海獺
2010.7.26付 朝日歌壇より
少年は海獺(らっこ)のごとく背で泳ぎ日に仰け反りて喉仏見す:(高石市)木本康雄
馬場あき子 評:少年の背泳ぎ姿、「海獺」の比喩のためたちまち目に浮かび可愛らしい。「喉仏見す」の結句まで動的な描写も有効。
馬場氏の評で「背泳ぎ」といっているのですが、普通「背泳ぎ」というと、競泳の「はいえい=バックストローク」をイメージしませんか?
私は、この少年がバックストロークで「泳いで」いたという風には読み取りませんでした。
背を下に、浮き身をしながら波に揺られ、腕をゆっくり適当に、あおったりしながら漂っている、と読んだのです。私自身の思い出が強く重なっています。
白神山地も近い秋田の海で、真夏の太陽に焼かれながら、足も届かぬ深い海で、ぽかっと浮き身をしている。波に揺られ、波が顔を叩き、耳は水中にあって深い海底の砂の揺れ擦れ合う音を聞いている。空は真っ青、真っ白な雲が少し漂う。最高でしたよね。高校から大学の頃ですか。地元の子が少し遊んでいるくらいで、ほとんど人もいない海で、波に揺られる気持ちよさ。
子育て中、泳法を教える気はなくて、水中で呼吸しながら立ち泳ぎ、浮き身などで、適当に身を保ち、行きたい方向へ適当に手足を使って行くことができるようになることを目指して泳がせました。足が海底につく、というようなことは最初から論外です。
泳ぎは遊びでいいんです。自らの体を自らが保てればそれでいい。
海底に潜って、大小の岩・石を拾ってきて、背面で浮き身をしながら、お腹の上に大きい石を置き、小さい石でコンコン叩いて「ラッコ!」ごっこをしましたっけ。あれはお気に入りの遊びだったな。
そういう思い出を重ねながら、読ませてもらいました。
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