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2010年7月28日 (水)

金山

2010.7.26付 朝日歌壇より
鏨(たがね)と槌(つち)と楔(くさび)もて四百粁金山掘りし坑夫ら短命:(名古屋市)諏訪兼位

金山となれば諏訪先生のホームグラウンド。
鏨で岩を割り、割れ目に楔を打ち込んで割れ目を広げて岩を砕く。
そのようにして「400km」も掘り進んだ。
佐渡金山のことですね。
「短命」というのは私の想像では「事故死」ではないでしょうか。
石炭の炭鉱でも、坑道の崩落事故はよくありました。
金山の坑道では支柱はちゃんと立てていたのでしょうか。
歴史の表に現れる「佐渡金山」のイメージの裏には、多くの命が失われていったという事実があったと諏訪先生は指摘されています。
大仏建立の裏に多くの水銀中毒があったように。
歴史の表だけを見ず、庶民の側に立った歴史認識が重要ですね。

http://www.sado-kinzan.com/history/  から引用

佐渡金山は、1601年(慶長6年)山向こうの鶴子銀山の山師3人によって発見されたとされ、本格的な開発が始まりました。以降盛衰を繰り返しながら平成 元年3月31日まで388年間採掘が続けられました。この間に採掘された鉱石は1500万トンに及び、金78トン、銀2300トンを産出した日本最大の金 銀山でした。
坑道の総延長は約400キロに達します。このように、江戸時代から平成まで操業が続けられた佐渡金山には、国内の鉱山ではもはや見ることのできない多くの史跡、産業遺産が残されています。

http://www.sado-kinzan.com/history/edo/index.php

・・・
開山から約100年で坑道の深さが海水面にまで達した金山は、坑内の湧水に悩まされるようになりました。江戸時代の坑道は、水没による放棄と排水技術の向上による再開発の繰り返しで、「水とのたたかい」だったとされています。

このページの「金銀山絵巻(部分)」という絵には、排水のための「アルキメデス・ポンプ」が描かれています。
多くの犠牲者の命の上に成り立った産業だったのでしょう。

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