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2010年7月15日 (木)

個性

新聞紙面上、歌壇と俳壇の間にあるエッセーです。太字・下線は私がつけました。

[うたをよむ]二人の師と個性の大切さ:今瀬剛一(7/11)
 昭和三十九年、私が二十八歳の夏であったと記憶している。恩師山口青邨のお宅を訪問したことがあった。先生はアニミズムそのものといいたくなるような優しい心の持ち主で、庭に迷いこんできた蟇(ひきがえる)さえ、大切に育てておられた。
 およそ四、五十分ほど室内で話をした後、先生は自ら下駄を履いて庭を案内して下さった。よく知られているように先生は庭を「雑草園」と呼んでいる。その日の庭は、その名に相応しく草が一面に茂っていて、歩くと足が露にぬれるほどであった。私は蟇のことを思い出して先生に「どこにいるのですか」、と聞いてみた。すると先生は即座に「きみの足元にいるよ」とおっしゃるのである。見ると、そこには子どもの顔ほどもある大きな蟇が私を見上げていた。それは不格好さには似合わない、いかにも穏やかな、人なつっこい表情をしていた。撫でてやりたいほどの可愛らしさを覚えた。
 後年、このことをもう一人の師である能村登四郎に話したことがあった。その時の登四郎先生の表情は何とも忘れられない。興味深げに身を乗り出して私の話を聞いていたが、聞き終わると顔を歪めて、それでも笑顔は崩さずに一言「いやだねえ」とおっしゃったのである。その表情は明らかに蟇を嫌いつつも、青邨先生ならそのくらいはやるよ、という一種独特の尊敬の念が感じられた。
 一木一草、それこそ蟇のような醜い対象まで愛してそこに命の存在を認めていた山口青邨先生、だからこそその作品は

 

こほろぎのこの一徹の貌を見よ

 にうかがえるように温かい眼差しに満ちている。一方、生涯いわゆる下手物を嫌い、美しいものを追求しつづけた能村登四郎先生。したがってその作品は

 

ゆつくりと光が通る牡丹の芽

 のように美しく、静かな輝きを湛えている。
 今、私は若い頃のこうした出来事を通して、俳句における個性の大切さをつくづく考えている。(俳人)

◆このブログの読者の方なら私が何を言おうとしているかは充分に察知なさっておられるでしょう。

「蟇さえ」。「さえ」という言葉には気をつけましょうね。気づかぬうちに、内心の差別感を露呈させてしまいます。
体の不自由な人でさえ頑張っているのだから、君たちは頑張れ。
こういう言い方、よくあるんですよ。

ヒキガエルって「不格好」ですか?また差別する。
ヒトって不格好じゃないんですか?
ヒキガエルの威厳ある姿にうたれたことはないんですか?

「撫でてやりたいほどの可愛らしささえ覚えた」ほら、またやった。本来、不格好で、愛らしさをおぼえてやることなど全く無用なのに、「可愛らしささえ」覚えてしまったんですね。
偉い方だ。

「それこそ蟇のような醜い対象」ねぇ。ひどすぎますねぇ。そういう感性は「醜い」ですよ。
おっと、これは、逆差別かな?
「みにくいヒキ」というレッテルでしかものを見ていない。貧しい感性ですねぇ。
レッテル抜きで、対象に迫ってみませんか?

「いわゆる下手物を嫌い、美しいものを追求」したんですか。
花は「美し」くって、ヒキやムシやヘビやゲジは「下手物」なんですね?
花を愛でる人はきっと「高尚」なんだ。
虫好きなんて「低劣」なんだな。
花が美しいことは認めてます。
でも「美」の範疇がすべて花で埋め尽くされているわけではありません。
虫も美しい。蛇も美しい。蟇も美しい。カビやキノコも美しい。菌の生きる姿だって美しい。
自分一人で「美」を独占しないでくださいな。

今瀬氏の「だからこそその作品は」「したがってその作品は」という、接続の誤りはまったくもって頂けません。

個性はどこででも大切なんです。個性のない「芸術」なんて存在しえますか?
型を大切にする「芸」においてだって、師匠の教える型に一端は完全にはまった上で、その先にあふれ出てくる「個性」が大事なのではないでしょうか?

底の浅い文章を読みました。哀しい。
ものに貼り付けたレッテルを恣意的に操作するだけの文章は、何も創造的な「意味」を産み出していません。

もっとも、ヒトの「言葉」というものがそもそも、対象に貼り付けたレッテルであって、そのレッテルを操作することで抽象的な思考が出来るようになったのではあるのですけれどね。

自然科学にかかわるものは、レッテルの意味を絞り込んで議論を明確にします。
詩人なら、レッテルが産み出す「意味の余剰」を重ねて、世界を構築します。
私が俳句に感じている最も強い抵抗感は、現在の俳句は芸術ではなく、芸事になっているのではないか、という点にあります。

束縛を解き放って、躍動する、しなやかな俳句が読みたいなぁ。

{いろいろなご意見があると思います。とても失礼な言説をお目にかけていることは充分に承知しています。わざと挑発的に書いています。読者の方の心のうちを「撹乱」したいのです。皆さまのそれぞれの場で、私の文章に対する「反応」「反撃」を表現なさってください。}

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