捨て石
2010.6.14付 朝日歌壇より
かのときは捨て石いまは要石ウチナーンチュは石にはあらず:(新潟市)伊藤敏
高野公彦 評:戦時中は「捨て石」として見捨てられ、現在は「要石」として米軍基地が存続している沖縄。ウチナーンチュ(沖縄人)は石ではない、という怒りを歌う。
佐佐木幸綱 評:沖縄および沖縄の人たちを、その時その時の都合のいいように位置づけてきたわれわれの勝手さを、鋭くクローズアップする。「ウチナーンチュ」は沖縄の人のこと。
いつも言うことなのですが、同義反復はやめましょう。何も新しいことは生まれない。
高野氏の評は作品の歌を繰り返しただけですね。評にはなっていません。
佐佐木氏の評は、「われわれ」に跳ねかえってくるのだということを指摘。言葉は自分に跳ねかえるということを自覚して使わなければなりません。
想像するに「チュ」は「衆」でしょう。
ウチナーンチュは沖縄の衆、ヤマトンチュは大和の衆でしょうね。
沖縄の言葉には古代日本語が生きています。味わいが深い。
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