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2010年7月

2010年7月30日 (金)

オオシオカラトンボ

0719_1oosiokara 7月19日
この個体と下の写真の個体を比べてみてください。
0722_3oosiokara 7月22日
違う個体ですよね。トンボとしての成熟度が違う。
下の写真の方が若い、と思います。
恐らく新しく羽化したのでしょう。
テリトリー争いがあったように思います。
2匹のトンボがからむように飛んでいた。あれが、このオオシオカラ達だったかどうか定かではありませんが、多分。
0723_4oosiokara 7月23日
これは2枚目と同じ個体だと思います。

この他、この池からはイトトンボの仲間が羽化してきていますので、争いは起こらないのかどうか、小さな割に賑やかな池です。

ちょっと池を作るだけで、こんなに虫影が濃くなる。
楽しいものですよ。

メスジロハエトリ(女の子)

0718mesujirohaetori 7月18日
3mmあるかなしかの幼体です。白いですからメスです。というわけで「女の子」。
頭でっかちで、脚が半透明で、いかにも幼いという姿。
昆虫やクモでもやはり幼いものはかわいいですよね。いとおしい。
さっと隠れてしまいましたが、丈夫に育ってくれますように。

ホウズキカメムシ

0718houzukikamemusi 7月18日
別に親子とかいうわけでもないのでしょうが、なんとなく「おかあさぁ~ん」という感じがしませんか。
アサガオとヤマノイモが競って伸びあっている場所です。
少々増え過ぎの感もありますが、いずれ適正なレベルになっていくでしょう。それが「系」というものの性質です。

アオメアブ

0718aomeabu1 7月18日
トクサのてっぺんにとまった、アオメアブです。
日本語では「青」と「緑」が同じ意味に使われることはよくあります。
青信号というのが身近な例ですね。
このアブの緑色の目が名前の由来でしょう。
ムシヒキアブ科の肉食性のアブですが、被写体としてはゆったり構えてくれる穏やかな奴です。シオヤアブも結構ゆったり構えていましたっけね。
背中の形がごつくってすごいですね。
0718aomeabu2
斜め後ろから見るとこういう姿です。
0718aomeabu3
この鮮やかな緑色は遠くからでもよく目立ち、ん?なんだあれ?という感じで視線を捉えます。
複眼のある部分が緑である部分が赤だ、というわけではないようです。
見る角度によってその部分の色が変わってしまうように思えます。
色彩のことに詳しい方なら、ピンときませんか?
赤と緑がセットになっている。
正確な色名だと少し違うかもしれませんが、赤と緑は補色ですね。
複眼の中へ入射する光と表面で反射する光の関係で、こういう発色をしているのではないか、と想像します。詳細は分かりませんが。

0718aomeabu4
ぶれが激しいですが、この「青緑」が肉眼で見る色に一番近く撮れたものです。
緑の部分は表面での反射光なんですね。で、すごく明るいものですから、露出オーバーになってしまって写りにくいのです。
赤く見えるところは、緑を反射してしまった残りの色が見えているので、暗くなります。

一連の写真を撮った後、家の中の妻を呼んで見てみなよ、と来てもらっても、まだいました。妻は大型のアブは苦手です。
子らと車で夏の旅行をしていた頃の話。
白滝という名の小さな滝がありましてね、おみこしが滝浴びするというので少し有名。
私は滝壺でうたれた思い出もあります。水が冷たくて気持ちいいのです。
夏祭りも終わって、盆の近く、人も少ないだろうから行ってみようか、と車で出かけました。そうしたら、アブの大群に襲われて、大慌てで逃げ帰ったことがあるのです。すごかったなぁ。ウシアブでしょう。じっとしていれば刺されるアブです。あれがトラウマなんですね。大きなアブは苦手にしています。
従弟のいうところでは、アブが手にとまったらすぐ叩くな、そうすると逃げられる、しばらく待って、さあ刺そうとしたその瞬間に叩くと、アブの方も吸血に集中しているので叩けるよ、と。
そうかもしれないけれど、大群におそわれちゃあかないません。
一斉に羽化して吸血のチャンスを待っていたんでしょうねぇ。

オオシオカラトンボ産卵

0717oosiokara 7月17日
庭に出ていた妻が、トンボが産卵に来た!と叫んだので、とるものもとりあえず、カメラをひっさげて飛び出していきました。
邪魔をしてはいけないので、遠くからの撮影。動きは速い。
こんな写真しか撮れませんでしたが、写っているのがオオシオカラトンボのメスであることは間違いがありません。

激しいんですよ、腹部で水面を叩いて、前方に水を翅飛ばすという産卵です。
写真を撮っている時は忘れていましたが、オオシオカラトンボの産卵では、産卵中のメスの上やそばをオスがホバリングしたり、旋回したりすることが多いのです。「警護」と呼ばれているようですね。
上の写真を撮っている時は、視界にオスがいない、と思っていたのですが、私たち夫婦が駆けつけてきたので、オスは通常より高いところにいたのではないかと想像します。この産卵の後には、いつものように、オスが枝の先端などで、テリトリーの見張り行動をしていましたから。この時だけいなかったということはないでしょう。

ところで、「警護」ということばで表現されると、いかにも産卵中のメスを守っているかのような気がしますが、それだけかなぁ、という気もしています。
交尾後、自分の精子で受精した卵を自分のテリトリーのこの水面に「産め」と「監視している」ような気もするのです。
メスが産卵をやめて飛び去ろうとすると、オスが降りてきて、逃がさない。ちょっと攻撃的に産卵の継続を促すように見えるんですね。
自分の遺伝子を残そうとみんな頑張るわけです。他のオスの精子をかき出して自分の精子を渡すとかいうような行動も昆虫の中にはあります。
そういう目で見ると、オスの行動は、「警護」でもあるのでしょうが、「監視」であるような気も強くします。

ネコジャラシ

0717nekojarasi 7月17日
瞬間芸のような写真です。
拡大して、何げなく見てください。じっくり見たらすぐ分かります。

一瞬、ネコジャラシの穂にこんな実がなるんだっけ?と戸惑って。
よく見たら、フウセンカズラの蔓が、上へ行こうと手当たり次第に絡みついた結果なのでした。

それだけです。
フウセンカズラがいっぱい咲いています。これから長く虫たちの人気の花になるでしょう。

マンリョウ

0717manryo 7月17日
庭のマンリョウの花。
以前、門の内側の日当たりのよいところに一株マンリョウがあったのですが、いつの間にか枯れてしまった。以来、我が家にはセンリョウはあるけれど、マンリョウはなくなったな、と思っていました。
なんと、塀の内側のボウガシの間の日当たりの悪い場所に生きておりましたよ。
鳥が種まきしたのかもしれません。鳥の種まきはいろいろなものを運んできますから。

自分ちの庭にあったマンリョウに気が付かないとは、いったいどういう「お屋敷」に住んでるんでしょう、私は。前の首相やその前の首相みたいな御曹司じゃないんだけどなぁ。貧乏かかしなのに。目が悪いんだな。うむ。

1mくらいの高さがありますから、結構前からここにあったんでしょうね、気づいてあげられずにゴメン、という気分です。

足の裏に飯粒が付いたような気分

 どうも忘れやすくなってしまっていけません。1年以上もほったらかしのネタを思い出して数日、今書かないとまた忘れる。

足の裏に飯粒が付いたような気分

こういう言い回し、ご存知かどうか?でも分かるでしょ。なんとなく気になるんですよね。大したことでもないんだが、どうにも気になって仕方ない、という表現です。
足の裏って、皮膚が分厚くて鈍感な割に、妙に微妙な感覚がありますよね。
靴の中に、小さな砂粒一つ入っても、痛いわけでもないが、気になって仕方ない、とかね。
裸足でダイニングを歩きまわることも少ないのでしょうけれど、現代人は。
落ちたご飯粒を踏んづけると、足の裏にへばりついて、これが気になるんだなぁ。
厚みがあるというほどでもないが、押される。べとべとな粘着力があるわけでもないんだが、歩くたびに床にぺとっとくっつく感じ、気になりますねぇ。

◆さて本題
虫けら賛歌」梅谷献二(うめやけんじ)著、創森社、2009.2.20 第1刷発行

こういう面白い本がありまして、去年の3月に購入してすぐに読了した本です。
この本の第1章「虫けら賛歌」の中に、「ヘッピリ虫考」という文があります。

へっぴりむし
 ・・・
 その正体は、ホソクビゴミムシ科に属するミイデラゴミムシという小甲虫である。
 ・・・
「ミイデラ」の名の由来
 ところで、この虫につけられた「三井寺」については「弁慶の引き摺り鐘」で有名な大津市の三井寺との関連を示す記録はなく、結局、語源不明となっていた。ぼくもかねてそのことが気になり、足の裏に飯粒が付いたような気分が心の片隅に残っていた
 ・・・
 三井寺は昔たくさん寺があった一帯の地名で、この地で最大の円満院門跡は歴代の門主に高僧が多く、鳥羽絵の始祖で国宝の『鳥獣戯画』の作者で知られる鳥羽僧正もその一人であった。・・・代表的な鳥羽絵巻のひとつに『放屁合戦』という絵巻物があるという。・・・
 結局、・・・「ミイデラ」の由来はおそらくこの絵巻だろうということになった。
・・・ぼくもようやく足の裏の飯粒が取れた。
 ちなみに、欧米でも近似種に「bombardier beetle(爆撃手甲虫)」という英名がつけられている・・・

これです。この一文を読んで、大笑い、ぜひこの話をブログに書こうと思ったのです。以来、1年を過ぎてしまって、時々思い出しては、まったくもって「足の裏に飯粒が付いたような気分」を味わっておりました。

◆そこへ、この7月26日付の、記事というのか広告というのか就職・転職欄に載るコラムで、こんな話にお目にかかりました。

「科学の出口は言葉である」(2020/7/26 朝日新聞)
 福岡伸一が語る仕事-1:分子生物学で細胞の密林へ
 ・・・
 しかし、理系の研究者というのは一人前になるのにものすごく時間がかかる。大学と下宿の往復だけ、昼夜逆転の長時間研究をしても大学卒ではひよっこ以前で、大学院で鍛えられていくわけですが、博士号を取っても運転免許を取った程度です。博士号は足の裏に付いたご飯粒のようなもの。取らないと気持ち悪いけど、取っても食えませんといわれていましたからね(笑)。しかしこの修業ともいえるような10年近いプロセスや厚みが、研究者の基礎体力です。
 ・・・

いかん、と思いましたね。足の裏の飯粒にまた出会ってしまった。これは、この話をブログに書けという「天啓(?)」であろうということで、ここに至ったわけです。

別に、これ以上、なにか解説めいたことはないのです。
ただ、笑って下さい。もし、足の裏に飯粒が付くという出来事を経験する機会がありましたら、思い出して下されば幸いです。

結語:アハハ。

◆余分な話:ヘッピリムシ(ミイデラゴミムシ)の「屁」とは。
 体内に、酸化剤と還元剤を別々に保存しておき、いざという時に混合するのです。すると、酸化還元反応が瞬時に起こって発熱し、大量の水蒸気も発生し、100℃もの「熱い屁」を発射するのですね。目に入らなければ人体への危険は小さいのですが、指につくと皮膚が褐色になって、匂いが染みつき、なかなか落ちません。
興奮させない方がいいです。

◆栗林慧さんの有名な「屁の発射の瞬間」写真というのがありまして、下のpdfファイルで見られます。
http://www9.ocn.ne.jp/~kokahs/kdayori/H21jintatu.pdf

個人ブログですが、ミイデラゴミムシの「屁」に挑戦して、指に色が付いてしまった、というお話や写真が下のサイトで見られます。
http://ikkaku2.exblog.jp/5913399/

2010年7月29日 (木)

クロアゲハ

0717kuroageha 7月17日
ランタナの花にクロアゲハが吸蜜にやってきました。
昼が身の危険を感じるほどに暑すぎるので、朝のうちに庭に出るように変更しました。(昼も出ますけど。)
朝っぱらから30℃近くもあるとはいえ、8時過ぎのこの時間はまだ「殺人的」ではない。
のんびり庭を眺めていたら、クロアゲハがまたまた私の目の前を舞い、花へと誘います。
このランタナの花、長く咲き続けると同時に、チョウたちの好みの花のようでいろんなチョウが飛来します。
口吻を伸ばして、集合している小さな花のひとつひとつの中へと差し込んで蜜を吸います。
上の写真もそう言う一瞬。
実においしそうですね。
0717kuroageha2
悠然たる姿。なんだか圧倒的な力感があります。
体や翅の付け根付近のふさふさした毛が写せるほど接近を許してくれます。
この人、害がない、と伝わってしまっているんでしょう。
虫から見れば「害人」「益人」とかいう分類がありうるのかな、などと変なことを考えます。

なにせ、かかしじいさん、この頃はチョウに好かれてしまって、すごいことになってきました。
羽ばたきの風圧を感じるほど頬の近くを舞ったりするんですから。

クロアゲハは、キンカンの木の周囲、枝の中を自在に飛び回っていました。産卵していったと思います。

現在、クロアゲハの蛹が2匹、ナガサキアゲハの幼虫1匹、クロアゲハの幼虫も1匹、アオスジアゲハの卵が何個か、私ども夫婦の手元におります。
よい趣味のじいさんばあさんでしょ。

ジョロウグモ

0717jorougumo 7月17日
今の時期、網の位置がすぐ変わります。
ずっと同じ個体を継続的に見続けるのはなかなかに難しいですね。
この時は、獲物をぐるぐる巻きにして食事中。
そう大きい個体ではないのですが、姿が「雄大」ですよね、ジョロウグモって。
迫力がある。

「虫目であるけば」という本をお書きになった鈴木梅花さんは、ジョロウグモの卵塊を室内で孵化させて、300匹は居るかという子グモとしばらく生活し、やがて子グモは尻から糸を出して風に乗って流れるように飛び去っていったそうです。

20分ほどでm300匹の小グモは全部旅立ってしまい、あとには、突然の子離れに呆然としている親のようなわたしが取り残されたのでした。人間の勝手な好奇心のために室内で生まれてしまった小グモとちは、時期をみてちゃんと自分たちのいるべき場所に、旅立って行ったのです。小グモの晴れの自立の日、わたしの目はちょっと潤んでいたようでした。

すごいですねぇ。室内でジョロウグモを孵化させる気にはさすがにならないな。
「虫目であるけば」という本、名著の一つです。何かというと、ページをぱらぱらと繰ってニコニコしています。
私も、虫目モードというのを完全に理解できる「かかし」です。

ホタルブクロ

0717hotarubukuro 7月17日
もう花は終わったな、と思っていたら、復活。
そういえば、花の後を見ましょうと、偉そうなこといってたのに、ホタルブクロに実がなっているかどうか確認しなかったなぁ。
あるはずですよねぇ。ホタルブクロにだって実が。
見てないぞ。

0717ga1 7月17日
ひらひらっと何かが飛んできました。
なんだ、どこへ行った?とみれば、ジーパンにとまっています。
小さなガです。
写真を撮って、もういいよ、さようなら、といっても飛び去らない。
仕方ないから、ジーパンを少しばたばたさせたら飛びましたが
0717ga2
すぐそばのフチベニベンケイの葉の裏にとまって、こっちを見てますよ。

なついてもらったのはいいけれど、このガ、調べがつきません。
ヨトウガの仲間かなぁ。
http://www.jpmoth.org/
これは「みんなで作る日本産蛾類図鑑」というサイトなのですが、種類が多すぎて、端から眺めて行く元気がない。

申し訳ないことですが、名知らずのまま掲載します。

アリグモ:メス

0717arigumo_1 7月17日
ヤマノイモの葉の上。こちらはアリグモのメスですね。
0717arigumo_2
目が合った。
結構私も昆虫・クモの顔写真撮ってますね。
気分的なものかな、とも思うのですが、メスの方が緩やかに構えますね。
オスとはなかなか目が合いにくいという気がしています。

アリグモ:オス

0717arigumo1 7月17日
キョウチクトウの葉の上。
アリグモのオスが獲物をとらえていました。
小さなガを捕まえたのだと思います。

0717arigumo2
上顎が非常に大きいので、オスです。

アリグモとはよく遭遇しますが、獲物をつかまえたところを見るのは初めてでした。
邪魔しないようにすぐに離れました。
ゆっくり食事して下さい。

2010年7月28日 (水)

2010.7.26付 朝日俳壇より
南天の花に小さき蜂遊ぶ:(宝塚市)松井由紀子

私の家の庭ではナンテンは花が終わり、実の成熟にかかっています。
昆虫たちは人間とは異なる「視覚」で花を見ています。
小さくても昆虫たちに非常に人気のある花もあります。
花が指定する昆虫しか受け付けてもらえない、という花もあります。
花に来る昆虫を狙う昆虫やクモもいます。
花を見るとき、そこに集う小さきものたちも一緒に観察していただくと、花の味わいが一層深くなるものと思います。
「見る者」を害する昆虫はほとんどいませんから、ゆっくり落ち着いて「目」になってください。

蛍狩

2010.7.26付 朝日俳壇より
蛍狩誰とも知れず応へけり:(渋川市)山本素竹
 稲畑汀子 評:闇の中で誰とも分からず会話を交わす。蛍狩りの雰囲気の中、話しかけてくると応える作者である。

選者の評でいいんだと思うのですが、私は評を読む前に句を読む。その時の印象は逆向きでした。
蛍の光に「わあ、きれいだあ」と作者が思わず声に出してしまったら、誰とも分からないけれど、「ほんとうに。なんてきれいなんでしょう」という応えがかえってきた、とね。
{余計かな?}すごく美しい人に思えた。

雲の峰

2010.7.26付 朝日俳壇より
雲の峰白の濃淡積み上げて:(福岡市)松尾康乃

また理科おじさんの「理」の話。
白とか黒というものは「色」ではありません。
太陽の光が入射して、全部(の波長の光が)がかえってくるとき「白」
全くかえってこない時「黒」
中間なら「灰」
一部の波長の光が吸収され残りがかえってくる時に「色」がつくのです。

雲は白い。でも、角度や、水滴・氷粒の大きさなどによって、光のかえり方に差が出るとき、「濃淡」がつくのですね。
白い雲が、他の雲との位置関係で「黒雲」に変化することもあります。
白といい黒といい、相対的なものです。

夏の入道雲の「濃淡」をお楽しみください。

独り住む

2010.7.26付 朝日俳壇より
独り住む蛍も蛇も通り抜け:(神戸市)佐藤文子

なんだかこう、風通しがよくって、夏の極暑を突き抜けた句ですね。
いや、心も風通しがよくなっては困ります。お独りですが、心には家族も一緒。すかすかにはなさらないように。

命は生きているときも、生きる時間を終えた後も、みな地球に遍在です。
心は遍在するものたちとともにあります。

一粒の砂

2010.7.26付 朝日俳壇より
一粒の砂も地球も片かげり:(横浜市)日下野禎一

かた‐かげ【片陰】
 ①一方が物の陰になっている所。
 ②日光のあたらない所。特に、夏の午後のひかげ。<季語:夏>[広辞苑第五版]

俳句ですから、一応季語として「片かげ」をお使いになったと思うのですが。
では、意味は?
砂も地球も夏の午後、なのでしょうか。

①の意味なら?
くっきりとした日差しに砂にも影が出来ている、地球も、半面が明るく照らされ半面が暗い。
そのように、極小の砂を見る地上の人の目と、地球の片陰をみる宇宙から眺める「神の目」を同時に表現していると、この句を読んではいけませんか?

さらに、一歩、踏み込んで。
「砂の粒」が、はやぶさが小惑星から持ち帰った砂の粒であるとみるならば。
はやぶさが帰還して燃え尽きた故郷・地球、宇宙を運ばれてきた小惑星の砂粒、ともに夏の太陽に「片陰」っている、と。
読み込み過ぎだろうな。

2010.7.26付 朝日俳壇より
大虹の驚きの間に消え去りぬ:(名古屋市)青島ゆみを
 長谷川櫂 評:驚いているうちにたちまち消える虹。人の世もまたかくのごとし。

前にもお話ししましたように、虹というものは一つの現象を、見るものたちが共有しているのではありません。見るものそれぞれに属する、ある意味で孤独な現象なのです。
一つの現象であるならば、私が気づかなくても、それは存在するのでしょう。
しかし、観測者に属する現象ですから、私の虹は私が気づかない限り存在もしないのです。
私という観測者と大気と太陽の「交点」に私の虹が生まれ、消えていきます。

手の届くところに虹の生まれけり:(安中市)五十嵐和子

虹というもの対しては視差が原理的に生じえませんから、虹には距離がないのです。
まるで手の届きそうなところにあるかと思えば、遥か彼方に雄大にかかっている。
虹の脚は「どこにあるか」と見れば、どこにもない。
虹というものは「距離」を超越した現象なのです。

夕焼

2010.7.26付 朝日俳壇より
夕焼けに心焼かれて帰りけり:(大阪市)池田一男
 長谷川櫂 評:夕焼けに心も染まるとはいうが、「焼かれて」となると、激情がある。圧倒的な夕焼けだったのだろう。

秋田の海は日本海。西に開いています。
夕陽が水平線に接する瞬間、夕陽と自分を結ぶ線を、きらきらと輝きが走ってきます。
それはまさしく、射抜かれる、という感覚です。
雄大な夕焼けを背景に、夕陽と自分を結ぶ光の線。
それも鎮まり、闇が迫る。
振り向けば、白神の山にかかる雲がまだ赤く輝いている。
あそこが今夕焼けを見ているんだ。
地平線の向こうを今覗きこんでいるんだ。
やがて、真っ暗。
昼の温もりを隠した砂に手を差し込んで、銀河を眺める。
ぜいたくな、「とき」でした。

私の好きな時間でした。

八月十五日

2010.7.26付 朝日俳壇より
八月の土間に玉音てふ聞きし:(松本市)輪湖弘安
 金子兜太 評:六十五年前の八月十五日を想起しての作。「土間」に庶民の暮らし、「てふ」に批評。

八月の十五日にさ、玉音放送ちゅうものを聞いたなぁ。
勝手に始めて、勝手に負けて、あれはいったいなんだったんだろうな。

敗戦忌昭和八十五年夏:(名古屋市)山内尾舟
 大串章 評:敗戦忌は八月十五日。六十五年前のこの日、日本の敗戦によって太平洋戦争は終結した。昭和でいえば今年は八十五年にあたる。

あれは昭和のいくさ。昭和で数えれば、連続感が生まれます。元号が平成に変わったからといって、時代が終わって、戦争という事実が消滅するということはありません。
歴史に対して連続感を持たないということは、無責任なことです。

二十歳

2010.7.26付 朝日歌壇より
猫の死を悲しむ我を励ませり吾子は二十歳の言葉を持ちて:(ひたちなか市)猪狩直子

お子さんが幼かった時に一緒に暮らし始めた猫だったのではないですか。
その猫の死を悲しいんでいると、子が、自分も悲しくて仕方ないのではあるけれど、母を労り、励ましてくれる。それは、奥の深い大人の言葉であった。
ああ、いつまでも子どもだと思っていたら、この人はいつの間にか大人になっていたんだ。
「この子」が「この人」に変わる瞬間です。

素足

2010.7.26付 朝日歌壇より
水に入る素足美し身すべてを母と呼ばるる人であれども:(野洲市)馬渕兼一
 永田和宏 評:「母と呼ばるる人」は妻だろう。水の素足には健康なエロスが。改めて惚れ直したか。

「母と呼ばるる人」が実際に自分の母である、というシチュエーションはいかがですか?
自分を含めた子を育て上げ、年齢を重ね、昔のあの激しい年齢の時に比べて、「小さくなった」母だけれど、素足を水に浸して「ああ、きもちいい」と安らぐ姿は、「美しい」と。
それは「エロス」を超えた美しさでしょう。痩せたすねです、筋肉の張りも失ったでしょう。
でも、時間と歴史を背負った人を美しいというのです。

領収書

2010.7.26付 朝日歌壇より
領収書要らぬビールで乾杯す昔愚痴った女将の店で:(新潟市)岩田桂
 永田和宏 評:会社の金で飲んでいた頃と同じ店、同じ女将。違っているのは自分のために自分の金で。初句が爽快。

違っているのは、社用ということのなくなった自分、会社員ではなくなった自分、という風に読みたいですが。
「昔」というのがキーワードのような気がする。
退職して、会社員という肩書付きで飲んでいた店に、「自分」という肩書だけで飲みに行く。
初句は「爽快」ですか。含みがいっぱい入ってませんか。
肩書をはずした、剥き身の自分を社会にさらすというところで、いろいろと人の「器量」というものが現れてきます。
いつまでたっても、昔の会社、昔の身分に頼りつづける人もいれば、あっさり軽やかに過去の肩書など脱ぎ捨てて、身一つで生きていける人もいる。

いろいろ、考えさせられる歌でした。

ザリガニ

2010.7.26付 朝日歌壇より
糸の先にするめをつけてつったんだ大きいザリガニだこれどうしよう:(横浜市)高橋理沙子
 高野公彦 評:作者は「小学一年生」

これ最高!「うれしいな」とか「どきどき」とか「わくわく」ではなくって。
「これどうしよう」というのが最高です。素晴らしいですね。
つっちゃったんだけど、これどうしよう。
うれしいのだけれど、とまどってしまった。

「かかしじいちゃん」に訊ねてくれれば、飼い方を教えてあげるんですけどね。
いいんですよ。キャベツ入れたり、金魚の餌あげてみたり、いろいろ試してみたらいい。
命の長さではないんです。そのザリガニは理沙子さんと出会うことで、理沙子さんを育ててあげるつもりになっていますよ。
大事なのはそのザリガニさんに寄り添うこと。心をそっと寄せること。
そうすれば、必ず、生きるということを教えてくれます。
出来事を「そらさない」で「正面衝突」するならば、世の中に無駄といものは一切ありません。

ザリガニさん飼ってみてね。

時間

2010.7.26付 朝日歌壇より
本当に時間はあるの? さわれるの? めぐる円環? 永遠(とわ)の直線?:(八尾市)水野一也

昔、ニーチェのツァラトゥストラに傾倒していた時代、「永劫回帰」という概念に、強く惹かれましたっけ。「だからこそ」という発語を発見したのもあのころかな。中央公論社から世界の名著というシリーズが発行されて、その第1回配本がニーチェだった。国語の先生に神田の古書店を紹介していただいて、全巻、出るたびに受け取りに行くということで、5分だった1割だったか引いてもらって購入したんですよ、全巻。ものすごい背伸びしましたね。高校生。

いいんだ、生きるということがすなわち「時間」。恐らくは無限に近い枝分かれをしながら進んで行く、糸。すべては「たまたま」かな。でも、2本の糸を撚り合わせようとする意志を「愛」と呼ぶ、なんてイメージもつくったな。
私が生きていないところで、直線だろうが、円環だろうが、構ったことではない。でも、宇宙の構造はどうも「円環」「循環」「渦」をなしているように思える。宇宙の生きる姿が「時間」ならば、渦を巻き、循環しながらまっすぐ進んで行くのかもしれません。

信号機

2010.7.26付 朝日歌壇より
人、車、猫も通らぬ夜半の辻に信号四機が和して色変う:(和泉市)長尾幹也

それはそうなんですが。全く「とおるもの」のない辻で、信号機が同調して色を変えている。
無駄というのか、律儀というのか、ちゃんと点滅しているんだなぁというのは、妙な発見をしてしまったというお気持ちでしょう。

もし、信号機たちが勝手にでたらめに点滅していたり、同期はしていても三拍子、なんて同期してたら、正直「怖いっス」。

ドクターヘリ

2010.7.26付 朝日歌壇より
空高くドクターヘリで運ばるる吾が身に響くエンジンの音:(八戸市)山村陽一

これはどういう状況でしょう。作者が緊急事態になって、ドクターヘリで運ばれたのでしょうか。
親しい方の付き添いでしょうか。
山村氏が葬儀社を営まれる方であることも思い出してしまって、状況が把握できません。

一番素直なのは、ご自分が緊急事態になってしまって、救急車が来られる状況でもなく、やむを得ずドクターヘリで運ばれている。という解釈ですね。しかも、運ばれている自分の意識は落ち着いて明晰である、という状況。
ヘリコプターに乗るなどという体験は誰もがするものではない、こんなエンジン音なのか、こんな振動なのか、と妙に自分自身の置かれた状況を客観視している自分、ということでしょうか。
その後、どうなさったのでしょう。歌の形でお知らせいただければよいのですが。
心配です。

◆個人的な話
高校2年生の時。長く腹痛を我慢していたら、虫垂の炎症が腹膜まで広がりそうになって、救急車で運ばれたことがあるのです。
痛いのは痛いんですが、だからといってそれで自分がどうなるものでもない、という態度をとるのは昔も今も同じ「男」。頑固者。
先ずは、担架が面白かった。自分は寝ているだけなのに、ゆっさゆっさと揺られながら移動していく。寝そべってますから外界が揺れる。楽チンしながら移動できる、おもしろいなぁ、と。
次いで、救急車。普段、サイレンを鳴らしながら走っていく救急車は見ますが、今度は自分がその救急車に乗っている。自分をのせて走る救急車がサイレンを鳴らして突っ走る、窓の外の景色はなめらかに流れて行く。人任せのまんまで、運ばれていく気分って、みょうにお気楽で面白いものでした。
さらには手術中の医者との会話、なんてのもあるんですが、カット。

手術後、2人部屋に入ったのですが、同室の方が鍼灸師を呼んだ。隣に寝ていた私も適当に会話に加わっていたのですが、帰り際、その鍼灸師の方が「あなたは、学校の先生でらっしゃいますか?」と聞かれてしまった。いえいえ、高校2年生です、と答えたものの。
どういう雰囲気が教師っぽかったのかな、と、その後、実際に教師になってからも、あの時のことが思い起こされて不思議でなりません。

2010.7.26付 朝日歌壇より
子蛙を狙いて鼬(いたち)のひそみおり葦の葉しげる古墳の濠に:(岸和田市)南与三

肉食動物って正直、かわいいですよ。イタチ、オコジョ、ネコ、イヌ・・・
トキを襲ったテン。

でも、かわいいといってその狩猟能力を忘れてはいけない。
哺乳類の居なかったオーストラリア大陸に哺乳類が入ったら、有袋類は太刀打ちできなかった。
小笠原につれて行かれた飼い猫が野生化したら、固有の生物を激減させている。
ヤンバルクイナしかり。マングースしかり。
「アライグマ・ラスカル」のアニメはかわいかったけれど、ペットにはなりきれない野生をもてあまして自然に放したために、大きな危機が訪れようとしている。

蛙と鼬ではその闘争能力はあまりにも違いすぎる。
哺乳類って、ヒトを含めて、生きる効率は非常に高い。
それが環境に対して及ぼす力も大きいのです。
自覚しなければならないでしょう。

黒猫洗ふ

2010.7.26付 朝日歌壇より
梅雨晴れの大忙しのついでにと黒猫洗ふシャワシャワと洗ふ:(土岐市)澤田安子
 佐佐木幸綱 評:これはユーモラスな梅雨晴れの日の歌。下句、軽い乗りのリフレインが楽しい。

私は「さとう わきこ」さんの絵本「せんたくかあちゃん」を思い出していました。
落ちてきたかみなりの子まで洗濯しちゃって、かみなりの子の、顔も洗い落され、へそまで洗い落とされて、紐に吊るされて乾かされている姿が目に浮かびます。
ずいぶん読み聞かせをしましたっけねぇ。なつかしい。
せんたくかあちゃんのたくましさ、タフネス、陽気さを引きついだような歌ですね、冒頭の歌。
洗われた黒猫はふんぎゃぁとかいって怒っているかもしれませんが、「梅雨の晴れ間なんだから我慢するの、っ。きれいになるぞぉ、さっぱりするぞぉ、っ」といってシャワシャワ洗う。

想像が走ってしまって止まりません。

2010.7.26付 朝日歌壇より
四つ足をふんばり親は雨を耐え子は流される川の猪:(神戸市)有馬純子
 佐佐木幸綱 評:親子づれの猪の文字通り必死の場面をドキュメンタリー・タッチでうたう。日本各地をおそったゲリラ豪雨に取材した作。

これをして「ドキュメンタリー・タッチ」というのかなぁ?
戦争写真家が直面した苦悩。人が死にゆく姿を「撮影」していていいのか、「介入」してなんとか助けようとは努力しなくていいのか。
ベトナム戦争の写真などでよく議論されたものでした。
猪親子が流されていく。ヒトとして何かできることはないのか。一匹のヒトとして自然に向かうときの、なんという無力さ。私は直接その報道画像を見ていませんが、この歌を読ませていただいて、そういう苦悩を感じます。

同じ哺乳類同士。母の子への愛のきめ細やかさは同質のもの。
おそらくは助からなかった命に、瞑目します。

金山

2010.7.26付 朝日歌壇より
鏨(たがね)と槌(つち)と楔(くさび)もて四百粁金山掘りし坑夫ら短命:(名古屋市)諏訪兼位

金山となれば諏訪先生のホームグラウンド。
鏨で岩を割り、割れ目に楔を打ち込んで割れ目を広げて岩を砕く。
そのようにして「400km」も掘り進んだ。
佐渡金山のことですね。
「短命」というのは私の想像では「事故死」ではないでしょうか。
石炭の炭鉱でも、坑道の崩落事故はよくありました。
金山の坑道では支柱はちゃんと立てていたのでしょうか。
歴史の表に現れる「佐渡金山」のイメージの裏には、多くの命が失われていったという事実があったと諏訪先生は指摘されています。
大仏建立の裏に多くの水銀中毒があったように。
歴史の表だけを見ず、庶民の側に立った歴史認識が重要ですね。

http://www.sado-kinzan.com/history/  から引用

佐渡金山は、1601年(慶長6年)山向こうの鶴子銀山の山師3人によって発見されたとされ、本格的な開発が始まりました。以降盛衰を繰り返しながら平成 元年3月31日まで388年間採掘が続けられました。この間に採掘された鉱石は1500万トンに及び、金78トン、銀2300トンを産出した日本最大の金 銀山でした。
坑道の総延長は約400キロに達します。このように、江戸時代から平成まで操業が続けられた佐渡金山には、国内の鉱山ではもはや見ることのできない多くの史跡、産業遺産が残されています。

http://www.sado-kinzan.com/history/edo/index.php

・・・
開山から約100年で坑道の深さが海水面にまで達した金山は、坑内の湧水に悩まされるようになりました。江戸時代の坑道は、水没による放棄と排水技術の向上による再開発の繰り返しで、「水とのたたかい」だったとされています。

このページの「金銀山絵巻(部分)」という絵には、排水のための「アルキメデス・ポンプ」が描かれています。
多くの犠牲者の命の上に成り立った産業だったのでしょう。

早苗饗

2010.7.26付 朝日歌壇より
早苗饗(さなぶり)の庭に捌きし手許より鰻攫いぬ鳶あざやかに:(四万十市)島村宣暢

田植えも終わったし、みんなで祝おう、と鰻をさばいていたら、トンビにさらわれた、と。
凄いですね、あんな大きな鳥が、羽ばたかず、ほとんど音も立てずに急降下してきて手元をさらって行ったなんて。私はトンビは大空を回っているところしか見たことがありません。
迫力あるんでしょうね。せっかくの食材を獲られたにもかかわらず、ひょっとすると、みんなあっけにとられて、お見事!と言いたくなったのではないでしょうか。

どうも、野暮なもので、「鳶」という漢字が私の場合鳥の「トビ」に直結しなくって。
むしろ「鳶職」の方に結びついて頭の中に納まっている漢字であるものですから。
トビもしくはトンビの方が鳥のイメージに直結してしまいます。ごめんなさい。

ロール

2010.7.26付 朝日歌壇より
明日雨の予報に牛飼いは殺気立ち牧草をつぎつぎロールにしてゆく:(稚内市)藤林正則
 馬場あき子 評:近頃の不安定な天候下に、広大な地域で太陽を頼りに仕事する人の慌しい動きが切実だ。

酪農をほとんど知らない私です。初めて干草ロールを見たときはびっくりしました。なんでこんなものが、あちこちごろごろしているのか分からなかったのです。
草を刈って、しばらく干して、それからあの形にするのですよね。200kgもあるんでしたっけ。
で、保存する。
せっかく干した草が、雨に降られて濡れてしまってはたまらない。殺気立ちもすることでしょう。

「近頃の不安定な天候」という評は、あまり適切なものとは思いません。
何でも「近頃の」「異常な天候」のせいにしてはいけません。
いつであれ、雨をはらんだ空を見上げて、牛のために力を尽くす人は「殺気立つ」のだと思います。まだ降るな、もう少しもってくれ、と祈るように。

海獺

2010.7.26付 朝日歌壇より
少年は海獺(らっこ)のごとく背で泳ぎ日に仰け反りて喉仏見す:(高石市)木本康雄
 馬場あき子 評:少年の背泳ぎ姿、「海獺」の比喩のためたちまち目に浮かび可愛らしい。「喉仏見す」の結句まで動的な描写も有効。

馬場氏の評で「背泳ぎ」といっているのですが、普通「背泳ぎ」というと、競泳の「はいえい=バックストローク」をイメージしませんか?
私は、この少年がバックストロークで「泳いで」いたという風には読み取りませんでした。
背を下に、浮き身をしながら波に揺られ、腕をゆっくり適当に、あおったりしながら漂っている、と読んだのです。私自身の思い出が強く重なっています。
白神山地も近い秋田の海で、真夏の太陽に焼かれながら、足も届かぬ深い海で、ぽかっと浮き身をしている。波に揺られ、波が顔を叩き、耳は水中にあって深い海底の砂の揺れ擦れ合う音を聞いている。空は真っ青、真っ白な雲が少し漂う。最高でしたよね。高校から大学の頃ですか。地元の子が少し遊んでいるくらいで、ほとんど人もいない海で、波に揺られる気持ちよさ。

子育て中、泳法を教える気はなくて、水中で呼吸しながら立ち泳ぎ、浮き身などで、適当に身を保ち、行きたい方向へ適当に手足を使って行くことができるようになることを目指して泳がせました。足が海底につく、というようなことは最初から論外です。
泳ぎは遊びでいいんです。自らの体を自らが保てればそれでいい。
海底に潜って、大小の岩・石を拾ってきて、背面で浮き身をしながら、お腹の上に大きい石を置き、小さい石でコンコン叩いて「ラッコ!」ごっこをしましたっけ。あれはお気に入りの遊びだったな。

そういう思い出を重ねながら、読ませてもらいました。

2010年7月27日 (火)

マンリョウ

0716h_7manryou1 7月16日
白山神社にて。
マンリョウの花が咲いていました。
0716h_7manryou2
真ん中から伸びているのがメシベで、メシベを包んでいる模様のある黄色いのがオシベでしょう。
上の方に、花弁やオシベが落ちた後の花が見えます。
蛇が舌を出しているみたいな感じですね。
萼に包まれているのが子房。
0716h_7manryou3
ここで左の方はつぼみですね、萼が識別できます。
この花、萼も花弁もオシベも、黒いぽちぽち模様があるのが面白いですね。

マンリョウの木の「姿」はほぼ確実に分かるようになってきました。
なかなか、植物の姿が分かるようにはなりません。むずかしいですね。

ホンサカキ

0716h_6honsakaki 7月16日
白山神社にて。氏子の方が寄贈したホンサカキの実が熟してきました。
完全に熟した実を見たことがありません。
これから、神社では夏祭りとか盆踊りとか、人が集まることが多くなるので、いろいろ手入れをしてしまうはずです。虫刺されもいけないということで、殺虫剤も散布されるのではないかな。
ホンサカキの実が熟したところが見られますように。

ツマグロオオヨコバイ

0716h_4tumaguroooyokobai 7月16日
白山神社でツマグロオオヨコバイの幼虫を見かけました。
体は半透明なのに、目が目立ちますね。
中央が黒いということは、そこから目の中へ光が入っていって吸収され、視覚情報に変換されますので、光が戻ってきませんから「黒」なんですね。
で、そのまわりが白いというのは、視覚情報を得る部分に、横から光が入り込んでは情報が撹乱されてしまいますので、光が入り込まないように、すべての色の光を反射してしまう。だから「白」なんですね。
動物の目を見ていると、とても面白いことがたくさんあります。

まぁ、なんだかんだといいながら、かわいいでしょ。
翅がまだありませんので、成虫の翅のような「褄黒」はありませんけどね。
将来「褄黒」になります。

コブシ

0716h_2kobusi1 7月16日
白山神社前の歩道です。
コブシの実が熟してきました。
花の時に、中央に立っていた塔のようなもの、あそこに沢山の子房があったわけです。
全部が受精するわけではなく、わずかの子房が受精して、今頃の時期に成熟を始めるようですね。その過程が上の写真である程度読みとれます。
0716h_2kobusi2
どうもよくわからない形です。
この形が「握り拳」のようだというのが「コブシ」の名の由来であるとする本も多くあります。
果実が集合している「集合果」という状態です。
0716h_2kobusi3
こんな姿のものもありました。いっぱいですね。
この実が完全に熟すと割れて派手な赤い種が出てきます。
去年は、一回しか見られませんでした。今年は見られるかなぁ。
期待して待ちましょう。

ところで
0716h_2kobusi4
これ、つぼみですよね。
今の時期から準備するんでしたっけ?
分からなくなってしまった。

クロアゲハ

0716ageha1 7月16日
クロアゲハらしくなってきました。
0716ageha2
この大きさになると、あまり葉の硬さ、などを考えてあげる必要はなくなります。
大きな葉でもむしゃむしゃ食べるパワーがあります。
外へ出れば、アゲハやクロアゲハやアオスジアゲハの成虫が目の前を舞い、家の中では、幼虫がすくすくと育ち、こういう日常生活はなんだか、俗界を離れた仙人の暮らしのようですね。

虫嫌いと思っている女性でも、チョウの幼虫の飼育なんかは結構楽しめますよ。
なんたって、幼虫が育つ、というのは楽しい。
そして、辿り着くところがチョウですもの。
トライしてみる価値があります。

ヒメグモ

0716_10himegumo1 7月16日
ヒメグモが卵囊を作っているのではないでしょうか。
上の白いもののまわりをぐるぐる回っていました。
0716_10himegumo2
腹部背面の模様がくっきり写りました。
0716_10himegumo3
以前にもこのブログで書いたことがあるのですが、ヒメグモ科のクモには「スパイダーズミルク」というものを子に与える種があるそうです。
小野展嗣 著「クモ学」東海大学出版会という本によりますと

タナグモ科やヒメグモ科では、さらに進んで、親子が同居する間に母親が食べたものを吐き戻して子グモに口移しに給餌する種があることが知られている。この消化済みの液体をスパイダーズミルクと呼んでいる。愛情のこもったクモの乳だ。

日本のヒメグモがこれに該当するのかどうかは分かりません。この本には、

ヨーロッパ産ヒメグモ科の1種 Theridion notatum の子育て。子グモは母親の口からスパイダーズミルクをもらう。[Bristowe(1947)より]

という挿絵があります。

ハラビロミドリオニグモ

0716_9harabiromidorionigumo1 7月16日
この日しか見られなかったクモ。翌日からは姿を消してしまいました。
色がとんでいるのですが、腹部はきれいな緑色です。
この姿勢はカニグモの仲間ではないし。
一応、ハラビロミドリオニグモの可能性が大きいかな、と思っています。
0716_9harabiromidorionigumo2
ただねぇ、円網を張るそうでして、このクモはこの時点では円網は張ってなかったようでした。
ですから、違うかもしれません。
同定を信用しないでください。
0716_9harabiromidorionigumo3
こういう腹の形でした。
高いところにいたので、これ以上のアングルはありませんでした。
もう一回、低いところでゆっくり出会いたいものです。

トゲトゲ

0715_12tentousanagi 7月15日
先週、23日付「テントウムシの蛹ではないだろうか」というタイトルで書きました。
http://yamada-kuebiko.cocolog-nifty.com/blog/2010/07/post-0018.html
↑ここです。

何にも変化がない。
7月23日に思い切って、突っついてみました。
そうしたら落っこちてしまった。中味がない。
0723togetoge
蛹って、突っつくと動くんですね、普通。
それが全然動かないので、死んじゃったんだなぁ、と強くつついたら落っこちた。
拾ってみたら、脚がちゃんとある。
これは蛹ではなくて、幼虫ですね。
寄生でもされていたんでしょう。
蛹になれずに死んだと思われます。

さて、そうなると、幼虫図鑑の写真が役に立つ。
おそらく、ニジュウヤホシテントウかオオニジュウヤホシテントウの幼虫です。
どちらも、色は白っぽいのですが、トゲトゲの幼虫なんです。

ということで、結局、(オオ)ニジュウヤホシテントウの幼虫が蛹になれないまま死んだものという結論とします。

メスジロハエトリ♂

0716_5mesujirohaetorim1 7月16日
見覚えがあるけど、誰だっけ?
一瞬思い出せなくて、とりあえず一枚。
そうか、メスジロハエトリのオスだ。
姿が全然違うんですね。
改めてじっくり見ると、頭の先っちょの白い毛の束が「パンク」ですね。
0716_5mesujirohaetorim2
やっぱり「顔つき」というものがありますよね。
正面顔は撮れなかったのですが、ネコハエトリのなんというか「穏やか」な雰囲気とは全然違います。「好戦的」な顔をしています。
白い触肢がまるで、「5対目の脚」というか「手」のような感じですね。
これは成体です。

2010年7月26日 (月)

キンカン

0716_3kinkan 7月16日
キンカンの花が終わって子房の部分が膨らみ始めました。
素敵な姿ですね。
木にとって、これからが子育ての時。
栄養を集中して、立派な実を稔らせようとしています。
カメムシなんかは、葉や茎よりも、こういう成熟中の実の方が栄養が多いのでしょう、狙ってますね。
みんなそれぞれ工夫しながら生きています。
わくわくしますね。
私は「いのちを観照する人」です。

ネコハグモ

0716_2nekohagumo 7月16日
光線の具合で、ネコハグモの巣の構造がはっきり見えています。
葉をたわませるのに、強い糸が必要だったのでしょうね。束ねてあります。その糸の束が光っていたので、おやっ?と目を引いたわけです。
葉のくぼみの中でクモ本体は獲物がかかるのを待っています。

ヤドリバエ(かなぁ)

0715_11yadoribae 7月15日
キョウチクトウの葉の上。
ニクバエと似ているのですが、どうも違うなぁ。
寄生性のヤドリバエの仲間ではないでしょうか。
何に寄生するのか、そのあたりは分かりません。

アゲハに寄生するのは「ハチ」です。
蛹が羽化に失敗して、代わりにハチが出てくることがあります。
アオスジアゲハに寄生するのは「ハエ」です。
羽化失敗の蛹を見ていたら、蛆のようなものが出てきて、黒っぽい蛹になりました。それを観察していたら、遂にハエが出てくるのを確認しました。

ハチの場合はメスバチが、幼虫の体に産卵するのですが、ハエはいったいどうやって寄生するのでしょう。
これが、すごいんですよ。
平賀壮太さんの「蝶・サナギの謎」トンボ出版、という名著から得た知識なんですが。
アオスジアゲハに寄生するハエの場合、クスノキの葉に卵を数個ずつまとめて産みつけます。大きくなったアオスジアゲハの幼虫がこの卵塊を噛まずに飲みこんでしまうと、チョウの幼虫の体の中で孵化して育ち、チョウが蛹になってから、蛹に穴をあけて成長したハエの幼虫が出てくるのです。
アオスジアゲハの幼虫に食べられなければおしまいなのです。効率は悪いですね。
こんな寄生の仕方があるとは知りませんでした。
100個の卵のうち1個くらいが成虫になれればいいという世界なのです。
人間の生き方とはまるっきり違いますが、これも「生きる」ということです。

ジョロウグモ

0715_9jorougumo 7月15日
ジョロウグモの幼体が餌を捕獲しました。
クモは腹側から見ています。糸を出す突起が上の方に見えています。
獲物は翅のある昆虫ですね。何かは分かりません。

ハエトリグモの仲間は行動的で狩りをします。
ジョロウグモなどの網を張るタイプは、待ち伏せ型。
網の大きさや強度が勝負。
この写真のジョロウグモの網だと、セミは抜けて行きますね。
大型のハチもかからないかもしれない。
すっごく大雑把な話、クモの体とコンパラブルな大きさの餌がかかります。
観察してみてください。

クロアゲハ

0715_8kuroageha1 7月15日
キンカンの木のそばにあるランタナ。
この花、色々なチョウやガにうけています。
今回はクロアゲハ。目の前でじっくり吸蜜して、写真を撮らせてくれました。
後翅をあまりはばたかず、前翅を強くはばたいています。
脚は一応花に接触していますが、ほとんどホバリング状態なのですね。
口吻が花の中心部へ伸びています。
0715_8kuroageha2
このおじさんは害がない、とでも思っているのか、こんなに近寄らせてくれます。
脚で体重を支えていますね、ここでは。
ダイナミックで美しい姿です。
0715_8kuroageha3
目の前へやってきて、背中側を撮らせてくれました。
なんというか、ある種の「交流感覚」が生じてしまいます。
ありがとうね、ほんとにきれいだね、たっぷり蜜を吸っていってねと、小声で呟いてしまいます。

現在、キンカンの木で見つけたクロアゲハの幼虫を2匹飼育中。
1匹は蛹になりました。もう1匹も間もなく終齢になります。
チョウを育てると、出会ったチョウがみんな知り合い・友達に感じられてきますよ。ぜひチャレンジしてみてください。

ニジュウヤホシテントウ

0715_7nijyuyahosi 7月15日
まだニジュウヤホシテントウにこだわってます。
この写真でも、黒い模様が見づらいのですが、剣状ではないですね。
ですから「オオニジュウヤホシテントウ」ではなく、ニジュウヤホシテントウでいいと思います。
0716h_5nijyuyahosi 7月16日
別の場所で遭遇したもの。
こういう写り方をしてくれると大いに助かります。
これならゼッタイにニジュウヤホシテントウと言い切れます。

こうなってくると、オオニジュウヤホシテントウの模様もくっきり撮ってみたいものだ、という感じもしてきました。チャンスがあれば試みます。こだわってしまったなぁ。

ミドリグンバイウンカ幼虫

0715_6midorigunbaiunka 7月15日
左手がかゆい。なんだ?とみれば緑色の虫。
見覚えがあります。体の形は、ミドリグンバイウンカの幼虫。
ただね、ちょっと。いいのかな?というところがありまして、困ったのです。
0716h_3midorigunbaiunka1 7月16日
こんどは絶対大丈夫。これはミドリグンバイウンカの幼虫です。
腹端部から(正式な名称は知らないのですが)6本の糸のようなものが出ていますでしょ。
これが非常に印象的。「後光が差す」という感じですね。

糸状のものがすごく長いのでそれを全部画面に入れようとすると虫の本体が小さくなってしまいます。糸を無視して、体だけアップにすると
0716h_3midorigunbaiunka2
こうなります。
いかがでしょう、最初の写真の幼虫と同じですよね。
最初の写真のものは、何かのアクシデントで腹端部の糸状のものを失ったのでしょうね。
成虫になると、緑色の翅がきれいなウンカになります。

あぶはちとらず

◆朝日新聞の朝刊に「しつもん!ドラえもん」というミニコーナーがあります。
1面の下に質問があって、その答えは、新聞のなかのどこかにある、という趣向です。子どもに新聞を開かせようという取り組みですね。

さて、7月16日は、「192 ことわざ編」で

一度に二つ取ろうとして失敗することを「あぶ○○取らず」という。あぶと○○は昆虫。何かな。

その答えは

[こたえ]はち:あれもこれもと、欲ばるのをいましめることわざだよ。「二兎を追うものは一兎をも得ず」とも言う。一度に2匹のウサギ(二兎)をつかまえるのも難しいよね。

というものでした。このこと自体はまったくそれでいいのですが・・・。

広辞苑第五版でもこう書いてあります。

○二兎を追う者は一兎をも得ず
同時に二つの事をしようとすれば、両方とも成功しない。
○虻蜂取らず
あれもこれもとねらって一物も得られない。欲を深くして失敗するのにいう。

●「二兎を追う者は一兎をも得ず」という場合、兎を捕獲することが「プラスの価値」ですよね。得するわけです。
ですから、視野の中にいる兎を二匹とも捕まえたいと欲をかいて、両方とも捕まえられなかった。一匹だけ狙っていれば少なくともそれは成功したかもしれないのに、ということですよね。
●では「虻蜂取らず」の場合はどうなんでしょう?
虻を捕まえること、蜂を捕まえることが「プラスの価値」なのでしょうか?得するんですか?
どちらかというと、虻に刺されそうになった、蜂に刺されそうになった、それを逃れたいというのが普通ではないでしょうか。
虻と蜂に刺されそうになった、両方を捕まえて刺されないようにしようと思ったら、しくじってしまった。(この場合両方に刺されたということですか?)
どちらか一方を確実に捕まえてしまえば、刺されるのは一つで済んだのに、でしょうか?

どうにも、シチュエーションが理解できないんですよ。昔っから。意味は分かるけど。
わらしべ長者の昔話では、虻を捕まえるところから始まって、長者にいたるのでしたね。
それですか?いやあ違うだろうなぁ。

●検索してみたら、なんとなく漠然と分かりました。
主語が「人」じゃないんですね。
虻や蜂を取ることが「プラスの価値=得」であるような主語ならいいのですね。

一説に:主語は「クモ」だそうです。
クモの網に、虻と蜂がかかった。どちらから先に仕留めるか迷っているうちに両方に逃げられた。という説。
小さなクモの網ならいざしらず、ジョロウグモやオニグモの巣立ったら、どちらから手をつけて仕留めても他方が逃げるということはないんですけどね。
まあ、いいか。分かりやすいとはいえる。

また一節に:虻と蜂の両方を取ろうと夢中になっていた小鳥が警戒を忘れて鷹の餌食になってしまった、というのがあるそうです。
どちらか一匹だけを追っていれば鷹に気づいて逃げられたのでしょうかねぇ。よくわからない。

●しっかしまぁ、持って回った教訓だなぁ。
二兎のほうがわかりやすくていいですね。
虻蜂は使いにくいなぁ。

●ところで、落ち。
 私の場合に成立することわざ。
「虻蜂撮らず」
あ、ヒラタアブがホバリングしている、うまく撮れるか。
と思った瞬間
お、アシナガバチがやってきた
と意識がぶれて、
次の瞬間虻も蜂も飛び去ってしまった。
どちらかに意識を絞っていれば、撮れたのになぁ。

アブハチ撮らず

2010年7月23日 (金)

ムクゲ

0715_14mukuge1 7月15日
ムクゲの花が咲いています。
家のは少しゆっくりぎみに咲きはじめました。
0715_14mukuge2
ふと見ると、コクロヒメテントウが歩いています。鮮明に撮れなかったのですが、間違いないと思います。
これは小さいけれど肉食性のテントウムシで、花をあらすわけではないので、駆除しないでくださいね。
アブラムシでも探して歩いているのでしょう。
白い花ですので目立ちます。
幼虫は白いもくもくした姿で、アブラムシを食べます。
http://yamada-kuebiko.cocolog-nifty.com/blog/2010/05/post-4e4a.html

http://yamada-kuebiko.cocolog-nifty.com/blog/2010/05/post-61c4.html

こんな所をご覧ください。

マメコガネ

0715_5mamekogane1 7月15日
マメコガネです。
後ろ脚が変ですね。
0715_5mamekogane2
風で揺れた、という揺れ方ではなく、人が葉をつまんだというような揺れ方の時に後ろ脚をあげるようです。それから、葉の重なったところにいる場合、後ろ脚で上の葉を体の上に引き寄せて固定し、実を隠すような感じもしますが、確かな観察かどうかは自信がありません。

日本の固有種ですが、アメリカに移入して大害虫になったそうです。Japanese beetle と呼ばれるそうです。どういう天敵がいるのか詳しいことは知りませんが、日本にいる間はそれなりのバランスの中で個体数調整が起こっていたのでしょうが、アメリカへ行って天敵がいなくて、爆発的に増えたようです。
生態系、というものは微妙なものなんですね。

一方だけに肩入れすると、手痛いしっぺ返しをくらいます。
(善玉・悪玉と2分して、片方を大切にし、他方を殲滅しようとすると、意図とは全然違う結果を招くこともしばしばあります。ヒトというサルの浅知恵ではシステム全体を一挙に理解することはできないのです。善玉・悪玉論はほとんどの場合において間違っていますので、そうご了解ください。)

ササグモ

0715_4sasagumo 7月15日
ホトトギスの葉の上です。
何げなく一枚撮っただけなのですが、面白いショットでしょ。
8個の単眼のうちの上向きの単眼2個が写っているわけですが。
完全に「目が合った」という気分ですね。私を見上げてますよね。
「なんだい?用かい?」と聞かれた感じ。
いや別に、用というほどのことはないんだけど・・・
美しいものに心ひかれたのです。
(キザだなぁ。)

セグロアシナガバチ

0715_2seguroasinagabati1 7月15日
イヌツゲの葉の間を探索するセグロアシナガバチ。
フタモンアシナガバチなどと比べると、がっしりした感じで迫力があります。
とくに興奮させない限り攻撃してくるということはありません。
洗濯物などにくっついたまま取り込んで、着たら刺されたというようなことはあります。

今の時期は幼虫のための餌さがしをしているのですね。
捕まえて肉団子のようにするのでしょう。

0715_2seguroasinagabati2
ふっと、前へ飛び立つ瞬間の映像です。
周りにクモの糸が見えていますが、引っかからずに更に奥の方へと飛んで行ってしまいました。

スグリゾウムシ

0715_1sugurizoumusi1 7月15日
スグリゾウムシです。私が見つけるスグリゾウムシは、どれも、泥の中から脱出してきて乾燥したというような雰囲気のものが多い。捕まえて爪でこすってみたくなります。そんな気しませんか?
0715_1sugurizoumusi2
このスグリゾウムシの前脚の関節部を見てください。
丸い球がぽこっとはまったようですね。
なんだかロボットっぽい。面白い関節です。

ところで、改めて「福光村昆虫記」というサイトを調べたら、面白い記述がありました。

本土のスグリゾウムシは交尾なしに、単為生殖と呼ばれる生殖方法で、♀だけで増えています。日本では男女群島に♂が生息しているそうです。(保育社原色日本甲虫図鑑Ⅳより)

そうなんだぁ。知らなかった。アブラムシみたいだなぁ。
でも、アブラムシだって、季節が厳しくなると、有性生殖をして遺伝子の多様化を図っているのに、いいんですかねぇ。オスを産み出す機構はないのかなぁ。
ミツバチやアリでも、メスだけを産む時期、交尾のためにオスを産む時期、とか両方を持っていてコントロールしているのに。
生物としては少し「危険な」生き方ではないだろうか、とも思います。

テントウムシの蛹ではないだろうか

0714togetoge1 7月14日
線路の柵のコンクリートの柱に発見。
全体的な姿はテントウムシの仲間の蛹ではないかと思わせます。
ただ、全体に「トゲトゲ」。
0714togetoge2
すごいですね。
何の蛹なのか、探し当てられずにいます。
蛹を引きはがして連れて来るわけにはいかないし。
発見してもう10日も過ぎましたが、変化なし。
分からないままになるかもしれません。
どなたかご存知ないですかぁ。

クロアゲハなど

0714ageha 7月14日
キンカンの木から連れてきた2匹。
成長してきたらなんだか似てきたんですよねぇ。
クロアゲハだろうと思ってはいるのですが、微妙に違いがありますねぇ。なんなんだろう?
この齢あたりからの食欲はものすごくなります。
葉が消滅する、という感じの食べ方をするようになります。
葉を食べるパリパリという音が聞こえてくると、ああ元気だなぁ、と嬉しくなります。
夏は成長の時。暑いけれど、命の活動は盛んです。

イチモンジセセリ

0714_5itimonjiseseri 7月14日
新しいことを書こうというわけではないのですが
この「顔」が好きなんですよね。丸顔、まん丸おめめ。
この顔見てるとハッピーですよ~。
クモではネコハエトリの顔が好きですね。あれは威厳を感じさせる。

昆虫やクモにも「顔」があるんですね。これに気づくと、楽しいものです。
昆虫写真家の海野和男さんという方がいます。私より1歳上の方です。実にすばらしい写真をお撮りになる。日高敏隆さんのもとで昆虫行動学など学ばれた方です。
この海野さんが最近、ユニークな本を出版しました。
「昆虫顔面図鑑 [日本編]」(Portraits of Japanese Insects)という写真集です。
2010.6.18 実業之日本社刊(\1200-)です。

全編、これすべて、昆虫の顔。
いやあ、嬉しくなってしまって、思わず買いこんで来て眺めております。
虫好きの方にはたまらない写真集ですね。虫嫌いの人にはお勧めしませんが。

でね、おまけの話。
本上まなみさんという女優の方がおられますよね。
私、もう、本上さんのファンになってしまいましたね。
ん?どうつながってるんだ?

「昆虫顔面図鑑」の帯にですね、本上さんが
「コナラシギゾウムシにひと目ボレ」
「虫と目が合うという、ここだけの貴重で幸せな体験ができます」
という文章と共に載っているんですね。

本上さんが虫大好きとは限らないでしょうけれど、少なくとも、虫の顔見てギャッと叫んで逃げだすような方でないことは確かでしょう。でなけりゃ、こんなところに顔をのせるはずがない。こういう本の帯にいかがか、というような打診があってOKしたんですよね。ですから、やっぱり「虫嫌いではない」はずです。
「昆虫顔面図鑑」ですが、本上さんの「お顔」も載っています。
もう、ファンになってしまった。

残念ながら、イチモンジセセリの顔は載っていません。
私のブログでご対面ください。
クモももちろん昆虫じゃないんで載ってません。
ネコハエトリの顔は私のブログで対面して下さい。
近いところではここにあります↓
http://yamada-kuebiko.cocolog-nifty.com/blog/2010/07/post-4812.html


アオスジアゲハ

0714_3aosuji 7月14日
直線的にすごいスピードで飛ぶアオスジアゲハ。
被写体としては超むずかしいチョウだ。
0717aosujiageha1 7月17日
飛ぶ宝石、ですね。
0717aosujiageha2
今目の前を飛んでいたと思うと、一挙に2階を超える高さに舞い上がったり。
左が普通の電線、右は電車の架線です。

このそばにクスノキがあるのですが、上の方で産卵しているらしく、今年はまだ卵を見つけられずにいます。
幼虫がまた美しい。決断力が速い。育てて楽しいチョウです。
もし、身近にクスノキがあったら、新芽、若い葉の裏を眺めてください。卵があればほぼ確実にアオスジアゲハの卵です。柑橘類のように、何種類かのアゲハ類が来るのとは違って、クスノキを食草にしているチョウはアオスジアゲハだけです。
楽しいですよ。

タマサンゴ

0714_2tamasango 7月14日
タマサンゴの実が色づいてきました。
確かフユサンゴとかいう別名もあるはずで、今の時期に赤い実がついていいのかな、とちょと疑問を感じました。
「季節の花 300」では見出し項目が「フユサンゴ」で別名としてタマサンゴが挙げられていました。Christmas cherryとかJerusalem cherryという英名もあるそうです。

夏から冬にかけて鮮やかな色の丸い実をいっぱいつけるので、その姿を珊瑚に見立て、時期と合わせて「冬珊瑚」という名前に  なったとのこと。実の色の遷移がおもしろく、花を咲かせたあとで緑色の実になり、それが順々に緑 → 黄 → 橙、に色づく。いろんな段階の色の実が同居して、緑色の実、黄色の実、橙色の実がほぼ同時に楽しめる。

写真も7月に色づいた写真が使われていました。季節外れということではないようで安心。
これからずっと楽しめるということですね。
ナス科なんですが、このコーナーにはあまりニジュウヤホシテントウはやってきません。
なにか好みがあるのでしょうか。

2010年7月22日 (木)

シオヤアブ

0714_1sioyaabu1 7月14日
シオヤアブに誘われました。
写っているのはシオヤアブのオスです。腹端の白い毛の束がオスの目印。
止まっている棒は、私のカメラのモノポッド。
庭に降りたら、何かが飛んできた、あれ?と思ってどこへ行ったんだとみれば、カメラ用のモノポッドにとまっている。
ムシヒキアブ科のシオヤアブです。肉食性。昆虫を捕まえて食べます。
でも、なんだか、人懐っこい感じ。平気で目の下にとまってじっとしているし、カメラを近づけても逃げない。
まったく、写真撮って、の雰囲気。
あいよ、っと記念撮影。すると、ふわっと飛び立ってちょっと先へ行って、待っている。
こっちこっち、といわんばかり。
0714_1sioyaabu2
2mくらい離れたところの、イチョウの鉢。40年ものの実生のイチョウの(無手入れ)「盆栽」。
イチョウの葉の上でじっとしています。
それなら、といって撮らせてもらったのが顔写真。
0714_1sioyaabu3
風格のある顔してますね。
脚の先端が特徴的。
飛び去ったので、これで、おしまいかと思ったら
0714_1sioyaabu4
家のコーナーを曲がったところのオーシャンブルーの葉の上にいた。
待たれてしまった。
私が勝手について行ってしまっただけですが、なんとなく誘われたような気分でした。
友達になったゾ。

◆腹端部の白い毛が「塩」のようだというので、「塩屋虻」なのだと聞いたことがあります。
◆「モノポッド」とは写真撮影の時にカメラを安定させる道具です。
三脚だと完全固定ですが、モノポッドは単なる杖です。上端にカメラをねじで固定できますが、私は固定はしていません、接写時のぶれの軽減に使っています。長さもすぐ変えられるし便利です。スポーツカメラマンなどが、フィールドの脇を走っては、モノポッドでカメラを安定させながら撮影していますね。

「モノ」は「1」で、「ポッド」は「脚」です。
3を表す「tri」と「pod」で、tripodは三脚。
4を表す「tetra」と「pod」は四脚ですが、これはテトラポッド、海岸の波消しブロックにありますね。
6を表す「hexa」と「pod」で「hexapoda」は、六脚類、昆虫などを含む分類群です。

アゲハ類幼虫

0713_1ageha1 7月13日
キンカンから連れてきた幼虫。
0713_1ageha2
困ったな、なんだか似てきちゃった。でも違う。
今のところ順調に育っています。
成虫まで行ってほしいゾ。
いっぱい食べな。

クサカゲロウがカメムシを捕獲

0710_7kusakaferiu 7月10日
なんだ?と戸惑いましたが、よくみればごみを背負ったクサカゲロウの幼虫でした。
自分が食べたアブラムシの殻を背負っているのです。自分の体のカモフラージュですね。
ところで、今回の獲物はというと、どうもホウズキカメムシの幼虫を捕まえたらしい。
アブラムシだけじゃないんですね獲物は。
おいしいのかな?
カメムシの成虫ならおそらく強い刺激臭を出すのでしょうが、幼虫はどうなのでしょう?
捕まえるときに匂いで抵抗しなかったのかな。でも平気なのかな?
ちょっと珍しい光景のような気もします。

アオドウガネ

0710_6aodougane1 7月10日
池のほとり(すっごい池見たいですねぇ、こう書くと、書きながら自分で笑っています)のシダの葉の上にアオドウガネがいました。
ちょっと気になることがあって
0710_6aodougane2
翅にへこみがあるんですね。
大丈夫かなぁ。
脱皮失敗とも思えないんですが。なにか強い衝撃をくらうような出来事があったのでしょうか。
心配ではありますが、力を貸すということができるわけでもなし。
生き抜いてください。

アゲハ幼虫

0710_3ageha1 7月10日
キンカンの木で妻が2匹の幼虫を発見して連れてきました。
アゲハかクロアゲハか。
色の違いは種の違いか齢の違いか。
なんだか、積極的に調べることもせず、毎日眺めて楽しんでおります。
すごい勢いで葉っぱを食べますので、寄生さえされていなければ蛹になるのも速いと思います。

0710_3ageha2
茶色っぽいほうがこれ。こういう色の幼虫にあまり覚えがなくて戸惑いを覚えます。

0710_3ageha3
黒っぽい方がこれ。これはクロアゲハじゃないかなぁ。
違う種ですよねぇ。終齢位になればもっと分かりやすくなるでしょう。

目下、飼育継続中。
続報もどんどん出します。

ホウセンカ

0710_2housenka 7月10日
今年はホウセンカがあちこちのプランターに進出しています。
例の「弾け飛ぶ」パワーで勝手に広まったのだと思います。
この花が咲いているのは、ニラの種をまいたプランター。他にも、鉢植えのイチョウにもホウセンカがニョキッと顔を出したり、いろいろ「栄えて」います。
いかにも、夏の花ですねぇ。
毎日強烈な暑さ。みなさん、お大事に。

ハマヒサカキ

0710_1hamahisakaki 7月10日
本屋さんからの帰り道。のんびり歩いていたら、ハマヒサカキの実が大分熟してきたのに気づきました。
まだ熟しきってはいませんね。
花は独特のにおいがありましたが、実の時期は何らにおいはありません。
乾燥に強いのではないかということで広まったそうですが、期待されたほどには乾燥に強くないそうです。花の時期の匂いのことを考えると、大々的に生け垣などに使うのはやめた方がいいと、私は思います。

ナガサキアゲハ脱皮

0716nagasakiageha1_2 7月16日
ナガサキアゲハの幼虫が脱皮しました。
2齢幼虫になりました。
上の写真を見ますと、2齢幼虫の頭の先に、1齢幼虫の時の頭の殻があります。
体の後ろに、体の脱け殻があります。
ですから、頭の後ろのところで割れて、中から前進して脱皮したのですね。
色合いがずいぶん変わりました。
茶系統の色が強くなりました。
0716nagasakiageha2
ちょっとぼやけた写真しか撮れませんでしたが、幼虫のトゲトゲの角の下にある、淡い色のつるんとした部分、ここが頭です。
頭に接してすぐ後ろに、脚を縮こめた状態になっています。
右へ行って体の白い輪の部分の後ろあたりから4対の腹脚が見えています。
尾脚は見えていません。
0716nagasakiageha3
しばらくしたら、脱皮した脱け殻を食べてしまっていました。
頭の殻が残っているので、硬くておいしくないのかな、と思っていたら、またしばらくして行ってみたら、なくなっていましたから食べてしまったのでしょう。
無駄というものをしないのですね。

植物から、自分の体のすべてを作るということはかなり大変なことなのです。ある意味、栄養価が低い、だからとにかくいっぱい食べること、そして無駄なことをしない、というのが大切なのですね。

現在、飼育継続中です。
随時、ご報告します。

ナガサキアゲハ孵化

0713nagasakiageha1 7月13日
ナガサキアゲハが孵化しました!!
直径2mm弱の卵から孵化した1齢幼虫の体長はやっぱり3mm程度。
ちいさくてかわいいのです。
0713nagasakiageha2
すごいでしょ。
他のアゲハの1齢幼虫と比べて「白っぽい」という感じがします。
こんな小さな幼虫が、こんなトゲトゲ生やしていると、敵が「おそれをなす」のかなぁ?
効き目あるのかどうか、わかりません。

気づいた時はもう、卵殻はありませんでした。食べちゃった後でした。
お母さんが最後に持たせてくれた「最初の食事」は卵の殻なんですね。おいしかったかな。

新芽、若い葉に産卵することが多いのですが、今回の産卵はしっかりした成長した葉です。
食べられるのかなぁ、と心配していましたが、大丈夫のようです。
いつも同じ場所にいるように見えて、食べ物がない、といっているのかと思ったのですが、結構歩きまわる幼虫のようで、歩いて行って葉っぱの縁をかじっては、また戻ってくるのです。

妻が、新しい柔らかそうな葉を取ってきて、移していました。体の前に葉を持って行って、軽く押すんですね。で、その気になると歩いて移る。これしか移しようはありません。

「わぁ、決断が速い。ナミのアゲハじゃないわ」と叫んでおりました。
チョウの飼育者にのみ分かるジョークが入っております。

実は「アゲハ=ナミアゲハ」の幼虫は「決断がのんびり」。葉を探して枝を歩いていて、枝の先端に来てしまっても、頭を振って「葉はないか、葉はないか」とかなり長い間まどうのですね。かなりたってから、ダメか、ないや、と諦めて方向転換して戻り、次の枝へと探しに行きます。
アオスジアゲハの幼虫は「決断が速い」。同じようなシチュエーションで、枝の先端で2,3回頭を振って葉がなければすぐ向きを変えて次の葉探しに向かいます。

こんな違いを二人ともよく知っている。

ですから、この幼虫が「ナガサキ」アゲハの幼虫であって「ナミ」アゲハの幼虫ではないという意味と、ナガサキアゲハの幼虫はアオスジアゲハ・タイプで決断の速いタイプなんだ、というダブル・ミーにングになっているのでした。

ナガサキアゲハ産卵

0709nagasakiageha1 7月9日
用事があって午前中に車を出して帰宅、車を車庫に入れようとしたら。
ナガサキアゲハが舞っている!
しかも夏蜜柑の木の周りで。
コンパクトデジカメしかもっていなかったのですが、もうひたすら、なんでもいいからシャッター落ちろ!と押しまくり。
何とか写った写真です。
0709nagasakiageha2
こんな写真で申し訳ないですが、自分の目には焼き付いています。
木から離れたり近づいたり。時折、腹を曲げて産卵行動をします。
とにかく「ひたすら見て」、どのあたりで産卵行動をしたか頭の中にイメージを作ります。
かなり長い時間のように思いますが舞い続けました。飛び去ったあとで、車を入れ、一眼レフを取ってきて、さっきの産卵行動があった場所を見に行きました。

0709nagasakiageha6
これです!産みたての卵はこれ1個しか見つけられませんでした。
色が変わっていて、孵化が近いのかな、という卵も3個ほどあったので取り込んだのですが、こちらは残念、孵化しませんでした(のちの話ですが。)

さて、産みたての卵。
きれいでしょ。
粘り気のある液体で葉に接着されているようですね。
普通のアゲハの卵より大きいです。
0709nagasakiageha7
このくらい。
2mm弱というところでしょうか。

無事孵化できますように、という日々が続きました。

2010年7月21日 (水)

ヒメグモ

0709_6himegumo 7月9日
メスのヒメグモの巣に、オスのヒメグモが2匹来ていました。
お分かりですよね、小型で色の濃い方がオスです。

0710_8himegumo 7月10日
今度はオスが3匹来ていました。

0716_1himegumo 7月16日
増えた!6匹来ています。
白い矢印で指し示しているのがオス。
念の為、メスは黄色い矢印で指し示してあります。

無事、交尾はできたのでしょうか?
どのような「選択」「競争」があったのか、なかったのか、よくわかりませんが、その後オスの姿は見かけなくなりました。
無事、産卵、孵化にいたりますように。
情が移ってきました。

モノサシトンボ

0709_5monosasitonbo1 7月9日
我が家の「小池」でモノサシトンボが羽化しました。
「イトトンボのヤゴ」として紹介したものの成虫でしょう。
ほぼ、毎年羽化してくれます。嬉しいものですよ。こういうのが庭の隅をふわあ~っと飛ぶのを見るのは。
0709_5monosasitonbo2
真上ショットが撮れました。
子どもの頃、ギンヤンマやオニヤンマにドキドキしましたが、一方でイトトンボを見つけるのも独特のわくわく感がありましたっけ。アカトンボやシオカラトンボが普通種で、イトトンボは比較的少なかったせいでしょう。また、飛び方も独特です。
昆虫少年が昆虫爺さんになって、日々楽しむなんてのも、いいものですよ。

池の水草などを減らすときも、こういうトンボのヤゴがいるから、うっかり捨てられない。
手間のかかるんですが、急ぐこともなし、楽しいことです。

ホウズキカメムシ幼虫

0709_4houzukikamemusi1 7月9日
やべ、見つかった、と逃げて行くところ。
別に「見た」だけなんですが、この時の幼虫は敏感でした。
0709_4houzukikamemusi2
成虫とは体のバランスが違うんですね。触角がやけに大きく長くて立派。
「幼い」体つき。
今年は、オーシャンブルーというアサガオのような花の咲く植物で、大量に卵を発見し、幼虫もいるのですが、見ていると、どうも在来のアサガオの方が好きなのではないか、とも思います。
アサガオでも見かけるのですけれど、こちらは、夢中で吸汁していて、揺らそうがなんだろうが逃げ出さないことが多いのです。
似た味だけれど、アサガオの方がおいしい、と言っているように感じています。

シロスジヒメバチ

0709_3hati 7月9日
シロスジヒメバチでいいと思うのですが・・・。
検索すると同じ「シロスジヒメバチ」で、触角の中央あたりが白いハチも出てくるのです。
あるいは、胸部背面の模様が微妙に違うものも同じ名前で出てきます。
個体変異とは思えないのですが、そのあたりをすっきりさせてくれる解説にはまだ出くわしていません。
で、まだ、暫定的に、シロスジヒメバチ、です。

イチモンジセセリ

0709_2itimonjiseseri 7月9日
勝手口のドアの外側にとまっていました。
この日は比較的気温が低かったせいでしょうか、長時間ここでじっとしていました。
室内から見て、あイチモンジセセリだなと思って、家族が外出して、その後見に行って、まだじっとしていました。
花にとまっているのとちがって、こういう網入りガラスのような人工物にとまっていると、なんとなく寂しげに見えてしまいます。

この記事を書いている7月21日は、東京でも35℃を超えて猛暑日になりました。
昼に庭に出ても、暑すぎるせいでしょうか、かえって虫影が薄い気がします。
私の方も、「殺人的な暑さだ」とぼやきながら帽子をかぶって呆然と歩いています。
気温が低くても、高くても、昆虫の活動は鈍るようですね。
私も「朝の散歩」に切り替えようかな、とも思っています。年だし、熱中症で運ばれた、なんてのは願い下げにしたいし。

暑すぎます。

ムラサキシラホシカメムシ

0708_6murasakisirahosikamemusi 7月8日
久しぶりに見かけました。
背中に仮面を背負っているような感じがあります。
小さいんですよ。5mmくらいです。
あまりじっとしていてくれませんので、興奮させない程度に拘束した方が見やすいです。

アシナガキンバエ

0708_5asinagakinbae 7月8日
アシナガキンバエがよく目の前に出てくるのですが、写真を撮る意欲がわかなくてごめんな。
フラッシュ光への反応がものすごい素早さ、ということは分かっていて、フラッシュを使わずに、ISO感度をあげて見ようか、とか思うのですけれどね。まぁ、いいやぁ、になってしまって。
翅に模様がないからアシナガキンバエでいいと思います。腹が細いのでオスでしょう。

「我が家の庭の生き物たち」という尊敬するサイトに詳しい話が載っています。
http://plaza.rakuten.co.jp/Wolffia/diary/200908160000/

翅脈をきちんと見る、というのが苦手な私です。(トンボなどでも、翅脈は重要な識別ポイントなんですけどね。)
詳しく知りたい方はお読みください。

アブラムシ

0708_4aburamusi1 7月8日
ちょっと目を引いたものですから。
一つ目は、単独でいるということ。集団で群れていることが多いと感じていますが、たった一匹でくっついていました。
二つ目は、写真で分かると思いますが、「濡れた跡」のようなところにくっついていること。
このアブラムシが汁を吸うことによって、この濡れたような跡をつくったのか、何かの傷のようなもので汁が出て濡れたのでアブラムシが来たのか。
よくわかりませんが、ふと、気になりました。

ちょっと離れた葉陰には
0708_4aburamusi2
有翅タイプのアブラムシがいました。
アブラムシ図鑑かなにか、探すかなぁ。ひとくくりに「アブラムシ」としか分からないというのもつまらないけれど・・・。
そこまでマニアックになることもないか、とも思うし・・・。

オンブバッタ

0708_1onbubatta1 7月8日
オンブバッタが脱皮をしていました。
脱ぐ前に足を固定しておいて、殻を割って前進して出てくるようですね。
0708_1onbubatta2
次の脱皮で成虫でしょうか。翅の芽がまだ完全にくっきりしていないので、あと2回かもしれません。
0708_1onbubatta3
一回りして戻ってきたら、もう完全に脱皮終了。
この顔、かわいいですよね、なんだかキョトンとしている。
ホウセンカの葉を食い荒らしているのはこいつかもしれないのですが、まあ、仕方ないことです。

2010年7月20日 (火)

蚊を叩き

2010.7.19付 朝日俳壇より
蚊を叩き夢を叩いて了ひけり:(笛吹市)芳武照子

蚊を叩いたために寝そびれましたか。蒸し暑い夜はつらいですねぇ。

寝そびれて、輾転反側つらかった、と思うことも多いでしょう。
ところで、本当に全く眠れなかったのかどうか。意外と浅い眠りを繰り返していることも多いのです。イライラせずに、布団上の坐禅(いえ、寝禅といいましょうか)をして、修行して下さい。

夏は修業の時間もたっぷり。安心立命(あんじんりゅうめい)の境地に至るかもしれません。

明易し

2010.7.19付 朝日俳壇より
明易し墓より戻る人のあり:(可児市)金子嘉幸

これは何かな。集落で当番を決めて、墓の掃除をしているのかな。
都会では「朝仕事」という感覚がないですが、農作業などにいそしむ方には、朝の涼しいうちに済ませておいた方がいい、という朝仕事がありますよね。
朝仕事で墓を掃除して戻ってくる方の声が聞こえましたか。
あるいは、法事があるので、自分の家の墓を朝仕事で掃除してきた人がいたのかな。

夏は暑い。朝夕の短い時間、少しは涼しそうな時間でしか、動けませんね。

甘藍

2010.7.19付 朝日俳壇より
甘藍を育てて蝶も育てたり:(日田市)原田夏子

甘藍はもちろんキャベツです。キャベツはアブラナ科、モンシロチョウの食草。
このブログの読者の方は既にお読みになったと思いますが、我が家の場合、コマツナを育てて、モンシロチョウの大量一斉羽化に到りました。
上掲句の作者のお宅では、キャベツの方は大丈夫だったでしょうか。
チョウの幼虫の食欲ときたらものすごいものです。
ある意味、植物だけで成長するということは大変なことなのだ、という事実を示しているわけです。
沢山食べなきゃ、蛹に変態できない、成虫に羽化できないんですね。
ほんと、モンシロチョウって、キャベツやコマツナに翅が生えたようなものですよ。
ウンチだって野菜が形を変えただけのものです。
さとってしまいました。

恋の蛍

2010.7.19付 朝日俳壇より
手を離れ恋の蛍となりゆけり:(倉敷市)米元ひとみ
 長谷川櫂 評:しばらく手に休んでいた蛍が飛びたっていった。「恋の蛍となりゆけり」が思い豊か。

蛍の光の明滅は、雌雄の求愛の交信であるという事実をうまくうけて、「恋の蛍」という言葉を創られたのがお見事です。

こんな記事がありました。

一斉発光 同種の合図:ホタルのオスの群れ、メスに(7/13 朝日新聞)
 オスのホタルの群れが一斉に光るのはメスに同じ種とわかってほしいから――。米国の研究者が、LEDで再現したオスの点滅に対するメスの反応から結論づけた。米科学誌サイエンスに発表した。
 ホタルは種類によって独自の発光パターンがある。テネシー州の国立公園に生息するホタルのオスの群れは、同期して点滅することが知られているが、理由は不明だった。
 コネティカット大のアンドリュー・モイセフ教授らは、メスの前で、8匹のオスにみたてた8個のLEDを様々なパターンで光らせ、その反応を調べた。その結果、同期させるとメスが応答の点滅をしたが、ばらばらのときはほとんど反応しなかった。
 モイセフ教授らは、飛び回っているオスがバラバラに光るとわかりにくいが、一斉に光ると交尾の対象となる同種のオスとわかるためだ、と推測している。

蛍の一斉発光というのを私は見たことがないのですが壮観だそうです。

梅雨明け

2010.7.19付 朝日俳壇より
天のフラツシュは梅雨明けの予感:(奄美市)間 弘志
 金子兜太 評:奄美の人らしい感応と受け取る。

「天のフラッシュ」って、稲妻のことですよね。
稲妻が光るということは積乱雲が出来ているということでしょう。
奄美の梅雨明けを知らないのですが、梅雨前線の雨と、積乱雲の雨との違いで梅雨明けを予感なさっているのではありませんか。

今年の梅雨は酷過ぎました。統計的に「有意」な偏りが生じてきているかどうかは分かりませんが、近年、災害の度が過ぎてませんか?
気象の振幅が大きすぎる気がする。
みなさま、ご無事で。

冷奴

2010.7.19付 朝日俳壇より
わが妻は魔女かすぐ出る冷奴:(柏市)藤嶋務

それは、その、薬味とかいろいろ付けて出そうとすれば、手がかかるでしょう、冷奴も。
とりあえず、豆腐を切って鉢に入れ、既成の削り節に万能ねぎをちょんと刻んで、しょうゆと一緒に出すくらいなら、魔人かかしにもできますよ。
で、とりあえず、その辺で息をついていてもらって、次の料理をやっつける。
いえ、奥様が次の料理をやっている間、冷奴一つを満足そうに突っついているのが夫の仕事というものですね。

妙なレシピ:冷奴の上面にスプーンで穴を掘り、そこに納豆を入れます。醤油でもかけて召し上がれ。豆・豆しい香りと味がマッチして結構いけます。

水色

水は水色水無月の最上川:(山形県大石田町)柏倉ただを
 金子兜太 評:水一色の最上川流域。

ごめんなさい。あげあしとりです。
水に色ってあるんですか?
いわゆる「水色」という名のついた色があることは知っていますが、あれ「水の色」ですか?
真水のものすごく分厚い層があれば、色がつくことは確かですが、川が流れるとき、水に色があるでしょうか。
水量は多いのだけれど、白いしぶきもあげず、滔々とながれる最上川なのだろうと想像します。

で、五七五に読もうとすると
みずはみず いろみなづきの もがみがわ
となって句跨りというのですか、になるんですね。どうも落ち着かなくって。
むずむずします。

清貧

2010.7.19付 朝日俳壇より
蜘蛛の囲の清貧の如ありにけり:(久慈市)和城弘志
 稲畑汀子 評:蜘蛛が囲を張った。それはまるで清貧に甘んじているように見える。単純化した蜘蛛の囲を描いて妙。

私のような「むし」好きの立場からいうと、昆虫もクモも、みんな「清貧」なのです。
決して、貪婪などということはあり得ないのです。
「清貧に甘んじる」ということばの、「甘んじる」というところに、清貧を低く見る価値観が入り込んでいますね。
小さき者たちは、その時々に得られるもので生きるのです。
何日も何週間も、時には何カ月も食べ物がなくったって、生きられるように生きるのです。
ダメなら死ぬのです。
欲をかくのは人間だけですよ。
昆虫やクモの世界は清貧そのものなのです。
人間という生き物、恥多き生き物です。
恥というものを発明したのも人間でしょ。

百合

2010.7.19付 朝日俳壇より
百合一輪活けて立居に香の動く:(西宮市)吉田邦男
 稲畑汀子 評:たった一輪の百合の花が部屋に活けてある。人が動くたびににおいが立つ。他の花にはない百合の強い香りならではの発見。

確かに百合の香りは強いものであることは認めますが、香りが強いというだけなら他にもいろいろな花があります。
この句の場合、百合のイメージを活用している。「歩く姿は百合の花」のような、女性のイメージが込められているように感じました。
強いけれど、シンプルで嫌みのない香りと、すっきりした姿の女性の立居。
イメージを重ねて美しさを漂わせて見せたのではないか、と思います。

はやぶさ

2010.7.19付 朝日歌壇より
帰還の日寝返りを打つ 宇宙へと発つ日地球に生まれた我が子:(松戸市)片岡怜美
 高野公彦 評:「はやぶさ」打ち上げの年に生まれた子が、もう七歳。時の流れはまことに速い。

今年の今だから、この歌は「はやぶさ」の帰還を題材にとったものであることが分かりますが、単独で、時間の流れの中で「はやぶさ」を想起させ続けることは難しいかもしれない。
工夫して、詠み込むことはできるでしょうか。

「はやぶさ」の打ち上げは2003年5月9日でした。
その時の私と今の私と、大差ないですが。
子は違う。7年の成長はすごい。
一人で小学校へ通うんでしょ。あの時頼りなく抱かれていた赤ん坊が。

「時間」というものの性質について考えさせられますね。

塗り椀

2010.7.19付 朝日歌壇より
吸ひつける蓋をとるよりだし汁の底まで見ゆる加賀の塗り椀:(東金市)山本寒苦

そういう上等な椀で飲む吸い物は、なんだかあんまり好みじゃない。
庶民ですから、わたし。

細工が完璧なんで、汁の上の水蒸気が液化して圧力が下がると、蓋が本体に吸いついてしまって取れなくなるんですよね。無理に蓋を引きはがすと、中味をこぼす。
椀をわずかに歪ませて、蓋との間にすき間を作ると圧力が等しくなって簡単に蓋がとれるわけです。

わたし、「うつわで食べる」たちじゃないもんで。
食べ物は「味で食べる」ものだと思っております。
見てくれが悪くたって、うまいものはいくらでもある。
妙に「いろどりに・・・」とか、「器を工夫して涼しげに・・・」とか、いわれるとそれだけで食べたくなくなってしまうたちです。へそ曲がりだから。

アオオビハエトリ

0707_8aoobihaetori1 7月7日
0707_8aoobihaetori2
ボウガシの葉の上にアリが死んでいます。
アリの死骸というのを見ることは稀ですから、なんだ?どうしたのかな?と眺めていると
0707_8aoobihaetori3
あっそうか。アオオビハエトリなんだ。
奥の方にいました。アオオビハエトリはアリを捕まえるんでしたね。
納得。上のアリの死骸は、アオオビハエトリの食事跡だったんですね。
0707_8aoobihaetori4
ハエトリグモたちの正面のこの大きな単眼は目立ちます。
「みつめる」という感じがしますよね。
0707_8aoobihaetori5
表情を撮りたいと近づいたら
顎の先端のとがったところが写りました。
さすがすごいものですね。

別に人にかみついたりはしませんからご安心を。

ジョロウグモ

0707_4jorougumo 7月7日
これ、ジョロウグモの脱け殻ではないでしょうか。
食べ終えた獲物とは思えないので。
クモ本体は向こう側で焦点の外にいます。
珍しいものを見ました。
今このジョロウグモが網を張っている場所は、成虫になって大きな網を張る場所としてはふさわしくないので、いずれこの場所からは消えると思います。
今のうち、ちょうど見やすい高さの場所にいるうちに、いろいろ観察したいと思っています。いつまでかな。

青大将・やまかがし

2010.7.19付 朝日歌壇より
手捕つたる青大将をゆつくりと腕よりはがし森へとかへす:(笠間市)北沢錨
やまかがし玄関より来て下駄箱の下にわだかまり半日を経つ:(飯能市)松本和子
 佐佐木幸綱 評:今週は蛇の歌がかなりあった。各地で活発に活動を始めたのだろう。腕にからまる青大将を引きはがす光景が目に浮かぶ。

私はアオダイショウをつかまえるなんてことは出来ないたちです。眺めているのはいいけれど。上手な人は、蛇の尻尾を踏むと必死になって逃げようとするので、頭の後ろをひょいとつまんで捕まえてしまうらしいのですが。
きっと「あんまり興奮するなよ、今逃がしてやるんだからさ」とかなんとか話しかけながら、腕に巻き付いた蛇を引きはがしているのでしょう。愛情あふれますね。

やまかがしは、興奮させなければ大人しいと聞きます。毒はあるのですが、そうそう、普通に噛みついても毒を注入できるような顎にはなっていないようです。
玄関に入り込まれてしまって、参っていらっしゃる、想像できます。
玄関のひんやりが気に入っていたりしてね。
なんとか、早いところ出て行ってくれないかしら、とハラハラなさっていることでしょう。
目をはなしたら、上がりこまれて、部屋の中に入られそうで、近所に頼みに出るのも気が引ける。進退ここに極まれり、でしたでしょうか。
その後どうなりましたでしょうか。気になることです。

第五福竜丸

2010.7.19付 朝日歌壇より
ペンキはがれ朽木のごとき船体なりされど眠れぬ第五福竜丸:(浜松市)松井惠
馬場あき子、高野公彦 選
 高野公彦 評:第五福竜丸は、いま東京都江東区夢の島の一角に展示されている。核兵器無き時代が来ないから「朽木のごとき」船となっても眠れないのだ。

1954年3月、アメリカの水爆実験によって被曝した第五福竜丸。
私は6歳になる直前です。「死の灰」とか「原爆マグロ」「ストロンチウム90」というような言葉が記憶に残っています。東大理学部の方かなぁ、放射能とはどんなものか、原爆とはどんなものか、というような話を丹念に地域を回って話していたように思います。当時、一家で借間していたお家にも、そういう話を聞く会が回ってきて、近所の方々も集まって話を聞いたのでした。なにせ、6歳ですから、話はわけわからないのですが、ガイガーカウンターが「ガガガガ・・・」と音を立てるのが怖かった思い出があります。

原子力は基本的に人間のコントロール能力を超えるものだと思っています。
原子炉も含めて。

第五福竜丸事件のことが手際よくまとまっているサイトをご紹介しますので、読んでみてください。
http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/daigofukuruumaru.htm

蟻地獄

2010.7.19付 朝日歌壇より
縁の下の蟻地獄の巣に吹く風は昔々のかくれんぼの匂い:(松坂市)こやまはつみ
 馬場あき子 評:少女時代の回想だがいかにも田園ふうな懐かしさが漂う。
 {高野公彦氏も選んでおられます}

「田園ふう」ねぇ。別に下町だってかまわないんだけど。
雨の当たりにくい砂地にすり鉢型の巣を作ってアリを捕まえますね。
縁の下、そういう場所って、どこかカビくさいような、ネズミのオシッコ臭いような。
かくれんぼで、家の周りの隅っこへ潜り込めば、カビ臭い目にもあったでしょう。
そんな「匂いの記憶」だと思うんですよ。
匂いの記憶って、すごく「直接的な思い出」を呼び覚ましますよね。

風通しのよい「田園風景」ではないと思います。
籠った「床下臭さ」です。

亜鉛鉄板

2010.7.19付 朝日歌壇より
「ほろ酔」は奥行き一間間口二間亜鉛鉄板(とたん)の屋根に水無月の雨:(小浜市)田所芳子

いえ、亜鉛鉄板と書いて「とたん」と読ませたのが面白くって。

トタン(もとペルシア語で、ポルトガル語から転訛)
 亜鉛で鍍金(メツキ)した薄い鉄板。屋根葺き・樋・塀などに用い、ブリキよりも化学的耐性が優る。トタン板。亜鉛鉄板。日葡辞書「タウタン」[広辞苑第五版]

化学の授業で使えるなぁ、などと思ってしまう私です。
鉄よりも錆びやすい亜鉛が先に錆びることによって、鉄板の表面を還元的な状態にして錆びから守るのですね。ブリキは錫メッキですから、きれいですが、むしろ錆びやすくなります。
イオン化傾向や局部電池の話の教材になりますね。

小さな居酒屋。
ちょっと儲かって店を大きくしたりすると、とたんに味が落ちてしまう。
よくあることです。
錆びかかったトタン屋根に降りかかる大きな雨音を肴に美味い酒が飲める。
ほろ酔いで止めるところが、小さな幸せというものでしょう。

転寝

2010.7.19付 朝日歌壇より
米寿なる母は転寝するときもハエタタキ持ち時時叩く:(山梨県)笠井一郎
 永田和宏 評:見たことあるなあとしみじみ懐かしい。寝ている筈なのに、老いた母の手は時おり蠅を追う。

「転寝」という言葉を知らないのですが、意味は「ごろ寝」ですよね。
永田氏が「しみじみ懐かしい」とおっしゃっているのは、「ハエタタキ」のことですよね。
それとも母のごろ寝姿? ?
「時時叩く」といっても、実際に自分にたかるハエを叩いているとはなんだか思えないのですが。
深読みしてみます。
母上は、作者を育てた頃の夢を見ていて、その夢の中で、幼子にまつわるハエを追ったり、団扇で風を送っているのではないでしょうか。
読み込み過ぎ?かな。

母というものは、幼子に風をぱたぱた送りながら昼寝させ、自分もついうとうとして、ふと気づいてはまた団扇をあおぎ、またうとうとする。子育ての疲れ、子への愛情が滲みでる姿ですね。
そんな昔を夢に見てはいないでしょうか。

理由

2010.7.19付 朝日歌壇より
始まりに理由なけれど終わりには理由がありて君を失う:(京都市)敷田八千代
 永田和宏 評:成程これは真理だろう。若い作者の自己省察に驚くが、その「理由」に思い当たるのが悲しく切ない。

永田氏は「理由」に「思い当たる」のでしょうか? わからない。理由そのものには一切言及していないのだし。
「存在した理由」とはなんだったのか。
時空に伸びる「二本の人生」の、撚り合わせることのかなわなかった姿、に悲しみを覚えます。

2010年7月19日 (月)

ショウジョウバエ

0707_3syoujoubae1 7月7日
やけに赤いハエを見かけてしまいました。
ショウジョウバエでいいと思うのですが、こんなに赤かったですか?
ころんとしています。メスでしょうね。
0707_3syoujoubae2
ショウジョウバエの腹部背面にこんな模様があったっけ。
ぼけぼけですみません。
体長はショウジョウバエそのものです。3mmくらい。
キイロショウジョウバエ、ということにしておきましょう。
清潔な葉の上で単独でとまっていた、というのも、なんとなく違和感を感じているゆえんです。

トクサ

0707_1tokusa1 7月7日
玄関を出たところに植えてあるトクサ。
胞子嚢が成熟したのを見かけたので、右手にカメラを持って、左手で弾いてみました。
シャッターを切るのが遅れたか、と思いましたが、かろうじて散りゆく胞子がとらえられました。
ストロボのお陰です。
0707_1tokusa2
胞子を飛ばした後です。
仕事が終わったので、この後は、黒くつぶれていってしまいます。

このトクサは草丈の高い、オオトクサでしょうかね。
トクサは普通「木賊」と書きますが、意味は「砥草」。
茎がケイ酸質で硬いので、木工品を磨くのに使ったのですね。
目の細かい砥になったようです。

イエユウレイグモ

0706_11ieyuureigumo 7月6日
完全に追跡してきたわけではないので、絶対確実とは言えませんが、このイエユウレイグモ、冬を越して生きてきたような気がします。
玄関の内側、ドアの脇に青いお風呂椅子が置いてあるのです。
しゃがみこむのが苦手な私用に、どうしても低い位置で写真を撮影したい時に座るために持ち出しやすいように置いてあります。
去年、秋でしたか、使おうとして持ちあげたら内側にイエユウレイグモがいて、持ち上げられたものだから、興奮して激しく体を揺さぶりました。で、ごめん、といって置き直し、以来使わずに来ました。
今回、チョウの羽化後の写真を撮ろうと、持ちあげてみたら、イエユウレイグモがいます。
また、激しく体を揺さぶっています。
同じ個体でしょうねえ。多分。
さして獲物がかかる場所とは思えないのですが、冬越ししたのでしょうか。
任せるしかありませんので、また、同じ場所に静かに置いてあります。
いつまでいるか。ときどきそっと覗いてみることにしましょう。

ヒメグモ

0706_10himegumo1 7月6日
ヒメグモ(♀)の巣です。
写真右端と左端に獲物が写っています。
先ずは右の獲物。
0706_10himegumo2
翅のある大小2匹の獲物です。
大きい方は、羽アリかなぁ。ハチという感じでもないような気がします。
下向きの小さい方が何かハチの仲間、という感じもします。
ずいぶん大きな獲物です。クモの体と比べてください。
0706_10himegumo3
左端の獲物を拡大して見たら、これはカメムシですね。
カメムシ特有の口です。
ヒメグモの巣の下などに回り込むのは非常に難しい。
で、このカメムシの背面の模様などを見ることはできませんでした。種は特定できません。

メスが卵を産むためにはずいぶん沢山の栄養がいるのでしょう。
お腹がまん丸くなっています。
産卵も近いと思います。

ニジュウヤホシテントウ羽化:2

0714nijyuyahosi5 7月14日
9:40分頃です。前の写真から1時間くらい経過したところ。
脱いだ殻から少し離れました。脚も使えるようになってきているのでしょう。
模様もはっきりしてきました。

0714nijyuyahosi6
11:30頃。
模様がくっきりです。

0714nijyuyahosi7
これも11:30頃
こんなにゆっくり写真が撮れるのだから、スケールを入れておこう、と物差しを一緒に写し込みました。
私の印象では、そう大きなテントウムシ、という感じではありません。
「オオ」ニジュウヤホシというのは、模様が「大きい」のだと思うので、体長では分かりません。

0714nijyuyahosi8
食事をして、昼の散歩をして戻ってきたら、この状態。
もう充分体も固まったでしょう。
二階から吹き飛ばしてもよかったのですが、せっかくだから、発見場所へ持って行って、放してやりました。
羽化の過程を見せてくれたお礼です。
またイヌホウズキ食べてるんだろうなぁ。

ニジュウヤホシテントウ羽化:1

0714nijyuyahosi1 7月14日
蛹を見つけてきた翌日。もう羽化しました。
上の写真は8:20頃です。
蛹の殻を割って出てきたところですね。
0714nijyuyahosi2
胸の部分はかなり色づいていますが、翅はまったく模様は現れていません。
胸の部分の模様が「剣状」にも見えるので困ります。(ということは、オオニジュウヤホシテントウの可能性が捨てきれません。)

0714nijyuyahosi3
横からのショット。後翅がまだ乾ききっていないのでしょう。出たばかりですものね。
↑ここまでが8:20頃

0714nijyuyahosi4
この写真は8:40分過ぎ。
模様がうっすらあらわれてきました。

まだ位置を変えたりした様子はなし。

ファイルサイズの関係で、この先は次の記事で。

ニジュウヤホシテントウ蛹

0713_3nijyuyahosi1 7月13日
前の記事から1週間後。
イヌホウズキと接触しながら育っているオシロイバナの葉の上。
凄い格好のものを見つけましたよ。
トゲトゲだらけですね。
トゲトゲをなしで考えれば、これはテントウムシの蛹です。
右が頭の方向だと思います。
0713_3nijyuyahosi2
実に何とも、すごいでしょ。
でも、これ、刺さるような硬い棘ではないのです。肉質というのかな。
0713_3nijyuyahosi3
真正面から。
よくわからんやつですね。
状況的には、イヌホウズキの葉を食べて成長したニジュウヤホシテントウの幼虫が、蛹になるに際して、歩きまわってオシロイバナに移ってきたというのが素直ですね。

幼虫図鑑というサイトを調べてみました。
http://aoki2.si.gunma-u.ac.jp/youtyuu/index.html
ここから、「名前による索引」でニジュウヤホシテントウを見に行って下さい。

幼虫がトゲトゲなんですね。すごい格好をしています。残念ながら幼虫は見られなかった。いちどお目にかかりたいものです。
で、それが蛹になった写真が載っていました。
OKです。私の撮った写真はニジュウヤホシテントウの蛹です。
ただ、私は気づかなかったことなのですが、この蛹のトゲトゲは、後ろに脱ぎ捨てた幼虫時代の殻なんですね。蛹本体はトゲトゲは持っていないらしいです。

当然、葉を切り取って家へ持ち帰り、羽化を待つことにしました。

ニジュウヤホシテントウ

0706_6nijyuuyahosi 7月6日
イヌホウズキの葉で2匹のニジュウヤホシテントウを見かけました。
葉の方はかなりぼろぼろですね。まぁ、いいんです。いつのまにか勝手に出現したものです。タフにこの場で生きています。
さて、現在、このイヌホウズキと葉を接触させてオシロイバナが大きくなっています。
このシチュエーションを、一応、頭に留めてください。
次の記事へつながります。

彩雲:翌日談

◆昨日、「彩雲を見ました」という記事を書きましたが、私が撮った写真は「後の祭り」という写真でした。ですから、「見たゾッ」ということを宣言してしまわないと、「後出しじゃんけん」になって「実は私もその時間に見たんです。」という証拠写真なしの記事しか書けなくなるので、さっさと書いたわけです。日曜日にはブログを書かないことを習慣にしている私ですが、そういう事情でした。

◆今日の朝刊(朝日新聞)、「青鉛筆」という小さな欄があるのですが、そこに、小さな写真付きで彩雲の記事が載っておりました。

(青鉛筆)よいことの前触れ? 横浜、川崎で彩雲観測
 ▽赤、黄、青と色づいた彩雲(さいうん)が18日昼、横浜市や川崎市で観測された。「虹のような雲を見た」と気象庁に問い合わせが相次いだ。
 ▽同庁によると、晴れて薄い雲がかかったとき、雲を構成する氷の粒に太陽光があたり、虹のように色づいて見えることがある。年に何度か、全国で見られるという。
 ▽彩雲は「よいことの前触れ」とも言われる。川崎に住む○○さんはマンション3階のベランダで見た。「最近、いいことがないからね。宝くじでも当たるといいな」
(2010年7月19日朝日新聞)

うわっ、出たぞ!と叫んで妻を呼び、これこれ、私のブログの写真と同じ雲だろ、な。
とはしゃいでおりました。
パソコンを立ち上げ、いつものように、ネット切り抜きを始めたのですが、asahi.comには新聞記事掲載の小さな写真のもとの大きな写真が載っておりました。
著作権のことがあるでしょうから、ここには引用しません。「彩雲」で検索をかけると、今ならすぐ写真が見られます。

このブログの読者の方から、読売新聞に彩雲の記事が出ていましたよ、というお知らせをいただいたので、YOMIURI ONLINEを開いてみましたら、科学のジャンルのところに、彩雲の記事が出ています。ご覧ください。

暑さにうんざり、空見上げたら7色の雲!
観測された彩雲(18日午後1時14分、横浜市港北区で)=読者・○○さん撮影
 虹のように色づいた「彩雲(さいうん)」が18日昼、横浜市港北区で観測され、同区の著述業○○さん(32)が撮影した。
 気象庁によると、彩雲は薄い雲が上空高くにかかった晴天時に起きる現象。雲を作る氷の粒や水滴に太陽光が当たり、光の方向が変わることで、雲が色づいたように見えるという。
 この日、高気圧に覆われ、最高気温が31・7度となった横浜市は、うだるような暑さ。○○さんは、「うんざりしながら空を見上げたら、見慣れない色彩が広がっていたので撮影した」と話した。
 気象庁や横浜地方気象台には同日、「珍しい雲が出ている」などという問い合わせがそれぞれ数件あった。
(2010年7月18日20時41分  読売新聞)

ちょっとしたことなんですが、写真の撮影時刻が読売の方には載っています。
これ、大事なことですね。とくにこういう気象現象の記録には必須です。
厳密に言うと、太陽との位置関係などあると、更にいいけれど。
午後1時前後ですから、太陽は南から少し西へ動いたところで、まだ高い位置。彩雲はもう少し西寄りだったと思います。
また、「上空高く」という一言が入っているのも、大事なことですね。低い雲ではこの現象は起こりません。
虹のような水滴での屈折と反射、で生じるのではなく、おそらく「回折」という現象がからんでいると思います。水滴が非常に小さいことが必要なんですね。

彩雲という現象自体はそう珍しいものではなく、高層を薄い雲が流れるときに、見られることは多いのですが、私の経験では、雲の縁に彩が薄く付いている、という感じで、今回のような広い面積できれいに色が分かれて見えるのは珍しいと思います。

◆1500~2000mという距離を淡々と泳ぐというのは、結構、頭の中はヒマなんですね。で、プールの窓の外を眺めたりしています。そのおかげで、今回彩雲を見ることが出来ました。また、プール仲間の方お二人にも紹介して、一緒に見ていただけたのも嬉しかったです。お二人とも、初めて見た、とおっしゃっていました。
よかった、よかった。おせっかい焼いて。

2010年7月18日 (日)

彩雲を見ました

今日、7月18日、日曜日。いつものように、多摩川の丸子橋近くのプールへ泳ぎに行きました。泳ぎながら、ふと外を見ると、雲に色がついています。雲に薄い色がつくことはものすごく珍しいというほどでもないのですが、今回は、くっきりとほぼ七色の虹のような彩り。
高層のハケで掃いたような雲のほぼ全体が七色に輝いていました。
時刻は、12:40分頃から10分間くらいかなぁ。
方向は、南西方向だろうと思います。
0718saiun1
この写真はプールから出てきて撮ったもので、もう雲の彩りは消えていました。
雲は右から左へゆっくり流れています。
左側のハケで掃いたような雲がもっと右の方に合った時に発色していました。
雲の動きは非常にゆっくりだったので、色づいて輝いたのはおそらくこの雲か、その少し前の雲でしょう。
輝いた位置としては。この写真の中央から少し右あたりです。
この写真で中央にある雲の部分を切りだして、IrfanViewという画像処理ソフトで自動調整というのをかけたのが下の写真です。
0718saiun
空の白っぽさが消え、青が濃くなっています。
心なしか、雲に色がついているような・・・。
黒っぽいゴグル越しに鮮やかな色彩が見えたのですから、こんなもんじゃないんですけれど。
一応、気のものとして、「ここにあったんだよぉ」と叫んでおくことにします。

よく顔をお見かけするプール仲間の方に、彩雲が見えますよ~と教えて差し上げました。コースロープにつかまって、しばらく眺めました。
初めて見た、と喜んでいただけました。

きっといいことありますよ。

2010年7月16日 (金)

18秭

これは教材になるっ!という記事を読んでしまいました。
いまだに「教師眼」が抜けません。何でも教材に見えてしまいます。

◆さて、黒板を前にして
T:これから大事な数字を書くからね。きちっとノートに写してほしい。数字の意味は後からちゃんと解説するから。

 {といって、おもむろに}
18000000000000000000000000
 {と無言で書きます。
 生徒は、なんだなんだ、とざわつきながら、まじめにノートに写そうとし始めます。}

P:先生!「0」いくつついてるの?!
T:知らんなあ、勘定してみなよ。
P:むりだよぉ。

T:しゃねぇなぁ
 {などとつぶやきながら「4桁区切り」でカンマを入れていきます。}
18,0000,0000,0000,0000,0000,0000

T:どうだ。
P:0が24個か。
T:そう。で、読めるか?   
  読める人いますかぁ。

                 兆    億    万
18,0000,0000,0000,0000,0000,0000
 右から、「万」「億」「兆」と書きこみます。
T:次は?
P:「京(けい)」
 {「京」はほとんどの生徒が知っています。}
      ?      京     兆    億    万
18,0000,0000,0000,0000,0000,0000
T:次は?
 {ほとんどの生徒は知りません。でも、クラスに一人か二人くらいは大抵知っている生徒がいます。}
P:「垓(がい)」!
T:おぉ、よく知ってたなぁ。すごいじゃん。

 ?    垓      京     兆    億    万
18,0000,0000,0000,0000,0000,0000

T:では、次は?
  {これを知っている生徒はまずいません。}
T:「」というんだ。変な字だね。読めるかよ
 {これ読める生徒はいないと思います。}
T:これは「し」と読む。

 {ここで、吉田光由の「塵劫記」からの「大数のこと」というのをプリントして配る。
 色々なバージョンがあるので、あまり深入りはしないが、こんな名前をつけていたんだね。ということで。}
T: 仏の慈悲の広大無辺さを表現しようとしたらしいよ。

一 十 百 千 万 億 兆 京 垓 秭 穰 溝 澗 正 載 極 恒河沙 阿僧祇 那由他 不可思議 無量大数

{万までは10倍づつ、万以上恒河沙までは万進、恒河沙以上無量大数までは万万進です。(「秭」は「禾」に「予」という字で「じょ」と読む字を使うこともあります。)「不可思議」は「思い議するべからず」=「考えたり議論することもできない」という意味です。「不可」は禁止「してはいけない」ではなく、「できない」です。}

T:さあ、読んでみよう!
P:「18秭」「じゅうはっし」だあ。これ何の数字?
T:1億円以上の宝くじに4回も当選する確率らしい。

と、プリントを配布。

確率18000000000000000000000000分の1:宝くじ大当たり4回計19億円(7/14)
 【ニューヨーク=田中光】米国テキサス州出身の女性(63)が高額宝くじを当て続け、話題になっている。6月に1千万ドルを手にして、当選額は1993年以来、計4回2100万ドル(約19億円)に上る。AP通信によると、ある数学者は、1億円以上の大当たりを4回も出す確率は18シ(秭)(1シは10の24乗)分の1になると試算している。
 米メディアによると、世界で最も幸運な女性と呼ばれているのは、元大学教授のジョーン・ギンサーさん。
 その幸運だけでなく、質素な慈善家としても知られる。携帯電話を持たず、教会などに車や住宅を寄贈。現在はラスベガスに転居し、ひっそりと暮らしているという。

T:ところでさぁ。いちいち0の数を勘定するの、面倒でしょう?やってられないよね。

  便利な書き方があるんですよ。
Exp1
 こういうのね。指数表示だね。18と書いてから0を24個書けばいい。
 理科的には
Exp2_2
 こう書く方が普通だ。数の値の方は一桁にして、桁数を10の肩の数字で示す。
 一般的なことは抜きにして、この書き方、0が何個つくかを示しているわけだ。
 1.8と書いて、小数点以下の桁数が25になるように0を書いていけばいい。
  慣れれば難しいことはない。「桁数表示」と理解してしまえばいいんだ。
  書く時は指数表示で、読む時は「いってんはちかけるじゅうのにじゅうごじょう」でもいいし「じゅうはっし」でもいい。
  どっちでも理解できる方が便利かもね。

◆こんな展開になるかなぁ。
 ちょっと生徒に驚いてもらわなければね。生徒を驚かせる「仕掛け」をいつも作っていきましょう。
 生徒も、先生は今日はどんな仕掛けを仕掛けてくるのかな、と楽しみにするようになります。

◆本来の化学の話は「アボガドロ数」です。
「6000,0000,0000,0000,0000,0000」という数ですね。
「ろくせんがい」と読めることを知った上で、
T:「六千垓」。これは一体どういう数なのだろう?
T:この試験管の中には水分子が「六千垓」個入っているのだよ。
 と、試験管に入れた水18mLを振ってちゃぷちゃぷさせます。
 このあと、授業はアボガドロ数に入っていきます。

 こんなところでしたかね。

ヤマイモハムシ

0706_5yamaimohamusi 7月6日
ヨツスジヒメシンクイの動きに視線をとられて、見つけるのが後になったのですが、すぐそばのヤマノイモの葉の上にいたヤマイモハムシ。
名前と居場所がちゃんと一致しています。こういうことは結構珍しかったりしますね。
この写真でだいたいの特徴はとらえていると思いますが、写真としては、ちょっともの足りません。
こういう黒い、あるいは濃いルリ色の翅というのは、どうしてもくっきり写らないのです。
未熟者なのでした。

ヨツスジヒメシンクイ

0706_4yotusujihimesinkui 7月6日
勝手口のそばに今、ネットが張ってあって、アサガオとヤマノイモが競走しながら登っています。
その前に立って眺めていたら、視界の端をひらひらと小さなゴミのようなものが舞い落ちて行きました。虫が飛ぶ、という感じはなし。
なんだ?とみれば、過去に2,3回見たことのある「ガ」ですね。
4本の縞模様に見覚えがあります。
開長で言うべきなんでしょうが、勘弁してもらって、頭の先から翅の先端まで1cmないくらいの小さなガです。翅で飛ぶ、というより、羽ばたきながら落ちてきた、というのが実感でした。
鱗粉から、構造色の虹色が見えたりして、結構きれいですね。見直しました。
特徴的な縞模様が名前に入っていてヨツスジヒメシンクイです。

オンブバッタ

0706_2onbubatta1 7月6日
さて、ツマグロヒョウモンに誘われて行って、しばらくその撮影に夢中になっていましたが、それも終わり、そうだ、さっき見つけたオンブバッタはまだいるかな?
もういないかもなぁ、と戻ってみれば、いましたよ。
待ってたよ、とね。
後脚をぴったり体にくっつけていますので、なんだか脚が2対4本しかないようにみえる。
見事な保護色ですね。
0706_2onbubatta2
この写真の黒い矢印の先を見てください。
終齢幼虫ではないのですが、翅の芽があるようですね。

複眼の個眼は放射状に色々な方向を向いているのですが、そのなかで、ちょうどこちらを向いた個眼では、光が入って行って、それは情報として吸収されますので、光がかえってこない。そこで、その個眼は黒く見えるのですね。
そのため、あたかも複眼の中に「瞳」があるように見えるのです。
私たちの「瞳孔」とは異なるものなのですが、こちらを見つめる瞳のように見えますので「偽瞳孔」といいます。
カマキリなんかでもはっきり見えます。本当にこっちを見つめているみたいですね。
これが愛嬌のある顔を作ります。

ツマグロヒョウモンに誘われて

0706_1tumagurohyoumon1 7月6日
玄関を出て、すぐ。オンブバッタを見つけて見ていたら、目の前をツマグロヒョウモンが横切りました。
このごろ、こういう写真が増えましたね。
ボケて流れた写真ですが、「褄黒」であることはしっかり分かりますね。
で、足元にまとわりついたり、離れては近寄ってきたり。
こっち、こっち、と呼ぶように舞う。
ついて行ってしまいました。
すると、ランタナの花の脇、鉢をのせている木の台の上にとまりました。
0706_1tumagurohyoumon2
きれいでしょ。みごとですね。じっくり撮らせてくれました。3,4枚撮ったら、飛び去っていきました。緑色の葉っぱはイチゴです。

虫との交流の日々です。

写真撮って

0705_14rurimarunomihamusi 7月5日
白いキキョウや、ブドウの写真を撮っておりましたら、左腕がこそばゆい。
なんだ?とみれば黒い虫。
まるで、写真撮って、といわんばかり。
一枚パチリ、すると、さっさと飛び去って行ってしまった。
あまり鮮明ではないのですが、おそらくルリマルノミハムシだと思います。
後脚の感じがそう思わせる。
私の皮膚の産毛と比べていただければ大きさが分かります。
こういう日の私は「虫の居所が『いい』」というんでしょうね、上機嫌です。

ブドウ

0705_13budou 7月5日
いろいろ作っていらっしゃる方がいて。
ブドウもあります。

もし、ご自宅にブドウがあったら、ぜひワインづくりに挑戦してみてください。
(税務署に内緒で)
何のことはない、ガラス瓶の中で潰すだけです。
食べるにはちょっと酸っぱい、といのでも大丈夫です。
摘み取ったブドウは洗わないでください。洗うと表面についている天然の酵母が落ちてしまう。
ガラス瓶の中で、杓文字のようなもので潰して置いておくだけです。密栓はしないように。うまく発酵してくれた場合、二酸化炭素が発生しますので、密栓しておくと圧力が上がって危険です。ほこりが入らないよう、ショウジョウバエなどが入らないよう、晒やガーゼ、口が細ければ脱脂綿などで栓をして下さい。
巧く発酵すればよし、ダメでもともと。やってみるのも面白い。
アルコールの香りがするようになったら、晒で漉して舐めてみてください。
味については一切保証しかねます。

◆昔、食品化学と称していろいろ作ったのですが
さつまいもを蒸して、潰して、ドライイーストを混ぜてとろとろにして、40度くらいに保存したらアルコール臭がしてきたのですね。そのまま口にしたら、マズイったらない。
で、化学室ですから、蒸留器を組み立てて蒸留してみました。すごいにおいが立ち込めて、お酒の好きな同僚が、なんだよ、なにやってんだよ、と「闖入」してきまして、呑んでびっくり、こんな本格的なイモ焼酎を作ってるのかぁ、と全部飲んで行ってしまいました。とほほ。

小麦粉こねてうどんを作って茹でていたら、これはまた別の同僚が入ってきて、うどんはゆで加減が命、といってつまんで、いいねぇ、いいゆで加減だねぇ、芯が残ってるくらいが一番いいんだよね、と食べて行ってしまったこともありました。

楽しい授業の日々ではありましたことよ。

白いキキョウ

0705_11kikyou1 7月5日
先日は歩いて5分くらいのところで白いキキョウを見つけました。草丈の低いキキョウでしたので、かがみこまないと写真が撮れませんでした。
気づいたら、ご近所にも白いキキョウがありました。
こちらは草丈が高い。1mくらいあるかな。全く腰をかがめずに撮影できます。楽でいいなぁ。
0705_11kikyou2
やはり、オシベがメシベを包むような状態と、開いた状態とがあるんですね。
0705_11kikyou3
つぼみの姿もいいですね。
シンプルです。
花は白いのに、つぼみは少しだけ黄味がかっています。
ウィキペディアで面白い記述を見つけました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%82%AD%E3%83%A7%E3%82%A6

つぼみの状態では花びら同士が風船のようにぴたりとつながっている。そのため "balloon flower" という英名を持つ。

なるほど、風船にたとえましたか。おもしろいですね。

雌雄同花だが雄性先熟で、雄しべから花粉が出ているが雌しべの柱頭が閉じた雄花期、花粉が失活して柱頭が開き他の花の花粉を待ち受ける雌花期がある。花冠は広鐘形で五裂、径4-5cm、雄しべ・雌しべ・花びらはそれぞれ5 本である。

そうなんだ。私の観察もまんざらじゃないな。一つの花で雄花期と雌花期があるんですね。
ユニークですね。

季語では秋ですし、秋の七草にも登場するし、イメージとしては涼風が立った頃の花、という気もしますが、梅雨明け前の今から咲いていくのですね。

東京の梅雨明けはもうすぐだと思います。
強烈な日差しの日々が始まります。
みなさん、お体を大切に。

2010年7月15日 (木)

ゴーヤの花

0705_12goya4 7月5日
ゴーヤの雌花です。
雌花は花の後ろ、つまりメシベの根元の子房の下の部分なのでしょうが、もうミニ・ゴーヤなんですね。
花を前から見ると
0705_12goya3
やはり柱頭だけです。オシベは退化しているのでしょう。
花びらが落ちると
0705_12goya5
こうなるんですね。あとは成熟していくだけ。
では、雄花は?
0705_12goya1
黄色く、いかにもオシベ、というのがあります。すぐ分かりますよ。
ところで、花に虫がいる
拡大してみたら
0705_12goya2
アザミウマですね。(花と虫さんに教わって学びました。詳しい種名は不明です。)
普通に見る「昆虫」とはかなり異なった生活史を持つようですね。
この花をとってきて、じっくり観察・撮影したかったのですが、他所のお家の花ですので、それはできない。そのうち、我が家の花で再会できたら、じっくり観察してみたいものです。

ミニトマト

0705_10minitomato2 7月5日
ご近所の園芸好きのおうちのミニトマト。
実がなっています。
花はというと
0705_10minitomato1_2
これ。
なるほど、トマトはナス科です、と主張していますね。
目:ナス目 Solanales
科:ナス科 Solanaceae
属:ナス属 Solanum
種:トマト S. lycopersicum
立派なナスだ。

同じく、ナス科ナス属のイヌホオズキ Solanum nigrum L. の写真もお目にかけます。
0708_7inuhouzuki
花弁が白か黄色か、太いか細いか、という違いはありますが、なるほど仲間なんだ、ということが分かります。
こちらの方が、ナスの花とそっくりです。
この姿、一度覚えれば忘れませんね。
このイヌホオズキの葉が穴だらけ。ニジュウヤホシテントウのせいでしょう。
ミニトマトの方はご近所だけれど食われてません。きっとちゃんと対策をなさっている。
実を稔らせるには必要なことです。

ムラサキシキブ

0705_9murasakisikibu 7月5日
ムラサキシキブの花。メシベはもちろん一本で、オシベが4本のようですね。
とっても写真写りのいい花ですね。

ところで、また悩み始めてしまった。
これ、ムラサキシキブでいいですか?
コムラサキというのとは違いますか?
丈は1m弱。あまり高くないです。

両方を見たことがないので、分からなくなってしまった。
あぁ、わたしは「ふこう」だぁ。なやみおおきかかしです。

ニジュウヤホシテントウ

0705_7nijuuyahosi 7月5日
この写真を撮ったときは、「しあわせな時代」でした。
ニジュウヤホシなのか、オオニジュウヤホシなのか、まだ悩んでいませんでしたから。

0713nijyuyahosi 7月13日
イヌホウズキの葉で見つけてきました。
悩みが始まってしまった「ふしあわせな時代」の撮影です。
わっかんねぇなぁ。
胸部背面の模様を見ようとしているのですが、どうにも判然としない。
ああでもない、こうでもない、と写真を撮っているうちに
0713nijyuyahosi2
いいかげんにしろよぉ、狭いところへ閉じこめやがって、外へ出たいぞぉ。
と言い始めましたので、放してやりました。

もうこの際、耳をふさいで、ニジュウヤホシテントウだと呟くことにします。
間違ってますよ、ということが明白に見えましたらご連絡ください。

ホウズキカメムシの卵

0705_6houzukikamemusi 7月5日
ヤマノイモの葉で発見。
今年はこの卵がホウズキカメムシの卵だと分かるようになりました。賢くなったぞ。
卵がいっぱいある割には、成虫がものすごく増えたという感じはしません。
成虫までたどり着けるのはごくわずかなんですね。厳しい世界だ。
この卵から成虫になれるのは1匹いるかいないかなのでしょう。

キンカンの花

0705_5kinkan 7月5日
キンカンの白い花。
下にアリの姿も見えます。
今年は花がいっぱい。実もきっといっぱいなるでしょう。
木からもぎ取って、丸かじりにするのが大好きです。

ところで、このキンカンの木で、アゲハ「類」の幼虫2匹を発見して飼育中。
この2匹の色合いが違うんで、一方はクロアゲハだろうと思うのですが、もう一方はどうなんだろう、と注目しています。そのうち写真をアップしますが、齢が進めば判別できるのではないでしょうか。

クロアゲハ

0705_4kuroageha 7月5日
目の前をクロアゲハが横切っていきました。
とっさの一枚。写りましたねぇ。うれしい。
翅を下へ羽ばたき降ろした瞬間のようですね。体が上に出ていますから。

アゲハ、クロアゲハ、ナガサキアゲハ、アオスジアゲハなどが乱れ飛ぶ庭です。
すごいですね、この狭い庭にチョウ密度が高いなぁ。
ナツミカン、キンカン、クスノキたちのお陰です。

シャクトリムシ

0705_3syakutori1 7月5日
エニシダにシャクトリムシがいました。
大きくなっていましたので目立ちます。
0705_3syakutori2
なんというシャクガの幼虫か、私の知識では確定できません。
なんでもかんでも、ヨモギエダシャクといいたくなります。

エニシダ【金雀枝・金雀児】
(ラテン語のゲニスタ(genista)が転訛したスペイン語のイニエスタ(hiniesta)から) マメ科の落葉低木。南欧原産の観賞植物。高さ約1.5メートル。茎は深緑色で縦稜がある。5月頃、葉腋に黄金色の蝶形花をつけ、両縁に毛のある莢サヤを生ずる。紅斑のある花や白花などの園芸品種が多い。<季語:夏>[広辞苑第五版]

サッカーに全然興味がなとはいっても、ニュースは耳に入ります。
スペインの得点をあげたのが「イニエスタ」選手ではなかったですか?
もし彼が日本に移籍したら「エニシダ」選手、と呼んであげましょう。

ナガメ

0705_2nagame 7月5日
ナガメが飛び立つ直前です。
この後、翅を開いて飛んで行ってしまいました。
もうちょっとシャッターを切るタイミングが後ろにずれていれば、翅を開く瞬間とかが撮れたのですが、やり直しが効かないのが生き物の写真。
想像力でこのナガメを飛び立たせてやって下さい。

個性

新聞紙面上、歌壇と俳壇の間にあるエッセーです。太字・下線は私がつけました。

[うたをよむ]二人の師と個性の大切さ:今瀬剛一(7/11)
 昭和三十九年、私が二十八歳の夏であったと記憶している。恩師山口青邨のお宅を訪問したことがあった。先生はアニミズムそのものといいたくなるような優しい心の持ち主で、庭に迷いこんできた蟇(ひきがえる)さえ、大切に育てておられた。
 およそ四、五十分ほど室内で話をした後、先生は自ら下駄を履いて庭を案内して下さった。よく知られているように先生は庭を「雑草園」と呼んでいる。その日の庭は、その名に相応しく草が一面に茂っていて、歩くと足が露にぬれるほどであった。私は蟇のことを思い出して先生に「どこにいるのですか」、と聞いてみた。すると先生は即座に「きみの足元にいるよ」とおっしゃるのである。見ると、そこには子どもの顔ほどもある大きな蟇が私を見上げていた。それは不格好さには似合わない、いかにも穏やかな、人なつっこい表情をしていた。撫でてやりたいほどの可愛らしさを覚えた。
 後年、このことをもう一人の師である能村登四郎に話したことがあった。その時の登四郎先生の表情は何とも忘れられない。興味深げに身を乗り出して私の話を聞いていたが、聞き終わると顔を歪めて、それでも笑顔は崩さずに一言「いやだねえ」とおっしゃったのである。その表情は明らかに蟇を嫌いつつも、青邨先生ならそのくらいはやるよ、という一種独特の尊敬の念が感じられた。
 一木一草、それこそ蟇のような醜い対象まで愛してそこに命の存在を認めていた山口青邨先生、だからこそその作品は

 

こほろぎのこの一徹の貌を見よ

 にうかがえるように温かい眼差しに満ちている。一方、生涯いわゆる下手物を嫌い、美しいものを追求しつづけた能村登四郎先生。したがってその作品は

 

ゆつくりと光が通る牡丹の芽

 のように美しく、静かな輝きを湛えている。
 今、私は若い頃のこうした出来事を通して、俳句における個性の大切さをつくづく考えている。(俳人)

◆このブログの読者の方なら私が何を言おうとしているかは充分に察知なさっておられるでしょう。

「蟇さえ」。「さえ」という言葉には気をつけましょうね。気づかぬうちに、内心の差別感を露呈させてしまいます。
体の不自由な人でさえ頑張っているのだから、君たちは頑張れ。
こういう言い方、よくあるんですよ。

ヒキガエルって「不格好」ですか?また差別する。
ヒトって不格好じゃないんですか?
ヒキガエルの威厳ある姿にうたれたことはないんですか?

「撫でてやりたいほどの可愛らしささえ覚えた」ほら、またやった。本来、不格好で、愛らしさをおぼえてやることなど全く無用なのに、「可愛らしささえ」覚えてしまったんですね。
偉い方だ。

「それこそ蟇のような醜い対象」ねぇ。ひどすぎますねぇ。そういう感性は「醜い」ですよ。
おっと、これは、逆差別かな?
「みにくいヒキ」というレッテルでしかものを見ていない。貧しい感性ですねぇ。
レッテル抜きで、対象に迫ってみませんか?

「いわゆる下手物を嫌い、美しいものを追求」したんですか。
花は「美し」くって、ヒキやムシやヘビやゲジは「下手物」なんですね?
花を愛でる人はきっと「高尚」なんだ。
虫好きなんて「低劣」なんだな。
花が美しいことは認めてます。
でも「美」の範疇がすべて花で埋め尽くされているわけではありません。
虫も美しい。蛇も美しい。蟇も美しい。カビやキノコも美しい。菌の生きる姿だって美しい。
自分一人で「美」を独占しないでくださいな。

今瀬氏の「だからこそその作品は」「したがってその作品は」という、接続の誤りはまったくもって頂けません。

個性はどこででも大切なんです。個性のない「芸術」なんて存在しえますか?
型を大切にする「芸」においてだって、師匠の教える型に一端は完全にはまった上で、その先にあふれ出てくる「個性」が大事なのではないでしょうか?

底の浅い文章を読みました。哀しい。
ものに貼り付けたレッテルを恣意的に操作するだけの文章は、何も創造的な「意味」を産み出していません。

もっとも、ヒトの「言葉」というものがそもそも、対象に貼り付けたレッテルであって、そのレッテルを操作することで抽象的な思考が出来るようになったのではあるのですけれどね。

自然科学にかかわるものは、レッテルの意味を絞り込んで議論を明確にします。
詩人なら、レッテルが産み出す「意味の余剰」を重ねて、世界を構築します。
私が俳句に感じている最も強い抵抗感は、現在の俳句は芸術ではなく、芸事になっているのではないか、という点にあります。

束縛を解き放って、躍動する、しなやかな俳句が読みたいなぁ。

{いろいろなご意見があると思います。とても失礼な言説をお目にかけていることは充分に承知しています。わざと挑発的に書いています。読者の方の心のうちを「撹乱」したいのです。皆さまのそれぞれの場で、私の文章に対する「反応」「反撃」を表現なさってください。}

2010年7月14日 (水)

青大将

2010.7.11付 朝日俳壇より
脅すには小さき舌なる青大将:(下田市)森本幸平

ちょっと、注釈をつけておきたいのですが。
蛇が舌を出す動作は、決して興奮しているとか、威嚇している、という動作ではないはずです。
蛇にも鼻を経由する嗅覚はあるのですが、その他に、濡れた舌に空気中の「におい物質」をくっつけて、それを口の天井からヤコブソン器官というところへ送って匂いを感じているのです。
ですから、活動中の蛇は絶えず舌をちろちろ出し入れしているのがごく普通の状態なのです。

怒らせるとシューシュー音を出しますよ。いわゆる鎌首をもたげます。口を大きく開きます。首をSの字に曲げて引いて、飛びかかる姿勢もとります。アオダシヨウであってガラガラヘビじゃないのに、尻尾の先を振りますね。

こういうのが「脅す」動作なのです。
実は、以前、私の妻が幼いアオダイショウを捕虫網で捕まえてきた時に、これらの「威嚇行動」を全部見ました。見かけはマムシに擬態していますし、結構迫力があります。向こうだってヒトという巨大な生き物につかまってしまったのですから、命がけになっているのです。

アオダイショウとは相互不干渉でいきましょう。敬して遠ざく。
屋根裏のネズミ退治をお願いする生活じゃないし。
色素が作れなくなったアルビノという突然変異個体は「白蛇」としてうやまわれますね。

興奮させなければ、穏やかな蛇です。ご心配なく。

天を見て

2010.7.11付 朝日俳壇より
天を見て水を飲み込む蜥蜴かな:(小金井市)二瓶みち子

これはお見事。トカゲが水を飲む動作を完璧に表現しきった。
顔をあげて、喉をこくっと動かして、水が腹へ流れ落ちて行く。

この句の場合、「蜥蜴」が季語ではあるのですが、季節をそこに読みとる必要はないでしょう。
春先の暖かい日差しに現れた蜥蜴だっていいし、夏の暑いときに冷たい水を飲む蜥蜴だっていいでしょうし、秋の澄んだ日射しに残るぬくもりを感じてもかまわないし。季節を限定する必要はないと私は思うんですね。蜥蜴を詠んだのであって、この句は「無季」だと考えていいと思うのです。
その方が、句が豊かになる。

沢蟹

2010.7.11付 朝日俳壇より
沢蟹や吾は卑怯に背後から:(山梨県市川三郷町)笠井一郎

いえ、別に卑怯なんかじゃないですよ。「わざ」です。幼い頃に十分に遊びきった大人の「手に宿ったわざ」です。
知らない子は、正面から捕まえようとして、挟まれて痛い思いをする。痛い思いをしながら身につけるわざは忘れません。

後ろから撃つのは卑怯だ、なんて「シェーン」とか西部劇の世界じゃないんで。
子らに、すげぇ~なあ、と感嘆させるのがよろしいのです。

私の場合、カマキリを捕まえるのは巧いですよ。やっぱり「背後から」ね。

赤子泣く

2010.7.11付 朝日俳壇より
梅雨さ中赤子泣く声偉大なり:(多摩市)柳田主於美
 金子兜太 評:「偉大なり」とはよくぞ言い切った、と拍手。誇張のよろしさ。

私、これ、「誇張」とは全然とらえてないのですが。
大人たちが、梅雨だつゆだ、とイメージに負けてしまいそうな時に、乾いた陽性の大声を張り上げて泣く。それは命の力の告知であって、偉大さそのものでしょ。誇張なんかじゃないですよ。

かつて、親族の手術で、20時間近くも待合スペースで過ごしたことがある。
病院の待合所なんてのは、どう見たって「命の活性レベル」が低下した人が多い。
患者さんに比べて見舞いの人の発するエネルギーはすごいものだな、などと思っていました。
そのスペースの片隅で、お母さんが赤ちゃんのおむつを替えていた。突然に響きわたる赤ちゃんの大きな泣き声。たとえなんかではなく、そのコーナーから光がさしましたよ。待合所にいた人たちの表情が一瞬にして輝きましたよ。赤ちゃんの泣き声のひびく間、命のエネルギーが充満しましたよ。

赤ん坊と言うものは偉大なものなんです。
純粋に生きるというエネルギーを失ってきた大人のほうが、赤ちゃんに比べて矮小化してしまっているのです。
自覚したいものですね。

水中り

2010.7.11付 朝日俳壇より
見るも憂し我が中年の水中り:(船橋市)斉木直哉
 金子兜太 評:「見るも憂し」というこの自己嫌悪。

「水中り」は「みずあたり」ですよね。すると

みず‐あたり【水中り・水当り】ミヅ
飲み水が原因で病気になること。特に、なま水を飲んで下痢をすること。<季語:夏>[広辞苑第五版]

水にあたって、腹がげっそり、ですか。

なんとなく、「見る」という行為が、水あたりと結びつきにくいと感じるのは想像力不足かな。
「見る」という行為と「中年」と「憂し」とが合わさると、なんとなく「この中年太りの腹みたくないなぁ」と、げっそりする、という方にイメージが走ってしまいました。

水にあたって「腹に力が入らない」というようなことを表現するいい言葉はないかなぁ。

梅雨の蝶

2010.7.11付 朝日俳壇より
こころにも晴間のありて梅雨の蝶:(奈良市)吉田淳

先日は、モンシロチョウの大羽化がありましたし、今現在は、多分ナガサキアゲハの卵だろうというのの孵化を待っているし、クロアゲハやアゲハの幼虫だろうというのの飼育を開始したし、梅雨だろうがなんだろうがチョウたちの命は活動し続けているのです。
激しいものですよ、生きるということは。
梅雨だからってめげてはいられません。虫さんたちにおいてけぼりをくらってしまう。

蜘蛛の囲

2010.7.11付 朝日俳壇より
蜘蛛の囲のありかを明かし雨上がる:(熊本市)山澄陽子
 稲畑汀子 評:蜘蛛の囲の所在を雨粒がおしえてくれる。

申し訳ない。もうひとひねり欲しかった。
この「想」は既にかなり詠まれているはずです。私のような門外漢でも、読んだ記憶がある。

ただ、「蜘蛛の囲」を用いて、もう一つ新鮮さを工夫するのは辛いかもしれない。
「蜘蛛の囲」というレッテルではどのような網なのかが伝わらない。普通は円網ということになるでしょうね。
よく見る「棚網」とか、ヒメグモの乱れた網とか、そういうものを巧く見据えて捉えられるといい。

ヒメグモの光の粒を散らす網
棚網に水を湛えて雨上がり

下のページには、いろいろな網を作る「造網性のクモ」が紹介されています。
http://brookspider.hp.infoseek.co.jp/web-builder.htm

実体に迫れるといいですね。

蝸牛

2010.7.11付 朝日俳壇より
急がざる己を信じ蝸牛:(平戸市)辻美彌子
 稲畑汀子 評:ゆっくりと這っている蝸牛に心を寄せている作者。やがて蝸牛を自分に置きかえて共感を持つ。作者の悟りともみえる。

最初っから、カタツムリに思い入れしながら見ているんですよ。
そう、そうよね、急ぐことなんかないのよね、と内心自分に、ふっとカタツムリに、語りかけているのでしょう。

私なんぞはもう50年近くも前から、「私の辞書に『急ぐ』という言葉はない」と公言しているので、悟りとも何とも、ごく当たり前のことなんですけどね。

青信号は渡らない。って、お分かりになります?
渡っている途中で点滅が始まっても、私は急いだり走れない、だから、ひと信号やり過ごして、赤になるのを待ち、その赤が青になったら渡るんです。

電車は、降りる駅の階段に最も遠いところに乗る、ってご存知ですか?
階段に近いところのドアからは人がどっと流れだす。怖い。私を起点とする将棋倒しを起こしかねない。だから、急ぐ人たちが全部いってしまった後から、のんびりとぼとぼ行くのです。

いざとなったら走ればいい、と「急ぐこと」を自分に留保している人をみると、きつい言い方をすれば、残酷な人だと思ってしまいます。
私は急ぐことが出来ない。
待ち合わせには1時間前に行く。待つのは全く苦にしないが、待たせるのは激しい苦痛だ。
出勤は定時の1時間以上前、どんなことがあっても急がねばならないシーンに自分が陥らないようにという決意です。

私、悟ってます。

金魚売

2010.7.11付 朝日俳壇より
買はぬ子に囲まれもして金魚売:(志摩市)田島竹四
 稲畑汀子 評:夏の風物詩である金魚売を子供たちが興味を抱いて囲んでいる。さっぱり商売にならない金魚売の心中が察せられる。

ちぇ、子どもばかりでさっぱり商売にならないや、と心中ぼやいていると思いますか?
そうは思わないんだけどなぁ。
子らに囲まれることもこの商売のうちなんじゃないですか?
おじさんと言葉のやり取りするというようなことも、社会での大人との付き合い方の勉強になるし、おじさんの方は、いろいろ子をからかったり、うんちくを傾けてみせて、子らを驚かせたり。
そういうやり取りの中に、金魚売という商売は成立しているのではないですか?
金魚がほしい大人がさっとやってきて、買って、さっと帰る。それだけでいいんですか?

私などが子どものころは金魚売も来ましたが近年は全く見かけません。
金魚売を子が囲む、なんとゆったりした、おだやかでよい光景でしょう。
よい土地柄ですね。うらやましことです。

虹の橋

2010.7.11付 朝日俳壇より
工学部では習はざり虹の橋:(久留米市)田中淳也

そう、工学部ではあの雄大・壮大にして美しい虹の橋のかけ方は教えないでしょうね。
でも、「アーチ」の構造や力学、「楔石=キーストーン」の重要な意味とか、そういうのは習ったことでしょう。
虹には「楔石」はあるのかな?
虹の「楔石」を抜いたら、虹が崩壊したりして・・・
まあ、想像はいろいろ発展します。
面白い結びつきを教えていたきました。

◆ところで、虹について、ひょっとしたら「衝撃的」かもしれない事実をお知らせしましょう。
虹という一つの物体があって、それをみんなで眺めているわけではありません。
一つの山やビルディングを多数の人が見ている、という状況とは異なるのです。

ホースから散水して背後からの太陽光で虹を作ってみてください。
水を左右に振っても、虹の位置は変わりません。ですから、そこに虹があるように見えます。
ところが、水は動かさずに、頭を左右に移動させてみてください。
頭の移動に虹がついてきます。
ということは、二人で並んでホースの散水の先に出来る虹を眺めて「きれいだねぇ」と話しあったとして、二人が見ている虹は「別物」なんですね。
虹は観測者に付属する「現象」だからなのです。
虹は存在していません。虹はある「点」から観測される現象です。
虹は常に観測者の正面に存在します。虹は観測者それぞれに対してあらわれているのです。
最近「3D」と言うのがはやりですが、あれは「両眼視差」を利用しています。
一つの物体が、右目と左目で微妙に見え方が異なる、その視差を利用して脳が立体像として脳の中に像を構成するのですね。
虹についていえば、左右の目、それぞれに「真正面の虹」が見えていますので、「両眼視差」は生じません。
そこで、最近、立体画像の撮影できるカメラも出てきましたが、それを使わなくても、2台のカメラを適当に離して同時に虹に向かってシャッターを切りますね、これで普通の物体は立体画像として撮影できます。
虹をそうやって撮影して、右目用の画像を右目で見、左目用の画像を左目で見ても、立体感は生じないのです。視差がないからです。視差がないということは、脳としては無限に遠いところにあると判断せざるを得ません。

ある写真家が、飛行機から雲を、少し時間間隔を開けて撮影し、雲に対する視差を作りだして、雲を立体視できる写真集を作りました。
その中に、雲に写った飛行機の影を取り巻く丸い「虹」(ブロッケン現象かな)が写っていたのですね。早速買いこんできました。立体視しました。雲は立体的です。でも虹はどこにあるのかが分からないのです。実に妙な気分でした。見えているのに距離感はないのです。
私の考えが正しかったことを証明できた瞬間でした。

大空にかかる虹を、親しい仲の二人が肩を寄せ合って眺める。なんて、ロマンチックな光景ですが、実は二人はそれぞれ自分に属する虹を見ていた、なんて、ちょっと残酷かなぁ。
ここが「衝撃的かもしれない」といったポイントなのです。

人はそれぞれ「自分に属する虹」という現象を見ている。

亀鳴く

2010.7.11付 朝日俳壇より
聞かぬ間に亀鳴く季節過ぎにけり:(大村市)小谷一夫

亀はコミュニケーションとしての「鳴き声」は出さない、と考えます。
音を発することができる、ということは確かだろう、とも思います。

上掲の句は「亀鳴く」に春の情感を持たせようとしてはいません。
春の季語として使ったというよりも、もう夏になったことよ、という「夏」の方に重心をのせています。ですから、ある意味では「無季」の句に近いというべきかもしれません。
季語はレッテルだ、と私は考えるものですが、こういう「ズレ」を愉しむことはできるのですね。
新しい発見です。
おそらく、作者はそれほど真剣に「亀鳴く」の力に頼ってはいない。
ユニークな使い方をなされました。

亀鳴くと嘘をつきたる俳人よ     村上鬼城  「鬼城句集」

2010年7月13日 (火)

浴衣

2010.7.11付 朝日俳壇より
浴衣着て全身の皺のばしけり:(岡崎市)米津勇美
 大串章 評:糊の効いた浴衣は快い。体の皺まで伸びるようだ。「全身の皺のばしけり」が言い得て妙である。

全くもって野暮な感想。私、左足が不自由。左手で左膝上を押さえて室内を歩きます。和服でこれをやると、前が大っぴらにはだけてしまうのでダメ。
社会的な私は、左足に補装具という体重を支える道具をつけて行動します。補装具には靴が作りつけられています。和服に片足だけ革靴はいただけない。社会的な存在としても和服はダメ。
というわけで、和服というものを一度も来たことのない私です。

糊の効いた浴衣を着るというのは気持ちのよいものなのでしょうね。
皺を刻んだ肌には「コラーゲン」を塗って下さい。

◆化粧品に肌に塗るコラーゲンがありますが、あれは要するにしわしわの肌に糊を塗ることと全く同じでして、パリッとはするでしょう。でも、決して肌に浸透はしません。
食べるコラーゲンというのもありますが、コラーゲンはたんぱく質ですから、アミノ酸に分解して吸収します。そもそも、肌がしわしわになるというのは、コラーゲンを合成する能力が落ちて来たということですから、原料のアミノ酸をいくら食べたってムダなことです。
食べたコラーゲンが肌を内側から支えるなどということは100%ありませんので、ご承知置き下さい。

また皮肉屋かかしが出現してしまったなぁ。

明易し

2010.7.11付 朝日俳壇より
生きてゐる間のことぞ明易し:(茅ケ崎市)川村敏夫
 大串章 評:「明易し」も「暮早し」も生きていればこそ。日本の四季を大切に味わいながら生きていきたい。

夏至の頃、東京の日の出は4:25だったのですが、今日7月13日の日の出は4:35です。
もう10分も遅くなりました。
別に「日本の四季」とことさら、「日本」をつけることはないのだと思います。
夏至の頃には北半球では日の出が早い、地球的なことです。

日の出るといい、日の暮れるといい、日が経つといい、季節がうつろうといい、年を重ねるといい、時間の経過を味わうことができるのも生きていればこそ。
時の経過を身に刻むこと、それが生きることであり、老いることでもあります。
幼い人に比べれば、老いた身には時の経過の早いこと。
身に沁みますね。

アメンボ

2010.7.11付 朝日歌壇より
アメンボを押し上げ水の膨らめば雨燕低し紙の薄さに:(西条市)亀井克礼

困ったな。「押し上げ」という言葉からの連想で「膨らめば」とつながってしまったのでしょうか。
実はアメンボを支えるために、水はへこむのです。

Amenbo
ごく大雑把な図を描いてみました。
黒い丸がアメンボの脚のつもりです。脚には細かい毛がびっしり生えていて、それが水をはじきます。
軽いとはいえアメンボにも体重がありますので、重力がかかって、水面を押します。もし水面が押し返さなければアメンボは沈んでしまいます。
水面がアメンボを押し返す力はどのようにして生じるかというと表面張力なんですね。
水を弾く脚が紙面を押すと水面は凹みます、面積が増えます。水面は面積を可能な限り小さくしようと縮みますので、アメンボの脚に矢印のような力が加わります。この力の垂直成分がアメンボの体重を支えることになるのですね。(アメンボが浮いている水に洗剤を垂らすと、水面の表面張力が小さくなり、図の矢印が短くなり、したがって垂直成分も小さくなり、アメンボの体重を支えられなくなります。ということは・・・アメンボが浮いていられなくなって水に没するのですね。こんな実験しないでください。やりたかったら「針金アメンボ」をつくって実験して下さい。)
http://onogakuenblog.typepad.jp/rika/2007/12/11_22bb.html
ここに針金アメンボの実験が紹介されています。もし、夏休みの自由研究でもする必要のある年齢の家族がおられたら参考にどうぞ。

★ちょっと誤解があったようです。「膨らめば」ではなく「くぼめれば」というような方が科学的には正しいのですが・・・。

また、散文的なことを言ってしまった。ごめんなさい。

◆浮いているアメンボはどうして前進できるのか?
上の図のような状態で脚を蹴ると、水面に波が出来てそれを後ろに送って進むのではないか、という説もありました。
現在は、そうではなくて、実は、アメンボの脚の先端は水中に入っているというのですね。
で、その脚を蹴ると、渦が出来る。渦というものは、重さのある物体のようにみなすことが可能ですので、渦を作ってそれを後ろへ送り出すと、その反動で自分が進む、ある意味でロケットの推進と同じ原理だ、ということになっているようです。

◆アメンボのオスは水面を叩いて波を作り、その波でメスに自分の存在を知らせ、求愛行動をするようです。水面生活者の見事な知恵ですね。

かもめ

2010.7.11付 朝日歌壇より
かもめくれば豊漁なるらし漁師町鷗稲荷あり鷗湯もあり:(東京都)高須敏士

そう、かもめが海面すれすれに群れ飛ぶところには魚群がいる。近づけば海面がざわざわ波立っているのも見えますが、遠くからはかもめがそれを知らせてくれる。
漁師さんたちは魚群探知機のない時代から、そうやって魚の群れを探した。
かもめは魚群を知らせてくれるだけですが、あたかも、かもめが魚群を呼び寄せているようにも感じられたことでしょう。
荒くれることも多い海に生きる人たちの守護神でもあるのですね。
漁師さんというのは、気は荒いけど優しい人たちです。うつくしいかもめに相応しい。

ブブゼラ

2010.7.11付 朝日歌壇より
豆柿に小花震わすハチ群れて朝から庭にもブブゼラの音:(福島市)澤正宏

この歌、素直に、ハチの羽音をブブゼラの音にたとえたもの、と読んでいいんですよね。
朝、庭に出てハチが群れて熱心に授粉に励んでいるのを見ていたら、家の中のテレビからはワールドカップのブブゼラの音が庭にまで漏れてきた、と読みこまなくていいですよね。

素直に読ませてもらえば、ハチのあのブンブンいう羽音をブブゼラにたとえるというのはすごくかわいくていいたとえですね。超小型ブブゼラだ。思わず笑みが浮いてしまう。
時宜にかなった、まことにお見事な比喩をいい当てられましたね。

◆やっと終わりましたが。
左耳が騒音で難聴になってしまった私には、ブブゼラの音は暴力的です。
サッカーには一切関心がないので、中継とかは見ませんが、テレビのニュースは否応なしに流れて来る。
バックにああいう騒音が流れてしまうと、肝心のアナウンスがほとんど聞き取れないのです。
あきれました。ブブゼラにも、自分の耳にも。
騒音の中から目的の人の声を聴き分けるという能力を全く喪失しました。
もう十年の桁で喫茶店という場所に入ったことがないですが、バックグラウンドに音楽を流している環境では会話も出来ないということですね。そういえば、若い頃酒を飲みに入ったバーでも、ジュークボックスからとんでもない轟音の音楽が流れていたな。
もう耐えられない環境となりましたことよ。

静かな庭で、ハチのブブゼラに聞き入りましょう。
ハチのささやきは甘いゾ。

百円ショップ

2010.7.11付 朝日歌壇より
だんだんと足の弱りし母さんは百円ショップにタクシーで行く:(横浜市)滝妙子

最近、新聞の折り込み広告で「ネット・スーパー」の広告をよく見かけます。
今のところ、週2,3回、自分で車を出して、妻とスーパーへ買い物に行き、買い込んだものを車まで担いでくることはできます。
以前は、「駐車禁止除外指定」というのを発行してもらっていましたが、精度が変わったらしく今使っているのは「歩行困難者」という標章です。ついに歩行困難者になっちまったか、と苦笑いしながら、スーパーの前へ駐車しながらフロントに掲げています。

でも、妻と、いずれこういうネットスーパーのお世話になるようになるんだろうな、とは話しています。買うのはいいけど運べなくなりますものね、足腰弱れば。

百均へ安いものを買いに、タクシー代を払って行く。
冗談のようでいて、事は深刻です。
長く生きるのも考えものだなぁ。私なんか、普通の方よりずっと早く、本物の歩行困難者になることは明白な事実ですからね。

歌友

2010.7.11付 朝日歌壇より
水無月や蠑螈(いもり)・蛞蝓(なめくじ)・蟇(ひきがえる)・蚰蜒(げじげじ)・蜚蠊(ごきぶり)みなわが歌友:(町田市)遅沢真也

この歌も、色々の経緯がありまして、それを知ると意味がよくわかります。
作者は、皮肉をこめて歌っていらっしゃいます。相当に強烈です。

6月14日付の歌壇・俳壇欄のコラムに事は発します。
私の記事でご覧ください。
http://yamada-kuebiko.cocolog-nifty.com/blog/2010/06/post-f738.html
「奇麗な風」というタイトルで、私が文句を言っています。記事そのものは6月16日付で書いています。

次いで、6月21日付の朝日新聞・天声人語欄に「夏の長いたそがれ」という文章が載ります。(太字は筆者による)

夏の長いたそがれ
 お天気にもよりけりだが、この季節の黄昏(たそがれ)どきはずいぶん長い。夏至のきょう、東京だと4時25分に昇った太陽が7時ちょうどに沈む。〈夕刊のあとにゆふぐれ立葵(たちあおい)〉友岡子郷。日没までの長い明るさには、どこか夏らしい開放感がある。
 タチアオイは梅雨どきの花だ。今の時期、主役がアジサイなら、この花は気っぷのいい脇役の趣がある。茎はまっすぐ大人の胸ほどに伸び、下の方から薄紅や紫に咲き始める。日に日に咲き昇り、一番上が開くころ梅雨が明けるとされる。
 とはいえ、先はまだ長い。天気予報を眺めれば、青い傘マークが続いて、しばらくは素潜りで水の中をゆく気分だ。住宅街を歩くと湿気にのってクチナシの香が流れてくる。こちらは少し陰のある、美しき準主役といったところか。
 「六月は恵まれない月」だと俳人の今井千鶴子さんが小紙に寄せていた。まず祝祭休日がない。食べ物はいたむ。雨が続いて、歳時記を繰れば螻蛄(けら)・蛞蝓(なめくじ)・蚯蚓(みみず)・蛭(ひる)・蚰蜒(げじげじ)……など陰鬱(いんうつ)な生き物がずらり並ぶ、と。そう言うご自身、6月の生まれなのだそうだ。
 言われて眺め直すと、できれば遠慮したい生き物を表す漢字は、迫力満点だ。〈蛞蝓(なめくじ)といふ字どこやら動き出す〉後藤比奈夫。だが、やせ我慢して言えば、なかなか豪勢な生物多様性ぶりでもある。煙る雨の奥の、盛んな生命を思ってみる。
 黄昏どきに話を戻せば、「梅雨の夕晴れ」は美しい。雲で暗かった空が、夕刻に明るさを増すときなど、どこか浮き立つ風情がある。天も地も、ともに多彩な「水の月」である。

さらに続きがあって、7月4日付の天声人語にまた登場。

虫偏の生き物たち
 人は蛇を怖がるか、蜘蛛(くも)を怖がるか、どちらかだということを劇作家の故・木下順二さんが書いていた。脚のあるものとないもの、どちらが苦手か、という二分法だろう。ご自身は蛇なら平気だが、大きな蜘蛛を見ると総毛立ったらしい。
 「蜘蛛」という字を書いただけで、体がざわざわしたそうだ。思えば「虫偏」の漢字は不遇である。先の小欄で、蛞蝓(なめくじ)や蚯蚓(みみず)といった虫偏を並べたら、書きながら字づらの“迫力”にたじろがされた。だが、「虫たちも生きているんです」という優しい便りをいくつか頂戴(ちょうだい)した。
 「虫」の字はもともと、ヘビの象形なのだという。柔らかい篆書(てんしょ)体の字を見ると、なるほどヘビがくねる姿に似ている。爬虫類(はちゅうるい)を元祖に、両生類から昆虫、その他大勢も表して、虫偏は生き物の一大勢力をなす。
 ルナールの『博物誌』にも虫偏が色々登場する。蛇を天敵にする蛙(かえる)の項もある。「睡蓮(すいれん)の広い葉の上に、青銅の文鎮のようにかしこまっている」などと、あの神妙な思索顔を描いていて楽しい。
 だが近年、その蛙族の受難がよく伝えられる。開発や農薬に追われ、感染症にも脅かされている。先日は北九州市の川沿いで片脚のない蛙が大量に見つかった。
 原因は不明という。災いの発端が、ささいな異変として表れることもあるから気味が悪い。ありふれた虫偏の生き物たちが、当たり前に周りにいる尊さを、いま一度胸に刻みたい。〈小蟻(あり)どもあかき蚯蚓のなきがらを日に二尺ほど曳(ひ)きて日暮れぬ〉啄木。わが命につらなる、小さきものたちの営みである。

というわけでした。
今井氏も天声人語子も、私に言わせれば、物事に貼り付けられた「レッテル」でものを語っていますね。
実際に、レッテルの向こう側に「生きている命」を見ていない。
俳人といって、自然には親しく、細やかな観察眼をもっていらっしゃることになっている方が、レッテルで命を語ってはいけないなぁ。まあ、季語というのは最大級のレッテルではありますが。

こんな経緯を踏んだうえで、もう一回冒頭の歌をお読みください。
水無月や蠑螈(いもり)・蛞蝓(なめくじ)・蟇(ひきがえる)・蚰蜒(げじげじ)・蜚蠊(ごきぶり)みなわが歌友
おみごとでしょ。

今井さんは、イモリとヤモリは区別しておられるだろうか?ゲジゲジという語で、おそらく、ムカデ・ヤスデ・ゲジをいっしょくたにしてるのではないだろうか?と疑念をもつものです。

生き物をレッテルで見ないでください。生きる姿を見てください。

◆ところで、気になることがひとつ。
冒頭の歌の作者のお名前、「遅沢真也」氏。
私のが中学高校時代を送った学校の英語の先生に同姓同名の方がおられました。
10代中ごろだった私たちから20歳上として、今80代。ありうるよなぁ。
ひょっとしてこの歌、先生が意地を見せて下さっているのではないか、とすれば実にうれしいことだ、とそんな思いが頭をよぎります。

ゴキブリ

2010.7.11付 朝日歌壇より
旧約聖書を走り抜けたるゴキブリは上機嫌らし叩かれたるも:(川崎市)由家禎枝
 永田和宏 評:由家さん、六月六日の歌壇コラムを記憶している人ならニヤリとするだろう。

どういう話がこれまでにあったのかをお知りになりたい方は、私のブログの下の二つの記事をお読みください。
http://yamada-kuebiko.cocolog-nifty.com/blog/2010/05/post-ed73.html
http://yamada-kuebiko.cocolog-nifty.com/blog/2010/06/post-da8c.html

「訳語如何によらず聖書にゴキブリは登場しない。」というのが公式の見解です。
聖書に載っていないのなら、乗ってやろうじゃないか、と、きっぷのいいゴキちゃんですね。
できれば叩かないでくださいな、せっかく、歴史的な試みをしたんですから。
おれは聖書にのったゴキブリだ!とね。

あるいは、抽象的に行きますか?
旧約聖書にゴキブリの記載があるかどうか、話題になった(=走り抜けた)。
聖書協会まで巻きこんだ騒ぎになって、記載はないことが明らかになった(=叩かれた)けれど、ゴキブリ族としてはまことに満足であろう、と、解釈できないこともないかな。

2010.7.11付 朝日歌壇より
一湾がそっくり漁場であった頃故郷の鮫は烏賊くさかった:(横浜市)田口二千陸
 馬場あき子 評:漁場はどこだろう。鮫肉は美味だが、その解体場は餌になった烏賊のにおいに満ちていたことに一種の驚きがある。

サメなどの海産の軟骨魚類は、体液の浸透圧を保つために、尿素を血液中に保持します。
これが、サメやエイの肉の独特のにおいのもととなります。尿素自体は無臭ですが、ちょっとでも古くなると、分解されてアンモニア臭を発してしまうのですね。

歌は、鮫の肉に烏賊くささがあった、と歌っていませんか?
解体場がにおったと書いてあるのでしょうか?
解体場はいつも生臭い。
サメの肉も癖がなくなったとこだ、と詠んでいるように思えますが。
それは漁業の縮退でもある。と嘆じているように思いますが。

帰還

2010.7.11付 朝日歌壇より
帰還とは燃え尽きること「イトカワ」の砂を残して南の天空(そら)に:(東京都)倉地克次
 馬場あき子 評:「はやぶさ」帰還を詠んだ沢山の投稿歌の中から選んだ。上句に作者独特の人生観を反映したような言葉があってユニーク。

「明日のジョー」の「真っ白だ」の世代としては、はやぶさが「真っ白だ」と呟いたとしても、納得です。
選者の評はあんまり的を得ていない。
私が感情を移入するのは、「意志の持続」に対してです。
意志の完遂。
はやぶさも、そしてはやぶさの管制側も。
みごとでした。

朝日新聞の記者が撮影した写真は見事でした。
銀河を背景に燃える飛跡が写っている。
銀河、太陽系、地球、そしてはやぶさ。
一枚の中に、すべてが写っていました。

あたたかい

2010.7.11付 朝日歌壇より
「あたたかい会館」とある葬儀社の看板の前電車待ちおり:(和泉市)星田美紀

これから団塊の世代がこの業界の狙い目。あの手この手で、「ご利用ください」という広告も入ります。
あの葬儀社はよかった、次もあそこにしよう、とはいかないところがなんとなく可笑し味を感じる。
正直、はっきり言って、利用者本人はどうでもいいわけで、周囲の人の問題でしかない。なら、値引きセールでも狙ったほうがいいな。今なら格安50%引き!とかね。ついでに●●もおつけしてこの値段!お得です!
団塊の世代はそれより前の世代より葬送儀礼には冷淡だと感じます。
葬儀?どうでもいいじゃん。
墓?あんな狭苦しいところに閉じ込められたくねぇ。
法事?配偶者、子くらいの記憶に残ればいいのであって、法事なんかやめちまえ。

ある近くの葬儀社の広告に、体験会というのがありました。
どうやら、葬式の時の食事などの体験らしかったですが、てっきり、お棺の寝心地が体験できるのかと思いましたね、わたしは。
お棺は段ボールでいいですね。どうせ燃やしちゃうんだから。

人語

2010.7.11付 朝日歌壇より
名を呼べば人語の分かる猫とゐてきれいな風の吹き渡りけり:(三郷市)岡崎正宏
 永田和宏 評:人語の分かる猫とは猫好きの実感であろうが、面白く、しかも不思議に哀しい。下句、特に「きれいな風」が巧い。

猫は人語を解します。トウゼン。
新聞の上に座り込んで「腹で新聞を読む」のが好きです。
だからきっと朝日新聞の天声「人語」だって毎朝読んでいるに違いない。

ところで、我が家は昆虫たちにも親しく話しかけてしまう家族ですからね。
さすが、君たちは哺乳類、虫さんとは違うよね、というよな言葉を猫に話しかけたりもします。
2010年7月6日付朝日新聞より

枝から「ピョン」、サル大脱走 ボスザルまね次々…結局“帰宅” 京大霊長類研究所
 京都大学霊長類研究所(愛知県犬山市)で飼育されているニホンザル十数匹が、研究所から脱走した。サカキの枝の弾力を使い、高さ約5メートルのフェンスを飛び越えたらしい。捕獲されたり、帰ってきたりして5日昼までにすべて戻ったが、想定外の行動に研究者も驚いている。
(後略)

こんな記事を読むと、さっすがぁ、サルはすごい、これおじちゃんたちの仲間なんだぜ、と猫に話しかけたりね、これ我が家では日常茶飯事。
猫は個々にいろいろ凄い技を開発するんですがね、それを隣で見ていてあれ面白そうとかいって学習して自分のものにする、というようなことがない。
知識の伝達がないんですね。それに対して、ヒトを含むサル族は、知識の伝達ができるんです。
いやあ、サルはすごいぞ。

いのちいろいろ

2010.7.11付 朝日歌壇より
学校にいのちいろいろ集まれりヒマラヤ杉にからすのたまご:(館林市)阿部芳夫

今は、「学校は安全なところ」でなければなりませんからね。どうなのかな。
カラスの子育てを見守るゆとりが学校にあるのだろうか。
児童が木の下に行って騒いだりすると、子育て中で気の立っている親ガラスは攻撃しかねませんね。
カラスは大人と子ども、男性と女性などちゃんと見分けていて、子どもや女性には攻撃を仕掛けやすいのです。
児童が黙って静かに見守れるのならいいけれど、年齢的に「動物さんたちはみんな友達」みたいな世界に住んでいるかもしれません。精一杯の大声で呼びかけちゃったりしませんか?

子育て中の動物の親は子を守るために命がけになるんだよ、というようなことを、うまく教えながら見守れるといいですね。

本当は学校には「いろいろのいのち」が集まってほしいんです。でも、それが許されないんです。
スズメバチやチャドクガなどのように、実害があるものは駆除しなければならないですが、むやみやたらに殺虫剤散布などをするのですよね。
虫は怖い。
雑草はじゃまだから刈り取る。
これじゃあ、いのちもあつまれない。
草が茂り、そこに虫が増え、それを食べる鳥が来る。
小さくていいから生態系を作らなくっちゃ。
虫の嫌いな愛鳥家さんも多いしなぁ。
嫌いでもいいから、鳥さんのためには虫も必要なんだと理解はしてほしいなぁ。

ビオトープがはやります。生物多様性も叫ばれます。でも生態系を作るということは、ピラミッドを下から組み上げて行くことです。どうかその点にもご理解を賜りたいものです。

鳥だけかわいい、ではだめなんです。

{授業中にハエ一匹教室に紛れ込んでも、大騒ぎになってしまうんですよ。たまらんなぁ、勘弁してほしい。ハエは刺さないの。っ。相手を知って対処しようよね。}

卵割り

2010.7.11付 朝日歌壇より
腹に呑む卵割りしかゆさゆさと揺れる枝より蛇が落ちてくる:(岡山市)佐藤茂広
ブロック塀ゆっくり登る蝸牛内に紫陽花あるを知ってか:(熊本市)林田敏伸
 高野公彦 評:生き物が持つ独特な能力をえがく。呑んだ卵を割るために枝から落ちる蛇、また見えない紫陽花を感知して塀を登るカタツムリ。どちらも興味深い生態である。

一首目:普通、卵を呑み込んだアオダイショウは、自力で卵を割れるはずです。呑んだのはいいけれど割れなくってどうしようもない時に、体を落下させて卵を割ると聞いたことはあります。
文法を忘れてしまったのですが、「割りしか」という表現だと、もう割った後なんじゃないですか?
割ろうとして、だったら、「割らんか」とかいうような表現にならないかなぁ。
文法は頭の中から消えてしまった。

今ね「短歌の作り方、教えてください」という本を読み始めたところなんですよ。いえ、私は短歌を作る気はないのでして。悪しからず。
著者が「俵万智×一青窈」さんなんですね。私、一青さんの「言葉」にもう、溺れてしまいそうにファンなもので、買いこんできました。角川学芸出版、2010年5月20日、初版発行です。
出だしに文法議論があったりして。さすが国語の先生をなさっていた俵さんです。
これからのんびりゆっくりと、味わい読むことを楽しみに、少しずつ読みはじめました。

二首目:これはちょっと、人間的な思い入れが強いかな。
カタツムリとアジサイは雨の梅雨時に絶好の取り合わせですが、カタツムリがアジサイの香りを感知しているかどうか、かなり疑問に思います。
嗅覚はあると思うんですよ。
仲間であるナメクジは、外猫チャコちゃん用の食器に入り込んで舐めつくしていますからね。きっとキャットフードの匂いが分かるのでしょう。
ナメクジ・トラップにビールが使えるという話もありますしね。
でも、花の香りを求めて歩くとは、それはいくらなんでもと思うのですが、いかがでしょうか?

ニジュウヤホシテントウ

昨日、窓の内側を歩いていた「テントウムシ」の写真をアップして記事を書きました。
ニジュウヤホシテントウだろうということにしておきました。

下のサイトにこんな記述があります。
http://www.tenteki.org/kitamura/coleo/o28hosi/oo28hosi.htm

よく似た種類に、ニジュウヤホシテントウがいるが、オオニジュウヤホシテントウの斑紋の方が大きいことと、前胸背板(鞘翅の付け根と頭との間の部分)の斑紋の形 が、ニジュウヤホシテントウでは横に長い形をしているのに対し、オオニジュウヤホシテントウでは、縦に長い剣状をしていることで区別できる。

そうなのか、と思いつつ。
「剣状」と書かれても知ってる人は「あああれか」ですが、知らない人は「どんなのかな?」です。

http://kmitoh2.blogzine.jp/kmitoh2/08/index.html
このサイトの写真は別格。私なんざ赤んぼだ。
このページの下の方「2008年7月28日」に行って下さい。
オオニジュウヤホシテントウの写真があります。これを見ると「剣状」の意味が納得できます。

P7037060
前回の記事で使えなかった写真です。露出不足でくらい画像なんです。
ただ、前の記事の写真では毛が光ってしまっていたのが、少しは緩和されている。
で、普段はやらない「強い」画像処理をしてみました。そのため、画像が粗くなってしまいましたがご勘弁を。
この画像を眺めるに、剣状ではないような気がする。「横に長い形」かというとそれも自信がないけれど。

でもまぁ、一応、ニジュウヤホシテントウということで納めても大丈夫だろうと判断します。
今度、出会ったら、ちゃんとした写真をとろうと「決意」を新たにしております。

2010年7月12日 (月)

モンシロチョウ羽化:5

7月6日
この日は、妻が仕事に出かけていましたので、私一人。
まだ羽化していないモンシロチョウが4,5匹いましたが、昼ごろに見たらもう全員羽化して出たがっていました。動画はとれないかな、とコンパクトデジカメを動画モードに設定して右手に持ち、左手でケースのふたを開けたのですが、ダメ。
一瞬にして飛び広がっていってしまいました。撮影はできませんでした。残念。

さて、この日の昼の散歩。
キョウチクトウの葉の上で休むモンシロチョウ。
0706_9monsirotyou
ね、翅の色が黄色みを帯びていますね。
これがオスなのかメスなのか。どっちでしょう?

その後、モンシロチョウたちはだんだん拡がっていって、一時ほどの密度の高さはなくなりました。
でも、毎日それなりにモンシロチョウを見かけます。ああ、あれは家で羽化したやつかもしれないな、と思うと親近感がわきます。こういう感じって、しあわせですよ。

モンシロチョウ羽化:4

0705monsiro3 7月5日
10時過ぎに全部放して、ホッとして。
昼食後、いつものようにカメラを持って庭に出ると。
モンシロチョウ密度の高い中、交尾に出合いました。
チョウの交尾では、シジミチョウはよく見かけますね、ツマグロヒョウモンも見たことがあります。モンシロチョウはポピュラーな割に交尾を見たことはなかった。
なんだ、結局、モンシロチョウについて何にも知らなかったということですね。
翅の色合いが違います。
下の方が少し黄色みを帯びている。
紫外線で見れば雌雄の差は一目瞭然なのでしょうが、肉眼的にはよくわからない。
上の写真のカップル。どっちがメスなのか、わかったら教えて下さい。

ベランダでアブラナ科の植物を栽培するとモンシロチョウが来ますよ~。
ベランダでパセリやニンジンを栽培するとキアゲハが来ますよ~。

ぜひ、お試しを。
できれば食べさせる野菜はたっぷりお願いします。足りなくなってスーパーで野菜を買い足して与える時は、とにかくよく水で洗って下さい。農薬は最近はあまりないと思うのですが、鮮度保持のために光沢を与える薬品をかけていることがあります。これはチョウの幼虫には致命的。商品に頼らず飼育できるのが一番です。完全無農薬を保証してあげてくださいね、チョウさんたちに。

モンシロチョウ羽化:3

0705monsiro1_8 7月5日
第一波を放蝶して、1時間くらい後。9時過ぎ。
もう、庭の「モンシロチョウ密度」の高いのなんのって。どっち向いてもモンシロチョウ。
一目で5,6匹は見て取れる。
写真はカエデの木にとまっていたもの。
特徴的な触覚、目に現れる模様、などが見て取れます。
0705monsiro1_9
複眼を作る六角形の個眼の、六角形配列パターンが、眼の中と外で「ずれ」ることによって、大きな六角形の規則的な暗い部分のパターンを生じているのではないかと想像しています。

0705monsiro2_1
また1時間ほど経って、10時過ぎ。もう一つのケースでも羽化が終了したようです。
外でケースのふたを開けたらすごい勢いで飛び出していきました。
0705monsiro2_2
脱け殻が8個見えますね。
計、25匹くらい羽化しました。一日で。
これだけ見事に同期して羽化するとは思っていなかった。
参った。

妻と二人で「コマツナに翅が生えて飛んでったゾ」などと冗談を言って笑いあいました。
いやあ、ホント、すごかった。

アゲハ類に関しては飼育歴の長い夫婦ですが、図らずも今回、初めてのモンシロチョウ飼育を経験しました。
これだけの数が同期したのが驚きです。
アゲハ類は羽化してから体が乾燥して固まるのに時間がかかります。
また、もう出たいよ、といってからケースのふたを開けても、撮影するくらいの時間はとれます。出来事の進行が全体にゆっくりしている。
モンシロチョウはすごい。テンポが速い。追われますね。

6/23:コマツナに花が咲いてしまった
6/27:幼虫発見。コマツナは丸坊主になっていた。葉に穴が開いてるなと思った2日後。
6/29:ほぼ同期して蛹になりました。30日にはすべて蛹化。
7/ 4:最初の1匹、羽化
7/ 5:大量羽化
 翌、6日に残り5匹が羽化して、終了!

2週間の大騒ぎでした。
ほぼ全員が一挙に旅立って行って、ちょっと気が抜けてしまいました。

モンシロチョウ羽化:2

0705monsiro1_6 7月5日
ケースから飛び出したモンシロチョウが、妻の服にとまっています。くすぐったい。

0705monsiro1_5
ケースの底。
液体が見えますね。蛹便です。
薄く褐色がかっていますが、ほとんど無色。
コマツナを食べて、成長したのですから、こんなものでしょう。
スミレを食べて、真っ赤な蛹便をするツマグロヒョウモンが変わりものなんですね。

0705monsiro1_7
全部飛び去ったあと、ゆっくり撮影。
脱け殻が17見えますね。黒っぽいのは病気でしょうか羽化できなかったのが1匹いました。
これだけ一辺にでたのです。壮観としかいいようがない。
あれよあれよ、びっくりしたぁ、です。言葉がない。
みんな行ってしまって、なんだかふっと力が抜けた感じでした。

モンシロチョウ羽化:1

0705monsiro1_1 7月5日、朝7時40分過ぎ。
ふと気づくと、モンシロチョウが羽化しています。
昨日、先駆けて1匹羽化しましたから、一斉に羽化するだろうな、とは思っておりました。
上の写真はケースの外からの写真ですので少しかすんでいます。

0705monsiro1_2
斜め下から頑張って撮影。
いっぱい。鈴なり。

0705monsiro1_3
ケースを外へ持って行ってふたを開けるとこうです。
おとなしく残っていたのが7匹見えます。
脱け殻は12,3見えています。
あふれるように、爆発的に、飛び立って行きましたよ。

0705monsiro1_4
なんとか1匹だけ接近して撮影出来ました。
きれいですねぇ。細かい毛が生えていてふかふかしてますね。


ヤセバチか、ヒメバチか

0705_1hati1 7月5日
種類が特定できなくて。ヤセバチの仲間の可能性が高いように思うのですが、ハチも種類が多いからなぁ。ヒメバチの可能性もありなのかな。
ところで、体についている赤いものはダニです。
カブトムシなど飼育下できれいにしてやらないとダニがつく、とは聞いていました。我が家で子らがカブトやクワガタを飼育した時はそんなことにはしませんでした。
昆虫の写真のサイトで、たまに「赤いのは寄生するダニ」という写真を見かけますが、私自身は自然界でダニに寄生された昆虫を見るのは初めてです。
みごとに真っ赤ですね。
この写真をよく見るとダニの格好が見えますが、見やすいようにと大きな写真を載せます。
0705_1hati2
意外でした。脚で寄主にしがみついて口を刺す、と思っていたのですが、そうじゃないみたいですね。
脚はぶらんとしている。寄主に差し込んだ口だけで体を支えているように思えます。

どうやってこの空を飛べる行動的なハチに寄生するのでしょうね。
歩いて行って、脚をよじ登ってこの位置に到達したのか。
どこかにぶら下がっていて、ちょうど真下にこのハチが来た時にそれを察知して落下してくっついたのか。

哺乳類につくダニや、ヒルなどで、高いところにぶら下がっていて、下を通る哺乳類の出す汗の匂いなどを感じとって自ら落下してとりつくということがあるのは知っていますが、昆虫に対してはどうなのかなぁ。

不思議なものを見ました。

モンシロチョウ

0704monsirotyouuka1 7月4日
飼育ケースの中で羽化したモンシロチョウが一匹、パタパタしていました。
もう体が乾いたから外へ出たいよ~という行動です。
翅の先だけちょこっと撮影。
その後ふたを開けたら、弾けるように飛び立って行きました。
0704monsirotyouuka2
撮影している暇もない。一挙に飛び上がったので、その方向に向けてシャッターを一回切れただけ。かろうじて写っていました。

これが、今回のモンシロチョウ「大羽化」の先駆けです。「先駆者」だ。
「魁」という字もありますね。
{両親が秋田県生まれなもので「秋田魁新報」という新聞を昔から知っていて、「魁」という字は子供の頃から読めました、すごいでしょ。}

大羽化は7月5日、6日です。もうすぐそこに差し掛かります。

ヒメグモ

0704himegumo1 7月4日
ヒメグモの写真は今まで何回か載せました。
それは全部メスです。
体長が3mm程度に大きくなるのはメス。
今回、メスの巣にオスがやってきているのを見つけましたのでご紹介します。
下の矢印の先にメスがいるのは分かりやすいですが、上の矢印の先にオスがいます。
色が濃いオレンジ色。

0704himegumo2
写真を横倒しにして大きく見られるようにしました。
左がメス、右端にオスです。
メスの腹部の大きいこと、未受精卵を抱えているのでしょう。
オスは食べられずに交尾を果たせるか。

0704himegumo3
オスだけアップにしてみました。小さくて濃い色です。

ヒトのオスとしてはクモのオスに感情移入したくなります。

この先まだ何回かヒメグモをご紹介することになるでしょう。毎日巣を覗いていますから。

ヘラオオバコ

0704heraoobako 7月4日
毎週日曜日に行くプールの前。
もう終わりですね。花がずうっと咲き上がって行って、今頂上で咲いています。

2500km泳ぎました、というそのプール前です。
普通の方なら中年にさしかかって、健康維持にジョギングやウォーキングというところでしょうが、私の場合、左足が不自由で体がアンバランスですから、歩くこと自体の負担が大きくって、腰に来てしまいます。で、私にできるスポーツはというと水泳なんですね。そういうわけで、20年以上泳いでいるわけです。
夏は体長が上向きになります。冬場、体が怖くて、1000m~1500mくらいで止めていたのを、最近は1500m~1900mくらいまで伸ばしても、さして強い負担を感じません。夏は体が楽です。
体がアンバランスで、しかも肩に負担の大きいクロールで泳いでいますから、左右両方で呼吸をするというちょっと変則的な呼吸法。呼吸回数は減るのですが、深呼吸にします。こうすると、左右の方への負担が均等になって、肩の痛みを発しにくい。でも、やっぱり肩も痛いんですけどね、実際のところは。

桜の季節やなにやらで、プール前での写真を時々載せているうちは、かかしもなんとか元気でいますよ~という印です。

{内緒話:左脚の障害を『乗り超えて』腕で泳ぐクロールで日本縦断の距離を泳いだ障害者、って、すんげぇ、美談じゃありません?感動のあまり泣いてください!
何にも『乗り超えて』ないのにね。人は自分に出来ることをするだけです。}

ニジュウヤホシテントウ

0703nijyuuyahosi 7月3日
ニジュウヤホシテントウでいいと思うんですけどねぇ。
東日本ではオオニジュウヤホシテントウも多い、とのことで、悩んでしまった。
食卓のところの窓の内側を歩いていました。どこから入ったものやら。窓から入ったのでしょうけれど。(それっきゃないものなぁ)。ここにはナス科の植物はないよ、っと。
窓ガラスの波々が写り込んで、なんだか独特な雰囲気になりました。
全体として緑色がかっているのは、外のオーシャンブルーの緑のせいです。

我が家の周辺では、イヌホウズキやタマサンゴなどのナス科の植物がありますから、その辺で生きてもらっていいよ、と、外へ逃がしてやりました。

2010年7月 9日 (金)

オリヅルラン

0703oridururan1 7月3日
アガパンサスのそばにありました。
これもユリ科ですね。
0703oridururan2
ランの花の姿ではない。

学名は「Chlorophytum comosum」です。
「chloros(黄緑)」は、元素名「塩素=chlorine」と同じ語源。塩素は黄緑色の気体なのでこういう名前になりました。
「phyton(植物)」は「フィトンチッド」というような言葉を聞いたことがあるかもしれません。
森林浴などという状況でよく出てくる言葉ですね。本来は、植物が発する、殺虫成分です。
「homicide」「genocide」「insecticide」など調べてみれば「cide」の意味が分かります。
というわけで、オリヅルランの学名は「黄緑色の植物」なんですね。

この実、何の実?

0703mi 7月3日
かわいい実がいっぱいなのですが、何の実?
花を思い出せない。
このあたりで卯の花を見たはずですが、卯の花の実じゃないし。
脳みその記憶容量が減ってしまった。ここで、何見たんだっけ?

白いキキョウ

0703kikyou1 7月3日
六郷用水跡の水路に面したマンションの植え込み。
足元に白いキキョウが咲いていました。
ずいぶん草丈の低いままさく種類のようです。
この写真でもある程度分かるのですが、花の成熟に従って、オシベやメシベの様子が変わるようですね。
オシベは初めはぴったりメシベを包んでいるようですが、だんだん開きます。
0703kikyou3
メシベの方も先端部が変化するのかな
0703kikyou2
先端が開いた花もありました。

並んで普通に見かける紫のキキョウもありました。
0703kikyou4
見慣れた姿ですね。
0703kikyou5
やはりメシベ・オシベの様子が変わるようです。
完全に時系列に沿った変化を理解していません。
他所のお家ではあんまりしつこくカメラ構えて座りこんでいるわけにもいかないしなぁ。
ま、こんなところでしょう。

白くたおやかに、美しい桔梗です。

アガパンサス

0703agapansus1 7月3日
植え込みのアガパンサス。
去年か一昨年、名前が分からなくて時間をかけて探しましたっけ。
今年は名前はすっかり忘れていましたが、その「探した」という記憶が助けになって、すぐ見つかりました。検索って不思議なものですね。
紫君子蘭ともいうそうです。
でも、クンシランはヒガンバナ科。アガパンサスはユリ科です。
「季節の花300」から引用します。

Agapanthus, African lily, Lily of the Nile
Agapanthus(アガパンサス)はギリシャ語の
「agapa(愛らしい)+ anthos(花)」の組み合わせ。

なるほど。昔、中学生のころかな、「愛」には「アガペ」と「エロス」があって・・・
などと教わって、訳も分からず、そんなもんか、と覚えましたが。
その「アガペ」が出てきましたね。精神的な無償の愛、ですか。

アガペー【agapeギリシア】神の愛。神が罪人たる人間に対して一方的に恩寵を与える自己犠牲的な行為で、キリストの愛として新約聖書にあらわれた思想。[広辞苑第五版]

で、「アント」の方は、花の色素の話が出ると「アントシアニン」というような物質名が必ず出てきます。
そういう組み合わせだったとは知りませんでした。

0703agapansus2
大柄な花で結構目立ちますね。

チビドロバチ

0703_8hati 7月3日
桜桃の葉の上です。
小さくてかわいらしい雰囲気のハチです。8~9mmくらいですね。
調べてみたらチビドロバチのようです。
これでもスズメバチ科>ドロバチ亜科のハチです。
幼虫にはハモ(ム)グリガの幼虫をとらえて与えるそうです。
成虫は花の蜜などで活動のエネルギーを得ているようです。

葉の中に潜むガの幼虫を丹念に探しているのでしょう。

フウセンカズラ

0703_6huusenkazura 7月3日
今年のフウセンカズラの花の第1号。
まだつるで立ち上がってきていません。地面から30cmないくらいの低いところで咲いています。
これから伸びるのですね。小さな花ですが虫たちにはとても人気のある花で、いろいろな訪問客が見られるようになります。楽しみです。
ルコウソウもまだ草丈が低くて目立ちませんがこれから茂ってくると思います。
線路際の柵の常連、成長開始、というところです。

クサギカメムシ幼虫

0703_5kusagikamemusi 7月3日
イヌホウズキの青い実のところにクサギカメムシの幼虫がいました。
イヌホウズキではニジュウヤホシテントウとカメムシを見かけます。
実が熟せば黒くなるはずなのですが、なかなか完熟するところまでいかないようです。
トマトやナスを栽培するかたがにこういう虫たちを嫌うわけが分かります。
葉に細かい穴がいっぱいあけられています。これはテントウの方の仕業でしょう。
カメムシは実のあたりにいて「濃い」汁を吸っているのかな。

2010年7月 8日 (木)

アオスジアゲハ、オオシオカラトンボ

0703_1aosujiageha1 7月3日
玄関を出てちょっと池のそばへ。
私の右後ろの高いところから、前方の低い池の方へ、すごいスピードで視界を横切ったものがいる。
虚を衝かれた感じで、ナンダ?と気を取り直せば、アオスジアゲハ。
目の前を舞う。
ただひたすらカメラを振り回すだけです。
0703_1aosujiageha2
なんだかとんでもない写真ですね。
アオスジアゲハだということはお分かり頂けると思います。
何度か目の前を横切って舞い続け、やがてクスノキの葉の中へ飛び去って行きました。
恐らく産卵したのではないかな。
今年のアオスジアゲハの季節を告げに来たのでしょう。
今年もヨロシク、とメッセージを貰った気分です。
やっぱり、向こうから私に挨拶しに来てくれた、という気分が強いですね。

ところで、池の脇のナンテンの先端
0703_2oosiokara1
アオスジアゲハの舞いを見ている間も、ここにオオシオカラトンボがとまっていることは認識していました。
こいつがね
0703_2oosiokara2
オレもっ。
と、私の目の前を舞うんですね。参ったよな。
でもって、また、こういうとんでもない写真をものしてしまった。
わかります?写真左に、青い筋が一本あります。これがオオシオカラトンボの飛跡。

「写真」としてはお恥ずかしいものですが、私と虫たちの「交流」の一端であることは間違いがないので、お目にかける次第です。

「日々是虫日」
善い哉、善い哉。
「虫々善哉」の日々ではあります。

ネコハグモ、アリグモ

0702_5nekohagumo 7月2日
このところ幼体ばかりにであうネコハグモ。
久々に成体です。
ね、「ネコ」とはいっても、これでは「目が合った」ということにはなりませんね。
ネコハエトリとはまるで違う。

今日7月8日のこと
0708arigumo1
庭に出たら、足元に見えたのがこれ。
一見してアリグモだ、と思って立ったままワンショット。
腰をかがめる暇もなく、葉の陰に走り去りました。
上の写真が私の肉眼の実感に近い。
1mくらい上から、私がクモを「見た」。

で、パソコン画面で見たら
0708arigumo2
ナント。クモが私を「見ている」じゃないですか。

こうなると、ほら、ファンタジーでしょ。
あ、おじちゃんだ、コンニチハ。
といって挨拶して行ったのだ。とね。

アリグモもハエトリグモ科ですからね。徘徊性の狩人です。
なんだか「目が合う」気がしますでしょ。
かわいいや。

ゼニアオイ

0702_4zeniaoi1 7月2日
ゼニアオイは美しい花をずっと咲かせ続けてくれます。花粉まみれになる昆虫もいっぱい紹介しました。
ところで、実や種はどうなっているんだろう?
意外とちゃんと見ていないものですね。
上の写真が「実」だと思います。
左上は未熟なもの。下や右の方にぼやけているのが熟した実です。
十分に熟した実を一つ。
0702_4zeniaoi2
周りの付属物をとってしまうと、こうなります。
ひょっとして、この形を「穴開き銭」にみたてたのではないでしょうか。ふとそう思いました。
花はどうも「ゼニ」という風情じゃないしなぁ、なんで「銭葵」なんだろうと以前から思っていました。いかがでしょうか?
見ると、11の部分に分かれるようです。
0702_4zeniaoi3
二つに割ってみました。
更に一つ一つに分けると
0702_4zeniaoi4
こういうものです。
これが種なのかな。

種で生息範囲を拡大していくという感じがあまりしないのですが、でも、多分これが種です。
いっぱいあるのですが、どうやって遠くへ「行く」のでしょう?
引っ付き虫でもないし、羽があるでもない、果実を鳥に食べてもらうでもない、弾けるわけでもない。
さて、どのような戦略をもった種なのでしょうね。

ジョロウグモ

0702_3jorougumo 7月2日
多分同一個体を追っていると思います。
初めて見かけた小さな時から3回くらい網の位置を変えています。
ずいぶん大きくなりました。
去年、寒くなるまで見続けたジョロウグモのメスは交尾に失敗したように思われました。
この幼体は、どこかから、風に乗って飛んできたのでしょう。
子グモは軽い。糸一本が風を受ける力で空が飛べるんですよね。
歩かなくても、遠くへ、遠くへ、生息範囲を広げることができるのです。
生まれながらの冒険者。ぜひ我が家で繁殖に成功してほしいな、と見ています。

ムクゲ

0701_6mukuge 7月1日
ムクゲのつぼみが膨らんできました。
早いところではもう咲いているのを見かけます。
我が家のはのんびりやさん。

ゆっくりゆっくり。世の中に本当に急ぐべきことなんて、そうざらにあるものではない。

生きることを焦っても仕方ありません。
ゆっくり ゆっくり どうぞ。

カメムシの幼虫

0701_4kamemusi 7月1日
かわいいですねぇ。
丸い、目がつぶら。「赤ちゃん顔」とでもいうのでしょう。
あちこちで卵や幼虫を見かける割に、成虫はやはり少ないです。
100匹のうちの1匹くらいしか成虫になれない、という世界を生きているのですね。
つい、元気で大人になれよ、と声をかけたくなる私です。

アカボシゴマダラ

0701_3akabosigomadara1 7月1日
オニグルミの木のちょっと上の方にチョウがいました。
アゲハの仲間?
なんか違う。
ゴマダラチョウに似ている。
でもゴマダラチョウに赤い斑紋なんてあったっけ?
気になるなぁ。
望遠レンズに交換したいところですが、カメラバッグまで戻ったらおそらくいなくなる。
マクロレンズのままで撮影を続けました。
普通はファインダーに目をくっつけて、フォーカシング・ポイントを被写体にきちっとあてて、撮るのですが、こういうときは仕方ない。カメラを両手で持ち腕を思いっきり伸ばします。
手の先にあるカメラのファインダー内のフォーカシング・スポットを見ながら被写体に向けます。手ぶれもしやすいし、フォーカシング・スポットのずれも大きくなりがちですが仕方ない。
昔のフィルムカメラでいうと70mm相当の軽い望遠ですから、標準や広角よりはいいでしょう。
0701_3akabosigomadara2
葉っぱに隠れてしまった。これだけだと、ゴマダラチョウといってもおかしくないですね。

0701_3akabosigomadara3
やっと全体像が撮れた。
体や脚まで白黒模様なんですね。

0701_3akabosigomadara4
ギリギリこれが限界でした。
口が巻いているところが見えます。黄色いですね。
複眼に模様が現れているらしいのが見えます。

調べたところ、アカボシゴマダラでした。
虫ナビによりますと
http://mushinavi.com/

2001年頃から鎌倉市周辺で見られるようになった南方に生息するゴマダラチョウの仲間。
白黒の網目模様と赤い斑紋が綺麗な翅をしている。
分布域ではない鎌倉市から多数の目撃例があり、その後埼玉県でも見られるようになった。
ニュースでは鎌倉市方面のチョウマニアが放虫した可能性が高いとのことであった。

とのことです。
外来種というか、(意図的)移入種のようです。
決してほめられたことではありません。チョウは悪くないのです、ヒトがいけないのです。

チョウとしては大型できれいなチョウです。わくわくしますね。
初めて見ましたが、複雑な思いを残しました。

トゲアシクビボソハムシ

0701_2togeasikubibosohamusi 7月1日
この姿はハムシだ、というのは分かるんです。
ちゃんと撮ろうと思うんですが、やっかいな被写体です。
この色・艶がね。光ってしまってどうにもうまくない。
この写真でも、翅の後半部がどうなっているのか判然としないのですが、撮った中ではまぁ見られる方かな、とお目にかけます。
濃い藍色とか黒とかは難しいです。

カノコガ

0630_3kanokoga1 6月30日
居間のガラス戸にカノコガが止まっていました。庭の側から見つけたものです。
写真をとるんですが、どうもうまくない。
フラッシュをたいても、ガラス戸は光が中へ行ったきりですから、黒く写るんですね。
鱗粉からの反射光は青く輝いてきれいですが、なんだかくっきりしませんねぇ。
ただよいこともあって、翅の下面がガラス面に映っていますが、白い模様が見えますね。
実は、翅の白い模様の部分は半透明で光が透るんです。そのことがこの写真で分かります。

中にいた妻に、カーテン引いてと頼んだら
0630_3kanokoga2
こうなりました。
くっきりしましたね。
カノコガのメスでしょうか。

この後家の中に戻って、まだいるかな?腹側の写真は撮れるかな?と見たら、もういませんでした。ザンネン。

ところで、ウメエダシャクというガも翅の模様の雰囲気が似ています。
もし迷ったら、検索してみてください。

モンシロチョウ 蛹化

0629sirotyou1 6月29日
見てください。この蛹たち。
この写真の中で8匹いますかね。

6月27日にコマツナが丸坊主になっていて、ビックリ。幼虫は全部終齢でしたから、これはおそらく同期して蛹になるね、と話していたら、案の定。
6月29日で大部分、20匹以上が蛹になり、翌30日には全部蛹になっていました。
「シンクロナイズド蛹化」ですね。
卵を産んだのは1匹か2匹、同時に、ということでしょう。
0629sirotyou2
蛹と、幼虫時代の脱け殻。
きれいな蛹ですね。
0629sirotyou3
斜め後ろから。
中がうっすら透けています。
これから成虫の体を作らなければならない。
大事業ですね。脊椎動物の私達には想像もできないことです。
無事育って下さい。

おそらく、同期していっぺんにに羽化するんだろうなぁ、と妻と話しました。

0630_1monsirotyou
これは6月30日。
ランタナの花にモンシロチョウ。
君が今回の騒ぎの責任者かい?
ふん。

モッコクの花

0629_6mokkoku 6月29日
今年はモッコクの花がいっぱい咲きそうです。
去年はそれほど多くはなかったな。

0705_8mokkoku1 7月5日
一挙に咲きはじめました。
地味ですね。でも、いい香りがします。
つぼみの時間が長くて、地味な花を咲かせて、実がきれいですね。
もっ‐こく【木斛】モク

ツバキ科の常緑高木。暖地の海岸に自生、また、庭園にも栽培。高さ約6メートル。葉は厚く、光沢がある。夏、枝上に白色5弁の小花を開き、果実は球状、熟すと紅い種子を露出。材は櫛・床柱用、樹皮は褐色染料の原料。アカミノキ。漢名、厚皮香。「木斛の花」は<季語:夏> 。[広辞苑第五版]

ツバキ科ですね。我が家ではツバキと並んでいます。
変な話、チャドクガはつきませんね。ツバキとサザンカにはつくけれど。
0705_8mokkoku2
まことに、典型的な花の構造で、分かりやすくて助かります。
あまり蜜を吸う虫とかを見かけていませんが、花粉の媒介は誰がやっているのでしょうね。

オシロイバナ

0629_4osiroibana 6月29日
我が家のあたりでのオシロイバナの季節の到来を告げる蕾です。
この日以降、どんどん咲きはじめました。
ウィキペディアによりますと(太字は筆者による)

花は夕方開き、芳香がある。このため和名としてはユウゲショウ(夕化粧)とも呼ばれるが、この名はアカバナ科のものにも使われているので注意を要する。英語ではFour o'clock、中国語では洗澡花(風呂に入る時間から)、煮饭花(夕飯の時間から)などと呼ばれる。夜間に開き花筒が長いので口吻の長い大型の夜行性鱗翅目でなければ吸蜜は困難である。日本のオシロイバナでは主にスズメガが吸蜜し、送粉に関わっている。

4時半頃には店じまいしてしまう「案山子庵」ですから、ちゃんとその気にならないと、オシロイバナの写真は撮りにくい。朝の方がいいでしょうね、撮るなら。

面白い写真が取れたらまた載せます。

2010年7月 7日 (水)

トウキョウヒメハンミョウ

0629_3tokyohimehanmyou 6月29日
この「凶悪」な顔をですね、ちゃんと撮りたいと思ったのですが、なかなかに難しい。
動きが素早くてじっくり撮らせてくれないのですね。
1cm足らずの体ですが、うまく思ったところにピントが合わないのです。

0703tokyohimehanmyou 7月3日
顎のところにほぼピントの合った写真が撮れました。
ほんの何mmか奥の顔面の部分はボケています。
トリミングしただけで、全く縮小なしのサイズです。
凄い顎でしょ。枝分かれしています。交差して反対側に出ますね。
この顎を開いて獲物をくわえたら、これは逃げられないだろうなぁ。

0704tokyohimehanmyou 7月4日
外出しようとしたら、交尾に出合いました。
一眼レフをとりに戻る暇はない。コンパクトデジカメで3枚くらい撮ったところで逃げ去りました。その一枚。
トウキョウヒメハンミョウの交尾を見るのは初めてです。
このあと産卵でしょうが、成虫を見るのは今の一時期のみ。一年の大半を幼虫で過ごすのでしょうか。幼虫は地面に穴を掘って近づいたアリなどを捕食するそうですが、見たことがありません。
いや、これだけ我が家の庭に成虫が現れるのですから、幼虫は絶対いるのです。見つけられずにいるということですね。



トラフムシヒキ

0629_1torahumusihiki1 6月29日
玄関を出たら何かがぱっと飛びました。カメラを向けてパチ。
トラフムシヒキが何かを抱えて飛んで、網戸にとまるところが写っていました。
トラフムシヒキにとっては網戸は居心地が悪いらしく、すぐそばのトクサへ移動しました。
0629_1torahumusihiki2
驚かさないようにほとんど動かずに撮った写真。
このアングルでは何を抱えているのかあまり良く分かりません。
そぉ~っと回り込んでみると
0629_1torahumusihiki3
獲物の腹部が見えましたが、何だろう?
アブかな。
写真を撮られたことに気づいて、またひょいと飛んで、今度はそばの桜桃の葉の上に。
0629_1torahumusihiki5
獲物はやはりアブでしょうか。
この写真の頭部を拡大すると
0629_1torahumusihiki5_2
複眼まできれいに写っていました。
すごいもの見ちゃったなぁ。

虫を見たいという心理状態に自分を置いていますから、よく虫が見えるのですが、だからといって、見たいものを見ているわけではない。
何が目の前に現れてくるかは、まったく分からないのです。
出たとこ勝負。これを一期一会と改まっていいます。
毎日天気さえ良ければほぼ同じ時間に同じ場所を40~50分かけて歩くのですね。
時間・空間的な「定点観測」ですが、その一瞬、一瞬にいろんな昆虫たちがやってくる。
おもしろいというか、不思議な出会いの日々を楽しんでいます。

タマスダレ

0628tamasudare 6月28日
ピンクのタマスダレです。
白もいいのですが、ピンクはまた違う趣で可憐ですね。
ちょっと茎がひ弱で、下向きに咲いてしまったので、助け起こして写真を撮りました。
余分な指が入ってしまい、スミマセン。

オオシオカラトンボ

0628oosiokara1 6月28日
ナンテンの先端にとまっているオオシオカラトンボ。
この個体が、25日にあらわれた個体と同じかどうか、よくわかりません。
というのは
0628oosiokara2_2
こういう脱け殻を発見してしまったからです。
先日の個体はこの棒の隣の棒にいたのです。ですから、あの時この脱け殻があったら気づいていると思うのですよね。
今日の個体も、破魔矢の軸に止まったりもしています。
こののち、毎日、このあたりをテリトリーにして監視を続けているオオシオカラがいるのですが、それは今ここに写っている個体だと思います。
0628oosiokara3

ネコハグモ

0628nekohagumo 6月28日
おなじ「ネコ」でも、ネコハグモには全く交流感覚がありません。
クモ本体と向き合ったことはありません。
上の写真ではアリがかかったようですね。
徘徊性のクモは、造網性のクモと違って、相手を「目で見て」、自分の大きさや力との関係性の中で、餌として襲いかかれるかどうか、判断をしなければならない。そのあたりの「単独狩猟者」というようなところに魅かれるのかな。でも、ササグモはもっと精悍で、親しみの感覚はあまりわかないから、やっぱり私の思い入れなんですね。Nekohaetori

ネコハエトリ

0628nekohaetori1 6月28日
やっぱりネコハエトリって好きだなぁ。
悠然と被写体になってくれるのです。特にメスはね。
オスはピョンピョン跳ね消えますが。
0628nekohaetori2
で、この顔がいい。
なんか「賢者」という雰囲気が漂っていませんか。
気に入っています。
なんとなく「交流」感のつよいクモさんです。

梅雨激し

2010.7.5付 朝日俳壇より
梅雨激し口蹄疫も流さんか:(志布志市)冨山達次
 金子兜太 評:現地の人の苦渋の切情。

私自身は、この九州での大雨の報を聞いて、心を曇らせているのです。
せっかく撒いた、消毒剤・水酸化カルシウム、溶けて一体をアルカリ化する。生態系はどうなるのか。
殺処分をして埋めた場所。固く締めたわけではないでしょう。雨でどろどろになって、死体が腐って、どうなるのか。

激しい雨に、何もかも流し去ってほしい、という感覚は分かりますが、実際にはどうなのでしょう?
最悪なのではないか?
心配です。

寝太郎

2010.7.5付 朝日俳壇より
寝太郎と名づけし金魚よく育つ:(市川市)竹内空夫

なんだかとってもほほえましい。
この金魚、おおもの、だなぁ。悠然と生きて、世界を変えるかもしれない。

「山椒の小粒となるよりは、独活の大木となれ」

寝る子は育つ。慌ただしい社会ですが、ゆっくり寝ましょうね。

空蝉

2010.7.5付 朝日俳壇より
空蝉は草木に置けば安定す:(船橋市)笈川夜白
 金子兜太 評:まさに「草木」こそ。

詩的じゃないところが、やはり、かかし。
セミの幼虫は羽化の脱皮中体が安定するように場所を探し、脚を固定したのです。全体重をかけてそっくりかえっているのをご覧になったことがあるでしょう。あの時に、不安定に回転したり、落っこちたりしたら大変なのです。
その脱け殻をとってきて、机上に置いてください、必ず横倒しになるのですから。
「草木」の力ではないのですよ。セミの力なのですよ。
と、ここまで散文的になってはいかんのだろうなぁ。
やりすぎたか。

蚊を叩き

2010.7.5付 朝日俳壇より
耳遠き父となりしも蚊を叩き:(旭川市)大塚信太
 金子兜太 評:中七の「も」が複雑。耳が遠くなってもといった単純なことではない。

そうなんですか。
読み切れません。
「耳が遠くなっても」という単純なことの中に、父の来し方行く末の「時の流れ」が浮き上がってくる、という「複雑」さのような気もする。

2010年7月 6日 (火)

抜糸

2010.7.5付 朝日俳壇より
抜糸までこぎつけしこと髪洗ふ:(荒尾市)鶴田幾美
 稲畑汀子 評:手術を受けてようやく抜糸することが出来た。汗の髪を洗うことで病も一段落である。本復に向かう明るさが見える。

頭皮の脂で、髪がべっとりして、さぞ重かったことでしょう。やっと洗髪できて、頭が嘘のように軽くなり、心も共に軽くなった。
ここまでが長かった。でも、先の方に明るさが見えてきますね。心のありようが、体を建て直します。一歩ずつ。でも確実に。

なめくじり

2010.7.5付 朝日俳壇より
手の指にひらりと付きしなめくぢり:(福井市)西川一誠

この季節、出会うことが多いですね。「ひらり」という表現を見つけられたのはすごい。
私だったら、ペタ、ベチャ、ペチャなど、粘り気を感じさせる言葉をどうしても考えてしまう。
「ひらり」ということばによって、この句は、梅雨の湿度の高さをこえてみせましたね。おみごと。

最近は私も、覚悟を決めて、風呂場でナメちゃんを見つけた場合は、指にくっつけて下水のふたを開けて「追放!」しております。ひらりと行ってくれると楽なんだがなぁ。

子燕

2010.7.5付 朝日俳壇より
短夜の子燕一羽こぼれけり:(喜多方市)五十嵐信広
 長谷川櫂 評:夜のうちに子燕が一羽、巣から落ちた。ほんのささいなことながら、たちまち明ける短夜の尻尾をつかまえた。

長谷川氏の想像力はそこまでですか。
子燕が一羽巣から落ちた、それは「ほんのささいなこと」なんですか。
正直、がっかりというか、怒りを感じています。
大変な出来事でしょう。どうしよう、どうしよう。拾って巣に入れてやることは出来ないではないけれど、親燕がそれを善意と理解するかどうかは分からない。育雛放棄をしてしまわないだろうか。できれば親が自分で連れ戻せるのが一番いいのだけれど。どうしよう、と。
はらはら、どきどき。我が子の事故のごとくに心配したのではないですか?
だからこそ、短夜なんでしょ。

育児への共感を失っちゃあ、いけませんよ。

テスト

2010.7.5付 朝日歌壇より
中間テスト昇進試験子も我も平均点割り梅雨を迎える:(和泉市)長尾幹也

日本には大きな誤解がある。
学校のテストは本来「育てるための」テスト。昇進試験や入学試験は「落とすための」テスト。
全然性格が違うんだけどなぁ。
落とすためのテストにはトップからビリまでが必ず生じる。
育てるためのテストにはトップもビリもなくて、あるのは本当は励ましなんだけどなぁ。

得意な子もいれば苦手な子もいる。それはそれでいい。
でも、教師の努力って、みんながそれなりに分かるようにすることでしょ。
1から5を正規分布させることじゃないでしょ。
分布を「わかった」というほうに、偏らせることが教師の仕事でしょ。
1から5まで、対称に分布するなんて、教育努力の放棄ですよね。
わかってほしかったなぁ。

南ア

2010.7.5付 朝日歌壇より
「おかあさん、日本の旗を買ったよ」とメール一行南アの娘(こ)より:(ドイツ)西田リーバウ望東子
 馬場あき子 評:南アでサッカーを観戦する娘さんからの元気な声が伝わる。

それだけじゃないでしょう。お嬢さんは「日本」という国に縛られるような位置にはいらっしゃらないと思うのです。母親が日本人だということを意識して、母の国からのチームが来てるぞ、と日本の旗を買う。そこには「国旗」という意識はほとんどない。サッカーの応援グッズ。
人間どこでどう生きてもこの地球上のこと。構うことなんかなにもない。
国を超えて生活する人が増えて、国境なんか易々と越えてしまえるようになりますように。

野良猫百匹

2010.7.5付 朝日歌壇より
百人と野良猫百匹の住む島に浜豌豆の紫花咲き誇る:(石巻市)須藤徹郎
 馬場あき子 評:何という島だろう。百人と百匹、註によれば子供は一人もいないという。浜豌豆の紫花がいい。

この島は、宮城県石巻市の田代島といいます。

[何の数字 春の行楽編]1230人 (2010年4月23日 朝日新聞)
 宮城県石巻市の田代島を昨年5月に訪れた観光客。蚕の天敵のネズミ対策として飼われてきたネコの数が97人の人口を上回り、猫神社もある。犬を連れ込むのは禁止。

面積約3平方km。周囲約11kmの島です。
漫画と猫で観光振興を図っているようです。
漫画家のちばてつやさん、里中満智子さんがデザインした猫型ロッジで宿泊もできるとか、3年ほど前の紹介記事もありました。

歌壇担当の記者が選者に知らせてあげればいいのにね。
猫好きでないとこの島のこと知らないのかな。

フラスコ

2010.7.5付 朝日歌壇より
フラスコを見詰める時の真顔して夫は朝々コーヒー入れる:(久慈市)三船武子

コーヒー、紅茶、緑茶。凝り始めると奥が深いからなぁ。
真顔になるだろうなぁ。

私は3時前にコーヒーを飲むのですが、いい加減なんだなぁ。
断熱容器に粉と沸騰したお湯を入れ、適当にお湯に浸した後、ろ紙で漉します。
ちょうどよいのが「いい」加減ですから。
自分の飲み物は自分で淹れる、という原則はありますけれど。

緑茶も茶がらを出すのは面倒だ、コーヒーミルで粉に挽いて、お湯を注いで葉っぱごと飲んじゃうし。
紅茶もちゃんと煮えた方が渋くてうまい、と思っているし。
化学系の人間なんですけれど、真顔で真剣にいい加減をやっています。

原油まみれ

2010.7.5付 朝日歌壇より
石油系の洗剤がよきと若者が原油まみれのペリカンを洗ふ:(神奈川県)加藤三春

皮肉なことですね。
ぎりぎりのところでは、脂肪酸ナトリウムの「せっけん」より、アルキルベンゼンスルホン酸ナトリウムのような、強酸の塩である中性洗剤の方がやはり洗浄力は優れているということなんです。
海水と原油ですからね。せっけんでは役に立たないのです。

メキシコ湾全体の生態系がどうなってしまうのか、心配しています。

微妙な距離

2010.7.5付 朝日歌壇より
がらがらの席に微妙な距離を置き君と揺れいし近江鉄道:(日南市)稲田博美

混んでいればね、ぴたっとくっついてもいいのですけれどね。
すいているものだから、そこで密着するのは気が引ける、でもそばにいたい。

電車での人間観察は面白い。
恋人同士の密着と、夫婦の接触と、違うんだなあ、これが。
すぐ分かります。
くっつきたいとかなんとかいうより、くっついていてそのことが空気のようになっている。そういう密着と、とにかくくっつきたい密着と。

若いんですから、いいんですよ、くっついていて。
男女二人並んで座っていてそれぞれがケータイやっているよりずっと自然でいい。

介護

2010.7.5付 朝日歌壇より
こういっちゃ何ですけれどもされるほうも大変なんです介護というのは:(越谷市)内山豊子
 永田和宏 評:軽くひょうけた言い方ながら介護される側の苦しさもわかってほしいと。

いやもっともっと、介護される側のことばをたくさん発するべきなんです。

障害者が自分の言葉を発するようになって、やっと、障害者の世界が見えてきたと思うんですよ。
外からの思い込みの多い、推測の言葉で語ってはいけないのです。
その現場にあるものの言葉で、ありのままを語ることが一番大事なんです。
介護される現場にあって、自分の言葉を語れる方々、いろいろお世話してもらっているのに、文句のようなことを言っては申し訳ないなどと思わずに、どんどん発言なさってください。
それが理解の第一歩です。
表現されないことは伝わらない。以心伝心は個人的なレベルにとどめましょう。
伝えるためには表現しましょう。

はやぶさ

2010.7.5付 朝日歌壇より
はやぶさの燃え尽きてゆく光跡のこの哀しさは何処より来る:(さくら市)大場公史
 永田和宏 評:「はやぶさ」の歌は多く寄せられたが、同じような感想が多かった。大場氏は自身の感情の内側を覗くような微妙な視線が良かった。

「はやぶさ」にひたむきな意志を持つ者、その意志を貫徹する者を投影して、感情移入してしまいました。私は意志を尊ぶ者です。そのあたりに「ともふるえ=共振」をしてしまうのです。
また、太陽系スケールの「孤独」に耐える者でもありました。

最後に地球の姿を写真に撮らせた管制官の方々の思い入れにも心震えました。

いろいろな写真が報道されましたが、個人的には朝日新聞の写真が好きでした。
銀河を背景に流れる光跡。見事な構成でした。

くらげ

2010.7.5付 朝日歌壇より
ふわふわでもぽあんぽわでもなく砂にずしりとめり込み死にゆくくらげ:(和泉市)星田美紀

「ふわふわ」も「ぽあんぽわ」も、空気の泡で膨らんで軟らかいものの感触かと思います。
くらげは、体の大部分が水。軟らかいけれど、水が詰まっていますので「ずしり」です。ある意味では「張っている」。
そのあたりが、うまく表現されているのだなぁ、と感心しました。

扱い難き

2010.7.5付 朝日歌壇より
パソコン、夫扱い難きを皆が言う歌詠み主婦のコーヒータイム:(男鹿市)天野美奈子

まあ、いうこともなし。
初期の時代のパソコンからなじんできた、扱いにくい夫ですから。
ま、適当に使いこなせればいいということですよ。どっちも。

蝶が過ぐ

2010.7.5付 朝日歌壇より
うしろより影がとびこえ蝶が過ぐ白一色の真昼の都会:(長野県)沓掛喜久男
 高野公彦 評:静かで無機質な都市風景だが、郷愁を誘うところがある。

とはいえ、チョウが飛ぶからには比較的近くに花が咲いています。
さらに、比較的近くに、幼虫の食草となる植物があります。
都会には自然がない、というのはかなりの部分、思い込み。
そして都会は無機質だ、というのもかなりの部分、思い込み。
一匹のチョウから、都会に潜む思いがけない自然の風景が開けてくるかもしれませんよ。

アメンボ

2010.7.5付 朝日歌壇より
菜園に作りし夫のミニ稲田五日目に早やアメンボ棲めり:(鹿沼市)石島佳子

水生昆虫ということで、ついうっかりしがちなのですが、アメンボは翅があって飛べるんですね。ですから、水のある場所に飛んできます。また飛び去ることもあります。

トンボなどは上空を飛んでいて、水面のきらめきを見つけて産卵に降りてきたりします。
我が家の小さな池にトンボがやってくるのもそのようにしてでしょう。
アメンボがどうやって水面を見つけるのか詳細は知りませんが、水があるといろいろな昆虫を呼び寄せてくれます。面白いですよ。
小さな稲田の小さな生態系、大切に楽しんでください。

我が家の池には大きなアメンボは1回訪れてくれただけです。
ちいさな、2mmもない、カタビロアメンボというのがよく水面を走っています。
風に飛ぶ水面のごみみたいで、注意してみないと分かりません。

溶接

2010.7.5日付 朝日歌壇より
溶接の火は暴れ者制御する白ヘルメットじっと動かず:(岐阜市)後藤進

工業高校に11年いましたから、機械科の実習なども見学させてもらいました。
私自身は大電流によるスポット溶接しか経験がありません。
アセチレン溶接などはやったことがない。
「火」が暴れ者、というよりは、「火花」が暴れ者なのだという気がします。
飛び散る火花がはねかかってくるのですが、そんなものにたじろいではいられない。
今、鉄が溶けている、そのポイントに集中して溶接しないと、きれいにつかないのです。
私自身はガラス細工にはそれなりの経験がありますから、ある程度は分かる。
焦ると、軟らかくなってしまったところが更にぐちゃぐちゃに乱れてしまうのです。
火の粉を浴びながら、じっと集中して美しい溶接が出来上がると気分のよいものでしょう。

アーク溶接の方がもっと派手に火花が散りますね。それに気をとられては仕事になりません。

残る雪

2010.7.5付 朝日歌壇より
新緑の山の間に残る雪七十過ぎの祖母となげ合う:(狛江市)伊藤想可
 佐佐木幸綱 評:映画の一コマのような映像が楽しい。作者は十九歳。

確かに映像的ではあります。
ただ、おばあちゃんと孫ではあるものの、作者は十九歳、ただ単純におばあちゃんと遊んで楽しい、とだけ思っているのではないでしょう。
おばあちゃんが元気でこうやって一緒に遊べる時間は、そう長くはない、そして自分自身これから社会に出て行くと、こういう時間をとることも出来なくなってくる。
思い出を、今、刻んでおこう、というような、ある種の「時間への哀しみ」を感じます。

こっちはむしろ、遊んでもらう「じいちゃん」の側なのでそう思うのかな。

モンシロチョウ幼虫2

0628monsiro3 6月28日
モンシロチョウって、成虫はよく見ますが、意外と幼虫を見たことがない。
嬉しくなってしまった。
もっと、いわゆる「イモムシ」的なのかと思っていました。結構細かい毛が生えている。
気門が見えています。
更に、側単眼も写りました。
黒くちゃんと見えているのは3つですが、もう少しあるのではないかな。
かわいいですねぇ。

0628monsiro4
背中からのショット。ここでは左が頭です。
体の中心線を走っているのが背脈管ですね。
人間でいえば心臓です。体液を吸いこんで体の前方へ噴出させています。
開放血管系というやつですね。
見ていると、脈打つのが見えますよ。
なるほど脈打っている、と納得できます。
もし、体が半透明なイモムシ型の幼虫を見たら、ぜひ背なかを観察して下さい。
「ぼくらはみんないきている♪」なんです。心臓が脈打っているんです。
感動することを請け合います。

モンシロチョウ幼虫1

0628komatuna 6月28日
プランターに植えたコマツナ。
雨戸を閉めようとして目の前。ビックリ。丸坊主。
大慌てで妻に伝えて見てもらいました。
妻が言うには、2日前くらいには、葉っぱに小さな穴が少しあいていたので、だれかかじってるな、とは思っていたのだそうです。
なんと!あっという間に丸坊主!
すごいですねぇ。みればモンシロチョウの幼虫が20匹以上。全部終齢。
プラスチックの飼育ケース二つに、10匹以上ずつ入れてやりました。
0628monsiro1
これが終齢幼虫
右にウンチも写っています。さすが終齢幼虫のウンチは立派。
この食欲だものなぁ、コマツナなんかあっさり食べ尽くしてしまった。
0628monsiro2
側面から見ると黄色い小さな斑点があるんですね。
この写真では右が頭です。

写真のサイズから、いったんここで切りますが、結論だけ先に言ってしまうと、7月5日、一斉に羽化して、無慮、20数匹のモンシロチョウが旅立ったのです。
コマツナに翅が生えたようなものですねぇ。

キタヒメヒラタアブ

0628kitahimehirataabu 6月28日
何度もご紹介していると思います。
普通に見かけるハナアブの仲間としては一番小さいと思います。1cmないですね。8mmくらい?
とってもかわいいので、嬉しくなるんですね。で、多分この写真はメスでしょう。腹部が少し膨らんでいる。オスはもっと棒というか筒というか、まっすぐな感じです。
小さいけれど、みごとなホバリングなど見せてくれるんですよ。
美しいでしょ。

ヒメグモ

0628himegumo1 6月28日
ヒメグモを眺めていました。
小さな隠れ家の下にいるヒメグモ。

0628himegumo2
獲物を糸でぐるぐる巻きにしてから食事中のヒメグモ。

0628himegumoyu
妙なものを見ました。
ヒメグモの巣にどうもユウレイグモが引っかかっている。
ここがヒメグモの巣であることは間違いないのです。
そこにユウレイグモがいる、ということは、引っかかったのでしょうねぇ。
でこのユウレイグモ、体を激しく振っているのです。これはユウレイグモの習性。危険を感じると激しく体を振るんです。
引っかかってしまったので、激しく体を揺らしてヒメグモを脅かしているのか?
かなりの時間見ていましたが、ヒメグモも現れないし、ユウレイグモは揺れ続けているし、その場を離れました。
翌日、ユウレイグモはいませんでした。脱出できたのか?
ヒメグモも見かけなくなってしまった。
何日かしてこの場所にヒメグモが姿を現したのですが、もともとの巣の持ち主なのか、新しくやってきたのかはわかりません。

いろいろなことが起こるものです。

ヒゲナガカメムシ幼虫

0628higenagakamemusi1 6月28日
ネコジャラシの穂にヒゲナガカメムシの幼虫がいました。
例のポパイのような腕のカメムシの幼虫です。
0628higenagakamemusi2
なかなか全身を写すことが難しいですが、おおよそこんな姿です。
まだポパイになっていません。
ネコジャラシの穂と比べて大きさを想像して下さい。

トウキョウヒメハンミョウ

0628hanmyou1 6月28日
トウキョウヒメハンミョウの今年の初見です。
ある日一斉にわっと出現しますね。で、足元をばしばし飛び回る。
大あごですがね、白く見えているもの。
0628hanmyou2
うまくものすごい大あごを撮りたいのですが、なかなか。
1cm足らずの小さな昆虫で、敏捷なのです。どこにピントが合ったのかのんびり構えている暇はない。たまたま顎のところにピントが合うのを期待して撮りまくるのですが、なかなか。
まだ、トライします。

この大あごで生きた獲物を捕らえる、肉食性の昆虫。
幼虫も地面に穴を掘って、アリなどを捕まえるといいます。見たことはないのですが。
短い期間、猛烈に走り飛び回る昆虫です。

ブッドレア

0628buddleja 6月28日
ブッドレアがもうすぐ咲くぞ、というところ。

0629_7buddleja 6月29日
咲き始めたぞ

0630_4buddleja 6月30日
8分くらい咲きましたね。
後はもう、次々と満開になっていきました。
チョウたちの「おやすみどころ」になってくれることを期待しているのですが。
どうかな。

2010年7月 5日 (月)

キョウチクトウ

0626kyoutikutou1 6月26日
キョウチクトウの花は崩れやすい。
気づくと崩れてしまっていて、なかなかシャキっとした姿を捉えにくい花ですね。
0626kyoutikutou2
いまだによく分かっていないのですが、真ん中のねじれたような姿のものがメシベですよね。
その周りを板状にカップ状に囲んでいるのがオシベですよね。でも、葯がない。
花の構造が今一つ、すっきり理解できていません。

キアシブトコバチ

0626kiasibutokobati 6月26日
キアシブトコバチです。
見かけるのは2,3回目。
後脚が太い。これでわかります。
小さいです。5mm強でしょうか。
寄生性のハチです。
すばしこく動くのでなかなかシャッターチャンスの少ないハチです。

踏切にて

0626humikiri 6月26日
これはヒゲコガネと出会った日の本屋からの帰り。
踏切を渡りながら、ふと、低い位置にこんなものを見かけました。
東急電鉄では、ホームの傾斜のために車椅子が落ちて事故になったことがあるので、「ホームに傾斜があることがあります。注意してください」というような内容の注意表示が掲げられるようになりました。それはまあ、仕方のないことかな、と思いますが。
踏切で、「溝がある」から注意して下さいというのは、なんだかやりすぎな気もする。
昔々から、踏切はこうだったのだし。
子どもの足が落ち込んで挟まったりしないように、むしろ昔の踏切よりも、通行しやすくなっています。
注意書きを出しておかないと責任を問われますか?
なんだかなぁ。

もし可能ならば、踏切内の通行方向がレールと直角になるように、設計するなり、作り替えをする方が有効なのではないかなぁ。
モンパルで踏切を渡るときは、できれば直角に渡りたいという気はします。

駅にて

0703eki 7月3日
前の記事のヒゲコガネと出会って一週間後の土曜日。
また、本屋散歩へ行こうと駅へ。
あの、ヒゲコガネを脱出させた網のところで立ち止まり、どうしてるかな、元気かな、と思い出していたら。
何かいます。
種を同定しようとも思いませんでしたが、一匹の小さな甲虫が網にとまっています。
ふと、心和んで、ワンショット。

この場所がなんだか特別な場所になったような、人の心の動きって、変なものですね。

ヒゲコガネ♀

0626higekogane1 6月26日
電車に乗って本屋散歩に行こうと駅に来たら。
駅の清掃していたおじさんのモップが近づくその先に「むしがいる!」
あわてて、拾い上げて救出。夜の灯りに飛んできたのでしょうか。よくこの時間まで踏みつぶされずにいたものよ、と驚きました。(午前10時少し前です。)

いつも携帯しているコンパクトデジカメでの撮影です。
ヒゲコガネのメスですね。オスはとんでもなく「ヒゲ」が立派なんです。
0626higekogane2
側面を見せてもらったり

0626higekogane3
顔を見せてもらったり。
なんだか表情があどけない気がしませんか。
おまえ、危なかったんだぞと言い聞かせましたが、どこ吹く風。

さて、どうしようかと思ったのですが
0626higekogane4
ホームの窓の金網の目をくぐらせることが出来ましたので、外に出しました。
外には、けっこう草も生えているし、何とかなるでしょう。
一目につかないように右の方へ行きな、と指で押すと、怒るんですね、シューシュー音を出します。どこからそういう音が出るのかよくわかりませんが、珍しいですね。
首のあたりでギシギシ音を出すのはいます。カミキリとかね。
でも、シューシューというのは珍しい音でした。
電車2台ほど乗り過ごしましたが、無事、視界から去っていったので、安心して本屋散歩に出かけたのでした。

◆朝日新聞に落合恵子さんがエッセーを連載しています。題して「積極的その日暮らし」。
世代感覚が近いからなぁ、非常に心に沁みたり、うなずいたり、楽しく読んでいます。
6月26日のエッセーは「ありふれた朝の」という題でした。

・・・
 私の前を早足に行く同世代の男性が。・・・。と彼が、曲がり角の黒いフェンスの前で、立ち止まった。
 うつむき加減に咲く純白の花をつけた枝が、道路にとびでているあたりで立ち止まったのだ。そして、細くしなやかな枝に手を伸ばした。
 おじさん、何するの?枝を折らないで、と思ったおばさん、わたしは、すぐに自分の不徳を恥じることになる。
 背を屈めた彼は、それはやさしく枝に手を添え、花に顔を近づけて香りをかいだのだ。花のひとつひとつに顔を寄せて。それから、ありがと、とでも言うように枝を撫でて、再びさっきと同じように歩きだした。
 ただそれだけ。ありふれた朝の中の、数分間の光景である。
が、わたしは今日一日の、淡い幸福の保証を贈られたような気がして、彼の後ろ姿を見送った。
・・・
 大仰なファンファーレと共に訪れる大きな幸福とやらには慣れてはいないし、少々臆してしまう。
 むしろ、誰かの仕草が引き出してくれる「生きてるって捨てたもんじゃないな」という、淡い充足。それでいい、それがいい。
・・・

なかなか、しっとりしたよい文章ですよね。
さて、おじさん、「かかし」、が虫を手に拾いあげ、包み込んで話しかけ、気をつけるんだよと網の外へ送り出している姿を見たら、幸福を感じてくれるおばさんは、いるのかなぁ?
やっぱ、話は「花」だからいいんだろうなぁ。「虫」じゃあなぁ。

私の虫に対する仕草が、「生きてるって捨てたもんじゃないな」という、淡い充足を引き出したりは。
しないだろうなぁ。

◆私としては、左手に虫を包み込みましたから、どこかでやっぱり手を洗うべきかな、などと考えつつ電車に乗り、すっかりそのことを忘れました。
無意識に、汗ばんだずれた眼鏡を外して、鼻の脇、ほほのあたりの汗ばみを左手で拭ってから、あらしまった、洗ってないや、まあいいかぁ、人間の皮膚は結構タフなもんさ、とつぶやいたのでした。

この一連の話で「幸福」を感じて頂けると嬉しいのですが・・・

オオシオカラトンボ

0625oosiokaratonbo1 6月25日
オオシオカラトンボです。
我が家の池で羽化したのだと思うのですが、この時は脱け殻は発見していません。
今このトンボが止まっているのは、池に立てた「破魔矢」の軸。罰(バチ)当たりなことですが、ちょうど具合がいいもので。
この軸の隣にももう一本破魔矢の軸があって、後日、トンボの脱け殻がついているのを見つけることになります。この時点で脱け殻があったとすれば、私の目にとまらないはずはない、と思うのですがねぇ。ちょっと戸惑いを覚えます。
でもまぁ、おそらく、我が家の池で成長して羽化したのだと思います。

シオカラトンボとよく似ていまして、がっしりした感じがします。
0625oosiokaratonbo2
私が識別マークにしているのが、この後翅の付け根の黒い模様。
しかしまぁ、こうやってじっくり見ると、背面の構造の力強さ、すごいですね。
さすがトンボの飛翔力を支えるポイントですね。

細かな飛翔能力ではハエやアブもすごいですが、飛ぶ距離、速度、高度などではトンボの飛翔力はすごい。
普段パトロールしている時は、ゆったりしていますが、いざとなるとすごい飛び方するものなぁ。

この時は、私の耳元まで来て羽音を聞かせてくれました。ハチとは違う迫力のある音でした。(縄張りに入り込んだ大きな動物の様子を見に来たのでしょうけれどね。)

ヒメクチナシ

0625himekutinasi 6月25日
オオスカシバの幼虫の食草、ヒメクチナシです。
香り立っています。甘い香りです。屋外で嗅ぐのがよいようで、室内に持ち込むとちょっときつい気がします。
木も育てたいし、オオスカシバが繁殖するのも悪くはないし。
適度に、食べ過ぎにならないように、オオスカシバの方をコントロールするしかありませんね。
ほっとくと、丸坊主に「剪定」してしまいますから。

ヒゲナガカメムシ

0625higenagakamemusi1 6月25日
ヒゲナガカメムシがネコジャラシ(エノコログサ)の茎で吸汁していました。穂にくっついていることが多いのですが、珍しい。
名前は「ヒゲナガ」ですが、見分けのポイントは
0625higenagakamemusi2
このポパイみたいな「腕」ですね。
これは特徴的です。
どうやら、吸汁に夢中になっているようなので、思い切り近づいてみました。
0625higenagakamemusi3
ちょっと鮮明さに欠けますが、刺す口を突き立てていることが見て取れます。
いい忘れましたが、このカメムシ、体長は1cm弱です。大型のカメムシというわけではないので、ネコジャラシの穂に茶色いものがついているなぁ、とおもったら熟視して下さい。見えてくるはずです。

ワルナスビ

0625h_warunasubi1 6月25日、白山神社前にて
歩道の植え込みに、ワルナスビが咲いていました。
0625h_warunasubi3
このトゲトゲ、痛いです。気をつけてください。
「ワル」という名の由来が、トゲトゲのせいなのか、それとも、いったん侵入すると退治できないしぶとさのせいなのか、わかりません。どっちもお気を付け下さい。
地下茎をズタズタにしても、それぞれがまた芽を出してくるそうです。
0625h_warunasubi2
茎のトゲトゲは知っていて、以前にもこのブログでご紹介したはずなのですが、今回、写真を眺めていたら、葉にもトゲトゲがあるんですねぇ。
葉脈の主脈にもトゲが生えていますね。これは今回気づいたことでした。

トラフムシヒキ

0625h_torahumusihiki 6月25日、白山神社にて
トラフムシヒキがいました。
獰猛な雰囲気ですね。
肉食性のアブです。小昆虫を捕まえます。

私のブログでも2,3回登場したかな。
去年の5月25日付でトラフムシヒキの食事中という写真を掲載しています。
http://yamada-kuebiko.cocolog-nifty.com/blog/2009/05/post-0926.html 

ホンサカキ

0625h_honsakaki1 6月25日、白山神社にて
ホンサカキの花です。
0625h_honsakaki2
花弁に少し透明感があって、蝋細工のような雰囲気があります。
また、におうのかな、と近寄ってみたわけですが、においません。
ヒサカキやハマヒサカキの花は、独特の匂いがあって、よい香りとはいえませんが、ホンサカキの花は無臭のようです。
この日は、まだこうやって花が見られましたが、周りの様子だと、花の盛りは過ぎかかっているようですね。花びらが落ちて子房が残っている姿も多くありました。

ドクダミ

0625h_dokudami 6月25日、白山神社にて
ドクダミの花も終わりになってきました。
近づいてみると、オシベの葯が少し残っていて、緑の子房がぎっしり並んでいます。
この後成熟してきます、見たことがあります。これを刈り取る人はあまりいませんから、ドクダミの実を見たことがなければ、見る側の責任ですね。花の後、存在を忘れてしまいがち。

アジサイ

0625h_ajisai1 6月25日、白山神社にて
アジサイの花も終わりに近づいています。

0625h_ajisai2
オシベにもメシベにも色があるのですね。

これで、実が熟すかどうかみられるかな、と思っていると、まもなく全面的に刈り込まれてしまうはずです。
いまだに、ちゃんとしたアジサイの実、というものを見たことがない私です。

2010年7月 2日 (金)

カラスウリ

0624_10karasuuri 6月24日
妻が馴染みの美容室で頂いてきたカラスウリの種を播いてみました。
あわよくば花を見たい、という魂胆です。なかなか見られないものですから、できれば自分の家で見てみたい。
さぁ、このもくろみ、うまくいきますかどうか。
ネコジャラシなんかとごちゃごちゃになっているところが我が家らしいでしょ。

テッポウユリ

0624_9teppouyuri 6月24日
テッポウユリの花が終わりました。
花びらが抜け落ちて行くところ、抜け落ちた後、が写っています。
花をめでる人は、こんなシーンは無惨だと思うでしょうね。
でも、植物の仕事はここから。
ナンテンの時も書きましたが、光合成産物の多くを子房に送りこんで、次世代を産みだそうとしている。
命の胎動はここから始まる。

美しく輝く姿です。

ヒメグモ

0624_7himegumo1 6月24日
前の記事でナミテントウの食事を見かけた場所から、直線距離で1mくらいのところ、サザンカの木です。
ヒメグモの網にナミテントウがかかったようです。クモにとってずいぶん大きな獲物ですね。
0624_7himegumo2
真横からではよくわかりませんでしたが、ナミテントウはやはり糸で巻かれていますね。
そして、ヒメグモは腹部に顎をつけて、テントウの体内を溶かして吸っているのでしょう。
こういうシーンを残酷だとは言わないでほしいのです。
こうやって生きるしかないのですから。
翻って、ヒトは「やさしい」ですか?同じように他の生物の命をもらって生きているのですね。
表面的に見えにくくなっていますが、私たちは雑食性の動物です。植物や動物の命を食べています。
0625himegumo 6月25日
ナミテントウの死骸がまだついています。
ヒメグモは小さな落葉の隠れ家の下で次の餌を待っています。

このようにして、世界は進行していくのです。

ナミテントウ

0624_6namitentou1 6月24日
キョウチクトウの葉の上で、ナミテントウがアブラムシを捕まえて食べていました。
同じシーンを角度を変えて、少し引いて撮りますと
0624_6namitentou2
なんだか、すごい雰囲気になりました。
色の組み合わせがものすごいことになりました。
ナミテントウが肉食性で実際に今アブラムシを食べている、という認識がまた、このシーンを激しくしていますね。

カメムシ風景

0624_5kamemusi1 6月24日
ゼニアオイの茎の上。
写真左端に、チャバネアオカメムシがいます。
写真右には、ブチヒゲカメムシの背中と、そのすぐ右におなじブチヒゲカメムシの腹部が見えています。
0624_5kamemusi2
さらに、幼虫たちもいて
0624_5kamemusi3
なんだかよくわからないのですが、賑わっております。

極度に湿度の高い日々の続くなか、さわやかなカメムシ風景で気分一新して下さい。

ジョロウグモ

0624_3jorougumo 6月24日
ジョロウグモの巣です。
クモが乗っている網の面の延長上にカメラがあります。
クモの体の上に乱れた糸の網があります。
クモが乗っている網の、クモにとっての下方にも、もう一枚網があるのですが、そちらははっきりとはしません、なんとなくわかる程度。
こういうふうに、3枚セットの網を張るのがジョロウグモの特徴です。
見かけたら、観察してみてください。

ツマグロオオヨコバイ

0624_2tumaguroooyokobai 6月24日
どうも失礼いたしました。
おしっこレンズに向こうの景色が見えています。
今の時期、このツマグロオオヨコバイの数が減っています。
かといって幼虫もまだ姿を見せてはいないし。
「端境期」でしょうかね。
庭仲間が少ないのも少しさびしい。
(普通は害虫ということになっているのかなぁ。汁を吸うから。)

ササグモ♀

0624_1sasagumof 6月24日
ササグモのメスですが、腹部が大きくなってきています。
卵が大きくなってきているのでしょう。
あちこちの花の間で、みかけます。
クモの卵塊を見ることは少ないなぁ。
気づけるようになればきっといっぱいあるんですよね。
これだけ、いろんなクモに毎日出会うのだから。

コマツナ

0623komatuna1 6月22日
雨戸を閉めようとして、目の前に「アブラナ科」の花!
一瞬、なんだか分からなかったのです。菜の花?なに?
あ、これコマツナだぁ。
食べた後のコマツナの根をプランターに植えておいたら、すごい勢いで成長していました。
まさか、花が咲くとはねぇ。
「たけてしまった」

0623komatuna2
ご覧ください。まったく、お見事な花です。
これが「The コマツナの花」です。
見たことないでしょ、ふつー。

0623komatuna3_2
野菜だって花が咲く。当たり前ですが、消費者の立場からすると、花にお目にかかるのは珍しい。

よいものをみました。

アダンソンハエトリ

0622adanson1 6月22日
部屋の中にクモの幼体。
体長1mmくらいの小さなクモ。
プラスチックケースに入ってもらって記念撮影なのですが、かなりちょこちょこ走り回る。
で、ふたが開けられなくて、プラスチック板ごしの撮影。
どうしてもかすんでしまいます。
でもまぁ、いっちょまえ、でしょ。1mmですよ、コレ。
0622adanson2
アダンソンハエトリの幼体であっていると思います。
0622adanson3
半透明な脚。
かわいいったらありゃしない。

撮影後は、また部屋の中へ放しました。
うっかりつぶされるなよ、と言い聞かせて。

ナンテン

0622_9nanten 6月22日
ナンテンの花がほぼ終わりです。
花が終われば、実へ。
花びらが落ち、オシベも落ち、子房が残りました。
さぁ、ここへ栄養を送り込んで、実の成熟です。
花は始まり、実への第一歩です。


2010年7月 1日 (木)

チャバネアオカメムシ

0622_8tyabaneaokamemusi1 6月22日
ゼニアオイの茎にカメムシの幼虫。
撮影しやすいように手で茎を支えていたら
0622_8tyabaneaokamemusi2
乗り移ってきてしまった。
これはチャバネアオカメムシの幼虫でいいと思うのですが。
0622_8tyabaneaokamemusi3
そばにチャバネアオカメムシの成虫もいたしなぁ。
(安易に納得)
幼虫の方は、歩いて茎に戻れるようにガイドして帰してやりました。

シロテンハナムグリ

0622_7sirotenhanamuguri 6月22日
崩彦俳歌倉の方で、使った写真の大きいバージョン。
道に落ちたビワの実に頭を突っ込んでいるところです。
こういう甘いものに体ごと突っ込んで行く虫は、どうしても体がべとべとして、ダニなんかに寄生されやすいですね。
カブトムシなんかも飼育していると、果物の甘い汁に浸ってしまいますから、べとべと。
自分で体をきれいにすることはできません。
それに比べると、カマキリは清潔好きでねぇ。
狩りをして、食べて、食事が終わると、体をきれいに掃除しますからね。
いつも清潔、爽やかな虫ですよ。

また不明

0622_6humei 6月22日
また不明ですみません。
タマバチかなぁ。
それとも単に、羽アリかなぁ。
もうちょっと顔が撮れていればねぇ、よかったんですが。
羽アリなら周辺にもっと居てもよさそうなものですが、これ一匹でした。
残念ながら分かりません。
ヨロシク。

ハリカメムシ

0622_5harikamemusi 6月22日
のんびり庭を回っていて、さっきオオスカシバが飛びまわっていたランタナのところをもう一回覗いたら、ハリカメムシがいました。
静かにゆっくり歩いています。飛ぶ気になれば飛べるんですけれどね。
せわしない連中だよなぁ、といってでもいるかのように、ゆっくり、ゆっくり。
写真を撮るこちらがゆっくり構えていられるという、その気分をこのカメムシに投射しているだけなんですけれどね。
穏やかな被写体もいいなぁ。

アリグモ

0622_4arigumo1 6月22日
家の外壁をアリグモが歩いていました。
間違いなく、昆虫ではなく、クモです。
0622_4arigumo2
頭部に単眼が見えますね。クモの顔です。
ところがですね、脚の数を勘定してみてください。
3対しか見えないんです。
一番前の一対を失ったのだと思います。本来だとその第一対を振り上げてアリの触角のように見せるのですが、それがない。
何かの事故があったのでしょうね。どういう出来事だったのか、一対だけ脚を失いながらかろうじて逃げてこられた、ということでしょうが。
生きるということは大変なことです。でも、生きられる限り、平然と生きる。
平然と死ぬ、なんていうのは粋がった格好づけ。たいしたこっちゃない。
大事なのは、平然と生きることですよ。
それが一番大事で大変なことです。
こういうクモの姿を見ると、教えられますね。ありがとう。
ちょっと感傷的な気分でもあります。

カメムシ幼虫

0622_3kamemusi 6月22日
カメムシの幼虫です。
クサギカメムシではないかと思うのですが、確定できません。
我が家の周りに一体何種類のカメムシが生息しているんだろう?

生物多様性の庭(別名:東京ど田舎の庭)ですねぇ。

{私、TVドラマ全然見ないので「同窓会」とかいうドラマを見たことないのですが、聞くところによると、設定は「沼部」だそうで、撮影は「多摩川駅」で、主人公は沼部に都落ちしてきたそうで・・・。私、沼部に住んでます。東京ど田舎です。}

キマダラセセリ

0622_2kimadaraseseri1 6月22日
実はですね、玄関ドアを出た瞬間、舞っていたのはオオスカシバだけではなかったのです。
キマダラセセリもランタナの花に来ていたのです。
でも、オオスカシバが場所を変えて行ったので、どうしよう、と迷ったのですが、オオスカシバについていってしまいました。
ひとしきり撮影して、もういないだろうなぁ、と元の場所に戻ったら、ランタナの隣の桜桃の木の葉にとまっていました。
虫に感情移入してしまっていますからね。
待っててくれたんだぁ、ありがとうねぇ、と呟きながら撮影。
もし、傍で見ている人がいたら、気味悪いじいさんだなぁ、と思われるでしょうね。
こういうモードに入っている時は、もう、頭の中はファンタジーなんですよ。

0622_2kimadaraseseri2
で、待たせてしまった、という引け目がこちらにあるもので、この写真。
なんだか不機嫌な顔に見えませんか?
前回は笑い顔に見えたんだけどな。
ムッとしているような気がする。

オオスカシバ:3

0622_1oosukasiba5 6月22日:続き
うれしいついでに、もう一回書きます。
ホバリング中なんですが、前脚一対を花に接触させていますね。
安定するのでしょう、やっぱり。

0622_1oosukasiba6
よく見ると、口吻がでてくる位置が、人間的(あるいは哺乳類的)な「口」の位置ではないですね。
その部分だけ切りだすと
0622_1oosukasiba7
複眼の間、触角の付け根の中央、いわば「頭」あたりから口が出ているのですね。
ゼンマイ状に巻いているときは、下についていますから、なんとなく普通の「口」に見えるのですが、こうやって、その付け根付近を見ると、おもしろいものですね。
こんな写真がとれてうれしくって、はしゃぎ気味です。

いやあ、オオスカシバさん、ありがとう。よいものを見た。
(今風に言うと「感動を与えてくれてありがとう」ですか。この言い回し嫌いですけど。
できれば「よい言葉を聞きたい」ものです。)

オオスカシバ:2

0622_1oosukasiba3 6月22日。続き。
もう夢中で撮りまくり。
こんな写真が撮れるなんて、ラッキー。
ホバリング中ですが、翅まで停止して見えます。
ご存知ない方のために、ひとこと。
この昆虫、いわゆる「蛾」です。
翅が透明だし、ブンブンすごい音を立てて飛び回るので、大型のハチかと誤解する方もいます。中には、小型のハチドリが日本にもいるのか、と思った外国人の方もいらっしゃるとか。

チョウ目 > スズメガ科 > ホウジャク亜科 > オオスカシバ  です。

幼虫はスズメガの仲間の特徴で、しっぽがあります。これがまた刺さるのではないか、と思う方もいて。柔らかい肉質で刺さりません。
クチナシ、ヒメクチナシなどを食べます。今頃の時期クチナシが香りますね。木の下を見て頂いて、ころころと黒い塊が落ちていたら、オオスカシバの幼虫がどこかにいる証拠です。
蛹を経て、羽化したてのときは、翅に鱗粉がついていて不透明です。体を乾かし、翅をふるうとその鱗粉は落ちて、写真のように透明になるのです。

口吻を見てください。
二本をあわせて一本の管にしたことが分かります。チョウも同じです。羽化直後には二本に分かれていますが、一本にまとめる動作をします。

0622_1oosukasiba4
こんなショットも撮れました。ホバリング中。
口吻がゼンマイ状に巻いていますね。
翅にねじりをかけて、あおるようにして空中に停止しているようです。
うれしいですねぇ。こういう写真って、プロの写真家にしか撮れないような気がしていました。「わたしにも写せます」って。
(参議院の議長さんまでやった扇千景さんが8mmカメラのCMで「わたしにも写せます」といっていたのを知っていらっしゃる方は、私などと同年代だなぁ、きっと。)

オオスカシバ:1

0622_1oosukasiba1 6月22日
玄関のドアを開けたら立ち往生。
ランタナの花にオオスカシバが来て、ホバリングしながら蜜を吸っています。
写真に撮ってみると、ホバリングではありますが、前脚1対を花に軽くのせていますね。
このオオスカシバ、すぐにこの場を飛び去って、勝手口近くのランタナへ移動。

0622_1oosukasiba2
そっと追ってみれば、ナント、2匹になった。
この後も撮影は続くのですが、どっちを撮っているのか、全く分からなくなりました。

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