なんだぁ?と眼鏡を外してみれば、わが老眼鏡にハムシが飛んできてとまっている。
ものすごいデモンストレーションだなぁ、わかったよ、撮ってあげるよと撮ったのがこのショット。
画面左上の光はカメラのフラッシュです。
右下に眼鏡のフレームが写りました。
場所の通り。これは「ヤマイモハムシ」です。
裸眼でカメラのファインダーを覗いても正直なところ、はっきりと被写体は見えないんです。
なんとか、フォーカシング・スポットをハムシに当てて、シャッターを切ったら、この程度に写りました。

ブログに載せたぞぉ。
納得したか?

不明・ハチの仲間

0723_5hati7月23日
名前が分かりません。ハチの仲間としかいいようがありません。
コバチの仲間かなぁとも思いますが、わかりません。
腹部に白い模様とか、胸部の側面に白い毛とか、特徴的な姿だと思いますが、検索ではうまく引っかかりませんでした。
教えてください。

水滴は怖い

0723_6waterdrop 7月23日
雨上がり。葉の上の水滴につかまって死んでしまった昆虫。
腹側が見えているのだと思います。
水滴と同じ程度の大きさの昆虫にとって、水滴は怖いものです。
水滴の中に入ってしまうと、表面を突き抜けて出てくることができなくなるのです。
表面張力で体が水滴にくっついてしまって引きはがせないんですね。
昆虫の呼吸は腹部の側面にある気門で行いますから、頭が出てもダメ。腹まで引きださなければなりません。
それが出来なかったのですね。

普通なら雨のかからないところに避難するのでしょうが、たまたま、水滴につかまってしまった。
水難事故でした。

オンブバッタ

0723_2onbubatta1 7月23日
池のスイレンの葉の上にオンブバッタがいました。
いいのかなぁ。おぼれないか?
小さな池ですから、水面は広くない。たまたま、ジャンプしてここへ飛び乗ってしまったのでしょうけれど、問題は帰りですよね。ちゃんと、地面まで適正なジャンプができないと、水に落っこちるぞ。シンパイ。

0723_2onbubatta2
よく見ると、葉の表面をかじってるんじゃないかなぁ。
スイレンの葉の表面が傷んでいるのはこいつのせいか?

0723_3dangomusi
すぐそばの小枝の先端にはダンゴムシがいます。
落ちるなよ。
時々水死してしまったダンゴムシを見ます。
小さな生きものには、水は怖い。
無事でな。

◆実は、バッタは「泳げます」。
子どものころ夏の水遊びで、オンブバッタやヒシバッタを水に放り込んだことがあります。
地上でジャンプするような脚の動きで前進して縁にたどり着き、上がってきます。
ですから、上の状況で、オンブバッタは多分大丈夫、心配なのはダンゴムシです。

クロアゲハ幼虫

0722_17ageha1 7月22日
クロアゲハの幼虫ですが、腹部がまだ膨らみ切っていない感じもします。
でももうすぐ蛹になるでしょう。
0722_17ageha2
真上から、撮ってみました。
プラスチックの壁に反射して、まるで2匹いるようですね。

もう1匹は
0722_17ageha3
葉の上にいました。
この2匹、何日かのギャップで並行的に成長しています。
いっぱい食べます。音を立てて食べます。
迫力があります。

ナガサキアゲハ幼虫

0722_16nagasakiageha 7月22日
ナガサキアゲハの幼虫です。
これが翌日になると
0723nagasakiageha
ぐ~んと大きくなってしまいます。
この成長の速さはものすごい。

0724nagasakiageha1 7月24日
このナガサキアゲハの幼虫、おこりっぽい。
写真を撮るのために、アングルを変えようと、枝をさしてある瓶をそ~っと回すだけで、振動を感じとって、うるさいな、と怒ります。
この「角」、臭角というのですが、普通「ミカンの皮が腐ったようなにおい」と表現される「悪臭」を出します。鳥に食べられないようにとの防衛反応です。
ところがねぇ、長年(30年以上も)付き合ってくると、このにおいが「悪臭」に感じられなくなってしまったんですよ。柑橘系の「芳香」に感じられる。いいのかなぁ、マニアックだなぁ。
あ、怒ってる、とサインは受け取りますが、いいにおいのような気がする。
どこから角を出しているかがこの写真で分かりますね。
見かけ上の頭の鼻のあたりから出ているように見えるかもしれませんが、本当の頭部と胸部の境い目あたりですね。

0724nagasakiageha2
角を引っ込めるとこうなります。
アゲハやクロアゲハより大きな幼虫になります。
まだまだ伸びますよ。

オオスカシバ

0722_15oosukasiba1 7月22日
オオスカシバのメスが、ヒメクチナシに産卵にやってきました。
光っているのはフラッシュ光を受けた眼です。

0722_15oosukasiba2
空中をホバリングしながらあっちこっちへ飛び回ります。

0722_15oosukasiba3
気に入った葉があると、このように腹を曲げて産卵します。

ヒメクチナシが完全に丸坊主になってしまわないよう、多少、間引かせてもらいます。
ごめんね、全員は養えない。
大きな、オオスカシバ専用のクチナシの木があるといいのですけどねぇ。

スズメガの仲間の幼虫

0722_13suzumega1 7月22日
線路の柵のてっぺんを青い「イモムシ」が歩き去っていきました。
赤い色は何かの標識のためのペンキですからご心配なく。
自信を持って「これはスズメガの仲間の幼虫だ」と言えます。
なぜ?
「立派なしっぽがあるから」
0722_13suzumega2
かわいいですねぇ、この尻尾。
哺乳類的な感覚でいうと、尻尾を高く振り上げた姿というのは「自信があって安定した気分」を示していますから、どうも、昆虫にもそれを読みこんでしまう。
堂々と、落ち着いて自信を持って進みゆく幼虫、という気がしてしまいます。
多分それは哺乳類の勝手な思い込みですが。
(だって、この尻尾、気分が落ち込んでも下げられないもん)

さて、この幼虫は何というスズメガなのか?
残念ながら、分かりません。
幼虫図鑑をひとしきり眺めてみたのですが、コレ、という写真にお目にかかりませんでした。

さようなら、元気でね。

ハエ

0722_12hae1 7月22日
ニクバエの仲間だと思います。
前方に2本大きく出ているのは触角ではありません。
前脚です。
「手を擦る」状態の一瞬です。
0722_12hae2
終わるとこうなって、本来の触角がはっきりわかります。

ナーバスになっていて、レンズを向けるだけで逃げてしまう時もあれば、こうやって、目の前で「くつろいで」いるときもあります。
昆虫の「気分」というのはなかなかにはかりがたいものです。

2010年8月 4日 (水)

アリグモ

0722_10arigumo1 7月22日
私はいつも、「アリグモ」としか書いていないのですが、どうも、複数の種が含まれているような気がします。
0722_10arigumo2
ここに掲げた写真の種は、単に「アリグモ」という名の種ではないかもしれません。
「タイリクアリグモ」か「ヤガタアリグモ」の可能性があります。

私の知識では同定できないので、ハエトリグモ科>アリグモ属のクモ、という意味で「アリグモ」としておきました。

アリグモ、クワガタアリグモ、ヤサアリグモ、ヤガタアリグモ、タイリクアリグモというのが本州でも見られるアリグモの仲間だと思います。

アメリカミズアブ

0722_9americamizuabu 7月22日
アメリカミズアブが目の高さにいたので、1枚だけパチリ。
複眼の模様も写ったし、(ハエ目の特徴である)平均棍も写ったし、ゴキゲン、と思ったら。
よく見ると、おしっこまで写っておりました。
もちろん、大小の違いがあるわけではないので、水を飲んでほとんどそのまま排泄した、というようなことでしょう。体を冷やしたのかな。
チョウの吸水というのは有名で、水を飲みながらおしっこを飛ばしたりするんですが、本当の意味はよくわかっていません。体温を下げるためとか、水に溶けた何らかの成分を欲しているのだとか言われています。

ハチの吸水もそれなりによく見ます。巣にかけて、蒸発熱で巣を冷やすのだ、とかも言われますね。

ツマグロオオヨコバイがおしっこするのはあまりに有名。

アメリカミズアブのおしっこは知らなかった。

(内緒話:金子兜太先生が喜んでくれるかな。)

小用

2010.8.2付 朝日俳壇より
夏の夜を寸断するは小用ぞ:(川崎市)渡辺蝶遊

歌壇でも俳壇でも、他の選者は基本的に、初めから3首・句に評をつけます。たまに、一番後ろの方につけることもありますが。
金子氏の評は、どこにつくか分からない。
この句を読んで、ははあ、これは金子氏好みの句だなぁ、と思いながら評に目をやると、案の定、金子氏の評がついていたので、ニヤッと笑ってしまった。

金子兜太 評:生々しく生きているから長寿請け合い。

こういう評でした。

今年の4月に「夜間の頻尿 水の飲み過ぎに注意」という記事が朝日新聞に載っていました。

 ・・・
 専門家は「夜間の排尿で1回以上起きなければならない状態」を「夜間頻尿」と呼んでいる。高齢になるほど、昼より夜に尿がつくられやすくなる。日本排尿機能学会の調査では、40歳以上で約7割が夜間頻尿という報告もある。
 ・・・

そりゃないでしょう!と怒りましたね。「1回以上」というのは「1回」を含むのでしょ、じゃあ、1回も起きないのが正常で、1回でも起きたら「頻尿」だなんて、そいつはおかしな定義ですね。
排尿によって、睡眠が3つ以上に分断されるとき「頻尿という」くらいが妥当じゃないですか。
食事の内容で、水分の多い食事もあれば、あとでやたら喉の渇く食事もある。
入浴後には水を飲みたい。
1回くらい起きたっていいじゃないですかね。それを「頻尿」として、警戒せよなんて、生きてけないよおぉ。
 この「くそ暑い夜」。水飲んでしょんべんして水飲んで・・・のほうが、いいですよ、却って。
寝ながら熱中症になったりしたら、たまりません。目も当てられない。
小用も我慢しない。喉の渇きも我慢しない。でいいと思いますがね。

明け方、尿意を感じて、このまま起床時間までトイレに立たなくても、もつけど尿意を感じたままうつらうつらしているのも癪だなぁ。
トイレに立てば目が覚めて、起床時刻まで二度寝はできなくなるかもしれないけど、すっきり何の引っかかりもなく「寝禅」でもしているほうが気分はいいなぁ。
などと、考えているうちに、眠ってしまったり、起き上がったり。

まぁ、あんまり構えず、自然体で、気分のいい方でいきましょう。

蛞蝓

2010.8.2付 朝日俳壇より
蛞蝓ぬめりぬめりと老いてゆく:(上尾市)中野博夫

意表を衝かれましたね。ナメクジはぬめりぬめりと「老い」ますか。
なるほど、なんとなく納得してしまった。

しかし、自然界では「老い」というのはなかなかに無い。

カラスなんか見ててね、年寄りカラスが、空飛んで息切らして、ちょっと待てよ若いの、休憩!
とぜ~ぜ~いいながら休んでることはないのかね、などとバカなことを考えたりもしますが。
もしそういう状況になったとしたら、要するに自然界では生きていけない、ということです。
死んでしまう。
だからそういう個体を見ることはない。

生まれたてのナメクジは見たことがあります。幼いナメクジも見たことがあります。
成長して堂々たるナメクジにいつも会います。
でもなぁ、ナメクジのじいさん(雌雄同体だから「じい・ばあさん」かな。)に出会うことはないんですよね。

などと、屁理屈こねながら、ぬめりぬめりと老いゆく吾が身だなぁ、とも思うのです。

「老い」を味わえるのは動物の中でヒトを含めたごく少ない種しかありません。

金亀子

2010.8.2付 朝日俳壇より
二十分見て金亀子起こしけり:(養父市)足立威宏
 金子兜太 評:あっさり書いているがこの心理的な感覚の動きには隙がない。コガネムシは作者の分身。

金子氏の評で尽くされていると思います。

ただ、虫好きかかしとしては、ちょっと「理」に走りたい。
そのコガネムシ、弱っていたんですね。
擬死状態になって、ひっくり返って、脚を縮めて動かなくなってしまったのでしょう。
普通、擬死状態になっても、2,3分から長くて5分もすれば、もぞもぞと動き出して、何事もなかったかのように、起きあがって移動していってしまいます。飛び去ることも。
二十分、というのは長いなぁ。死んじゃったのか?おいおい、と突っついてみたりしていたのでしょうか。
主観的な時間として「二十分」なのかな。

と、野暮な詮索が頭の中を駆け巡る。

ぬばたま

2010.8.2付 朝日俳壇より
木洩れ日に触るるぬばたま夏の蝶:(松原市)加藤あや

私の知識の中に「ぬばたまの」という枕詞がまだ記憶されておりました。「黒」とか「夜」とかにかかるんですよね。「髪」も黒いから、「ぬばたまの」がかかることができるのかな。
そこから、この蝶は黒いんだ、きっとクロアゲハかカラスアゲハが舞いながらちらちらと木洩れ日を浴びてるんだな、と思ったのです。

さて、考えてみると、「ぬばたま」で切ってしまった場合、名詞ですよね。

ぬば‐たま【射干玉】ヒオウギの種子。円くて黒い。うばたま。むばたま。[広辞苑第五版]

実際、名詞としての「ぬばたま」があるんですね、知らなかった。
ひょっとして、ヒオウギの実が木洩れ日に揺れる中を「チョウ」が飛んだ、ということで、チョウについての限定はないのかな?
私の知識ではこれ以上のことは分からなくなってしまいました。

2010.8.2付 朝日俳壇より
蟬鳴くや一斉という刻ありて:(大阪市)山田天
 稲畑汀子 評:梅雨が明けたことを告げるように鳴き始めた蟬。短い蟬の一生、一斉に揃って鳴くことで迫力が描けた。

選者は「刻」を「時候・季節」の意味で解釈しておられます。それでよいのだと思います。
ただ、「刻」には「時刻・刻限」の方の意味もあります。
東京の日の出は今頃は4時50分近く。それより少し早いタイミングかと思いますが、夜明けの「鳴き始め」というのもあります。
布団にひっくり返って、今日一日の暑さを想っていたりすると、蝉に「さあ今日が始まる」と宣言されますね。
そんな「刻」を、ふと私は思ってしまいました。

落し文

2010.8.2付 朝日俳壇より
落し文森にあまたの物語:(調布市)松村定美

虫好きの私ですが、残念なことにオトシブミという甲虫を見たことがないのです。また、その名の由来になっている、卵をうみつけた葉を巻いた揺籃も見たことがないのです。
似た昆虫の、ゾウムシならおなじみなのですが。
全く、残念なことです。
これだけの葉を巻いておけば、卵から孵った幼虫が成虫になるまでに充分だ、というようなことが、どうやって分かるんでしょうねぇ。不思議なことです。

水馬

2010.8.2付 朝日俳壇より
水馬(あめんぼう)流れに乗りて流れざる:(別府市)梅木兜士彌
 大串章 評:水馬が流れに逆らって泳いでいる。「流れに乗りて」と言ってすぐ、「流れざる」と言ったところが面白い。

流れに乗る、という言葉が通常は、流れに流されるという意味と同義だと感じています。
強いて解釈すれば、水中には流れがある、その流れの表面の水に「乗って」いるのに流されない。ということになるのでしょう。
私の語感では、「流れに乗りて」よりも「流れに在りて」のほうがしっくり来るんですが。
これは添削でも評でもありません、感想です。

炎天

2010.8.2付 朝日俳壇より
炎天に山河歪んで来りけり:(枚方市)石橋玲子
 大串章 評:灼けつくような炎天、山河も歪んで見える。山も河も炎暑に耐えているのだ。

山河が歪むとは、文字通り、揺らめき立ち上る熱気に景色が揺らぐことでもありましょうし、命の危険さえ覚えるほどの暑さにくらむ意識のなかで、世界が揺らぐ、ということでもありましょう。
山河も炎暑に耐えている、という評はのどかですね。

雨去れば次は暑さの覚悟かな:(枚方市)石橋玲子
 稲畑汀子 評:梅雨が明けると忽ち盛夏となる。今年は殊に厳しく暑い日が続く。その現実を淡々と述べて、それらを処す覚悟が読者にも伝わってくる。

上の句のところでも書きましたが、今年の暑さは尋常ではない。
室内で熱中症になる。
睡眠中に熱中症になりはしないかなどと面白くもない冗談を呟きたくなる。
年齢を重ねてくると、「夏を越す」ことが大きな仕事になってきます。
「冬を越す」ことも大仕事です。
ひとつひとつ、季節を越していく。
この暑さを乗り切れば、やがてはほっとする時も来よう、腹を据え、耐え、長らえようという決意ですね。

◆落合恵子「積極的その日暮らし」というエッセイがありまして、その7月31日の題名は「そういうこと」

 「3カ月先なんて、待てない……。そう思った。あまりに先のことに思えてね」
・・・
 「来年の予定どころか、次の季節といっても、ずっと先のことに思える。その時、自分がどうなっているか……。予想のつかない年代になったんだな」
年齢を重ねるということは、「そういうこと」なのだ、と記憶にある通りの静かな口調で、けれど、その時だけはきっぱりと、彼は言った。
 彼の言う「そういうこと」の意味に、少し伸ばせば指先で触れるところに、わたしも近づきつつある。

若い人は自分の将来像の見えなさに苛立つ、とよく言います。
年を取ってみて、自分の将来が全く見えていない、ということに気づきます。
結局、人は、老いも若きも、今を生きる、しかないのでしょう。

それにしても、今日も暑い。

噴水

2010.8.2付 朝日俳壇より
噴水のふっと止みたる現かな:(横浜市)山本幸子
 大串章 評:噴水が止まった直後の静寂、なんだか夢のようだがまぎれもない現実。「現かな」に微妙な確かさが出ている。

噴水の流れ、音、などに引き込まれ、現実感を失って見入っていた。
水がふと止まって、一瞬にして現実が立ちもどってきて、思わず「ああ」と深く息をしてしまった、というような感じではないでしょうか。
「微妙」というよりは、かなり「激しい」意識の覚醒の瞬間かな、と思います。

2010年8月 3日 (火)

東雲

2010.8.2付 朝日歌壇より
山羊の子の三度転びて立ちにけり若葉匂える牧の東雲(しののめ):(宇治市)山本明子

山羊のお産に付き添ったのでしょうか。
産み落とされ、母が羊膜をなめとり、がくがくする膝で、何度かがくっと崩れ転びながら、やっと自分の脚で立ったのですね。
ふと空を見れば、夜明けの光が雲を明るくし始めている。
緊張のほどける瞬間ですね。長かったようで、一瞬のような、濃密な時間を山羊母子とともに過ごされたのですね。

おめでとうございます。

◆別件
私、かなり子どものころから、「東雲」を「しののめ」と読めたんです。
両親が秋田県出身。父は能代。母は八森。
能代市に「東雲羊羹」という、結構それなりに有名なお菓子がありまして。
それを時々貰って食べましたから、「東雲」が読めました。
「秋田魁新報」で「魁」が読めたのと同じく、「秋田」のお陰です。

鳥除け

2010.8.2付 朝日歌壇より
鳥除けの磁石掛けたる枝の上鵯のつがいが嘴合わす:(浜松市)桜井雅子
 馬場あき子 評:鳥の知恵の面白さがある。鳥除け磁石を掛けた枝にやってきたヒヨドリ夫婦の睦み合いがいい。

ヒト猿の浅知恵。おもいこみ科学です。
渡り鳥の航法に、太陽コンパス、星座コンパス、地磁気コンパスなどが挙げられます。
地磁気を未知の何らかの方法で検知していると思われます。
太陽が隠れた状況下で、強い磁石を頭につけられた鳥が、飛び立つに際して方向を失う、ということはあるようです。でも、太陽があれば迷わないし、星も見ているようだし、地形なども見ているようだし、かすかな磁気だけを頼りにしているわけではない。
そして、渡りというロングスケールの中での定位に利用するのであって、日常の行動にはおそらく、視覚情報の方を圧倒的に使っている。
で、頭に磁石をつけられたために、磁気検知に混乱をきたすことはあっても、磁石がぶら下がっていても、何らの影響はないですよ。磁力なんて遠くへは届かないですからね、逆自乗ですもの。
それに何といったって、知能高いもん、鳥って。
目玉模様を嫌う、というのが一時流行って、目玉模様の巨大な風船なんかもぶら下げましたっけね。結局、あれは無害だ、と学習されてしまって、今は見かけませんねぇ。
鳥じゃないけれど、猫よけに、水を入れたペットボトルを置いたりするのもはやりましたが、あれも、まるっきり猫に無視されっぱなしでしょ。猫の知能をばかにするなよな、っということです。

基本的に、鳥除けに磁石をぶら下げても効果はないはずです。
そう理解して下さい。

分教場

2010.8.2付 朝日歌壇より
猪が校庭を歩く山間の分教場はいま百合の中:(東京都)太田良作
 馬場あき子 評:山の分校の景の推移。猪から百合によって地域全体の優しい野趣が印象に残る。

猪がくるというだけで、まず、人気の少なさが思いやられます。
百合の中、という表現は、手入れの行き届いた花畑のようなイメージではないと思います。
分教場が「百合の中」といっているのですから、校庭に迫る茂みに百合がいっぱいなのではないですか?

浮かぶのは、子の少ない、あるいはいなくなってしまった分教場。
猪が歩き、野生の百合が生い茂る。人影も薄い、寂しい姿のように思えます。
「地域全体の優しい野趣」というのは、「百合」という言葉のイメージだけに頼り過ぎてはいないかと、私は思いました。

オオコウモリ

2010.8.2付 朝日歌壇より
寝つかれぬオオコウモリがやって来てバナナの花の蜜に酔う夜:(大阪市)灘本忠功
 馬場あき子 評:オオコウモリは南方で遭遇したのだろうか、翼を広げるとかなり大きい。艶麗なバナナの花に吸蜜する姿が妖しく想像される。

私はオオコウモリの生態はよく知りませんが、昼行性の種もあるでしょうけれど、基本は夜行性じゃないのかなぁ。
夜になったから、月明かり星明りを頼りに行動を開始したのでしょう。
で、バナナの花もよく知らないのですが。
写真で見るだけですけど、あれ、「艶麗」っていうんですか?

「妖しい」姿とはまるっきり思えなくて。困った。

コウモリという何やら不気味な生きものが、南方の大柄な花の蜜を吸いにくる、というイメージの組み合わせを単に「妖しい」といったような気がして。

腑に落ちない評でした。

写真

2010.8.2付 朝日歌壇より
八年も前の壊れたケータイのもう取り出せない亡父(ちち)との写真:(大阪市)澤田桂子
 永田和宏 評:その中にあることはわかっているのに、もう決して取り出せない父との写真。人間の記憶だってやがてはそのように再生不可となる。

それでいいんですよ。記憶、思い出などは、時とともにあいまいになり、細部が失われ、実はちゃんと保持しているつもりで、いつのまにか変形していくものなのです。
あるいみではだからこそ、生きていけるのです。
すべてが、あいまいさなく、くっきりと、過去のその時のままに立ち現われたら、人は耐えられません。もし耐えられるとすれば、それは神のみでしょう。

人が生きるということは、失うことです。
善哉善哉。

居場所

2010.8.2付 朝日歌壇より
わが居場所ひとつ増えたり白き檻に飼い始めたる鳥の瞳(め)の中:(和泉市)長尾幹也
 永田和宏 評:もう一つの居場所が鳥の目の中にあるという。そこにはもっと心安らかな分身が見えるのか。

「心安らか」でしょうか。
作者は「檻」といっています、「籠」ではなく。
鳥を飼うとは、鳥を檻に閉じ込めること。
鳥の瞳に映る自分は、すなわち「檻に閉じ込められた分身」なのではないですか?
鳥だからといって必ず自由であるわけではありません。閉じこめられている。
そこに自分を投影していらっしゃるのだと私は感じました。

数独

2010.8.2付 朝日歌壇より
数独のレベル★★★★★(ファイブ)にてこずれば梅雨空重く明けガラス鳴く:(四街道市)佐相倫子

私共夫婦も、数独ファンでして、毎日のように挑戦を続けております。
難しい数独の本を買い込んで来て、解けずに毎日うなっております。
試行錯誤ではなく、論理的な必然によって解けるのが何と言っても魅力なんですが・・・。
昔に比べれば(NHKのどーもくんのように)パワーアップしたんだけどなぁ。
いまだに、「超難問」という壁の前で立ちすくむ私たちです。

これが歌になるとは思ってなかったなぁ。
歌人というものはすごいものだ。

隕石

2010.8.2付 朝日歌壇より
惹かれ寄りたる隕石が消費税つけて売られる地球の人に:(八王子市)相原法則

まったく。人間が発明した「経済」なるものの胡散臭さが見事に表現されています。
地球と起源を同じくする宇宙の「石」が、「商品」になる。しかも「消費税」がつく。
経済というものが如何にアホなものかがよ~くわかります。

いなかった

2010.8.2付 朝日歌壇より
人はみな子供だった胎児だった いなかった いなかった長い時を持ってる:(埼玉県)小林淳子

そう。
いなかった。生まれた。生きた。そしてまたいなくなる。

名を残すとか、死後の世界がどうのこうのとか、鬱陶しくって仕方ない。
今、いる。
それで充分じゃないですか。
死は苦しくも何ともありません。脳はちゃんと意識を閉じます。
かつていなかった、これからいなくなる。
かわりはしません。
生まれた以上ちゃんと生きればよいのです。
生きた証?そんなもの、もし、地上に生きた人間たちがみんな証を残していったら、とんでもないことになるでしょ。
無用。
生きた証など、きれいさっぱり消滅してしまうのがよいのです。

むくろ

2010.8.2付 朝日歌壇より
三千の母子(おやこ)の骸の横たわる豚舎の脇の白い露草:(真庭市)岡田耕平
 高野公彦 評:作者注に「宮崎の口蹄疫防疫に派遣された獣医師です。大規模繁殖豚舎で殺処分に従事しました」とある。動物の大量死と無関係に咲く白い花が、心の深い部分に衝撃を与える。

「大量死」という言葉に違和感を覚えます。豚は勝手に死んだんじゃない。ヒトが殺したんです。そのことを意識していないと作者に申し訳ないです。
獣医師をなさる方は、基本的に動物が好きなんです。動物を生かすことが仕事なんです。
なのに、殺さなければならない。大量に。
その「大量の殺戮、殺処分」の脇に「白い露草」。
そのコントラストの強烈さを読み取って下さい。
農家の方も、獣医師も、心ならずも、悲しみにくれながら、殺すしかなかったんです。人の身勝手かもしれません。その最前線に添えられた白い花。
苦痛と悲哀への献花でもあったでしょうか。

つらいよなあ。

「すずなり」

2010.8.2付 朝日歌壇より
鈴ケ森刑場跡をすずしげにデイサービス車「すずなり」が行く:(横浜市)篠田勲

私の家の近辺でも「すずなり」の車を見たことがあるような気がします。
自分が団塊の世代だというところで、その「すずなり」の車を見て苦笑いをしました。
わたしら、いっつも「かたまり」。
かたまって老いて行きます。
老人がすずなりになりますよ~。
そこまで含意して「すずなり」という名をつけたのかなぁ。
結構ブラックだなぁ。

昔、小学校で人口のグラフが「ピラミッド型」というのを習いましたが、そのうち、人口グラフが「マッチ棒」になります。

富士の裾野

2010.8.2付 朝日歌壇より
あまのはら富士の裾野を走りゆく戦車つぎつぎ霧中に消えつ:(静岡市)篠原三郎

ずいぶん昔の話です。
御殿場の国立青年の家で、生徒会かなぁ、クラスの委員かなぁ、の研修合宿を引率しました。
隣接して自衛隊の演習場がありましてね、朝は戦車の音で目が覚める。
朝のラジオ体操の音楽に、自衛隊の演習の無線が混信してくる。
レクにオリエンテーションをやったら、間違っても演習場に紛れ込まないようにと警告されてしまった。
なんだかねぇ。気持ちのよいものではなかったです。
そこに、武力の「塊」が現実に存在する、という恐ろしさを感じました。
もう一つ、私の個人的な感想は。夜中に、殺虫剤のタンクを積んだトラックが敷地内をくまなく走り回って、朝起きてみると、至るところ昆虫たちの死骸で埋め尽くされていたことですね。

武力とは命を踏みつぶすものです。

建築学部

2010.8.2付 朝日歌壇より
短歌にも土台と柱と屋根があり建築学部に学ぶ如しも:(広島県)楯田順子

そうなんだ。知らなかったぞ。
やっぱり実作は私には無理だ。
言葉による構築物なんですね。短歌は。

建築物を見て、その構造を読み取ることはなんとかできそうだけれど、それはやはり「記述の言葉」。
「構築する言葉」じゃないものなぁ。

ペリカン

2010.8.2付 朝日歌壇より
洗われるペリカン映し鳥類の六割はDEADと締めくくるアナ:(アメリカ)西岡徳江

今年の4月に起こったメキシコ湾での原油流出事故ですね。今もって根本的な解決が出来ずにいる。
日本でも油まみれの鳥の画像は放映されましたが、「六割はDEAD」というのは聞かなかったと思います。
それを言わないことで、あたかも原油を洗ってやったら助かるかのような幻想を与えるとしたら、それはむしろ残酷なことですね。6割は死んだ、という真実に直面すべきです。

人の驕り。そして、自然の力に対する人の無力。
現実と直面するところからしか出発のしようはありません。
生態系への責任をどう取ったらよいのでしょう?
同じ生態系の中で生きる動物として。

金魚

2010.8.2付 朝日歌壇より
お祭りに掬いし金魚を校庭の池に放ちて親子は去りぬ:(稚内市)藤林正則

前の記事と同じ作者です。
小さな学校ですから、金魚を持ってきて池に放していった親子のことは充分に知っている。
これが都会の学校だとね、そういうことを許すと、次々と、飼いきれない金魚を持ちこむ人が来てしまうから、「金魚を放さないでください」とでもいうような看板を立てることにもなりかねません。
お祭りがあった。金魚すくいを楽しんだ。飼いたかったんだけれど、無理だった。学校で生きてもらおうか、と連れてきた。
そういう「お家の」事情が手に取るように読みとれてしまうのだと思います。

サッカーのユニフォーム

2010.8.2付 朝日歌壇より
サッカーのユニフォームを着て出勤の女教師は普段通り教える:(稚内市)藤林正則
 佐佐木幸綱 評:サッカーWカップのたくさんの歌の中で、これを採らせてもらった。不謹慎と見る人も多いだろうが、小学生の目線に合わせての授業風景とみることもできるだろう。

作者はおそらくごく小規模な学校の先生でいらっしゃる。全校で10人20人という学校。
生徒・親・集落の人々・・・人間関係は非常に緊密。そういうなかで、先生がサッカーのユニフォームを着ても、何にも違和感などありはしません。不謹慎などではありません。
「モンスター・ペアレント」などという不快な語感の人間関係が現実に存在する都会のギシギシと軋む学校とはわけが違う。

40年も前ですが、大学2年生の頃、化学部で、北海道の僻地の小中学校へ、実験器具や薬品を担いで理科実験をしに行ったことがあります。その化学部の恒例の取り組みでその後もずっと続いているようです。
昔、ニシン漁場として栄えて、今はさびれてしまったという土地の学校にも行きました。
東京から学生さんが来るというので、集落挙げての大歓迎を受けてしまった。実験授業もしたけれど、泳ぎ、食べた記憶もまた強烈ですね。
朝しぼりたての原乳を一升瓶で頂いたり、海岸で「浜鍋」をごちそうになったり。
自分たちで獲ったウニを割って食べていたら、山ほどのウニを、ただじゃぁかえって気分的に負担だろ、10円でいいよ、っとくれた漁師さん。ウニだけで満腹なんてすごいでしょ。

人間関係の濃さは、都会人の想像を絶するものです。

アリグモ

0722_6arigumo_ 7月22日
アサガオの葉の裏に白いものが見えたので、手で裏返してみました。
そうしたら、アリグモがいた。メスのように思います。一瞬だけ目があって、すぐに逃げてしまいました。
さて、この白いもの、何でしょうねぇ、ひょっとして卵を産む準備だったのかなぁ。
としたら、猛烈に申し訳ないことをしてしまった。
分からないまま、立ち去りました。
あんまり気軽に葉っぱをひっくり返したりするものではないですね。
見える範囲で見えるものを見る、のがよいようです。

ヤマトシジミ

0722_5sijimi1 7月22日
よく見るシジミチョウです。
動画ではないので、このシジミチョウがやっている動作をお目にかけられないのが残念です。
何をやっているかというと、後翅を擦り合わせているのです。
0722_5sijimi2
後翅が少しずれているのが分かりますでしょ。
一定のリズムを刻んでちょいちょいちょいと擦り合わせているのですね。
何の動作なのかは分かりません。
ハエが手を擦る脚を擦る、のはごみなど取っているのだと思いますが、チョウの後翅じゃあなぁ。
朝8時半ころですから、ウォームアップ、という可能性はありますね。
でも、震えによって熱を発生しているというペースではないんです。
1秒間で2.3回というペースかな。
しばらくここを離れて、また戻ってきても、同じことをやっています。

なんとなく、愛嬌のある動作で、見とれてしまいました。

ヒメグモ♀

0722_4himegumo 7月22日
大した写真ではないのですが、私にとって初めてのアングルだったものですから、少々嬉しくて。
ヒメグモの顔です。
いつも、腹部の背面が目立っていて、向こうを向いていて、せいぜい横からショットまでしか撮ったことがありませんでした。
今回は、鮮明ではありませんが、正面の単眼1対が写りました。
「ご尊顔を拝し奉り」ました。
立体的な網の中にいるので、近づききれない、アングルを自由にとれない、という被写体です。これからも、挑戦し続けます。

トンボの脱け殻

0722_2nukegara 7月22日
池に立てた破魔矢の棒ですが。
トンボの脱け殻がついていました。
今年の様子からすると、おそらくオオシオカラトンボでしょう。
次々と孵化していきます。嬉しくってね。
慣れないと見分けられないかもしれないのですが、大きな顎が写っています。
折り畳み式でしてね、獲物を見つけるとパッと伸ばして捕まえるのです。
オオシオカラトンボくらいの大きさだと、メダカを捕まえられるでしょう。
そのつもりでメダカを飼育しているのです。妙な家族ですね。
メダカが増えて嬉しい。メダカを食べるヤゴが増えて嬉しい。
オニヤンマでもこないかなぁ、などと夢見るかかしでした。

トウキョウヒメハンミョウ

0722_1tokyohimehanmyou 7月22日
トウキョウヒメハンミョウの姿がめっきり減ってきました。
成虫の時期が終わりに近づいているようです。
シーズンの終わりの記念というつもりで撮りました。
成虫のシーズンは短いですね。
後の長い時間、卵や幼虫で過ごすのでしょうが、目が地面から遠いからなぁ、幼虫を見たことがありません。
私の世界は1.5mくらいの目の高さ付近を中心にしてその上下です。
子どものころと違って地面が遠くなりましたことです。

クサギカメムシ

0721_4kusagikamemusi 7月21日
このところ、クサギカメムシの成虫、幼虫の姿を見かけることが増えてきました。
ホウズキカメムシも相変わらず、オーシャンブルーやヤマノイモ、アサガオなどにたくさんいますが、クサギカメムシは少し居場所が違って、いろいろな木の葉で見かけるようです。
上の写真は幼虫。
翅が完成していません。
クサギカメムシの卵をもう一回見たいと思いながら果たせません。
ちょっと面白い卵なのです。
出会いたいと思って出会えるものではないというところが、昆虫とのつきあいの難しいところであり、面白いところです。思いがけないものにも出会えますけどね。
一期一会という言葉を日々体験しています。

ネコハグモ

0721_3nekohagumo 7月21日
ネコハグモの巣です。
クモ本体は見えていません。
かかった獲物が大きい。
クサカゲロウか何かではないでしょうか。大きな翅が写っています。
かなり暴れたのではないでしょうか。巣がかなりズタズタになっているという感じがします。

◆話がふっとんでスミマセン。
先日、妻が「家の中で大きなクモが走っている」というので、見ればアシダカグモがいました。
ゴキブリなどを食べてしまうやつです。まるで滑るように走っていきます。独特な走り方なので一度覚えれば見間違うことはありません。
我が家にもアシダカグモがいたんだなぁ、と嬉しくなってしまいました。写真を撮るのはおそらく難しいと思いますので、思い出した時にご報告しておきます。
徘徊性のクモとしては日本で一、二の大きさです。
ゴキブリを食べるんですから、嫌わないでくださいね。

2010年8月 2日 (月)

アゲハ産卵

0721_2ageha 7月21日
アゲハのメスが、キンカンの木のてっぺん近くで産卵。
静止はしてくれませんのでぶれてますが、腹を曲げているのが分かると思います。
腹を曲げ、卵をうみつける瞬間です。
こういうシーンを見たら、「あの場所」っと、頭に焼き付けて、後で脚立でも持って行ってそのあたりを見ると、卵が見つかります。
もし、身近に柑橘類の木があって、こういう産卵行動を見たら、ぜひ調べてみてください。
かわいい卵に出会えるかもしれません。

アゲハ幼虫

0721_1ageha 7月21日
新しい仲間が増えました。
とげとげが仰々しいというか、精一杯頑張っている、というか。

体形は本当はずいぶん変わるのですが、大雑把な話。
3mmの幼虫が3cmに成長したら、長さスケールが10倍ですから、体積(体重)は約1000倍になるんですよ。ものすごい成長でしょ。それを「葉っぱ」を食べるだけで成し遂げる。
考えると、すごいことをしているんですよね。
無事に成虫までいけますように、私たちにできるのは「お手伝い」「立ち会い」だけです。
食べ、成長し、変態するのは、このかわいい虫が自分でやるんです。おごそかな気分ですね。

ミンミンゼミ

0720_3minmin1 7月20日
暗いし遠いし、強引に露出補正をプラスにして、撮ったのはいいけれど、おはずかしい。
メスですね。音も立てずに飛び去りましたから。

今年はセミが遅い。
ミンミンゼミの初鳴きを耳にしたのは、この後1週間近く経って、7月26日の早朝でした。
それからは少しずつ鳴き声が増えてきましたが、うるさいほどの声にはなっていません。
どうしたのでしょう?暑すぎる?
いつもの夏とは少し違う進行をしているように思います。

カメムシ脱け殻

0722_7houzukikamemusi1 7月22日
アサガオの葉の上に、こんなものがいくつか見えます。
初めはクモの脱け殻か、クモの食事後か、と思ったのですが、よく見ると
0722_7houzukikamemusi2
カメムシの脱け殻です。
針状の口が見えますよね。決定的。
手のひらにとって眺めると
0722_7houzukikamemusi3
きれいな脱け殻でした。
このあたりにいるのはホウズキカメムシですので、おそらく、ホウズキカメムシの幼虫の脱け殻で間違いないでしょう。

ヒメグモ♂

0720_1himegumom 7月20日
ヒメグモのオスは通常の生活はどのようにしているのでしょう?
メスの網に現れて、交尾のチャンスをうかがうという状況をいつも見ます。
上の写真を撮ったときは、視界の中にメスがいませんでしたので、オスもこういう巣を張って暮らすのかな、と思って記録したのですが、その後、同じ場所では見かけないし、メスが少し離れたところにいたのかなぁ、とか、結局、ポジティブな記録にはなりませんでした。
オスの日常生活も知りたい。

アゲハたち

7月19日時点でのアゲハたちの状況。
0719ageha1
これはクロアゲハ、終齢幼虫
0719ageha2
同じく、クロアゲハ、終齢の一歩前。

0719nagasakiageha3rdy
これはナガサキアゲハ。
やはり終齢の一歩前。
似ているようでもあり、全然違うとも言える。
この時点では、順調に成長中。

カナヘビ

0719_7kanahebi1 7月19日
ガレージのブロック部分に発見。
後脚はブロックに、前脚はアロエの葉にのせています。
何か、非常に強い関心を惹くものがあるように思います。
私がゆっくり近づいて行っても、全く反応しないまま、じっとアロエの葉の奥の方を見ています。
0719_7kanahebi2
"上品"な俳人に言わせれば下手物でしょうが、よく見てほしいなぁ。
威厳があるというべき顔つきでしょ。
欲にまみれてもいないし、下劣な思惑にはしゃいでいるわけでもないし。
ひたすらに生きる、清浄で高潔な表情です。(ヒト猿とは格が違うよな。)
0719_7kanahebi3_2
目の後方、頭の付け根近くに「鼓膜」が見えています。
ここまで近づかせてくれるというのは珍しい。
よほど強い関心を惹かれているな、とは思いましたが、この位置からの私には見えませんでした。邪魔をしては申し訳ないですから、この後は静かに静かに後ずさりして別れました。
素晴らしい表情を見せてくれてありがとう。

ミスジミバエ

0719_4misujimibae1 7月19日
ナツミカンの葉の裏だったと記憶します。
すごく目立つ虫です。
高いところに見えたので手を伸ばしての撮影。ピントが甘くて申し訳ない。
でも、特徴はとらえています。
胸部に3本の縞模様があります。
複眼も、どうなっているのかよくわかりませんがすごく目立ちます。
0719_4misujimibae2
ボケボケの逆光。
翅を開いた状態でとまっていました。ハエ、という感じとはちょっと違いますね。

0720_4misujimibae 7月20日
またもや、ボケボケ写真でスミマセン。

成虫は腐った果実や昆虫の排泄物を舐めるらしいです。
で、幼虫はカラスウリの花を食べるとありました。
今年は、家のそばにカラスウリを伸ばしているのですが、まだ咲いてはいないと思うのですがねぇ。

サクラコガネ

0719_3sakurakogane1 7月19日
なんだか変なことをしている奴がいます。
こちらに見えているのは腹部の先端ですから、脚は後脚です。
前脚と中脚で下の葉につかまり、後脚で上の葉を引き寄せて隠れているのです。

悪いけど、出ておいで、と葉を引きはがしたら、自分で道に落下しましたので、拾い上げました。
0719_3sakurakogane2
これです。
「おうごんちゅう(黄金虫)」といいたいような金色です。
頭の方には緑色の輝きもあります。
0719_3sakurakogane3
ほらね。
美しい金色をなんとか撮りたいと、手の上を歩き回る虫がを常に上になるようにしていたら、少し興奮してしまったようです。
0719_3sakurakogane4
ウンチが出てきてしまいました。昔、子どもの頃、カナブンを捕まえてポケットに入れて帰ったら、ズボンをびしょびしょにされたことを思い出しました。
そろそろ放してやらなくちゃ。
でも、それはそうとして、きれいでしょ。おうごんちゅうです。
0719_3sakurakogane5
思い切り顔のアップ。
反射光で見た方が多分きれいだろうと、光らせました。
体の金色、頭の緑色、鮮やかな色彩ですごく目立つ虫です。
成虫はサクラやクリの葉を食べるそうですが、今回見つけた場所はオニグルミの葉の上です。

キベリクビボソハムシ

0719_2kiberikubibosohamusi2 7月19日
キベリクビボソハムシを毎日見かけます。
この翅の模様は個体による変異が大きいということです。
0719_2kiberikubibosohamusi3
この個体はぎりぎりで分かりにくいですが、翅の黒い模様が切れています。
腹側にも模様があるようですね。

0722_8kiberikubibosohamusi 7月22日
これは、模様が完全に分断されています。

0723_7kiberikubibosihamusi 7月23日
最初の個体とも微妙に違うようです。
0723_7kiberikubibosohamusi2
脚にも模様があるようですね。

ナミテントウの模様の変異の大きさに比べれば大したことはないようでもありますが、見かけるたびに違うのが姿を現して、面白いです。
結構、敏感で、シャッターチャンスは短時間です。撮ろうと決めたらすぐ撮らないと逃げられてしまいます。

« 2010年7月 | トップページ | 2010年9月 »

2017年6月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30  
サイト内検索
ココログ最強検索 by 暴想
無料ブログはココログ