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2010年7月14日 (水)

赤子泣く

2010.7.11付 朝日俳壇より
梅雨さ中赤子泣く声偉大なり:(多摩市)柳田主於美
 金子兜太 評:「偉大なり」とはよくぞ言い切った、と拍手。誇張のよろしさ。

私、これ、「誇張」とは全然とらえてないのですが。
大人たちが、梅雨だつゆだ、とイメージに負けてしまいそうな時に、乾いた陽性の大声を張り上げて泣く。それは命の力の告知であって、偉大さそのものでしょ。誇張なんかじゃないですよ。

かつて、親族の手術で、20時間近くも待合スペースで過ごしたことがある。
病院の待合所なんてのは、どう見たって「命の活性レベル」が低下した人が多い。
患者さんに比べて見舞いの人の発するエネルギーはすごいものだな、などと思っていました。
そのスペースの片隅で、お母さんが赤ちゃんのおむつを替えていた。突然に響きわたる赤ちゃんの大きな泣き声。たとえなんかではなく、そのコーナーから光がさしましたよ。待合所にいた人たちの表情が一瞬にして輝きましたよ。赤ちゃんの泣き声のひびく間、命のエネルギーが充満しましたよ。

赤ん坊と言うものは偉大なものなんです。
純粋に生きるというエネルギーを失ってきた大人のほうが、赤ちゃんに比べて矮小化してしまっているのです。
自覚したいものですね。

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