虹の橋
2010.7.11付 朝日俳壇より
工学部では習はざり虹の橋:(久留米市)田中淳也
そう、工学部ではあの雄大・壮大にして美しい虹の橋のかけ方は教えないでしょうね。
でも、「アーチ」の構造や力学、「楔石=キーストーン」の重要な意味とか、そういうのは習ったことでしょう。
虹には「楔石」はあるのかな?
虹の「楔石」を抜いたら、虹が崩壊したりして・・・
まあ、想像はいろいろ発展します。
面白い結びつきを教えていたきました。
◆ところで、虹について、ひょっとしたら「衝撃的」かもしれない事実をお知らせしましょう。
虹という一つの物体があって、それをみんなで眺めているわけではありません。
一つの山やビルディングを多数の人が見ている、という状況とは異なるのです。
ホースから散水して背後からの太陽光で虹を作ってみてください。
水を左右に振っても、虹の位置は変わりません。ですから、そこに虹があるように見えます。
ところが、水は動かさずに、頭を左右に移動させてみてください。
頭の移動に虹がついてきます。
ということは、二人で並んでホースの散水の先に出来る虹を眺めて「きれいだねぇ」と話しあったとして、二人が見ている虹は「別物」なんですね。
虹は観測者に付属する「現象」だからなのです。
虹は存在していません。虹はある「点」から観測される現象です。
虹は常に観測者の正面に存在します。虹は観測者それぞれに対してあらわれているのです。
最近「3D」と言うのがはやりですが、あれは「両眼視差」を利用しています。
一つの物体が、右目と左目で微妙に見え方が異なる、その視差を利用して脳が立体像として脳の中に像を構成するのですね。
虹についていえば、左右の目、それぞれに「真正面の虹」が見えていますので、「両眼視差」は生じません。
そこで、最近、立体画像の撮影できるカメラも出てきましたが、それを使わなくても、2台のカメラを適当に離して同時に虹に向かってシャッターを切りますね、これで普通の物体は立体画像として撮影できます。
虹をそうやって撮影して、右目用の画像を右目で見、左目用の画像を左目で見ても、立体感は生じないのです。視差がないからです。視差がないということは、脳としては無限に遠いところにあると判断せざるを得ません。
ある写真家が、飛行機から雲を、少し時間間隔を開けて撮影し、雲に対する視差を作りだして、雲を立体視できる写真集を作りました。
その中に、雲に写った飛行機の影を取り巻く丸い「虹」(ブロッケン現象かな)が写っていたのですね。早速買いこんできました。立体視しました。雲は立体的です。でも虹はどこにあるのかが分からないのです。実に妙な気分でした。見えているのに距離感はないのです。
私の考えが正しかったことを証明できた瞬間でした。
大空にかかる虹を、親しい仲の二人が肩を寄せ合って眺める。なんて、ロマンチックな光景ですが、実は二人はそれぞれ自分に属する虹を見ていた、なんて、ちょっと残酷かなぁ。
ここが「衝撃的かもしれない」といったポイントなのです。
人はそれぞれ「自分に属する虹」という現象を見ている。
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